貞操観念逆転世界の空戦騎士 作:らいらいてー
――魔王領軍天幕。
草原の天幕と違い、鹵獲したヴィスワ王国の天幕はかなり脆そうに見える。簡易ベッドに横たわる釣り目が特徴的な竜人。アセナ・ドラコーンはつまらなさそうに天井を見上げた。
「つまらん。コーバの背にいつになったら乗れるのかのぅ」
「少なくとも、首の傷が完治するまでは空に上がるのはダメですよ。姫様。コーバもレッドドラゴンでスタミナがあると言えど、暫くは休養が必要でしょうから」
「むぅー! またあいつにしてやられたのじゃ! このわらわが!」
「回復魔法を使ったとはいえ、まだ完治はしてないんですからあまり叫ばない方がよいかと」
シルクが使われ、中には羽毛が入った最高品質の枕が空を舞う。地面に落ちる前に余計な仕事を増やすなと言いたげに若干殺気立ったメイド長がその枕を宙でキャッチした。
「大変! お怒りですよ! 貴女様の母上! それはもう逆鱗に触れたかのようでした!」
「ひぇ……」
「度重なる任務の失敗! 貴女様が空戦騎士総監の娘の1人じゃなかったら騎竜を取り上げられてましたからね!?」
「じゃ、じゃが……わらわだって最善を尽くしたんじゃし……そ、そんなに怒らなくても……」
はぁぁぁぁぁっ! メイド長の口からは大きなため息が漏れた。
「貴女様が自分の父親に憧れてる気持ちは分かります。あの方は魔王領空戦騎士隊の誇りですからね。ですが貴女様は自分の立場を知るべきだ」
「うぐぅっ」
「軍の高官の娘が空に上がるのはよくないですよ? しかも好きな男の尻を追ってるってのが最悪です」
「うぐぅ……! じゃ、じゃが……! 父上以外にあんなに強い男の空戦騎士は見た事無かったのじゃ! わらわ、どんな形でもいいから欲しい! 欲しい欲しい~!」
「わがまま言わない! 貴女の母君だって男性からは種を貰ってるだけで番にはなれてないでしょう!?」
「ずるいのじゃ~! 鳥だってドラゴンだって異性と結ばれて添い遂げてるのじゃっ! ずるいずるい~!」
竜人の背丈と比べると30cm以上は差があるだろうゴブリンのメイド長はこめかみを抑えた。頭が痛む。有力部族の長。その末の娘として生まれた彼女には望まれたものが全て与えられた。北端でも貴重な資源である男以外は。
強さを尊ぶ北端平原の民にとっては、自分よりも強い男は求愛対象として人気なのは分かる。だがそれがよりにもよってヴィスワ王国の空戦騎士とは。
「失礼する――って、そんなに騒いでどうした? アセナ」
「あっ、父上!」
「ミレー百騎長」
オフの日であるらしく、酒瓶を片手に天幕へと入ってきた彼へと主従の視線が集まる。ほのかに香る蒸留酒の香り。ちょっと酒臭いとメイド長は感じた。
「父上! あのね! 母上がわらわのことをいじめようとしてるの!」
「多分自業自得ではないかな……?」
ベッドから起き上がり、腰へと抱き着いてきた彼女の頭を、黒の4は撫でた。娘は合計して20人いる。そのうちの1人だ。角に触れないように、その頭を撫でる。
「父上だけはわらわの味方だと思ったのに!」
「自分の子どもが間違った事をしようとしてたら叱るのも親の役割だろう?」
「じゃあじゃあ! わらわ、欲しいものがあるのじゃ! ヴィスワ王国の空戦騎士! えーっと……『レッドアネモネ』って呼ばれてる人! わらわの番にしたい!」
軍属にするにはあまりにも精神性が幼すぎる。が、魔王領軍の若手の中ではトップクラスの実力があるのが厄介な所である。
軍内でも『彼』の名を聞く機会は増えた。『風の憤怒』『風の暴君』『血塗られたアネモネ』。西部の作戦に従事することになった空戦騎士達は様々な名で彼を呼ぶ。
はて、彼の実力がその二つ名に見合うものか。空戦を通して彼がどんな人物なのか確かめるのも良いだろう。そう黒の4は考えてるようにメイド長は感じた。
◇◆◇
わたくしの母親の顔はもうおぼろげにしか思い出せない。少なくとも立派な人物では無かったのは確かで、方々に借金をしていました。
森の外に憧れて都市部にやってきて、ギャンブルにハマる。都市に出てきたエルフにありがちな事をやらかしてしまった彼女は、財産として管理されている男性の方。つまり、わたくしの父親ですね。わたくしの父親と酒の勢いのまま寝たそうです。
その結果としてわたくしが生まれて、物心つく頃までは母親ごっこをしていました(まぁ、そうは言っても家に閉じ込められてたまに戻ってきた母親から食事を与えられるだけの生活ですが)。が、面倒になったのでしょう。
教会に借金のカタとしてわたくしを入れました。
教会での生活は悪くはありませんでした。毎日女神様に祈りを捧げ、決まった時間に寝て、起きるの繰り返し。繰り返し、繰り返し、繰り返し……。時には神殿にやってきた迷える人の悩みを聞き、あるいは傷ついた人を治療する。決まった道の上を歩き続けるという日々。
戦争が始まっても、やる事は変わらない。女神教の信徒として人々を癒し、導く。
だというのに、そんなわたくしの前に貴方が現れた。アーク君。貴族、しかも男性の身でありながら、空戦騎士と言う道を選んだ変わり者。
無茶ばかりする、わたくしが居ないと何度も命を落としていたかもしれない人。
いつの間にか、わたくしはあの人の事ばかり考えるようになりました。
「……」
スケッチブックをめくる。彼のスケッチを見る。指で輪郭をなぞる。僅かに黒鉛が指に付着する、後で指を洗わないといけませんね。
この人の全てを管理し、わたくしが導かねばならない。そう考えたのはいつからでしょうか? おやすみからおはようまでわたくしが付きっきりで管理しないと、いつか彼は破滅するでしょう。これはきっと仕方ないことですわ。
そう、仕方ないこと。決して、わたくし自身が邪な思いを持ってるという訳ではありませんわよ。
あ、でも確かにわたくしとアーク君が結ばれるということを考えると、胸が高鳴ってしまいますわね。しかし、これは必要なことでしかない。無茶ばかりする彼の管理は誰かがしないといけないのだから。なので母親と違って性欲に従っての行動ではありませんわ。ええ、決して。これは彼を守るための行動方針。
以前の空戦で交戦したアーク君を番にすると言っていたあの空戦騎士。ついでにアーク君を邪な目で見る女ども。彼女達の魔の手から、わたくしが守らないと。置いていかれるのは、もう嫌だから。
……誰かに執着するなんてこと、今までは無かったんですけど、ね。そう小さく独り言を呟き、わたくしはスケッチブックを閉じました。
◇◆◇
「陛下。アークを後方勤務にして貰う事はできるでしょうか?」
女王マグダレーナの執務室となった、クノール家のゲストルーム。大理石で作られた臨時の執務机から顔を上げた彼女は、糸目を僅かに開いてリネの方へと顔を向けた。
「うーん……何度も言ってると思いますが、そうもいかないんですよねぇ~。貴女も知ってるでしょう? こちらの台所事情」
【触媒】の原材料となるマナ鉱石をドワーフ商人から輸入できてるのは、曲がりなりにも国家の体制を維持できるからこそ。そして、その国家の体制を維持するためには勝利が必要不可欠だ。もし、一度でも軍が立て直せなくなるほどの大敗北を喫する事があれば、沈む船から商人たちは逃げ出すだろう。
「勝利の為に、ですか。クノール家を蔑ろにしてるように私は感じるのですが」
「いえいえ、そんな事はありませんよ。クノール家には彼が戦い、戦果を得ることによって得られる名声があるじゃないですか」
貴族には、確かに他の家に侮られないようにするために、武威が必要だ。それは、リネ自身も熟知している。アークが戦えば戦うほど、名声、そして武威は高まり、結果として家の格に繋がる。
「勿論、貴女には多大な負担をかけている事は申し訳なく思ってます。戦争に勝利した場合には、貴女が望む恩賞を与えましょう」
――戦争に勝てれば、の話でしょうに。喉元まで出かかったその言葉を、リネは何とか飲み込んだ。
◇◆◇
「インタビューに協力していただいてよろしいでしょうか? あ、快諾していただいてありがとうございます! ではインタビューを始めますね!」
「いや、別にインタビューを受けるとは言ってないんだけど~」
「ボク、これから図書館で本を読みたいんだけど」
「まぁまぁ、そう言わず! アーク様が属している小隊長と、隊員の目線で彼についての事を聞きたいんです!」
ユニコとカミラはお互いの顔を見合わせた後、勝手にインタビューを始めた記者――リコの方へと視線を向けなおした。ああ、これはインタビューに答えるまで解放してくれないぞと若干の諦観を滲ませて。
「んー、まぁ腕は立つよ。多分うちの空戦騎士の中で一番強いんじゃないかなぁ~。でも若いね、彼」
「ほぅほぅ、陸戦騎士最強と謳われたカミラ隊長から見ても強いのですか!」
「強いよ。陸戦なら私が負ける気はしないけどね。でも若い! 無鉄砲すぎるよ~! 前の戦いなんて敵のドラゴンに乗り移ってたからね。いつ死んでもおかしくないよ?」
ああ、道理でリネ公爵の機嫌が今日の朝から悪かったのか。先ほどインタビューに伺ったリネ公爵が一言も発せずに護衛に自分をつまみ出させた理由を知り、彼女は1人納得した。
「まぁ、実力は確かで女性陣からの人気があるのは確かだな。彼に密かに思いを寄せてる空戦騎士、あるいは厩務員も多いという」
「ほぅほぅ! やっぱり人気なんですか~」
ちっ、と記者は心の中で舌打ちした。やはりアーク様を狙うよそ者は多いと。自分たちが先に彼を狙っていたのに。
「うむ。まぁボクは男性との色恋沙汰よりも、本の方が興味あるがね。ただ、やはりボクから見て彼は放っておけないなって印象を受けるよ。危なっかしくて傍で見てやらないと不安というか」
「あ、その気持ち分かります! 私も小さい頃からアーク様の事は見てきましたけど~。小さい頃から無鉄砲な事ばかりしてましたもん! 屋敷の2階から傘を持って飛んだりとか~」
「彼の母親は小さい頃から随分と苦労しただろうな」
はは、と笑うユニコの姿を見て、記者、リコは何も知らないよそ者の癖にと心の中でもう一回舌打ちした。貴族の身でありながら街の子どもと遊び、泥だらけになる事も厭わなかった彼。彼はこの島の若い女性たちにとっては憧れの存在なのだ。何より庶民との距離が近い。ギリギリ頑張ったら手が届きそうであるという立ち位置が魅力的だ。
リコ自身も、彼と関係を持ったうえで島から脱出するという事を具体的な計画として立てた事もある。だが戦争が始まったせいで彼は軍隊に行ってしまったため、その計画はおじゃん。
貴族の1人息子との駆け落ち。陳腐な小説でさえも描かれないであろう、この世界においては非現実的なロマンは確かに手に届く位置にあるのだ。
――なんにせよ、戦争が終わらないことには彼と結ばれることは夢のまた夢ですね。心の中で小さくそう呟きながら、記者と言うフレンドリーな仮面に笑顔を張りつけた。
なお、余談だがリコ以外に少なくとも10人は似たような計画を立てている空戦騎士、厩務員、陸戦騎士、海戦騎士、その他軍属がいることは記しておく。
◇◆◇
ジュベックの横腹を拍車で叩く。空へと舞い上がる。星々が彩る空と言う名の宝石箱へと視線を向ける。赤、黄色、青。3つの月がひときわ強く光り輝いてるように見えた。
肩の傷はまだ多少は痛むが、問題はない。
夜風が俺の頬を撫でる。ジュベックの体温を鞍越しに感じながら、薄れゆく前世の記憶を思い浮かべる。
前世から俺は、夜の空を飛ぶのが好きだった。北方からの領空侵犯機へのスクランブル発進。その時に見上げた空と、今の空は全く違う。星空の明かりの強さも、月の数も。
「なぁ~、ジュベック。このまま1人と1頭で背負ってる責任を全て投げ出してどこかへと逃げようか?」
冗談めかしてジュベックに語り掛ける。首筋を撫でる。ぶるるっ、とあまりにも無責任な事を口走った俺を咎めるように彼は嘶いた。
そうだよなぁ、無責任だよな。分かってるよ、そんな事ぐらい。
「輸送艦隊を攻撃したんだ。相手も報復の為に攻撃を仕掛けてくるだろうさ。戦えば戦う程、厳しくなる」
次、無茶な事をしたら振り落とすと言わんばかりに、ジュベックの耳が絞られた。すまんな、前回の戦いは確かに無茶しすぎだったかもしれない。彼の頭を撫でる。心地よさそうに尻尾が振られた。
「また新しい一週間が始まるな。降りたら早めに休もう、お互いに」
彼の馬首を、地上へと向ける。夜の遊覧飛行はここまでだ。明日からも、戦いの日々が始まる。
以前までは、夜にジュベックと飛ぶことは大好きで仕方なかった。だが、不思議と今日は気持ちが乗らなかった。