ダンの指導を受けた、その日の夕食時。
寮の食堂で、リオ、トウカ、アキラの三人は、リオ特製の生姜焼き定食を囲んでいた。
「――というわけで、私たちも異能を覚えたよ! まだまだコントロールは未熟だけど」
「すげーんだぜ、トウカの能力! 『くのいち』のスキルで分身を出せるんだ! しかも別々に行動できるんだぜ!」
トウカが興奮気味に報告し、アキラも自分のことのように胸を張る。
分身能力、それは確かに強力だ。
「それはすごいな。俺も基礎はできるようになったが、まだまだだ」
「明日はあたしらも先輩の訓練に参加するんだろ? 今日の特訓、どうだったんだよ?」
「殴られすぎて口の中が血まみれになったり、腹に痣がいくつかできた以外は普通だったよ」
「うわっ、マジか! あの先輩、やっぱ容赦ねえな!」
苦々しく告げられた言葉に、アキラもまた顔をしかめた。
「スパルタって奴か……。アタシは殴られたら殴り返しちまうから喧嘩になっちまうな」
「まあ俺の場合は、能力をコントロールするために殴ってたみたいだけどな」
「ん? どういうことだ?」
「能力が暴走して気絶しかけるのを、殴られて無理やり起きてた」
「……それ、特訓っていうか拷問じゃねえか?」
話を聞いたアキラはドン引きしていた。
その感想も無理のないことだ。
「でも能力はコントロールできるようになったんだよね?」
「ああ。五感のうち、二つまでなら同時に起動させても問題なく使いこなせる。明日は攻撃力についての訓練をするみたいだな」
「へえ。て言ってもよ、戦闘で役立ちそうなのなんて、視覚と聴覚、後はせいぜい嗅覚くらいのもんだろ? 味覚とか触覚は使わねーんじゃね?」
アキラが、どこかからかうような口調で言う。
確かに、直接的なアドバンテージにはなりにくいかもしれない。
だがそれも使い方次第だ。体験すればその効果が分かるだろう。
リオは実際に、使い方を見せることに決めた。
「例えば――こういう使い方もできる」
「えっ、ちょっとリオ!?」
「あ? おいおい、何する気だよ」
リオは不意にアキラの手を掴んだ。
いきなりの行動に驚くトウカをよそに、リオは意識を集中する。
――触覚強化『付与』、発動。
あくまで「実験」だからな、そう考えたリオは、かなり弱めに能力を発動した。
「……ん? なんだ……これ……。んんっ!? ンッ、ああああぁあぁぁぁ―――っっ!!!」
リオは掴んだ手の甲を、指先で軽く撫でた、ただそれだけ。
次の瞬間、アキラは椅子から転げ落ちんばかりに体をのけぞらせ、絶叫した。
「お、おまっ……! なんてこと……しやがるんだ……!!」
ぜえぜえと肩で息をしながら、涙目でリオを睨みつけるアキラ。その顔は真っ赤に染まっている。
「悪い、痛かったか? 感度を強制的に上昇させて、刺激で攻撃する方法をやってみたんだが」
「い、痛くは……ねえ! 痛くはねえけど! そういう問題じゃねえだろうが! 絶対に! 二度と! あたしにそれをやるなよ!! 分かったな!!」
必死の形相で訴えるアキラ。
リオにしてみれば百分の一にも満たない強化のはずだが、どうやら刺激が強すぎたらしい。
そのようなことを考えていると、ふと、背筋が凍るような冷たい声が聞こえた。
「リオ」
見ると、隣に座っていたトウカが、完璧な笑顔でこちらを見ている。
だがその目は深淵のように暗く、まったく笑っていなかった。
「ちょっと、お話、しようか……?」
その後の小一時間、リオはトウカに正座させられ、懇々と説教されることになった。
そして、「異能の感覚強化を、安易に味方へ付与すること」を固く、固く禁じられたのだった。
***
翌日。
ティーちゃん先生の『異界学』は、ダンジョンが深層になるほど広大になること、特定階層の境目には『守護者』と呼ばれる強敵が存在することなどを解説していた。
中等部で習った事の復習だ。実際にダンジョンに潜る上で、忘れていないかの確認も兼ねているのだろう。
「はーい、今日はここまでだねー。じゃあ午後は異界に潜って知識と力を蓄えよう!
万が一何か事故が起きたらちゃんとゲートを目指すんだよ。魔素が薄くなってる所を目指せば自然と異界を抜けられるからねー」
ダンジョンに潜れば、風が吹く方向を感知できるように、魔素を感知できるという。
そのような説明をした後、ティーちゃん先生の掛け声とともに授業が終わった。
「うしっ、それじゃ行くか。準備はいいか?」
授業が終わると同時、アキラが鞄を持って隣にきていた。
そんなアキラを見て、リオはふと思いついたことを聞いてみる。
「ああ。そういえば昨日のやつ、もう一度試してみるか? 夜に触覚付与の訓練をしていたからだいぶマシだと思う。今回こそは触覚過敏で腰が抜けることはない、……多分」
「なっ……! こ、腰なんか抜けてねーし! 大体あんなの、不意打ちすぎるだろうが! 次やったらマジで殴るからな!」
リオがそう言うと、アキラは顔を赤くして慌てて反論する。
「分かった。もう少し鍛えてからにするよ」
「そうじゃねえよ! 絶対反省してねえだろ、その顔!」
アキラが顔を赤らめながら怒っている。
全力で拒否をするその勢いに、リオはしっかりと内心で反省していた。
(やはりアレは体に負担が大きいんだな。トウカと約束したし、次からは一言断ってから付与しよう)
残念ながら、彼が反省したのはあくまで「約束を破りそうになった」ことに対してだけのようだ。
リオは一部の欲求がまだ覚醒していないためか、自分がアキラに何をしているのか、その本質的な意味を理解するには至っていないらしい。
そうして午後になり、三人は合流し、昨日と同じゲートの前に立っていた。
「よーし、今日こそ三人で一緒に潜るからね!」
駆け寄ってきたトウカは、昨日一緒に潜れなかったこともあってか、今日の探索を心から楽しみにしているようだ。その笑顔に、リオとアキラも自然と顔がほころぶ。
「おう! リオのポンコツ異能も、ダン先輩の鉄拳でなんとか矯正されたみたいだしな!」
「ポンコツって……酷い言われようだな。まあ、もう制御できると思うから任せろ」
「それじゃあ行こっか!」
そのまま三人は連れ立ってダンジョンへつながる『ゲート』へと進み、転移した。
ゲートの先は、昨日と同じく活気に満ちている。
新入生たちと屋台の喧騒、そしてダンジョン特有の魔素が肌を撫でる感覚。
これらが日常になっていくのだろう。そう思いながらリオは周囲を見回す。
近くでは教師がメガホン片手に案内をしていた。
「はーい、皆さん注目! 異界実習のはじまりです。引き続き魔素に体を慣らして下さい。すでに異能が発現した人は、この第一層の魔物を相手に腕試しをしてみましょう! 周辺の魔物は一般人でも戦える雑魚ばかりなので安心ですが、無理は禁物! 自分の限界をしっかり見極めるように! ……こらそこ! 次の層に行くためのゲートは先生たちが見張ってるから行っても無駄ですよ!」
その説明を聞き流し、リオはアキラとトウカに目配せをした。
「俺達も行こうか。ダン先輩たちを待たせるわけにもいかないし」
「おう!」
「うん!」
短く応じ合い、三人は集団から離れる。
目指すのは昨日ダンが指定した、草原の一角だ。
ゲートから少し離れたそこに向かうと、すぐに喧騒が遠ざかり、風が草を揺らす音と、時折聞こえる鳥の声だけが耳に届く用になる。
足元の柔らかな感触と若草の匂いが、昨日よりもずっと鮮明に感じられ、自らの感覚制御が、確実に向上していることをリオは実感していた。
やがて視界が開け、見覚えのある草原が広がる。その中央にある大きな岩の上から軽やかに飛び降りる人影があった。
「来たか、お前ら」
先輩のダンだ。その隣には、シズカがちょこんと座っている。
ダンの足元には、糸のようなもので縛られた奇妙な生物が転がっていた。緑色のゼリー状の体に、巨大な一つ目を持つ、なんとも言えないデザインの魔物だ。
ピクピクと震えているが、ダンに怯えているのかおとなしい。
「先輩、それはいったい何の……?」
トウカが尋ねるより早く、アキラが驚いて叫んだ。
「うおっ、マジか! それ、ムニムニじゃねえっすか!? 」
「ああ。お前らの練習相手だ」
ダンは不敵に笑いながらそう言った。
アキラ曰く、ムニムニは最下級の魔物『ムニュ』の進化形で、ダンジョン内のゴミを食べて生きる、いわば掃除屋のような存在だとのことだ。
「こいつを使って基本的な異能の使い方を叩き込んでやる。覚悟はいいな?」
「え? は、はいっ!」
「うっす!」
「へぇー……」
リオは前世の知識を持つ。
だが特に魔物に関心があったわけではないため、魔物の知識をほとんど持たないのだ。
故に初めて知った敵を興味深く見つめていた。
「リオ、ほらぼーっとしてないで準備しなきゃ!」
「ん? ああ、悪い」
トウカの一声でリオは眼の前の敵に集中する。
リオ達がやる気になったのを確認したダンは、捕らえたムニムニを乱暴に地面へと放り投げた。
「簡単に説明するぞ。お前らは三人でこいつをぶちのめす、以上だ」
「って事はいきなり実践っすか? マジで!?」
「……(コクリ)」
シズカ先輩が頷くと、縛られていた生き物の糸が解けて動けるようになり、ムニムニと呼ばれた謎の生き物はうねうねと形を変え始めた。
「うおっ、ちょっ、マジで!?」
アキラの悲鳴が草原に響く。
「ったく、やるしかねえってか! トウカ、リオ! こいつは第一層にもいるザコ『ムニュ』が進化したやつだ! なめてると痛い目みるぞ!」
「こ、これって二層以降の相手だよね……」
緊張した面持ちのトウカは、クナイを懐から取り出してきた。
購買で売っていたものだろう。
すでに武器を用意していたらしい。
「三階層の敵だな。たいしたことはねえよ」
事もなげにそう言うダン。
その言葉を聞きつつも、トウカは緊張した面持ちでリオの隣に並ぶ。
そんな彼らの元に、ゆっくりと向かってくるムニムニ。
その隣で、シズカはスケッチブックに『ファイト!』と元気な文字を書き足していた。
三人の初戦闘は、なんとも言えない空気の中、幕を開けようとしていた。