神々の剣士は電脳都市で生きる   作:アイエオ

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第二話 剣士と電脳都市

異世界の英雄、金の価値を知る

 腹が減った。

 

 それも、かなり。

 

「……参ったな」

 

 俺は薄暗い路地裏で、思わず腹を押さえた。

 

 つい数時間前まで、俺は邪神と命懸けの戦いを繰り広げていた。

 

 神々から授かった奇跡を使い、仲間たちと力を合わせ、世界を滅ぼそうとする存在をようやく討ち果たした。

 

 そして今。

 

 俺は、見知らぬ街の路地裏で空腹に悩まされている。

 

 ……人生というものは、つくづく何が起こるか分からない。

 

「世界を救った翌日に、食い物の心配をする羽目になるとはな……」

 

 自分で言って、少し笑ってしまった。

 

 いや、正確には翌日かどうかも分からない。

 

 あの黒い空間に飲み込まれてから、どれほど時間が経過したのか。

 

 数秒かもしれないし、数日かもしれない。

 

 そもそも、ここが元の世界と同じ時間の流れを持っている保証すらなかった。

 

 ただ一つ確かなのは、俺が腹を空かせているという事実だけだ。

 

 そして、腹が減っているということは、生きているということでもある。

 

「……まあ、生きてるだけマシか」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

 路地の壁に背を預け、周囲の様子を確認する。

 

 先ほどの三人組は、もういない。

 

 金属の腕を持った男を投げ飛ばし、銃を向けてきた男を無力化した後、俺は人目を避けて移動していた。

 

 あの連中が仲間を連れて戻ってくる可能性もある。

 

 それに、銃声を聞きつけた誰かがやってくるかもしれない。

 

 この世界の治安組織がどんなものなのか、俺には分からない。

 

 少なくとも、初日から捕まるのは避けたかった。

 

「まずは、この街のことを知らないとな」

 

 俺はそう呟き、腰の剣に視線を落とした。

 

 鍛冶と炎の神が鍛えた長剣。

 

 俺が持つ武器の中でも、特に大切な一本だ。

 

 正義と力の神から授かったとき、あの神は豪快に笑いながら言っていた。

 

『お前の剣は折れたのだろう? ならば、これを持っていけ! 我が友が鍛えた逸品だ!』

 

 まったく、あの神らしい贈り物だった。

 

 ただし。

 

 この街では、どうやら剣を持ち歩いているだけで相当に目立つらしい。

 

 鎧も同じだ。

 

 俺が身につけているのは、かつて討伐した強大な魔獣の皮と、特殊な金属を組み合わせた防具だった。

 

 魔物の爪や牙、刃物による攻撃を防ぐために作られた実戦用の鎧だ。

 

 長い旅の中で何度も修理を重ねてきた。

 

 だが、ここでは明らかに異質だった。

 

「……服も必要か」

 

 俺は周囲の人間たちの姿を思い出す。

 

 上着。

 

 長ズボン。

 

 靴。

 

 どれも前世の現代日本で見た服装に近い。

 

 もちろん、素材や意匠はずいぶん違うが、少なくとも俺の鎧よりは街に馴染んでいる。

 

 問題は、金だ。

 

「……何から何まで金がいるな」

 

 俺は腰の小物入れを開いた。

 

 中には、金貨が数枚。

 

 銀貨が十数枚。

 

 それから、旅の途中で手に入れた小さな装飾品がいくつか入っていた。

 

 元の世界では、それなりの価値があるものばかりだ。

 

 しかし、この街で使えるかどうかは分からない。

 

 そもそも、通貨の名前すら知らない。

 

「……情報が足りなさすぎる」

 

 俺は小物入れを閉じた。

 

 剣の腕なら、それなりに自信がある。

 

 魔物の生態も、魔術の扱いも、神々の奇跡についても、ある程度は理解している。

 

 だが、ここではそれらの知識がどれほど役立つか分からない。

 

 むしろ、前世の記憶の方が重要になりそうだった。

 

 自動車。

 

 銃。

 

 電気。

 

 コンピューター。

 

 企業。

 

 銀行。

 

 身分証明書。

 

 どれも、現代日本では当たり前に存在していたものだ。

 

 もっとも、俺が暮らしていた日本より、この街の技術は遥かに進んでいるようだが。

 

「……まずは、飯と寝床。それから情報だな」

 

 方針を決める。

 

 世界を救うような大きな目標ではない。

 

 だが、今の俺には必要なことだった。

 

     ◇

 

 路地を抜けると、騒音が一気に押し寄せてきた。

 

「……うわ」

 

 思わず顔をしかめる。

 

 車の走行音。

 

 人々の話し声。

 

 頭上の広告から流れる音楽。

 

 どこかで鳴り響く警告音。

 

 さらに、遠くから聞こえてくる銃声のような音。

 

 それらが混ざり合い、街全体が巨大な生き物のように騒がしかった。

 

 俺は歩道の端に立ち、通行人の流れを観察した。

 

 人間。

 

 人間。

 

 また人間。

 

 見渡す限り、人ばかりだ。

 

 エルフもいない。

 

 獣人もいない。

 

 少なくとも、今見える範囲には。

 

 その代わり、人間の身体にはさまざまな機械が組み込まれていた。

 

 金属の腕。

 

 人工的な眼球。

 

 首筋から伸びる接続端子。

 

 皮膚の下を走る光る線。

 

 中には、顔の半分が機械になっている者までいる。

 

「……義肢、なのか?」

 

 前世の知識から、そんな言葉が浮かんだ。

 

 事故や病気で失った手足を補う人工の身体。

 

 ただ、この街ではそれが医療目的だけに使われているわけではなさそうだった。

 

 明らかに戦闘用と思われる巨大な腕を持つ男もいる。

 

 指先から刃物のようなものを出している女も見えた。

 

 あれは、便利そうではある。

 

 だが。

 

「……自分の身体を、そこまで変えるのか」

 

 俺は少し複雑な気分になった。

 

 元の世界でも、身体を強化する魔術や魔道具は存在した。

 

 しかし、健康な腕を切り落として金属製の腕に交換するようなことは、普通はしない。

 

 この街では、それが当たり前なのだろうか。

 

 考えながら歩いていると、突然、目の前に巨大な映像が浮かび上がった。

 

『――最新型サイバーウェア! あなたの限界を、その先へ!』

 

「うおっ!?」

 

 反射的に後ずさる。

 

 通行人がこちらを見た。

 

 何人かが笑っている。

 

 俺は咳払いをして、何事もなかったように歩き出した。

 

「……慣れないな、これ」

 

 魔術による幻影なら、魔力の流れで存在を察知できる。

 

 だが、この映像には魔力がない。

 

 それなのに、空中に人間の姿が浮かんでいる。

 

 理屈は分からないが、科学技術によるものなのだろう。

 

 前世の知識があるとはいえ、実際に目にすると驚くことばかりだった。

 

 しばらく歩いていると、食べ物の匂いが漂ってきた。

 

「……!」

 

 俺の足が止まる。

 

 焼いた肉の匂い。

 

 油。

 

 香辛料。

 

 腹が、盛大に鳴った。

 

 匂いのする方を見る。

 

 そこには、小さな屋台があった。

 

 金属製の台の上で、何かの肉が焼かれている。

 

 店主らしき男が、手際よくそれをパンのようなものに挟んでいた。

 

 客が代金を支払い、商品を受け取っていく。

 

「……美味そうだな」

 

 思わず呟いた。

 

 俺は屋台に近づいた。

 

「すみません」

 

「あいよ。何にする?」

 

 店主は中年の男だった。

 

 片目が機械になっている。

 

 だが、態度は普通だった。

 

 少なくとも、さっきの三人組よりはずっと話しやすそうだ。

 

「これ、一ついくらですか?」

 

「十二エディー」

 

「……エディー?」

 

 聞き慣れない単語だった。

 

 店主が眉をひそめる。

 

「何だ、観光客か?」

 

「……まあ、そんなところです」

 

 嘘ではない。

 

 この世界そのものが初めてなのだから。

 

「十二エディーだよ。ほら、そこに書いてあるだろ」

 

 店主が指差した先には、光る数字が表示されていた。

 

 12。

 

 数字は読める。

 

 だが、エディーという通貨は知らない。

 

「……現金でも払えますか?」

 

「当たり前だろ。現金でも送金でも好きにしな」

 

 なるほど。

 

 少なくとも、現金というものは存在するらしい。

 

 俺は小物入れから銀貨を一枚取り出した。

 

「これで払えますか?」

 

 店主が銀貨を見た。

 

 そして、固まった。

 

「……何だ、そりゃ」

 

「銀貨です」

 

「見りゃ分かるよ。いや、分かんねえけど。どこの国の金だ?」

 

「……遠いところです」

 

「遠いって、どこだよ」

 

 店主は銀貨を受け取り、表裏を確認した。

 

 指先で弾く。

 

 金属音が鳴った。

 

「……本物の銀か?」

 

「そのはずです」

 

「そのはずって、お前な……」

 

 店主は呆れた顔をした。

 

 しばらく銀貨を眺めていたが、やがて首を振った。

 

「悪いが、うちじゃ使えねえよ。換金屋にでも持っていきな」

 

「換金屋?」

 

「ああ。貴金属を買い取る店だよ。質屋でもいい」

 

 なるほど。

 

 そういう店があるのか。

 

 それなら、元の世界の金貨や銀貨も換金できるかもしれない。

 

「ありがとうございます」

 

 俺は銀貨を受け取り、頭を下げた。

 

 店主は肩をすくめる。

 

「おう。……って、お前、飯はいいのか?」

 

「金がないので、また来ます」

 

「……変なガキだな」

 

 そう言いながら、店主は焼いていた肉をひっくり返した。

 

 香ばしい匂いが漂ってくる。

 

 腹が鳴った。

 

 店主が笑った。

 

「……相当腹減ってんだな」

 

「まあ、少し」

 

「少しって音じゃねえだろ」

 

 俺は苦笑した。

 

 店主は少し考えた後、台の端に置いてあった小さなパンを手に取った。

 

 それに焼いた肉の切れ端を挟む。

 

「ほら」

 

「……え?」

 

「売り物にならねえ端っこだ。持ってけ」

 

 差し出されたパンを、俺は見つめた。

 

「……いいんですか?」

 

「いいから。そんな顔で店の前に立たれたら商売にならねえ」

 

 ぶっきらぼうな言い方だった。

 

 だが、その表情には悪意がなかった。

 

 俺は両手でパンを受け取った。

 

「……ありがとうございます」

 

「おう。今度は金持って来いよ」

 

「はい。必ず」

 

 俺はもう一度頭を下げた。

 

 そして、屋台から少し離れた場所でパンを口に運んだ。

 

 肉は少し硬かった。

 

 香辛料は強め。

 

 パンも、決して上等なものではない。

 

 だが。

 

「……美味い」

 

 心から、そう思った。

 

 見知らぬ世界で、初めて口にした食事。

 

 それは、思っていたよりもずっと温かかった。

 

     ◇

 

 腹が少し落ち着いたところで、俺は再び歩き始めた。

 

 目的は換金屋。

 

 元の世界の金貨や銀貨を、この街で使える金に変える。

 

 それができれば、食事も宿も確保できる。

 

 しかし。

 

「……どこにあるんだ?」

 

 当然ながら、場所が分からない。

 

 俺は通りを見渡した。

 

 看板はたくさんある。

 

 だが、見慣れない文字や略語が多く、何の店なのか判断できない。

 

 前世の日本語とも違う。

 

 元の世界の共通語とも違う。

 

 それでも、人々の会話は不思議と理解できる。

 

 なぜなのか。

 

 転生したときの影響か。

 

 神々の加護か。

 

 それとも、この世界そのものに何か仕組みがあるのか。

 

 分からない。

 

 今は深く考えないことにした。

 

 俺は近くにいた通行人に声をかけた。

 

「すみません」

 

 男は一瞬こちらを見た。

 

 そして、露骨に顔をしかめる。

 

「何だよ」

 

「この辺りに、貴金属を買い取ってくれる店はありませんか?」

 

「……は?」

 

「金や銀を換金できるところを探しているんですが」

 

 男は俺の鎧を見た。

 

 剣を見た。

 

 そして、何も言わずに歩き去った。

 

「……あれ?」

 

 俺は首を傾げた。

 

 聞こえなかったのだろうか。

 

 別の人に声をかける。

 

「すみません」

 

「忙しい」

 

 即答された。

 

 さらに別の人。

 

「ちょっとお尋ねしたいことが――」

 

「金ならねえぞ」

 

 ……まだ何も言っていない。

 

「…………」

 

 俺は立ち尽くした。

 

 なるほど。

 

 この街では、知らない人間に話しかけること自体が警戒されるらしい。

 

 いや、俺の格好が原因かもしれない。

 

 魔獣皮の鎧に長剣。

 

 しかも、顔や身体には戦いの痕跡が残っている。

 

 確かに、怪しい。

 

「……先に服を買うべきか?」

 

 だが、そのための金がない。

 

 堂々巡りだった。

 

 俺はため息をついた。

 

 そのときだった。

 

「おい、兄ちゃん」

 

 背後から声がした。

 

 振り返る。

 

 そこには、小柄な老人が立っていた。

 

 薄汚れた上着。

 

 使い古された帽子。

 

 片足には、古い義足らしきものがついている。

 

 老人は俺をじろじろと眺めた。

 

「さっきから、何を探してる?」

 

「……換金屋です」

 

「換金屋?」

 

「金や銀を売りたいんですが、場所が分からなくて」

 

 老人の目が細くなった。

 

「……金や銀、ねえ」

 

 その視線が、俺の腰の小物入れに向けられる。

 

 俺はわずかに警戒した。

 

 だが、老人はすぐに肩をすくめた。

 

「この先を二つ曲がったところに、質屋がある」

 

「本当ですか?」

 

「ああ。もっとも、まともな値段で買い取るかどうかは知らんがな」

 

「ありがとうございます」

 

 俺は頭を下げた。

 

 老人は鼻を鳴らした。

 

「礼なんざいらん。……それより、兄ちゃん」

 

「はい?」

 

「その格好で歩き回るのは、やめといた方がいい」

 

 俺は自分の鎧を見下ろした。

 

「……やっぱり目立ちますか」

 

「目立つなんてもんじゃねえ。ここじゃ、目立つ奴から面倒事に巻き込まれる」

 

 老人の声は低かった。

 

「特に、その剣だ。珍しいもんを持ってると、欲しがる連中が寄ってくる」

 

「……なるほど」

 

「それに、この街じゃ剣より銃の方が早い。腕に自信があるなら、なおさら気をつけな」

 

 俺は少し驚いた。

 

 老人は、俺が剣を使えることを見抜いているらしい。

 

「……忠告、ありがとうございます」

 

「おう。死ぬなよ、兄ちゃん」

 

 老人はそう言って、ゆっくりと歩き去っていった。

 

 俺はその背中を見送った。

 

 この街にも、親切な人間はいる。

 

 それが分かっただけでも、少し気が楽になった。

 

     ◇

 

 老人に教えられた道を進むと、確かに小さな店があった。

 

 古びた看板。

 

 分厚い金属製の扉。

 

 窓には鉄格子がはめられている。

 

 店の入口には、見慣れない文字が並んでいた。

 

 だが、ガラス越しに見える商品は分かる。

 

 時計。

 

 装飾品。

 

 金属製の小物。

 

 そして、金や銀と思われる品々。

 

「……ここか」

 

 俺は扉を開けた。

 

 小さな鈴の音が鳴る。

 

 店内は薄暗かった。

 

 壁には無数の棚が並び、さまざまな品物が置かれている。

 

 奥のカウンターには、眼鏡をかけた男が座っていた。

 

 年齢は四十代ほどだろうか。

 

 頭髪は薄く、顎には短い髭が生えている。

 

 男は俺を見た瞬間、眉を上げた。

 

「……何だ、その格好」

 

 またそれか。

 

 俺は苦笑した。

 

「すみません。ちょっと事情がありまして」

 

「事情ねえ……」

 

 男は俺の鎧と剣を眺めた。

 

 その目つきは、先ほどの通行人たちとは違っていた。

 

 品物の価値を見定めるような、鋭い視線だった。

 

「で、何の用だ?」

 

「金と銀を買い取ってもらいたいんですが」

 

「ほう」

 

 男の表情が変わった。

 

「見せてみな」

 

 俺は小物入れから金貨を一枚取り出した。

 

 カウンターに置く。

 

 男はそれを手に取り、じっくりと眺めた。

 

「……何だ、こりゃ」

 

「金貨です」

 

「見りゃ分かる。問題は、どこの国の金貨かってことだ」

 

「……遠い国です」

 

「遠い国、ねえ」

 

 男は鼻を鳴らした。

 

 そして、金貨を小さな機械の上に置いた。

 

 青い光が走る。

 

 画面に数字が表示された。

 

「……ほう」

 

 男の目が細くなった。

 

「純度が高いな」

 

「そうなんですか?」

 

「ああ。少なくとも、そこらの安物じゃねえ」

 

 男は金貨を裏返した。

 

 そこには、元の世界の王国の紋章が刻まれている。

 

「……見たことのない刻印だ。どこの国のものだ?」

 

「……遠いところです」

 

「さっきも聞いたな、それ」

 

 男は呆れたように笑った。

 

 俺は肩をすくめるしかなかった。

 

 正直に話したところで、信じてもらえるとは思えない。

 

 それに、異世界から来たなどと知られれば、余計な面倒事を招きそうだった。

 

 男はしばらく考えた後、口を開いた。

 

「……買い取ってやってもいい」

 

「本当ですか?」

 

「ああ。ただし、金の重さと純度で値段を決める。骨董品としての価値は保証しねえぞ」

 

「構いません」

 

「なら、話は早い」

 

 男は再び機械を操作した。

 

 数字がいくつも表示される。

 

 俺には、その意味がよく分からなかった。

 

 やがて、男は顔を上げた。

 

「……一枚で、これくらいだな」

 

 画面に数字が表示された。

 

 俺はそれを見つめた。

 

 金額が高いのか安いのか、判断できない。

 

「……すみません」

 

「あ?」

 

「この街の物価がよく分からなくて。これで、どれくらい生活できますか?」

 

 男は目を丸くした。

 

「……お前、何者だ?」

 

「……旅人です」

 

「旅人ねえ」

 

 男はしばらく俺を見つめていたが、やがてため息をついた。

 

「まあ、いい。……そうだな。贅沢しなけりゃ、しばらくは食っていける額だ」

 

「なるほど」

 

 俺は頷いた。

 

 それなら十分だ。

 

 少なくとも、今日明日の食事には困らない。

 

「じゃあ、お願いします」

 

「……本当にいいのか?」

 

「はい」

 

 男は少し意外そうな顔をした。

 

 だが、それ以上は何も言わず、取引の準備を始めた。

 

 しばらくして、俺はこの世界の紙幣を受け取った。

 

 薄い。

 

 軽い。

 

 そして、妙に精巧な印刷が施されている。

 

「……これが、エディーか」

 

 俺は紙幣を眺めた。

 

 前世の日本円とも、元の世界の金貨や銀貨とも違う。

 

 だが、これでようやく、この街で物を買える。

 

「……助かりました」

 

 俺は男に頭を下げた。

 

「おう。……それより、兄ちゃん」

 

「はい?」

 

「その剣、売る気はねえか?」

 

 俺は即答した。

 

「ありません」

 

「……だろうな」

 

 男は苦笑した。

 

「一目で分かる。そいつは、ただの飾りじゃねえ」

 

 俺は少し驚いた。

 

 この男も、何かを感じ取っているらしい。

 

 もちろん、神の力そのものを理解しているわけではないだろう。

 

 だが、長年さまざまな品物を見てきた経験があるのかもしれない。

 

「……大切なものなんです」

 

「そうか。なら、大事にしな」

 

 男はそれ以上、何も聞かなかった。

 

 俺は礼を言い、店を後にした。

 

     ◇

 

 店を出た頃には、空が少し暗くなっていた。

 

 いや。

 

 正確には、空の色が変わったというより、建物の影が濃くなったのかもしれない。

 

 この街では、巨大な建造物が空を覆っている。

 

 時間の感覚が掴みにくかった。

 

「……さて」

 

 俺は手元の紙幣を確認した。

 

 金は手に入った。

 

 次は、服と宿だ。

 

 それから、できれば情報を集めたい。

 

 この街の名前。

 

 国の名前。

 

 法律。

 

 仕事。

 

 そして、帰還する方法を探すために必要な知識。

 

 考えることは多い。

 

 だが、まずは目の前の問題を片づけよう。

 

 俺は歩き始めた。

 

 そのとき。

 

 通りの向こうから、怒鳴り声が聞こえた。

 

「おい! 待てって言ってんだろ!」

 

 続いて、何かが倒れる音。

 

 人々が慌てて道を開ける。

 

 俺は足を止めた。

 

 見ると、細い路地から一人の少年が飛び出してきた。

 

 年齢は、俺より少し下くらいだろうか。

 

 痩せた身体。

 

 汚れた服。

 

 必死の形相。

 

 少年は何かを抱えて走っていた。

 

 その後ろから、二人の男が追いかけてくる。

 

 片方は銃を持っていた。

 

「……またか」

 

 俺は小さく呟いた。

 

 どうやら、この街では揉め事が日常茶飯事らしい。

 

 少年がこちらへ向かってくる。

 

 その顔には、明らかな恐怖が浮かんでいた。

 

 男の一人が叫ぶ。

 

「止まれ! 撃つぞ!」

 

 少年は止まらない。

 

 当然だ。

 

 止まれば何をされるか分からないのだから。

 

 男が銃を構えた。

 

 周囲の人々が身を伏せる。

 

 俺は、ため息をついた。

 

「……本当に、休ませてくれないな」

 

 腰の剣に手を添える。

 

 この街の事情は知らない。

 

 誰が正しくて、誰が悪いのかも分からない。

 

 だが。

 

 少なくとも、逃げる子供に銃を向ける光景を見て、何もしないでいられるほど、俺は器用ではなかった。

 

 男の指が引き金にかかる。

 

 俺は地面を蹴った。

 

 黒いアスファルトの上を、一陣の風が駆け抜ける。

 

 そして。

 

 鋼鉄の街で、神々の剣士が再び動き始めた。

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