神々の剣士は電脳都市で生きる   作:アイエオ

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第十五話 安全な場所などない

神々の剣士、ナイトシティの裏側を知る

 ナイトシティには、安全な場所など存在しない。

 

 そんな言葉を、以前どこかで聞いた気がする。

 

 前世で遊んだゲームだったか。

 

 それとも、この街へ来てから耳にした言葉だったか。

 

 今となっては、はっきり覚えていない。

 

 だが、少なくとも一つだけ分かったことがある。

 

 この街で誰かを守ろうとするなら、剣の腕だけでは足りない。

 

 敵を倒す力。

 

 危険を見抜く知恵。

 

 逃げ道を確保する準備。

 

 そして、信頼できる人間との繋がり。

 

 そのすべてが必要なのだ。

 

 俺は通信端末に表示されたメッセージを見つめながら、静かに息を吐いた。

 

『ガレスの拠点周辺で、複数の武装集団が動いているらしい』

 

 エリオットからの連絡。

 

 昨日、俺を監視していた男を捕まえたばかりだというのに、事態はさらに複雑になっているらしい。

 

「……さて、どうしたものかな」

 

 窓の外では、朝のナイトシティが動き始めていた。

 

 巨大な広告が光り、道路には車両が溢れている。

 

 その喧騒の中で、俺は通信端末の通話機能を起動した。

 

     ◇

 

『おはよう、カイ』

 

 数回の呼び出し音の後、エリオットの声が聞こえた。

 

「ああ、おはよう」

 

『連絡が早いね』

 

「気になることが多すぎてな」

 

『……それはそうだろうね』

 

 エリオットは苦笑したようだった。

 

 俺は窓際から離れ、声を少し落とした。

 

「まず確認したい。昨夜、行方不明になった男っていうのは、俺が捕まえた監視役のことか?」

 

『その可能性が高い』

 

「……可能性?」

 

『身元を完全には確認できていないんだ。ただ、ガレスの部下の一人が昨夜から連絡を絶っている』

 

 俺は眉をひそめた。

 

「俺が最後に見たときは、自分の足で逃げていったぞ」

 

『分かっている。君を疑っているわけじゃないよ』

 

「そうか」

 

『むしろ、こちらが気にしているのは別のことだ』

 

 エリオットの声が少し低くなる。

 

『その男が、君について何を報告したのか。そして、誰に報告したのか』

 

 ……なるほど。

 

 俺は少し考えた。

 

 昨夜の監視役は、ガレスの仲間だと名乗った。

 

 だが、それが事実かどうかは確認できていない。

 

 本人がそう言っただけだ。

 

 俺は相手の敵意を感知できても、心の中を読めるわけではない。

 

「……ガレス以外にも、俺を調べている奴がいるのか?」

 

『その可能性が出てきた』

 

「理由は?」

 

『昨日の襲撃現場から回収された通信記録に、不自然な点が見つかったんだ』

 

 俺は黙って耳を傾けた。

 

『ガレスの部隊が使っていた通信回線に、別の指示系統から接続した痕跡があった』

 

「……つまり?」

 

『誰かがガレスたちに指示を出していた可能性がある』

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

 あの襲撃には、狙撃手も爆発物も用意されていた。

 

 単なる強盗にしては、準備が周到すぎる。

 

 もちろん、医療物資を奪うために大掛かりな計画を立てた可能性もある。

 

 だが、別の目的があったとしたら?

 

「……医療物資だけが狙いじゃなかった?」

 

『まだ断定はできない』

 

 エリオットは慎重に答えた。

 

『ただ、ヴィクターはその可能性も調べている』

 

「……分かった」

 

 俺は頷いた。

 

「それで、リクとミナの避難先は?」

 

『そちらは手配できたよ』

 

 エリオットの声が少し明るくなる。

 

『ワトソンの外れに、小さな部屋を確保した。短期間の滞在用だけど、今の集合住宅よりは管理がしっかりしている』

 

「……安全なのか?」

 

『絶対とは言えない』

 

 その答えは、むしろ信用できた。

 

『建物には警備員がいるし、出入口の監視もある。部屋の契約者名も、君たちとは直接結びつかないようにしてある』

 

「……なるほど」

 

『ただし、移動するときに尾行されれば意味がない。そこは慎重に進めたい』

 

「分かった。何時に動けばいい?」

 

『午前十時。迎えの車を出す』

 

「……誰が来る?」

 

『レナだよ』

 

 俺は少し驚いた。

 

「……レナ?」

 

『昨日、一緒に護衛任務をした彼女だ』

 

「それは分かるけど……」

 

 俺は苦笑した。

 

「また巻き込んでしまうな」

 

『本人が引き受けたんだ』

 

 エリオットは言った。

 

『君には借りがある、とね』

 

 俺は少し黙った。

 

 昨日の護衛任務。

 

 レナとは、銃弾が飛び交う中で一緒に戦った。

 

 まだ付き合いは短いが、少なくとも信頼できる人間だと思っている。

 

「……ありがたいな」

 

『そう伝えておくよ』

 

 エリオットは一呼吸置いた。

 

『それと、カイ』

 

「ん?」

 

『今回の避難先は、ヴィクターが手配したものだ。費用の話は後で相談しよう』

 

「……ああ。分かった」

 

 ただで何でもしてもらえるとは思っていない。

 

 それに、俺はフィクサーと仕事をする立場になった。

 

 借りを作ることの意味も、少しずつ理解し始めている。

 

「……エリオット」

 

『何かな?』

 

「二人を安全な場所へ移したら、ヴィクターと話がしたい」

 

『……ガレスの件かい?』

 

「ああ」

 

 俺は静かに答えた。

 

「いつまでも逃げ続けるわけにはいかないからな」

 

     ◇

 

 通話を終えた俺は、居間へ戻った。

 

 そこでは、リクが朝食の準備をしていた。

 

 ミナは椅子に座り、シルヴァの頭を撫でている。

 

 銀色の霊狼は床に伏せ、気持ちよさそうに目を細めていた。

 

 ……すっかり馴染んでいるな。

 

「おはよう、二人とも」

 

「おはよう、カイ」

 

「カイお兄ちゃん、おはよう!」

 

 ミナが元気よく手を振った。

 

 俺も笑って手を振り返す。

 

 シルヴァは顔を上げ、こちらへ視線を向けた。

 

「おはよう、シルヴァ」

 

 狼は静かに尾を揺らした。

 

 その背中には、小さな毛布がかけられている。

 

 昨夜、ミナが持ってきたものだ。

 

 ……霊狼に毛布が必要なのかは、少し疑問だけどな。

 

 もっとも、シルヴァ本人は嫌がっていない。

 

 なら、問題ないだろう。

 

「……カイ」

 

 リクが声をかけてきた。

 

「エリオットから連絡?」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「避難先が決まった」

 

 リクの手が止まった。

 

「……本当に?」

 

「ああ。午前十時に迎えが来る」

 

 ミナが首を傾げた。

 

「……お引っ越し?」

 

 俺は少女へ視線を向けた。

 

「そうだな。しばらく別の場所で暮らすことになる」

 

「……ここ、もう帰ってこないの?」

 

 ミナの声が少し小さくなった。

 

 俺は椅子を引き、少女と目線を合わせた。

 

「まだ分からない。でも、荷物は全部持っていかなくても大丈夫だよ」

 

「……そうなの?」

 

「ああ」

 

 俺は笑った。

 

「ちょっとした旅行みたいなものだ」

 

 ミナは少し考えた。

 

 そして、シルヴァを見た。

 

「……シルヴァも一緒?」

 

「もちろん」

 

 俺が答えると、少女の顔が明るくなった。

 

「やった!」

 

 シルヴァも小さく鼻を鳴らした。

 

 俺はその様子を見て、少し安心した。

 

 だが、リクの表情は硬いままだった。

 

「……カイ」

 

「ん?」

 

「本当に大丈夫なのか?」

 

 俺は少し考えた。

 

 そして、正直に答えた。

 

「……絶対に大丈夫とは言えない」

 

 リクは黙った。

 

「でも、今のままここにいるよりは安全になるはずだ」

 

 俺は続けた。

 

「それに、俺もシルヴァもいる」

 

 リクはシルヴァへ視線を向けた。

 

 狼は静かにこちらを見つめている。

 

 しばらくして、少年は頷いた。

 

「……分かった」

 

 俺は笑った。

 

「ありがとう」

 

     ◇

 

 午前九時半。

 

 荷物の準備は、ほとんど終わっていた。

 

 リクとミナの持ち物は、驚くほど少なかった。

 

 衣服。

 

 古い端末。

 

 少しの食料。

 

 そして、ミナが大切にしている小さな人形。

 

 それだけだった。

 

 俺は部屋を見回した。

 

 古びた壁。

 

 狭い台所。

 

 壊れかけた家具。

 

 決して快適な住居ではない。

 

 だが、ここには確かに生活があった。

 

 リクが必死に守ってきた、二人だけの居場所。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

「……よし」

 

 そして、長剣のケースを肩へ担いだ。

 

 シルヴァへ視線を向ける。

 

「……頼むぞ」

 

 霊狼は静かに頷くように頭を下げた。

 

 次の瞬間、その身体が薄れていく。

 

 銀色の毛並み。

 

 青白い瞳。

 

 そして、四本の脚。

 

 それらが霧のように消えた。

 

 リクは、その様子を見て小さく息を吐いた。

 

「……何回見ても慣れねえな」

 

「俺も最初は驚いたよ」

 

 俺は笑った。

 

「……カイでも?」

 

「ああ」

 

 神々の力というものは、時々こちらの常識を軽々と超えてくる。

 

 もっとも、今の俺がそんなことを言っても説得力はないだろうが。

 

「……じゃあ、行こうか」

 

 俺は扉へ向かった。

 

 そのとき。

 

 ミナが小さな声で言った。

 

「……カイお兄ちゃん」

 

「ん?」

 

「……ここ、好きだったな」

 

 俺は足を止めた。

 

 ミナは部屋を見回している。

 

 少し寂しそうだった。

 

 俺は少女の頭へ手を置いた。

 

「……また帰ってこられるようにしよう」

 

 ミナが顔を上げる。

 

「……ほんと?」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「そのためにも、今は安全な場所へ行こう」

 

 少女は少し考えた。

 

 そして、小さく頷いた。

 

「……うん」

 

     ◇

 

 午前十時。

 

 集合住宅から少し離れた通りに、一台の車が停まった。

 

 灰色の車体。

 

 目立たない外装。

 

 窓には、薄いスモークがかかっている。

 

 運転席の窓が下がった。

 

「よう、カイ!」

 

 聞き覚えのある声。

 

 俺は思わず笑った。

 

「……レナ」

 

 短い赤茶色の髪。

 

 左腕のサイバーウェア。

 

 そして、相変わらず快活な笑顔。

 

 昨日、一緒に護衛任務をした女性だった。

 

「元気そうじゃないか!」

 

「ああ。おかげさまで」

 

 俺は頷いた。

 

「昨日はありがとう」

 

「何言ってんだい」

 

 レナは笑った。

 

「礼を言うのはこっちの方さ」

 

 そして、俺の後ろにいる二人へ視線を向けた。

 

「……この子たちが?」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「リクとミナだ」

 

 リクが少し警戒した様子で頭を下げる。

 

「……どうも」

 

 ミナも続いた。

 

「こんにちは!」

 

 レナは笑顔になった。

 

「こんにちは!」

 

 そして、俺を見た。

 

「……なるほどね」

 

「……何が?」

 

「いや、あんたが必死になる理由が分かった気がしてさ」

 

 俺は少し苦笑した。

 

「……そうか?」

 

「ああ」

 

 レナは頷いた。

 

「さて、乗りな。話は移動しながらにしよう」

 

 俺たちは車へ乗り込んだ。

 

 シルヴァも、姿を消したまま後部座席へ入る。

 

 もっとも、レナには見えていない。

 

 ミナが小さく笑った。

 

「……シルヴァも乗ったよ」

 

 レナが首を傾げる。

 

「……シルヴァ?」

 

 俺は一瞬、言葉に詰まった。

 

 ……しまった。

 

 まだ説明していなかった。

 

「……あとで話すよ」

 

 俺が答えると、レナは怪訝そうな顔をした。

 

 だが、すぐに笑った。

 

「……あんた、本当に秘密が多いね」

 

 俺は苦笑するしかなかった。

 

     ◇

 

 車は、ワトソンの通りを走り始めた。

 

 窓の外には、見慣れつつある街並みが流れていく。

 

 巨大な広告。

 

 路上の屋台。

 

 古びた集合住宅。

 

 そして、至るところにいる武装した人間たち。

 

 ミナは窓の外を興味深そうに眺めていた。

 

 リクは、少し緊張した様子で座っている。

 

 俺は周囲の車両を確認していた。

 

 ……尾行は?

 

 前方。

 

 後方。

 

 隣の車線。

 

 今のところ、不自然な動きは見えない。

 

 だが、油断はできない。

 

「……カイ」

 

 レナがバックミラー越しに声をかけてきた。

 

「ん?」

 

「そんなに睨んでたら、周りの車が逃げちまうよ」

 

 俺は少し苦笑した。

 

「……そんな顔してたか?」

 

「ああ」

 

 レナは笑った。

 

「まるで、今から戦場に突っ込むみたいな顔だ」

 

「……昨日のことがあるからな」

 

 俺が答えると、レナの笑みが少し薄れた。

 

「……まあね」

 

 彼女は前方へ視線を戻した。

 

「あたしも、あの襲撃は気になってる」

 

「……そうなのか?」

 

「ああ」

 

 レナは頷いた。

 

「ただの強盗にしては、準備がよすぎた」

 

 俺も同じことを考えていた。

 

「……ヴィクターも調べてるらしい」

 

「知ってる」

 

 レナは答えた。

 

「マーカスも協力してるよ」

 

 俺は少し驚いた。

 

「……マーカスが?」

 

「ああ」

 

 レナは笑った。

 

「あの人、見た目は怖いけど、仕事には真面目だからね」

 

 ……確かに。

 

 昨日のマーカスは、常に輸送車両と仲間の安全を優先していた。

 

 あの状況で冷静に指示を出し続けたのは、簡単なことではない。

 

「……また会ったら、礼を言いたいな」

 

 俺が呟くと、レナは笑った。

 

「言ってやりな。喜ぶよ」

 

     ◇

 

 それから十分ほど走った頃だった。

 

 俺は、ふと違和感を覚えた。

 

 後方。

 

 黒い小型車両。

 

 先ほどから、同じ距離を保って走っている。

 

 ……偶然か?

 

 俺は少し考えた。

 

 この街では、交通量が多い。

 

 同じ方向へ向かう車がいても、不思議ではない。

 

 だが。

 

 レナが交差点を曲がる。

 

 黒い車両も曲がる。

 

 さらに、別の通りへ入る。

 

 黒い車両も、同じ方向へ進む。

 

 ……怪しいな。

 

 俺は声を落とした。

 

「……レナ」

 

「ん?」

 

「後ろの黒い車、気づいてるか?」

 

 レナの表情が変わった。

 

 バックミラーへ視線を向ける。

 

「……ああ」

 

 声が低くなった。

 

「三つ前の交差点から、ずっとついてきてる」

 

 ……やっぱりか。

 

「……尾行か?」

 

「まだ断定できない」

 

 レナは答えた。

 

「でも、確認してみよう」

 

 彼女はハンドルを切った。

 

 車が、細い通りへ入る。

 

 黒い車両も続いた。

 

 さらに、次の角を曲がる。

 

 黒い車両は、少し遅れて曲がってきた。

 

 レナが舌打ちした。

 

「……ビンゴ」

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……面倒だな。

 

 だが、今はリクとミナがいる。

 

 無理に戦うわけにはいかない。

 

「……どうする?」

 

 俺が尋ねると、レナは笑った。

 

「決まってる」

 

 そして、アクセルを踏み込んだ。

 

「……振り切るよ!」

 

     ◇

 

 車が加速した。

 

 エンジン音が高くなる。

 

 ミナが驚いたように声を上げた。

 

「……わっ!」

 

「大丈夫だよ」

 

 俺は少女へ声をかけた。

 

「しっかり座っててくれ」

 

 リクはミナの手を握った。

 

 俺は後方を確認する。

 

 黒い車両も速度を上げていた。

 

 ……追ってくるか。

 

 レナは巧みに車を操っている。

 

 狭い路地。

 

 複雑な交差点。

 

 交通量の多い通り。

 

 その間を、滑らかに走り抜けていく。

 

 ……上手いな。

 

 昨日の護衛任務では、彼女は主に銃を使っていた。

 

 だが、運転技術もかなりのものらしい。

 

「……レナ!」

 

 俺は声をかけた。

 

「後ろ、距離が縮まってる!」

 

「分かってる!」

 

 レナは答えた。

 

「でも、ここで撃ち合うわけにはいかないだろ!」

 

「……ああ!」

 

 俺は頷いた。

 

 そのとき。

 

 黒い車両の窓が開いた。

 

 中から、何かが突き出される。

 

 ……銃か!

 

「――伏せろ!」

 

 俺が叫んだ瞬間。

 

 銃声が響いた。

 

 乾いた連続音。

 

 弾丸が車体を叩く。

 

 金属音。

 

 ガラスに細かな亀裂が走った。

 

「きゃっ!」

 

 ミナが悲鳴を上げる。

 

 俺は少女を抱き寄せ、身体を低くした。

 

 リクも頭を伏せている。

 

 レナが歯を食いしばった。

 

「……くそっ!」

 

 車が急旋回する。

 

 弾丸が後方の壁を叩いた。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……まずいな。

 

 このままでは、いずれ車体が持たない。

 

 だが、剣を抜いて飛び出すわけにもいかない。

 

 リクとミナを置いていくことになる。

 

 それに、走行中の車から飛び降りれば、二人がさらに危険になる可能性もある。

 

 ……どうする?

 

 そのとき。

 

 俺の足元で、微かな気配が動いた。

 

 シルヴァだ。

 

 姿を消した霊狼が、こちらを見上げているような感覚があった。

 

 俺は一瞬、考えた。

 

 そして、小さく首を横に振った。

 

「……まだだ」

 

 シルヴァは動きを止めた。

 

 俺は静かに続ける。

 

「二人のそばにいてくれ」

 

 霊狼は、俺の指示に従った。

 

 ……そうだ。

 

 シルヴァの役目は、敵を倒すことじゃない。

 

 二人を守ることだ。

 

 俺は再び後方を確認した。

 

     ◇

 

「……レナ!」

 

 俺は声を上げた。

 

「この先に、人通りの多い場所はあるか!?」

 

「ある!」

 

 レナは答えた。

 

「二つ先の交差点を抜ければ、大通りに出る!」

 

「……そこまで行けるか?」

 

「やってみせる!」

 

 レナはアクセルを踏み込んだ。

 

 車がさらに加速する。

 

 黒い車両も追ってくる。

 

 だが、こちらの方が小回りが利く。

 

 レナは狭い路地へ飛び込んだ。

 

 左右には、古い建物。

 

 道幅はぎりぎりだ。

 

 黒い車両が後を追う。

 

 しかし、少し大きい車体が壁に擦れた。

 

 火花が散る。

 

 速度が落ちた。

 

「……今だ!」

 

 レナが叫ぶ。

 

 車は路地を抜け、大通りへ飛び出した。

 

 そこには、多数の車両が走っていた。

 

 レナは流れに合わせて車線を変える。

 

 黒い車両も追いつこうとした。

 

 だが、間に別の車が入り込む。

 

 距離が開いた。

 

 俺は後方を見つめた。

 

 ……まだ諦めていないな。

 

 黒い車両は、車線を変えながらこちらを追っている。

 

 だが、銃撃は止まった。

 

 人目が多すぎるからだろうか。

 

 それとも、別の理由か。

 

 レナが低く言った。

 

「……このまま避難先には行けないね」

 

「……ああ」

 

 俺も頷いた。

 

 尾行されたまま向かえば、場所を知られてしまう。

 

 それでは、移動する意味がない。

 

「……どうする?」

 

 俺が尋ねると、レナは端末を操作した。

 

「エリオットに連絡する」

 

 俺は頷いた。

 

 今は、情報を共有するべきだ。

 

 数秒後。

 

『……レナ?』

 

 通信越しに、エリオットの声が聞こえた。

 

「尾行されてる!」

 

 レナは即座に答えた。

 

『……何だって?』

 

「黒い車両一台! 武装してる! もう撃たれた!」

 

 エリオットの声が変わった。

 

『……現在位置は?』

 

 レナは道路名を伝えた。

 

『分かった。避難先には向かわないでくれ』

 

「もちろん!」

 

『近くに、こちらが使える車両整備場がある。そこへ誘導する』

 

 レナが眉をひそめた。

 

「……整備場?」

 

『ああ。入口が二つある。車両を入れ替えられる』

 

 俺は少し驚いた。

 

 ……なるほど。

 

 車を変えて、尾行を振り切るのか。

 

 この世界ならではの方法だ。

 

『ただし、追跡車両がついてきているなら、先に距離を取る必要がある』

 

「分かってる!」

 

 レナは答えた。

 

 そして、ハンドルを握り直した。

 

「……カイ」

 

「ん?」

 

「もう少し揺れるよ」

 

 俺は頷いた。

 

「……任せる」

 

 レナは笑った。

 

「いい返事だ!」

 

     ◇

 

 それから数分間。

 

 レナは複雑な経路を走り続けた。

 

 大通り。

 

 高架下。

 

 細い側道。

 

 そして、再び別の大通り。

 

 黒い車両は、しつこく追ってきた。

 

 だが、次第に距離が開いていく。

 

 俺は後方を確認した。

 

 ……もう少しか。

 

 そのとき。

 

 リクが小さな声で言った。

 

「……カイ」

 

「ん?」

 

「……ミナが」

 

 俺は少女へ視線を向けた。

 

 ミナは、リクの腕にしがみついていた。

 

 顔が青ざめている。

 

 当然だ。

 

 突然銃撃され、車が激しく揺れている。

 

 怖くないはずがない。

 

 俺は少女の肩へ手を置いた。

 

「……ミナ」

 

 少女が顔を上げる。

 

「……こわい」

 

 小さな声だった。

 

 俺は静かに頷いた。

 

「……そうだな」

 

 そして、できるだけ穏やかな声で続ける。

 

「でも、大丈夫。俺たちがついてる」

 

 ミナは唇を噛んだ。

 

「……ほんと?」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「それに、シルヴァもいる」

 

 その言葉に、少女の目が少し動いた。

 

 俺は足元へ視線を向けた。

 

「……シルヴァ」

 

 霊狼が、静かに反応する。

 

「少しだけ、姿を見せてくれ」

 

 次の瞬間。

 

 後部座席の足元に、淡い銀色の霧が現れた。

 

 その中から、シルヴァの顔が浮かび上がる。

 

 ミナが目を丸くした。

 

「……シルヴァ」

 

 狼は静かに鼻先を寄せた。

 

 ミナは、その毛並みに触れた。

 

「……あったかい」

 

 俺は微笑んだ。

 

「……そうだろ?」

 

 少女は小さく頷いた。

 

 そして、シルヴァの首へ腕を回した。

 

 霊狼は、静かにそれを受け入れた。

 

 リクも少しだけ表情を緩めた。

 

 ……よかった。

 

 少しは落ち着いたらしい。

 

 そのとき。

 

 運転席から、レナの声が聞こえた。

 

「……カイ」

 

「ん?」

 

「……後ろ、何か光ってない?」

 

 俺は顔を上げた。

 

 バックミラー越しに、レナがこちらを見ている。

 

 正確には、俺の足元を。

 

 ……しまった。

 

 俺は少し苦笑した。

 

「……あとで説明する」

 

 レナは呆れたように笑った。

 

「……絶対だからね!」

 

     ◇

 

 やがて、俺たちはエリオットが指定した車両整備場へ到着した。

 

 古びた建物。

 

 大きなシャッター。

 

 周囲には、修理待ちの車両が並んでいる。

 

 レナは車を中へ入れた。

 

 シャッターが閉まる。

 

 俺は後方を確認した。

 

 ……追跡車両は?

 

 見えない。

 

 少なくとも、ここまでついてきた様子はなかった。

 

 レナが大きく息を吐いた。

 

「……ふう」

 

 俺も肩の力を抜いた。

 

「……助かった」

 

「まだ終わってないよ」

 

 レナは答えた。

 

「ここから車を変える」

 

 俺は頷いた。

 

 整備場の奥から、一人の男が現れた。

 

 作業着姿。

 

 油で汚れた手。

 

 そして、片腕のサイバーウェア。

 

「……レナか?」

 

 男が尋ねた。

 

「ああ!」

 

 レナは答えた。

 

「エリオットから話は?」

 

「聞いてる」

 

 男は頷いた。

 

「奥に車を用意してある」

 

 俺は少し驚いた。

 

 ……本当に手際がいいな。

 

 フィクサーというのは、単に仕事を紹介するだけではないらしい。

 

 こうした人脈や設備も、仕事の一部なのだろう。

 

 男は俺たちを奥へ案内した。

 

 そこには、別の車両が停まっていた。

 

 濃い青色の小型車。

 

 先ほどの灰色の車よりも、少し古い。

 

 だが、整備状態は悪くなさそうだった。

 

「……こいつを使え」

 

 男が言った。

 

 レナは頷いた。

 

「助かる!」

 

 俺は男へ頭を下げた。

 

「……ありがとう」

 

 男は少し驚いたようだった。

 

「……礼なんていい。仕事だ」

 

 俺は笑った。

 

「それでも、助かったからな」

 

 男は一瞬、黙った。

 

 そして、肩をすくめた。

 

「……変わったガキだな」

 

 ……また言われた。

 

     ◇

 

 車を乗り換えた後、俺たちは再び移動を始めた。

 

 今度は、整備場の裏口から出る。

 

 周囲には、先ほどの黒い車両の姿はない。

 

 レナは慎重に車を走らせた。

 

 俺も後方を確認する。

 

 だが、今度は尾行らしい車両は見当たらなかった。

 

 ……ひとまず、振り切れたか。

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

 ミナは、シルヴァの毛並みに顔を埋めている。

 

 リクは窓の外を見つめていた。

 

 その横顔には、まだ緊張が残っている。

 

 俺は少年へ声をかけた。

 

「……リク」

 

「ん?」

 

「大丈夫か?」

 

 リクは少し考えた。

 

 そして、頷いた。

 

「……ああ」

 

 だが、その声は少し硬かった。

 

 俺は静かに続ける。

 

「……怖かったよな」

 

 リクは黙った。

 

 しばらくして。

 

「……怖かった」

 

 小さく呟いた。

 

 俺は頷いた。

 

「……そうだな」

 

「……でも」

 

 リクは拳を握った。

 

「……俺、何もできなかった」

 

 俺は少し驚いた。

 

 少年は続けた。

 

「ミナを守るって決めたのに、ただ座ってることしかできなかった」

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 そして、リクの肩へ手を置いた。

 

「……それでいいんだ」

 

 リクが顔を上げる。

 

「……え?」

 

「お前は、ミナのそばにいてくれた」

 

 俺は答えた。

 

「怖がってるミナの手を握って、離さなかっただろ?」

 

 リクは黙った。

 

「それは、立派に守ってたってことだよ」

 

 俺は微笑んだ。

 

「戦うことだけが、誰かを守る方法じゃない」

 

 リクはしばらく俺を見つめていた。

 

 そして、小さく頷いた。

 

「……分かった」

 

 俺は笑った。

 

 ……本当に、いい兄貴だな。

 

     ◇

 

 昼前。

 

 俺たちは、ようやく避難先へ到着した。

 

 ワトソンの外れにある、小さな集合住宅。

 

 外観は古いが、管理は行き届いているようだった。

 

 入口には監視カメラ。

 

 受付には警備員。

 

 そして、建物の周囲には簡単なフェンスが設置されている。

 

 ……確かに、前の住居よりは安全そうだ。

 

 レナは車を停めた。

 

「……到着!」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

「……ありがとう、レナ」

 

「いいってことよ」

 

 彼女は笑った。

 

「それより、早く中へ入ろう」

 

 俺たちは荷物を持って建物へ入った。

 

 受付では、すでに話が通っていた。

 

 警備員が簡単な確認を済ませ、鍵を渡してくれる。

 

 俺は少し驚いた。

 

 ……身分証がなくても入れるのか。

 

 もちろん、ヴィクターが手配したからだろう。

 

 だが、改めてフィクサーの影響力を感じた。

 

 案内された部屋は、三階にあった。

 

 小さな居間。

 

 簡単な台所。

 

 寝室が二つ。

 

 そして、清潔な浴室。

 

 以前の部屋よりも、かなり快適そうだった。

 

「……わあ!」

 

 ミナが目を輝かせた。

 

「……きれい!」

 

 リクも驚いたように部屋を見回している。

 

「……すげえ」

 

 俺は思わず笑った。

 

「気に入ったか?」

 

 ミナは元気よく頷いた。

 

「うん!」

 

 そして、寝室へ走っていこうとした。

 

「……ミナ」

 

 俺は声をかけた。

 

「まだ病み上がりだから、あまり走るなよ」

 

「はーい!」

 

 少女は笑いながら、歩く速度を落とした。

 

 ……元気になってきたな。

 

 俺は少し安心した。

 

     ◇

 

 荷物を置いた後、俺はシルヴァを呼んだ。

 

 姿を消していた霊狼が、部屋の隅に現れる。

 

 レナが、その光景を目撃した。

 

「……は?」

 

 彼女の口が開いたままになる。

 

 銀色の霧。

 

 そこから現れる巨大な狼。

 

 青白く輝く瞳。

 

 そして、実体を持つ毛並み。

 

 レナは数秒間、完全に固まっていた。

 

「……カイ」

 

「……はい」

 

「……何、これ?」

 

 俺は少し考えた。

 

「……狼だよ」

 

「見れば分かる!」

 

 レナが叫んだ。

 

「そうじゃなくて!」

 

 俺は苦笑した。

 

「……昔、貰った道具で呼び出せるんだ」

 

 レナは額を押さえた。

 

「……あんた、本当に何者なの?」

 

 ……最近、こればかり聞かれるな。

 

 俺は小さく笑った。

 

「……ただの剣士だよ」

 

「絶対違う!」

 

 レナは即答した。

 

 リクが横で吹き出した。

 

 ミナも楽しそうに笑っている。

 

 シルヴァは、そんな俺たちを静かに眺めていた。

 

 ……まあ、こうなるよな。

 

     ◇

 

 しばらくして、レナも落ち着いた。

 

 もっとも、シルヴァを見るたびに驚いた顔をしていたが。

 

「……で、この子が二人の護衛?」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「俺がいない間、リクとミナを守ってもらう」

 

 レナはシルヴァを見つめた。

 

「……強いの?」

 

「かなり」

 

 俺は答えた。

 

「ただし、無敵じゃない」

 

 レナは頷いた。

 

「……まあ、そうだろうね」

 

 俺は続けた。

 

「姿を消せるから、普段は目立たずに行動できる」

 

「……なるほど」

 

 レナは少し考えた。

 

「……それ、監視カメラにも映らないの?」

 

 俺は首を傾げた。

 

「……どうだろうな」

 

 正直、分からない。

 

 霊狼は姿を消せる。

 

 だが、この世界の監視技術がどこまで対応できるかは未知数だ。

 

 俺はレナへ視線を向けた。

 

「……試してみた方がいいか?」

 

 レナは笑った。

 

「……それは、後でね」

 

 そして、少し真剣な顔になる。

 

「でも、カイ」

 

「ん?」

 

「この子のことは、あまり人に見せない方がいい」

 

 俺は頷いた。

 

「……そうだな」

 

 レナは続けた。

 

「昨日の治療能力だけでも十分目立つのに、今度は透明になる狼だろ?」

 

 俺は苦笑した。

 

「……確かに」

 

「企業の研究者が聞いたら、目の色変えるよ」

 

 ……それは困る。

 

 俺はシルヴァへ視線を向けた。

 

「……普段は姿を消していてくれ」

 

 霊狼は静かに頭を下げた。

 

 次の瞬間、その姿が薄れていく。

 

 そして、完全に消えた。

 

 レナは目を丸くした。

 

「……何回見ても信じられないね」

 

 俺は笑った。

 

「……俺も最初はそうだったよ」

 

     ◇

 

 昼過ぎ。

 

 レナは仕事へ戻ることになった。

 

 俺たちは建物の入口まで見送りに出た。

 

「……本当にありがとう」

 

 俺が頭を下げると、レナは笑った。

 

「いいって」

 

 そして、俺の肩を軽く叩いた。

 

「昨日、あんたがいなかったら、あたしたちだって危なかったんだから」

 

 俺は少し笑った。

 

「……それでも、助かった」

 

 レナは頷いた。

 

「……じゃあ、また仕事でね」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「またな」

 

 レナは車へ乗り込み、走り去っていった。

 

 俺はその背中を見送った。

 

 ……頼れる人だな。

 

 この世界に来てから、まだ数日。

 

 だが、少しずつ知り合いが増えている。

 

 リク。

 

 ミナ。

 

 マーカス。

 

 レナ。

 

 エリオット。

 

 そして、ヴィクター。

 

 誰もが、完全に信用できるわけではない。

 

 それでも、こうして助けてくれる人間がいる。

 

 そのことが、少し嬉しかった。

 

     ◇

 

 部屋へ戻ると、リクとミナが荷物を整理していた。

 

 俺は二人へ声をかけた。

 

「……少し出かけてくる」

 

 リクが顔を上げた。

 

「……どこに?」

 

「ヴィクターのところだ」

 

 俺は答えた。

 

「今回の件について、詳しく話を聞きたい」

 

 リクの表情が少し曇った。

 

「……また危ないことするのか?」

 

 俺は首を横に振った。

 

「今は、話をするだけだ」

 

 リクは黙った。

 

 俺は続けた。

 

「それに、シルヴァがいる」

 

 その言葉に、リクは少しだけ安心したようだった。

 

 俺は部屋の隅へ視線を向けた。

 

「……シルヴァ」

 

 姿は見えない。

 

 だが、確かにそこにいる。

 

「二人を頼む」

 

 微かな気配が動いた。

 

 俺は頷いた。

 

「……ありがとう」

 

 そして、リクへ向き直った。

 

「何かあったら、すぐに連絡してくれ」

 

「……分かった」

 

 リクは頷いた。

 

 ミナも手を振った。

 

「いってらっしゃい!」

 

 俺は笑った。

 

「行ってきます」

 

 そして、部屋を出た。

 

     ◇

 

 建物の外へ出た俺は、通信端末を取り出した。

 

 エリオットへ連絡する。

 

 数秒後。

 

『……カイ?』

 

「ああ」

 

『避難は無事に終わった?』

 

「おかげさまで」

 

 俺は答えた。

 

「レナにも、ありがとうって伝えてくれ」

 

『もちろん』

 

 エリオットは少し笑った。

 

『それで、どうしたんだい?』

 

「ヴィクターと話がしたい」

 

 俺は静かに言った。

 

「……ガレスの件で」

 

 通信の向こうで、少し沈黙があった。

 

 そして。

 

『……ちょうどよかった』

 

 エリオットが呟いた。

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……何が?」

 

『ヴィクターも、君に会いたがっていたんだ』

 

 ……なるほど。

 

 どうやら、向こうにも話があるらしい。

 

「……何か分かったのか?」

 

 俺が尋ねると、エリオットは少し考えた。

 

『……詳しくは、直接話した方がいい』

 

 俺は黙った。

 

 そして、頷いた。

 

「……分かった」

 

『一時間後、昨日のバーへ来てくれ』

 

「ああ」

 

 俺は答えた。

 

「すぐに向かう」

 

 通信が切れた。

 

 俺は端末をしまった。

 

 そして、静かに息を吐いた。

 

 ……さて。

 

 ガレス・ブレイク。

 

 昨日の襲撃。

 

 俺を監視していた男。

 

 そして、リクとミナを狙う可能性のある何者か。

 

 少しずつ、点が繋がり始めている。

 

 だが、まだ全体像は見えない。

 

 俺は長剣のケースを背負い直した。

 

「……行くか」

 

 そして、歩き出した。

 

     ◇

 

 一時間後。

 

 俺は、昨日ヴィクターと会ったバーに到着した。

 

 昼間の店内は、夜とは少し雰囲気が違っていた。

 

 客は少ない。

 

 音楽も控えめだ。

 

 奥の席には、すでにヴィクターが座っていた。

 

 その隣には、エリオット。

 

 そして、もう一人。

 

 見知らぬ女性がいた。

 

 年齢は、二十代後半くらいだろうか。

 

 黒い髪を短く切り揃え、細いフレームの眼鏡をかけている。

 

 服装は地味だが、どこか知的な雰囲気があった。

 

 彼女は端末を操作していた。

 

 俺が近づくと、ヴィクターが顔を上げた。

 

「……来たか、カイ」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「待たせたか?」

 

「いや」

 

 ヴィクターは笑った。

 

「ちょうどいい」

 

 俺は椅子に腰を下ろした。

 

 そして、見知らぬ女性へ視線を向ける。

 

 ヴィクターが紹介した。

 

「こいつはノア」

 

 女性が顔を上げた。

 

「……よろしく」

 

 落ち着いた声だった。

 

「情報解析を担当してる」

 

 俺は頭を下げた。

 

「……カイです」

 

 ノアは小さく頷いた。

 

 ヴィクターは端末を操作した。

 

「さて」

 

 男の表情が変わった。

 

「……本題に入ろう」

 

 俺は姿勢を正した。

 

 ヴィクターは画面をこちらへ向けた。

 

 そこには、昨日の襲撃現場の映像が表示されていた。

 

 黒煙。

 

 破壊された車両。

 

 そして、銃を持った男たち。

 

「……ガレスの件で、新しい情報が入った」

 

 俺は黙って聞いた。

 

 ヴィクターは続けた。

 

「どうやら、あの襲撃は単なる医療物資の強奪じゃなかったらしい」

 

 俺は目を細めた。

 

「……どういうことだ?」

 

 ヴィクターはノアへ視線を向けた。

 

 彼女が端末を操作する。

 

 画面が切り替わった。

 

 そこには、一つの企業ロゴが表示されていた。

 

 黒い背景。

 

 白い文字。

 

 そして、見覚えのある名前。

 

 俺は息を呑んだ。

 

「……ミリテク?」

 

 前世の記憶が蘇る。

 

 サイバーパンク2077。

 

 ナイトシティ。

 

 そして、世界を支配する巨大企業の一つ。

 

 ミリテク。

 

 ヴィクターが静かに頷いた。

 

「……知ってるのか?」

 

 俺は少し考えた。

 

 そして、答えた。

 

「……名前くらいは」

 

 ヴィクターは俺を見つめた。

 

 そして、低く言った。

 

「なら、話が早い」

 

 男は端末の画面を指差した。

 

「ガレスの通信記録に、ミリテク関連の識別コードが残っていた」

 

 俺は黙った。

 

 ヴィクターは続ける。

 

「ただし、正式な部隊のものじゃない。古い契約用の識別コードだ」

 

 ノアが補足した。

 

「……偽装の可能性もある」

 

 俺は頷いた。

 

 つまり、ミリテクが直接関与しているとは限らない。

 

 だが。

 

 もし、本当に関わっているとしたら。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

「……面倒なことになったな」

 

 ヴィクターが笑った。

 

「……ようやく分かってきたか?」

 

 俺は苦笑した。

 

「……少しな」

 

 だが、内心では別のことを考えていた。

 

 巨大企業。

 

 軍事技術。

 

 そして、裏社会。

 

 この世界の権力構造は、俺が想像していた以上に複雑だ。

 

 正面から剣を振るうだけでは、どうにもならない相手がいる。

 

 それを、改めて思い知らされた。

 

 ヴィクターはグラスを置いた。

 

 そして、静かに言った。

 

「……カイ」

 

「ん?」

 

「お前に、一つ提案がある」

 

 俺は顔を上げた。

 

 男の目は、真剣だった。

 

「……この件、俺たちと一緒に調べてみないか?」

 

 俺は黙った。

 

 ヴィクターは続ける。

 

「もちろん、報酬は出す」

 

 そして、少しだけ笑った。

 

「ただし、今回の相手は、そこらのチンピラとは違うかもしれねえ」

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……なるほど。

 

 どうやら、次の仕事は簡単には終わらなさそうだ。

 

 俺は胸元の護符に触れた。

 

 セレーネ。

 

 ……また、無茶をするなって怒られそうだな。

 

 だが、今回は違う。

 

 俺一人で突っ込むつもりはない。

 

 情報を集める。

 

 仲間と相談する。

 

 そして、必要なときだけ剣を抜く。

 

 それが、この街で生き残るための方法なのだろう。

 

 俺はヴィクターを見つめた。

 

「……詳しい話を聞かせてくれ」

 

 男は口元を歪めた。

 

「……いい返事だ」

 

 ノアが端末を操作する。

 

 画面には、ナイトシティの地図が表示された。

 

 そして、その一角に赤い印が灯る。

 

 ヴィクターが静かに言った。

 

「……まずは、ここからだ」

 

 俺は画面を見つめた。

 

 ナイトシティの巨大な影。

 

 その奥に隠された何かが、少しずつ姿を現そうとしていた。

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