(やっぱり寮だと友達と朝まで騒いで、馬鹿話したりできるかな? そんで寮長とかに怒られたり――)
そのようなことを考えながら、リオは歩みを進めていく。
これから新しい生活が始まるということもあって、リオの気分は高揚していた。
人間に生まれた幸運をかみしめつつ、浮かれながら横断歩道を渡ろうとしたその時――。
キィィィィィィッッ!!!!!
背後で、甲高いブレーキ音が響き渡る。
「――えっ?」
振り向けば、一台のスクーターがすぐそこまで迫っていた。
リオは咄嗟に飛びのいて、ギリギリのところで衝突を回避する。
スクーターもバランスを崩しかけたが、なんとか体勢を立て直し、横断歩道を少し過ぎたあたりで荒々しく停止した。
乗っているのは勝ち気そうな女の子だ。
彼女はヘルメットからはみ出ている長い茶色の髪を払いながらリオをにらみつけると、彼女は声を荒げる。
「おい! 危ねえだろ!」
「それはこっちのセリフだ! こんなところで事故でも起こしたら面倒な事に……」
怒っている彼女に対して、リオも信号を指差して反論しようとし……すでに歩行禁止の赤になっていることに気が付いた。
どうやら信号を見ていなかったのは、自分の方だったらしい。
「あー……ごめん。信号を見てなかった。明日からここの学校に通うんで、少し浮かれてたみたいだ」
「ん、なんだ? 学校? ってことは……そっちにある学校か?」
少女は、リオが明日から通う学園を顎でしゃくってみせる。
リオが頷くと、一転して快活な笑顔を見せた。
「あたしも明日からそこに通うんだぜ。よろしくな」
「てことは……同級生になるのか?」
「ああ、そうなるな。あんたも探索科だろ?」
「ああ、その通り……」
返事をしようとした矢先、いつの間にか来ていた後続車のクラクションがやかましく鳴り響く。
「おっと、……悪い! 続きは学校でな!」
クラクションの音で自分たちが横断歩道で話し込んでいたことに気づいたリオは、慌てて歩道に移動すると、少女もまた軽く右手を挙げて挨拶をした後に、スクーターを走らせて去っていく。
方向から察するに彼女も寮へ向かったのだろう。
「……俺にも荷物が届いているはずだ。早く寮へ向かわないと」
辿り着いた寮は、もともと立っていた雑居ビルを無理やり改装したような外観だった。
無機質で古さが目立つ様は、お世辞にも良いとは言えない。
言われなければ、人が住んでいるとさえ思わないだろう。
リオは故障して半開きのまま動かない自動ドアを抜け、備え付けられた呼び出しチャイムを押す。すると『管理人室』と書かれたプレートのある部屋から、一人の女性が現れた。
「あらあら、ようこそ。入寮予定のリオくんかしら?」
「はい、桜蘭リオです」
部屋から顔を出したのは、大学生くらいの年齢に見える女性だった。
人当たりの良さそうな、おっとりとした雰囲気。この寮を管理する寮母だろう。
リオが入寮の旨を伝えると、寮母はにこやかに頷き、彼を部屋まで案内してくれた。
「はい、ここが202号室、あなたの部屋よ。荷物はもう運び込んであるわ。といっても、ずいぶん荷物が少なかったけど……。あれだけで良かったのかしら?」
「ええ。基本的に物は持ちたくないので」
「そう、良かった。あなたのお隣さんもさっき来たばかりだから、良かったら仲良くしてあげてね」
寮母は何かあれば連絡するよう伝えると、管理人室へと戻っていった。
早速、荷解きをして部屋を整理していくと、隣の部屋も同じようにごそごそと物音が聞こえてくる。
おそらく向こうも同じように荷解きの最中なのだろう。
そこで、リオは音の通りが良すぎることに気がついた。
これは壁が薄いというレベルではない。
もしかして……ベニヤ板一枚で無理やり仕切られているだけではないか?
気になって壁を軽く叩いてみると、予想通りコンコンと軽い音が響く。
「おい、こっちは入ってるぞ!」
「ああ、わるい。今は催してないから大丈夫だ。そのまま入っていてくれ」
「あたしの部屋はトイレじゃねえよ!」
やけに元気な、どこか聞き覚えのある声が部屋から聞こえてきた。
リオは、まさかと思い廊下へ出る。
するとさっき横断歩道で出会ったスクーターの少女が、呆れた顔で隣の部屋のドアの前に立っていた。
「おっ、さっきの信号無視野郎じゃねえか。また会ったな!」
「ああさっきの……暴走族?」
「いや、暴走はしてねえって。つか、あんたが信号無視したんだろ! あたしは悪くない!」
「よかった。誰も悪い人がいなくて何よりだ」
「いや、あんたは悪いからな? 現実を見ろよ?」
少女は呆れた顔でこちらを見ている。
「ところでスクーター山西さんに聞きたいんだが」
「どこの芸人だよそいつ。勝手にあたしの名前を創作するんじゃねえ。あたしの名前は藤原 章(ふじわら あきら)っていうんだ」
「そうだったんだ、すまない。名前を間違うのは気が引けるから、今から改名する気はある?」
「なんであんたのミスを帳消しにするために、あたしが改名しなきゃなんねーんだよ!」
もともと呆れ顔だったアキラは、さらに眉間の皺を深くする。
(……うん、この調子なら、案外うまくやっていけそうだ)
リオが満足げに頷くと、藤原 章は、ますます怪訝そうな顔でリオを見返してきた。
どうやら彼女も、彼がずれた感性の持ち主だということは理解したようだ。
そんな彼女の心情を理解していないであろうリオは、一つの疑問を口にする。
「改めて聞くけど、何で女性がここに?」
「はあ? ここが寮で、そこがあたしの部屋だからに決まってんだろ?」
「ん? 男子寮と女子寮に分かれていると思っていたけど……違うのか?」
「……もしかして学園の寮のこと、何も知らねえのか?」
彼女が言うには、男女別の寮は、ある程度成績が良くないと入れないのだという。
そしてこの寮は他の寮の中でも等級の最も低い、最下級の寮らしい。
入学時の成績が悪かったり、素行に問題がある人物はここに送られるとのことだ。
一応、成績次第でもっと設備の整った寮に移ることも可能で、それが下級寮に入った住人の一般的な目標になっているという。
「……そんな実態があったなんて。まるで落ちこぼれの隔離施設じゃないか」
「まるで、じゃなくてその通りだよ。……まあ、何か特殊な事情がある奴もグレードの低い寮におくられるみたいだけどな」
彼はその話を聞いて、ここに送られるに至った理由を考えてみる。だがリオの主観ではとくに思い当たる節がなかった。
なにかの間違いならすぐに別の寮に移ることができるだろう、そう楽観的に考え思考を中断し、目の前の女の子との会話に集中する。
「藤原は随分とくわしいんだな」
「兄貴が上級生にいるからな。色々話は聞いてるぜ。えっと……」
「ああ悪い、まだ名乗ってなかった。俺の名前は桜蘭リオ。改めてよろしくな」
「おう、よろしくなリオ。あたしのことはアキラでいいぜ」
アキラの屈託のない返事に、リオは頷きで返す。
怒っている時とはまるで違う、裏表のない笑顔だ。
そのギャップに少し戸惑いながらも、明日からの学園生活がほんの少し楽しみになったような、不思議な感覚があった。
「ていうかリオって珍しい苗字だな。外国出身か?」
「親父の家系が西欧の小国出身だと聞いてるな。ただ二百年くらい前に帰化したらしいから、詳しくは知らない」
「へえ、じゃあ外国語とかも喋れねーのか。桜蘭ねえ、どこかで聞いたことあるような……。ん? 桜蘭……ってあの桜蘭か!? 貴族の!?」
両親の話題を出したところ、急激にアキラのテンションが上がっていく。
「どの桜蘭かは知らないけど、確かに両親は一代限りの爵位を貰っているな。だけど継承権はないから、俺はただの平民だ」
「やっぱりそうじゃねーか! 伝説の探索者! ダンジョン攻略記録保持者の夫婦だろ!? そんな有名人、知らない奴のほうが少ないぜ!! そっか! その息子かよおめー! だからここに来たんだな!」
彼女によると、リオの両親にあこがれる探索者は相当多いらしい。リオはあまり実感がないようだったが、彼の両親は彼自身が思っている以上に有名なようだ。
(小学校、中学校の時は皆なんとなく受け入れていたし、こんな風に騒がれる事は無かったな……なんだか新鮮だ)
せっかくなので、ある程度片付けが終わったアキラの部屋で改めて話すことになった。
リオが部屋に入ると、アキラは段ボール箱を即席の机代わりに、菓子とジュースを広げ、可愛らしいクッションを差し出してくる。
リオは厚意に甘え、勧められた菓子とジュースを口にした。
「――で、あたしはちょっと遠くの中学だったんだけどよ、探索者やるならよ、やっぱりここだよなって思って来たってわけよ。専門の知識が学べて金にもなるしな」
「へえ、面白いな。普通はダンジョンで死んだらどうしよう、とか考えるらしいけど」
「そういう事考えるんだったら、もっと安全な学校に行くっての」
楽しそうに身の上を語る彼女。
どうやら探索者として成功することを望んでここに来たようだ。
「ちなみに、アキラがダンジョンに潜る理由は他にあるのか?」
「理由か? 色々あるけどよ……。やっぱロマンだろ! 少なくとも深層に潜ってみてえな。有名になりたいとかは置いといても、そこにあるっていう『虹色のバラ』ってやつを拝んでみたくてよ」
ダンジョンの深層には、見る角度で色が変わるバラがあるという。
都市伝説やネットの噂では、そのバラについて根も葉もない噂話が多数並んでいる。
瀕死の老人や死人でも完全回復して不老長寿になるとか、人類とは違う知的生命体が育てているとか、そんな噂もあるくらいだ。
「で、リオは何を目的に潜るんだ?」
「俺か? 俺は……そうだな、面白いことがしたい。命がけの刺激とか、そういうのを体験してみたくてさ。飽きたらすぐ止めるかもしれないけど」
「なんじゃそりゃ」
アキラはリオの言葉の意図を掴みかねているのか、怪訝そうな顔で彼を見つめた。
「……俺の親父は、人生で最も強く欲望を掻き立てられる場所、それがダンジョンだと言っていた」
「まあ、魔素が気持ちよすぎてダンジョンから出たくなくなる、『異界中毒』なんて言葉もあるくらいだしな」
魔素、それはダンジョンに充満するエネルギーの一種だ。
ダンジョンそのものが魔素で構成されていると言われ、それを吸収することで人間は能力を向上させ『異能』と呼ばれる未知の力を生み出せるようになるという。
アキラは、そこでふと首をかしげてリオに聞き返す。
「でも、それが潜る深さとどう関係すんだ?」
「俺はそういう欲望とか、感情を揺さぶられる体験をたくさん味わいたい。親父の言う通りなら、ダンジョンこそが最も楽しめる場所、最高の『遊び場』ってことになるだろ?」
それを聞いたアキラは、吹き出すように笑う。
リオはなぜ笑うのか理解できず、困惑する。
そんな様子に気がついた彼女は軽く謝ってきた。
「いや、悪いな。そういう意味じゃねんだ。あたし含めた探索者が命がけで潜る場所も、リオにとっちゃただの遊び場ってのが面白くてさ」
「命がけといっても、専業の探索者を目指すのなんて、俺たちみたいな特殊な学校に行く奴らくらいだろ? ほかの学校では最低限しか潜らないはずだ」
ダンジョンに満ちる魔力は、人間の潜在能力を引き上げ、超常的な力に目覚めさせる。
学生は探索者にならずともその力を磨き、社会に役立てることを推奨されていた。
とはいえ、専業の探索者以外では浅い階層しか潜らないのが一般的だ。
一方でリオにとって安全は意味をなさない。危険だからこそダンジョンに挑む価値があった。
彼にとってダンジョンは刺激的であればあるほど良い。
人生の刺激、それこそが彼にとって生きる意味なのだ。
「刺激的なのは最高だろ? だって人生の楽しさってのはそこから――」
ベニヤ板の壁にもたれかかり、続きを話そうとしたその時。ミシミシと軋むような嫌な音が壁から聞こえたため、リオは慌てて体を離した。
「ここは……ずいぶんと壁が薄いな」
「ん? 春風さんから聞いてないのか? こことお前んとこ、もともと一つの部屋だぜ。元々二人で一つの部屋だったのを、無理やり仕切って部屋を二つにしたんだとよ。生徒からの要望で個室を希望するのが年々増えてたからだとか」
なるほど。すべての寮で同じような要望があった一方で、ここは最下級の寮だから最低限の工事だけした、と。
ドアだけやけに新しかったのはそういう事か。
リオは納得する一方で、疑問に思ったことを尋ねてみる。
「春風さんってのは……誰だ?」
「え、会ってないのか? ここの寮母さんだよ」
「ああ……あの人か……」
アキラによると寮母さんは春風 香奈美(はるかぜ かなみ)というらしい。
アキラはもうすっかり彼女と打ち解け、この辺りのおすすめスポットや寮のルールなんかを色々と教えてもらったそうだ。
初対面の相手に対してすぐに仲良くなれる、そのコミュニケーション能力をリオはうらやましく思う。
彼は中学のころから、トウカ以外の人間からはなぜか距離を置かれていたため、自分がコミュニケーションに難があることは自覚していたのだ。
その後もアキラとリオはしばらく話をしてから、それぞれ部屋に戻って片付けを済ませた。がらん、と表現するのが最もふさわしい殺風景な部屋。
生活に最低限必要な備え付けのベッド以外に目立つものは、壁際に寄せたトレーニング用のダンベルくらいだ。
衣類はクローゼットへ、その他の荷物は備え付けの収納スペースへと、あるべき場所に整然と収まっている。
(……うん、部屋は綺麗な方が落ち着くな。)
元々の性格によるものか、元ダンジョンコアだった頃の名残なのかはわからない。
ただ自らの周囲が秩序立って整頓されているのはとても気持ちがいい。
リオは進学と同時に買ったスマートフォンを手に取ってみる。
だが、そこに表示される情報に、リオが興味を引くものは何一つなかった。
時間だけが過ぎ、夜も更けていることに気づいたリオは、そのままベッドへ身を投げ出す。真新しいシーツの匂いが、鼻先をかすめる。
明日への期待からだろうか。体は疲れているが、意識だけは妙にハッキリとしていた。