話は少し前に戻る。
彼女たちから受け取った譜面と音源データの中に「Winter is coming soon」があることに気がついたときに思い出したことがある。
この曲はVelveteen Blue、六年前に解散した、俺がいたバンドの曲だ。
彼女たちが、なぜこの曲を知っているのだろう?
もちろん今でも動画配信サイトには残ったままのはずだが、俺たちがこの曲を発表した頃、彼女たちは小学生か中一か、まだ子供だったはず。
この曲は、動画配信を前提に作った曲で、作詞は俺だ。Velveteen Blueはボーカルの敦美と俺でほぼ半々で作詞していた。
冬に配信することを考えて冬の歌にした。曲調も明るいし、歌詞も暗くならないようにしたかった。
クリスマスやバレンタインみたいな冬のイベントを、楽しみにしている恋人のいる女の子。そんなイメージだ。
そして、もし敦美に恋人がいたらと、冬の街で男性と寄り添って歩いている姿を想像した。
きっと、こんな顔で笑うんだろう。そんなことを考えながら歌詞を書いた。 今思えば、ずいぶん勝手な妄想だ。
あの頃はそうやって歌詞の中の人物を作っていた。敦美が歌ったとき、その人物がちゃんと目の前にいるように聞こえればいい。
そして、曲は出来てすぐ動画配信サイトにアップしたが、思ったようには視聴が伸びなかった。
事務所からは、遠回しに数字のことを言われる。作曲したキーボードの佐藤とも、なんか曲の解釈の話が噛み合わない。結局、配信用のOKテイクが出て以降、ステージで演奏することはなかった。
そして、この頃から印税の配分を巡る話まで出てきた。
作詞と作曲、編曲に演奏。誰がどれだけ貢献したのか。その比率についての考え方、それぞれの考えにズレがあることが不満として表に出てきた。それからバンドの空気は明らかに変わり、それがVelveteen Blueの解散につながった。
だから、この曲にはいい思い出がない。
「……これを、また俺が叩くのか」
しかも、今度は女子高生と一緒に。
譜面から顔を上げる。
彼女たちは、どうしてこの曲を選んだんだろう。まず、それを聞いてみよう。できれば、別の曲にしてもらいたい。今日は、この曲の練習はしない。本人たちに事情を聞く。
そう決めたところで、スタジオへ向かう時間になっていた。
★☆★☆★☆
初めて江川さんとスタジオに入った翌日の放課後、私は一人でメイプル&ローズへ向かった。
今日は、小森さんも杉山さんの奥さん?もいなくて江川さん一人。お客さんも三人ほどいるだけの静かな店内だった。
カウンターの奥の方の席を勧められ、注文した紅茶を持ってくると、江川さんはそのまま話始めた。
単刀直入に、「Winter is coming soon」はやめて、別の曲にしてほしいと言われた。理由は詳しく教えてもらえなかった。
「ああいう曲は、好きじゃないんだ」江川さんはそう言ったけど、わざわざ頼み込んでくるくらいだもの、本当の理由があるはずだし、私はこの曲のメロディも歌詞もすごく気に入っていたから、ちゃんと理由が聞きたかった。
何度かやり取りをしたけれど、最後には、「歌詞を聞きたくない曲なんだ。だから、頼む」と頭を下げられた。そこまで言われたら、もう仕方がないと私は江川さんに答えた。
次の日の放課後に、三人にも話した。
「でも、私、この曲は好きなんだよね」
私がそう言うと、育美ちゃんも頷いた。
「私も。歌ってて楽しいし」
「じゃあ、学校では練習して、ちゃんとやれるようにしようよ。文化祭ではやらなくていいから」奈央が言う。
やよいも、「別に、練習する分には問題ないんじゃない?」と賛成した。
文化祭でやる曲からは外す。その代わり、別の曲を探す。
そうして決まったのが、杏里の「Remember Summer Days」だった。私は譜面を作り、音源も用意できたので、今日はそれを江川に渡しに来た。
店のドアを開ける。
「こんにちは」
「いらっしゃい、早田さん。一人?」
小森さんに声をかけられたところで厨房から江川が顔を出した。
「はい。江川さん、これ文化祭でやる代わりの曲です」
カウンターに座った私はクリアファイルから譜面を取り出した。
「『Remember Summer Days』?」
「はい。これなら文化祭でやってもいいかなって」
江川さんは譜面を受け取り、ざっと目を通した。
「なるほどね」
「あと、音源も入れてあります」
「分かった。ありがとう」
江川さんは譜面をテーブルに置いた。
「この前は悪かったな。わがまま言って」
「いえ……」
私は少し迷ってから言った。
「私、あの曲、好きなんですけど、あそこまで言われたら仕方ないかなって」
江川さんは少し困ったような顔をした。
「……ありがとう」
「理由は、聞かないほうがいいんですよね?」
「そうしてもらえると助かる」
江川さんはそれ以上説明しなかった。私も、それ以上は聞かなかった。
「じゃあ、今日はこれで」
「え?あ、ちょっと待って」江川が呼び止める。
「せっかく来たんだ。今日はパフェ奢るよ」
「え?」
「わがまま言ったお詫び」
「でも……」
「いいから。小森さんと話してればいいよ。俺、厨房にいるから」
そう言って、江川は厨房へ戻っていき、私はカウンター席に座った。
「じゃあ、遠慮なくいただこうかな」
「こういうときは遠慮しないほうがいいよ~」と小森さんが笑う。
二人で話をしていると、店のドアが開いた。
女性が一人。その後ろから、男性が二人入ってくる。
「いらっしゃいませ」
小森さんがカウンターを出て女性に話しかける。
「種村さん。今日はありがとうございます」
「こちらこそ。急にお願いしちゃってごめんなさいね」
女性はそう言って店内を見回した。そのとき、厨房から江川が出てきた。
「敦美、来たか」
「江川君、久しぶり」
「高橋さんも、加藤さんも。今日はよろしく」
「こちらこそ」
二人の男性が挨拶を返す。
江川さんは種村さんと親しげに話している。私は、何となくその様子を見ていた。江川さんが、あんなふうに女性と話しているところを見るのは初めてだった。少しだけ、気になった。
「今日は彼女のライブだから。よかったら聞いていけよ」
江川さんが私に声をかける。
「いいんですか?」
「もちろん」
高橋と呼ばれた男性がピアノの前に座る。加藤はベースを手に取った。
そこへ杉山がお店にやってきて、PAのセットを始める。
店の小さなステージの準備が整うと、江川もドラムセットに座った。種村と呼ばれていた女性が、ステージの中央に立つ。
店内には、ほかに三組ほど客がいた。みんな、何が始まるのか興味深そうにステージを見ている。
種村がマイクを持った。
「こんばんは。種村敦美です。普段は都内、赤坂や六本木のジャズバーで歌っています。今日はご縁がありまして、こちらで何曲か歌わせていただくことになりました。よろしくお願いします」
軽く頭を下げる。
「まず一曲目は、日本ではあの美空ひばりさんもカバーした『LOVE』を聞いてください」
そう言って、ピアノが鳴り始めた。
歌い始めると一音目から世界が変わる。まずは声量の桁が違うし、音程も、声の伸びも、息の使い方も、自分たちとはまるで違う。私は、思わず姿勢を正した。
その歌を支えるピアノとベース。そこに江川のドラムが入った。
私は、息をするのも忘れてステージを見つめていた。