俺は男と結婚したくないのになんで公爵令嬢で聖女なんだよ! 作:本郷カキツバタ
『王太子妃失格になる方法』
その見出しの下へ、俺は条件を書いた。
『家族と領民に迷惑をかけない。犯罪は論外。王家へ直接無礼を働かない』
それから、『レスト本人を傷つけない』
書き終えて、紙を見直す。
作戦より先に、禁止事項が揃った……。
目指すのは、人間としてはまともだが、王太子妃には困る女だな。
ここを間違えてはいけない。
嫁入りから逃げたいだけで、弟たちの将来まで台無しにするつもりはないのだ。
では、まず態度を悪くしてみよう。
使用人に命令する。礼を言わない。機嫌が悪いことを隠さない。
そうすれば、まず屋敷の中から評判が落ちる。
ちょうど扉が鳴った。
「お嬢様。こちらにお茶を置いてもよろしいでしょうか」
侍女が給仕台を押して入ってくる。
よし。
そこへ置いておきなさい。以上。お礼なし。これだ。
「ええ、お願いね。ありがとう」
口が勝手に答えた。
しかも、給仕台を置きやすいように椅子まで寄せている。
お礼が出るのが早い。せめて一回くらい、感じの悪い女になるって思い出せ。……いや、だからって何もしてない侍女に当たるのは違うだろ。俺が結婚したくないだけなのに、この子に嫌な思いをさせてどうする。
侍女は、書類も一枚届けてくれた。
来月の救貧物資について、俺の確認が必要なものだ。
「お返事は明日でよいそうです」
「分かったわ。こちらで預かります」
慈善活動を休めば、責任感が足りないと思われるかもしれない。
そう考えながら書類を見る。
配る寝具の数と、届ける施設の名前がある。
俺が放り出せば、別の誰かへ仕事が回る。
引き継ぎや確認が遅れれば、届ける人たちの予定まで狂う。
現場の手間を増やして、俺は自分の寝室問題を解決するのか。
……それは違うし、人に迷惑をかける。駄目だろ。
侍女が出ていったあと、俺は書類を確認し、いつもどおりに返事を書いた。
使用人を悪く扱う案と、慈善をやめる案に線を引く。
もっと、自分の評価だけを落とす方法が必要だ。
レスト本人を嫌いになれれば、話は早いのだが……。
俺は紙の隅に、『レスト』と書いた。
相手に不満があるのかも、一応確かめておこう。
顔。文句なし。
頭もいい。剣と魔法は強い。王太子の仕事にも真面目だ。
性格は。
今日、俺が変な顔をしていても、怒らなかった。
考えがまとまっていないと言えば、待ってくれた。
かなりいい。
欠点も考えてみる。
甘党を隠して格好をつける。辛いものも平気なふりをして、結局涙目になる。
「……そのくらいか」
それで婚約を破棄できるなら、貴族の婚礼は大半が成立しないと思う。
一緒にいて楽だし、話は合う。信頼もできる。
愚痴を言っても聞いてくれるし、くだらない話をしたら笑う。
面白いことがあれば、次に会った時に話そうと覚えておく。
別に用がなくても、会えば話は尽きない。
八年も付き合えば、そんなものだろう。
何を書いているのかと紙を見直すと、相手を褒める材料ばかり増えていた。
顔も性格も頭もいい。一緒にいて楽で、信用もできる。……じゃあ何が嫌なんだ?
名前の隣に『夫』と書いた。
その隣へ『妻』
こっちには俺の名前が入る。
途端に、嫌なところまで話が進んだ。
問題は下半身だ。いや、言い方。レストが男で、俺が妻で、挿れられる側になるのが無理なんだよ。
これで、はっきりした。他人へ説明できるかどうかは、別として。
レストと隣に座っているのはいい。
気の合う幼馴染と話すつもりで、八年、普通に付き合ってきたのだ。
今日だって、困り事を相談しかけた。
婚礼から逃げる方法を、婚礼の相手に。
避けて険悪になるのは嫌だ。
レストを悪者にするのも違う。
やはり、俺のほうが相応しくなくなるしかない……。
◇
今度は椅子に深くもたれ、姿勢を崩してみた。
礼儀作法が悪ければ、王宮では目立つ。
十八年、反射でやっているものを止めるのは面倒だが、試すくらいはできる。
しかし、腰が落ち着かない。
机に手を伸ばすにも、いちいち身体を起こすことになる。
これで食事をしたら食べづらそうだな、と考えているところへ、また扉が鳴った。
「姉上。お借りしていた本を返しに来ました」
「どうぞ」
返事をしながら、自然と背筋が伸びた。
夫と妻を書いた紙は、裏返した。
本を抱えて入ってきたのは、テオドール・レーヴェル。十五歳の弟で、レーヴェル公爵家の跡取りだ。家ではテオと呼んでいる。
学院から戻ったばかりなのか、外出用の上着のままだ。
テオは本を開き、栞の挟まった頁をこちらへ向けた。
「ありがとうございました。ただ、後半の例で、計算が合わなくなってしまって」
「どちらかしら」
テオが示した頁を見た瞬間、理由が分かった。
前の例と、計算に使う期間が違う。
ここで、もう一度ご自分で考えて、と返せば、冷たい姉にはなれる。
少なくとも、愛想よく教えるよりは。
「前の例と、同じ期間で計算していない?」
「はい。同じように考えました」
「こちらは、この二行が前提になるの。期間を揃えてみてください」
テオが頁を行き来して、頷いた。
俺はその隣の箇所まで示していた。
教えるほうも、面白いのである。困ったことに。
「そこから先は、明後日の午後に一緒に確認しましょうか」
「お願いします」
また予定が増えた。
教養も親切さも、減るどころか明後日まで予約済みだ。
テオが机の紙に目を向ける。
「何をなさっていたのですか?」
「今後の予定を、整理していたの」
「婚礼の準備でしょうか」
「それに関することも、いろいろと」
「お疲れでしたら、本は急ぎません。先ほど、お帰りになる殿下からも、姉上のご様子を尋ねられました」
「……殿下が?」
「はい」
「大丈夫よ。体調は悪くないから、心配しないで。ありがとう」
笑ってテオを送り出す。
扉が閉まってから、俺は自分の姿勢を見た。
背筋は伸びている。足もきちんと揃っている。
悪い態度になる予定だった椅子で、優秀な姉をやりきってしまった。
作戦の紙を戻す。
レストの欠点探しへ戻るのも、やめよう。
帰り際まで俺を気にかけていた相手を、さらに褒めることになる。
誰かに何かをしようとするから、その人への迷惑を考えなければならなくなるのだ。
もっと、自分だけでできること。
服。趣味。買い物。買い物?
「……金遣い」
これなら、いいのではないか。
自分に割り当てられた金を使う。
領地の予算にも、慈善の費用にも手をつけない。
店は儲かる。俺は必要のない物を買い込む。
使用人を怒鳴らず、テオにも本を教えたまま、金遣いの荒い女にはなれる。
未来の王太子妃が、欲しい物へ際限なく金を使うなら、王家にも考えるところはあるだろう。
俺は支出の帳面を開いた。
家に迷惑をかけずに使える額を確かめ、上限を決める。
もちろん、作りの悪い物は嫌だ。
高い物を買うなら、それだけの仕事はしてあってほしい。
それでも、良い物を必要以上に買えば、俺にとっては無駄遣いだ。
出す金はある。
買う必要だけがない。
「これだ」
作戦の紙へ、ようやく一行を足した。
『第一作戦。浪費家になる』
侍女を呼び、明日の外出を頼む。
「街へお買い物にいらっしゃるのですね」
「ええ。馬車と護衛の予定を確認してくださる? 家の用事に差し支えない時間でお願いね」
「かしこまりました」
「急に頼んでごめんなさい。ありがとう」
侍女が下がるのを見送って、俺は帳面を閉じた。
礼儀も崩れない。お礼まできちんと言った。
そのままでいい。
明日は、公爵令嬢らしく派手に無駄遣いしてやる。