俺は男と結婚したくないのになんで公爵令嬢で聖女なんだよ!   作:本郷カキツバタ

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第十三話 手を伸ばせば

「聖女様にお会いできると聞いて、昨日から入口を磨いていた者がおりまして」

 

 六月十二日。

 王都大神殿の救護院で、俺を迎えた女性がそう言った。

 

「まあ。わざわざ、ありがとうございます」

 

 俺のためにそこまでしてもらうのはなんだか申し訳ないな。

 

 目の前の女性は、マルタ・エルネと名乗った。治療師で、救護院の実務を預かっているという。四十代ほどの落ち着いた人だ。俺が立っている間にも、彼女の後ろでは担架が通り、薬品を持った職員が別の部屋へ急いでいった。

 

「まず、こちらをご覧ください。聖女様の治癒を必要としている方だけが、患者ではありませんから」

 

 案内されたのは、治療室ではなく受付だった。

 

 長椅子には、腕を布で吊った少年と、その母親らしい女性。奥では老人が職員に歩き方を確かめてもらっている。薬の受け取りだけで帰る人もいる。

 

「すべての方を、こちらで診ていらっしゃるのですか?」

 

「ええ。すべてを治癒魔法で治すわけではありません。使える者も限られますし、まず必要なのは、何が起きているかを調べることです」

 

 光属性の適性を持つ人間は、ほかの属性に比べて珍しい。俺もレストも持っているから、あって当然だと無意識に思っていたが、そうか。治癒魔法を使える人が少ない中で、治療を回さないといけないんだな。

 

 マルタが受付の記録を示した。

 

「地方からもお話が来ています。こちらへ運んでよい状態か、現地の治療師で対応できるか。そういうことも決めなくてはなりません」

 

「聖女だからといって、遠くの患者を全員お呼びするわけにはいかないのですね」

 

「連れてくる途中で具合を悪くしては、何のための治療か分かりませんもの」

 

 正論だ。

 

 三日前に神託院で話を聞いた時は、紙の上の話だった。

 今、目の前の長椅子には人が座っている。俺が魔法をかければ全員帰れる、なんて話じゃない。

 

 俺がどれだけ魔力を持っていても、馬車が速くなるわけではない。それに、あの雑貨店主のお母さんが自力でここまで来られるかどうかも、まだ知らない。

 

「ひとつ、伺ってもよろしいですか」

 

「どうぞ」

 

「私の治癒が役に立つ方は、どうやって決まるのでしょう」

 

「今日は、そのお話をしたいと思っていました」

 

 マルタは静かに頷き、俺を奥へ案内した。

 

 小さな診察室には、三十代くらいの男性が待っていた。

 右の袖は普通に通しているが、左の袖は肘のあたりから折り返してある。

 

「春に、作業場で事故に遭われた方です」

 

 マルタが紹介すると、男性は椅子から立ち上がった。

 

「初めまして、聖女様」

 

「初めまして。どうか、そのままで」

 

 俺が向かいの椅子へ座ると、彼も腰を下ろした。

 

「今日は見学の予定だと伺っていましたが、診ていただけるかもしれないと聞きまして」

 

「はい。ただ、私もお話を伺ったばかりなのです。まず、マルタ様からお聞きしてもよろしいでしょうか」

 

 マルタは、これまでの処置と傷の状態を説明した。出血と感染の危険はすでに落ち着いている。右腕だけでできるよう仕事を変えたものの、以前のように道具を扱うことは難しいという。

 

「傷を塞いで、骨をつなぐところまでは、私たちにもできます。失ったものを戻すのは、聖女様の記録の中だけの話でした」

 

「職人をやっておりまして。今は材料の確認ばかりです。家の者は、無理をしなくていいと言ってくれるんですが」

 

 男性は右手で左の袖を整えた。

 

「……自分で作った物を、また人に使ってもらいたいんです」

 

 何を作る職人かは、尋ねなかった。

 

 そうか。もう一度、自分の手で作りたいんだな。生き甲斐、というやつなのかもしれない。それを事故で失うのは、苦しいだろう。

 

「……治療のお話は、どこまでお聞きになっていますか?」

 

「腕が戻る可能性があると。ただ、必ずとは言えないとも」

 

「私は治癒魔法を使えます。でも、お身体を確かめず、何でも治せると申し上げることはできません」

 

「はい」

 

「もし治療ができたとしても、すぐに以前のお仕事へ戻れるかどうかは、別に確かめなくてはならないと伺いました」

 

 マルタが頷き、言葉を継いだ。

 

「戻った部分は、長く使っていなかったのと同じ状態です。感覚や動きは治療後に調べます。日を置いて、もう一度診ることも必要です」

 

 男性はうつむいて考えた。

 

 急がせる理由はない。俺がどれだけ早く治せるつもりでいても、決めるのはこの人だ。

 

 しばらくして、彼が顔を上げた。

 

「お願いします。治療を受けたいです」

 

「承知しました」

 

 短い返事なのに、喉が渇いた。

 

 怖いわけじゃない。

 

 いや、嘘だな。

 

 俺の力が足りないことより、助けたいと思った相手を助けられなかった時のことが怖い。

 テオやアルの擦り傷なら、何度も治したことがある。でも、ここまでの傷は初めてだ。聖女といっても、神様は猫だ。そんな俺が、本当にこの人の腕を治せるのか……?

 

「では、こちらで準備しましょう」

 

 マルタの声で、我に返った。

 考え込んでも仕方がない。今は俺ができることを精一杯やろう。

 

◇

 

 治療の前に、マルタともう一人の治療師が傷の状態を確かめた。男性にも、途中で違和感があればすぐ知らせるよう説明する。

 

 俺は洗った手を、左腕のそばにかざした。

 

 光を流し込めば、それで終わり。……だったら、どんなに楽か。

 

 怖い。本当に治してあげられるのだろうか。

 

 俺は集中して光を彼の左腕に集める。残っている腕の形を確かめながら、失われた部分へ力を届かせる。

 どこまでが腕だったか。指の先まで、どうつながっていたか。関節の一つ一つ、筋肉の筋を丁寧に思い描きながら治癒魔法を使う。

 

「……痛みはございませんか」

 

「今は……温かいです」

 

 男性の返事を聞き、手を止めずに続けた。

 

 淡い光が、折り返された袖の下を照らす。

 

 失われていた部分に、徐々に輪郭が生まれてきた。

 

 肘の先から手首、掌、五本の指へと、光が人の腕の形を作っていく。

 

 緊張と今までにない集中で時間の感覚が曖昧になる。魔力はまだ十分にある。焦るな。いける。丁寧に思い描いて魔力を集めろ。

 

「……指が」

 

 男性が声を漏らした。

 

 俺は最後に指先まで形を確かめて、ようやく魔法を止めた。

 

 そこには、左手があった。

 

 男性はしばらく動かなかった。右手を持ち上げ、新しい左の指先へ触れる。

 

「触っているのが、分かる」

 

 言い終える前に、彼は口を結んだ。

 

 よかった……。ちゃんと腕が戻った。俺が治せたんだ。

 ……いや、待て。ちゃんと動くのか? こんな怪我を治すのは初めてだ。上手くできたのか、急に怖くなってきた。見た目だけ戻って動かなかったら、どうすればいい!?

 

「動かせそうですか」

 

 思わず尋ねると、マルタから声が飛んだ。

 

「聖女様。そこからは私の仕事です」

 

「……はい」

 

 やってしまった。

 

 力を使い終えた瞬間、検査の順番を飛ばしかけた。そうだ。俺が一番落ち着け。

 

 椅子から立とうとして、膝に力が入らなかった。魔力はまだ残っているのに、頭の芯がじんと痺れている。指の一本一本まで、思い描き続けたせいだ。

 重い傷を治すほど体にも負担がかかる、と大神官長が言っていたのは、こういうことか。

 

 マルタは男性の手を支え、指を一本ずつ動かしてもらった。触れた場所が分かるか確かめ、腕の曲げ伸ばしも見ていく。

 

「今日は、できる範囲だけですよ。道具を持つのは、次に状態を見てからにしましょう」

 

「はい。でも、動くんです」

 

「それは、私も見ています」

 

 マルタの返事は素っ気ないくらいだった。

 でも、男性の手首を支える手は離さない。患者がまた指を動かしてみせると、今度は彼女も小さく笑った。

 ああ。この人がここにいてくれて、本当によかった。安心感が違う。

 

 そして、猫神様。俺に加護を与えてくれてありがとうございます。この前会った時は色々言ったかもしれないけど、猫神様のおかげで治療ができました。

 

◇

 

 廊下へ出ると、ユリウスが待っていた。

 

「マルタ様から、欠損部の再生があったと」

 

「はい。治療は終わりました。今、検査をしてくださっています」

 

「記録でしか拝見したことがありませんでしたが、実際に起きるとは……」

 

 彼は手元の紙へ視線を落とし、書きかけの行を見直した。

 

「日時だけは、先に記録してもよろしいでしょうか」

 

「もちろんです」

 

 驚きながら仕事を忘れない人だ。

 少し安心する。

 

 室内から、男性の笑う声がした。続いて、何か言葉が詰まったような声。

 

 俺が診察室を横目で見ると、マルタが入口から顔を出した。

 

「聖女様。患者さんから、もう一度お礼をお伝えしたいと」

 

「承知いたしました。すぐに参ります」

 

 ユリウスに一言断ってから診察室へ戻る。

 

 男性は椅子に座り、両手を膝へ載せていた。

 

「本当に、ありがとうございました」

 

「こちらこそ。治療を受けてくださって、ありがとうございます」

 

「まだ仕事を再開してはいけないそうです」

 

「そうなのですね。では、しばらくは動かす練習でしょうか」

 

「そうみたいです。家族にも言っておきます。きっと道具を持つと怒られますから」

 

 言いながら、今度は笑った。

 

 家族が怒る理由も分かる。俺がその立場でも、心配が勝って怒るかもしれないしな。

 

「では、お大事になさってください。動かす練習も、頑張ってくださいね」

 

「はい。また来ます。先生に、ちゃんと動くところを見てもらわないといけないので」

 

 男性が見たのは、俺ではなくマルタだった。

 

 うん。今にも道具を握りそうなこの人を止められるのは、俺じゃない。

 

 マルタは無言で微笑んでいた。ちょっと怖い……。

 

◇

 

「聖女様がいらっしゃる日に、同じ治療を希望する方が増えるでしょうね」

 

 マルタは受付の机へ戻る途中で言った。

 

「そうでしょうか」

 

「ええ。今日の方の話が伝われば。ですが、全員に同じ治療が必要とは限りません」

 

「救護院で、先に診ていただくのですね」

 

「はい。そして、治せないこともある。亡くなった方を呼び戻せるわけではありませんから」

 

 治癒魔法で、死んだ人を生き返らせることはできない。

 でも、さっきの人は腕を取り戻した。だったら、ほかにも助けられる人がいるんじゃないか。

 一人治せたから、もう十分。そうは思ってもらえないだろうし、俺自身も思えそうになかった。

 

「……次に伺う時も、患者さんのことを教えていただけますか」

 

「喜んで。ただし、診察の邪魔をなさらない範囲で」

 

「気をつけます……」

 

 マルタが笑った。

 

「先ほどは、検査を始めるところを少々急がれましたからね」

 

「それは……。申し訳ありません」

 

「悪いことばかりではありませんよ。助けたいから、確かめたくなるのでしょう」

 

 マルタはそこで、少しだけ声を落とした。

 

「それから、次からは、セレスティア様とお呼びしてもよろしいですか。ここで聖女様とお呼びすると、待っている方々が身構えてしまいますので」

 

「ええ。そのほうが、私も助かります」

 

 救護院の奥では、次の患者を呼ぶ声がした。

 

 俺が今日治療できたのは、一人だ。

 あの人が仕事へ戻れるかは、これからマルタたちが見ていく。

 傷が治りました。はい終わり! とはいかない。

 

 帰り際、入口で職員に尋ねられた。

 

「次回のご訪問は、儀礼のある日と重ならないようにいたしましょうか」

 

「……儀礼?」

 

「はい。来週は、聖女様にも礼拝をご覧いただく予定でして」

 

 礼拝。

 

 そうだった。俺は聖女なんだった。

 

 初めて大怪我を治す仕事で頭がいっぱいだったが、そっちもあった。

 

 神様なら知っている。直接会った。撫でた。

 でも、礼拝で厳かに祈ろうとしたら、思い浮かぶのはあの猫だ。

 

 腕を治せたときには感謝したけど、聖女として、これで大丈夫なの……か?

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