三年生になって最初の大きな関門、中間テストが終わり、今日はその成績発表の日だった。
私の学校では、成績上位五十人の名前が掲示板に貼り出されることになっている。放課後、掲示板の前まで行き、上から順番に目を追って、自分の名前を探す。
見つけた。八位。前回と比べても、ほぼ変わらない。「よかった……」思わず、小さく息を吐いた。これでひとまず安心できる。部室へ向かうと、すでに三人とも来ていた。
「沙織、順位どうだった?」奈央が聞いてくる。
「八位だったわ」
「おお、さすがだぁ」
「やよいさんは?」
「私は三十二位」やよいさんが、いつもの調子で答えた。
「育美ちゃんは?」
「私は……まあ、だいたい平均くらい」
「私は、赤点一個もなかったよ」奈央が胸を張る。
「それ、自慢することなの?」
「するよ。高校三年生にもなって赤点ゼロは大事だよ」
「まあ、それはそうだけど」
そんな話をしながら、しばらくテストの話で盛り上がったけれど、今日の部活はそれだけではない。テストも終わったことだし、そろそろ文化祭に向けて演奏する曲の準備を進めなければならない。
「じゃあ、曲のデータを用意するね」
やよいさんが鞄からスマートフォンを取り出した。
「この前話してたアプリに曲のデーターを入れると、コードも出るし、ボーカルを抜いてカラオケみたいな伴奏も作れる。キーも変えられるよ」
「そんなことまでできるんだ」育美が画面をのぞき込む。
「便利だねえ」
「まあ、最近はこういうの普通だから」
やよいさんはそう言って、手慣れた様子で操作していく。
今回使う曲の音源を用意して、それをアプリに読み込ませる。画面には曲の波形と、コードらしきものが表示されていった。
「これなら練習するときにも使えそう」
「うん。あと、キーを変えるのも簡単だから、歌いやすい高さに合わせられる」
「いやいや、私たちは大変だから」
「うん、決まったらもう変えないでね」
「譜面は、私が作ることになってたよね」
「そうだよ、お願いね」
「じゃあ、音源をもらっていい?」
「はい」
やよいさんからデータを受け取った。
文化祭で演奏する予定は四曲だけど、「真夜中のドア」は、前回の文化祭のときに準備したものがある。
プラスティック・ラブはこの前作ったばっかりなので、そのまま使える。
だから新しく作るのは、「土曜の夜はパラダイス」と「Winter is coming soon」の二曲だった。
「じゃあ、今日はここまでかな」
「うん。家で譜面作ってくる」
「よろしく、沙織」
家に帰ってから、私は机に向かった。まずは「土曜の夜はパラダイス」。
細かな演奏指示まで書き込むのではなく、曲の構成とキメのリズム、尺が分かる程度の簡単なもの。
演奏するときに、今どこをやっているのかが分かればいい。
もう一曲の「Winter is coming soon」も同じように作っていく。
まずは、やよいさんからもらった音源データをアプリに読み込ませて、表示されたコードを確認する。自動で出てくるものだから、そのまま信用するわけにはいかない。コード付きの歌詞を載せているサイトも確認する。最後に、もう一度音源を最初から聴き直して、キーボードで合わせてみる。
実際に聴いてみると、分からないところもある。ここはベースはコードと違う。ここは同じコードだけど、動きが違う。そんなことを確認しながら、少しずつ譜面を直していく。しばらくして、ようやく二曲分の準備が終わった。
「これでいいかな」
プリントアウトした譜面を並べて確認する。うん。これなら練習できる。
あとは、実際に音を出してみてから考えればいい。私は譜面をファイルにまとめた。
数日後の放課後。
いつものように四人で部室に集まったけれど、今日は二年生が部室を使って練習する日だった。
「今日はここで話すの、無理だね。音、すごいし」
「じゃあ、どうする?」
「メイプル&ローズ行けば?」やよいさんが言った。
「そうだね」私も頷いた。
せっかく譜面もできたのだから、一緒に江川さんに渡しておきたい。四人で学校を出て、メイプル&ローズへ向かった。
店に入ると、ドアの鐘がカランと鳴った。
「いらっしゃいませ」
いつもの小森さんの声ではない。見ると、年配の女性がカウンターの奥からこちらを見ていた。
「どうぞ、こちらのお席でよろしいですか」
女性に案内され、四人でテーブルにつく。
「何にする?」
「私、紅茶ダージリンホットでレモンで」私はメニューを見ながら答えた。
「じゃあ、私はアイスコーヒー」やよいさんが続く。
「私はピーチソーダ」
「私はアイスココア」育美ちゃんと奈央も注文した。
注文を取り終えた女性が戻ろうとしたところで、私は声をかけた。
「あの、店長はいますか?」
「いますけど……」女性が少し怪訝そうな顔をした。
「私たち、江川店長にお世話になっていて」
私は説明する。
「これからのことで、大切なものを渡したくて……」
「大切なもの?」女性が私たちを見る。
「……」
女性はますます不思議そうな顔をした。
小さな声で、「江川君と女子高生……これから大切なもの?」と呟いた。
「え?」
何か誤解されている気がする。
女性はさらに、なにか呟きながら、カウンターのほうへ戻っていった。
しばらくすると、「よお、いらっしゃい」と声がして、江川さんが奥から出てきた。私たちに向かって手を上げる。
「江川君」
さっきの女性が江川さんに近づいた。
「あんた、なんかまずいことやってないでしょうね?」
「は?」
「青少年保護なんちゃらとか」
「何ですか、それ」
江川さんが困ったような顔をする。
「杉山さんから聞いてないんですか?」
「何を?」
「半ば杉山さんのごり押しで、あの子たちと一緒にバンドやるんですよ」
「はぁ?」
女性が目を丸くした。
「聞いてないわよ」
そして、ため息をつく。
「旦那ったら、また音楽のことになると……」
「まあ、そういう人ですから」
「わかってはいるんだけどね」
二人のやり取りを見ていると、何だか少しおかしくなってきた。
「で、今日は?」
江川さんが私たちのテーブルまで来る。
「これを渡そうと思って」
私は持ってきたクリアファイルを差し出した。
「譜面?」
「はい。あと、音源も」
やよいさんがUSBメモリを取り出す。
「mp3で入ってます」
「了解」
江川さんがクリアファイルとUSBメモリを受け取った。
「文化祭でやる曲は何曲?」
「はい。四曲です」私は説明した。
「前に一緒に演奏した二曲と、今回新しく二曲入れました」
「なるほど」
江川さんはパラパラと譜面をめくっている。
「それで、練習はどうする?」
「学校で週一回くらい、四人でやろうと思っています」やよいさんが答える。
「江川さんとは、月に二回くらいスタジオで」
「分かった」
江川さんは頷いた。
「じゃあ、そのペースでやろう」
話がまとまったところで、江川さんはカウンターに戻り、私たちはしばらくおしゃべりしてからお店を出た。
★☆★☆★☆
譜面と音源データをもらった翌週。今日は店の定休日なので、朝から久しぶりに引っ張り出したスネアとキックペダルをメンテし始めた。スタジオだから当然ドラムセットはあるだろうが、最低限これくらいは持っていこうと思う。
それぞれケースに入れて支度してから、彼女たちから渡されたクリアファイルを開いた。
四曲分の譜面。そのうち二曲は、「真夜中のドア」と「プラスティック・ラブ」
残りの二曲に目を通す。
まず、「土曜の夜はパラダイス」は、確かEPOさんだったな。
そして、「Winter is coming soon」
「え……」
俺は思わずタイトルを見直した。
「あの子たちがこれを選ぶのか?」
胸の奥に、忘れたつもりになっていたものが蘇ってきた。音源の入ったUSBメモリをパソコンに差し込み、ファイル名を確認して再生する。
間違いない。あの曲だ。
「なんで……」思わず、声が漏れた。
しばらく画面を見つめたまま、動けなかった。
★☆★☆★☆
今日は約束をした最初のスタジオ練習の日。ここは学校の最寄り駅から少し歩いたところにある音楽スタジオ。学校の部室で練習ができないときには何度も入ってるので、まぁ慣れた場所。
メイプル&ローズは水曜を定休日にしているので、スタジオ練習は水曜日の放課後にすることになっていた。
部屋に入ると、それぞれ楽器を出してセッティングを進める。江川さんもスネアとキックペダルは持ってきているみたい。
「今日は新しい二曲はまだやらなくていい」江川さんが言った。
「まずは前にやった二曲を、もう一度ちゃんと合わせよう」
「はい」
最初に「真夜中のドア」。以前も演奏した曲だけれど、江川さんと一緒にスタジオで合わせるのは初めてだ。
一度、最初から最後まで演奏してみる。演奏が終わると、江川さんが言った。
「一曲通して何となく合わせるより、今日はブロックごとにやろう」
「ブロック?」
「イントロ、Aメロ、サビっていう感じで分けてやるのさ」江川さんがホワイトボードに簡単に書いていく。
「まずイントロだけ。そこが合ったらAメロに進む」
私たちは言われた通りにまずイントロを演奏する。
「あ、キメがずれちゃいました」と奈央が言う。
「じゃあもう一回やろうか」
また演奏する。
「今度は問題ないかな」
次はAメロ。
今度は私たちの音を一つずつ確認していく。
「沙織、ここは今のでいい?」奈央が聞いてくる。
「うん、あってると思うよ」
サビに進む。
「育美ちゃんは、繰り返しの前のキメがずれたね、歌につられてる」とやよいさんが指摘する。
「だよね……」
すると江川さんがキメのリズムを軽く叩きだした。
「これに合わせて、まずギターだけやってみて」
「はい」
4回繰り返した後、「そのまま、次は歌を「あの」から入れてみて」江川さんが演奏しながら言う。
育美ちゃんは歌も入れる。
「歌なしで」「次は歌も入れて」「歌なしで」「次は入れて」しばらく繰り返してから止める。
「まだ少しぶれるけど、後は自分で練習すればいいんじゃないかな」
「はい!頑張ります!」
「ベースは……」ベースのやよいさんとは、少し細かな話になった。
音の入るタイミングだけじゃなくて、どこまで伸ばしていくか、休符の位置について確認する。そして、また演奏する。
そうやってイントロ、Aメロ、サビと順番に詰めていき、気がつけば、三時間近く経っていた。
「今日はここまでかな」江川さんが時計を見る。
「もうこんな時間ですか?」育美が驚く。
「集中してると早いだろ」
「本当だ」
時計を見ると、もうかなり遅い時間になっていた。
「遅くなったから、気をつけて帰れよ」
「はい」
私たちはスタジオを出た。駅へ向かって四人で歩く。途中まで江川さんも一緒に歩いていた。
しばらくして、江川さんが私に声をかけた。
「早田さん」
「はい?」
「譜面と音源に入ってた『Winter is coming soon』ってさ」
「はい」
「あれ、どうして知ってるの?」
「え?」
一瞬、何のことか分からなかった。
「あの曲ですか?」
「そう」
「私が動画配信サイトで見つけたんです」
「聴いてみたら好きになって。それで、みんなにも提案して、やることになりました」
「そうか」
江川さんはそれだけ言って、少し黙った。
「……明日、店に来てくれないか?君だけでも」
「え?」私は思わず聞き返した。
「私、一人ですか?」
「ああ」
「なんでですか?」
「ちょっと話したいことがある」
「……分かりました」
何の話なのだろう。私は首を傾げた。結局、その理由は分からないまま、駅の近くで江川さんと別れた。
家に帰ってからも、私はずっと考えていた。明日、私は店に行く。話したいことがあるって一体、何だろう。
今日の練習で何かまずいことをしただろうか。それとも、曲のことだろうか。でも、いくら考えても思いつかない。
「……まあ、明日になれば分かるか」
布団に入って考えているうちに、いつの間にか眠ってしまった。