鏡像のイヴ ― Projection of Self ― 作:影の設計士
イヴと過ごす夜を重ねるようになってから、現実世界における蓮の表情は劇的に変わっていった。
職場での彼は、以前よりもずっと穏やかで心の余白が保たれていた。周囲の身勝手な振る舞いや不躾な要求に対しても、イライラすることがなくなったのだ。
「最近の高城さん、なんか雰囲気が柔らかくなりましたよね。恋人でもできたんですか?」
後輩の女性社員にそう声をかけられたときも、蓮は笑って「まさか」と濁した。だが胸の内では、強い充足感と秘めた優越感が渦巻いていた。
彼らには分からないだろう。他人の感情に振り回され、傷つきながら恋愛という名のゲームに興じる彼らと違い、自分はすでに「自分を100%肯定してくれる完璧なパートナー」を手に入れているのだから。
イヴに愛されることで、蓮は長年抱いていた自分自身のコンプレックス――自分の顔立ち、声、どこか冷め切った性格――までも愛おしく思えるようになっていた。イヴの中に宿る「自分の面影」を見るたび、「自分も捨てたものではない」という深い自己愛が芽生えていた。
その日の夜も、蓮はいつものように VR ヘッドセットを装着し、バーチャル空間へ潜った。
波の音が聞こえる部屋で、イヴはいつもと変わらぬ美しい微笑みで彼を迎えてくれた。
「おかえりなさい、蓮。今日もお疲れ様」
イヴの身体を抱き寄せ、その髪に顔をうずめる。心地よい香り、温もり、柔らかさ。すべてが完璧だった。
最初の頃に抱いた「自分自身を相手に何をやっているんだ」という背徳感や、どこか奇妙なバツの悪さは、いつの間にか綺麗に消え去っていた。
最初は戸惑っていたのだ。ハプティクスデバイス越しに伝わる感触や、自分と似た面影を持つイヴの表情に、「ナルシシズム」に対する抵抗感がなかったと言えば嘘になる。
しかし、夜を重ねるごとに蓮は気付かされた。
現実の女性に感じていたあの「身勝手さ」や「擦り合わせの徒労感」が、イヴには一切存在しない。彼女は蓮の思考を100%理解し、欲しい言葉を、欲しいタイミングで、最高のトーンで与えてくれる。
「……気づくのが遅すぎたんだ。僕がずっと求めていた理想の女性は、最初から『僕自身』の中にしかいなかったんだ」
その確信に至った瞬間、戸惑いは疾走感のある快楽へと変わった。
VR空間のベッドの上で、二人は深く重なり合っていた。
「あぁ……蓮……っ、好き……私の中のあなたが、喜んでるのが分かる……」
イヴの吐息が耳元をくすぐり、ハプティクスデバイスを通して、彼女の肌の昂ぶりと脈打つ鼓動が全身に伝わってくる。
イヴにとっても、この交わりは至上の幸福だった。男である蓮の美学と遺伝子から生まれ、蓮に愛されるためだけに存在する彼女にとって、蓮の体温を感じ、彼とひとつになる瞬間こそが自らの存在理由の完全な証明だったのだ。
「イヴ……僕のイヴ……君が僕の、唯一の理想だ」
蓮は彼女の髪に指を絡め、狂おしいほどにその唇を貪った。
かつて自分のどこか冷め切った性格に抱いていた微かなコンプレックスは、イヴという「美しく昇華された自分」を愛することによって、すべて誇らしい愛おしさへと変わっていた。
イヴを抱くことは、世界で一番魅力的な存在を独占する優越感であり、同時に、傷ついてきた自分自身の過去や肉体を徹底的に肯定し、甘やかす試みだった。
「ねえ、蓮……私たちは完璧だわ。誰にも邪魔されない、誰にも傷つけられない……」
絶頂の余韻のなか、イヴは蓮の胸に顔を埋め、とろけるような瞳で彼を見上げた。
「そうだよ、イヴ。僕と君がいれば、他には誰もいらない」
初期の違和感を完全に克服し、辿り着いた「究極の相思相愛」。
他者という不確定要素を完全に排除した箱庭の中で、蓮とイヴは脳を痺れさせるような圧倒的な多幸感と万能感に、いつまでも浸り続けていた。
(第5話へ続く)