HUNTER×HUNTER ―紅き公爵の剣譚― 作:アトレトル
第8話 偽りの封蝋
朝の光が、机に並べた三冊の綴りを照らしていた。
秋の開門祭まで、あと七日。ヴィクトルが市へ求めた記録は、前日の夕方から届き始めていた。封を切った包みも、送付状も捨てずに残してある。マルセルは今朝受け取った一束を脇へ置き、先に届いた分との重なりを確かめた。
「セレト村からの受領記録も、こちらで揃いました。現地で拝見した頁と、その後に入った別便を分けてあります」
村で荷を受けた日と品目が、端末にも並んでいる。アルフォンスたちが視察したあと、手配した補填分は届いていた。だからといって、その分を元の商会便へ足して、納入済みにしてはいない。
ヴィクトルは村の記載を、公爵家の発注原本の隣へ寄せた。
「毛布の方から見よう。商会の説明では、どこで受領されたことになっている?」
「変更先で受け取ったとされております。ですが、こちらはセレト村の受領確認ではありません」
マルセルの指が、三冊目の紙で止まった。レダン商会が提出した配送一覧には、元の発注と同じ品名がある。その先へ、変更された届け先と、完了を示す記載が続いていた。
テオドールが、そこへ挟まれた変更書類を開く。リナの名のある一枚だった。
「この変更を正式に承認した原本は、引き続き見つかっておりません。先方へ求めた説明も、受付で確認を得たという範囲を出ていません」
「前に尋ねた、送付順の違いは?」
「転記の誤りかもしれないとの返答です。ただし、先に渡したという別の原本や、返送を受けた記録は提示されておりません」
ヴィクトルは、相手の返答を別紙に残してもらった。時刻の記載が一つ違うだけなら、間違えた箇所を確かめればよい。だが、正規の行先から荷を外した理由まで、それで埋まるわけではなかった。
マルセルが、机の端にある包みを指した。
「今回の一覧は、この封で送られております。先方は支店としての回答であると、送付状にも記しております」
封蝋には、レダン商会側の印が残っていた。開いた時に割れた部分ごと、包みに添えてある。書類の下にも確認印があったが、それは商会の処理や受領の欄を埋めるものだった。公爵家の正式な命令を発する最上位の公印が、そこに押されているのではない。
「印のある包みで来たから、書かれた変更まで、こちらの承認になるわけではありませんね」
テオドールが言うと、ヴィクトルは頷いた。
「支店がどう説明してきたかは、このまま残す。その説明で動かした荷の方を、確かめたい」
封蝋の色にも、割れ目にも、隠された答えはなかった。包みの中で整えられた説明が、外に残っている仕事の記録と合わない。それが問題だった。
マルセルは画面を切り替え、保存食の行を出した。こちらも同じだった。公爵家は村へ届く分として注文し、商会は変更を理由に別の行先を記し、村では未着のまま残している。
「すべて同じ間違いで説明するには、少なくとも、変更を受けた原本と、実際に渡した先が必要になります」
「うん。村の数を直して合わせるのではなく、空いているところへ荷が行った先を入れてもらおう」
ヴィクトルは、二つの品目に共通する送付元を確かめた。支店の回答はオスカー・ベルンの責任で取りまとめられている。しかし、名があることと、本人が何を指示したかは、まだ分けて追わなければならない。
壁の時計が進んだ。市へ出ている調査担当から、経理補佐との面会準備が整ったという連絡が入る。
「こちらから渡す照合項目は、できています」
テオドールが紙を取った。ヴィクトルは、提出された帳簿の数字だけでなく、その数字を作る時に使った元の取引を確かめてほしいと加える。
「説明を聞く相手へ、こちらの結論を先に渡さないでほしい。日々の仕事を、その人の順で聞こう」
通話を終えたあと、マルセルは三冊を閉じず、それぞれの出どころを示す紙を上へ置いた。村で受け取っていないものが、どこかで受け取られたことになっている。その間をつなぐ次の記録が、市で待っていた。
◇
リュネール市の一室で、エマ・キールは、膝の上に置いた手を握り直した。
レダン商会リュネール支店の経理補佐として、帳面を前に座ることには慣れている。だが、机の向かいに公爵家の調査担当がいるのは初めてだった。いつも使う綴りが、今日は自分を問い詰めるもののように見える。
「お名前と、お仕事の範囲から伺ってもよろしいですか」
「エマ・キールと申します。支店で、入金と支払いの記載や、取引の控えをまとめる仕事をしております」
声は出た。相手が書き留める間、先を急いで話さなくてもよいらしい。エマは、机に用意された二つの帳簿へ目を落とした。
一方は、取引ごとの書類を確かめながら日々付けていたものだった。もう一方は、公爵家への回答として支店が提出した一覧。その写しを見せられた時、同じ取引に違う金額が付いていることに気づいた。
「普段の記録は、こちらで間違いありませんか」
「はい。この頁は、私が記しております」
エマは一行を選び、どの控えを見て書いたかを説明した。品目、取引先、入った金。その順に指を動かすと、仕事をしている時の声へ少し戻った。
「こちらのお支払いは、別の販売先からです。公爵家への納入分の精算として入れたものではありません」
調査担当が、提出一覧の同じ箇所を示した。そこでは別の取引先の名が抜け、金額も変わっている。元の書類には残る売上が、一覧だけを追うと、輸送の調整に伴う支払いへ見えてしまった。
「この一覧を作成したのも、あなたでしょうか」
「いいえ。私は、日々の綴りから必要な分を出すように言われました。ですが、まとめたものを、提出前に確かめてはおりません」
「誰から、そう言われましたか」
「支店責任者の、オスカー様です」
名を口にした途端、エマの指が止まった。相手はすぐに次の問いを重ねず、今の答えを記し終えてから顔を上げた。
「その時の指示を覚えている範囲で、聞かせてください」
エマは、経理の記録と配送部門の資料を、責任者のところへ揃えたことを話した。日常の集計を頼まれたのだと思っていた。品が村へ届いていないという話は、遅れがあるという説明で聞いていた。別の販売記録が、同じ荷の行先を隠すために使われるとは考えなかった。
「私が、数字を入れました。お金が入ったことは、私も知っていたのです」
そこまで言って、声が細くなった。
「今、違うと申し上げても、責任者に言われたので知らなかったと、逃げているように聞こえるかもしれません」
「どの数字を、何の書類から記したかを伺っています。記載をしたことだけで、配送の不正を決めたことにはしません」
調査担当は、日々の帳簿と提出一覧を並べたまま答えた。エマに都合のよい答えを選ばせる代わりに、ここを自分で確かめたのか、人から聞いただけなのかを、順に尋ねる。
彼女は、取引先へ荷が届いた現場は見ていないと答えた。売上の控えは受け取った。荷を出す日時を決める仕事には就いていない。その違いを話すうち、言っていないことまで引き受ける必要はないのだと、ようやくわかってきた。
「支店へ戻って、ほかの紙も探してまいりましょうか」
口にすると、机の向こうで首が横へ振られた。
「一人で取りに戻る必要はありません。保管場所と、普段どの方が扱うかを教えてください。原本は、こちらで手続きを整えて確認します」
今、目の前にある経理原本についても、持参された範囲と受け取った時の状態が記録されていた。エマは、自分の手元で頁を抜くよう頼まれることも、帳面を隠し続けるよう命じられることもなかった。
「お話を聞いたことは、必要のない相手へ広めません。支店から連絡があり、不安なことを言われたら、直接こちらへ知らせてください」
「私の話した内容も、あとから、確かめられますか」
「ええ。まとめたものを読んでいただきます。違っていれば、今も、あとからも、そのまま言ってください」
エマは、ようやく背を椅子へ預けた。安心した途端に全てを思い出せるわけではない。それでも、机の上の一行なら、なぜそう書いたかを説明できた。
差し出された聞き取りの控えを読み、彼女は一点だけ直してほしいと頼んだ。帳簿を渡したのは自分だが、配送部門の紙を揃えたのは別の担当だった。その訂正が書き添えられるのを見届けてから、次の頁を開いた。
◇
「こちらの方には、私から先に伺ったわ」
昼を少し回った頃、エレオノーラは、一枚の送付状をヴィクトルへ渡した。アルフォンスの書斎には、食事を終えてから持ち込まれた茶が、まだ手を付けずに置かれている。
母が示したのは、市の取引先から届いた返答だった。社交の席で顔を合わせるだけでなく、公爵家へ品を納めてきた相手でもある。祭の前にまとまった品の販売を持ちかけられたことがあるか、扱いのある範囲で確かめてもらっていた。
「商会から急に売り込みがあったと、お話しになっていたでしょう。品目を伺うと、私たちが待っているものと、重なるところがあったの」
「取引をした記録も、見せていただけるのですか」
「今、先方で用意してくださっているわ。ただ、お話だけで同じ荷だとは決められないから、品の記載と受け取った日も、調べていただいているところよ」
ヴィクトルは送付状の名を、今朝市から届いた経理記録の報告と比べた。エマが説明した販売先と一致する。別々のところから出た名が、同じ紙の上で初めて重なった。
母は、その印を付ける手を見てから続けた。
「相手の方は、商会の品を普通に買ったつもりでいらっしゃる。こちらの調べが入ると聞いて、店まで閉められるのかと心配なさっていたわ」
「受け取った事実と、事情を知っていたかは分けて伺います。調査担当にも伝えておきます」
「ええ。それでお願い。間違えた説明を持ってきた人と、聞いたまま取引した人を、一緒にしてしまわないで」
エレオノーラは別の控えも出した。社交上の付き合いを通じて、売り込みを断った相手からも返答があった。そちらには荷は届いていないが、示された品目と、連絡をした支店の担当が残っていた。
相手を多く知っていることが、そのまま答えになるのではない。誰なら自分の扱った取引を確かめ、書いたものを出せるか。母はその違いをつけて、話をつないでいた。
アルフォンスは、二人のやり取りを聞き終え、手元の補填計画を開いた。
「村へ送った分の受領は、確かめたな」
「はい。保存食と毛布は、別便として受領の返事が来ております。祭の準備へ回す分も、今の在庫で足りるか再確認中です」
「では、未着を埋めたことで足りなくなる先を、残すわけにはいかんな。テオドールと追加の手配を進めてくれ。調査が終わるまで、日々使う分を待たせる必要はない」
父が認めた手配には、運ぶための便も含まれていた。品だけ揃えても、同じところで滞れば届かない。ヴィクトルは、未確認の便に頼らない輸送案を出し、必要な確認先を説明した。
アルフォンスは、一つだけ時期を尋ね、それから決裁の紙を取った。
「こちらで進めよう。使った分と、後から相手へ求める分は、わかるように残しておけ」
「承知しました」
ヴィクトルが答えると、父は次の書類へ目を移した。中継倉庫の現物と原本を保全するための手配だった。今ある写しを集めるだけでは、残る物資が動かされるのを防げない。責任者が、倉庫にあるはずの原簿をまだ出していないことも報告する。
「立ち入る範囲と、引き渡し先の確認を進めなさい。必要なところへ、こちらから正式に話を通す。商会全体を押さえるための話に広げるな」
アルフォンスは担当者を呼び、調査の根拠を揃えた書類を渡した。口頭で息子へ任せるだけでは済ませず、関係先への連絡と手続きを進めさせる。ヴィクトルは、その場で確認された範囲を自分の計画へ書き入れた。
これで、紙に書かれた名へ怒りを向けるだけでなく、保管されたものを確かめる準備ができる。しかし、倉庫の現物は、まだ目の前にない。
「オスカーへの提出要請には、どう返ってきている?」
「責任者として取りまとめている、という説明です。経理の記録が違う理由は、本人から改めて聞く必要があります」
「ならば、聞く機会も、残すものも失わせるな。現場へ出る者が無理をせずに済むよう、備えておきなさい」
返事をして書類を揃えると、エレオノーラが茶を息子の方へ押した。
「その前に、こちらは飲んでいきなさい。届け先も、受け取る人も決まっているのに、置いたままでは困るでしょう」
ヴィクトルは母を見て、少し笑った。父も自分の杯へ手を伸ばす。
「今のうちにいただきます。午後には、照合するものが増えそうですから」
窓の外では、外苑へ運ぶ長椅子の確認が続いていた。祭までの一週間は、調査のためだけにあるのではない。母は次の返答を受け取る用意をし、父は、村へ走る別便の報告を先に回すよう伝えた。
◇
午後、市から戻った調査担当は、机に置く綴りの順を変えた。
朝に比べて紙は増えている。だが、ヴィクトルが最初に尋ねたのは、頁数ではなかった。
「原本を確かめられたのは、どこまでかな」
「経理の実務記録と、取引先が保管していた受領と支払いの原本です。倉庫については、先に渡された出庫控えと、運送側に残る記録を照合しております。倉庫の全原簿は、まだ預かれていません」
調査担当が、受け取ったものと写しだけのものを分ける。エマの聞き取りも、その横へ置かれた。テオドールは、午前中に整理した公爵家の発注を開き直した。
最初に合ったのは、取引先が受け取った荷の記載だった。保存食の品目と荷の識別に使う記載が、商会の出庫控えに対応している。村へ届くはずだった分と、同じ発注をもとに倉庫へ入っていたものだった。
「買い手は、余った品の販売だと説明されたそうです。支払いは支店へ行い、その受領はエマ殿の日々の記録にも残っております」
「公爵家へ出した一覧では、取引先と金額が変わっている。その行だね」
「はい。買い手の控えにある額は、日々の経理記録と合います」
ヴィクトルは、三つの紙で同じ取引を追った。注文した家、渡されなかった村、実際に金を払った買い手。それぞれが、別の場所で残した記録だった。商会の提出一覧だけを正しいとして、ほかを直すことはできない。
テオドールが、配送先の変更を示す紙を添えた。
「この欄では、公爵家の確認を得た処理となっております。しかし、実際の買い手との取引に、私どもの発注先変更はございません」
受け付けたはずの時刻も、承認の流れも合わない。それに加え、売上として別に入った金があった。元の届け先を取り違えただけ、という説明では、この取引まで説明できなかった。
「配送を手配した者は?」
「グラント・バルデンです。配送主任として、倉庫から出す便を割り振っています。運送側で確認できた依頼も、同人の担当になっていました」
調査担当は、運送会社の控えを出した。車両を動かした日と依頼元を、倉庫の出庫控えへ合わせていく。幾つかの便は、村向けとして扱われたまま、別の取引先の受領日につながっていた。
一枚だけ、車両の行先がはっきりしない日がある。
ヴィクトルは、その日に付いていた『整備』の記載へ目を止めた。テオドールが、工房からの写しを取る。ルシアンがヴァルターのところで受け取り、持ち帰ったものだった。
「七号車ですね。修理したのは、開門祭の十八日前」
「運送側の車両と、同じものだと確認できた?」
「はい。依頼の控えと車番を確かめました。レダン商会の配送部門を窓口にして預け、修理を終えたあとに引き取っています」
工房の作業日は、運送側の整備記録と一致した。それだけなら、普通に荷馬車を直した話だった。荷台の固定金具は、正常に修理されている。
だが、倉庫の控えには、その修理が済んだあと、同じ七号車へ積み込んだ記載が残っていた。運送側の大まかな運行一覧では整備だけに見える日の、もう一つの仕事だった。さらに、買い手の搬入口で残した受け取りにも、同じ車番があった。
「修理に出ていたので、荷は運べなかった、とは言えないわけか」
「修理を終えてからの動きです。工房へ何を運んだかではなく、引き取ったあとの便が、こちらにつながります」
調査担当が二つの記載を示した。工房の票は、車がいつ作業を終えたかを補う。何を載せ、どこで降ろしたかは、倉庫と運送、受け取った側の記録が示していた。
ヴィクトルは、工房の写しへ結論を書き足すことはせず、照合先の紙を隣に置いた。弟が持ち帰った時には、誰が何を運んだかまではわからなかった車が、今は、ほかの記録の間を走っている。
「オスカーが、遅配の報告だけを受けていた可能性は?」
問いを受け、調査担当は、エマが提出前に見せてもらえなかった一覧を開いた。取りまとめの指示に添えられた控えは、支店責任者から出されていた。さらに、買い手が受け取った販売の申し出も、オスカーの名で取り次がれている。
「取引の説明をした相手にも、直接確かめています。支店責任者として了承したと伝え、その条件で品を出すよう、配送部門へ回したとのことです。グラント殿が一人で販売先を決めたという説明とは、合いません」
倉庫へ渡す指示の控えも、支店責任者の了承を受けた変更として残っていた。違う仕事をしている者たちが、同じ人物の指示を別々のところで受け取っている。
ヴィクトルは、名のある一枚を上へ置く代わりに、販売の話から配送、入金、提出一覧までを順に並べた。
「主導したのはオスカーで、実際の荷を動かしたのがグラント。いまある記録は、その役割を裏付けている。二人には、合わせて説明を求めよう」
テオドールは頷いた。だが、机の端に空いている場所は、まだ埋まっていない。倉庫の全原簿と、そこに残る品。それを確かめるまでは、紙の上で経路がつながったことと、現物を守れたことは別だった。
ヴィクトルは父の手配した書類を取り、現場へ出る者との打ち合わせ時刻を確かめた。
◇
中継倉庫の事務机には、レダン商会リュネール支店の印を押す道具が置かれていた。
オスカー・ベルンは、その横へ届いた提出要請を伏せた。伏せても、紙に並んでいた項目は消えない。入出庫の原簿、変更指示の原本、残る在庫の確認。これまで返してきた一覧を、もう一度きれいにまとめれば済む話ではなかった。
「どこまで見られたんです」
向かいのグラント・バルデンが尋ねた。戸口を振り返り、誰もいないのを確かめてから、机へ寄る。
「あれに書いてある通りだ。書類を揃えろと言っている」
「それは読みましたよ。どれを持っているのかと、聞いているんです」
グラントの声には、普段の配送時刻を押し切る時とは違う硬さがあった。オスカーは紙を返し、もう一度読めというように、その上へ指を置いた。
最初は、祭の前に増える注文の中で、行先を少し変えれば済むと思っていた。後から品を補い、輸送の調整だったと説明する。売れた金を手にしたあとでも、表に出るのは遅れだけのはずだった。
だが、村の未着を、公爵家は村で確かめた。足りない品は別の便で送られ、待っていた者のところへ届いている。その受領を、こちらの帳尻へ使うことはできなかった。
「余りを回したという話で、取引先には通してある」
「公爵家の発注分が余ったと、誰が認めるんですか。向こうには、売った記録も残っています」
「だから、こちらで説明を揃える必要がある」
言ってから、オスカーは机の引き出しへ手をかけた。中の紙を見る前に、その手を戻す。
公爵家へ送った包みに、支店の封をしたのは自分の判断だった。責任者の回答として出せば、まずは受け取られる。それで、ほかの記録まで取りに行く手が止まると見込んでいた。
受付の若い使用人の名を添えたことも、同じだった。先方で確認された変更だと言えば、遅れの責任を向こうへ戻せる。少なくとも、その確認に時間を使わせられると思った。
「あの受付の件も、まだ調べているんでしょう」
グラントが言った。オスカーは顔を上げる。
「それがどうした」
「こちらの元の紙を出せと言っている。あの子の仕事だけを、調べているんじゃありません」
机の外から、積荷の数を読み上げる声がした。二人は黙った。荷を扱う者が、伝票を取りに戸口へ来る。グラントは普段の声で置き場所を教え、必要な一枚を渡した。
相手は礼を言って戻った。こちらの話に怯えた様子も、事情を察して目を伏せる様子もない。その背中が見えなくなると、グラントは小さく息を吐いた。
「残っている分を、そのまま数えられたら終わりです。帳面だけではありませんよ」
彼自身、荷を動かし、行先を変えた。支店責任者に頼まれただけだと言えば済むほど、何も知らずにいたわけではない。手に入る利益を数えた時は、少し手間の増える仕事を引き受けたつもりだった。
その手間が、今は全部、自分の名で戻ってくる。
オスカーは、倉庫の方を見た。まだここにある荷と紙が、直接確かめられていない。その一点が、残された余地に見えた。
「明朝、残っている分を動かす。お前は南から出ろ。荷馬車で運べるものを、こちらから離すんだ」
「俺に、荷と帳面を持って出ろと?」
「配送はお前の仕事だ。私は支店へ戻り、回答の続きをまとめる」
グラントが口を閉じた。東の舗装道路を使えば、市へは車で戻れる。責任者が戻る理由も、一応はある。だが、その理由の後ろへ、自分だけを残されるようにも聞こえた。
「一緒には、来ないんですね」
「同じところにいて、どうする。私は東から車を出す。お前は南の道を使え」
オスカーは、もう決めたこととして告げた。二人の行先を分ければ、どちらかが止められても、自分の説明はまだ続けられる。そう考えたことを、口にはしなかった。
グラントは、机の上の要請を読み直した。今から荷を動かして、それを誰にどう説明するのか。尋ねかけたが、支店責任者が答えられないこともわかった。
「……残す分の確認は、こちらでします」
引き受けた声を聞いて、オスカーは紙を揃えた。ほっとしたのは一瞬で、戸口の外から聞こえる普通の仕事の声が、先ほどより気になった。
グラントは立ち上がり、倉庫へ出ていった。今夜のうちに全部をなくせるわけではない。朝になれば、また荷を受け、送り出す者が来る。オスカーは、そこへ加わる別の足音を考えないようにして、机の上の印を箱へ戻した。
◇
夜の打ち合わせに、ルシアンが入った時、カシウスは倉庫の見取りを机に広げていた。
隣にいるのは、護衛隊副長のローレンツ・ハインフェルトだった。机の端に並ぶ連絡用の無線機を確かめ、書かれた配置と、明朝動く者の控えを見比べている。
「ここへ荷を扱う人が残るなら、先にこちらを空ける。中へ入る者と、外で待ってもらう者を、一緒にしない方がいい」
カシウスが倉庫脇を指すと、ローレンツは、出入りの確認担当を置く場所をずらした。
「承知しました。搬入のために来た者へも、別に行先を伝えます。カシウス様の指示は、現場の各担当へ、こちらから改めて通します」
「東の舗装路へ出る方も、見ておいてくれ。南だけを押さえたつもりには、なりたくない」
ヴィクトルは二人の確認を待ち、現物を扱う担当者の仕事を説明した。倉庫へ入れば、誰でも荷を開けてよいのではない。立ち会う者を決め、記録を取る者と、周辺の安全を見ている者を分ける。
ルシアンは、隣の空いた椅子へ座った。兄たちは彼が入ってきたことを知っているが、今の話を途中でやめなかった。南の街道と、その先の作業道。救護のために人と道具を待機させる場所まで確かめてから、ヴィクトルが顔を向ける。
「ルー。マルセルから、今日の確認を聞いたそうだね」
「うん。リナの名前で説明していた荷が、別の買い手へ渡っていたのだろう。兄上たちが、そちらの記録も確かめたと聞いたよ」
本人へどこまで伝えるかは、主任が整理している。ルシアンも、あの署名を消して済ませるつもりはないと、今ではわかっていた。だが、書いたものの持ち主がわかったあと、兄たちだけが現場へ出るのを、当然のこととして見送るつもりもなかった。
「俺も、明日は連れていってくれるかな」
ヴィクトルは弟の顔を見た。
「何をするつもりで来たい?」
「必要なら、逃げる相手を捕まえるくらいはできると思うよ。もっとも、カイ兄上と役を取り合うのは、少し面倒そうだけれど」
「俺が譲ると思って来たのか」
「頼んでから考えようと思っていたのさ」
カシウスが笑った。ルシアンも口元を緩めたが、長兄が机へ戻した指を見て、続きを待つ。
「捕まえる者だけが必要なわけではないよ。現場には、商会の仕事で来ている人も、街道を通る人もいる。そちらを危ないところへ入れない仕事を、任せたい」
ヴィクトルが示したのは、倉庫南口に続く街道の後方だった。ルシアンは、倉庫までの線を目で辿った。
「こちらで待って、通る人を止めておくわけだね」
「必要な時には、安全な方へ案内する。誰かが走ってきても、持ち場を空けて追ってはいけない。カイの監督下で、同行の隊員と動くこと。それが条件だ」
ルシアンはすぐに頷かず、図の上で、ほかに置かれた印を見た。中へ入る次兄と、全体の連絡を受ける長兄。自分のところを空けたら、その道を通る者は、誰へ声をかければよくなるのか。
「俺の方が先に相手を見つけても?」
「見つけたことを知らせてくれ。追う者は、こちらから向かわせる」
カシウスが答えた。軽口を交わしていた声から、余分な笑いだけが抜けている。
「ルーが見ている人を置いてこられたら、俺もそっちへ戻る必要がある。自分の場所を頼む」
ルシアンは顔を上げた。兄が自分より遅く動くと思っているわけではない。稽古で木札から引き離された時には、離れる方の道ばかり見ていた。今は、残された場所へ目を戻せた。
「わかったよ。では、こちらへ来る人のことは、俺が見ていよう。カイ兄上も、安心して中を確かめてくるといい」
ローレンツが、連絡を受ける隊員と集合の段取りを伝えた。ルシアンが、自分から判断してよい範囲を尋ねると、カシウスも図へ身を寄せる。朝には現地を見て、もう一度確認するという。
最後に無線機を試し、声が返ったのを確かめてから、ヴィクトルは書類を閉じた。救護の準備にはギルベルトも加わる。荷と帳簿を押さえるだけで、全員の仕事が終わるわけではなかった。
「では、今夜はここまで。明朝、遅れないように」
「そこは、心配しなくていいよ。俺を呼びに来る前に、待っているつもりだから」
「朝食も済ませて、だぞ」
カシウスが付け加えた。ルシアンは、その一言までマルタへ頼まれたのかと尋ね、兄に額を軽く押し返された。
席を立つ前に、ルシアンは自分の担当する道を、もう一度見た。ここへ来るのが誰かは、まだ知らない。だが、どこを見ていればいいかは、決まっている。
兄たちと廊下へ出ると、向こうの窓に、外苑の暗がりが映っていた。祭の椅子は片づけられ、明日の仕事を待っている。ルシアンはいつもの歩調で二人についていき、部屋へ戻ったら、先に剣帯を確かめておこうと思った。
第8話 了
エマ・キール
レダン商会リュネール支店の経理補佐。日々の経理記録を担当している。不正の全貌を知らずに記帳をしており、自分まで共犯と見なされることを恐れながらも、扱った書類と知らない仕事を分けて証言した。
オスカー・ベルン
レダン商会リュネール支店の責任者。取引と配送、経理資料を取りまとめた立場から、不正を主導したことが記録と証言で裏付けられる。原本と現物の確認が迫り、自分が責任を逃れるための判断を重ねている。
グラント・バルデン
同支店の配送主任。オスカーとともに物資の行先を変え、物流の実務を担っていた人物。責任を負わされることに動揺しながら、倉庫に残る荷と紙資料を南側から動かす指示を受けた。
ローレンツ・ハインフェルト
ヴァルクレスト公爵家の護衛隊副長。カシウスの現場指揮を支え、隊員への伝達や通行の管理、連絡手段の確認を担う。倉庫で働く人や周囲を通る人の安全にも目を配る、実務に慎重な人物。