初めて意識が目覚めたのは、高熱で寝込んでいるときだった。
日本人の自分がどういうわけか、10歳のナイディスという少年の中にいた。
憑依? 前世? よく分からないが、ナイディスの意識が消えつつあることが、理由だろう。
消える彼の意識を繋ぎ止めようと手を伸ばすが、泡のように掴めない。
結局、この肉体には俺の意識とナイディスの断片的な記憶しか残らなかった。
「……よかった。もう大丈夫そうね」
額に手を当て、熱を測ってくれるのは義姉のエリサ。
捨て子だったナイディスを育てている、人情に厚い人だ。
彼女の顔を見ると安らぎを覚えるが、同時に申し訳なさも覚える。
「ごめんなさい」
「何を謝ってるの?」
この世界、女手一つで生きるのは容易ではないだろう。
だからみんな若くして結婚するのだ。
何度も医者を呼び、薬を買わせてしまった。
治癒魔法を依頼するよりは安いだろうが、この家には薬を買うのも本来なら余裕はないのに。
「いいのよ。ナディが無事だったのだから」
「今日は寝ていなさい」と言い、義姉は普段通りに家事をする。
彼女は知らない。愛したナイディスは消え、中身が変わったことに。
吐き気が込み上げるが、無理やり飲み込む。
ここで彼女に心配をかけることは、してはいけない。
「薬、高かったでしょ?」
「気にしない。いざという時の蓄えはしてあったんだから」
ナイディスの記憶を遡っても、貯蓄をしていた雰囲気は無いが、失った記憶にはあったのかもと思える。
「夕方から仕事だから、晩御飯は悪いけど一人で食べてね」
「わかった。もう少し寝る」
目を閉じ、深呼吸を繰り返せば、いつの間にか眠りについた。
「……夜か」
目覚めたときには日もすっかり落ち、エリサは仕事へ出ていた。
机の上には冷めたお粥が置かれており、ゆっくりとした動作で口へ運ぶ。
日本の記憶が邪魔をし、料理が美味しいと思えないので、水で無理やり流し込んだ。
「少し、出かけるかな」
この村はそこまで大きくない。
年端も行かない子供が出歩いても、みんな顔見知りなので危険は少ないだろう。
ナイディスの記憶と、実際の村について齟齬が無いかを確かめないと。
「……凄い」
外へ出ると、視界には木造の家と畑しかない。
文明レベルが日本の田舎と明らかに違う。
井戸の周りでは魔法を使って風を起こしたり、鍛冶屋では鉄を火の魔法で熱したりしているのが見える。
生活にも魔法が馴染み、戦いにだけ使われているわけじゃないみたいだ。
「本当に、異世界なんだ」
知識としては知っている。
その題材を使ったアニメや本が多く出ていることも。
剣と魔法もある。本物のファンタジー世界。
「エリサの所へ行こう」
記憶を頼りにエリサの職場へ向かう。
村の中心にある酒場兼宿屋。そこでウエイトレスとして働き、たまに歌を披露してチップを貰う。
それが彼女の仕事と記憶している。
「おや、ナイディス。もう良いのかい?」
「うん。もう平気」
記憶からナイディスの言動を呼び起こし、村人へ答える。
「エリサに言っといてくれ、いつでも歓迎するってな」
「……? わかった」
何の話だろうか、夕食にでも呼ばれていたか?
その後も数名からエリサによろしくと声をかけられつつ、目的地へやってきた。
店へ入ると、中は酒の匂いと熱気に包まれており、酔客に踏まれないよう動きながらカウンターへ向かう。
「おお! ナイディスじゃないか。もういいのか?」
「うん」
カウンターの中から厳つい顔をした店長がミルクを出してくれる。
「ほれ、快気祝いのサービスだ」
「ありがとう」
雑味と臭み塗れのミルクを一口飲む。
顔を顰めないようにするのに精一杯だった。
記憶の中のナイディスはゴクゴクと飲めていたのに。
「そろそろだな。エリサが歌うぞ」
視線を店内に設けられたステージへ向けると、エリサが上がったところだった。
「よー! 待ってました」
「今日もいい声聞かせてくれよ!」
「これは遥か昔。初代国王が王国を作る前、名家の始祖と出会うお話……」
歌われたのは、建国物語の序盤。
記憶でも、寝かしつけの際に歌ってくれたものだ。
透き通る声と抑揚の利いた歌に、俺も含め店中が惹かれている。
「義姉さん、人気だね」
「……ここ数日で客が増えたんだ」
やはり、冬が明けて旅人が増えたからだろうか。
この村は都市と都市の中継地になっているようで、旅人や行商人が多いらしい。
「今日も二階へ行ってくれるのか?」
曲が終わると誰かの野次が響き、一部の客が笑った。
「もう相手しません」
エリサはキッパリとそう言うとステージを降りた。
暫く野次が飛んでいたが、姉が相手をしなくなると次第に店の雰囲気は当初の空気に戻っていく。
チップの入った木箱を抱えた義姉がカウンターへやってきた。
「……ナイディス」
「いい歌だったよ」
野次については触れない。
嘘か本当かなんて、どうでもいい。
この人が、俺の為に必死で働いてくれた。それだけが真実だから。
「ありがとう」
記憶にある笑顔と変わらない。けれど、無理をして笑っているのか、今の俺には分からなかった。
「それじゃあ、上がります」
「おう。お疲れさん」
チップの取り分を店長と分け、エリサと並んで家に帰る。
「義姉さんはさ、将来の夢はある?」
日本人の感覚で言えば、彼女はまだ若い。俺が早く独り立ちすれば、自分の人生を歩めるだろう。
偽りの弟に時間を使う必要なんてない。
彼女の献身で今の俺がいる。
何か恩返しがしたかった。
「夢……夢かぁ。今を生きるのに必死で考えたことないよ」
若者が夢を持てない現実に、胸が苦しくなる。
「ナディが元気でいてくれることが、私の夢かな」
それは余りにも無垢で、純粋過ぎる夢だ。
親心に等しいそれを夢と呼ぶ彼女を愛おしく思う。
だが俺は、彼女自身にも夢を見て欲しい。
「それは自分で何とかするよ。だから、見ようよ。自分の夢を」
「……ナディ?」
ナイディスは、こんなことは言わない。
普通の子供で、世間知らずの孤児だ。
だからこれは、俺の言葉だ。俺の決意だ。
「俺が大金を稼いで、義姉さんが夢を探せるくらいの余裕をあげるよ」
俺の言葉に、義姉は目をパチクリさせた。
「ありがとう。無理はしないでね」
義姉が頭を優しくなでる。
その行為に安心感を覚える自分と、甘えてはいけないと叫ぶ自分がいる。
そうだろう。彼女から見れば俺は可愛い弟だ。
今はそれを甘んじて受け入れる。
だけど、ここは異世界。剣と魔法があるんだ。
どこぞの主人公みたいに、成り上ってみせる。
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英雄の始祖の出身地について、正確な記録は残っていない。
しかし、文献から読み解くに田舎村で質素な生活をしていたと推測されている。
失われた神代文字を秘匿する為とも、精神修行の一環であったとも考えられている。