璃華子の挨拶を受け、依頼主であるヴィネガー・ドッピオは、人当たり良く笑って挨拶をする。
「いえいえ!こちらこそお受けくださりありがとうございます!それに、わざわざこんな所までご足労いただきありがとうございました!Msテンカ」
「……歓迎のほど大変感謝致します。本日は採寸と依頼内容の確認だけさせて頂きたく参りました。お茶を飲む間もなくお暇いたしますので、お気遣いなさらず」
璃華子の言葉を聞き、今から茶を入れようと思っていたドッピオは目を丸くした。
「ええ!こんな所までいらしてくれたのに、なんだか申し訳ないなあ……そうですか、ううん、よろしくお願いします!あ荷物は是非こちらへ!」
「ふふふいえ。あらありがとうございます。……ご依頼内容、秋冬用のコートとありましたが、製作はドッピオ様の採寸で宜しいのでしょうか?」
「?ええ!」
ならば早速…と璃華子は軽く会釈をして、トランクケースを案内された机の上に置いた。
すると突然、ドッピオは自分の口で電話音の様な謎の言葉を繰り返し、ハッ!と部屋の中をキョロキョロと見渡した。
璃華子は柔らかに口角を上げたまま、その不可解な行動を観察するようにじっと見つめた。
ドッピオはそのまましばらくキョロキョロしたかと思うと、部屋の棚の上に置いてあった猫の置物を掴み、電話に出る様な素振りをした。
「ハイッ!もしもし!ドッピオです!」
「…」
「…ああすみません!緊急の電話が、少しお待ちいただけますかッ!少し失礼します!……もしもし」
ドッピオはそのまま慌てて扉を押して部屋を出ていった。
璃華子はその姿を見届けると、彼が戻ってきた時すぐ採寸が始められるようにと、平然とトランクケースを開きメジャーとメモ用のノートを取り出した。
彼女の客には、こんなにも不思議な顧客が多いのだろうか?ドッピオの行動はあたかも普通と言った様子で、彼女は着々と準備を進めている。
「…」
ドッピオは、数分も経たないうちに帰ってきた。
「すみません!お待たせしました!」
「いえいえお気になさらず。採寸はこの部屋でさせて頂いてもよろしいですか?」
「ええ勿論!」
「では、早速ですがよろしくお願いいたします」
ドッピオは徐にカーテンを閉め、ドアに鍵をかけ、その場で少々恥ずかしげに洋服を脱ぎ始めた。
採寸を始めてから、15分後
会話も程々に、依頼主の全ての身体の採寸をし、全ての数値をメモしていた時。ドッピオが、少し息を潜めて璃華子に聞いた。
「…そのメモは…この依頼が終わった後もずっと残しておくものなんですか?」
「…いえ。制作が終わり次第処分しますよ。直し作業するに当たっても、サイズというのは制作当時から多少なりとも体重の増減や身体の成長で変化するもので、残しておいても意味が無くなるものですから」
「…そうですか…突然変なことを聞いてすみません!」
「フフフ、いえいえ、全く大丈夫ですよ お気になさらず」
少しばかり、カリカリと紙にインクを記していく音だけが部屋の中を響いた。璃華子は一通り記録を記し終えると、ドッピオに顔を向け、目を合わせて問いた。
「ドッピオ様、今の段階で想定している理想のコートの色や形はありますか?」
「理想の…?あー、ア…いえ、その恥ずかしながらなにも…」
「では…サンプルとして全体シルエット、襟、袖、裾細部のデザインカタログと色見本、一通りの素材を持ってきているので、理想的な物が見つかれば…嗚呼もちろん全てお任せ頂いても大丈夫ですが…折角なので」
そう言うと璃華子は、トランクケースの中から分厚いカタログと色見本、生地の素材多くを取り出した。
ドッピオはそれを見て思わず目眩を起こす。
「こっ、こんなに…」
「ふふふ、ゆっくり好きなだけお悩みください。ドッピオ様が気に入った理想的なものが見つかれば、逐一メモをするか、わたしに連絡を下さい」
そう言うとドッピオはあからさまに困り眉になり、こんなの何週間掛かるか…全部任せちゃっても…ボスに聞いてみても…とブツブツと独り言を唱えていた。
「嗚呼!なにも一つに絞らなくて大丈夫です。好きだな、と思ったモノ全てを選んでくだされば……最終的にはわたしが、ドッピオ様の理想的なコートを創り上げますから」
「………そんなに言い切れるなんて凄い…カッコいいなあ……ふふふ!なんだか急にワクワクしてきましたッ!ずっと緊張が大きかったのか…」
「…フフフ!それは良かったです。お客様に喜んで貰うのがわたしの仕事なので。さて、お話も採寸も済んだことですし、今日のところはわたしはこれで」
璃華子がトランクケースにメジャーとメモを仕舞いそう言うと、ドッピオは「エエッ!!?」と大きく声を上げて、壁の時計を三度見した。
「まだいらして1時間も経ってませんよッ!本当にここまで来てもうお帰りに!?」
「ンフフ!ええ。お客様によっては理想を見つけ決めるまで付きっきりの方もいますが、ドッピオ様はリラックスした状態で自分の好きをお求めになった方が、より良い1着が仕上がりそうです」
「……はあ…なるほど………自分の好きを…」
ドッピオは、机に並べられたサンプルやカタログたちを横目でジッと見つめた。すると段々、少し不安そうだった表情が和らぎ、下がっていた口角は少しだけ上がっていく。
好きなだけじっくりとカタログを眺めて、自分の好きを決めていく。その過程へのワクワクした高揚が隠しきれていない。
璃華子はその様子を見て優しく微笑んだ。
「…では、今度こそ今日はこれで。採寸のご協力ありがとうございました。焦らずゆっくり選んでくださいね。どうしても決められなかったり、何か疑問があればすぐにご連絡ください」
「ハイッ!すみません、わざわざありがとうございました!またよろしくお願いしますッ!」
「フフフ、よろしくお願いします」
互いにお辞儀し合い、少しだけ笑い合うと、遂にトランクケースを持ち、璃華子はその一軒家を後にした。
璃華子が去ったその夜
「……ふふ、どれかひとつなら、ぼくはこの結べる形が好きです!………エッ!ボスはさっき言ったボタンのヤツですか!?ウワーッ!それもすごく悩んでたんです!……ふふふッ!悩んじゃいますね!」
イタリアの静かな街に佇む一軒家。
そこでは、机に並んだカタログを前に、電話越しに自分たちの理想を議論し合う、どこか楽しそうな声が響いていた。