このゼリー状の緑色の体とアンバランスなほど大きな一つ目という、どこか気の抜けた外見をした魔物に対して、リオは警戒を解かずに思考を巡らせていた。
ダンがわざわざ腕試しに用意した相手だ。ただの雑魚のはずがない。
これはどんな生き物であっただろうか?
リオは前世のうろ覚えな記憶を引っ張り出して、様々な可能性をリストアップする。
なんか毒を使うやつ。なんかカッコイイやつ。無限に再生する奴――だめだ、思い出せない。
そんなリオが結論を出すよりも早く、アキラが先に仕掛ける。
「リオに見せてやるよ。あたしの異能をな! いくぜ、『ヴァルキリー』!」
宣言とともに、まばゆい光が彼女の細い体を包み込む。
光が収まると、アキラの背には純白の翼が力強く広がっていた。
「どうだ? かっけえだろ? あたしの異能は第二世代、攻防一体の職業――『ヴァルキリー』だ」
その姿を初めてまともに目にしたリオは、その神秘的な姿に思わず息をのむ。
これほど立派な姿ならば、その秘めた力も相応なものだろう。
「まあ、見ためだけで全然力が強くなったりとかないんだけどな!」
「なんだそれは」
予想の斜め下を行く答えに、リオは思わず肩の力が抜けた。
「しょうがねえだろ! 異能発現させたのなんてついこないだなんだからよ!」
「そんなんで戦えるのか?」
「まあ見てなって!」
アキラは叫ぶと同時に、翼を羽ばたかせてふわりと宙に浮いた。
能力を目覚めさせて間もないというのに、あの制御。
彼女の天性の才能にリオは内心驚愕する。
もっともリオは知らない。その翼は彼女が生まれながらに持っている特性であり、異能で拡張・強化したものだ。
発現したばかりの異能で自在に飛べるのは、そのシナジーによるものだった。
「私も負けてられないね」
アキラが動くのに合わせるように、トウカも走り出す。
流れるような動作で印を結ぶと、彼女の姿は陽炎のように揺らぎ、ぼやけた。
するとトウカとまったく同じ姿をした分身が数体同時に現れる。
どれが本物か。リオが目を凝らしても、判別は困難だった。
彼女もまた、天才的なセンスを持っているらしい。
「「「これならどれが本物かなんて分からないよね!」」」
重なった声が悪戯っぽく笑う。その時、空高くでアキラが叫んだ。
「よっしゃ! トウカ、合わせろよ!」
いつの間にか訓練用の棒を手にしたアキラが、空中で構える。
呼応するように、分身を含むトウカたちもクナイを構え、ムニムニへの包囲網を狭めていった。
そして、二人は一気に攻めへと転じた。
アキラが空中から勢いをつけた一撃を振り下ろし、柔らかいムニムニの体を真っ二つに断ち切る。
それと同時に、複数のトウカが背後や側面に回り込み、クナイでゼリー状の体をズタズタに切り裂いていく。
息の合った見事な連携攻撃だ。
空と地上、その両方から繰り出される二人の波状攻撃に、ムニムニは為す術もなく細切れになっていく。
ムニムニが原型を留めなくなったところで、ようやく二人は攻撃の手を止めた。
「へっ、こんなもんよ」
「やったね!」
トウカが満面の笑みで歓声を上げ、アキラは翼を広げたまま優雅に着地し、得意げに胸を張った。
初陣としては、これ以上ない鮮やかな勝利と言えるだろう。
「まだだ! 足元っ!」
二人の楽観的な空気を眺めていたリオは、異常に気付き声を上げる。
二人が足元を見ると、バラバラになったはずのゼリー状の肉片が、まるで意思を持つかのようにプルプルと震え始めている。それらは瞬く間に凄まじい速度で膨れ上がり、それぞれが独立した個体へと再生・分裂していった。
気が付けば元々一体だったはずの魔物は、今や十を超える数へと増殖している。
岩の上から戦況を眺めていたダンが、その状況を見て呆れたように口を開いた。
「そいつに中途半端な物理攻撃をしても、増えるだけだ」
「そういうことは早く言ってください!」
「実践で甘えた事言ってんじゃねえ。おら、さっさと倒せ」
トウカの悲鳴のようなツッコミに対し、厳しく叱りつけるダン。
そんな二人の声が草原に虚しく響く。
常識と言われても、初めて見る魔物相手にわかるはずがなかった。
「トウカ! 前に先生がやってたみたいに、炎で焼くことはできるか?」
「む、無理! 私まだそこまで『くのいち』を使いこなせてないから! 火遁の術なんて高等忍術、まだ……!」
リオが問いかけると、トウカが悔しそうに顔を歪めた。
そうこうしている間にも、ムニムニたちの動きが変化する。一斉に「ぷるぷるっ」と身を震わせたかと思うと、さらに分裂を始めたのだ。
それを見たダンが、静かに忠告する。
「早く倒せ。そいつら危機を察知すると5分ごとに倍々で増えてくぞ」
それを聞いたアキラの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「……え? それって……ヤバくね?」
「今ここにいるのが20体強として、次の5分で40、その次で80……。一時間もしないうちに万を超えそうだな」
リオが計算し、絶望的な未来を弾き出す。
「いや、殴って増えるし、時間でも増えるって!! これどうすんだよ!」
「こ、このままじゃ草原が埋め尽くされて、先生たちのところまで……!」
アキラとトウカの声が、恐怖に震える。
自分たちの軽率な一撃が、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまったのだ。
リオもまた、分裂を加速させることを警戒して迂闊に手出しができないでいる。
逃げるか? いや、ダンの鋭い視線がそれを許さないだろう。為す術もなく増え続け、じりじりと包囲網を狭めてくるムニムニを前に、三人の顔が絶望に染まっていく。
その時だった。
「――もう限界かよ。しょうがねえな」
岩から音もなく飛び降りたダンが、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。
散歩でもするかのような軽い足取りで魔物たちの前まで来ると、不意に手をかざした。
「おら、『圧縮』しろ」
ダンが呟いた瞬間、草原を埋め尽くしていたムニムニの大半が、まるで巨大な見えない掃除機に吸い込まれるかのように一カ所へ殺到する。
緑色のゼリーが一点に凝縮され、ぐちゃり、と鈍い音を立てて押しつぶされ――バスケットボール大の小さな塊へと変貌した
「うわ……」
「これムニムニ以外の生き物でやったらグロだろ……」
ドン引きしている二人を尻目に、ダンは説明を続ける。
「敵と戦う上で必要なのは火力だ。再生するなら、再生する暇も与えずに消滅させる。分裂するなら、分裂できないほどのエネルギーで分解する。弱点を知らない、逃げられない状況で対処できる唯一の方法だ。覚えとけ」
究極の脳筋理論を展開され、三人は困惑するしかない。
ダンは残った数体のムニムニを顎でしゃくった。
「リオ。てめえの異能は『身体強化』だったな。女だけに戦わせてないで、お前も力を見せろ」
「いいですけど、俺が叩いても分裂するだけでは?」
「あ? いっただろうが。分裂する暇も与えないくらいの力を集中させて、一点に叩き込め。俺の勘だが、『身体強化』を選んだお前ならできんだろ。さっさとやれ」
ダンの有無を言わさぬ視線に促され、リオは覚悟を決めて拳を構える。
「おう、その意気だ。力の流れが一点に集まるイメージをしろ」
(破壊力……。ただひたすらにシンプルな、破壊力)
体をめぐる力を右拳の一点に集中させるイメージを描く。
どうやらそのイメージはうまくいったらしく、拳が熱くなっていくのを感じた。
イメージを続けていくと、腕全体の筋肉が焼け付くような痛みが襲い掛かってくる。
「これで……どうだっ!!」
リオがムニムニに向かって拳を振り下ろしたその瞬間。
轟音が周囲に響き、衝撃波と共に土と草が空高く舞い上がった。
凄まじい土煙が三人の視界を覆い隠す。
「……うそ」
「すげえ……」
トウカとアキラはその破壊力に驚いて固まってしまう。
土煙が晴れた後にはクレーターのような抉れた地形だけが残っており、ムニムニの姿は影も形も残っていない。
そしてリオは――。
「いってえええぇぇぇ!!!」
拳を振り抜いた右腕が反動で無惨に千切れかけ、のたうち回っていた。