翌朝、俺は職員さんに昨夜のメッセージを見せた。
画面に表示された一文を見て、職員さんは眉をひそめる。
「これは……。昨日の男性との関係も含めて、事務所に確認してみるわ。返信はしないでね」
「はい」
素直に頷いたものの、胸の中は落ち着かなかった。
俺の知っている未来と、アイの望む未来。
そんな言葉を、どうして見ず知らずの人間が送ってくる?
まるで、俺の頭の中を覗いているみたいじゃないか。
「透くん!」
廊下から聞こえた声に、俺は携帯をしまった。
「おはよー! 今日、一緒に朝ごはん食べよ!」
アイだった。
昨夜のことなど知らない彼女は、いつも通り笑っている。
「おはよう。今日は機嫌いいね」
「だって、昨日の面談、楽しかったんだもん! 私、ほんとにアイドルになれるかもしれないんだよ?」
「うん。よかったな」
「……えへへ」
アイは嬉しそうに笑った。
俺は、その笑顔を見て思う。
今は、これでいい。
分からないことを考えるのは、あとでもできる。
目の前にいる彼女との時間まで、謎の人物に奪わせる必要はない。
*
昼過ぎ、施設の職員さんから呼び出された。
「事務所から連絡があったわ」
「何か分かったんですか?」
「あなたの名前が、事務所の正式な資料に載っていたそうよ」
思わず顔を上げた。
「どの資料に?」
「そこが問題なの。星野さんのオーディション関係の資料ではなく、社内で管理されている別の記録らしいのよ。ただ、担当者も詳しい内容までは確認できていないみたい」
「……俺、事務所に行ったこともないんですけど」
「ええ。だから、記録が正しいのかも含めて調べてもらっているわ」
手が冷たくなった。
名前を知っているだけじゃない。
どこかに、俺の名前が記録されている。
俺が知らない場所に。
「それと、もうひとつ」
職員さんは言いにくそうに続けた。
「事務所の担当者が、以前あなたの名前を聞いたことがあると言っていたそうよ」
「誰からですか?」
「そこまでは分からない。本人も、かなり前のことだから記憶が曖昧だと」
かなり前。
俺はこの世界に来てから、目立つようなことをした覚えはない。
まして、芸能事務所と関わったことなんてない。
なのに、どうして。
「透くん?」
いつの間にか、扉のところにアイが立っていた。
「何の話?」
「……ちょっと確認してることがあって」
答えかけて、俺は口を閉じた。
隠すつもりはない。
でも、まだ確かではないことを、彼女に不安だけ与える形で伝えたくもなかった。
職員さんが、穏やかに言った。
「詳しいことが分かったら、あなたにも星野さんにも説明するわ。今は、確認しているところなの」
「……分かりました」
アイは頷いたあと、俺を見た。
「透くん、何かあったら教えてね」
「うん。ちゃんと話すよ」
「約束ね」
小指を差し出される。
俺も小指を絡めた。
「約束」
アイは安心したように笑った。
その笑顔を見ながら、俺は考えていた。
俺の名前を知っている誰かは、いったい何を知っている?
そして、なぜ今になって接触してくるんだ?
*
その夜。
俺は自分の部屋で、昔の記憶を探っていた。
この世界に来る前のこと。
前世の自分が、どこまで『推しの子』について知っていたのか。
何度考えても、思い出せるのは大まかな筋書きだけだった。
アイがアイドルになること。
双子を産むこと。
そして、彼女が悲劇に見舞われること。
犯人の名前も、詳しい経緯も、正確な時期も分からない。
そもそも、俺がこの世界に来た理由だって分からないのだ。
そんな俺の名前が、芸能事務所の記録に残っている。
ありえない。
そう思った瞬間、携帯が震えた。
職員さんからの連絡ではない。
また、知らない番号だった。
今度はメッセージではなく、画像が一枚添付されていた。
開くべきか迷った。
けれど、俺は画像を確認した。
そこに写っていたのは、一枚の古い書類だった。
画質が悪く、文字の大半は読めない。
ただ、中央に記された名前だけは、はっきりと見えた。
黒瀬透。
そして、その下に書かれていた日付は――俺がこの施設に来るより、ずっと前のものだった。
息を呑んだ。
画像の下に、新しいメッセージが届く。
『君は、自分がどうしてここにいるのか、本当に分かっているのか?』
俺は携帯を握りしめた。
答えられるはずがなかった。
俺自身、ずっと分からないままなのだから。
けれど、ひとつだけ確かなことがある。
この人物は、俺が知らない俺の情報を持っている。
そして、俺に何かを気づかせようとしている。
俺は画像を保存し、すぐに職員さんへ連絡することにした。
もう、一人で抱え込むつもりはない。
それでも、胸の奥に生まれた疑問は消えなかった。
俺は、何者なんだ?
なぜ、この世界に来た?
そして――俺がアイを救おうとしていることも、誰かに仕組まれたことなのだろうか。
答えは、まだない。
ただ、ひとつだけ思った。
この物語には、俺の知らない登場人物がいる。
そして、その人物は俺のことを知っている。
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