神々の剣士は電脳都市で生きる   作:アイエオ

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第十三話 忍び寄る影

神々の剣士、守るべき日常

 ナイトシティでは、誰かに目をつけられること自体が危険だ。

 

 強いから狙われる。

 

 金を持っているから狙われる。

 

 珍しい技術を持っているから狙われる。

 

 そして、本人に利用価値がなくても、その人間と親しいというだけで標的になることがある。

 

 フィクサーのヴィクターから話を聞いたとき、俺はその危険性を理解したつもりだった。

 

 だが、実際に自分の身近な人間が狙われる可能性を突きつけられると、話は違ってくる。

 

 俺は夕暮れのナイトシティを歩きながら、通信端末を見つめていた。

 

『君の知り合いには、特に気をつけてくれ』

 

 エリオットから届いた最後のメッセージ。

 

 その一文が、頭から離れなかった。

 

「……リク、ミナ」

 

 小さく呟く。

 

 二人は、俺がこの世界に来て初めて親しくなった人間だ。

 

 見知らぬ世界に放り出され、食べ物を手に入れる方法すら分からなかった俺に、居場所を与えてくれた。

 

 もちろん、最初に助けたのは俺の方だった。

 

 だが、それとこれとは別の話だ。

 

 あの小さな部屋で食べた朝食。

 

 ミナの笑顔。

 

 生意気な口を利きながらも、何かと俺を気遣ってくれるリク。

 

 そんな日常を、俺はもう失いたくなかった。

 

「……急ごう」

 

 俺は歩調を速めた。

 

 ただし、走り出しはしない。

 

 この街では、慌てた人間ほど目立つ。

 

 それに、相手が監視しているなら、俺がどこへ向かうのか知らせるようなものだ。

 

 まずは周囲を確認する。

 

 それから、二人の無事を確かめる。

 

 俺はフードを少し深く被り、通行人の流れに紛れ込んだ。

 

     ◇

 

 集合住宅へ向かう途中、俺は何度か足を止めた。

 

 巨大な広告の下。

 

 屋台が並ぶ通り。

 

 古びた立体駐車場の前。

 

 そのたびに、何気ない様子で周囲を観察する。

 

 ……尾行されているか?

 

 判断は難しい。

 

 ここはナイトシティだ。

 

 人通りは多い。

 

 全身を機械化した人間もいれば、顔を隠した人間もいる。

 

 同じ方向へ歩いているからといって、尾行しているとは限らない。

 

 元の世界なら、気配を探ることもできた。

 

 だが、今はまだ夕方だ。

 

 夜と月の女神の加護による敵意の感知は使えない。

 

 あの加護が教えてくれるのは、夜間における敵意ある人間の位置だ。

 

 便利な力ではあるが、万能ではない。

 

 それに、敵意を持たずに監視するだけの人間なら、夜になっても感知できるとは限らない。

 

「……難しいな」

 

 俺は小さく呟いた。

 

 剣を振るうより、こういうことの方がよほど神経を使う。

 

 しばらく歩いたところで、俺は一軒の雑貨店へ入った。

 

 店内には日用品や保存食が並んでいる。

 

 俺は飲料水を二本と、安い菓子をいくつか購入した。

 

 ミナへの土産だ。

 

 もちろん、それだけが目的ではない。

 

 店の窓越しに、通りを観察する。

 

 俺が店に入った後、立ち止まった人間はいないか。

 

 不自然に周囲を見回している者はいないか。

 

 数分間、確認する。

 

 ……少なくとも、分かりやすい尾行はいないな。

 

 俺は商品を受け取り、店を出た。

 

 そして、少し遠回りをして集合住宅へ向かった。

 

     ◇

 

「……ただいま」

 

 扉を開けると、室内から小さな足音が聞こえた。

 

「カイお兄ちゃん!」

 

 ミナが駆け寄ってくる。

 

 俺は思わず笑った。

 

「ただいま、ミナ」

 

「おかえり!」

 

 少女は嬉しそうに笑っている。

 

 顔色もいい。

 

 呼吸も落ち着いていた。

 

 ……よかった。

 

 まずは、その姿を見られただけで安心した。

 

「リクは?」

 

「奥にいるよ!」

 

 俺は頷いた。

 

「そうか」

 

 居間へ入ると、リクが古い端末を操作していた。

 

 俺を見るなり、顔を上げる。

 

「……おかえり、カイ」

 

「ああ」

 

「フィクサーとの話、どうだった?」

 

「色々聞けたよ」

 

 俺は買ってきた袋をテーブルに置いた。

 

「それより、何か変わったことはなかったか?」

 

 リクが眉をひそめた。

 

「……変わったこと?」

 

「ああ。知らない人間が訪ねてきたり、妙な連絡が来たり」

 

 リクは少し考えた。

 

「……いや、特には」

 

「そうか」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

 だが、リクは俺の顔をじっと見つめていた。

 

「……何かあったんだろ?」

 

 鋭いな。

 

 俺は苦笑した。

 

「……少しな」

 

「少しって?」

 

 俺はミナへ視線を向けた。

 

 少女は買ってきた菓子を嬉しそうに眺めている。

 

「ミナ。悪いけど、少しだけリクと話してもいいか?」

 

「うん!」

 

 ミナは素直に頷いた。

 

「じゃあ、あっちで絵を描いてるね!」

 

「ありがとう」

 

 少女が奥の部屋へ向かう。

 

 俺は、その姿が見えなくなるのを待った。

 

 そして、リクへ向き直った。

 

「……実は、昨日の襲撃について分かったことがある」

 

 リクの表情が変わった。

 

「……あの、護衛の仕事の?」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

 それから、ヴィクターとの会話を簡単に説明した。

 

 襲撃が計画的だった可能性。

 

 武装集団のリーダー、ガレス・ブレイク。

 

 そして、何者かが俺について調べ始めているらしいこと。

 

 リクは黙って聞いていた。

 

 やがて、低い声で呟く。

 

「……最悪じゃねえか」

 

「……そうだな」

 

「何でカイが狙われるんだよ」

 

「昨日、連中の仕事を邪魔したからだろうな」

 

 俺は答えた。

 

「それに、俺の戦い方が珍しかったらしい」

 

「……そりゃそうだろ」

 

 リクは呆れたように言った。

 

「剣で銃を壊して、車をひっくり返す奴なんて普通いねえよ」

 

「……それは否定できない」

 

 俺は苦笑した。

 

 だが、リクは笑わなかった。

 

「……それで、俺たちも危ないってこと?」

 

 俺は少し考えた。

 

「まだ分からない」

 

 正直に答える。

 

「相手が二人の存在を知っているかどうかも不明だ」

 

「……でも、可能性はあるんだろ?」

 

「ああ」

 

 リクは唇を噛んだ。

 

 俺は静かに続ける。

 

「だから、しばらくは気をつけてほしい」

 

「……どうすればいい?」

 

「まず、知らない人間に扉を開けないこと。俺のことを聞かれても、答えないこと」

 

 リクは頷いた。

 

「分かった」

 

「それから、何かおかしいと思ったら、すぐに連絡してくれ」

 

 俺は簡易通信端末を取り出した。

 

「使い方を教えてほしい」

 

 リクは一瞬、目を丸くした。

 

 そして、少しだけ笑った。

 

「……そこからかよ」

 

「……頼む」

 

「分かったよ」

 

 リクは端末を受け取り、操作を始めた。

 

     ◇

 

 それから三十分ほど、俺は通信端末の使い方を教わった。

 

 通話。

 

 メッセージ。

 

 位置情報の確認。

 

 緊急連絡。

 

 基本的な機能は、前世のスマートフォンに似ている。

 

 ただし、操作方法は少し違った。

 

 この世界では、サイバーウェアを使って直接情報をやり取りする人間も多いらしい。

 

 俺には、そんなものはない。

 

 今のところ、外部端末を使うしかなかった。

 

「……なるほど」

 

 俺は画面を操作した。

 

「これで、連絡できるんだな」

 

「ああ」

 

 リクが頷いた。

 

「でも、その端末は簡易型だから、機能は限られてるぞ」

 

「……そうなのか?」

 

「ちゃんとした端末を買った方がいい」

 

「……いくらくらいする?」

 

 リクは大体の相場を教えてくれた。

 

 俺は少し考えた。

 

 昨日の報酬は千五百エディー。

 

 そこから、ミナの診察料と食費を支払っている。

 

 残りは、まだある。

 

 だが、無駄遣いできるほどではない。

 

「……次の報酬が入ったら考えるか」

 

 俺が呟くと、リクは頷いた。

 

「その方がいいな」

 

 そして、少しだけ真剣な顔になる。

 

「……なあ、カイ」

 

「ん?」

 

「もし、本当に誰かが俺たちを狙ってきたら……」

 

 リクは言葉を区切った。

 

「……どうする?」

 

 俺は静かに答えた。

 

「守る」

 

 リクが顔を上げる。

 

「……絶対に?」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「できる限りのことはする」

 

 リクは黙った。

 

 俺は続ける。

 

「ただし、俺がいないときに危険が迫ったら、逃げてくれ」

 

「……逃げる?」

 

「ああ」

 

 俺は真剣な顔で言った。

 

「戦おうとするな。俺を待とうとするな。ミナを連れて、安全な場所へ逃げるんだ」

 

 リクは唇を噛んだ。

 

「……でも」

 

「リク」

 

 俺は少年の目を見た。

 

「お前がミナを守るんだ」

 

 その言葉に、リクの表情が変わった。

 

 俺は静かに続ける。

 

「俺が駆けつけるまで、二人で生き延びてくれ」

 

 しばらく沈黙が続いた。

 

 そして。

 

「……分かった」

 

 リクが頷いた。

 

 その声には、確かな決意が込められていた。

 

     ◇

 

 夜。

 

 俺は集合住宅の屋上にいた。

 

 ナイトシティの夜景が、視界いっぱいに広がっている。

 

 巨大な広告。

 

 ネオンの光。

 

 空を横切る航空機。

 

 そして、遠くから響くサイレン。

 

 ……相変わらず、騒がしい街だ。

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

 昼間とは違い、空には月が浮かんでいる。

 

 雲の切れ間から覗く、淡い光。

 

 俺は胸元の護符に触れた。

 

 セレーネ。

 

 月を見るたびに、彼女のことを思い出す。

 

 銀色の髪。

 

 群青色の瞳。

 

 少し冷たい口調。

 

 だが、仲間には誰よりも優しかった。

 

 俺が無茶をすると、いつも怒っていた。

 

『カイ。あなたは、自分の命を軽く考えすぎです』

 

 そんな声が、耳の奥に蘇る。

 

 俺は苦笑した。

 

「……今も怒られそうだな」

 

 昨日の護衛任務。

 

 爆発物へ飛び込んだことを話したら、間違いなく説教されるだろう。

 

 それでも、あの場では他に方法が思いつかなかった。

 

 ……いや。

 

 正確には、もっとよい方法があったかもしれない。

 

 だが、俺にはそれを考える時間がなかった。

 

 その結果、怪我をした。

 

 仲間たちにも心配をかけた。

 

 ……反省しないとな。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 そして、意識を集中させた。

 

 夜と月の女神の加護。

 

 夜間に、敵意を持つ人間の位置を感じ取る力。

 

 周囲の気配を探る。

 

 建物の中。

 

 路地。

 

 道路。

 

 遠くの屋上。

 

 ……何かいるか?

 

 しばらく、静かに待つ。

 

 すると。

 

「……ん?」

 

 俺は目を細めた。

 

 建物の向かい。

 

 道路を挟んだ先にある、古い立体駐車場。

 

 その二階付近。

 

 そこに、微かな反応があった。

 

 敵意。

 

 明確な殺意とまでは言えない。

 

 だが、こちらへ向けられた敵対的な気配だ。

 

 俺はゆっくりと顔を上げた。

 

 ……いるな。

 

 俺はすぐには動かなかった。

 

 相手が何者なのか、まだ分からない。

 

 ただの通りすがりかもしれない。

 

 別の人間を狙っている可能性もある。

 

 だが、気になる。

 

 俺は屋上の端へ近づいた。

 

 そして、向かいの立体駐車場を見つめた。

 

 暗い窓。

 

 壊れた照明。

 

 放置された車両。

 

 その陰に、何かが動いたような気がした。

 

「……なるほど」

 

 俺は小さく呟いた。

 

 どうやら、エリオットの忠告は正しかったらしい。

 

     ◇

 

 俺は一度、部屋へ戻った。

 

 リクは居間で端末を操作している。

 

 ミナは、すでに眠っていた。

 

「……リク」

 

 俺が声をかけると、少年が顔を上げた。

 

「……どうした?」

 

「少し、外を見てくる」

 

 リクの表情が変わった。

 

「……何かあったのか?」

 

「まだ分からない」

 

 俺は答えた。

 

「でも、気になることがある」

 

 リクは立ち上がりかけた。

 

「俺も――」

 

「いや」

 

 俺は首を横に振った。

 

「お前はミナのそばにいてくれ」

 

 リクは黙った。

 

「何かあったら、すぐに連絡する」

 

 俺は通信端末を見せた。

 

 リクはしばらく俺を見つめていた。

 

 そして、頷いた。

 

「……分かった」

 

 俺は笑った。

 

「ありがとう」

 

 それから、長剣のケースを手に取った。

 

 リクがそれを見る。

 

「……剣、持ってくのか?」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「念のためな」

 

 リクは小さく息を吐いた。

 

「……気をつけろよ」

 

「分かってる」

 

 俺は答えた。

 

 そして、部屋を出た。

 

     ◇

 

 集合住宅を出た俺は、すぐには立体駐車場へ向かわなかった。

 

 まずは、通りを歩く。

 

 屋台の前を通り過ぎる。

 

 人通りの多い交差点を渡る。

 

 そして、少し離れた路地へ入った。

 

 夜と月の女神の加護は、まだ働いている。

 

 敵意の反応は、立体駐車場の二階付近に残っていた。

 

 ……動かないな。

 

 俺は眉をひそめた。

 

 監視しているのか。

 

 それとも、待ち伏せしているのか。

 

 どちらにしても、放置するのは危険だ。

 

 俺は建物の裏手へ回った。

 

 古い非常階段がある。

 

 錆びた手すり。

 

 壊れかけた段差。

 

 だが、登れないほどではない。

 

 俺は足音を抑えながら、階段を上がった。

 

 二階。

 

 薄暗い駐車場。

 

 壊れた車両が並んでいる。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……さて。

 

 敵意の反応は、奥の柱の向こう。

 

 距離は、まだ少しある。

 

 俺は剣のケースを肩から下ろした。

 

 だが、すぐには抜かない。

 

 相手が武器を持っているとは限らないからだ。

 

 まずは、話を聞く。

 

 俺はゆっくりと歩き出した。

 

 そして。

 

「……そこにいるんだろ?」

 

 静かに声をかけた。

 

 返事はない。

 

 俺は続ける。

 

「出てきてくれ。話がしたい」

 

 数秒間、沈黙。

 

 その後。

 

「……チッ」

 

 小さな舌打ちが聞こえた。

 

 柱の陰から、一人の男が姿を現した。

 

 黒いジャケット。

 

 短く刈り込まれた髪。

 

 片目には、小型のサイバーウェア。

 

 そして、右手には拳銃。

 

 男は俺を睨んでいた。

 

「……どうして分かった?」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「……勘だよ」

 

「……ふざけるな」

 

 男が銃を構える。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

「……撃つつもりか?」

 

「動くな」

 

 男が低く言った。

 

 俺は足を止めた。

 

 ……さて。

 

 どうするか。

 

 相手は銃を持っている。

 

 距離は、およそ十メートル。

 

 この距離なら、銃弾を見てから避けることはできない。

 

 だから、相手が撃つ前に動く必要がある。

 

 だが、今は話を聞きたい。

 

「……俺に何の用だ?」

 

 俺は尋ねた。

 

 男は黙っていた。

 

 俺は続ける。

 

「誰かに頼まれたのか?」

 

 男の目が僅かに動いた。

 

 ……当たりか。

 

「……誰だ?」

 

 俺が尋ねると、男は歯を食いしばった。

 

「……黙れ」

 

 そして、銃口をこちらへ向けた。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……仕方ない。

 

 次の瞬間。

 

 男の指が引き金へかかった。

 

 俺は、その動きを見た。

 

 そして、身体を横へ滑らせる。

 

 銃声。

 

 弾丸が、俺のいた場所の後方にある壁を叩いた。

 

 俺は地面を蹴った。

 

 一気に距離を詰める。

 

「――なっ!?」

 

 男が驚く。

 

 俺は右手で銃を持つ腕を掴んだ。

 

 そして、手首を捻る。

 

「ぐあっ!」

 

 銃が床へ落ちた。

 

 俺は男の腕を背中側へ回し、柱へ押しつけた。

 

「……落ち着け」

 

 低く言う。

 

 男は暴れた。

 

 だが、俺の力から逃れることはできない。

 

「……くそっ!」

 

 俺は静かに尋ねた。

 

「……誰に頼まれた?」

 

 男は黙っていた。

 

 俺は続ける。

 

「俺を監視していたんだろ?」

 

「……知らねえ!」

 

「そうか」

 

 俺は頷いた。

 

「じゃあ、何で銃を向けた?」

 

 男は言葉に詰まった。

 

 俺は少しだけ力を緩めた。

 

「……話してくれれば、これ以上何もしない」

 

 男は荒い息を吐いた。

 

 しばらくして。

 

「……俺は、ただの見張りだ」

 

 低く呟いた。

 

 俺は目を細めた。

 

「……見張り?」

 

「ああ」

 

 男は続けた。

 

「……お前が、どこに住んでるか調べろって言われた」

 

 俺の表情が変わった。

 

「……誰に?」

 

 男は黙った。

 

 俺は静かに言った。

 

「……答えてくれ」

 

 しばらく沈黙が続いた。

 

 そして。

 

「……ガレスの仲間だ」

 

 男が呟いた。

 

 俺は目を細めた。

 

 ……やはりか。

 

「……ガレス・ブレイク?」

 

 男は頷いた。

 

「……ああ」

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 どうやら、昨日の襲撃犯たちは、まだ俺を諦めていないらしい。

 

     ◇

 

「……何を調べろと言われた?」

 

 俺は尋ねた。

 

 男はしばらく黙っていた。

 

 だが、やがて諦めたように口を開いた。

 

「……住所と、出入りする人間」

 

 俺の表情が変わった。

 

「……それだけか?」

 

「……ああ」

 

 男は頷いた。

 

「俺は、それだけしか聞いてねえ」

 

 俺は男の顔を見つめた。

 

 嘘をついている可能性はある。

 

 だが、今のところ判断する材料がない。

 

「……他にも見張りはいるのか?」

 

 男は首を横に振った。

 

「……知らねえ」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

 ……面倒だな。

 

 この男を倒したところで、問題は解決しない。

 

 依頼した人間がいる限り、別の監視役が送られてくる可能性がある。

 

 それに、すでにリクとミナの存在を知られているかもしれない。

 

 俺は少し考えた。

 

 そして、男の腕を離した。

 

「……行け」

 

 男が目を見開いた。

 

「……は?」

 

「帰っていい」

 

 俺は静かに言った。

 

「ただし、伝えてくれ」

 

 男は俺を見つめた。

 

「……何を?」

 

 俺は一歩近づいた。

 

「俺に用があるなら、直接来い」

 

 男の表情が強張る。

 

「……俺の知り合いには手を出すな」

 

 俺は続けた。

 

「もし、無関係な人間を巻き込むつもりなら――」

 

 そこで言葉を区切る。

 

 そして、男の目を真っ直ぐに見た。

 

「……俺も、遠慮しない」

 

 男は息を呑んだ。

 

 俺はそれ以上、何も言わなかった。

 

 しばらくして、男は落とした銃を拾おうとした。

 

「……銃は置いていけ」

 

 俺が言うと、男は動きを止めた。

 

 そして、舌打ちをして走り去った。

 

 俺はその背中を見送った。

 

 ……さて。

 

 これで、少しは時間を稼げるだろうか。

 

 いや。

 

 むしろ、相手を刺激した可能性もある。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

「……ヴィクターに相談するか」

 

 今の俺には、情報が足りない。

 

 そして、この街で情報を持っているのは、フィクサーのような人間だ。

 

 俺は通信端末を取り出した。

 

     ◇

 

 数分後。

 

 俺はエリオットへ連絡を入れていた。

 

『……監視役を捕まえた?』

 

 通信越しに、男の驚いた声が聞こえる。

 

「ああ」

 

『……怪我は?』

 

「俺は大丈夫だ」

 

『相手は?』

 

「少し腕を捻っただけだ」

 

 エリオットは小さく息を吐いた。

 

『……君らしいね』

 

 俺は苦笑した。

 

「……そうか?」

 

『普通、銃を向けられたら、もっと大きな騒ぎになるものだよ』

 

「……まあ、そうかもな」

 

 俺は周囲を見回した。

 

 立体駐車場は静まり返っている。

 

 だが、いつまでもここにいるわけにはいかない。

 

「……それで、相談がある」

 

『何かな?』

 

「リクとミナを、安全な場所へ移したい」

 

 エリオットは黙った。

 

 俺は続ける。

 

「今の住居が知られた可能性がある」

 

『……なるほど』

 

 男の声が少し低くなった。

 

『それは、早めに動いた方がいいね』

 

「……手伝ってもらえるか?」

 

『もちろん。ただし、少し時間をくれ』

 

 俺は頷いた。

 

「……分かった」

 

『それと、カイ』

 

「ん?」

 

『今夜は、できるだけ外出を控えてくれ』

 

 俺は少し考えた。

 

「……理由は?」

 

『君の周囲を調べている人間が、どれくらいいるか分からないからだ』

 

 ……なるほど。

 

 確かに、今は慎重に動くべきだ。

 

「……分かった」

 

『明日の朝までに、何か手配できるか確認するよ』

 

「助かる」

 

『では、また』

 

 通信が切れた。

 

 俺は端末をしまった。

 

 そして、静かに空を見上げた。

 

 月が、雲の間から覗いている。

 

 淡い光。

 

 俺は胸元の護符に触れた。

 

「……セレーネ」

 

 小さく呟く。

 

 彼女なら、こういう状況でどうするだろうか。

 

 きっと、冷静に情報を集めるだろう。

 

 そして、俺が無茶をしようとすれば、容赦なく止めるはずだ。

 

 ……そうだな。

 

 今は、焦らないことが大切だ。

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

 そして、集合住宅へ戻ることにした。

 

     ◇

 

 同じ頃。

 

 ナイトシティの別の場所。

 

 薄暗い倉庫の中で、一人の男が通信端末を握りしめていた。

 

 ガレス・ブレイク。

 

 両腕を機械化した巨漢。

 

 昨日の戦闘で右腕の駆動部を破壊され、現在は応急修理を受けている。

 

 男の表情は、怒りに歪んでいた。

 

「……あのガキが」

 

 低い声が響く。

 

 目の前には、先ほど立体駐車場から逃げ帰った男が立っていた。

 

「……すみません、ボス」

 

 男は俯いている。

 

「……見つかりました」

 

 ガレスは黙っていた。

 

 そして、ゆっくりと口を開く。

 

「……何を言われた?」

 

 男は躊躇した。

 

 だが、やがて答えた。

 

「……用があるなら、直接来いと」

 

 ガレスの目が細くなる。

 

「……ほう」

 

「それから……」

 

「……何だ?」

 

「……知り合いには手を出すな、と」

 

 その瞬間。

 

 ガレスは低く笑った。

 

「……なるほどな」

 

 男は機械化された左手を握りしめた。

 

 金属が軋む。

 

「……弱点があるってことか」

 

 見張りの男が顔を上げた。

 

「……ボス?」

 

 ガレスは笑った。

 

 だが、その笑みには、温かさなど欠片もなかった。

 

「……あのガキ、強いのは確かだ」

 

 男は続けた。

 

「だが、強い奴ほど、自分の力を過信する」

 

 そして、端末を操作した。

 

「……正面から勝てないなら、別の方法を考えればいい」

 

 画面には、集合住宅の外観が映っていた。

 

 ガレスはそれを見つめた。

 

「……さて」

 

 低く呟く。

 

「……どこまで守れるか、試してやろうじゃねえか」

 

 その声が、倉庫の中に響いた。

 

 そして。

 

 神々の剣士を巡る争いは、静かに次の段階へ進もうとしていた。

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