俺は男と結婚したくないのになんで公爵令嬢で聖女なんだよ! 作:本郷カキツバタ
「いつも思うけど、それ、変装になってるか?」
「まさか君に言われるとは思わなかった」
出かける前、二人きりの客間で、レストは俺の帽子を見た。
つばの下に純白の髪をまとめ、服も飾りの少ないものを選んだ。いつもの外出より、ずいぶん地味だ。
レストも、王太子らしい装いではない。帽子もかぶっている。
ただし、後ろの黄金の髪が襟の上に出ていた。
「髪、見えてるぞ」
「君も、横からは見える」
俺は帽子をかぶり直した。
レストも、外套の襟を立てる。
「街では、いつもどおりお前がアレス。俺がレスティな」
「ああ。君が先にレストと呼ばなければ」
「呼ばないって」
今日は二人で、菓子を食いに行く。
報告会でも、監査でも、王宮での打ち合わせでもない。
五月も下旬に入り、春は終わりに近づいていた。
今なら、レストの好きなタルトがあるはずだ。
◇
王都の老舗菓子店、《リュミエール》。
扉を開けると、店主のエレナが盆を置いて迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。お二人ですね」
「ええ。席は空いていますか?」
「いつもの奥のお席で、よろしいですか?」
エレナが示したのは、窓際の二人掛け。
通りからは見えにくい、俺たちがよく座る席だった。
入口に近い卓では、二人連れの客がこちらを見た。
片方が腰を上げかけ、連れに袖を引かれて座り直す。二人は小さく会釈をして、自分たちの菓子へ戻った。
たぶん、気づかれている。
でも、名前を呼ばれたわけでも、誰かに囲まれたわけでもない。
騒がれてないなら、お忍びとしては成功だろ。顔を知られてないふりまで、こっちから頼むことはない。
「本日は、苺のタルトがございます」
席についたところへ、エレナが品書きを持ってきた。
レストが、受け取る前から頷きかける。
「では――」
途中で止め、ほかの菓子にも目を通した。
こいつ、今さら別の菓子を検討する顔をしてやがる。
「ほかのお勧めは?」
「檸檬の焼き菓子はいかがでしょう。甘さは控えめです」
「私は、そちらをお願いします」
俺が先に注文すると、レストも品書きを置いた。
「私は、苺のタルトを」
「かしこまりました」
エレナが離れたあと、俺は声を落とした。
「アレス。迷ったふりは、必要でしたか?」
「……ほかの菓子も気にはなる」
「でしたら、私のも召し上がればよいでしょう。一口だけですけれど」
甘い物となると、レストの「一口」は信用できない。
「今日は、約束どおり書類を持っていないんだね」
「そちらも、ありませんね」
「持ってくるべきだったかな?」
「持っていらしたら、タルトは私がいただきます」
「……それは困る」
困った顔を作るのが早い。
書類はなくても平気なのに、タルトがなくなるのは駄目らしい。可愛いなこいつ。
「昨日、アルと稽古をなさったそうですね」
「ああ。君の父上に会う前に」
「まだ足りないと、申しておりました」
「私のほうは、十分だったが……。おかげで、少し筋肉痛だよ」
「では、本人へそうお伝えください。帰ってからも、庭でもう一度やっていましたよ」
「私が勝ったところで終わったからね」
「もしアルが勝っても、もう一回と言いそうです」
レストが笑った。
「確かに。アルなら言いそうだね」
予定表を持って説得するテオの苦労が、よく分かる。これからも頑張ってくれ。
◇
菓子が届くと、レストの話が一度止まった。
小さなタルトに、クリームがたっぷり載っている。
その上に苺。さっそく一口切り、口へ運んだ。
「アレス、それがお好きですよね」
「……そんなに分かりやすいだろうか」
「八年も一緒にいるんですもの。分かります」
分かるに決まってるだろ。
隠すなら、せめて皿が置かれるより先に笑うのをやめろ。王太子の顔で品書きを読んだ意味が、まるでない。
「レスティも、こちらを見ているじゃないか」
「苺が大きいなと思いまして」
「食べるか?」
「ええ。少しいただきます」
レストは自分のフォークで切り、俺へ差し出した。
苺ごと、タルトを一口もらう。
クリームが甘い。生地は軽く、苺には酸味が残っている。
「美味しいですね」
「だろう?」
ふふん、とレストが自分で焼いたみたいな顔をした。
「こちらも、いかがですか?」
「では、お言葉に甘えていただこうか」
皿を寄せてやると、レストは焼き菓子を切った。
切ったあとで、俺を見る。
「……このくらいかな?」
「それは、一口というより四分の一では?」
「大きさを確かめたんだ」
「確かめる前に、切っていらしたでしょう」
悪びれもせずに頷いたので、そのまま食わせた。
代わりに、俺もタルトをもう一口もらう。
自分の皿を戻したところで、レストの口元についたクリームが目に入った。
「アレス、ついていますよ」
「どこに?」
「ここ」
口元に残ったクリームを、指で取った。
レストが動かなくなったので、取れたところを見せてやる。
「っ――取れたかな?」
「ええ。もう大丈夫です」
指を布で拭いて、俺は残りの焼き菓子を切った。
そっちばかり見ていると、自分の分を食いそびれる。
「ここで召し上がる時くらい、格好をつけなくてもよろしいのに」
「つけていないつもりだが」
「では、クリームがついていても、そのままで?」
「……それは教えてほしい」
「今、お教えしました」
レストが笑い、俺も笑った。やっぱりレストといるのは楽だし楽しい。
エレナが茶を足しに来る。
「お持ち帰りの分も、ご用意できますよ」
「では、家へいくつか。夕食前でも食べやすいものはありますか?」
「小さめのものを、お選びしましょうか」
「お願いします」
エレナが下がると、レストが聞いた。
「アルの分?」
「全員の分です。ただ、あの子は先に食べたがると思って」
「私への土産は、辛い物より甘い物のほうが嬉しいのだが」
……パンのことを自分から話したのか、アル。
「……本人にお伝えください。私は止めた側ですよ」
「『姉上に止められたんです!』って本人は不満そうだったよ」
「あの子ったら……いつも本当に……」
思わずこめかみに手が伸びた。
……家に帰ったら、余計な約束をしていないか聞いておこう。でないと、レストがまたおもちゃにされる。
◇
食べ終わっても、すぐには席を立たなかった。
俺が新しい話を始めると、レストは茶を飲みながら聞いた。
「この前、テオがお母様への贈り物を選んでおりまして」
「君が相談に乗ったのか?」
「乗ろうとしたのです。小箱の大きさを決めたいと、比較表を持ってきました」
「テオは相変わらず準備がいいね」
「それで、お母様の持ち物を測っていたところを、本人に見つかったのです」
「……何と答えたんだ?」
「母上への贈り物の寸法を決めています、と」
「……それは、正直すぎるね」
「そうなのです。テオは時に正直すぎるのです。お母様には隠して驚かせる予定だったそうなのに……」
レストが声を抑えて笑った。
「君の母上は、驚いてくださった?」
「ええ。いきなりテオが定規を出したので」
俺も笑う。
テオは結局、入れたい物まで母に尋ねてから注文した。母は届く日を楽しみにしているので、それでよかったのだろう。
「アルは?」
「お菓子にするそうです。味を確かめると言って、私の前で二つ食べました」
「では、もう選び終えたんだね」
「まだ決まらないそうです。あの子の分が増えただけでした」
レストは、俺たちの空いた皿を見た。
「……味を知ることは、大切だと思う」
「もう一つ召し上がりたいなら、普通にお頼みになってください」
「では、持ち帰りを頼もうかな」
「生菓子ですから今日中に召し上がることになると思いますよ」
「では、今日中に」
「夕食も、ちゃんと召し上がってくださいね」
注文を聞いたエレナが、タルトを箱に入れてくれた。
レストの分だけ、俺たちが持ち帰る焼き菓子とは別の小箱だ。
「お一つで、よろしいですね」
「はい」
小箱を受け取る顔だけは、王太子というより菓子を買いに来た男だった。
今日は、その顔がずいぶん長く見られた。
「また、お二人でいらしてください」
「ええ。ごちそうさまでした」
エレナへ会釈を返し、店を出る。
離れて待っていた護衛が、こちらへ寄ってきた。
馬車に乗り、扉が閉まってから、俺は帽子を外した。
「誰にも殿下って呼ばれなかったな」
「そうだね」
「このくらいなら、今度も普通に来られそうだ」
「次も、時間を空けておくよ」
「まだ、日を決めてないけど」
「決まったら教えてくれないか」
俺は頷いた。
菓子の味以外にも、帰ってから話したくなることは出てくるだろう。
帰宅すると、侍女が焼き菓子の箱を預かってくれた。
代わりに、封書を渡される。
「お嬢様。王都大神殿から、招待状が届いております」
毎春、救護事業に関わった者を招く行事だ。
母のところにも、同じ案内が届いていた。
「出席のお返事をお願いね」
「かしこまりました」
断る理由はない。俺が手配した物資の報告もあるはずだ。
日付を確かめ、招待状を閉じる。
封書は、もう一通あった。神託院からだ。
開くと、聖女の加護を確かめる照会の案内だった。
どの属性の適性をいくつ持っているかは、子供が成長すると、たいてい周りが先に気づく。一つあれば普通で、二つあれば褒められる。三つとなると、珍しいなんてもんじゃない。
テオは五つの時、父の書斎で水と風を一度に出して、机の書類を濡らしたうえに、窓から庭まで飛ばした。
アルは火と風が出た日に得意になって、真夏の暖炉に片端から火を入れて回り、使用人全員に叱られた。
俺が持つ光属性なら、文字どおり手のひらが光るので分かりやすい。俺も、テオやアルの擦り傷を治しているうちに、家じゅうに知られていた。弟たちに比べれば、実に平和だ。
聖女の加護は、これまでの記録ではどれも光属性に現れているそうだ。だから光属性を持つ者だけが、十八になった年の春に、神具の前で魔法を使って、加護があるかどうかを確かめてもらえる。受けるかどうかは本人が決めていい決まりだ。
町や村では神殿に知らせが貼り出されるだけだが、貴族の家にはこうして封書で届く。神託院もご丁寧なことだ。
加護なあ……。
治癒魔法なら昔から使えるが、神様に目をかけられた覚えはない。それに今の俺には、先に片づけたい問題がある。
まあ、返事は婚礼の件の目処がついてからでいいだろ。
俺は案内を引き出しにしまった。
ようやく仕事を忘れて遊べた日に、次の用事が待っていた。