貞操観念逆転世界の空戦騎士 作:らいらいてー
「お出かけですか? アーク様」
「ん? ああ、ちょっと外にな。ずーっと屋敷に引きこもってばかりだったらまずいだろ、たまには体を動かさないとな」
警戒するかのような視線を向けてきたメイドの1人にそう伝えて、ドアに手をかける。外に出る。別にそんなに訝しまなくても大丈夫だ。そもそもジュベックも居ないんだったら空に出る事もできないんだしな。
外へと出るのと同時にメイドから「腕の怪我も治ったばかりなのにまた新しい怪我して……誰に似たのやら」という小言が聞こえてきた気がするが、気にしないようにする。
館から街を見下ろす。クノール家の館は、街を見下ろせる丘の上に作られている。万が一、島に敵が上陸してきた場合は館は簡易要塞となる。その証拠に、館の地下には籠城用の食糧と武器弾薬が保管されているし、倉庫の中には阻塞を作るための資材もある。丘の上に作られているのは軍事的な優位性を得る為でもあるのだ。
……噂によれば、この館を作った当時は王家との関係が微妙になっていた時期で、王家との戦いを念頭に置いて作られたらしい。その噂の真偽は当事者たちが亡くなったため分からないが、あながち嘘でもないのかもしれない。倉庫の中には3ポンド砲と砲弾も積まれてるしな。
北方大陸、その西方に位置するクダンスク島。ヴィスワ王国西部の防衛の要。面積は1万8,000平方キロメートル。人口は昨年の国勢調査だとおよそ150万人。母上が西部最大の貴族と呼ばれてるのがよく分かる。ヴィスワ王国と言う国の中に一つの国が存在してるに等しいほどの巨大さだ。
暖流の影響によって北方においては比較的温暖な気候。冬になっても港は凍らない。更にはその温暖な気候を活かしての農業も盛んで、北方では最大の穀物地帯だ。ヴィスワ王国が今日まで北方の遊牧民たちの圧迫を受けながらも国家が存続してきたのは、この豊穣の土地を抑えていたからに他ならない。王家もクノール家を無視することはできず、結局関係が微妙になった時も王家が妥協することによってその関係は修復されることになった。
だからこそ他家はクノール家の顔色を伺い、隙があれば取り入ろうとする。で、取り入るために俺に近づこうとするやつは小さい頃からごまんと居た。
館のすぐ近くにある港街へと歩く。まだ背中は痛むが、腕のいい術師のお陰でだいぶ早く傷は治りそうだ。ルミに感謝しないとな。
「アーク様! お久しぶりです! 大怪我したと聞きましたよ!? 大丈夫でしたか!?」
「アーク様! リネ公爵にお伝えください! 魔王領軍のフリゲート艦が海域にいるせいで商売あがったりだって!」
「あははっ、大人気ですねアーク様! あ、後で取材を受けてくれると助かります!」
街へと出ると、すぐに俺は顔なじみの連中に囲まれた。漁師や、後は貿易会社のトップ。ついでにリコ。記者だ。今日はオフのつもりだったんだがな。
貴族の息子に生まれるというのは一見すれば産まれた時点で幸せが約束されているように見えるが、不自由なものだ。
結局、俺のオフの時間は俺の心配をしてやってきた領民、ついでに俺の母親に陳情を伝えてくれと頼んできた商人の対応に追われ、その後にリコからの取材に答えることによって大半が消費されることになった。
貴族の責務と言うのは重く、そして逃れようがないものだ。
◇◆◇
夕焼けが放牧地を照らす。放牧地でのんびりと転がっていたジュベックが俺に駆け寄ってくる。傷の方は……大分よくなってるな、ジュベックにも魔法による治療が行われたらしい。
すっかり元気になったことを示すように元気よく駆け寄ってきて、すりすり、と鼻を擦り付けようとしてきた彼の鼻に手を添える。撫でる。
心地よさそうに小さく彼は嘶いた。
「さっきの戦いはすまなかったな、お前に無理させて。……暫くはまだお前に無理をさせてしまうかもしれねぇ」
そんな、またかよ、と言いたげな視線を向けるな。お前の言いたいことは痛いぐらい分かるさ。……でも、納得してくれ、俺と、お前の力を求めてる奴がいるんだ。そう思い、彼の首筋を撫でる。
「アーク君。絶対安静、という言葉の意味は知ってますか?」
「……ルミか。どうしてここに?」
声がかかる。振り向く。そこには、じとー、とこちらへとジト目を向けてきているルミの姿があった。確かに俺の傷は10日間は絶対安静と言われたが、傷もある程度はよくなってるし動くのも支障はないぞ?
「いや、もう動けるようになったし、リハビリがてら外に出てたんだよ」
「絶・対・安・静! です! もう一度言いましょうか!?」
「すまないすまない。……皆戦ってるのに、1人だけ屋敷に引きこもってられなかったんだ」
わざとらしく、彼女の口からは大きなため息が零れた。そして、そのルビーを思わせる紅い瞳が俺を貫く。
「……仕方ありませんね、傷の具合、見せてください」
「ここでいいか? 他に人もいないし。ついでに服脱げる場所もないしな」
「……こっちに来てください!? 恥じらいというものはないんですか!?」
おもむろに服を脱ごうとした俺の手が掴まれて、そのまま茂みへと引きずり込まれた。ルミの頬が朱に染まる。
そして、茂みの中でワイバーンの皮をなめしたジャケットとシャツを脱ぎ、相手に背中を見せる。俺の背中を、ルミのしなやかな指先がなぞるように撫でた。
「……確かに、傷はかなり塞がってますね。傷の治りが早いのは認めましょう」
「だろ? だからもう動いても……」
「それはそれ、これはこれです! はぁ……館に戻りましょう。もう暫くは安静にしてください。女神教の神官としての意見なんですから、無視はしないでくださいね?」
彼女の言葉と勢いに俺は頷くしか無かった。
◇◆◇
こちらへとピッタリと付き添うように歩くルミへと視線を向ける。その手は俺の手を掴んで離さない。まるで勝手にどこかに行かないように監視してるかのようだった。先ほどから不機嫌そうにしている。ここは1つ、機嫌取りでもした方が良いだろうな。
「あー……ルミ、ここら辺は露店が並んでるし。欲しいものがあったら買ってやるぞ。俺も丁度小腹が空いてるしな」
「……では、あのポンチェックを。味はリンゴジャムが入ったものをお願いします」
ルミの視線の先には、甘い香りを漂わせている露店があった。売っているのはここら辺の伝統的な揚げ菓子だな。前世で言う所の穴の空いてないドーナッツだ。香ばしく、それでいて甘い香りが鼻腔をくすぐる。ごくり、と生唾を飲み込む。
「2つ頼む」
銀貨。ターラーを1枚店員に差し出し、揚げたてのポンチェックを2つ受け取る。ルミの指定であるリンゴジャムが中にたっぷりと入ったやつと、俺のはローズジャムが入ったもの。
「熱いから気を付けろよ」
そう言って、ルミに手渡した後に、新聞紙に包まれたポンチェックを見る。粉砂糖がたっぷりと振りかけられており、まるで小麦畑に雪化粧が施されたかのよう。ふー、ふー、と息を吹きかけた後に、口を開けて一口頬張る。サクッ、と小気味いい音が響いた。そのまま咀嚼する。熱い。
口の中に広がるのはローズジャムの気品のある風味と、生地に練り込まれた蒸留酒のほんのりとした香り。油っこい、ジャンキーな甘みが夕方になるまで領民からの相談や取材に追われていた俺の疲れた体を癒す。
もう一口頬張る、更にもう一口。いつの間にかポンチェックが無くなっていた。
「あむあむ」
「ハムスターかな?」
ルミの方はポンチェックをそのまま丸呑みにしてハムスターのように頬をもごもごさせていた。行儀悪いぞ~。そのままごっくんと飲み込んでて、少し恥ずかしそうに彼女は頬を朱色に染めた。
「い、今は良いんです! 女神教の神官ではなく、軍属なんですから! お、お行儀が多少悪くてもいいでしょう!?」
「ははは、まぁ可愛くていいと思うぞ。小動物みたいだったし」
むすー、と頬を赤らめながらぷいっ、と横を向いたルミの姿を見て、ますます小動物のようだなと心の中で思った。だが口には出さない。彼女の怒りに火を注ぐことになりかねないのだ。
「あー、ところで……なんで放牧地の近くにいたんだ? ルミ」
「……大司教様の説法を聞いた帰り道だったんです」
「ああ、ここには大司教座もあるしな。で、どうだった?」
「説法の要点だけを述べるならば、戦時下であるからこそ信徒たちは団結し、責務を全うしろ、との事でした。つまり、男性を命がけで守れ、という事ですね」
女神教の教義の特徴の1つが、男性の社会的な役割を明確に定義してる事だろう。つまり、男性は家で女性たちの帰りを待ち、家事を行うものであると。
男女比が1:20だからこそ、種の存続に必要な男性は女性たちが身を挺してでも守るべき財産であると。その思想だ。
彼らの思想が根付いてるからこそ、男性の服装というのも昔から厳格に定義されてきた。顔はできる限り見せないようにして、肌も見せないように厚着をするようにと。
まぁ俺はそんな教義なんて無視して好きな物着てるが。そのせいで母上には何度も頭を抱えられた。ちょっと揉めたこともあったが、公の場では仮面を被り肌を見せないようにするという事でクダンスク島にいる時だけは好きな服装をしてもいいとお許しを貰ったのだ。
勲章の授与式で仮面を付けていなかったのは他に貴族が居なかったからだな。王女も堅苦しい事はしなくていいって言ってたし。母上からは睨まれたが。
――せめて好きな服を着る自由ぐらいは欲しいもんだがな。
「……その教義に疑問を思った事はあるか?」
「いいえ。ありませんね。実際、男性は守らないといけないですし。特に北方の遊牧民から」
この世界における男性は、基本的には魔力を持たない存在である。ごく稀に俺のような外れ値が生まれるが、それは外れ値であり平均ではない。
そして、魔法が一般的となっているこの世界では、魔力を持たず魔法が使えない存在は基本的に、戦えない存在として扱われる。
一般的な男性が庇護対象として扱われるのは自然な流れだ。
「まぁ、北方遊牧民の連中は男性の確保は死活問題だからな。ヴィスワ王国よりも男女比が歪だし」
「確か、1:30でしたっけ?」
歪な男女比にしてしまった一因はヴィスワ王国にもあるんだが、それについては触れないことにする。双方の歴史認識の違いとかそこら辺にも踏み込まないといけないしな。
「……彼女達は占領地で男性と見るや、北方平原に連れ帰ってると聞きます。貴方も捕まったら、北方平原で彼女達に『飼育』されることになるんですよ? それは覚悟の上なんですよね?」
「勿論、覚悟の上だ。まぁそうなるつもりは無いがな」
ルミが押し黙る。何かを言いたげに、こちらの瞳を覗き込む。暫く、沈黙。その後、パンドラの箱が開かれるように、重々しく口が開かれた。
「……英雄になろうとしていませんか? 今の貴方を見ていると、どうしてもそう感じてしまうんです。昔から無茶はしていましたが、先の戦い。あまりにも無茶な飛び方でした」
「……」
「言いましたよね? わたくし。英雄になろうとしてるなら、殴ってでも止めるって」
「……この戦争には、英雄が必要だ。皆の希望となるような、圧倒的な強さを持つ人間が。……それが俺だというのなら、なってやるさ。ヴィスワ王国の希望になってやる」
パンっ、と小気味いい音が響いた。俺の頬に強い衝撃が走る。
「英雄志望で飛ぶなら、死にますよ。英雄が1人で全てを救えるほど、甘い戦場ではありません! 貴方は地上に降りるべきだ、いつ死んでもおかしくない!」
「……本当に殴ったなお前!?」
もう一発頬が叩かれた。いてぇ!?
「殴ります、殴りますとも! わたくしが殴る事で地上に降りてくれるのならそれはもう何度だって! わたくしは貴方に憧れていました、だというのに……!」
返す言葉が無かった。
「アーク君。英雄になって、皆からチヤホヤされて、称えられて戦うというのが、貴方の本当に望んだことだったんですか!?」
「それは……」
……確かに、空を飛ぶたびに、俺の背中は不思議と重くなっていた。
「それでも、俺は空に上がらないといけない! 俺を待っている人が確かにいるんだから!」
「……そうですか」
ぷいっ、とルミが横を向いて、そのまま俺を置いて去っていく。去り際に「……3日後、小隊でのミーティングがあります。次の作戦が実行されることが決まりました」と、報告を行って足早に俺から離れていった。
結局、俺はその後姿が去っていくのを眺める事しかできなかった。