お盆明けの水曜日。私たちは久しぶりにスタジオに集まった。
夏休みに入ってから、それぞれ勉強や補習、予備校の予定があって、なかなか揃って練習する時間が取れなかった。ようやく予定を合わせて、今日は久しぶりのバンド練習だ。
「じゃあ、久々だけど始めるよ!」
奈央の声で、私たちはそれぞれ楽器を構えた。
最初の曲が始まって、すぐに違和感があった。
あれ?
以前なら合っていたはずのところで、わずかにずれる。音が重なるタイミングがそろわなかったり、誰かの音が少し強く聞こえたりする。
何曲か続けてみたけれど、やっぱりどこかしっくりこない。
江川さんなら、いつもは気になるところを指摘してくれる。けれど、今日は演奏を止めることもなく、何も言わずに叩いていた。
予定している曲を何回か演奏したけれど、結局しっくりこないまま、その日の練習は終わった。
「お疲れさまでした!」
片付けを終えて帰ろうとしたとき、江川さんが私たちに声をかけた。
「次のスタジオまでに、しっかり戻しておいてくれ」
それだけを言い、江川さんは片付けが終わるとスタジオから出て行った。
「……うーん、なんかダメダメだったね」奈央が肩を落とす
「前はもっとできてたのに」やよいさんも、いつもの冷静な顔ながら、少し悔しそうだった。
「夏休みは、勉強を優先してたからね。仕方ない部分はあると思う」
育美ちゃんがそう言って、私の方を見る。
「沙織もそう思うでしょ?」
「うん。私も練習できてなかったし……」
江川さんと一緒にスタジオで練習するようになってから、私たちの演奏はずいぶんよくなったと思う。でも、それは江川さんが何とかしてくれるからではない。私たち自身が練習して、できるようになったことだ。
少し間が空いただけで、こんなに感覚が変わってしまう。でも、今までも練習の間が空いたことがあったけど、こんな感覚になったことはなかった。もしかしたら、自分たちの感覚が今まで以上に鋭くなっているのかもしれない。そう前向きに考えることにした。
「よし、二学期になったら、まずは自分たちの練習をしっかりやろう!」
奈央が気を取り直したように声を上げる。
「そうだね。文化祭まで、そんなに時間もないし」私も頷いた。
やることは分かっている。あとは、ちゃんとやるだけだ。
「でもさ、練習を頑張るのはいいんだけど」
スタジオからの帰り道で、育美ちゃんがふと思いついたように言った。
「せっかくの高校最後の夏休みなんだから、四人で何か思い出に残ることをしたくない?」
「それいいね!どこ行く? 海? 遊園地?」奈央が即座に賛成する。
「今から海水浴っていうのも、ちょっとね」やよいさんが現実的な意見を挟んだ。
あれこれ相談した結果、私たちは地元から電車で一時間ほどの小洗へ出かけることにした。海鮮市場でおいしいものを食べて、小洗磯前神社にもお参りする。ちょっとした日帰り旅行だ。
★☆★☆★☆
夏休み最後の土曜日。私たち四人は、朝から電車に乗って小洗へ向かった。
「やっぱり海鮮市場に来たら、お魚でしょ!スペシャル海鮮丼いっちゃう?」
市場の食堂に入るなり、奈央はメニューを眺めて目を輝かせた。
「奈央、さっきから何を食べるかしか言ってないよ」
「だって、どれもおいしそうなんだもん!」
育美ちゃんもあれこれ迷った末に注文を決め、やよいさんはそんな私たちを見ながら、呆れたように笑っていた。
食事を済ませたあとは、小洗磯前神社へと歩く。
お参りをして、おみくじを引く。受験を控えた私たちは、合格祈願のお守りも買った。
「これでよし。あとは勉強とバンドを頑張るだけだね!」
敦美は、買ったばかりのお守りを手に満足そうだった。
そのとき、私たちに声がかかった。
「あの、すみません。写真を撮っていただけますか?」
振り返ると、私たちと同じくらいの年齢に見える高校生のグループがいた。男子が二人、女子が六人。どうやら観光に来たらしい。
「はい、いいですよ」
私はスマホを受け取り、鳥居の前に並んだ八人にカメラを向けた。
「もう少し詰めてください。はい、撮りますね」
何枚か撮影して、スマホを返す。
「ありがとうございます!」
「いえいえ。楽しんでくださいね」
彼らはお礼を言って、また歩き出していった。
「……男子二人に女子六人。なに、ハーレム状態じゃん」やよいさんが、少し呆れたようにつぶやいた。
「そうかな? みんな仲よさそうだったけど」育美ちゃんが首を傾げる。
「まあ、いいじゃん。私たちも楽しかったし!」
奈央は、まったく気にしていない様子だった。
帰りの電車でも、私たちは今日のことを話し続けた。高校最後の夏休みに、四人で出かけた思い出ができたのはよかった。
「じゃあ、来週は部活を二日入れて、学校で四人でがっつり練習しようよ!」
育美ちゃんが言うと、みんなが頷いた。
夏休みはもうすぐ終わり、二学期が始まる。だからこそ、残された時間を大事にしなくちゃいけない。
★☆★☆★☆
二学期が始まると、学校はすぐに文化祭の準備で忙しくなった。
私たち軽音楽部も、文化祭で視聴覚室を会場にしてライブを行うことになっている。出演するのはバンドとユニットを合わせて全部で六組だ。
部員全員で集まって、当日の進行や会場の設営について話し合った。設営は二年生と一年生が中心になって進めることになり、私たち三年生は演奏の準備に集中できそうだった。
次の話題は、機材のこと。
「せっかく文化祭でライブをやるんだから、普段の練習に使ってる機材より、もう少しいいものを使いたいよね」
二年生からそんな意見が出た。
確かに、いつもの練習環境のままでは少し物足りないし、なによりPAの出力は視聴覚室の広さを考えると全然足りない。けれど、機材を借りるにはお金がかかる。
「業者から見積りを取って追加で部費を集めるしかないかな……」
そんな声が出た時に、私はふと思い出した。
「あの、もしかしたら、私に当てがあるかもしれません」
「え、本当?」
「まだ分からないけど。ちょっと相談してみたいところがあるんです」
その場では結論を保留にしてもらい、私の相談の結果を待ってもらうことで話し合いは終わり、私は育美ちゃんと一緒に生徒会室へ向かった。
一学期も生徒会に確認した、外部の演奏者を参加させるための届け出を出す必要があったからだ。
「お願いします。絶対に許可してくださいね?」
育美ちゃんが眼鏡の生徒会長に上目遣いでお願いする。私も隣で、できるだけ期待のこもった目を向けた。
「えっ、あ、はい! 大丈夫です。何とかします!」
生徒会長は、見るからにドギマギしながら答えた。
「ありがとうございます!」
私たちは満面の笑みでお礼を言い、生徒会室を出た。
「よし、これで一つクリア!」
育美ちゃんが小さくガッツポーズをする。
……生徒会長には、ちょっと申し訳ない気もしないでもない。
そして、私は次にメイプル&ローズに電話をかけた。
『はい、メイプル&ローズです』
小森さんの声が聞こえた。
「もしもし、○○高校の早田です」
『あ、沙織ちゃん?』
「はい、あの、杉山さんって、今日はお店にいらっしゃいますか?」
『え、オーナー?うーん、今日は来るかどうか分からないなあ』
「そうですか。すみません、江川さんに代わってもらえますか?」
『はーい。ちょっと待ってね。店長~』
少しして、江川さんが電話に出た。
『もしもし、江川です』
「早田です。お忙しいところすみません。実は、文化祭のライブでお店の機材をお借りできないかと思って……。杉山さんに相談することはできますか?」
『機材?どうかな?俺には決められないからなあ。分かった、杉山さんに話しておくよ。多分明日の夕方には店に来ると思うよ』
「ありがとうございます。では明日、お店に伺います」
電話を切ると、育美が期待するような目で私を見た。
「どうだった?」
「杉山さんに話しておいてくれるって」
「よし、じゃあメイプル&ローズ行こう!」
「あ、今からじゃなくて明日だから」
「そっか、じゃあみんなで行こうか」
こうして私たちは、杉山さんとの相談に行くことになった。
★☆★☆★☆
私たち四人は放課後にすぐに集まって、メイプル&ローズに向かった。
「なるほどね。文化祭のライブで使う機材か」
杉山さんは、私たちの話を聞いて頷いた。
「楽器やアンプなら貸してあげられるよ。ただ、PA機材は店のステージに組み込んであるから、学校に持っていくのは難しいな」
「そうですか……」
私たちが少し残念そうにすると、杉山さんは続けた。
「でも、PA機材とオペレーターなら知ってるやつもいるから、そいつに聞いてみるよ。文化祭だし、なるべく負担が少なく済むように相談してみる」
「本当ですか? ありがとうございます!」
四人揃って頭を下げた。
「なに、若い子たちが頑張ってるんだから、できることは協力するさ」
杉山さんは、いつもの穏やかな笑顔で答えた。
「それに、江川だけにまかせちゃ悪いでしょ?」
「本当ですよ、杉山さん。まぁでも今となっては、俺も楽しみだけどね」
「お、言うようになったねぇ」
「まったく、おじさんたちはカワイイ女子高生に甘いんだから」
小森さんがいつもの調子で二人をからかっている。
その後の相談で、お店のアンプとドラムを借り、PA機材とオペレーターは杉山さんの知り合いを紹介してもらうことになった。
これで、機材の問題は何とかなりそうだ。
★☆★☆★☆
それからも、私たちは練習を重ねた。
学校の部室で合わせ、スタジオで江川さんと一緒に合わせる。夏休みの終わりに感じた不安定さは、少しずつ消えていった。
細かなタイミングも合うようになり、全員の音が自然に重なっていく。江川さんからの指摘も、いつの間にか少なくなっていた。
練習中、ふと顔を上げると江川さんと目が合った。江川さんは少し笑って頷いてくれた。私は思わず笑顔を返す。
まだ完璧とは言えない。でも、ちゃんと前に進んでいる。文化祭まで、あと少し。
私たちカナリア・コーストの最後の舞台は、だんだんと迫ってきていた。