歓迎会の賑わいが嘘のように静まり返った後、トウカとアキラは二人きりで、トウカに割り当てられた203号室にいた。運び込まれた荷物はまだなく、がらんとした空間には二人の声だけがやけに響く。殺風景な部屋の床に腰を下ろすと、アキラは持参した袋からお菓子と ジュースを広げ始めた。
歓迎会の残り物を、管理人である春風からちゃっかり分けてもらったのだ。
「さあ、改めて女子会しよーか」
悪戯っぽく笑いながら、アキラはジュースの缶をトウカに手渡す。トウカはそれを受け取りながらも、どこか落ち着かない様子で目の前の快活な少女を見つめていた。
「あの、その……」
「ん? どした? トイレなら部屋出て突き当りな」
「えっと、そうじゃなくて……その、さっきリオとの恋を応援してくれるって言ってたの、本当……?」
「あー、なんだそんなことか。当たり前だろ? ダチなんだからさ」
不安そうなトウカに対して、笑いかけるアキラ。
その屈託のない笑顔をみていると、トウカは強張っていた表情が和らいでいくのが自分でも分かった。
「しかし、まさかトウカがあんなに積極的だったとはな。正直、驚いたぜ」
「だ、だって……リオがアキラとすごく仲良さそうだったし、それに、他の寮に行ったらもう二度と会えなくなっちゃうかもしれないって思ったら……居ても立っても居られなくなって……。せっかく、リオを追いかけてこの学校まで来たのに……」
「ん? ってことは……もしかして、この学校に決めたのってあいつの影響か!?」
アキラの問いに、トウカは頬を染めながらも、はっきりと頷いた。
「へぇー、純愛じゃねえか。それに比べて、アイツのあの鈍感ポンコツぶりは……」
「あ、ううん、いいの。私、リオがああいうのに疎いのは、昔から分かってるから……」
力なく笑うトウカの表情には諦観の色が滲んでいた。
どうやら、その鈍感さには覚えがありすぎるらしい。
「つってもよー、限度ってもんがあるだろ? 食堂でのアレは、知っててはぐらかしてるんじゃなくて、マジで何も分かってない奴の顔だったぞ?」
「うん……。そうなんだよね……」
小さなため息と共に、トウカはしょんぼりと肩を落とす。
「こりゃ既成事実を作っちまうしかねえな?」
アキラが冗談めかして肩を竦めると、トウカは本気で困ったように眉を寄せた。
「それがね……前に、リオがお風呂上がりで油断してるところに抱きついてみたりとか、色々試したんだけど……全然、そういう風に気づいてくれなくて……」
「うわー……マジか。そりゃ重症だな……。そこまで鈍い奴の、どこをどう好きになったんだ?」
アキラが素朴な疑問を口にしたその時、トウカを包む雰囲気がふっと変わる。
触れてはいけないものに触れたことに気づいたアキラだったが、止める間もなく彼女は語り始める。
「リオはね、すごいんだよ。優しくて、どんな時も諦めなくて、すごく格好良くて……。私だけの王子様なの。私がね、来てってお願いしたら必ず来てくれるんだ。そんな彼はいつ見ても、どんどん素敵になっていくんだよ。だから、いつも彼の事を見ていたいの。彼の全てを知りたくて、こっそり写真もたくさん撮ったし、彼が使った歯ブラシも、着古したパンツとか靴下とか、そういうのも全部、私の宝物なんだよ。リオの周りにはね、キラキラした特別な風が吹いてるの。だから、ずっと彼の傍に居たい。そうやって、いつも、いつも、いつもいつもいつも……いつまでも、一緒に……」
「へ、へぇ、そ、そうか……」
どこか虚ろな瞳で、うわ言のように紡がれる愛の言葉。その常軌を逸した熱量に、アキラは内心で『うわ、こいつヤベェ……』とドン引きしていたが、かろうじて苦笑いで済ませた。
新しい友人を応援すると決めた手前、ここで引くわけにはいかないのだ。
ふと我に返ったようにトウカは表情を戻し、恥ずかしそうにアキラに向き直る。
「あのね、これは……あんまり他の人には知られたくないんだけど……。リオって、鈍いっていうよりも、まだ性に目覚めてないみたいなんだ」
「は? どういうことだ?」
「リオね、その、男の子が普通するようなアレ……、そういう行為を全然しないみたいなの。部屋に仕掛けたカメラでずっと見てたけど、一度も……。ネットの履歴を見ても、そういう画像とか動画とか一切なくて……。いつもダンジョンコアとか魔素の精神伝達とか、難しいことばっかり調べてて……」
「お、おう……そうか……」
(カメラ? ネット履歴? ……いや、今はツッコむところじゃねえな)
アキラは内心で滝のような冷や汗をかきながらも、平静を装って頷く。目の前の可憐な少女は、自分が想像していた以上に深い闇の住人らしい。下手に触れれば火傷どころか腐食してしまいそうだ。
「でもね、まったく希望がないわけじゃないと思うんだ。リオね、昔は食べることにも全然興味がなかったんだって。ただの栄養補給の作業だったって。でも、ある時、ダンジョンで採れたっていう珍しい果物を食べて、『美味しい』っていう体験を知ったんだって言ってた。だから私はね、これからリオの好きなものをいっぱい作って、いっぱい食べてもらって、それで私の味に慣れてもらって、いつか私自身のことも――」
「あー、うん、すまん! 話が壮大になってきたから、もうちょい要点まとめてくれると助かる!」
このままではリオの話だけで夜が明けてしまいそうだ。アキラは熱っぽく語り続けるトウカの話の軌道を、慌てて修正した。
「あ、ご、ごめんなさい! えっと、つまりね、リオが食欲に目覚めたみたいに、他の欲求……その、恋愛とか、そういう事にも、興味を持ってくれたらなって……」
「なるほどな。だとしたら、この学園に来たのは正解かもな」
トウカはその言葉の意味が分からず、きょとんと不思議そうに首を傾げる。
「あんまり表立っては言われてねえんだけどよ。ダンジョンの魔素を吸収すると、人間の本能が刺激されて強くなる傾向があるんだ。具体的に言えば、食欲、睡眠欲、そして……〝性欲〟とかな」
アキラは最後の単語に、わざとらしいほど色を乗せて囁いた。
「つまり、だ。これからダンジョンに潜り続ければ、リオも男として色恋に目覚める可能性は十分にあるってことだ。そうなれば恋心を抱いて、誰かを〝女〟として意識することもある……かもな?」
アキラがニヤリと笑うと、その意図を察したトウカは、みるみるうちに顔を赤らめた。
「……うん、ありがとう、アキラ。私、こんな風に自分の気持ちをちゃんと話せたの、初めて……。私のこの想いって、ちょっと普通じゃないから、誰にも受け入れてもらえないんじゃないかって、ずっと思ってたから……」
俯きながらぽつりと呟かれた言葉に、アキラは少し考える素振りを見せ、やがて意を決したように口を開いた。
「そっか。……じゃあ、トウカだけ一方的に秘密を話させるのもフェアじゃねえよな。よし、あたしの秘密も、ちょっとだけ教えてやる」
「秘密?」
「ああ。……ダンジョンの深層には、知性を持った魔物――いわゆる『魔族』がいるって話、知ってるか?」
「ええ、まあ……都市伝説だって言われてるけど……」
「都市伝説じゃねえ。そいつらは実在するし、人間との間に子供を作ることもできる。攻略不可能だって言われるようなダンジョンの深い階層で、ひっそりと暮らしてるんだ。お伽話や神話に出てくる連中の元ネタになったりもしてるらしいぜ」
そう言うと、アキラは少し躊躇いがちに立ち上がり、着ていたジャージの上着を脱いで、肌着姿になった。そして、トウカに背中を向ける。
その白い背中には、肩甲骨の間から、小さな翼のようなものが生えていた。それは僅かに動いており、作り物ではないことが分かる。
「あたしの一族は、遠いご先祖様が魔族の血を引いてるらしくてな。まあ、血はとっくに薄まってるんだけど……あたしの場合、珍しく先祖の血が濃く出ちまったらしい」
「魔族……!」
トウカが息をのむ。
「あ、いや、大した力はねえからな! あたしの場合、この目……魔眼? のせいで、初対面の相手の警戒心を無意識にちょっと緩めちまう、とかその程度だ! 男を虜にするとかそういう便利なもんじゃねえし、そもそもあたしって、どっちかってーと可愛い女の子の方が好きだしな! だから変な誤解はすんなよ!?」
あらぬ誤解を恐れたのか、アキラは早口でまくし立てたあと、軽く咳払いをしてから落ち着いた口調に戻った。
「つーわけで、あたしは生まれつき、少しだけ人と違う。さっきトウカが色々話しちまったのも、もしかしたら、この目のせいかもしれねえ。ごめんな」
そう言われて、トウカは自分がペラペラと秘密を喋ってしまったことに改めて気が付いた。だが、不思議なことに、アキラに対する恐怖や怒りは湧いてこない。むしろ、秘密を共有してくれたことに対する、奇妙な連帯感のようなものを感じていた。
「……まあ、そういうわけだ。こんなあたしだけど、引いたか?」
アキラは少し不安そうに振り返り、トウカの反応を窺った。
数秒間、驚きに目を見開いていたトウカだったが、やがてふわりと微笑んだ。
「ううん、全然。むしろ、すごいなって思った。……教えてくれてありがとう。改めてよろしくね、アキラ」
「……へへっ、おう! よろしくな、トウカ!」
アキラも心の底から安堵したように笑い返す。
がらんとして殺風景だった部屋に、カチン、と二人のジュースの缶が軽やかな音を立てる。確かな友情が芽生えた瞬間だった。