第21話 さようなら、お母さん
面会の日は、静かな午後だった。
病院の面談室には、のび太とドラえもん、そして担当医がいた。母親の玉子との面会は、のび太本人の希望を確認したうえで、医師の立ち会いのもと行われることになっていた。
何かあれば、いつでも中断できる。
のび太が自分の身を守れるように、準備は整えられていた。
「……本当に、会うんだね」
ドラえもんが尋ねた。
「うん」
のび太は静かに頷いた。
手は少し震えていた。
母親に会うことが怖くないわけではない。声を聞くだけで、昔の恐怖が蘇ることもある。あの目で睨まれたら、また何も言えなくなってしまうのではないか。
そんな不安は、今でも胸の奥に残っていた。
それでも、のび太は逃げなかった。
「……僕、ずっとお母さんに言いたかったことがあるんだ」
「うん」
「でも、今までは言えなかった。怒られるのが怖かったから。嫌われるのが怖かったから。いつか褒めてもらえるかもしれないって、ずっと思っていたから」
のび太は、膝の上で握っていた手をゆっくりと開いた。
「でも、もう……自分の気持ちを隠したまま生きるのは、やめたいんだ」
ドラえもんは、彼の目を見つめた。
「……わかった。僕はここにいるよ」
「ありがとう、ドラえもん」
のび太は微笑んだ。
それは、まだ少しぎこちない笑顔だった。
けれど、そこには確かな意思があった。
◇
やがて、面会室の扉が開いた。
「……のび太」
入ってきた玉子は、息子の姿を見るなり、眉をひそめた。
久しぶりに顔を合わせたというのに、心配する言葉はなかった。
「あなた、いつまでこんなところにいるつもりなの?」
最初の言葉が、それだった。
「いつまでも治療だなんだと言って、時間を無駄にして。あなたも、もういい年なんだから、自分が何をすべきかわかっているでしょう?」
のび太は黙って聞いていた。
「勉強だって仕事だって、やればできる子なのよ。昔はあんなに頑張っていたじゃない。それなのに、どうして今になって、こんなふうになってしまったの?」
玉子は、ため息をついた。
「あなたには、まだ努力が足りないの。いつまでも周りに甘えていないで、もっと自分を鍛えなさい。そうすれば、こんな弱い人間にはならないはずよ」
のび太は、母親の顔を見つめた。
昔なら、この時点でもう俯いていた。
謝っていただろう。
自分が悪いのだと思い込んでいただろう。
もっと頑張らなければ。
もっと期待に応えなければ。
そうやって、母親の言葉を自分の心に刻みつけていた。
しかし、今ののび太は違った。
「……お母さん」
「何よ」
「僕の話を、聞いてくれる?」
玉子は露骨に不快そうな顔をした。
「何? また言い訳?」
「違うよ。言い訳じゃない」
のび太は、穏やかな声で答えた。
「今日は、僕の気持ちを話しに来たんだ」
「そんなことより、あなたはこれからどうするの? 仕事に復帰するの? 勉強は続けているの? まさか、このまま一生、誰かに面倒を見てもらうつもりじゃないでしょうね?」
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
のび太は、そのすべてを聞いた。
遮らなかった。
反論もしなかった。
ただ、母親が話し終わるのを待っていた。
そして、静かに口を開いた。
「……お母さんは、僕が何を考えているか、知ろうとしたことがある?」
「は?」
「僕が何をしたいのか。何が好きなのか。何が怖いのか。何をされると悲しいのか」
のび太は、ひとつずつ言葉を紡いだ。
「お母さんは、僕に勉強しなさいって言った。運動しなさいって言った。もっと頑張りなさいって言った。できなかったら怒って、できても、もっと上を目指せって言った」
「それが親の務めでしょう! あなたの将来のために――」
「最後まで聞いて」
のび太の声は大きくなかった。
しかし、はっきりとしていた。
玉子は、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
息子に遮られることなど、想像もしていなかったのだろう。
のび太は、母親から目を逸らさなかった。
「僕は、ずっと怖かったんだ」
その一言に、ドラえもんが目を伏せた。
「朝、起きるのが怖かった。お母さんの声を聞くのが怖かった。勉強が終わらないのが怖かった。失敗するのが怖かった」
のび太の指先が、少し震えた。
それでも、彼は言葉を止めなかった。
「何をしても、怒られる気がした。何もしていなくても、怒られる気がした。頑張っても頑張っても、これでいいんだって思えなかった」
「あなたがもっと努力すれば――」
「僕は、もう十分すぎるほど頑張ったよ!」
思わず、声が強くなった。
面談室に沈黙が落ちた。
のび太自身も、自分がこれほど強く声を出したことに驚いたようだった。
しかし、彼はすぐに呼吸を整え、続けた。
「……ごめん。怒鳴りたいわけじゃないんだ」
その言葉に、玉子は勝ち誇ったように口を開きかけた。
けれど、のび太はその前に言った。
「僕は、もう自分の気持ちをなかったことにしたくないんだ」
◇
「……お母さん。僕、別の世界に行ってきたんだ」
突然の言葉に、玉子は眉をひそめた。
「何を言っているの?」
「ドラえもんに連れて行ってもらったんだ。お母さんが、僕を追い詰めなかった世界に」
「……はあ?」
玉子の顔に、嘲るような表情が浮かんだ。
「そんな馬鹿げた話をして、私を騙すつもり?」
「信じられないのは、わかっているよ。でも、僕はそこで見てきたんだ」
のび太は、ゆっくりと目を閉じた。
思い浮かぶのは、もうひとつの世界。
自分と同じ顔をした少年。
失敗しても、母親に頭を撫でてもらえる少年。
泣いてもいいと言われ、疲れたら休んでいいと言われ、ありのままの自分を愛してもらえる少年。
そして、結婚式の日。
母親に「生まれてきてくれて、ありがとう」と言われ、幸せそうに泣いていた自分。
「……あの世界の僕は、失敗しても怒鳴られていなかった」
のび太は、静かに話し始めた。
「テストで悪い点を取っても、次に頑張ればいいって言われていた。疲れたら休んでいいって言われていた。何もできない日があっても、僕は僕のままでいいって……」
そこで、のび太の声が少し震えた。
「お母さんに、優しく頭を撫でてもらっていたんだ」
玉子は鼻で笑った。
「そんなの、ただの甘やかしでしょう。だからあなたは、いつまで経っても――」
「違うよ」
のび太は、母親を見つめた。
「僕は、そこで初めてわかったんだ」
そして、はっきりと言った。
「お母さんが、間違っていたんだよ。」
玉子の顔から、表情が消えた。
「……何ですって?」
「子供を心配することと、子供を追い詰めることは違う。将来のために勉強を教えることと、勉強ができない子供には価値がないって思わせることは違うんだ」
のび太は、震える手を膝の上に置いた。
「僕は、お母さんのために生きていた。お母さんに褒めてもらいたくて、怒られたくなくて……自分が何をしたいのかも、何が好きなのかも、わからなくなった」
目の奥が熱くなった。
けれど、彼は涙を拭かなかった。
「何を食べても味がしなかった。何を見ても楽しくなかった。仕事で成功しても嬉しくなかった。毎日、ただ仕事をして、眠って、また仕事をする。それだけだった」
玉子は口を開こうとした。
だが、のび太は続けた。
「お母さんは、僕が立派な人間になったと思っていたのかもしれない。でも、僕は違った」
彼は自分の胸に手を当てた。
「僕は、自分の心をなくしてしまったんだ」
ドラえもんは、唇を噛みしめた。
何度聞いても、胸が痛む言葉だった。
「僕があのとき、何を考えていたか、わからないんだ。何を思っていたのかも、思い出せない。ただ、お母さんに怒られないようにする。それだけだった」
のび太は母親を見つめた。
「それが、お母さんの望んだ人生だったの?」
「私は、あなたのために――!」
「僕のためって、何?」
今度は、のび太が尋ねた。
「僕のためって言えば、僕がどれだけ苦しくても、我慢しなきゃいけなかったの? 僕が泣いても、怖がっても、心が壊れても、お母さんが正しいことになるの?」
「あなたが弱いからでしょう! そんなことくらいで心が壊れるなんて、情けないと思わないの!」
玉子が声を荒らげた。
昔と同じ声だった。
昔と同じ、息子を追い詰める言葉だった。
しかし、のび太はもう俯かなかった。
「……そうだね。お母さんは、そう思うんだね」
あまりにも穏やかな返事だった。
玉子は、一瞬戸惑った。
「でも、僕はもう、その考え方を自分の中に入れないよ」
「何を……」
「お母さんが僕をどう評価しても、それはお母さんの考えだから。僕自身が、僕に価値がないって思う理由にはならないんだ」
のび太は、深く息を吸った。
胸が苦しい。
足が震えている。
今すぐ逃げ出したくなるほど怖い。
それでも、もうひとりの玉子の声が、心の中に響いていた。
――あなたは、あなたのままでいい。
のび太は、もう一度、目の前の母親を見つめた。
「……お母さん。僕は、お母さんに愛してほしかったんだ」
玉子の表情が固まった。
「ただ、褒めてほしかった。頑張ったねって言ってほしかった。失敗しても大丈夫だよって言ってほしかった。何もできなくても、僕のことを大切に思っていてほしかった」
のび太の目から、涙が零れた。
「僕は、お母さんの息子だから。お母さんに愛してもらいたかったんだ」
彼は、初めてその願いを、恥じることなく口にした。
「でも、お母さんは、僕の話を聞いてくれなかった。僕が苦しいって言っても、もっと頑張れって言った。僕が限界だって言っても、まだ足りないって言った」
涙を流しながら、のび太は微笑んだ。
悲しい笑顔だった。
「……だから、もういいんだ」
「……何?」
「もう、お母さんに認めてもらうために生きるのはやめる」
◇
「ふざけないで!」
玉子が机を叩いた。
「親に向かって何なの、その態度は! 誰のおかげでここまで大きくなれたと思っているの!」
のび太の肩が、一瞬だけ震えた。
その言葉は、何度も聞かされてきたものだった。
感謝しなさい。
恩を返しなさい。
親の言うことを聞きなさい。
そのたびに、のび太は自分の気持ちを押し殺してきた。
だが、今は違う。
「……育ててくれたことには、感謝しているよ」
のび太は答えた。
「でも、感謝していることと、何をされても我慢しなきゃいけないことは違うんだ」
「親に逆らう気!?」
「逆らいたいわけじゃないよ」
のび太は、静かに首を横に振った。
「ただ、僕はもう、お母さんの言うことを全部正しいと思うのをやめたんだ」
「あなたは間違っている! 私が正しいの! あなたの将来を考えて、どれだけ――!」
「お母さん」
のび太は、優しく呼びかけた。
「僕の将来は、僕のものなんだよ」
玉子は、顔を真っ赤にした。
「何を偉そうに! あなたは昔からそうやって、私の言うことを聞かないから――!」
「……うん」
のび太は、静かに頷いた。
「お母さんは、そう思っているんだね」
「そうよ! あなたはまだ何もわかっていない! 今からでも勉強しなさい! 仕事に戻りなさい! こんなところで治療なんかしている暇があったら――!」
「もう、いいよ」
その一言は、驚くほど静かだった。
玉子の怒鳴り声が止まった。
のび太は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「……僕は、もう十分に聞いたよ」
「座りなさい!」
「お母さんが何を考えているのかも、何を望んでいるのかも、よくわかった」
「まだ話は終わっていないでしょう!」
「うん。でも、僕の話は終わったんだ」
のび太は、母親を見つめた。
もう、彼女に理解してもらおうとは思わなかった。
自分の苦しみを認めてほしい。
間違っていたと謝ってほしい。
母親の口から、愛していると言ってほしい。
その願いが、完全になくなったわけではない。
今でも、胸のどこかに残っている。
けれど、それを叶えるために、自分の人生を差し出すことは、もうしない。
「……お母さん。僕は、これから自分の人生を生きるよ」
「勝手なことを言わないで! あなたは私の――!」
「僕は、お母さんの所有物じゃない」
のび太は、初めてその言葉を口にした。
声は震えていた。
それでも、最後まで言い切った。
「僕は、僕なんだ」
◇
「……ドラえもん、行こう」
のび太は、振り返ってドラえもんに声をかけた。
「……うん」
ドラえもんは、目元を拭いながら立ち上がった。
玉子は、信じられないものを見るように二人を睨みつけた。
「待ちなさい! まだ話は終わっていないでしょう!」
のび太は、扉へ向かって歩き出した。
「のび太! 戻ってきなさい!」
その声が、背中に突き刺さる。
足が止まりそうになった。
胸が締めつけられる。
昔の自分が、心の中で叫んでいた。
謝れ。
戻れ。
お母さんを怒らせるな。
言うことを聞け。
そうしなければ、もっとひどいことになる。
のび太は、ぎゅっと目を閉じた。
そして、もうひとつの声を思い出した。
――あなたがここにいてくれるだけで、嬉しいのよ。
――あなたは、あなたのままでいい。
のび太は、ゆっくりと目を開いた。
そして、一歩、前に進んだ。
「のび太! 聞いているの!?」
玉子の怒鳴り声が響く。
「あなたは、まだ何も成し遂げていないのよ! もっと努力しなさい! 勉強しなさい! 私の言うことを聞きなさい!」
のび太は、もう振り返らなかった。
ドラえもんが扉を開ける。
廊下には、しずか、ジャイアン、スネ夫が待っていた。
三人は、のび太の顔を見た。
涙の跡が残っている。
手も、まだ少し震えている。
それでも――。
のび太は、穏やかな顔をしていた。
「……終わったよ」
彼は、小さく微笑んだ。
「のび太さん……」
しずかが、そっと近づいた。
「大丈夫?」
「うん」
のび太は頷いた。
「……怖かったよ。すごく怖かった。今だって、まだ怖い」
正直な言葉だった。
「でも、もう大丈夫。僕は、あの人に認めてもらえなくても、自分の人生を生きていいんだって……わかったから」
ジャイアンは、唇を噛みしめたあと、力強く頷いた。
「……よく言ったな、のび太」
「うん。君は、ちゃんと自分の言葉で話せたんだね」
スネ夫も、涙を浮かべながら笑った。
しずかは、のび太の手を握った。
「……帰りましょう、のび太さん」
「うん。帰ろう、しずかちゃん」
その呼び方に、しずかは涙ぐみながら微笑んだ。
四人と一体は、並んで廊下を歩き始めた。
背後では、まだ玉子の怒鳴り声が聞こえていた。
自分の言うことを聞かない息子を罵り、呼び戻そうとする声。
けれど、のび太は歩みを止めなかった。
もう、あの声に人生を支配させない。
母親が自分をどう評価するか。
母親が自分をどう呼ぶか。
母親が自分に何を望むか。
それらは、もう、のび太の価値を決めるものではなかった。
扉の向こうへ出た瞬間、窓から差し込む午後の日差しが、彼の顔を照らした。
のび太は、ゆっくりと空を見上げた。
「……いい天気だね」
何気ない一言だった。
けれど、ドラえもんは、その言葉を聞いて目を見開いた。
のび太が、自分から景色について話した。
誰かの指示でもなく、何かを報告するためでもなく。
ただ、自分がそう感じたから。
「……うん。いい天気だね」
ドラえもんは、涙を浮かべて微笑んだ。
◇
病院を出ると、しずか達がのび太を待っていた。
ジャイアンは、照れくさそうに頭を掻いた。
「なあ、のび太。腹、減ってないか?」
「……ちょっとね」
「よし! じゃあ、何か食いに行こうぜ!」
そう言いかけて、ジャイアンは慌てて口をつぐんだ。
「……いや、無理にとは言わねえぞ。食いたくなかったら、別にいいからな」
のび太は、そんなジャイアンを見て、小さく笑った。
「ありがとう、ジャイアン。でも……今日は、何か食べたいな」
「お、おう!」
ジャイアンは、嬉しそうに顔を輝かせた。
「じゃあ、みんなで行こうぜ!」
「どこにする?」
スネ夫が尋ねる。
のび太は少し考えた。
何が食べたいのか。
どこへ行きたいのか。
自分の気持ちを探る。
まだ、はっきりとはわからない。
それでも、今日は。
「……カツ丼、食べたいな」
ぽつりと答えた。
「カツ丼?」
しずかが目を丸くする。
「うん。なんだか、食べてみたいんだ」
「いいじゃないか! よし、カツ丼だ!」
ジャイアンが笑う。
スネ夫も、しずかも、笑った。
ドラえもんは、少し離れたところで、その光景を見つめていた。
のび太は、まだ完全に回復したわけではない。
これからも、突然苦しくなる日があるかもしれない。
自分を責めてしまうこともあるだろう。
心の傷が、すべて消えるわけではない。
けれど、今日。
のび太は、自分の人生を縛っていたものから、一歩離れた。
母親を憎み続けるためではない。
母親に勝ったと証明するためでもない。
ただ、自分が自分として生きるために。
◇
帰り道。
のび太は、ふと立ち止まった。
「……ドラえもん」
「なあに?」
「僕、今日……ちゃんと話せたかな」
ドラえもんは、少し驚いたあと、優しく笑った。
「うん。ちゃんと話せたよ」
「……そっか」
のび太は、空を見上げた。
それから、照れくさそうに笑った。
「……なんだか、少しだけ、すっきりした気がする」
ドラえもんの目から、涙が零れた。
「……よかったね、のび太くん」
のび太は、ドラえもんの顔を見て、慌てた。
「えっ、ドラえもん? どうして泣いてるの?」
「な、泣いてなんかないよ!」
「いや、絶対泣いてるよ!」
「うるさいなあ、もう!」
ドラえもんが慌てて顔を背ける。
その様子を見て、しずか達が笑った。
そして、のび太も笑った。
ほんの少し、照れくさそうに。
けれど、今度の笑顔は、誰かに認めてもらうためのものではなかった。
自分の気持ちから生まれた笑顔だった。
ドラえもんは、その顔を見つめた。
かつて、空き地を走り回っていた少年。
失敗しては泣き、助けを求め、友達と笑い合っていた少年。
母親の期待に応えようとして、心を失いかけた少年。
その少年が、今、ほんの少しだけ、戻ってきたように見えた。
もちろん、あの頃とまったく同じではない。
失われた時間は戻らない。
受けた傷も、消えた記憶も、なかったことにはならない。
それでも。
のび太は、もう一度、自分の足で歩き始めていた。
「……ねえ、ドラえもん」
「何?」
「これから、少しずつでいいから……僕、自分の好きなことを探してみたいんだ」
ドラえもんは、満面の笑みを浮かべた。
「うん! 一緒に探そう!」
「しずかちゃんも、付き合ってくれる?」
「もちろんよ、のび太さん」
「俺も付き合うぞ!」
「僕もね!」
四人の声が、夕暮れの町に響いた。
のび太は、仲間達を見回した。
その表情は、柔らかかった。
怯えも、義務感も、誰かの顔色を窺うような緊張も、今は少しだけ薄れていた。
あの頃の、優しいのび太の顔だった。
そして、彼は心の中で、静かに告げた。
――さようなら、お母さん。
――僕は、もう、あなたのためだけに生きることはしない。
――これからは、僕自身のために生きていく。
それは、母親を憎むための決別ではなかった。
いつか母親が変わってくれることを期待して、待ち続けるための決別でもなかった。
自分の心を守るための、決別だった。
のび太は、ドラえもん達と一緒に歩き続けた。
その顔には、久しく見られなかった穏やかな笑みが浮かんでいた。
彼の人生は、まだこれからだった。