午後の授業は待ちに待った異界実習の時間だ。
新入生の一団は、引率者の後について学園の奥深くへと足を進める。やがて彼らの前に現れたのは、生い茂った木々に囲まれた古びた神社。その社の奥で、ダンジョンへと繋がる空間の歪み――『ゲート』と呼ばれるそれが、陽炎のようにゆらゆらと揺らめいていた。
神社の前にはすでに他の生徒も集まっており、期待と不安の声が聞こえてくる。
その人垣の中に、リオはトウカの姿を見つけた。
彼女はこちらに気づくと、ぱっと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
隣でアキラも軽く手を上げて応える。
「リオ! アキラ! よかった、やっと会えた!」
「大げさだな、ちょっと会ってないだけだろ」
「だって、昼休みはチームの勧誘を断るのに忙しくて、学食にも行けなかったんだよ!」
トウカは拗ねたようにそう言い、心底うんざりしたといわんばかりだ。
その大げさな仕草をみて、アキラは呆れつつも楽しそうに頷く。
「あー、それな。あたしも聞かれたけど、最初のメンバーは決めてるからって断ったぜ」
「……俺のところには何も来てないな」
どうやら成長値が高く目立っていた二人は、早速いくつもの探索チームから勧誘を受けていたらしい。
一方で、成長値マイナスであることをアピールしたリオに声をかける者はいなかったようだ。
その事実に気がついたリオは、二人に気が付かれないよう、ひっそりと落ち込む。
「それより面談どうだったんだ? 能力、決まったか?」
アキラが尋ねると、トウカは少し照れながらも力強く頷いた。
「うん! 先生と相談して、第二世代の『くのいち』にしたの! これなら、リオたちと一緒に戦えるし、色々な状況に対応できるかなって!」
「くのいち、か。いいじゃねえか!」
リオは『くのいち』という職業をよく知らなかったが、忍者の亜種のようなものだろう。
トウカの桁外れな成長値ならば、すぐにでも頼れる戦力になるはずだ。
話を聞いたアキラは笑顔になると、拳を空に向かって突き出した。
「よっしゃ、じゃあ早速、三人でチーム組んで潜ってみるか!」
「うんっ!」
「ああ、よろしくな」
トウカも満面の笑みで頷く。リオも異論はなかった。
そうして互いに今後について話をしていると、やがて教師の一人が壇上に立ち、集まった生徒たちに注意事項を説明し始める。
「皆さん! これから初めて異界に足を踏み入れるかと思います。第一層は問題ありませんが、異界探索は原則として最大四人で行うこと! これを基本ルールとして忘れないようにしてください!」
「先生、なんで四人なんですか? もっと大人数の方が安全じゃないんですか?」
生徒の中から、当然のように疑問の声が上がる。
「いい質問です。異界の第二層以降では、五人以上のパーティーで突入した場合、メンバーが強制的にバラバラの地点に転移させられる現象が確認されています。故に、最も安全かつ確実に行動できる人数として、四人が推奨されている、ということですね」
その理由をリオは知っている。
答えはシンプルで、『なんか入ってきた人が多いから散らそう』程度の、極めて雑な判断で侵入者を振り分けているにすぎない。
その基準がおおよそ5人以上というわけだ。
「もちろん、大人数での攻略が全く不可能というわけではありません。事前に安全な合流地点を決めておいて、そこで再集結するという方法も戦術としてあります。ですが――」
教師はそこで一呼吸置き、声を潜めた。
「特に深層において起こる事なのですが――、同じ場所に長時間、大勢の人間が集まっていると、本来その階層には出現しないはずの、強力な敵が出現する危険性が報告されています。異界は常に予測不可能な場所だということを、肝に銘じておいてください」
ダンジョンコアは侵入者を『溜まった魔素を消費してくれる便利な生き物』程度にしか見ていない。しかし一度に侵入してくる数が多いか、あるいは通常ではありえないほど強い人間が入ってきた場合、コアはそれを危険と見なして排除しようとする。
ダンジョン攻略とは、コアに危機感を抱かせないよう密かに行うものなのだ。
「さあ皆さん、準備はいいですか? ゲートへ入りましょう!」
教師の号令を合図に、リオたちは互いに顔を見合わせ、力強く頷き合う。
人間としての初めてのダンジョン探索。
高鳴る胸の正体が興奮なのか、緊張なのか、あるいは別の何かなのかリオ自身にもまだわからなかったが、目の前のゆらめく空間の歪みへとしっかり一歩を踏み出した。
「ここがダンジョン?」
「配信で見たことあるのと、なんか違う……」
「まさに『異界』だね」
ゲートを抜けた先で、三人がそれぞれ声をあげる。
目の前に広がっていたのは、予想とは全く違う光景だ。
地面こそ草原だが、コンテナを改造したような店や屋台が所狭しと立ち並び、多くの人々が行き交う、さながら市場のような光景だった。
空を見上げれば、そこには青空が広がっている。
まるで別世界にきたような、そんな錯覚さえ覚えた。
これだけの人間がダンジョンに入っていたら間違いなく感知できるはずだ。
だが、リオの過去にそのような記憶は一切ない。
おそらくだが、この第一層は、正確にはダンジョンそのものというより現実世界と異界の狭間、ダンジョンから漏れ出した魔素が溜まる緩衝地帯といったところか。
彼はそう結論付けた。
「皆さんここが学園にある異界の第一層になります。ここは様々な探索用品が買える売店も多くあるので、気になった方は寄ってみるのも良いでしょう。安全圏はここを中心に半径1キロ程度、敵もほとんど現れません。ですが、ここはすでに異界です。気を付けて」
先生はそう言って紙屑を千切って地面に散らす。
すると紙屑は、ゆっくりと地面に沈み込んでいく。
ダンジョンの外から持ち込まれたものは、時間とともにダンジョンに吸収される。
その性質はここでも健在らしい。
リオが冷静に分析しながら隣を見てみると、トウカが恍惚とした表情で頬を染めていた。
「あぁっ……。リオに包まれてるみたい……」
「えっ……。なにそれ……」
彼女の突拍子もない発言に、リオは思わず言葉を失う。助けを求めようとアキラに視線を送るが、彼女もまた、どこか気持ちよさそうな表情を浮かべていた。
「ああ、わかるぜ……。この、実家みたいな安心感……。全裸で寝っ転がって羽根伸ばしてえ……」
「……普段はしっかりしているはずのアキラもダメか。まともなのは自分だけらしいな」
そう思い周囲を見渡せば、程度の差こそあれ、ほとんどの生徒が異界の濃密な魔素の空気に酔いしれていた。
「リオはなにか感じないのー?」
「いや……別に、いつも通りだな」
ダンジョンコアだった頃の記憶が刺激され、懐かしさはある。だが、それだけだった。自分だけが平然としているのは、もしかして成長値がマイナスであることの影響なのだろうか。リオは一人、首を傾げるが答えは出ない。
皆が魔素の空気に慣れようと奮闘している中、一人だけ暇を持て余したリオは、ふらりと教師の元へ歩み寄った。
「先生、暇なんでこのあたりの屋台を見て回ってもいいですか?」
「おや、もう異界に適応しましたか? 学園は自由を重んじますのでそれは構いませんが、先に『異能』を手に入れてみてはどうでしょう?」
「異能ですか。どうすれば?」
「簡単です。ただ念じればいい。欲しい力を、欲しい能力を、心の底から渇望するのです」
先生にそう言われ、リオは自らが欲している能力を考える。
欲しい力、それは『身体強化』だ。
強化された肉体で、この世界に生まれ落ちて初めて手に入れた感覚を、骨の髄までしゃぶり尽くす。食べる、聞く、見る、触れる、嗅ぐ。あらゆる快楽と興奮を味わい尽くすための、万能の力が――。
「欲しい!」
心の叫びが漏れた、その時。
リオの身体がまばゆい光をまとい、彼の望んだ通りに五感――視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚……。あらゆる感覚器官が同時に数百倍、数千倍の強化される。
それらの感覚器官を通じて得られる、凄まじい情報の洪水がリオを襲う。
そして次の瞬間――。
「あ、ぐ、ひぎゃあぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
リオの絶叫が第一層に響き渡った。
脳が処理できる許容量を遥かに超えた情報の濁流に飲み込まれ、彼はあっけなく意識を飛ばしたのだ。
「……ん。ここは……?」
「どうやら目が覚めたようだね」
消毒液の匂いとともに目が覚め、白衣を着た白髪頭の男が視界に入ってくる。
どうやら保健室のベッドの上らしい。
(……そうか。オリエンテーション実習中に気を失ったのか)
「大丈夫かい? 自分の状況はわかるかな?」
「ええ、かろうじて……迷惑をかけました」
「うん、気にすることはないよ。オリエンテーションで倒れた生徒は君が初めてでね、私も少し驚いただけさ」
その時、コンコン、と控えめなノックの音がして扉が開いた。
「失礼します。……あ、リオ! よかった、目が覚めたんだね!」
「トウカか。すまない、心配かけたみたいだ」
「それはこっちのセリフだよ! みんなが魔素に慣れてきた頃に、一人だけ派手に光って倒れるんだから!」
どうやらリオの気絶は、ちょっとした騒ぎになっていたらしい。
幸いにも検査の結果、身体に異常はないとのことだ。
「お迎えも来たことだし、そろそろ寮に戻りなさい」
「お世話になりました。ありがとうございます」
「いいよいいよ。どうせ何度も世話になるだろうから、気にしないで。ここを利用しなくなった人は死んでるか探索者を辞めたかだよ」
物騒な保健医の言葉を受けながら、リオはトウカと一緒に寮に帰る。
寮ではアキラが待ち構えており、再び心配されたのは言うまでもない。
こうして、リオの記念すべきダンジョン探索初日は、前代未聞の“オリエンテーション中に気絶”という、なんとも締まらない形で幕を閉じたのであった。