――彼は夢を見ていた。
かつて彼が、ただの『モノ』であった頃の記憶。
幾百、幾千もの探索者たちが彼の元を目指して向かって来た、昔の夢。
そしてついに辿りつく男女の二人。
そう、それは古い記憶。それは、彼が人間ではなく――。
「――桜蘭(おうらん)くん! ちょっと、桜蘭くん!」
「ん……にゅ……?」
「起きなさい、桜蘭くん」
肩を揺さぶられ意識が浮上する。目の前には見慣れた教室と、先生が呆れと心配が入り混じったような表情でリオを覗き込んでいた。
「もう少しで卒業だというのに、本当に大丈夫かね、君は。探索者を目指すのだろう? これから学ぶ『異界学』は、進学先でも役立つ知識なのだから、ちゃんと起きていなさい」
ゆっくりと覚醒した彼は軽く周囲を見て、状況を把握したようだ。
どうやらまた前世の記憶を夢で見ていたらしい。
それは彼が人間ではなかった、生まれる前の記憶だ。
寝ぼけた頭に、状況を改めて叩き込もうとする彼の様子を見て、先生は諦めたように大きなため息をついた。
「まだ、ぼーっとしているようだね。では、ついでに質問をしようか桜蘭くん。何故、人の侵入がないダンジョン……正式名称『異界』は、定期的に魔物を外部へと排出するのかね?」
「あー……えっと……、それは、その……ムラムラするから、です」
「桜蘭くんっ!!」
先生の怒声と同時に、教室中にどっと笑い声が響き渡る。
結果、彼は「教室では適切な発言を心がけるように」「ふざけるのも大概にしなさい」と、こっぴどく叱られるハメになった。
彼にとってその答えは、前世の経験から真剣に答えたつもりだったが、残念ながら世間と彼の常識は少しズレていたようだ。
授業が終わり、リオは窓の外で部活をしている運動部を眺める。
いつもの見慣れた景色だ。
(……もうこの学校ともお別れかあ)
彼が人間に転生して体験した衝撃、それは感情だった。
空腹や眠気といった根源的な欲求から始まる渇望と、それが満たされた時の充足。
そこから派生する、あらゆる感情の複雑な変化。
そのどれもが彼にとって転生する前の単調さとは程遠く、新鮮で刺激的だった。
その感情を彼はしっかりと味わいながら、校庭を眺める。
「リオ、なにぼーっとしてるの? 最後の授業で怒られたの効いてる?」
声の方に振り向くと、ゆるいウェーブのかかったショートカットの少女が、好奇心に満ちた目でこちらを覗き込んでいた。
彼女は東山 透香(とうやま とうか)。
リオの幼馴染であり、俗に言う腐れ縁というやつだ。
「なんだ、トウカか。いや、これで普通の授業も見納めかとおもうとな……」
「え!? リオってそんな感傷に浸れる心、持ってたんだ!?」
「むぅ……」
子供のころから相変わらず失礼な奴だ。
彼はそう思いながらも、直接文句をいうつもりはない。
ただ文句を言う代わりに、じっとりとした視線で無言の抗議を彼女に送る。
そんなリオの抗議が効いたのか、トウカも少しだけバツが悪そうに頬をかく。
「あー……ごめんね。リオがクールぶっても子供のころから実は情緒豊かなのは知ってるよ。四つの時に、おねしょしたのがバレないように必死に隠そうと――」
「おいこんな所でそれ以上言うな。頼むから」
「あはは、ごめんごめん。でも来月から引っ越して新天地なんだから中二病っぽい言動は抑えてね。私も恥ずかしくなっちゃうし」
「……そもそも、なんでお前まで探索者を目指そうと思ったんだ?」
「なんでって……別にいいじゃん、そんなの」
先ほどまでのからかうような口調とは打って変わって、トウカは少し拗ねたような顔でそっぽを向く。
ダンジョンに潜って能力を磨きたいだけなら、近隣にも専門の学校はいくつか存在する。
だが、それにもかかわらず彼女は、リオと同じ学校を選んだのだ。
「まあ、言いたくなきゃいいけどさ。とりあえず来年もよろしくな」
「……うん! よろしくね、リオ。ずっと一緒だよ!」
よろしくの一言で途端に機嫌を直したトウカ。
そんな彼女にリオは笑顔で拳を突き出し、それに合わせて彼女も軽く拳を合わせる。
グータッチの小さな音が、二人だけに聞こえた。
遠く離れた新しい場所でも気心の知れた知り合いがいるというのは、やはり心強い。
新天地での生活が、刺激的で楽しいものであってほしいものだ。
リオは窓の外に広がる青空を見上げながら、そう願った。
***
中等部の卒業式から数週間後。
リオは進学予定の学園都市へと向かうバスに揺られながら外の景色を眺めていた。
本来ならトウカと一緒のバスに乗る予定だったが、引っ越しの準備が終わっていないらしく、彼女は午後の便で後から来るそうだ。
そのためにリオは一人、このバスの走る音を聞きながら揺られている。
バスが山あいの峠を越え、視界が開ける。窓の外に広がっていたのは、周囲の自然とは不釣り合いなほどに発達した都市の姿だった。
あの中心部に聳え立つのが、リオの目指すダンジョン兼学園都市、『マガツ学園』だ。
「ここが俺の進学先か……」
都市の中央、ひときわ巨大な学園を見下ろしながら、彼は静かにそうつぶやいた。
ガタガタと揺れるバスの中、鞄から入学案内を取り出して、改めて目を通す。
“合格通知 桜蘭 リオ様
この度は、マガツ学園高等部への在籍資格が認められましたことを通知いたします”
簡潔な文章と、目的地までの地図だけが記された紙。それを街と見比べているうちにバスは街の中心部、駅前のロータリーに滑り込んだ。
駅周辺はそれなりに発展しているようだが、人影はまばらだ。
地図の案内に従って歩き出すと、入学予定の学園が遠くに見えてくる。
随分と立派な門の校舎だ。
だが今日の目的は学園ではない。その裏手にあるはずの学生寮だ。
この学園……いや、この都市には分散する形でいくつかの寮があり、成績に応じてグレードの高い寮へ移る事も可能らしい。
「……俺が寮で共同生活なんて、ダンジョンだった頃は考えもしなかったもんだ」
思わず独り言が漏れ、慌てて周囲を見回す。
幸い、誰にも聞かれてはいなかったようだ。小さく安堵の息をつく。
(まあ、ダンジョンコアから人間に転生した、なんて人に話しても信じてもらえるわけ無いか)
リオが人間として生を受ける前――前世の彼はダンジョンコアだった。
もっとも、当時の彼に明確な意思や思考があったわけではない。
ダンジョンコアの意識は、ただ本能に従って余った魔力を魔物や道具に変換して侵入者に処理させ、ときには侵入者そのものを撃退する……。その単調な営みを延々と繰り返すだけの、人間から見れば、ひどくぼんやりとしたものに過ぎなかった。
だが、その永遠に続くとも思えた単調な日常は唐突に終わりを告げる。
ある日、男女二人組の探索者が試練を乗り越え、ダンジョンの最深部、コアの前へ到達したのだ。
侵入を許したコアにできたのは、破壊される直前、最後の悪あがきとして自らを爆散させることだけだった。
ほとんど意味のない攻撃だ。
しかし砕け散ったコアの欠片は偶然にも女性探索者の体に突き刺さり、その欠片が持つ魔力と、その魔力に宿っていたコアの意識が、彼女の体内へと流れ込んでいった。
流れ込んだ魔力と意識は、本来なら溶け込み消え去るはずだったのだろう。
だがなんの因果か、コアの意識は彼女の胎内で芽生えていた新たな命と混ざり合い、一つになった。
そうして皮肉にも、彼は自らを滅ぼした探索者の息子として、この世に生を受けたのだ。
それがリオの第二の……いや、初めての“人”生だった。
初日は2話まとめて投稿。以降は一日一回