貞操観念逆転世界の空戦騎士 作:らいらいてー
横殴りの雨が俺とジュベックに叩きつけられ、風に煽られてバランスが崩れそうになる。何とか手綱を握りしめ、太ももに力を込めて鞍をがっちりと挟む。少しでも気を抜いたら吹き飛ばされそうだ。
『こちらユニコ。今回は偵察任務だよ。雨の中、低空飛行で敵占領地へと潜入し、敵の集結情報を探る。ちょーっと雨風がきついかもしれないが我慢してくれ』
『雨の中を飛ぶのでやっとだよ!』
ちらり、と後ろを振り返る。ルミの方は……何とか俺についてきてくれてるようだな。風に吹かれて堕ちないか不安だったが、それは杞憂だったようだ。
『……アーク君、この作戦が終わったらお伝えしたい事がありますが、よろしいでしょうか?』
『ん? ああ、構わんぞ。……まぁ、まずは任務を達成しなければならないがな』
……彼女からの提案が別の隊に移りたい、と言うものではないことを祈るしかないな。
それにしても、敵の哨戒網が以前よりも厳重になっているように感じる。大雨の中、しかも低空飛行で侵入してるっていうのに、敵の哨戒騎が巡回してるのを何度か見た。その度に雲の中に隠れることになって、そのせいで体も冷え切っている。これは戻ったら風邪ひくかもしれんな。
敵さんも、何度も占領地で空中輸送艦やらを攻撃されたせいで対策もしっかりしてるって事だろう。勤勉な味方なら頼もしいが勤勉な敵となると厄介極まりない。
『そうですね、まずは任務です。……そろそろ、軍港が見えてきますね』
『ユニコだ。気を付けろよ、敵の直掩騎も上がってる。偵察を終えたらすぐに退避するんだ』
陸地が見えてくる。かつてはヴィスワ王国軍においては最大規模の軍港の1つ。名はピラム軍港。雨脚が強くなり、軍港全体が雨のベールが覆ってるように見える。集結してる艦隊を捕捉。
戦列艦が20隻以上。フリゲート艦も50隻以上だろうか。魔王領軍の動かせる艦隊の大半がここに集結してる。そして警備も厳重だ。
軍港の至る所に対空用のパックルガンが設置され、ワイバーン用の厩舎がいくつも立ち並んでいる。厩舎の数から察するに、この軍港に集まった空戦騎士だけで200騎は下らないだろう。
『かなりの数ですわね。……特務機関が察知した情報は確かだった、という事でしょうか』
集結した艦隊でこちらの残存艦隊を叩き潰し制海権を確保。その後は陸戦部隊を揚陸するというシンプルな作戦を取ってくるだろう。戦力的に優位に立つ彼らには奇策を取る必要はないのだから。
『情報の裏取りも出来た、艦艇の数、そして空戦騎士隊の規模もある程度は持ち帰れる情報で推測できそうだな』
『こちらユニコ。念話を通して情報を確認した。お手柄だ、後は戻ってきてくれ』
記憶する。湾内に集まった敵の数。そして厩舎の位置、規模も。後は情報を持ち帰るだけ――。
そう思った所で、突如湾内に警報が鳴り響き始めた。
……まずいな、察知されたか!? 湾口を守るように設置された歩哨塔から光属性魔法が【刻印】が施されたマナ鉱石によって、増幅され照射される。――簡易的なサーチライトと言った所か!
光が、空を脇目もふらずに逃げ出そうとしていた俺達の姿を捉える。ひひん。と、これからどうする? と言いたげにジュベックの口から嘶きが溢れた。
『まずいっ! すぐに退避しろ、ルミ!』
『っ!?』
警報を聞きつけた空戦騎士たちが次々と緊急出動するのを確認。そして、歩哨塔からも水属性の槍が放たれた。数は合計12発。突き上げるかのように向かってくる!
魔力に反応して追尾する水属性の槍。良質な【触媒】でも使っているのか、長射程からこちらを追い詰めてくる!
『回避、回避!』
ジュベックの手綱を操りながら急旋回。しかしながらも、普段のキレがない。雨に長時間打たれながらの偵察任務であるせいで彼の体力も大分消耗してるようだ。ならば!
脳内でイメージを膨らませる。風の刃が舞うようなイメージ。詠唱する暇はない。無音。風属性の刃を生み出す、ウィンドカッター!
空中に生み出された、小さなつむじ風の刃が迫りくる槍の迎撃に向かう。こちらに迫ってきた水で作られた槍の内、7本。それを急旋回を繰り返して回避する。そして、空中で5本を打ち落とす。ぱぁん、と風の刃が叩きつけられた瞬間に小気味いい音が響き、水の槍は空中で
マズイ! スライムで作られてる!? 咄嗟に回避行動を取る。しかし、回避しきれずにジュベックの翼の一部にべっとりとスライムが絡みついた。そして絡みついたスライムはまるで意志を持つかのように雨の水を吸って肥大化し始める。――これでは動きが鈍る!
ルミの方は!? まずい、これを迎撃するのは止せっ!
咄嗟に念話で警戒しようとするが、僅かに遅かった。
魔法生物であるスライム。それによって作られた水の槍がルミに迫る。
空中に展開された天使の羽を思わせる光属性魔法によって阻まれ、打ち消される。そして、スライムが四散し、彼女に襲い掛かった。べっとりと彼女の純白の天馬の翼にスライムが絡みつく。
『くっ!? 動きが!?』
『また来るぞ!』
空中警戒として元々上がっていた空戦騎士達の影を捕捉。動きが鈍ったこちらへと接敵してくる。数は4騎!
彼我の距離600m。先頭に立つ敵騎から土属性の剣が生み出されて、投射される。狙いは動きの鈍ったルミ! まずい、ルミ自身の魔法による迎撃が間に合わない!
『このぉぉぉぉぉぉっ』
反射的にジュベックを滑り込ませて、ジュベック自身が傷つかない場所。【触媒】の搭載箇所で受ける。狙い通り【触媒】は犠牲になったが、ルミ自身を守る事には成功。
【触媒】が破壊されたことによって短距離の念話さえもできなくなったが、ハンドサインで撤退するように彼女に促す。
泣きそうな顔をして、こちらに何かを伝えようと彼女は叫んでいたが、雨と風がその声を打ち消す。暫くの逡巡の後、彼女は撤退を開始した。
敵の空戦騎士はこちらに一直線か。ジュベックの馬具に描かれた赤いアネモネに誘われてるかのようだ。エースの名は煩わしく思う事はあるが、こういう局面ではありがたい。そうだ、俺についてこい。
鞍越しに感じるジュベックの鼓動。普段よりも不規則に感じる。彼自身の疲労も溜まっているんだろう。……翼に纏わりついてるスライムが更に肥大化してる、動きが鈍い。
俺の気持ちを代弁してくれたのか、空から雷が落ちる音が響いた。
雷雲から不吉な音が響く。何とか高度を上げて、その中へと飛び込む。後ろを振り向く。――嘘だろ? 雷雲の中にも飛び込んでくるのか! よっぽど俺を殺したいらしいな!
後ろから迫る敵騎兵の数を確認。彼我の距離400m。少なくとも3騎はこちらに向かって来てる。それに対してこちらはどんどん翼についたスライムのせいか高度が下がり始めていた。
空が瞬き、雷鳴が鳴り響く。
覚悟を決める。ジュベックの疲労と、俺狙いである事の予想。任務を達成し、情報を持ち帰るための最適解を求める。一番犠牲が少なくなる、選択肢を。
ちらりと地面へと視線を向ける。下は森。
ジュベックの首筋を撫でる。別れを告げるように。耳元で囁く。俺という荷物がいなくなったらそのまま真っすぐに戻れと。賢い彼だ。こちらの意図を察したらしく、耳を少し絞った後に、頷くように小さく嘶いた。
鞍から滑り落ちるように、飛び降りる。高度1000m程からの自由落下。自殺したようにしか見えないだろう。助かるかも運次第だ。だが、少なくともこれでジュベックは生き残る可能性は高まるし、敵を引き付ける事でルミも逃げられる可能性が高まる。
あの時はルミが助けてくれたが、今回は助けてくれないか。……そして、雷雲の中に飛び込んで追いかけてきてた連中。あいつらもジュベックじゃなくて俺を追いかけてきてるな。急降下してるのが確認できる。
だが、遅かったな。一歩だけ。飛び降りた俺に意表を突かれたのがお前らの運の尽きだ。
枝木の中へと突っ込む。腕や足などに衝撃が走る。激痛。殺意の視線を向けて急降下して迫って来ていた敵の空戦騎士も、森の中に突っ込むのは避けたかったのか急上昇して俺から遠ざかっていった。
背中に激しい衝突音。激痛によってまだ生きてるという実感が覚えられる。枝木が俺と言う異物によってへし折られる音が響く。何度も響く。その音を聞きながら俺は意識を手放した。
◇◆◇
全身を蝕む激痛で目を覚ます。空を見上げるとまだ雨が降っていた。左腕を見る。あり得ない方向を向いている。利き腕ではないのが救いだ。
起き上がる。足元がふらつく。落下した際に、額でも切ってしまったのだろう。視界が赤く染まる。今回は治療してくれる人間はいない。ルミは逃げ切った、そう信じたい。
そこら辺に落ちていた木の棒を手に掴む、それを支えにして、何とか起き上がる。口の中も切ったらしく、口いっぱいに血の匂いが広がった。せき込む。血反吐が雨に濡れた地面を汚した。
「ふぅー……生きてるのは奇跡みたいなもんだな」
空を見上げる。積み重なった枝木がクッションになったのだろう。枝木がへし折られた木々が見えた。
話し声が聞こえてくる。咄嗟に茂みの中へと身を隠す。折れた左腕が激痛によって自己主張するが、それに構う暇はない。
「隊長、この辺には『アネモネ』の死体もありませんね」
「構わん、見つけ出せ。死体だけでも八つ裂きにして首を持って帰らんと気が済まん」
……本当にしつこいなこいつら! 木々の合間を低空飛行で縫うように飛ぶ空戦騎士達が見えた。彼女達の騎獣であるワイバーンも心なしかうんざりしてるような表情を浮かべてる気がする。
「あいつに何人、仲間が殺された? 私の姉も殺された。姉の墓前にやつの首を持っていかないと気が済まん」
「首から下は好きに使って良いんですか?」
「構わんぞ」
「やったー」
無邪気に首から下の俺の死体の使い方を聞いてもないのに隊長に語り始めた彼女の声を聴き、俺の背中に冷たい汗が流れる。
彼我の距離は30m。茂みの中に隠れて息を潜めているが、いつ見つかってもおかしくない。見つかったら重傷を負っている以上、逃げ切る事は困難だ。
一通り、部下が俺の首から下をどうするのか聞いた後に、首を持っていく気の空戦騎士は呆れた様子で口を開く。
「戦争前は信心深かったのに、今では随分と猟奇的な趣味に目覚めたんだな」
「私は悪くないですよ。戦争が私を変えたんです。どうせ殺し合いするんだったら楽しんだ方がいいですよね、ええ」
「……遊牧民的な価値観でも死体にそのような事するのはどうかと思うぞ?」
「隊長だって貴女の姉が堕とされるまでは、『現地調達』も極力しない真面目ちゃんだったじゃないですか」
戦争が、彼女達を変えてしまったんだろうか?
少なくとも、俺の行方を執拗に追っているあいつの人生は俺は壊してしまった。この戦争で殺した相手にも、間違いなく家族がいた。遺族に恨まれるのは、当然だ。
「今は違う。考え方が変わった。少なくとも敵国で『現地調達』して敵国市民で『楽しむ』のは最高だ」
「さっすが隊長! 北方平原の民らしくなってきましたねぇ! 探し終わったら他の連中集めて、近くの村で『お楽しみ』しましょう! 誰が一番『得点』を稼げるか勝負ですよ~」
彼女達は間違いなく侵略者だ。
だが、そんな彼女達にも家族がいて、守るべき人が居たんだろう。
そんな者達を、俺は国を守るという義務感から殺してきた。はて……? 義務?
元々空を飛んでいた理由が何だったのか、すぐには思い出せなかった。
だが一つ確信できたことがある。
彼女達の『順番』が来るよりも先に俺に『順番』が回ってきた。業の報いと言う名の『順番』が。
茂みに近づいてくる。敵騎の気配を感じる。短銃のグリップを握りしめる。彼女達に辱められる前に、少なくとも生きてるうちは尊厳を守るために。
俺のすぐそばに、ランスが突き立てられた。口から声が溢れるのを必死に抑える。
「んー、手ごたえ無しだな。……他の場所に移動したか?」
「この雨だと足跡が消えちゃうのが面倒な所ですねぇ、別の場所を探りましょう」
……どうやら、俺の『順番』が来るのはもう少し後のようだ。
◇◆◇
茂みの中に潜む。太陽が落ちたのか、夜の闇が辺りを覆い始める。
だが、まだ雨は止みそうにない。
意識が朦朧とし始める。走馬灯のように今までの経験が脳裏を過る。しかしながらも、この状況を1人で打破するのに役立ちそうな知識が思い浮かばなかった。死と言うのは無慈悲なものだ、誰にでもやってくる。
まだ動く右腕を動かし、あがくように周囲に何か落ちてないか探る。何かに当たる。感触的に、犬の鼻?
ワンっ、ワンッ、と犬の鳴き声が聞こえ、誰かが近づいてくる。逃れる術は無い。
「おい、誰か倒れてるぞ! ……装備から察するにヴィスワ王国軍か!? すぐに手当てする!」
誰かが俺の事を抱き起した。折れた骨が揺れ動いて痛みが走る。呻き声が俺の口から溢れて、自分の呻き声の音さえも少しずつ遠ざかり始めた。
「まずい、脈が弱まってる! 待ってろ、すぐに医者に連れて行くからな!」
そんなに急いで走るな、傷が痛む……。そう言いかけた所で俺の意識は完全に暗闇の中へと堕ちていった。
◇◆◇
目が覚める。知らない天井。少なくともここはあの世ではないらしい。
体を起こそうと無意識に左腕をベッドへと押し付けた。痛まない? 周囲を見回す。どこかの医務室だろうか? 横で椅子に座り、本へと視線を向けていた女性に気が付く。眼鏡をかけた、知的な印象を感じさせる妙齢の女性。
「お、目を覚ましたか。君も運がいいね、光属性魔法の使い手がここに居なかったら死んでたよ?」
「貴女が助けてくれたのか?」
「うむ。まぁ厳密に言えば君の事を見つけて連れてきたのは自警団の子達だけどね」
彼女の説明を要約するとこうだ。ヴィスワ王国軍が大陸から撤退後、各地の村は自分たちの身を野盗などから守るために自警団を編成した。そして、この村の自警団がパトロール中に俺を見つけて、ここに連れてきて治療を受けさせてくれたらしい。
「魔法で治療できる範囲の傷でよかったよ。だが、体力はまだ戻ってない。無理はするんじゃないぞ」
「恩に着る……」
彼女が差し出してきた熱々の小麦粥は、なぜか妙に塩気が強いように感じられた。
「さて、君の装備から察するに空戦騎士なのだろう? ……君達の活躍は魔王領の連中に制圧された我々も聞くよ」
「ああ、空戦騎士だ。だったというべきかもしれん。空から落とされて、魔王領占領地の真っただ中に取り残されたんだしな。戻る術も今のところはない」
おかゆを食べ終えて、遠い目をしながら外を見る。窓越しに女医さんが食器を片付けるのを確認できた。
「君は『レッドアネモネ』という二つ名を持つ空戦騎士は知ってるか?」
「……会ったことはあるな」
主に鏡越しに。嘘は言ってない。
「そうか。実在するのか。よかったよ、彼が実在することが分かって。彼に希望を見出す者達も多くてね。勿論私もその1人さ」
「希望?」
「そうとも、希望。自由への希望だ。解放者として魔王領の連中に怯えてる我々を救い出してくれるという希望だ」
「……」
「我々の日常を奪った魔王領の連中を薙ぎ倒す彼に一度でもいいから会ってみたいものだよ。そしてお礼を言いたい。戦う力のない我々に代わって、敵を倒してくれてありがとうと」
……今の俺にはそんな力はない。ジュベックやルミがどうなったのかさえも分からないんだ。もう、空に上がることはできない。【触媒】がない以上、魔法も使う事もできない。役立たずだ。
空を見ていると、雨の中、何かが近づいてきてる事に気が付いた。ワイバーンに跨ったゴブリンの空戦騎士たち。俺の視線の先が気になった様子で、女医も眼鏡をくいっ、と指で押し上げて、俺の視線の先を追う。
そして、顔色を一気に青ざめさせた。
何故ならば彼女達は、村の見張り台に樽爆弾を宣戦布告代わりに落としたのだから。
◇◆◇
「男を隠せ! 地下にだ! 戦える奴らは銃を持て! 略奪か……!」
村長の号令によって、自警団が集められる。戦争の影響か、旧式のマスケット銃を装備している者達の大半は年端も行かない少女だった。少女達が戦列を組むのを横目に、女医に手を引かれて、簡易的なシェルターにもなる教会へと向かう。
村の中に悲鳴が響き渡る。燃え盛る家々の炎相手に空から降り注ぐ雨は文字通り焼け石に水だった。家の中から炎に巻かれて飛び出してきた小柄な人影は水たまりに飛び込んで暫くもがいた後に、そのまま動かなくなった。
彼女の母親だったのだろう女性は動かなくなった彼女に駆け寄って声を投げかける。現実逃避するかのように彼女が好きだったのだろう歌まで歌い始めた。だが、動かなくなった彼女が答えることは無い。
娘の亡骸を抱えて、まだ息があると信じ込もうとしてる彼女の頭が急降下してきた敵空戦騎士の槍に貫かれて脳漿がぶちまけられた。肉片が雨に流されて、彼女が生きていたという痕跡を洗い流す。
「女は殺せ! 男は四肢をもいで連れていけ! 戦争サイコー! 何でも許されるんだからなぁ!」
腕が引かれる。その光景を目の当たりにして動きが止まっていた俺を咎めるように。
「君は早く地下に来い! 君も連れていかれるぞ!」
村で暴れまわる連中の姿に見覚えがある。俺の事を執拗に追いかけていた連中だ。……俺のせいで、この村が襲撃された?
「おいっ、待て! 死にに行くつもりか!?」
自警団の兵士がまた1人、いたぶるかのように放たれた魔法で四肢がもがれて芋虫のように地面へと転がった。風の刃、ウィンドカッター。俺もよく使う魔法がまだ10代半ばであろう少女の未来を奪う。
自分で歩くという自由を失った彼女のすぐ横に、血まみれになったマスケット銃が落ちた。
おかあさん、おかあさん、と何度かうわ言のように呟いていた彼女の目が虚空を見つめたまま開きっぱなしになり、彼女の命を繋ぎとめていた血が大地へと止めどなく溢れる。
出血多量で死ねたのは、幸せな事なんだろうか。彼女によく似た女性の首が空を飛び回る敵騎の手に握られた槍に突き刺されて晒し者にされてるのを見ずに済んだのだから。
地面に転がってる掌の中。指を何とか動かし、握られていたものを掴み取る。マスケットの弾薬。
マスケットの銃身に、同じように地面に転がっていた槊杖を掴み、火薬と共に押しこむ。
「へへへ、これで得点ゲットだ!」
こちらへと向かう敵騎を確認。狙いは、俺の事を助けてくれた女医。やらせはしない、という意志を込めて引き金を引く。
パンっ、と火薬が弾ける音が響く、だが、敵騎には届かなかった。
「オーホッホッホッホッ! こいつ女神教の聖印なんて持ってたぞ! 金になるなぁ!」
慌てて俺に駆け寄ろうとしていた女医の胴体が槍でぶち抜かれるのを、俺は見てる事しかできなかった。一目見るだけで助からないであろう、胴体に大穴を開けられてしまった女医の体が水溜まりの中に崩れ落ちる。
「き、君だけでも、早――」
俺へと手を伸ばそうとした女医の頭が、ワイバーンの足が踏み抜いた。彼女がそこに存在したと証明する眼鏡が、俺の方へと転がってくる。
『レッドアネモネ』という虚栄に希望を見出した女性は、その二つ名を持ち彼女を助けるべきはずの空戦騎士の前で無残に踏みにじられた。
「あーん? 男がいたぞ! 戦争って最高だよなぁ! 好き放題しても罰する奴は居ねぇんだからよぉ!」
眼鏡を拾い上げる。懐へとしまい込む。マスケット銃に銃剣を装着し、構えを取る。相手は空戦騎士、それに対してこちらは銃剣付きのマスケット。魔法も使えない。
「それだけで勝負するつもりか? はは、気に入ったよ。お前は四肢をもいで下の世話が必要なようにしてやるからよぉ!」
ランスを構えてこちらに加速して向かってくる相手。迫りくる死。目を逸らすことは無い。
「――勇敢だが、無謀だな」
空から飛来! 黒竜に跨り、ボロボロのキュイラスを身に着けた空戦騎士。彼と目が合う。微笑みかけられたような気がした。……俺の正体に気が付いてるだろうに、それを気にしてるそぶりは見せない。
「――黒の4!?」
俺と略奪者との間を遮るかのように降下した空戦騎士は、感情を伺う事ができない瞳で自らの友軍であるはずの人物を見つめた
「あ、あのぅ。これは現地調達の一環でして……」
「現地調達を行うにしても、軍票を渡すというのが我々の軍規であるはずだが? 獣になるのは、許しがたいな」
「――ごちゃごちゃうるせぇんだよ! 遊牧民が略奪して何がわりぃんだ! 死ね!」
逆上して迫るゴブリンの空戦騎士は、すれ違いざまに放たれた黒の4のランスの一撃によって討ち取られる。
「粛清が必要らしいな。軍紀は法だ。その法に従えないならば軍隊と言うのはただの野盗の集団にすぎん」
村を襲撃した魔王領軍の空戦騎士1個中隊。その大半は一晩のうちに討ち取られることになった。
だが、黒の4が暴れまわり、略奪者を駆逐していくのを俺は地上から見てる事しかできなかった。