ナイトシティで生きるための代償
ナイトシティでは、腕の立つ人間には値段がつく。
それは、剣の腕でも、銃の腕でも、情報を盗む技術でも変わらない。
誰かが欲しがる能力を持っていれば、必ずそれを金に換えようとする人間が現れる。
そして、この街で最も恐ろしいのは、必ずしも銃を持った人間ではない。
銃を持った人間に、引き金を引かせることができる人間だ。
俺がそのことを理解するのは、初めての護衛任務を終えた翌日のことだった。
◇
「……痛っ」
左肩を動かした瞬間、鈍い痛みが走った。
俺は顔をしかめる。
場所は、リクとミナが暮らす集合住宅の一室。
窓の外では、朝から巨大な広告が騒々しい音楽を流している。
昨夜は仕事を終えた後、エリオットの手配した車でワトソンまで送ってもらった。
その頃には日が沈みかけていたが、左肩の痛みはまだ残っていた。
爆発に巻き込まれたのだから当然だろう。
むしろ、骨折も内臓の損傷もなく帰ってこられたことを喜ぶべきかもしれない。
「……いや、骨に異常がないとは限らないか」
俺は小さく呟いた。
元の世界では、治癒の奇跡と豊穣の加護に頼ることが多かった。
だが、怪我の状態を正確に把握する技術については、治療師たちの方が遥かに優れている。
俺は医者ではない。
その事実は、忘れない方がいいだろう。
左肩に触れる。
痛みは昨日より弱くなっている。
腕も動く。
少なくとも、悪化はしていないらしい。
「……日が昇ってるな」
窓から差し込む光に目を向ける。
朝日。
ビルの隙間から覗く、淡い金色の光。
俺はふと、昼と太陽の神の言葉を思い出した。
『太陽が天にある限り、我が祝福は汝と共にある』
あの神は、豪快な笑い方をする男だった。
金色の髪。
日に焼けた肌。
眩しいほどの笑顔。
初めて会ったときには、神というよりも陽気な戦士に見えたものだ。
『だが、覚えておけ。陽光は万人を照らすが、それを受け止める器には限りがある』
……そういえば。
俺は目を細めた。
元の世界では、昼間に陽光の奇跡を使っても、それほど疲れなかった。
逆に、夜間の使用は精神力を大きく消耗した。
当時は当然のこととして受け入れていたが、考えてみれば重要な違いだ。
この世界に来てからも、昼間と夜間の消耗をきちんと比較していなかった。
「……少し試してみるか」
俺は右手を胸元に当てた。
意識を集中させる。
――陽光の奇跡。
淡い金色の光が、指先に灯った。
温かな感覚が身体を包み込む。
左肩の奥に残っていた鈍い痛みが、ゆっくりと薄れていく。
同時に、精神力の消耗を確かめる。
「……やっぱりだ」
思わず呟いた。
昨夜までと比べて、明らかに負担が軽い。
太陽が昇っている間は、奇跡を維持するために必要な精神力が少なくなる。
夜間には自分の内側から力を絞り出すような感覚があるのに対し、今は外から流れ込む温かな力に身を委ねているようだった。
もちろん、無制限に使えるわけではない。
重傷者を治療したり、失われた手足を再生させたりすれば、日中でも相応の集中力が必要になる。
だが、軽傷の治療程度なら負担はかなり小さい。
「……これは覚えておいた方がいいな」
俺は奇跡を解除した。
左肩を動かす。
痛みはほとんど消えていた。
まだ多少の違和感は残っているが、戦闘に支障が出るほどではない。
俺は小さく息を吐いた。
「……助かるよ、太陽神様」
当然ながら、返事はなかった。
少しだけ寂しく思った。
◇
「カイお兄ちゃん!」
居間へ出ると、ミナが笑顔で駆け寄ってきた。
「おはよう!」
「ああ、おはよう」
俺は笑って答えた。
ミナの顔色は、最初に出会ったときより随分よくなっていた。
頬には少し赤みが戻り、呼吸も落ち着いている。
ただし、まだ痩せている。
栄養状態も十分とは言えないだろう。
「身体の調子はどうだ?」
「うん! 昨日よりずっといいよ!」
「そうか」
俺は頷いた。
昨日の夜も、ミナは以前ほど苦しそうではなかった。
陽光の奇跡によって、体力が回復しているのだろう。
だが、病気の原因そのものが取り除かれたかは分からない。
きちんとした医療機関で診てもらう必要がある。
……金も入ったことだしな。
俺はそう考えた。
「……カイ」
台所からリクが顔を出した。
「おはよう。肩、大丈夫なのか?」
「ああ。かなりよくなった」
「……本当か?」
「本当だ」
俺は腕を軽く回してみせた。
リクは目を丸くした。
「……昨日、あんなに痛そうだったのに」
「回復が早い体質なんだ」
「……便利な体質だな」
「俺もそう思う」
俺が笑うと、リクは呆れたように肩をすくめた。
それから、食卓へ視線を向ける。
「朝飯、できてるぜ」
「助かる」
食卓には、簡単な朝食が並んでいた。
パン。
温めた合成肉。
それから、栄養補助食品を使ったスープ。
豪華とは言えない。
だが、温かな食事だった。
俺は椅子に腰を下ろす。
「……いただきます」
リクが首を傾げた。
「それ、昨日も言ってたけど何なんだ?」
「食事の前に言う言葉だよ」
「へえ」
「食べ物と、作ってくれた人への感謝みたいなものだ」
リクは少し考えた。
そして、照れくさそうに笑った。
「……変わった習慣だな」
「そうかもな」
俺も笑った。
すると、ミナが両手を合わせた。
「いただきます!」
俺は思わず目を瞬かせた。
リクも妹を見る。
「……ミナ?」
「カイお兄ちゃんの真似!」
ミナは嬉しそうに笑った。
俺は少しだけ胸が温かくなるのを感じた。
……こういう時間は、いいな。
邪神との戦いが始まってから、仲間たちと落ち着いて食事をする機会は少なかった。
勇者はいつも先を急いでいたし、盗賊の仲間は食事中ですら周囲を警戒していた。
セレーネだけは、時々俺の隣で静かにお茶を飲んでいた。
彼女の淹れるお茶は、少しだけ甘かった。
……元気にしてるだろうか。
胸元の護符に、そっと触れる。
今は、まだ何も分からない。
それでも。
必ず、帰る方法を探す。
俺はそう心に決め、朝食に手を伸ばした。
◇
食事の後。
俺はリクに、昨日の報酬を見せた。
「……千五百エディー」
リクが封筒を覗き込む。
「本当に貰ったんだな」
「ああ。約束どおりだった」
「……すげえな」
リクは感心したように呟いた。
俺は苦笑する。
「命がけだったけどな」
「……それはそうだろ」
リクの表情が曇った。
昨日、俺が血まみれで帰ってきたとき、彼は本気で驚いていた。
ミナには心配をかけたくなかったため、怪我の程度を詳しく説明しなかったが、リクにはある程度話している。
「……なあ、カイ」
「ん?」
「もう少し安全な仕事、探せないのか?」
俺は少し考えた。
「探せるなら、その方がいいな」
「……だろ?」
「ああ。でも、今の俺には身分証も口座もない」
リクは黙った。
「普通の仕事に就くには、色々と足りないんだろ?」
「……まあな」
「だから、まずは生活の基盤を作る」
俺は封筒をしまった。
「通信手段。身分を証明する方法。それから、住む場所」
リクが眉をひそめた。
「……住む場所?」
「ああ」
俺は頷いた。
「いつまでも、ここに世話になるわけにはいかないからな」
「……別に、いいのに」
リクが小さく呟いた。
俺は笑った。
「ありがとう。でも、二人の生活を邪魔するわけにもいかないだろ」
「……邪魔じゃねえよ」
その声は、思ったより強かった。
俺は少し驚いた。
リクは視線を逸らした。
「……カイがいてくれた方が、安心するし」
俺は黙った。
少年の横顔を見る。
十三歳。
妹を守るために、危険な連中からデータチップを盗んだ少年。
あの行動が正しかったとは思わない。
だが、追い詰められていたことは理解できる。
「……リク」
「何だよ」
「住む場所を探しても、二人を放っておくつもりはない」
俺は静かに言った。
「何かあれば、力になる」
リクは俺を見た。
そして、小さく頷いた。
「……分かった」
俺は笑った。
「それと、今日はミナを診てもらえる医者を探したい」
リクが目を丸くした。
「……医者?」
「ああ。体調はよくなっているけど、病気の原因が分からないからな」
「……でも、金が」
「昨日の報酬がある」
俺は封筒を軽く叩いた。
リクは慌てて首を振った。
「いや、それはカイが稼いだ金だろ!」
「だから、俺がどう使うか決める」
「……っ」
リクが言葉に詰まった。
俺は続ける。
「ただし、全部出すつもりはない。診察にどれくらいかかるか調べて、払える範囲で考えよう」
無計画に金を使えば、すぐに生活が立ち行かなくなる。
その程度のことは、俺にも分かる。
だからこそ、まずは情報が必要だった。
「……それなら」
リクはしばらく考えた。
そして、頷いた。
「……知ってる場所がある」
「本当か?」
「ああ。少し遠いけど、企業の病院よりは安いはずだ」
俺は頷いた。
「じゃあ、後で案内してくれ」
リクは小さく笑った。
「……分かった」
◇
午前中。
俺たちは三人で集合住宅を出た。
ミナの体力を考え、途中で何度か休憩を挟む。
目的地は、ワトソンの一角にある小さな診療所だった。
リクによれば、低所得者でも診察を受けられる場所らしい。
もっとも、無料というわけではない。
薬も検査も、必要なら金がかかる。
それでも、大企業が運営する医療施設よりは利用しやすいという。
「……この街の医療って、ずいぶん高いんだな」
俺が呟くと、リクは肩をすくめた。
「金持ちはいい医者に診てもらえる。金がない奴は、運が悪けりゃそれまでだ」
「……そうか」
俺は周囲を見た。
高層ビル。
巨大な広告。
道路を走る高級車。
そのすぐ下には、壊れた自動販売機の前で眠る人間がいる。
……奇妙な街だ。
元の世界でも、貧富の差は存在した。
王侯貴族と農民。
商人と労働者。
魔術師と、魔術を使えない人々。
だが、この街の格差は、さらに露骨に見えた。
技術が進歩すれば、誰もが豊かになる。
前世では、そんな理想を語る人間もいた。
だが、現実はそう単純ではないらしい。
「……カイお兄ちゃん」
ミナが俺の袖を引いた。
「ん?」
「あれ、なあに?」
少女が指差した先には、巨大な広告があった。
そこには、派手な服を着た女性が映っている。
広告の文字は、俺にも何とか読めた。
『新しい身体、新しい人生!』
どうやら、サイバーウェアの宣伝らしい。
「……身体を機械にする技術の広告だな」
俺が答えると、ミナは首を傾げた。
「……痛くないのかな?」
「……どうだろうな」
俺は少し考えた。
この世界の医療技術なら、痛みを抑える方法もあるのだろう。
だが、身体を機械に置き換えるという発想は、まだ俺には馴染まない。
元の世界にも義手や義足はあった。
魔術によって動く人工の手足も存在した。
しかし、この街では健康な身体を自ら機械化する人間がいる。
力を得るため。
便利さを求めるため。
あるいは、生き残るため。
……価値観が違う。
俺は小さく息を吐いた。
「……必要な人には、必要なんだろうな」
ミナはよく分からないという顔をした。
俺は笑って、その頭を撫でた。
◇
診療所は、古びた雑居ビルの一階にあった。
入口には小さな看板。
中へ入ると、消毒液の臭いが鼻をついた。
待合室には、数人の患者が座っている。
片腕を包帯で吊った男。
咳き込む老人。
顔色の悪い女性。
そして、眠そうな子供。
受付にいた女性が、こちらを見た。
「診察?」
「ああ。この子を診てもらいたい」
俺はミナを示した。
女性は端末を操作した。
「患者IDは?」
リクが答える。
「……正式な登録はない」
女性は眉をひそめた。
「保険は?」
「……ない」
「支払いは?」
「現金で」
俺が答えた。
女性は俺を見た。
そして、少しだけ表情を和らげた。
「……分かった。まずは診察料を確認する」
端末を操作する。
画面に金額が表示された。
俺は思わず眉をひそめた。
……高いな。
昨日の報酬がなければ、簡単には払えなかっただろう。
だが、今は何とかなる。
「……お願いします」
俺は現金を差し出した。
女性は頷いた。
「少し待っていて」
俺たちは待合室の椅子に座った。
ミナは少し緊張しているようだった。
「……大丈夫だよ」
俺は静かに声をかけた。
少女がこちらを見る。
「……うん」
俺は笑った。
そして、周囲を眺めた。
医療機器。
診察室。
壁に貼られた薬品の広告。
どれも、元の世界とは大きく違う。
だが。
病気に苦しむ人間を助けたいという気持ちは、どこの世界でも同じなのだろう。
◇
診察が始まったのは、それから三十分ほど後だった。
医師は、五十代ほどの女性だった。
短い白髪。
疲れた目元。
だが、声は落ち着いている。
「……ミナちゃんね」
医師が優しく声をかけた。
「今日はどうしたの?」
リクが説明する。
数日前まで高熱が続いていたこと。
呼吸が苦しかったこと。
食欲が落ちていたこと。
そして、最近になって急に症状が改善したこと。
医師は黙って聞いていた。
その後、簡単な検査が始まった。
体温。
呼吸。
血液の状態。
小型の診断装置による検査。
俺はその様子を興味深く眺めた。
……すごいな。
元の世界では、これほど簡単に身体の内部を調べることはできなかった。
もちろん、高度な治癒魔術師なら似たようなことは可能だった。
だが、誰もが使える技術ではなかった。
この世界では、機械がその役割を担っている。
しばらくして、医師が結果を確認した。
「……なるほど」
俺は少し緊張した。
「……どうですか?」
医師は画面を見つめた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……今のところ、緊急性の高い異常は見られないわ」
リクが息を呑んだ。
「……本当!?」
「ええ。ただし、栄養状態が悪い。それに、最近まで強い炎症があった形跡がある」
俺は頷いた。
やはり、そうか。
「……原因は分かりますか?」
俺が尋ねると、医師は少し考えた。
「断定はできないけれど、呼吸器系の感染症だった可能性があるわね」
俺は眉をひそめた。
「……今は?」
「症状は落ち着いている。ただし、再発や合併症の可能性はあるから、しばらく様子を見る必要がある」
医師は続けた。
「栄養を取って、十分に休ませてあげて。呼吸が苦しくなったり、熱が戻ったりしたら、すぐに来ること」
俺は頷いた。
「……分かりました」
リクは大きく息を吐いた。
その目には、涙が浮かんでいた。
「……よかった」
ミナが兄の手を握る。
「……お兄ちゃん」
リクは慌てて目元を擦った。
「……何でもねえよ」
俺はその様子を見て、小さく笑った。
……本当によかった。
陽光の奇跡は確かに効果を発揮していた。
だが、病気の原因や今後の危険まで把握できるわけではない。
今回、診察を受けさせたのは正解だった。
俺は改めて、医療技術の重要性を実感した。
◇
診療所を出た頃には、昼を少し過ぎていた。
俺たちは近くの飲食店で簡単な昼食を取った。
ミナは以前より食欲が戻っているらしく、嬉しそうに食事をしている。
リクも、ようやく肩の力が抜けたようだった。
「……カイ」
リクが声をかけてきた。
「ん?」
「……本当に、ありがとう」
俺は笑った。
「気にするな」
「……でも」
「ミナが元気になってくれたなら、それでいい」
リクはしばらく黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「……うん」
俺は食事を続けた。
そのときだった。
ポケットの中で、何かが振動した。
「……ん?」
俺は眉をひそめた。
ポケットから取り出したのは、昨日エリオットから渡された薄いカードだった。
正確には、カード型の簡易通信端末らしい。
昨日の帰り際、エリオットの部下から渡されていたものだ。
使い方はまだよく分からない。
だが、画面には文字が表示されている。
『着信:エリオット』
「……なるほど」
俺は小さく呟いた。
どうやら、連絡が来たらしい。
リクが画面を覗き込む。
「……エリオット?」
「ああ」
「出ないのか?」
「……どうやって?」
リクが俺を見た。
そして、額に手を当てた。
「……カイ」
「何だ?」
「……本当に、何も知らねえんだな」
「昨日来たばかりだからな」
「……それ、もう聞き飽きた」
俺は苦笑した。
リクは端末を操作し、通話を繋いでくれた。
画面に、エリオットの顔が映る。
『やあ、カイ』
「……エリオット」
『昨日はお疲れさま。ずいぶん派手な仕事になったようだね』
「……聞いてるのか?」
『もちろん』
エリオットは微笑んだ。
『マーカスから報告を受けたよ。君のおかげで積み荷は無事に届いたそうだ』
「……まあ、何とか」
『それに、負傷者まで治療したとか』
俺は少しだけ目を細めた。
……やはり、そこも伝わっているか。
「……多少の手当てをしただけだよ」
『多少、ね』
エリオットは意味ありげに笑った。
俺は話題を変えることにした。
「……それで、何の用だ?」
『君に会いたがっている人がいる』
俺は眉をひそめた。
「……誰だ?」
『今回の仕事を紹介したフィクサーだよ』
俺は黙った。
エリオットは続ける。
『君の働きぶりを高く評価している。ぜひ、一度直接話したいそうだ』
「……なるほど」
『どうかな?』
俺は少し考えた。
フィクサー。
ナイトシティの裏社会で、仕事を仲介する人間。
今後もこの街で働くなら、関わる機会は多いだろう。
それに、俺にはまだ分からないことが多い。
身分証。
銀行口座。
通信手段。
そして、住居。
そういった問題を解決するためにも、情報を持っている人間と繋がる必要がある。
「……会うだけなら構わない」
俺は答えた。
エリオットが微笑んだ。
『よかった』
「……ただし、条件がある」
『何かな?』
「危険な場所に呼び出されるのは困る。できれば、人目のある場所がいい」
エリオットは少し驚いた顔をした。
だが、すぐに笑った。
『慎重だね』
「……昨日、爆発に巻き込まれたばかりだからな」
『……それはもっともだ』
男は頷いた。
『分かった。場所はこちらで調整しよう』
「助かる」
『では、明日の午後はどうかな?』
俺は少し考えた。
特に予定はない。
ミナの診察も終わった。
今のところ、急いで片づけなければならない仕事もない。
「……大丈夫だ」
『それなら、明日の午後三時に』
エリオットは言った。
『場所は後ほど送るよ』
「分かった」
『では、また』
通信が切れた。
俺は端末を見つめた。
……なるほど。
どうやら、少しずつ裏社会との関わりが深くなっていくらしい。
俺は小さく息を吐いた。
「……面倒なことにならなきゃいいけどな」
リクが苦笑した。
「……カイがそう言うと、何か起こりそうで怖いんだけど」
「……やめてくれ」
俺は笑った。
だが、内心では少し警戒していた。
この街では、何が起こるか分からない。
それは、昨日の護衛任務で十分に理解した。
◇
翌日の午後。
俺は指定された場所へ向かっていた。
場所は、ワトソン地区の一角にある小さなバーだった。
外観は古びている。
だが、入口には警備員が立っていた。
店の中からは、低い音楽が聞こえてくる。
「……ここか」
俺は小さく呟いた。
背中には、長剣を収めたケース。
服装は、いつもの暗い色のジャケットとズボン。
目立たない格好を選んだつもりだ。
だが、入口の警備員は俺を見るなり眉をひそめた。
「……おい、坊主」
「ん?」
「ここは子供の来る場所じゃねえぞ」
俺は小さくため息をついた。
……またか。
「エリオットという男に呼ばれて来た。カイだ」
警備員は一瞬、目を細めた。
そして、手元の端末を操作した。
数秒後。
「……ああ」
男は頷いた。
「聞いてる」
そして、俺を見た。
「……お前が、例の剣士か」
俺は眉をひそめた。
「……例の?」
「……いや、何でもねえ」
警備員は扉を開いた。
「入れ。奥で待ってる」
「ありがとう」
俺は礼を言い、店内へ入った。
◇
バーの中は、薄暗かった。
赤と青のネオンが壁を照らしている。
天井からは、低い音楽が流れていた。
店内には、さまざまな人間がいる。
全身を機械化した男。
派手な服装の女性。
武装した傭兵らしき集団。
そして、静かに酒を飲む老人。
俺は周囲を観察しながら、奥へ進んだ。
そのとき。
「……カイ」
声がした。
振り返る。
エリオットが立っていた。
いつもの灰色のジャケット。
左目には、淡い青色の光。
「……来てくれたんだね」
「ああ」
俺は頷いた。
「……約束したからな」
エリオットは微笑んだ。
「それじゃ、案内しよう」
俺は彼の後を追った。
店の奥。
少し離れた場所に、半個室のような席があった。
そこには、一人の男が座っていた。
年齢は四十代後半ほどだろうか。
短く整えられた黒髪。
鋭い目つき。
落ち着いた服装。
右手には、古びた指輪。
そして、テーブルの上には小型の端末。
男は俺を見ると、ゆっくりと笑った。
「……よう」
低い声。
「お前が、カイか」
俺は静かに頷いた。
「ああ」
男は俺をじっと見つめた。
そして、口元を歪める。
「……なるほど」
その目には、明らかな興味が浮かんでいた。
「……エリオットが騒ぐわけだ」
俺は眉をひそめた。
「……何の話だ?」
男は笑った。
「気にするな」
そして、右手を差し出した。
「俺はヴィクター」
俺はその手を見た。
そして、握手を返した。
「……カイだ」
ヴィクターは頷いた。
「知ってる」
男は笑った。
「……ナイトシティで、フィクサーをやってる」
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
この男が、俺に仕事を紹介した人間か。
ヴィクターは俺を見つめた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……さて、カイ」
その声は、先ほどまでとは少し違っていた。
軽い調子が消え、真剣な響きが混じっている。
「お前に、いくつか聞きたいことがある」
俺は静かに頷いた。
「……何だ?」
ヴィクターは笑った。
「まず、一つ」
そして、俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「……お前、本当に人間か?」
俺は一瞬、言葉に詰まった。
そして。
「……そのつもりだけどな」
そう答えた。
ヴィクターは声を上げて笑った。
「……ははっ!」
男は椅子にもたれかかった。
「……気に入ったぜ」
俺は小さくため息をついた。
どうやら。
この街での生活は、まだまだ退屈しそうになかった。