俺は男と結婚したくないのになんで公爵令嬢で聖女なんだよ! 作:本郷カキツバタ
今度こそ、いける。
六月二十二日。
俺は自室の机に予定表を広げ、空いている日を数えていた。
予定の余白を、聖女の仕事で埋める。そうすれば婚礼準備は後ろへずれる。……ずれるよな?
仕事が増えれば、婚礼の準備に割ける時間は減る。
準備が間に合わなければ、婚礼を延期せざるを得ない。
――完璧だ。
……いや、完璧とまでは言わない。これまで三度、完璧だと思った作戦が、綺麗に裏目へ出ている。
だが今回は違う。違ってくれ。本当に。
浪費でも、無礼でも、庶民的な振る舞いでもない。聖女として真面目に働く。それだけだ。
誰にも迷惑をかけない。
困っている人を助けられる。
しかも婚礼を延期できる。……できるよな?
こんなに良い話があっていいのか。
俺は書き終えた希望書を見直した。
『 聖女としての務めについて、以下のとおり希望いたします。
一、救護院へ週に三日、定期的に伺うこと。
二、儀礼に立ち会うこと。
三、ご依頼があれば、地方への訪問も検討すること。
なお、公爵家および王宮の予定と合わせ、ご調整いただけますと幸いです。
セレスティア・レーヴェル』
責任を持って受けられる仕事を増やすには、関係者と相談しなければならない。
ここまでは、真っ当だ。
ただ、相談した結果、どうか盛大に日程が衝突して婚礼が延期になってほしいだけなんだ!
◇
「セレスティア。無理はしないでね」
母は希望書を読んで、最初にそう言った。
「はい、お母様。自分にできる範囲を考えております」
「そう。その範囲を、あなた一人で決めないことも大事よ」
ぐうの音も出ない。
父も隣で頷いた。
「救護院と王宮の担当にも希望を共有しよう。予定を詰め込めばよいというものではないからな」
「もちろんですわ」
笑顔で答えた。
いえいえ、そこを何とか詰め込んでほしいんですが。
数日後、王宮の会議室には、レーヴェル家の担当者、王宮の実務官、神殿会からマルタとユリウスが集まった。
俺も席に着く。
どうか予定がぶつかってくれ。そう祈っているのは、たぶんこの席で俺だけだ。
「まず、救護院からご説明を」
会議を進める王宮の女性官吏に促され、マルタが一覧を広げた。
「定期的に来院される患者さんがいます。重い傷を負った方への治療は、診察後に日程を合わせましょう。急を要する方は、当日の状況によって対応を変えます」
「救護院へ伺う日を、あらかじめ増やせるでしょうか」
「増やせます。ただ、セレスティア様が一日中いらしても、すべての時間に治癒が必要なわけではありません」
マルタが俺の希望書を指さした。
「むしろ、診察の準備が整った日に来ていただく方が、多くの方をお助けできます」
それはそうだ。
聖女が待合室に座っているだけで病気が治るなら、俺も毎日通うんだが。それに、前みたいな大きい怪我を治すと、神経がすり減る。
「では、診察を先に進めていただいて、私が伺う時間をまとめましょう。治療後の確認が必要な日も分けていただけると」
「その方が助かります」
マルタが頷き、会議を進める官吏が予定表を書き直した。
週に三日のつもりで書いた救護院の欄が、二日になっている。
あれ?
俺は予定を増やしに来たんだよな。
なんで減った? ……いや、減らしたのは俺だ。今、自分で「まとめましょう」って言った。
「移動の護衛は王宮で調整できます。救護院への往復を一日にまとめれば、別日に王太子妃教育を置けますね」
女性官吏がさらりと言った。
「ええ。移動のためだけに一日を空けるのは、もったいないですから」
反射的に答えた。
待て。
今、二回目をやらなかったか?
ユリウスが別の書類を出した。
「儀礼は日付が決まっているものを先に押さえましょう。それ以外の打ち合わせは、記録の写しをお届けして確認いただくこともできます」
「それなら、わざわざ出向く回数を減らせますわね」
今度は、言ってから気づいた。三回目だ。
「はい。助かります」
ユリウスが嬉しそうに頷いた。
助かるのか。
全員、助かっている。
違う。待ってくれ。俺だけが困っているんだが? 助かっていない人がここにいます!
◇
議論が進むにつれ、予定表は見事に整理されていった。
救護院の日。公爵家の務めの日。王宮の行事と教育の日。移動には余裕を持たせ、急な治療依頼があれば担当者同士で連絡する。
しかも休養日まで確保された。
「聖女様のご希望を伺えたので、こちらも調整しやすくなりました」
王宮の官吏が言う。
「王太子妃としての学びをお続けになりながら、救護院への定期的なご訪問も可能です」
可能。
その一言が、恐ろしく重い。
「婚礼準備については、今のうちから手配を進めております。ご本人に確認していただく事項は、こちらで整理しておきますので」
「……手配を、進めていらっしゃるのですね」
「ええ。来春までに余裕を持って整えられます」
余裕。
誰がそんなものを頼んだ。
……いや、必要だ。王家と公爵家の婚礼だぞ。担当者が余裕を持って進めるのは当たり前だ。
当たり前なんだが、どうして俺の逃げ道だけ、こんなに手際よく塞がるんだよ。
「皆様、ありがとうございます。とても分かりやすくなりました」
俺は笑顔で礼を言った。
実際、分かりやすい。無理がなく、必要なことが漏れていない。
しかも俺自身、治療の予定を確認しているうちに、患者の移送を早めた方がよい日を見つけて提案までしてしまった。
マルタには感謝された。
あはは。お役に立てて何よりです。
……俺は今日、何をしに来たんだっけ。
会議が終わった頃、レストが隣の卓で王宮の担当者と書類を見ていた。
先ほど進行していた若い女性官吏が、日程の一か所を指さす。
「この日は殿下のご公務と重なります。確認だけ、今日中にいただけますか」
「そうだね。では、こちらを先に済ませよう」
「ありがとうございます。そうしていただければ、明日の手配に間に合います」
彼女は嬉しそうに頷き、次の書類を取り出した。
仕事が進むと、誰だって嬉しい。
レストも、気持ちよく話している。
当たり前の光景だ。学院にいた頃だって、レストが他の生徒と仕事の相談をする場面は何度も見てきた。
なのに、一瞬だけ目が離せなかった。
……何だろうな。
「セレスティア様。こちらにも、ご確認をいただけますか」
「あ、はい。失礼しました」
今は俺も仕事中だ。
気を取られている場合じゃない。
渡された紙を見る。
婚礼準備に関する確認事項だった。
やめてくれ! 俺にそれを渡すな!
◇
会議室を出る頃には、午後の日差しが廊下へ差し込んでいた。
「今日はありがとう。君が来てくれたおかげで、話が早かった」
レストが隣へ並んだ。
「とんでもございません。皆様が、よく考えてくださったおかげです」
「それはそうだけれど。君も、気づいたことをすぐ教えてくれただろう」
褒めるな。
いや、褒められるような仕事はした。それは分かっている。
分かっているんだが、俺は婚礼を延期したくてここに来たんだぞ! 肝心の目的だけ、どうして毎回こうなる。
「ありがとうございます」
今日も俺の負けだ。
次の予定まで少し空いていると言って、レストが小さな客間へ案内してくれた。侍従が茶を置き、扉を閉める。周囲に誰もいないことを確かめると、ようやく俺は肩の力を抜いた。
「……なあ、レスト」
「うん?」
「王宮の人たち、仕事ができすぎじゃないか?」
「それは喜んでいいことじゃないかな」
「喜んでるよ。もちろん喜んでる。でも、俺が考えていたより三倍くらい手際がよかった」
「三倍?」
「気分の問題だ」
レストが笑う。
「君も途中から楽しそうだった。あの救護院の日程、ずいぶん気にしていたね」
「だって、遠くから来る患者に何度も馬車を使わせたくないだろ。治せるかどうか確かめるだけでも大変なのに」
「そうだね」
返事があまりに自然で、俺は一拍遅れて気づいた。
ああ、まただ。
しまった。仕事の話になると、すぐこれだ。
「……どうしたの?」
「何でもない」
「今日は、ずいぶん考え事が多そうだ」
レストは茶を一口飲んだ。
「最近、私に言いにくいことでもあるのかな」
思わず手元が止まる。
「どうしてそう思うんだ」
「結婚の話になると、君が話題を変えることが増えたから」
正面から来た。
当たり前だ。俺が三回も四回も作戦を立てれば、八年来の付き合いのレストに気づかれない方がおかしい。
……本当に気づかせたくなかった。
レストと話すのは楽しい。今日だって、このまま話していたいくらいだ。
なのに婚礼の話になると、その先の寝室まで頭が飛ぶ。
昔から菓子を食って仕事の話をしてきた相手と、いきなり夫婦として寝て挿されますってか?
……そりゃ、顔にも出るか。
「……まだ、俺にも上手く説明できない」
嘘じゃない。
言えないことがある、というのも本当だ。
ずっと一緒にいて、今さらこんな言い方をすることになるとはな。
レストはすぐに返事をしなかった。
「そうか。なら、今は聞かないよ」
「いいのか?」
「よくないことがあれば、教えてほしい。でも、君がまだ考えているなら、その時間まで取り上げたくない」
俺は茶器を見た。
何か言えよ、俺。
……誰も何も悪くない。俺の問題だから何も言葉が出てこない。
「……悪い」
「謝られるほどのことは、まだ何も聞いていないよ」
「それもそうか」
レストが少し笑った。
「それで、救護院の日は、いつになった?」
俺は予定表を開いて見せた。
「ここ。こっちが定期訪問で、これは準備の確認。そうだ、お前、この日の護衛の移動だけど――」
話し始めると、レストもすぐに書類へ身を寄せた。
結局、また仕事の話になった。
でも、いまはその方がよかった。
婚礼について答えられなくても、レストと話したいことはまだ山ほどある。
◇
第四の作戦は、失敗した。
正確には、聖女の仕事を増やすという部分だけ成功した。
救護院への訪問も、儀礼の立ち会いも予定どおり進み、王太子妃教育も滞りなく続いている。
婚礼準備だけが奇跡的に停滞しない。
奇跡って、そういうところで起こるものだったか?
六月が終わり、七月に入った。
俺が救護院で診察の記録を確認し、次の訪問の予定を相談していた時だった。
廊下を急ぐ足音がした。
マルタが顔を上げる。
入ってきた職員は、雨に濡れた外套を腕に抱えていた。
「北東部から、急ぎの報告が届きました」
「何があったのですか」
「フィルネ川の流域で、雨が続いています。川沿いの村から避難が始まっているそうです。橋にも被害が出ていると」
マルタはすぐに、机の上の記録を脇へ寄せた。
「分かりました。まず現地の治療師が必要としている物を確かめましょう。負傷者の数は?」
「まだ、確認中です」
俺は予定表を閉じた。
どんなに綺麗に日程を組んでも、雨はそのとおりには降ってくれない。
「マルタ様。私にも、何かできることはありますか」
返事を待つ間に、職員がもう一枚の伝言を差し出した。
「王宮からも、救護院へ連絡が来ています。アウレスト殿下が、輸送と護衛の調整を始められたそうです」
レストも、もう動いている。
なら、俺も自分にできることを考えよう。
俺はマルタの返事を待った。