文化祭当日の朝、私はメイプル&ローズに向かっていた。
お店に着くと、すでに高橋君とお父さんがワゴン車で待っていた。
「おはようございます。朝早くからすみません」
「いえいえ、今日はよろしくお願いします」
高橋君のお父さんに挨拶して、さっそく機材の搬出に取りかかる。ドラムセットにアンプ類、エレピ。壊さないように気をつけながら、順番に積み込んでいった。
「江川さん、これで全部ですか?」
「ああ、忘れ物はないと思うけど、学校に着いたらもう一度確認してくれ」
江川さんは積み込まれた機材を見渡してから、私たちに向き直った。
「じゃあ、俺はいったん店に戻って杉山さんと店を任せる話をしてくる。学校にはリハーサルまでに行くから」
「はい。お待ちしています」
今日は杉山さんと小森さんにお店を任せて、江川さんは一日学校に来てくれることになっている。
私は機材を積んだ高橋君たちのワゴン車を見送り、ひと足先に学校へ向かった。
学校では、文化祭の開場前の最後の準備が進んでいた。廊下には模造紙や飾り付けが並び、教室からは呼び込みの練習らしい声も聞こえてくる。
視聴覚室では、PA業者さんたちが機材の搬入を始めていた。高橋君もドラムセットやアンプを所定の場所に運び込み、ステージの準備を進めていく。
江川さんから学校に着いたとメッセージが来た。私はひと通り作業の様子を確認してから、江川さんを迎えに行った。
事務所で待っていた江川さんは、私を見ると軽く手を上げた。
「お待たせしました。準備は進んでます」
「そうか。ところで、学校ってこんな感じだったかな」
「こんな感じって?」
「いや、文化祭の準備でみんな忙しそうだし、廊下も賑やかだし。ちゃんと高校生の文化祭なんだなと思って」
「なんですか、それ。高校生の文化祭ですよ?」
「いや、そうなんだけどさ」江川さんは苦笑した。
「まあいいか。案内してくれる?」
「はい。こっちです」
視聴覚室に戻ると、江川さんはさっそくステージのドラムセットのセッティングを確認し始めた。
スネアの位置を調整し、ペダルの踏み心地を確かめ、シンバルスタンドの配置や高さも確認していく。
その横には、高橋君がぴったりと張りついていて、江川さんが何か調整するたびに、手元をのぞき込んではノートにメモを取っている。
「スネアをこの高さにするのは、どういう理由なんですか?」
「俺の場合は、この高さが叩きやすいからだよ。無理なくリムショットを入れられるからね。体格や叩き方によっても違うし、高さを変えて自分に合う位置を探すのが一番だな」
「なるほど……!」
「シンバルスタンドの足の向きだけは、誰でも一緒。シンバルを傾けた方向に足を合わせるんだ」
「それはどうして?」
「こうすれば、シンバルが大きく揺れても倒れにくいんだ。こうやって向きを足の間にすると……ほら、倒れやすいだろ」
「なるほど、確かにそうですね。勉強になります!」
高橋君は、まるで貴重な講義を受けているかのような真剣な顔でうなずいている。
「……なに、あれ」
少し離れたところで見ていたやよいさんが、なんとも言えない顔をしていた。
「やよい、どうしたの?」
「別に。高橋のやつ、ずいぶん熱心だなと思って」
「そりゃ、店長は元プロのドラマーだもんね」
「それはそうだけど……」
やよいさんは、まだ何か言いたそうだった。
そうこうしているうちに、私たちのリハーサルの時間になった。
楽器をセッティングして、音を出してみる。マイクの音量やモニターの聞こえ方も確認し、曲を一通り演奏した。大きな問題もなく、リハーサルは無事に終了した。
いったん控室に戻ると、廊下から文化祭の来場者を案内する声が聞こえてきた。いよいよ開場だけど、私たちの出番はラスト。まだまだ時間がある。
★☆★☆★☆
リハーサルを終え、控室で腰を下ろした俺は、出番までの時間を持て余していたし、腹も少し減ってきた。
本番はトリの六番目とのことなので、まだまだ先だ。機材の準備も済んだし、じっと座って高校生に囲まれているのも落ち着かない。そんなとき、早田さんと長谷部さんが顔を出した。
「江川さん、今、時間ありますか?」
「うん、あるよ。どうした?」
「せっかくだから、文化祭を見て回りませんか?」
「案内してくれるのか?それは助かる。俺も少し見てみたいと思ってたところだよ。それになんか食べられるとありがたい」
「あ、じゃあ出店を見て、私たちと一緒に食べましょう」
俺は二人と一緒に校内を歩き始めた。
廊下には、飲食物を販売する教室や、ゲームを楽しめる教室の案内が並んでいる。生徒たちはそれぞれ衣装を着て歩き回ったり、呼び込みをしたりと大賑わいだ。
「東田さんや悠木さんは、どうしてるの?」
「二人は今、クラスの出し物の当番です」
「へえ、何をやってるんだ?」
「それは、行ってみれば分かりますよ」
長谷部さんがニヤリと笑う。
案内された教室の前には、大きな文字で「メイド喫茶」と書かれた看板が出ていた。
「ここです!」
長谷部さんが扉を開ける。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
店内から、聞き覚えのある声が飛んでくる。見るとそこにはメイド服姿の東田さんと悠木さんがいた。
「……なるほど」俺は思わず言葉に詰まった。
「ご主人様! こちらのお席へどうぞ!」
東田さんはいつもの調子で、ニコニコと俺たちを席へ案内してくれる。一方の悠木さんは、どこか居心地が悪そうな表情でついてくる。
「えっと……ご注文は?」
「やよい、ちがうちがう。ご主人様、ご注文はお決まりですか?」東田さんが水を配りながら言う。
「じゃあ、オムライスをお願いしようかな」
「私たちもオムライスね」
「ご主人様、お嬢様。かしこまりました!」
しばらくして運ばれてきたオムライスには、ケチャップでハートマークが描かれていた。
「それでは、おいしくなる魔法をかけますね!」
俺の前にオムライスのお皿を置いて、東田さんが両手でハートマークを作る。
「おいしくなーれ、萌え萌えきゅん!」
……そういうものなのか。しかし、なんだ「萌え萌えきゅん!」ってのは。
俺が微妙な顔をしていると、育美さんが隣で吹き出した。
「奈央、ノリノリだね!」
「当然でしょ。せっかくやるんだから、ちゃんとやらないと!」
東田さんは胸を張っている。
「ほら、やよいもやって!」
「えっ、私も?」
「当たり前じゃん。ほら、ご主人様が待ってますよ!」
「うう……」
悠木さんは一度俺たちを見て、それから恥ずかしそうに目をそらした。
「お、おいしくなーれ……萌え萌えきゅん……」
最後の方は、ほとんど聞こえない声だった。
「やよい、声が小さいよ!」
「もう、うるさい!」
悠木さんが顔を赤くして反論する。店内から笑い声が起こった。
俺もつられて笑ってしまった。
ステージでベースを弾いているときの悠木さんとは、ずいぶん違うものだ。
オムライスを食べ終えて教室を出ると、長谷部さんが満足そうに言った。
「どうでした? 文化祭、楽しんでますか?」
「うん。思っていた以上に面白かったよ」
「でしょ!」
長谷部さんは得意げに笑った。その後、校内を少し回ってから、俺たちは控室へ戻ることにした。
★☆★☆★☆
控室に戻ると、江川さんに着替えてくると言って更衣室に育美ちゃんと向かった。着替えて、ちょっとお化粧もしていると、当番が終わった奈央とやよいさんも入ってきた。四人ともお揃いのTシャツを着る。奈央がデザインを考えてくれたTシャツは、シンプルだけどバンドらしい仕上がりになっていた。
着替えから控室に戻ったところで、私は江川さんにTシャツを持って声をかけた。
「江川さんの分もあるんですけど、どうします?」
「いや、俺はこの黒のTシャツでいいよ。あくまで俺はサポートだからね。でも、せっかく作ったのなら買ってやるよ」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん。記念になるしね」
江川さんはそう言って笑った。
本番が近づいてくると、さすがに緊張してきた。ステージでは二年生のバンドの音が漏れ聞こえてくる。私たちはこの後の六番目、トリが私たちだ。
「うー、なんかドキドキしてきた!」
育美ちゃんが胸の前で両手を握りしめている。
「今さら緊張しても仕方ないでしょ」
やよいさんはいつも通り冷静に見えるけれど、ベースのストラップを何度も確認していた。
「こういうときは、円陣でしょ!」奈央がみんなを呼び寄せる。
「さあ、江川さんも入ってください!」
私が声をかけると、江川さんは少し驚いた顔をしたあと、笑って輪に加わってくれた。
五人で手を重ねる。
「せーの!」
「おーっ!」
声を合わせると、育美ちゃんが満足そうにうなずいた。
「よし、これで大丈夫!」
そのとき、控室の扉が勢いよく開いた。
「カナリア・コースト、出番です!」
高橋君が息を切らしながら顔を出した。
「はい!」
私たちは顔を見合わせ、楽器を手に取った。いよいよ本番だ。
★☆★☆★☆
ステージでピアノの前に座り客席を見渡すと、種村さんの姿を見つけた。
ちゃんと来てくれたんだ。
種村さんに向かって小さく手を振ると、種村さんも気づいて小さく手を振ってくれた。
視聴覚室のステージに立つと、客席にはたくさんの人が集まっていた。友達やクラスメイトの姿も見える。後ろの方まで人がいる。
育美ちゃんがマイクの前に立った。
「みなさん、こんにちはー! カナリア・コーストです!」
客席から拍手が起こる。
「今日は、とびっきりオシャレな私たちのサウンドを聴いてくださいね! それでは一曲目、『土曜の夜はパラダイス』!」
江川さんのドラムがカウントを刻み、演奏が始まった。
明るく弾むイントロが会場に広がる。奈央のギターが軽快なリズムを刻み、やよいさんのベースがリズミカルな雰囲気を作り、低音を支える。私の鍵盤がそこに重なり、曲の雰囲気を作っていく。
育美ちゃんが歌い始めると、三人のコーラスが加わった。メインボーカルを包み込むように声が重なり、曲に厚みが生まれる。
サビに入ると、育美ちゃんは客席に向かって手拍子を求めた。
最初はまばらだった手拍子が、少しずつ広がっていく。リズムに合わせて体を揺らす人もいた。イントロから最後まで、明るいノリのまま曲が駆け抜けた。
最後の音が決まると、客席から拍手が起こった。
「ありがとうございまーす!」
育美ちゃんが笑顔で手を振る。
「次は、ちょっと夏の終わりを感じる曲です。『Remember Summer Days』!」
ミドルテンポのイントロが始まる。
先ほどの曲とは違う、ゆったりとした16ビート。ベースとドラムが作る落ち着いたグルーヴに、ギターと鍵盤が重なっていく。
育美ちゃんの歌声も、さっきより少し落ち着いた表情を見せる。私たちはそれぞれの音を聴きながら、リズムを合わせていった。
曲の途中、キメの直前で私は江川さんを見た。江川さんが「ここだぞ」と言うように目線を送ってくる。
次の瞬間、全員の音がぴたりとそろった。
演奏を続けながら、やよいさんがこちらを見てウインクした。私は思わず笑いそうになりながら、鍵盤を弾き続けた。
曲が終わると、客席からまた拍手が起こった。
育美ちゃんがマイクを持って、メンバー紹介を始める。
「それでは、ここでメンバーを紹介しまーす! まずは、ベースの悠木やよい!」
やよいさんは一歩前に出て、軽く手を上げた。
「ベースの悠木です。今日はよろしく」
「相変わらずクールですねー!」
育美ちゃんが言うと、客席から笑い声が起こった。
「続いて、ギターの東田奈央!」
「ギターの奈央です! 最後まで楽しんでいってください!」
奈央は元気よく手を振った。
「そして、キーボードの早田沙織!」
「キーボードの早田です。私たちのライブを見てくれて、本当にありがとう」
私は少し照れながら頭を下げた。
「最後に、私がギターボーカルの長谷部育美! そして、今日はサポートでドラムを叩いてくださっている江川さんです!」
育美ちゃんが江川さんを紹介すると、客席から拍手が送られた。江川さんは軽く手を上げて応えた。
「それでは、次の曲です。『プラスティック・ラブ』!」
最初のゆったりとした出だしから、クラッシュシンバルを合図にギターのカッティングが始まる。
育美ちゃんの刻むコードがリズムを作り、奈央のギターが単音のフレーズでパーカッシブな雰囲気を作る。二本のギターが違う役割を担いながら、ひとつのグルーヴを生み出していた。
やよいさんのベースがバスドラムとぴたりと合い、タイトなビートを支える。
育美ちゃんの歌声が加わると、軽快なリズムの中に、どこか切なさを感じさせる雰囲気が生まれる。
曲が進むにつれて、ギターと鍵盤、ベースとドラム、それぞれの音が絡み合っていく。私の鍵盤は、ピアノで和音を作り、キーボードでホーンセクションのアタックを表現する。
後半、コーラスが入った英語のフレーズが繰り返される。四人の声が重なるたび、会場に音の広がりが生まれていった。
最後のフレーズを演奏し終え、全員で音を止めた。一瞬の間を置いて、大きな拍手が起こった。育美ちゃんが笑顔で客席に手を振る。
「ありがとうございます! 次が最後の曲になります!」
客席から「えーっ!」という声が上がった。
「わ~ありがとう、でも、最後まで手拍子忘れずにね!」
育美ちゃんが笑いながら返すと、また会場から笑い声が起こった。
「それじゃあやります!『真夜中のドア』!」
江川さんのカウントが入り、四人のコーラスが会場に広がっていく。育美ちゃんの歌声に、奈央とやよいさん、私の声が加わり、きれいなハーモニーを作り出した。
ギターの音が曲を彩り、ベースとドラムが安定したリズムを刻む。鍵盤の音がその上に重なり、四人の演奏をひとつにまとめていく。
最初、客席は静かに演奏に聴き入っていた。曲の盛り上がりとともに、手拍子が起こる。育美ちゃんの歌声が会場に響き、楽器の音がそれを支えた。
最後はイントロと同じフレーズに戻り、ゆったりとキメを合わせて演奏を終えた。
最後の音が消えた瞬間、会場に一瞬の静寂が訪れた。
そして、大きな拍手が沸き起こった。
私たち四人は客席に向かって頭を下げた。
「ありがとうございました!」
拍手は鳴りやまなかった。やがて、客席のあちこちから声が上がる。
「アンコール! アンコール!」一つの声に別の声が重なり、手拍子も広がっていく。
アンコールの歓声と手拍子が、会場を包んでいった。