俺は男と結婚したくないのになんで公爵令嬢で聖女なんだよ! 作:本郷カキツバタ
俺ことセレスティア・レーヴェルには重大な問題がある。
治癒魔法が使えないわけではない。人を助ける仕事が嫌なわけでもない。
それは、聖女として神様への信仰心がないということだ。
◇
六月十六日。
王都大神殿の礼拝堂に入った俺は、祈る人々の背中を見て、改めてその事実を噛み締めていた。
神様が実在することは知っている。話したこともある。毛並みも知っている。もふもふだ。
猫神様を疑う余地はない。与えてくれた加護の力もこの前の一件で実感した。
ただし、神様を信じていることと、神様を拝みたいことは別問題だ。
俺は猫神様の顎の下やお腹を存分にモフりたい。なんなら許してくれるなら吸いたい。
これ、信仰心じゃなさすぎるだろ……。
「セレスティア様。お加減でも?」
隣でユリウスが声をかけてきた。
「……いいえ。ただ、皆様、とても熱心でいらっしゃるな、と」
猫神様を吸いたいと考えていました、なんて言えないだろ。
「今日は聖女様のご来訪もありますから。普段より参列者が多いのです」
そうか、俺を見に来た人もいるわけか。なんせ八十年ぶりの聖女なんだ。
前の席では、子供が母親の手を握り直している。その横にいる老人は、祈りの言葉を静かに唱えていた。
誰も俺へ何かを要求してこない。
俺だけが、場違いな気がしていた。
◇
礼拝が終わり、大神官長とユリウスに儀礼の説明を受けた。
「聖女として参加する場合、決まった祈りを唱える必要はございますか?」
「儀礼ごとに定められた言葉はございます。ご一緒に唱えるものもあれば、立ち会っていただくだけのものも」
ユリウスは手元の冊子を開き、該当の頁を示した。
読み上げる文なら覚えられる。式典の手順も同じだ。公爵令嬢として、人前で決められた挨拶をすることには慣れている。
問題は、その先だ。
「その、失礼を承知で伺いたいのですが」
「何でしょう?」
「私は、神様の存在を疑ってはおりません。実際に会ってお話もさせていただきました。ただ、皆様のように祈ることに、まだ馴染みがないのです。それでも聖女として務めてよろしいのでしょうか」
神様と直接話した人間が、神官に信仰相談をしている。
冷静に考えたら順番がおかしくないか?
大神官長は驚いた様子もなく、俺の話を聞いていた。
「神託を受けた方が、皆と同じ心のあり方になるとは限りませんよ」
「そうなのですか?」
「私たちは祈りを大切にしています。しかし、何を感じるべきかまで、人に命じられるものではありません」
ユリウスも頷く。
「儀礼の手順なら、お教えできます。信仰の仕方は、セレスティア様ご自身のことですから」
「ですが、私が祈らないことで、皆様のお気持ちを損ねてしまうのでは……」
「礼拝される方を軽んじなければ、まずは十分です。聖女であることを理由に、信心があるふりをお願いするつもりはありません」
大神官長の返事は穏やかだった。
それなら助かる。祈っている人を軽んじる気持ちなんて、これっぽっちもない。
猫神様には感謝している。あの子が助かったと教えてもらった時だって、腕を治せたときだって本当に嬉しかった。
でも、祭壇の前で祈ろうとすると、頭の中の猫神様が腹を見せてくる。
……今度は肉球も触らせてもらおう。
「何か、気にかかることでも?」
「いえ。安心いたしました」
まさか「祈ろうとすると肉球が浮かびます」とは言えない。
ユリウスが儀礼の冊子を閉じた。
「本日の予定は、このあと隣の孤児院へご案内します。子供たちも楽しみにしております」
「ええ。私も、お会いするのが楽しみです」
儀礼の説明よりずっと気が楽だ。子供と話す分には、祈りの文句を一つ飛ばして慌てる心配もないしな。
◇
孤児院は救護院と中庭を挟んだところにあった。
案内役の女性が俺を迎え、子供たちのいる部屋へ通してくれる。
「皆さん、こんにちは」
「「「こんにちは、聖女様!」」」
元気な声が重なった。おおう。思わず圧倒される。
奥で黙ったままの男の子が、一人だけいるな。
俺は子供たちと目の高さを合わせた。
「今日は皆さんにお会いできて嬉しいです。何をして遊んでいらしたの?」
「絵を描いてました!」
「こっちは紙で鳥を作ったの」
「見てください、ちゃんと飛ぶんです」
さっきまで黙っていた男の子が、折りたたんだ紙を差し出す。
投げると、紙の鳥は俺の手前で失速した。
「……今日は、飛びませんでした」
「きっと、少し緊張しているのね」
「鳥が?」
「私が、です」
子供たちが笑った。
つられて俺も笑う。
紙の鳥を拾い、前世でよく折った紙飛行機の形へ、少しだけ折り目を整えた。男の子へ返すと、今度こそ遠くまで飛んだ。
「飛んだ!」
「ええ。今度は上手でしたね」
「聖女様が直したから?」
「直したのは、ほんの少しですよ。飛ばしてあげたのはあなたでしょう?」
男の子は、嬉しそうにもう一度紙を投げた。
別の女の子が、俺の袖をそっと引いた。
「聖女様は、いつもお祈りしてるの?」
いきなり来た。
さっきの疑問が、こんなに早く戻ってくるとはな。
「いつもではありませんよ」
「じゃあ、どうして聖女様なの?」
悪意のない、まっすぐな質問だった。どう答えたらいいんだ、これ……。
返事に迷っていると、女の子は続けた。
「わたし、聖女様ってお祈りが上手な人がなるんだと思ってた」
「……そうですね。私も、そういう方は素敵だと思います。でも、お祈りが上手だから選ばれたわけではないの」
「じゃあ、何が上手なの?」
猫を撫でることです。
……それは確かに得意だが、今ここで答えるものじゃない。危なかった。
「怪我をした方を、治すお手伝いができます」
「すごい!」
「ただ、何でもできるわけではありませんけれど」
「じゃあ、鳥は?」
女の子が、自分の紙の鳥を差し出した。翼の先が、くしゃりと折れ曲がっている。
「それは、自分で練習した方が楽しいと思います」
女の子は「うん!」と勢いよく頷いた。
よかった。紙の鳥の治療依頼は回避した。
◇
子供たちと中庭へ出ると、植え込みのそばで何かが動いた。
灰色の猫だ。
子供たちは慣れているらしく、「あ、来た」と手を振るだけで追いかけない。
「聖女様、こっちに座って!」
女の子が長椅子を指した。
俺が腰を下ろすと、猫が石の縁を降りてこちらへ歩いてきた。
これはまずい。
いや、まずくない。猫は何も悪くない。
ただ、今は子供たちと話している途中だ。聖女が猫に夢中になってどうする――。
「どうしたの〜。こんなところで日向ぼっこしてたの?」
出た。自分でも驚くほど自然に出てしまった……。
指を差し出すと、猫が匂いを嗅いだ。顎の下をひと撫ですると、猫は長椅子へ飛び上がり、そのまま俺の膝に乗った。
……おい。お前、初対面の人間の膝にそんな簡単に乗るのか。
猫は答えず、足を折りたたんで丸くなった。喉まで鳴らしている。いいのか? いいんだな?
「いい子ねえ。ふふ、ここが気持ちいいの?」
ああ、ここか。ここなんだな。
「ええっ! その子、私の膝には乗ってくれないのに!」
女の子が目を丸くした。
「聖女様、猫とお話ししてる!」
「猫ちゃん、返事した?」
「ううん。でも、ご機嫌みたいねえ」
子供たちに答えていると、背後から声がした。
「アウレスト殿下から聞いておりましたが、本当に猫がお好きなのですね」
ユリウスだった。
……いつからいた。というか、レストは何を伝えているんだよ……。
いつもの令嬢の顔へ戻ろうとした。だが、膝の上には猫がいる。立てない。
「ええ。その……あの、猫は小さい頃から、好きでして」
恥ずかしい……。
「よく懐いていますね」
「……そうでしょうか」
そうでしょうか、じゃない。というか、この子はもう俺の膝を寝床にする気満々じゃないか。
「私が近づいた時は、逃げてしまうことが多いのですが」
「ユリウス様は猫がお嫌いなのですか?」
「いいえ。ですが、好かれている自信もありません」
ユリウスは大真面目だった。
「手を出して、向こうから来るのを待っていらっしゃるとよいかもしれません」
「神託の記録より、難しそうですね」
そう言ってユリウスがしゃがむと、子供たちが我先に猫との接し方を教え始めた。
「追いかけちゃ駄目!」
「じっとしてるの」
「目を見すぎても駄目なんだって」
神託院の職員が、孤児院の子供たちに囲まれて猫の授業を受けている。
ユリウスが「なるほど」と頷いた。
その間、猫は俺の膝の上で眠ってしまった。
……ちょっと待ってくれ。俺だけ猫の授業の終わりに帰れないじゃないか。
◇
帰りの馬車で、今日受け取った予定表を開いた。
礼拝への立ち会い、救護院での相談、来月の儀礼についての打ち合わせ。
以前なら、神殿での予定を見るだけで疲れそうだった。今は、それぞれの仕事をしている人の顔が浮かぶ。
ユリウスは儀礼と記録を整え、マルタは患者を診ている。俺も、自分にできることなら手伝いたい。
気になるのは、予定が少しずつ増えていることだ。
ここへ公爵家の務めが入る。王宮の行事もある。もちろん、王太子妃としての教育も。
そして、婚礼準備。
婚礼準備。
指先が、予定表のその欄で止まった。
……待て。
聖女の仕事がもっと増えたら、婚礼の準備なんてしている暇がなくなるんじゃないか?
俺は予定表を閉じた。
猫にも好かれた。婚礼から逃げる案まで見つかった。
よし。第四の作戦は、これで決まりだ。