俺は男と結婚したくないのになんで公爵令嬢で聖女なんだよ! 作:本郷カキツバタ
買い物を始めて三十分。
俺は、まだ金を払っていなかった。
「こちらの留め具は、仕上げをお願いできますか?」
「もちろんでございます。お届けは後日でもよろしいでしょうか」
「ええ。お願いね」
高級店で髪飾りを選び、裏の引っかかりを確かめ、直してもらう約束をした。
仕上がり前なので、代金は届けてもらってからだ。
店を出た俺は、今日の目的を思い出した。
違う。堅実な買い物をしに来たんじゃない。なんか、もうちょっとこう、勢いで余計な物まで買えよ。
だけど、髪を傷めそうな品を、そのまま買うのは嫌だった。
そこは譲れない。
自分でもたまに見とれるこの純白の髪を、傷めたくはない。
良い物を、必要以上に買う。
今日の浪費は、その方針でいく。
侍女にほかの店も見たいと伝え、護衛と通りを歩いた。
角に、革製品の店がある。
エルム革工房。
飾り気のない看板の下に、小さな手提げが置かれていた。
灰青色の革に、銀色の口金。細い葉模様があるだけなのに、形がきれいだ。
これは欲しい。
その時点で、半分くらい目的を忘れていたと思う。
◇
「店先の手提げを拝見したいのですが」
「はい。こちらです」
青年の職人が品を渡してくれた。
奥では、もう一人の女性が革を裁っている。
留め金を開けると、引っかかりなく動いた。
閉じた時の合わせ目も揃っている。持ち手の付け根には、表から目立たない補強があった。
縫い目を裏まで追ってから、内側の布を確かめる。
「裏布は、替えられるようになっているのですね」
「はい。擦れた時に、表までほどかずに済むようにしています」
「こちらの芯も、持ち手を引くと形が揃うように?」
「ええ。荷物を入れても、口が歪みにくくなります」
実際に持ってみると、収まりがいい。
それだけの工夫をしているのに、重さは抑えてあった。
「同じ型で、こちらもございます」
青年が茶色の手提げを出す。
そちらは革が硬い。
折り目の取り方を変えて、灰青の品と同じ形に仕上げていた。
店先に飾る一つだけを、時間をかけて仕上げたわけではない。
材料が変わっても、狙った形にできる人なのだ。
値札を見て、俺は手提げを置いた。
「これ、この値段で売っているのですか?」
「はい」
「口金も、裏布も含めて?」
「もちろんです」
付属品まで含めて、その値段だった。
俺が普段使う店なら、この仕事にはもっと高い値がつく。
店の場所と名を差し引いても、安すぎる。
財布も一つ、見せてもらう。
こちらも縫い目と革の端が丁寧だった。薄く仕上げるところと、力を持たせるところを分けている。
「作るのに、どのくらいお時間がかかりますか?」
青年が日数を答えた。
それだけの手間をかけた仕上げなら、もっと払う価値がある。
待て。俺は浪費しに来たんだ。なんで職人の値付けを気にしてるんだよ。
気になったものは、気になる。
前世で両親の遺した資産を管理していた頃から、安ければ得だとは思っていなかった。
今世では、さらに一流品を見て育った。
箱と看板が立派なら、それだけで高い金を払うわけではない。
逆も同じだ。
「この仕上げなら、もっと高いお値段でもよろしいのでは」
「そうしたいのですが……うちは、工房の名で選んでいただける店ではなくて」
青年は、棚の空いた場所を見た。
「知っているお客さんが買える値段にしないと、残ってしまうんです。店へ卸せる先も、多くありませんから」
奥の女性が、裁った革を置いた。
「この手提げも、お客さんに頼まれて型を作ったのですが、もう一つ作っておいたほうは、しばらくここに」
俺が欲しいと思った灰青色の品は、売れ残っていた物らしい。
職人の腕ではなく、誰に見てもらえるかで値段が決まっている。特に革製品なんてそうだ。
商売だから、そういうことはある。
しかし、この値札で俺まで買う必要はない。
今日は金を使いに来たのだ。
どうせ使うなら、ここがいい。
「私の注文について、お値段をご相談してもよろしいかしら」
「申し訳ありません。これ以上下げるのは――」
「いいえ。上げるほうです」
青年は「はい?」と言ったきり、俺と値札を交互に見た。
俺は紙を借り、額を書いて示した。
普段買う同程度の品を基準に、この仕事に払いたいと思う額だ。
「このお値段ですと、今の三倍近くになりますが……」
「同じ程度の仕事をした品なら、ほかのお店ではそれ以上になります。この補強と、裏布を替えられる作りにも、お支払いしたいのです」
青年はもう一度、手提げの内側を確かめた。
自分で作った品なのに、客に見られた箇所を見直している。
「……本当にそのお値段で、承ってよろしいのですね」
「ええ、もちろんです。まず、こちらの二つをいただきます」
値切るつもりもなければ、金を捨てるつもりもない。
仕事に対する値段は、それでいい。
問題は、俺がどれだけ買うかだ。
手提げは、すでに使えるものがある。
今日必要だった品は、一つもない。
そこへ二つ増やす。
……散財なんだからもっと買うか。
「ほかのお色でも、作っていただけますか?」
「材料が揃えば。色によって、お値段は変わります」
「では、手提げをあと二つ。財布も三つ、お願いできますか?」
青年の手が止まった。
「お財布も、三つですか」
「ええ。革を変えて。こちらの小箱は、大きさを変えられますか?」
「できます」
「では、大きさ違いで三つほど。あちらの書類入れも、二つ」
女性が、見本の革を持ってきた。
俺は色と硬さを確かめ、使う場面ごとに組み合わせを選ぶ。
全部で十二点。
財布を三つ持っても、同時に使うのは一つだ。
書類入れだって、家にある。
母や弟たちへの贈り物にする分はあっても、買う前に使い道が決まっていない品が、こんなにある。
普段なら、欲しい順に二つ選んで帰るところだ。
今日は選ばない。
気に入った物を全部買う。
「一度にはお納めできない量ですが、よろしいでしょうか」
「ええ。急いでおりませんので。今のご注文に差し支えない予定でお願いね」
「でしたら、まず三週間後に一部を。それから順にお届けしてもよろしいでしょうか」
「それで結構です」
材料を買うための前金と、残りを払う時期を決めた。
注文書へ名を記す。
「セレスティア・レーヴェルです。残りのお支払いは、家の者からいたします」
青年が顔を上げた。
「御髪と瞳の色からまさかとは思いましたが、レーヴェル公爵家の……」
「ええ。届け先は、こちらへ」
女性も、工房の名前を丁寧な字で書き入れた。
俺は総額を確かめる。
上限には収まる。
それでも、普段の小物代を何か月分も、一度に使った。
「間違いございません。これでお願いします」
よし。ようやく、金を使えた。
◇
青年が、灰青と茶色の手提げを包んだ。
奥の女性は残りの注文を見ながら、必要な革を数えている。
次の仕入れに間に合うと、青年へ話しかけた。
「同じ品質でお願いできるようでしたら、またご相談させてください」
「はい。お待ちしております」
青年は、注文書の控えに工房の印を押した。
俺の名前があるほうは、折らずに台帳へ挟む。
店を出たところで、隣の店の主人が工房の青年に声をかけた。
「何をご注文になったんだ?」
工房の青年は、まず手提げを指した。
俺はその先を聞かず、馬車へ戻った。
侍女が包みと控えを見比べる。
「今日は随分お求めになりましたね」
「ええ。たくさん気に入ってしまって」
俺は微笑みを返す。
気に入ったのは事実だ。
ただ、気に入ったからといって、普通は全部買わない。それも事実である。
この灰青の手提げは俺が使おう。
茶色のほうは母に渡したい。似合いそうだ。
残りの十点は、届いてから決めればいい。
ほらな。十二点買って、今すぐ使う予定は二点。堅実に考えたら、こんな買い方はしないだろ。
俺は注文書の金額を、もう一度確かめた。
うん。高い。ちゃんと高い。
今回こそ、浪費には手応えがある。
「お帰りになってから、残りのお品の置き場所もご用意いたしますね」
「ありがとう。まだ時間はあるから、急がなくて大丈夫よ」
俺は膝の上の包みを押さえた。
家に同じ用途の物があるのに、わざわざしまう場所まで増やす。
この浪費が、王家へちゃんと伝わってほしい。