HUNTER×HUNTER ―紅き公爵の剣譚―   作:アトレトル

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第1部 陽だまりのヴァルクレスト 第三章 『守るべき陽だまり』

第9話 街道の異変

 

 剣帯の留め具を確かめていると、カシウスがルシアンの手元を覗いた。

「昨夜も見ていただろう。それは、まだ変わっていないぞ」

「知っているよ。変わっていないことを、確かめていたのさ」

「朝食の方は?」

「そちらも済ませた。兄上より先に席を立ったじゃないか」

 ルシアンが顔を上げると、次兄は笑って、机の方へ顎を向けた。昨夜広げていた見取りに、今朝は担当者の控えが添えてある。

 秋の開門祭まで六日。屋敷の窓には、ようやく明るくなり始めた空が映っていた。出発を待つ車は、すでに玄関前へ回されている。

 ヴィクトルは、集まった者たちが図を見られるよう、机の端を空けた。ローレンツが連絡先を確認し、ギルベルトもその隣へ立つ。

「現地で場所を取り違えないように、呼び方を揃えておこう。倉庫と積荷置場がA。その南口に続く街道と、荷馬車の待機場所をBとする」

 長兄の指が、ルシアンの持ち場で止まった。昨夜は線で見ていた道だったが、今朝は、そこで働く者と通る者を分けた配置が書き込まれていた。

「下りの作業道を進んだ資材置場がC。救護の待機もここだね。Bから八十メートルほどで、間の曲がり角の先は直接見えない」

「こちらへ来る人の数は、俺のところだけを見ても、わからないわけだ」

「そう。通行を止める時も、下から上がる者がいないか連絡を取ってほしい」

 ルシアンは、道の曲がりを指で追った。走れば届く距離でも、立ったまま両方を見ていられるわけではなかった。ギルベルトがCの印へ手を添える。

「救護の場所と、資材を扱う場所を、現地でも確かめてまいります。こちらへ人を送る際は、先にお知らせください」

「俺たちの方も、作業している人の出入りを見ておくよ」

 答えてから、ルシアンは図の外側の印へ目を移した。倉庫から二百五十メートルほど離れた、安全を確かめた通信指揮の場所。それがDで、ヴィクトルはそこで各所の報告を受ける。

 兄の武器操作が届くのは、最大でも約五十メートルだ。Dから倉庫まで剣を飛ばせるわけではない。現場で起きたことは、それぞれが見て、伝え、受け持つ必要があった。

「倉庫の中は俺が見る。ローレンツには、東の舗装路へ出る側も任せる」

 カシウスが、二つの出口を順に示した。

「南へ出る荷馬車だけを見ていたら、街へ戻る車を見落とすからな。中の確認と、外の警戒は分ける。変更があれば、俺から伝える」

「東側の班へも、出発前に確認しております」

 ローレンツが答えた。ヴィクトルは、現物を確かめるための書類を閉じ、持参する担当者へ渡す。保全した品と原本は、記録と立会いを揃えて扱い、必要なものを関係当局へ引き継ぐ。剣を持って行くことと、誰の荷でも勝手に持ち出してよいことは、つながらなかった。

 ルシアンは、自分へ渡された無線機を手に取った。

「俺が相手を見つけた時には、まず知らせる。そこも、昨日聞いた通りだね」

「うん。後ろを任せた者が全員追いかけてきたら、そちらの報告がなくなってしまう」

「カイ兄上の手が空かなくなったら、俺を呼ぶくらいは構わないよ」

「助けが要る時は、きちんと頼むさ。ルーもそうしてくれ」

 軽く返され、ルシアンは少しだけ口元を上げた。次兄が現場を譲るつもりのないことは、よくわかっている。今は、自分の場所へ一番に着けばよかった。

 ローレンツが順に通信を試した。名前を呼ばれた者が返し、最後にルシアンの声も、机の向こうの受信機から聞こえた。

「よく聞こえております」

「では、俺が何か言っても、聞こえなかったことにはできないね」

「そのための確認でございます」

 ギルベルトが答え、カシウスが吹き出した。ヴィクトルは図を折り、出発を告げる。ルシアンは無線機を収め、銀灰色の無銘剣が腰で邪魔をしないことを確かめてから、兄たちと玄関へ向かった。

 

◇

 

 車を降りると、街道の先から、荷台を引く車輪の音が聞こえた。

 ルシアンには、父母と通った時に見た建物の屋根がわかった。南街道の中継倉庫。舗装路を走ってきたトラックが荷を降ろし、その先の細い道へ入る荷馬車へ積み替える場所だった。

 あの日は、車窓から仕事の流れを眺めていた。今日は、どの口から誰が出てくるかを見るために、降りて歩く。

 ヴィクトルはDの通信拠点で担当者から報告を受け、倉庫へ向かう者と別れた。ルシアンも手を上げ、次兄の後ろへ付く。ギルベルトは救護担当者とCへ回り、資材置場の空いた側を確かめることになっていた。

 倉庫に近づくと、エンジンの低い音に、馬の鼻を鳴らす音が混じった。東には舗装された出入り口がある。南側の積荷口からは、土の道が街道へ続いていた。

 カシウスは歩きながら、手前の隊員へ短く尋ねた。

「今朝の出入りは?」

「通常の搬入があります。到着した者へ、待機する場所を伝えております」

「通り抜ける人は、荷を待つ人と分けてくれ。奥へ入りたい者には、先に用件を聞くように」

 隊員が動き、ローレンツは東側との連絡を取った。いきなり建物を囲んで、働く者を全員追い立てるのではない。許可された範囲の確認に入ることを伝え、立会いの相手と、記録を取る担当者を揃えていた。

 荷を抱えていた作業員が、戸惑ったように立ち止まる。

「こちらの便も、運んではいけませんか」

「確認が済むまで、今ある場所で待ってもらう。誰の荷かを聞くから、その控えを見せてくれ」

 カシウスが答えると、作業員はすぐに紙を出した。叱られるための問いではないとわかると、後ろにいる者へも、そのまま待つよう声をかける。

 ルシアンは、南口から少し離れたBで足を止めた。一緒に配置される護衛が、荷馬車の待機場所と、通行人を案内する側を示す。空の台車を押す男が、荷を受ける順を尋ねに来ていた。

「少し待っていてくれるかな。先に、通る方の道を空けたいんだ」

 ルシアンが声をかけると、男は彼の剣へ目を落としてから、慌てて台車を引いた。

「失礼しました。知らずに、いつものところへ」

「いつもは、ここで受け取るのだろう? なら、今教えてもらえて助かったよ。あちらへ寄せたら、車輪を動かないようにしておいて」

 男は待機場所の端へ台車を寄せた。ルシアンは、取っ手が通り道へ出ない位置まで動いたのを見て、倉庫の方へ顔を戻す。

「このまま待っていたら、受け取りに来なかったことには、なりませんか」

 別の男が、荷の控えを持ったまま尋ねた。到着した時刻を記してもらうはずだったが、普段渡す相手が、中の確認に呼ばれているらしい。

 ルシアンは護衛へ顔を向け、出入りを記録する担当者を確かめた。男が示した紙を自分で受け取らず、用件を伝える者へつなぐ。

「ここで待っていると、伝えておいてもらおう。仕事へ戻った時に、何も言わずに遅れたことにされるのは、困るだろう?」

「ええ。それを、気にしておりました」

「では、そこも聞いてくれるかな。俺は、ここにいるよ」

 護衛と確認したあと、男は、少し力を抜いて紙を巻いた。待つ場所が決まっても、待たされている理由を持ち帰れなければ困る。ルシアンは、その男が台車を寄せた隣へ落ち着くのを見た。

 ローレンツが、次兄との確認を終えてやってきた。

「中へ入る者の動線は、向こうで取ります。こちらで待つ方が増えるようなら、お知らせください」

「わかったよ。下の道から来る人は?」

「Cの担当と連絡が取れました。こちらへ上がる者があれば、先に知らせてもらいます」

 Bから下り道を覗くと、途中から木立と曲がりに遮られ、資材置場そのものは見えなかった。ギルベルトがすぐそばに立っているようなつもりでは、声も届かない。ルシアンは手元の無線機の位置を確かめた。

 通りかかった女性が、抱えた包みを持ち直して尋ねる。

「市へ戻りたいのですが、ここで待つのでしょうか」

「荷を受け取る用事がないなら、こちらを通れるよ。足元が狭いから、今の台車が落ち着くまで待っていて」

 彼が示した道を、護衛が先に確かめた。女性はそのあとに続き、肩越しに礼を言った。ルシアンは軽く手を振り、荷の確認を待つ者の方へ戻る。

 こんなことで剣を使う必要はない。だが、誰をどちらへ通したかを見ている間にも、倉庫の中では別の仕事が進んでいた。

 入口に立ったカシウスが、一度こちらを見た。ルシアンが頷くと、兄も頷き返し、立会人とともに中へ入っていく。

 朝の冷たさが薄れ始めていた。ルシアンは待機する人々へ声をかけ、用事のある者と、ただ通りたい者を、順に確かめていった。

 

◇

 

 倉庫の中で、カシウスは、通路を塞いでいた荷を動かす手を止めてもらった。

「今、どこから出したものかを、先に教えてくれ」

 作業員は抱えた箱を下ろし、脇の一角を示した。床には、運ぶ順を待つ荷と、保管を続ける荷が分かれて置かれている。普段なら間違えずに進む仕事でも、確認のために人が増えると、置き直したものの出どころがわからなくなりかねなかった。

 カシウスは、箱を開ける前に、その場所を記録させた。立会いの倉庫担当者が、入ってきた便と保管先を確認する。昨日までに見た控えを持つ調査担当も、同じ位置の記載を探し始めた。

「こちらの並びには、公爵家から発注された分が含まれます」

「中身を確認する人は、そちらで揃っているな。俺たちは通るところを空ける。まだ確かめていない荷を、急いで移さないでくれ」

 隊員の一人が、入口から伸びていた台車の列を脇へ寄せる。別の者は、来た時に箱を運んでいた作業員へ、確認が終わるまで待つ場所を伝えた。

 カシウス自身は、蓋へ手を伸ばさなかった。調査担当が立会人とともに封の状態を記し、荷の識別番号を読む。手元の受領記録には、その番号に対応する荷が、村で受け取られた記載がなかった。

「品目も、一致しております。保存食の分です」

 報告を聞き、カシウスは紙と現物の両方を見た。剣で割れば蓋はすぐ開くだろうが、誰がどの状態で保管していたかは、それでは残せない。確認を済ませた荷を元へ混ぜないよう、場所を決める。

「それは保全する方へ。数え終えたものと、まだのものがわかるようにしておいてくれ」

 倉庫担当者が、記録の書き方を調査担当へ説明した。商会に勤めているからといって、偽装のすべてを知っている者ではなかった。普段どこを見て荷を出すかを尋ねられると、迷っていた声が少し落ち着く。

「出す順は配送部門から来ます。こちらでは、その便の紙を見て積荷を揃えます」

「その紙と、入出庫の原本を、合わせて見たい」

「ここで使う分は、あちらに。まとめた綴りは、奥にもございます」

 示された机で、調査担当が帳面を開いた。先に提出された出庫控えと同じ日が、原本にも残っている。ところが、一覧では一つにまとめられていた動きが、日々の記載では別の出庫へ分かれていた。

 倉庫担当者が、頁の端へ挟んだ付箋を示す。

「こちらは、数を直した時の控えです。消さずに、元の分も残してあります」

 単に数字が違う箇所まで、不正の印にしてほしくなかったのだろう。調査担当は訂正の理由を聞き、対応する紙を確かめた。その変更は、先に出された資料でも追うことができた。

 説明がついた箇所をそのまま記すと、倉庫担当者は、次の問いにも自分から答え始めた。カシウスは、立会人が通る場所から隊員を下げ、机の前に人が重なりすぎないようにした。

 すでに照合した取引先へ出た便と、まだ倉庫に残る荷。確認する頁を送るたび、同じ発注の品が、違う場所へ分かれていることがわかる。

「この綴りは、見たところを記して預かります。ほかの原簿と、別の保管場所も確認させてください」

 調査担当の言葉に、倉庫担当者は奥の方を見た。

「責任者が、そちらの提出分をまとめております。配送主任も、今朝は奥へ」

 カシウスは、二人を確認する隊員へ目を向けた。場所と、最後に見た時を尋ね、奥の担当者にも声をかけさせる。自分で説明できる者を外へ追い出し、紙だけ奪うようなやり方にはしなかった。

 ローレンツが戻り、東側の状況を伝えた。

「乗用車も出入りしております。搬入の車両とは分け、舗装路側の班が確認できる位置へ待機しました」

「こちらが奥まで入る時は、そちらにも伝える。外の者が荷を持って動いたら、行先の確認を。危なくなる前に、周りの人を離してくれ」

「承知しました」

 やり取りを無線で聞いていたヴィクトルが、倉庫の中で確認できた範囲を尋ねた。カシウスは、現物の一部と、入口側で使っていた原簿を確かめたことを答える。全部が揃ったとは報告しなかった。

「今見つかった分は、担当者の手元で記録を続けて。奥の原本と、責任者たちの確認は、こちらでも控えておく」

 長兄の返事を受け、カシウスは隊員を一人、南側の通路へ回した。出入りを見ている者まで、目の前の箱を開けるために呼び戻す必要はない。

 確認は、思ったより早く済む仕事ではなかった。倉庫担当者が別の便の紙を探し、調査担当は、同じ数字でも何を数えた欄かを確かめる。カシウスは作業の進みに合わせて、通れる場所を少しずつ変えさせた。

 午前の光が、開いた積荷口から奥へ差し込んでいた。南側では、荷馬車の待機位置を確かめた隊員が、車番も記録している。

 記録を辿る間に、外の影は朝より短くなっていた。昼に出る予定だった便について、確認が必要になり、担当者が隊員へ声をかけている。カシウスは、保全の対象として止めた分と、ただ順を待っている分を混ぜないよう、控えを渡しておいた。

「七号車を確認しました。運送側の控えにある車両と、合います」

 無線の報告が入った。工房の票、運行の記録、そして今ここにある車体。それらがつながっても、積み終わった荷の一つ一つは、まだ確認していない。

 カシウスは南の方へ一度目を向け、奥へ入る担当者の後ろを確かめた。次に扱う原簿を受け取るため、立会人が通路を進みかけていた。

 

◇

 

 奥の作業区画で、グラントは、七号車の荷台へ残りの束を押し込んだ。

 昨日の夕方には、朝のうちに動かせると思っていた。だが、夜が明けても、運ぶはずの品をすべて集められたわけではなかった。普通に来た荷の仕事を止めれば、その理由を聞かれる。いつも通りの顔で指示を出している間に、公爵家の者が着いてしまった。

 今は、倉庫の入口側で原簿を開いている。

 紙を持つ指が汗ばみ、結んだ紐の端がうまく引けなかった。グラントは手を拭い、御者台を見た。普段ここで荷馬車を動かす者は、別の荷の確認で待つように言われていた。

「配送主任を、探しておられます」

 近くの作業員に告げられ、グラントは顔を上げた。

「あとで行く。これは、俺が動かす」

「行先を確かめてからと、向こうで……」

「ここへ置いたままでは邪魔になるだろう」

 返した声が強くなった。作業員が言いかけた続きを待たず、グラントは御者台へ上がる。誰かを隣へ乗せる余地はあったが、呼ぶことはしなかった。荷の横に挟んだ紙も、自分が持って出る。

 少し離れた通路では、オスカーが立会いに来た者へ頭を下げていた。

「支店へ残したものもありますので、そちらを確かめてまいります。こちらの分は、まとめておくよう伝えてあります」

「今ある原本の確認を先に。ご本人にも伺うことがございます」

 丁寧に返されると、オスカーは、一度だけ頷いた。その目が、手にした書類から、東側の出入り口へ移る。

 支店へ戻るという理由を、昨夜から何度も考えていた。ここで座っていれば、帳簿と荷を一つずつ差し出され、そのたびに答えなければならない。市へ戻れば、まだ自分が説明を取りまとめる側にいられる気がした。

 だが、止まって返事をしている時間は、もうなかった。

 南で車輪が動く音がした。オスカーは書類を抱え直し、東の乗用車へ足を速めた。

 その動きを見た隊員が、待つように声をかける。オスカーは返事をせず、運転席の扉へ手をかけた。舗装路の先には別の護衛もいる。それでも、ここから離れることだけを先に選ぶ。

 追いつこうとした隊員の前で、車が動き始めた。オスカーはハンドルを握り、道へ出ようとしていた作業員へ視線を走らせる。止まる理由を探すより先に、車の進む場所を空けさせようとした。

 隊員は、車の鼻先へ近づいた作業員を脇へ引き、東側の班へ連絡を入れた。扉へしがみつけば、自分だけでなく、その男も車へ引き寄せてしまう。止める相手の車種と進行方向を伝え、次の者が判断できるようにする。

 ほぼ同時に、南口の隊員から連絡が飛んだ。

「七号車が動いています。行先の確認を終えておりません。グラント本人が御者台におります」

 カシウスは、入出庫原本を見ていた担当者へ振り返った。

「今の原本は、その場で保全を続けて。こちらの隊員が残る。触れたものと動かしたものの記録も、そのまま頼む」

 言い終える前に、近くの隊員が通路へ出た。積荷口へ向かっていた作業員たちへ声をかけ、足を止めさせる。カシウスは、南口を見ている者へ尋ねた。

「出る方へ、人が残っているか」

「作業員が脇におります。退避を伝えておりますが、車両が止まりません」

「正面へ飛び出して止めるな。人を左右へ離してくれ。Bへ知らせる」

 カシウスが無線機を持ち直すと、東側へ向けたローレンツの声も聞こえた。オスカーが車へ乗り込んだ。確認を待たず、街へ向かう側へ動こうとしている。

「ローレンツ、東を任せる。南の荷馬車とは別だ。道へ出る人を離して、舗装路側の班へつないでくれ」

「承知しました。東側へ向かいます」

 副長は、近くの隊員へ指示を渡して走った。カシウスは奥の通路を見渡し、まだ荷を運ぼうとしていた者に、そのまま置いて離れるよう伝える。

 誰も彼もが逃げようとしているのではない。何が起きたかわからず、いつもの仕事を続けかけている者もいた。そうした者が、一人でも荷馬車を止めに飛び出せば、車輪に巻き込まれる。

「ルー。南口から七号車が出る。グラントが乗っている。そちらの人を、先に離してくれ」

 返事は、すぐに来た。

「聞こえたよ。道の方は、こちらで見る」

 カシウスは南の積荷口へ向かいながら、全体の状況をヴィクトルへ伝えた。東へ車が一台、南へ荷馬車が一台。二人の責任者が、別々の出口を使って動いている。

 Dでは、ヴィクトルが報告を受けた順を控えさせた。倉庫に残る物証の確認を続ける者、東で車を止める者、南の道で人を退避させる者。それぞれへ返す指示を、混ぜずに送る。

「東側は、ローレンツの報告を受けて封鎖へ。Aは、原本と現物を扱う担当者を残す。Cにも南の異常を知らせて、作業道の出入りを確認してもらおう」

 無線の先で、短い返事が続いた。ヴィクトルは、どちらか一方からの声を待つ間も、別の報告を受け取れるよう担当者に伝える。

 倉庫の南では、グラントが、出口の向こうにいる護衛を見た。

 止まって降りれば、荷台に何を載せたかを聞かれる。抱えた紙を出せば、前に提出したものとの違いを確かめられる。御者台にいる今なら、まだ動ける。

 彼は、手綱を握る手を引き直した。後ろからの呼び声を聞いたまま、馬を出口へ向かわせる。

 車輪が積荷口の境を越え、明るい街道へ出た。

 

◇

 

 ルシアンは、無線の返事を終える前に、南口の方へ向き直っていた。

 幌のない荷台が、建物の影から出てくる。御者台には男が一人。こちらの護衛が上げた手を見ても速度を落とさず、待機する荷馬車の脇を抜けようとしていた。

「皆、道の脇へ。荷を待っている人も、今は下がっていて」

 声をかけると、手前の二人は動いた。だが、後ろにいた男には、なぜ自分の番まで後へ下がるのかわからなかったらしい。受け取りの紙を持ったまま、ルシアンへ向かってくる。

「こちらを見てもらえれば、すぐに済むのですが」

「紙は、そのまま持っていて。今は馬車が来るから、話はあちらで聞こう」

 男の進む先へ身体を入れ、肩がぶつからない向きに道を示した。横にいた護衛が、先に離れた者たちを待機場所の奥へ案内する。ルシアンは男が続くのを見届け、次の一人へ声をかけた。

 目の端で、荷馬車との距離を測る。御者台へ飛び乗るだけなら、届かない間合いではなかった。男の手から手綱を外し、動きを止めることも考えられる。

 だが、自分が走り出せば、今、こちらを見て止まった人々が道へ戻りかねない。荷馬車へ視線を奪われたまま、足元に気づいていない者もいた。

 ルシアンは、自分の足を置く場所を変えた。相手を追う方へ半歩寄せる代わりに、通行人が並ぶ側へ向く。

「君は、こちらにいる人をお願いできるかな。荷を取りに戻らせないでほしい」

 同行の護衛へ頼むと、すぐに返事が来た。もう一人には、反対側から来る者を止めてもらう。自分たちが道を空ければ済むのではない。次に入ってくる人が、それを知らずに歩いてくる。

 彼は無線機を取り、Bで退避を進めていると短く伝えた。

「こちらから先へ、人を通さないようにしている。下の作業道から上がる人も、止めてもらえるかな」

 Cの担当から、出入りを止めるという返事があった。ギルベルトの姿を見に行く必要はない。声がつながったのを確かめ、手元を空ける。

 南口からの呼び声で、御者台の男が振り返った。

 その顔と、朝に確認した相手の特徴が重なる。グラント。七号車の荷台には、保存食の箱だけでなく、紙を挟んだ束も見えた。

 ルシアンは、紙の束も載っていると無線で伝えた。何の書類かを、この場所から読み取ることはできない。伝えたあと、相手の手元から、待機している人々へ視線を戻した。

 後ろで、小さなものが落ちる音がした。

 振り向くと、包みを持って下がっていた男が、転がった中身へ手を伸ばしかけていた。荷馬車の車輪が進む側へ、一歩出ようとしている。

「そこは俺が見ているよ。荷は、あとにしよう」

 ルシアンは男の腕へ手を添え、足が出る前に向きを戻した。引きずるほど力を入れる必要はない。歩く先を示すと、相手も自分で足を動かせた。

 落ちた包みは、道に残る。

 これを拾うために、別の誰かを戻らせてはいけない。ルシアンは護衛へ男を引き継ぎ、南口へ向かっている次兄へ報告を返した。

「Bの退避を続ける。グラントは、まだ御者台にいるよ」

「そのまま頼む。こちらから南口へ出る者にも伝えている」

 兄の返事が、耳元で聞こえた。

 ルシアンは剣を抜いた。銀灰色の刀身が外へ現れると、その根元から先まで、周のオーラが滑らかに行き渡る。握りを変えても、覆った厚みは乱れなかった。

 切っ先は、人のいる側へ向けない。馬の脚や手綱を無闇に斬れば、御者を捕まえる前に車体ごと制御を失わせる。何を斬ればいいかも決まらないまま、振る理由はなかった。

「剣の方へ寄らずに、あちらへ。今、道を空けているところだよ」

 近くの作業員へ告げると、男は大きく頷いて後ろへ下がった。ルシアンは、刃と人の間へ余裕を残し、荷馬車の動きを追い直した。

 車輪の音が、地面を伝って近くなる。荷台の角が揺れ、その向こうにあった南口が一瞬隠れた。

 カシウスの姿は、今は見えない。だが、兄がこちらへ向かう間、自分が任された場所を空けなければ、見ている人を渡す手も残る。

 ルシアンは、待機場所へ走り込む最後の一人を、護衛の方へ促した。

「そちらを見ていて。俺は、まだこちらにいるから」

 そう伝えると、護衛は頷き、退避した者の数を確かめ始めた。ルシアンは道へ目を戻す。七号車は、人の消えた直線へ落ち着いて進むのではなく、曲がり角へ向けて、急に鼻先の向きを変え始めていた。

 

◇

 

 グラントは、開けた道を見て、ようやく息を吐きかけた。

 御者台の前から、人が消えている。こちらへ駆け寄ってくる者も、馬の前へ飛び出してくる者もいない。そのまま進めば、まだ止まらずにいられると思った。

 ところが、手綱を取る手は、気持ちほど落ち着いていなかった。

 南口を抜けた勢いのまま、曲がり角へ入る。普段、荷を積んだ車で通る時より速い。頭ではわかっても、後ろから呼ばれるたび、今は止められないという考えが先に出た。

 進路を変えようと引いた手に、馬が強く応じた。

 車体が大きく振れた。

 グラントは身体を起こし、今度は戻そうとする。だが、荷台は馬と同じように向きを変えてはくれなかった。積み込んだ箱と木樽の重みが、片側へ寄る。枠へ当たる音がして、馬が首を振った。

「落ち着け……!」

 思わず口にした声が、自分にも向いているようだった。

 手綱を握り直す。速度を落とそうとした時には、曲がりかけた車体を、さっきより強く引く形になっていた。

 南口で順に荷を受けていた時には、金具も車輪も、きちんと荷重を受けていた。正常に修理された車体へ、今は無理な速さと急な転回を重ねている。枠が軋み、荷を押さえていた紐に、片寄った重さがかかった。

 束ねた紙の角が、箱の脇から浮いた。

 グラントは、後ろへ手を伸ばしかけてやめた。今ここで掴めば、片手で馬を御さなければならない。紙が風に動くのを見たまま、両手で手綱を握った。

 車輪が、外側へ膨らむ。

 その先には、下りの作業道へ分かれる曲がりがあった。

 同じ揺れを、ルシアンは道の反対側から見ていた。

 馬の向きと、荷台の進む向きがずれている。御者が戻そうと引くたび、車体の傾きが変わり、積荷が片側へ当たっていた。真っすぐ進んでくるものを避けるつもりで立っていると、次には、別の角がこちらへ張り出す。

 首筋に、細い冷たさが走った。

 ルシアンは一歩位置を変え、車体の振れる線から外れた。自分へ迫るものに身体が先に応じても、その感覚だけで、曲がりの先まで見えるわけではない。目を向ける先を変え、いま、どこに人がいるかを確かめる。

 護衛が案内した人々は、待機場所の奥へ下がっている。車輪の進む先へ戻ろうとする者も、今はない。

 ただ、荷馬車の待機場所の脇には、台車を片づけていた作業員が残っていた。

 空の台車を、さらに道の外へ寄せようとしていた男だった。車体の揺れを見て取っ手から手を離したが、待機中の別の荷と台車の間では、横へ抜けられる幅が狭い。

 男は後ずさりし、空いている側を探した。

「台車は、置いていっていい。手を離して、こちらへ」

 ルシアンが呼ぶと、男は顔を向けた。言われた方へ身を寄せ、狭いところから出ようとする。

 その頭上へ、七号車の荷台の角がせり出した。

 車体がさらに向きを変えたため、さっきまで馬の通らない側にいた男へ、後ろの枠が回り込もうとしていた。男が足を速める。だが、台車の取っ手を越える一歩が、車体の振れる速さに追いつかない。

 ルシアンは、男の方へ踏み出した。

「そちらの人を下げて。下の道にも、車体が傾いたと知らせてくれるかな」

 声をかけた護衛は、すぐに無線機を取った。ルシアンもCを確かめたかったが、今、顔をそちらへ向けても、曲がり角の先は見えない。目の前の男までの道を、先に空ける。

 倉庫の方から、カシウスがルーと呼ぶ声がした。

 聞こえた。兄が、こちらを見ている。

 ルシアンは返事をする代わりに、剣の向きを変えた。刃を振るための幅を、大きく取る必要はない。男へ迫る木枠と、その下から抜けるための場所が見えていた。

 馬の足音が乱れ、地面を擦る車輪の音が高くなった。

 御者台のグラントが、傾いた方を見下ろす。載せた荷の重みを受けた車体が、もう片側を持ち上げていた。

 ルシアンは、男を見たまま間合いを詰めた。周で包んだ刀身を、迫ってくる木枠へ届く位置へ運ぶ。

 倉庫の時計が、まだ正午を告げる前だった。

 

第9話 了

 

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総合評価:418/評価:7.69/連載:80話/更新日時:2026年10月23日(金) 00:41 小説情報

三輪霞は、剣だけでいい(作者:ケーケーケー)(原作:呪術廻戦)

AIに書いてもらいました▼家族を支えるため、京都の呪術高専へ入学した三輪霞。▼真面目で控えめ、少しミーハーな彼女は、すでに剣の道を極めていた。▼術式はない。それでも、剣を交えれば誰にも負けない。▼これは最強の少女が、仲間と帰る日常を守る物語。


総合評価:197/評価:7.8/連載:27話/更新日時:2026年10月30日(金) 17:25 小説情報

念能力を奪い、与える念能力者(作者:才ル)(原作:HUNTER×HUNTER)

AFOと同じ力を持つ者がいたとしたらの話。


総合評価:830/評価:8.22/連載:2話/更新日時:2026年10月03日(土) 14:01 小説情報


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