もしものび太のお母さんが毒親になったら   作:武藤 桜

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第一章 「分岐した未来」

第1話 「お母さんは、ぼくのことが嫌いなの?」

野比家の朝。

 

「のび太! いつまで寝てるの! もう七時半よ!」

 

階下から響き渡る母・玉子の怒鳴り声に、のび太は布団の中で飛び起きた。

 

「うわあっ! 遅刻だあ!」

 

慌てて着替え、ランドセルを引っ掴んで階段を駆け下りる。食卓には朝食が並んでいたが、のび太の分だけは冷めたトーストが一枚、皿の上に置かれているだけだった。

 

「お母さん、ご飯は?」

 

「何言ってるの。昨日、宿題をサボってテレビばかり見ていた子に、まともな朝ご飯を用意してあげる必要がある?」

 

「で、でも、昨日はちゃんと宿題を……」

 

「口答えしない!」

 

玉子がテーブルを叩いた。

 

のび太の肩がびくりと震える。

 

「あなたはいつもそう。勉強はできない、運動もできない、忘れ物ばかり。いったい何ならまともにできるの?」

 

「……ごめんなさい」

 

「謝れば済むと思っているの? あなたのせいで、お母さんがどれだけ恥ずかしい思いをしているか分かってる?」

 

のび太は俯いた。

 

以前の玉子なら、叱ったあとに「次は頑張りなさい」と言ってくれた。失敗しても、どこかに優しさが残っていた。

 

しかし、最近の玉子は違った。

 

テストの点が悪ければ食事を減らす。失敗すればお小遣いを取り上げる。何かを説明しようとすれば「言い訳するな」と遮る。

 

そして何より、のび太が一番つらかったのは、母親が自分を恥ずかしい存在だと思っていることだった。

 

「……行ってきます」

 

返事はなかった。

 

のび太は冷めたトーストを一口だけかじり、家を飛び出した。

 

その背中を見送ることもなく、玉子はため息をついた。

 

「まったく……あの子には、もっと厳しくしないと駄目ね」

 

彼女は、自分が息子を追い詰めているとは思っていなかった。

 

むしろ、これこそが教育だと信じ込んでいたのである。

 

第2話 「0点よりも、怖いもの」

その日の午後。

 

「のび太くん、また0点なの?」

 

しずかの言葉に、のび太は慌てて答案用紙を背中に隠した。

 

「し、しずかちゃん! これはその……先生が問題を間違えたんだよ!」

 

「そんなわけないだろ!」

 

ジャイアンが笑い、スネ夫も続いた。

 

「お前、家に帰ったらママに怒られるんじゃないの?」

 

その一言で、のび太の顔から笑みが消えた。

 

いつもなら、怒られるのが嫌だからドラえもんに泣きつく。ひみつ道具で何とかしようと考える。

 

だが、今日は違った。

 

「……うん」

 

小さく答えたのび太に、しずかは心配そうな表情を浮かべる。

 

「のび太さん、大丈夫?」

 

「だ、大丈夫だよ。ぼく、平気だから」

 

のび太は無理に笑った。

 

本当は、学校で笑われることよりも、家に帰ることの方が怖かった。

 

帰宅すれば、答案用紙を見せろと言われる。

 

隠せば、隠したことを責められる。

 

正直に見せれば、点数を責められる。

 

どちらを選んでも、怒られる。

 

のび太には、もうどうすればいいのか分からなかった。

 

そして夕方。

 

「ただいま……」

 

玄関を開けた瞬間、玉子の声が飛んできた。

 

「のび太! 学校から連絡があったわよ!」

 

のび太の手からランドセルが落ちた。

 

「テストで0点を取ったんですってね?」

 

「……はい」

 

「見せなさい!」

 

震える手で答案用紙を差し出す。

 

玉子は点数を見るなり、顔を真っ赤にした。

 

「また0点!? あなた、いったい何を考えているの!」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「ごめんなさいじゃない! お母さんはあなたのために、毎日どれだけ頑張っていると思っているの!?」

 

「ぼく、勉強したんだよ……でも、分からないところがあって……」

 

「だったら、どうして分かるまで勉強しないの!」

 

「だって……」

 

「だって、何?」

 

のび太は言葉を失った。

 

玉子は答案用紙を机に叩きつけた。

 

「今月のお小遣いはなし! テレビも禁止! 遊びに行くのも禁止よ!」

 

「えっ……でも、ドラちゃんと約束が……」

 

「ドラえもん? あの青いタヌキと遊んでいるから、あなたはいつまでたっても駄目なのよ!」

 

「ドラえもんはタヌキじゃないよ……!」

 

思わず口にした瞬間、玉子の目が鋭くなった。

 

「何ですって?」

 

「……ごめんなさい」

 

のび太は、すぐに謝った。

 

もう、何も言わない方がいい。

 

そう思ったからだった。

 

「部屋に行きなさい! 夕飯まで勉強していなさい!」

 

のび太はランドセルを拾い、階段を上がった。

 

自分の部屋に入ると、静かに扉を閉めた。

 

そして、押し入れの前に座り込む。

 

「……ドラえもん」

 

声を出した途端、涙が溢れてきた。

 

「ぼく……どうしたらいいのかな……」

 

第3話 「ドラえもん、ぼくは悪い子なの?」

「のび太くん?」

 

押し入れから顔を出したドラえもんは、いつもと違う部屋の様子に気づいた。

 

のび太は机に向かっていた。

 

しかし、ノートには何も書かれていない。目の前には0点の答案用紙があり、その上に涙の跡がいくつも残っていた。

 

「どうしたんだい? またママに怒られたの?」

 

のび太は首を横に振った。

 

「……ぼくが悪いんだ」

 

「え?」

 

「ぼくが頭が悪いから。勉強もできないし、運動もできないし……お母さんに迷惑ばっかりかけてるから」

 

ドラえもんは黙った。

 

「ぼくがもっといい子だったら、お母さんも怒らないよね?」

 

その言葉を聞いた瞬間、ドラえもんの胸が締めつけられた。

 

「のび太くん。そんなことないよ」

 

「でも……お母さん、ぼくのことが恥ずかしいって……」

 

「ママがそんなことを?」

 

のび太は、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

点数が悪いと食事を減らされること。

 

何か失敗すると、いつまでも責められること。

 

自分の話を聞いてもらえないこと。

 

そして、怒られないように毎日気をつけているのに、結局何をしても怒られてしまうこと。

 

ドラえもんは、途中で一度も口を挟まなかった。

 

最後まで聞き終えたあと、のび太の隣に座った。

 

「のび太くん。勉強ができないことと、悪い子であることは、まったく別のことだよ」

 

「……でも」

 

「失敗したら、やり方を考えればいい。分からないことがあれば、一緒に勉強すればいい。君が何かを失敗したからって、君自身に価値がなくなるわけじゃないんだ」

 

のび太の目から、また涙がこぼれた。

 

「……ぼく、お母さんに褒めてほしかっただけなんだ」

 

ドラえもんは、のび太をそっと抱きしめた。

 

「うん」

 

「一回でいいから……頑張ったねって、言ってほしかったんだ……」

 

「うん……」

 

「ぼく、そんなに悪い子なのかな……?」

 

「違うよ、のび太くん」

 

ドラえもんは、はっきりと言った。

 

「君は、悪い子なんかじゃない」

 

その言葉を聞いた途端、のび太はドラえもんの胸に顔を埋めて泣き出した。

 

いつもなら、泣き虫だと笑われるのが嫌で我慢する。

 

でも、今だけは我慢しなくてもよかった。

 

ドラえもんは何も言わず、のび太が泣き止むまでそばにいた。

 

やがて、のび太は小さな声で尋ねた。

 

「……ドラえもん。ひみつ道具で、お母さんを優しくできないかな?」

 

ドラえもんは、すぐには答えられなかった。

 

道具を使って一時的に性格を変えることなら、できるかもしれない。

 

けれど、それでは根本的な解決にはならない。

 

のび太が求めているのは、道具で操られた優しさではないはずだった。

 

「……のび太くん」

 

「なに?」

 

「ママと、ちゃんと話をしてみよう」

 

「無理だよ……。ぼくが何を言っても、怒るだけだもん」

 

「じゃあ、ぼくも一緒にいる。君が一人で我慢しなくてもいいように」

 

のび太は、少しだけ顔を上げた。

 

「……本当に?」

 

「もちろんだよ」

 

ドラえもんは、のび太の頭を優しく撫でた。

 

その夜、二人は翌日、玉子と話をすることを決めた。

 

しかし、ドラえもんはまだ知らなかった。

 

玉子の中では、すでに息子に対する怒りが、以前とは比べものにならないほど膨らんでいたことを。

 

そして翌朝。

 

野比家に、これまでとは違う波乱が訪れようとしていた。

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