俺は男と結婚したくないのになんで公爵令嬢で聖女なんだよ! 作:本郷カキツバタ
七月三十一日。
俺は、昨夜から机に置いていた小箱を、侍女と一緒に包み直していた。
蜂蜜と木の実の焼き菓子は、割れずに残っている。家族の分とは分けておいた。今日はこれを持って、レストのところへ行くつもりだ。
「こちらを、殿下へお届けするのですね」
「ええ。私が持っていきたいのだけれど、殿下のご都合を確かめていただける?」
明日、届けさせる。
そう言ったのは俺だが、使いの者に任せる気はなかった。箱を包む前に、つい中身も覗いてしまった。
侍女が紙の端を折り、紐を掛けた。俺はその箱を見ながら、菓子を楽しみにしていると言ったレストの顔を思い出した。
頬には、もう傷もない。昨日、何度も確かめた。
……今日も、普通に笑っているんだろうな。
侍女は結びかけた紐を押さえて、顔を上げた。
「では、ご返事があるまで、こちらに置いておきますね」
俺は頷いて、机の端を空けた。
約束を守るついでに、顔を見てこよう。菓子を受け取ったレストがどんな顔をするか、使いの者の報告で聞くより、自分で見たい。
王宮からは、昼前なら時間を取れると返事が来た。
俺は小箱を持って馬車へ乗った。
馬車の前後には、王宮から付けられた護衛が、村へ行く前より二人多く並んでいた。
客間へ通される前に、廊下で二度、名前と用件を確かめられた。扉の前に立つ騎士も、いつもより一人多い。
◇
「お待たせしました。昨日お話しした、お土産です」
王宮の客間で箱を差し出すと、レストは俺と箱を交互に見た。
「君が持ってきてくれたんだね。ありがとう」
「お口に合うとよいのですが」
侍従が茶を用意し、菓子を皿へ移してくれた。
レストがしばらく二人で話すと伝えると、侍従は給仕を終えて下がった。扉が閉まり、廊下の足音が遠ざかってから、俺も椅子へ深く座り直す。
「……お前、箱を見た時から嬉しそうだな」
「君が来てくれたことも嬉しいよ」
「昨日も来たんだけど」
「昨日は土産がなかったよ?」
「やっぱり菓子じゃねえか!」
レストが笑った。
今日は俺も、すぐ笑えた。
最初の一つを食べると、レストは皿を見直した。
「これは、美味しいね」
「だろ。ちゃんと味見してから買ったんだぞ」
「蜂蜜がたっぷり入っている」
「お前の分は惜しまないって、店の人が言ってた」
「……私の分?」
「甘いものが好きなやつへの土産だって話したら、そう言ってくれたんだよ」
レストはもう一つ取り、今度は半分に割った。断面に埋まった木の実を見てから食べる。
真面目な顔で眺めても、さっきの笑顔を見たあとでは、そんなに格好はつかないぞ。
「君の分も、あるのかな?」
「家に残してある。こっちは、お前の分だ」
「では、遠慮なく」
「今、全部食うなよ」
「まだ二つ目だ」
もう二つ目だ、とは言わなかった。
村で想像したとおりの顔を見られて、満足してしまっていた。
「店は、もう開けられていたんだね」
「棚は傾いてた。でも、窯が無事だったからって。帰る前には、菓子も増えてたよ」
「そうか。次に報告を受ける時は、店の再開のことも聞いてみよう」
レストは残りの半分を食べた。
俺も茶を飲み、王都へ戻ってからの話をする。まだ旅荷を全部片付けていないと言うと、今日出かけてきてよかったのかと聞かれた。
「急いで片付けなきゃいけないものは、昨日済ませた。今日は本でも読もうと思ってたんだ」
「それなら、本屋の約束はどうする?」
村を発つ前に、レストが言い出した約束だ。
俺も、すぐに頷いた。
「行きたい。お前は、いつ空いてる?」
「今日は午後に空きがある。このあと一つ面談を済ませれば、次まで時間を取れるよ」
「じゃあ、今日行こうぜ」
返事をしてから、小箱を見た。
菓子を渡しに来ただけのはずが、もう一緒に出かける話になっている。
最初から、それをしに来たみたいじゃないか。
……まあ、本屋へ行きたいのは本当だ。約束もしていた。
「ただ、先に警護の者と相談しよう。外出の予定は入れていなかったからね」
俺は頷いた。
襲撃から、まだ一週間も経っていない。帽子をかぶったら自由に歩ける、というわけにはいかない。
◇
レストが面談へ向かう間、俺は控えの部屋で昼食を用意してもらった。
午後、王宮の警護担当が来た。何度か顔を見たことのある、年嵩の騎士だ。
「殿下。率直に申し上げます。本来であれば、外出はひと月ほどお控えいただきたいところです」
「分かっている。無理を言っているのは私だ」
「ただ、殿下が急に表へお出にならなくなれば、何かあったと勘づく者も出ます。事件を伏せておく以上、普段どおりのお姿を見せることにも意味はございます」
騎士は手元の紙を広げた。
「行き先は書店のみ。馬車は店の裏手へ着けます。店には先に私どもの者を入れ、客として棚の間に立たせます。お戻りは、お伝えした時刻までに。一つでも守れなければ、その場でお連れ戻しいたします」
「ああ。全部守るよ」
「セレスティア様も、殿下のお隣を離れないでください。私どもの者が近づいても、声はおかけにならないように」
「承知いたしました」
騎士が店と通りを確かめに出て、戻ってきてから、俺たちは支度を始めた。
帽子の下へ髪を収めていると、レストが自分の帽子を持ってきた。
「では、レスティ。支度はできた?」
「ええ、アレス。今日は、お名前を間違えないでくださいね」
「君にも頼むよ」
俺は帽子のつばを直し、にこやかに頷いた。
それ、先にレストって呼びそうなのは俺だと言いたいのか。……いつも言われるな。
支度を済ませ、護衛とともに馬車へ乗った。
◇
書店の扉を開けると、紙と革の匂いがした。
棚の間に、客が三人いた。そのうち二人は、さっき王宮の廊下で見た顔だ。入口と裏口にも、帽子を深くかぶった男が一人ずつ立っている。
片方は、さっきから同じ頁を開いたまま、一度もめくっていない。……客のふりが下手すぎるだろ。王宮の騎士がそれでいいのか。
「いらっしゃいませ。お探しの本はございますか?」
「今日は、見てから選びたいと思いまして」
俺が答えると、店主は会釈して、別の客の会計へ戻った。
そのまま旅行記が並ぶ棚へ向かおうとした俺の横で、レストが足を止める。
「外国の衣装の図案集は、どちらに?」
「奥の棚にございます。舞台衣装を集めたものもありますが」
「両方、拝見しても?」
意外なものを探している。
店主に教えられた棚へ一緒に進み、俺はレストの手元を覗いた。
「アレス、衣装にご興味が?」
「この前、妹に頼まれてね。外国の布や服について、参考になる本を探してほしいと」
「では、こちらはどうでしょう。模様が大きく載っています」
隣の本を抜き、台の上で開いた。
服の全体図の横に、袖や裾の柄を描いた図がある。レストも自分の本を並べた。
「こちらは色がきれいだが、舞台用の衣装ばかりだね」
「普段の装いとは、分けて見たほうがよさそうです。ほら、こちらの袖。大きく広がるでしょう?」
「妹は、そちらも喜びそうだ」
「ええ。以前も、袖の形についてずいぶん熱心にお話しくださいました」
「模様を真似するだけではつまらない、とも言っていたよ。どこに使われているか知りたいらしい」
俺は図の下の説明を読んだ。布の使われ方と、舞台向けに変えた箇所が、別々に記されている。
「こちらなら、比べられますね」
「それなら、こちらにしよう。帰ってから妹にも見比べてもらいたいね」
俺も気になる図をもう一つ見て、本を閉じた。
「妹君に、よろしくお伝えください。またお話を伺いたいです」
「ありがとう。喜ぶと思うよ」
図案集が決まったので、今度こそ俺の本を選びに行く。
最近、本を買っても読む時間がなかった。今日は、ゆっくり……はできないが、せめて中を見てから買いたい。
◇
「そっちの本も気になっているのかな?」
レストが隣から覗き込んだ。
旅先の食べ物や宿の話を集めた旅行記を、一冊開いているところだった。
「ええ。食べ物の話が多いそうなので」
「それは、私にも貸してほしいな」
「まだ、買うと決めておりませんよ」
「決まったら、ぜひ」
返事が早いな、おい。菓子の箱を開けるより先に喜ぶ男が、今度は買う前の本まで楽しみにしている。
開いた頁には、宿の台所の絵があった。大鍋の横で女将が包丁を握り、旅人が山盛りの玉ねぎを前に座っている。手帳にも、床にも、剥いた皮が落ちていた。
「煮込みの作り方を教わったそうです。お手伝いをするのが条件で」
「それで、玉ねぎを?」
「ええ。『女将は親切にも、皮の剥き方から教えてくれた。私の覚えが悪いと思ったのか、三籠も復習させてくれた』」
そこまで読み、俺は挿絵を見直した。手帳が邪魔なのか、旅人は膝の上まで使って皮を溜めている。
習うのをやめていいとは言われなかったらしい。
「女将のほうは、ずいぶん助かっただろうね」
「こちらの方も、よく覚えられたでしょうね。……あら、皮を剥くのにかかった時間まで書いてあります」
肉の量、玉ねぎの大きさ、鍋の絵。手帳を写した図では、隅へ寄るほど字が小さく、記録も細かくなっている。
ところが、味見の記録は急に大きい。
『肉は匙でほどける。玉ねぎは形を失って、甘くなった。汁はパンで拭うとよい。女将に鍋を洗う手間をかけずに済む』
「……この方、食べたいだけではありませんか」
「鍋洗いまで手伝う気になったのかもしれない」
「パンで、ですか?」
レストが真面目な顔で頷くので、俺は声を抑えて笑った。
本文では、一口目で味が分かるとは限らないと著者が主張している。味を覚えなければ料理はできない、という女将の言葉も、律儀に書き添えてあった。
「随分、熱心な取材ですね」
「レスティも、その煮込みを食べてみたくはない?」
「……いただきたいです。玉ねぎを三籠剥く前に、ですが」
挿絵の旅人は、ちゃんと宿へ泊まっているのに、台所で日が暮れている。
俺は次の頁へ伸びかけた指を止めた。熱心に書き留めたこの人が、本当に料理を覚えたかは、買ってから読もう。
俺がぱらぱらと続きを見ている間に、レストは隣の棚へ移った。
しばらくして戻ると、図案集の上に別の本が載っている。
「そちらは?」
「町で出会った人たちの話だよ。この著者は、祭りの旗を拾ってしまったらしい」
俺は自分の本を台に置き、隣から覗いた。
『旗を拾った。礼を言われた。ここまでなら、よい一日だった』
少し持っていてくれと頼まれたところで太鼓が鳴り、後ろに行列ができたそうだ。
挿絵では、旗を持った旅人が胸を張っている。その顔だけなら立派だが、足は二本とも、背後の御者が示すほうを向いていた。
「御者が、代わろうかと聞いたらしいね。ここに、返事がある」
『私は「このくらい、任せておけ」と答えた。このくらいが町一周だと知ったのは、門が見えなくなってからだった』
「……先に伺えばよかったですね」
「続きもあるよ。『私は確かに先頭だった。ただし、曲がり角では御者を先に行かせた』」
それはもう、先頭を譲ってるだろ。
俺が挿絵の足元を示すと、レストも口元を押さえた。
笑いをこらえてから、書店で立ち読みを続けている自分たちに気づいた。
俺もレストも、まだ買う本を選んでいる最中だった。
「では、そちらをお読みになったら、貸してください」
「君の本と交換しようか」
「ええ。まずは、私が読むまでお待ちくださいね」
選んだ一冊を抱えて棚へ戻る。気になっていた別の旅行記も見つけた。
こちらは挿絵が多く、旅先の景色もよく分かる。
「アレス。私のほうが、先に選び終わりそうです」
「では、私もあと一冊だけ」
レストが離れたあと、隣にあった短い話の本へ手を伸ばした。
旅行記の二冊目は戻すつもりだったが、比べてみるとどっちも気になるな……。
気がつけば、短い話の本がもう一冊、俺の手の中に収まっていた。
戻ってきたレストは、俺の腕を見た。
「……先に選び終わるのでは?」
「……選んでいる最中です」
「増えているように見えるが?」
「私のせいではありません。並べ方が悪いんです」
興味を引く本を、取った本の隣へ置かないでほしい。
レストは俺の抱えた本から一冊取り、表紙を確かめた。
「本棚に抗議する前に、読める分を選ぼうか」
「ちゃんと読めます」
「それなら、私も待つことになるね」
「貸してほしいとおっしゃったのは、最初の一冊でしょう?」
「今は、こちらも気になっているよ」
人の本まで増やすな。
……俺も、レストの持っている本が気になるんだが。
護衛がそばへ来て、帰る時刻が近いと知らせてくれた。
迷っていた本を一冊だけ棚へ戻し、買う分を会計台へ運ぶ。
結局、先に選び終えたのがどちらかは、決まらなかった。
◇
店主が本を包んでいる間、レストと次に読む順番を相談した。
俺が旅行記から読むと言うと、自分も旅の記録を先にすると答える。
「また来よう。今度は、読んだ本の感想も聞かせて」
店を出たところで、レストが言った。
「ええ。そちらのお話も、楽しみにしております」
俺は頷いた。
帰る時刻が来たのに、まだ話したいことが残っている。
「また」がある。
今日は、その言葉を聞くだけで嬉しかった。
王宮へ戻る馬車で、買った本の包みを膝に載せた。
明日はこれを読み始めよう。読み終えたら、レストに貸す。
その時には、借りる本の感想も聞けるだろう。
読む時間ばかり気にしていたのに、今は読み終わったあとのことが楽しみになっていた。