神々の剣士、敗者との再会
ナイトシティでは、信用にも値段がつくらしい。
情報を売る人間がいる。
命を売る人間がいる。
そして、昨日まで殺し合っていた相手と、今日は同じテーブルを囲む人間もいる。
最初にその話を聞いたとき、俺は冗談だと思った。
だが、どうやらこの街では珍しいことではないらしい。
もちろん、誰もがそう簡単に過去を水に流すわけではない。
恨みは残る。
借りも残る。
金銭の貸し借りなら、なおさらだ。
そして今回、俺が会おうとしている相手は、その三つをすべて抱えているようだった。
ガレス・ブレイク。
昨日まで俺の命を狙っていた傭兵団の頭目。
右腕に大型の戦闘用サイバーウェアを組み込み、二メートル近い巨体を持つ男。
俺が剣でその腕を斬り、戦闘不能にした相手だ。
その男が、直接会いたいと言ってきた。
……さて。
何を考えているんだろうな。
◇
翌朝。
俺は避難先の小さな台所で、リクが淹れてくれた飲み物を口にしていた。
見た目はコーヒーに似ている。
だが、味は少し違う。
苦味の奥に、妙な甘さがある。
「……これ、本当にコーヒーなのか?」
俺が尋ねると、リクが肩をすくめた。
「コーヒー味の合成飲料だよ。本物なんて高くて買えないって」
「なるほど」
俺はカップを見つめた。
……異世界の方が、まともなコーヒーを飲めていた気がする。
もっとも、向こうでは砂糖が高価だった地域もある。
どちらが恵まれているかは、一概には言えないだろう。
食卓の向こうでは、ミナがシルヴァの毛並みを整えていた。
小さな櫛を使い、銀灰色の背中を丁寧に梳いている。
「シルヴァちゃん、じっとしててね」
霊狼は大人しく伏せていた。
ただし、尻尾だけはゆっくりと動いている。
「……お前、完全に気に入ってるな」
俺が言うと、シルヴァは片耳を動かした。
ミナが得意げに笑う。
「シルヴァちゃん、いい子だもん!」
「そうだな」
俺は頷いた。
元の世界で魔獣を追い詰めていた霊狼が、今では十歳の少女に毛繕いをされている。
狩猟の神がこの光景を見たら、どんな顔をするだろう。
……案外、笑って喜びそうだな。
あの神は、狩りの獲物だけでなく、共に生きる獣たちを大切にしていた。
そのとき、通信端末が振動した。
エリオットからだ。
「もしもし」
『おはよう、カイ。ガレスとの面会について、話がまとまったよ』
俺はカップを置いた。
「早かったな」
『向こうも急いでいるらしい』
「……場所は?」
『ワトソンの旧工業地区。閉鎖された配送会社の事務所だ』
俺は眉をひそめた。
「ガレスの縄張りじゃないだろうな?」
『違う。ヴィクターが管理者を通して借りた場所だ。周辺の出入りもこちらで確認する』
「なるほど」
『ただし、ガレスは護衛を二人連れてくると言っている』
「……武装は?」
『拳銃まで。大型火器は禁止。君も剣を持ってきて構わない』
俺は少し考えた。
護衛が二人。
ガレス本人。
そして、こちらは俺とエリオット。
場合によってはマーカスも来るかもしれない。
……人数としては問題ない。
だが、重要なのは人数ではない。
ガレスが何を目的に会おうとしているのか。
そして、その目的のために何をするつもりなのか。
「分かった。行くよ」
『ありがとう。正午に迎えを向かわせる』
「了解」
通話を終えた。
すると、リクがこちらを見ていた。
「……また危ない仕事?」
俺は少し考えた。
「今日は話し合いだよ」
「誰と?」
「前に戦った相手」
リクの表情が強張った。
「……ガレス?」
俺は頷いた。
「ああ」
「……大丈夫なのか?」
「分からない。だから、準備して行く」
俺は真剣な顔で続けた。
「でも、心配しすぎるな。危険だと思ったら、話を切り上げる」
リクはしばらく黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「……分かった」
ミナが顔を上げる。
「カイお兄ちゃん、ケンカするの?」
「できれば、しないつもりだよ」
「じゃあ、仲直り?」
俺は思わず笑った。
「……そうなるといいな」
ミナは満足そうに頷いた。
子供の考え方は、時々驚くほど単純だ。
だが、案外それが正しいこともある。
◇
正午少し前。
迎えに来たのは、マーカスだった。
黒い車の運転席から、大柄な男が片手を上げる。
「よう、坊主」
「こんにちは、マーカス」
「乗れ。ヴィクターが待ってる」
俺は助手席へ乗り込んだ。
車が発進する。
窓の外には、ワトソンの雑然とした街並みが流れていた。
古い建物。
派手な広告。
路上にたむろするギャング。
そして、どこかへ急ぐ人々。
相変わらず騒がしい街だ。
「……なあ、カイ」
マーカスが口を開いた。
「何だ?」
「ガレスと会うこと、本当に納得してるのか?」
俺は少し考えた。
「納得してるかどうかは、まだ分からないな」
「……どういう意味だ?」
「会って、話を聞いてから判断する」
マーカスは鼻を鳴らした。
「そりゃそうか」
俺は彼を見た。
「マーカスは、ガレスを知ってるのか?」
「ああ。何度か仕事がぶつかったことがある」
「……どんな男だ?」
マーカスは少し考えた。
「腕は立つ。部下をまとめる力もある。だが、短気で強引だ」
「……なるほど」
「金のためなら汚い仕事も引き受ける。ただ、無意味に部下を殺すような真似はしねえ」
俺は眉をひそめた。
「……意外だな」
「傭兵の頭を何年もやってる奴だ。部下から完全に嫌われてたら、とっくに背中を撃たれてるさ」
……それもそうか。
元の世界でも、傭兵団の頭目には様々な人間がいた。
金だけを追う者。
名誉を重んじる者。
部下を家族のように扱う者。
そして、部下を使い捨てにする者。
ガレスがどの種類なのかは、まだ分からない。
「ただな」
マーカスが続けた。
「今回の件は、少し妙なんだ」
「……何が?」
「ガレスが、あそこまで大掛かりな襲撃をしたことだ」
俺は顔を上げた。
「……普段は違うのか?」
「奴は荒っぽいが、馬鹿じゃねえ。爆発物まで使って医療輸送車を襲うなら、相当な理由があるはずだ」
俺は腕を組んだ。
……確かに。
昨日の調査でも、ガレスの背後に別の依頼主がいる可能性が浮かんでいた。
しかも、ノースサイドの倉庫には軍用義体の兵士までいた。
……何かがおかしい。
俺は静かに息を吐いた。
「……今日は、その理由を聞いてみるよ」
マーカスは頷いた。
「ああ。俺も知りたい」
◇
面会場所は、古い配送会社の事務所だった。
外壁はひび割れ、看板の文字はほとんど消えている。
だが、内部は掃除されていた。
中央に大きなテーブル。
向かい合うように置かれた椅子。
窓には薄いブラインドが下りている。
俺が到着すると、ヴィクターとエリオットがすでに待っていた。
「来たか」
ヴィクターが顔を上げる。
「遅くなりました」
「いや、時間通りだ」
男は腕時計を確認した。
「ガレスは、あと十分ほどで来る」
俺は頷いた。
「……条件は?」
「互いに護衛は二人まで。大型火器は禁止。会談中の攻撃は、双方に対する敵対行為とみなす」
俺は少し考えた。
「……破ったら?」
ヴィクターは口元を歪めた。
「俺が保証人を降りる。それだけで、ガレスはかなり困るだろうな」
……なるほど。
フィクサーの信用というものは、思っていた以上に大きいらしい。
「それと、カイ」
ヴィクターが続けた。
「一つだけ頼みがある」
「何です?」
「できれば、今日は誰も斬らないでくれ」
俺は苦笑した。
「……俺だって、好きで斬ってるわけじゃないですよ」
「分かってるさ」
ヴィクターは笑った。
「だが、お前が本気で剣を抜いたら、止めるのが大変そうだからな」
俺は肩をすくめた。
「……努力します」
「努力じゃなくて、約束してほしいんだが」
エリオットが横で小さく笑った。
……何だか、信用されていない気がする。
◇
約束の時間。
外から車の音が聞こえた。
続いて、重い足音。
扉が開く。
最初に入ってきたのは、黒いジャケットを着た男だった。
腰には拳銃。
右目は機械化されている。
その後ろから、もう一人の護衛が現れた。
そして最後に。
大柄な男が、ゆっくりと姿を現した。
ガレス・ブレイク。
相変わらず巨大な身体だ。
二メートル近い身長。
厚い胸部装甲。
左腕は以前と同じ大型の戦闘用サイバーウェア。
そして、俺が斬った右腕には、新しい装甲が取り付けられていた。
ただし、完全な修理ではないらしい。
肩部の外装が一部外され、内部の駆動装置が露出している。
動きにも、僅かなぎこちなさがあった。
……まだ直りきってないのか。
ガレスは俺を見ると、足を止めた。
赤く光る義眼が、こちらを捉える。
「……久しぶりだな、ガキ」
俺は頷いた。
「どうも」
「……随分と余裕だな」
「そっちこそ。腕の具合は?」
ガレスの眉が動いた。
そして、低く笑った。
「……お前が斬った腕のことか?」
「ほかに何かあるのか?」
護衛の一人が顔をしかめた。
だが、ガレスは片手を上げて制した。
「……相変わらず、ふざけたガキだ」
俺は肩をすくめた。
「そっちが先に襲ってきたんだろ」
ガレスは黙った。
数秒後。
男は椅子へ腰を下ろした。
「……まあいい」
俺も向かい側へ座った。
ヴィクターが中央に立つ。
「双方、条件は理解しているな?」
ガレスが頷く。
「ああ」
俺も頷いた。
「問題ありません」
ヴィクターは静かに言った。
「なら、始めよう」
◇
最初に口を開いたのは、ガレスだった。
「……単刀直入に聞く」
男は俺を睨んだ。
「お前、何者だ?」
俺は少し考えた。
「……剣士だよ」
ガレスの額に青筋が浮かんだ。
「……ふざけるな」
「ふざけてない」
俺は真顔で答えた。
「少なくとも、剣士なのは本当だ」
ヴィクターが小さく咳払いした。
マーカスは口元を押さえている。
……笑ってるな、あれ。
ガレスは大きく息を吐いた。
「……まあいい。お前の正体については、今はどうでもいい」
俺は眉を上げた。
「……じゃあ、何の話だ?」
ガレスはテーブルに両肘を置いた。
「俺の部下が消えている」
室内の空気が変わった。
俺は姿勢を正した。
「……何人?」
「五人だ」
俺は眉をひそめた。
五人。
思っていたより多い。
「……いつから?」
「お前と戦った翌日からだ」
ガレスは答えた。
「最初は一人。次に二人。そして昨日、さらに二人消えた」
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
ディーンだけじゃなかったのか。
「……そのうち一人は、見つかったぞ」
俺が言うと、ガレスの目が細くなった。
「……何?」
「ディーンって男だ」
ガレスが僅かに身を乗り出した。
「……生きてるのか?」
「ああ」
俺は頷いた。
「怪我はしてたけど、今は治療を受けてる」
ガレスはしばらく黙っていた。
そして、低く呟いた。
「……そうか」
その声には、僅かな安堵が混じっていた。
俺は男の顔を見つめた。
……マーカスの言っていたことは、本当らしい。
少なくとも、部下の生死を気にする程度の情はあるようだ。
◇
「……ディーンは何か話したか?」
ガレスが尋ねた。
俺は少し考えた。
「黒い装甲の兵士に連れ去られたって言ってた」
ガレスの表情が険しくなった。
「……やはりか」
俺は眉をひそめた。
「……心当たりがあるのか?」
ガレスはしばらく黙っていた。
そして、ヴィクターへ視線を向けた。
「……この場の話は、外へ漏らさないんだろうな?」
ヴィクターが答えた。
「俺の信用に関わる。勝手に売り歩くつもりはねえよ」
ガレスは頷いた。
そして、低い声で話し始めた。
「……俺たちは、ある荷物を運ぶ仕事を受けた」
俺は黙って聞いた。
「依頼主は、名前を明かさなかった。連絡は暗号化通信。報酬は通常の三倍」
……通常の三倍。
かなり高額な仕事だったらしい。
「荷物は?」
ヴィクターが尋ねた。
「大型の輸送ケースだ」
ガレスは答えた。
「中身は知らされていない。開封は禁止。指定された倉庫へ運ぶだけだった」
俺は顔を上げた。
「……ノースサイドの倉庫か?」
ガレスの目が細くなった。
「……知ってるのか?」
「少し調べた」
俺は答えた。
「そこで、黒い装甲の兵士と戦った」
ガレスはしばらく俺を見つめた。
そして、低く笑った。
「……あの連中と戦って、生きて帰ったのか」
「ああ」
俺は頷いた。
「三人ほど倒した」
ガレスの護衛たちが顔を見合わせた。
男自身も、僅かに目を見開いた。
「……三人?」
「ああ」
俺は答えた。
「かなり頑丈だったよ」
ガレスは黙った。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほどな」
男は椅子へ深く座り直した。
「お前が俺を倒したのも、まぐれじゃなかったわけだ」
俺は肩をすくめた。
「まぐれで戦ってたつもりはないけどな」
ガレスは苦笑した。
「……そうだろうな」
◇
「……それで」
俺は話を戻した。
「医療輸送車を襲ったのは、どうしてだ?」
ガレスの表情が変わった。
男はしばらく黙っていた。
そして、低い声で答えた。
「……追加の依頼が来た」
「追加?」
「ああ」
ガレスは頷いた。
「荷物を運び終えた後、同じ依頼主から別の仕事を頼まれた」
俺は腕を組んだ。
「……それが、医療輸送車の襲撃?」
「そうだ」
ガレスは答えた。
「指定された車両を止め、積荷を回収しろと言われた」
俺は眉をひそめた。
「……中身は知ってたのか?」
「医療物資だと聞いていた」
俺の表情が険しくなる。
「……それで引き受けたのか?」
ガレスは俺を睨んだ。
「俺は傭兵だ。慈善事業をやってるわけじゃねえ」
「……そうか」
俺は静かに答えた。
「じゃあ、あの診療所で薬を待っていた患者が死んでも、構わなかったわけだ」
室内が静まり返った。
ガレスの眉が動いた。
「……何?」
「俺たちが運んでいた荷物は、本物の医療物資だった」
俺は続けた。
「届け先には、治療を待っている人たちがいた。薬が届かなければ、困る人間がいたんだ」
ガレスは黙った。
俺はその目を見つめた。
「……それを分かった上で襲ったなら、俺はお前のやったことを許せない」
ガレスの護衛が身じろぎした。
だが、男は片手を上げて制した。
「……説教か?」
「事実を言ってるだけだよ」
俺は答えた。
「金のために仕事をするのは分かる。でも、何をしてもいいわけじゃないだろ」
ガレスはしばらく俺を睨んでいた。
そして、低く笑った。
「……甘いな、ガキ」
「そうかもな」
俺は頷いた。
「でも、俺はそういう考えで生きてる」
ガレスは黙った。
その表情からは、何を考えているのか読み取れなかった。
◇
しばらくして、ヴィクターが口を開いた。
「……ガレス。追加依頼の内容について、もう少し詳しく話せ」
ガレスは頷いた。
「指定された輸送車両を止める。それが最初の指示だった」
「……最初の?」
「ああ」
ガレスは続けた。
「だが、襲撃の直前になって、別の指示が来た」
俺は顔を上げた。
「……何だ?」
ガレスは俺を見た。
「……護衛の中に、特定の人物がいた場合は生け捕りにしろ、と」
俺は眉をひそめた。
「……特定の人物?」
ガレスは頷いた。
「黒髪。十代半ば。長剣を持っている」
室内が静まり返った。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
……なるほど。
つまり。
「……俺か」
ガレスは頷いた。
「そうだ」
俺は腕を組んだ。
……妙だな。
あの護衛任務を受けた時点で、俺の情報が依頼主に伝わっていたということになる。
だが、俺がヴィクターの仕事を受けたのは、襲撃の前日だ。
それ以前から、俺を調べていた人間がいたのだろうか。
「……その依頼主は、俺のことを知ってたのか?」
俺が尋ねると、ガレスは首を横に振った。
「詳しくは知らねえ。ただ、異常な身体能力を持つ少年だと聞かされていた」
俺は眉をひそめた。
……なるほど。
どうやら、俺がこの街へ来てから戦った場面を、誰かが見ていたらしい。
最初の路地裏。
リクを追っていた男たち。
ギャングとの戦い。
そして、ミナを治療したときのこと。
……どこまで知られているんだ?
俺は静かに息を吐いた。
これは、思っていた以上に厄介な話かもしれない。
◇
「……それで」
ヴィクターが低く尋ねた。
「お前は、カイを生け捕りにしようとしたのか?」
ガレスは鼻を鳴らした。
「最初はな」
俺は眉を上げた。
「……最初?」
「ああ」
ガレスは俺を見た。
「だが、実際に戦ってみて考えが変わった」
男は右腕を軽く動かした。
内部の駆動装置が、低い音を立てる。
「……こんなガキが、俺の腕を斬り落とすとは思わなかったからな」
俺は苦笑した。
「……あれは、そっちが銃を向けたからだろ」
「分かってる」
ガレスは答えた。
「だが、俺にも意地ってもんがある」
俺は肩をすくめた。
「……意地で死んだら、意味ないぞ」
ガレスは低く笑った。
「……まったくだ」
その言葉には、妙な実感がこもっていた。
俺は少し考えた。
「……それで、依頼主には何て報告した?」
ガレスの表情が引き締まった。
「……失敗した、と」
「……それだけ?」
「ああ」
ガレスは頷いた。
「だが、その翌日から部下が消え始めた」
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
失敗した傭兵団。
秘密を知っている部下たち。
そして、黒い装甲の兵士。
嫌な繋がり方だ。
「……口封じか?」
俺が尋ねると、ガレスは頷いた。
「俺もそう考えている」
男は拳を握り締めた。
「……あいつらは、俺の部下を使い捨てにするつもりだったんだ」
俺は静かに男を見つめた。
……それは、確かに許せないだろう。
だが。
俺は、あえて口を開いた。
「……お前も、医療物資を待っていた人たちを使い捨てにしようとしたんだぞ」
ガレスの拳が止まった。
俺は続けた。
「自分の部下が大切なのは分かる。でも、ほかの人間にも大切な誰かがいる」
男は黙った。
「……そこは、忘れないでほしい」
しばらくして。
ガレスは、ゆっくりと息を吐いた。
「……分かった」
俺は少し驚いた。
男は苦々しそうに続けた。
「お前の言うことが、全部間違ってるわけじゃねえ」
……へえ。
少なくとも、話を聞く気はあるらしい。
◇
「……それで、ガレス」
ヴィクターが口を開いた。
「お前は、何を望んでいる?」
ガレスは少し考えた。
そして、答えた。
「……部下を取り戻したい」
俺は顔を上げた。
「……生きていると思うのか?」
「分からねえ」
ガレスは正直に答えた。
「だが、死体が見つかっていない以上、可能性はある」
俺は頷いた。
……なるほど。
「それと」
ガレスは続けた。
「依頼主の正体を知りたい」
ヴィクターが眉をひそめた。
「……復讐か?」
「場合によってはな」
ガレスは答えた。
「だが、まずは誰が俺たちを売ったのかを知りたい」
俺は腕を組んだ。
……分かる気はする。
仲間を奪われたなら、取り戻したいと思うだろう。
だが、問題は方法だ。
「……俺たちに協力しろってことか?」
俺が尋ねると、ガレスは頷いた。
「そうだ」
室内が静かになった。
俺は少し考えた。
昨日まで敵だった相手。
医療輸送車を襲った傭兵団。
そして、リクとミナを監視させていた男。
……簡単に信用できる相手じゃない。
だが、情報は持っている。
しかも、今は共通の敵がいる可能性が高い。
「……条件がある」
俺は静かに言った。
ガレスが顔を上げた。
「……何だ?」
俺は指を一本立てた。
「まず、リクとミナには二度と近づくな」
ガレスは頷いた。
「分かった」
「監視も禁止だ」
「ああ」
「部下にも徹底してくれ」
「約束する」
俺は二本目の指を立てた。
「次に、医療物資を狙う仕事は引き受けるな」
ガレスが眉をひそめた。
「……それは、仕事の内容によるだろ」
俺は首を横に振った。
「少なくとも、患者へ届けられる薬を奪うような仕事は駄目だ」
ガレスはしばらく黙っていた。
そして、頷いた。
「……分かった」
俺は三本目の指を立てた。
「最後に、今回の件で無関係な人間を巻き込むな」
ガレスが苦笑した。
「……随分と厳しい条件だな」
「嫌なら、協力しない」
俺は即答した。
ガレスは俺を見つめた。
そして、低く笑った。
「……気に入らねえガキだ」
「それはお互い様だろ」
俺は笑った。
男はしばらく黙った。
そして、右手を差し出した。
「……分かった。条件を飲む」
俺はその手を見つめた。
修理途中の機械化された右腕。
俺が斬った腕だ。
……何だか、妙な気分だな。
俺は静かに手を伸ばした。
そして、握手を交わした。
「……よろしく、ガレス」
「……ああ」
男は低く答えた。
「ただし、勘違いするなよ」
「……何を?」
「俺たちは、友達になったわけじゃねえ」
俺は苦笑した。
「分かってるよ」
そして、少し笑った。
「でも、敵じゃなくなったなら十分だ」
ガレスは一瞬だけ目を丸くした。
そして、低く笑った。
「……本当に変なガキだ」
◇
会談が終わった後。
俺はヴィクターと共に、建物の外へ出た。
ガレスたちは、すでに車で去っている。
空は、少しずつ夕方の色へ変わり始めていた。
「……カイ」
ヴィクターが声をかけた。
「何です?」
「お前、随分と大胆なことをしたな」
俺は首を傾げた。
「……そうですか?」
「ああ」
男は頷いた。
「ガレスのような男と、正面から条件交渉する十六歳なんて、そうそういねえよ」
俺は苦笑した。
「……元の世界では、もっと怖い相手とも話しましたから」
ヴィクターが眉を上げた。
「……元の世界?」
……しまった。
俺は少し考えた。
「……昔の話です」
ヴィクターはしばらく俺を見つめていた。
そして、肩をすくめた。
「……まあいい。今は聞かねえよ」
俺は少し安心した。
……助かった。
ヴィクターは続けた。
「だが、今回の件はまだ終わってねえ」
「……分かってます」
俺は頷いた。
「ガレスの部下が消えた理由も、依頼主の正体も、まだ分からない」
「そうだ」
ヴィクターは頷いた。
「しかも、向こうはお前を生け捕りにしようとしていた」
俺は静かに息を吐いた。
……そこが一番気になる。
俺の存在を、誰かが知っている。
しかも、単なる好奇心ではなく、捕獲対象として見ている。
……厄介だな。
「……ヴィクター」
「ん?」
「俺の身分登録の件は、どうなってます?」
ヴィクターは少し考えた。
「まだ調整中だ。だが、相談できる相手は見つかった」
俺は頷いた。
「……ありがとうございます」
「礼は、うまくいってからにしろ」
男は笑った。
「この街じゃ、正式な身分を手に入れるのも簡単じゃねえ」
「……そうでしょうね」
俺は苦笑した。
だが、少しずつ前へ進んでいる。
それだけでも、ありがたかった。
◇
帰り道。
俺は歩きながら、今日の会談を思い返していた。
ガレス・ブレイク。
最初に戦ったときは、ただの乱暴な傭兵だと思っていた。
だが、今日話してみると、少し印象が変わった。
部下を気にかけている。
自分の失敗を認めることもできる。
そして、少なくとも今は、こちらの条件を飲むだけの理性がある。
……もちろん、信用しきるつもりはない。
人間は、簡単には変わらない。
まして、この街で長年傭兵をしてきた男だ。
必要なら、また汚い仕事を引き受けるかもしれない。
だが。
それでも、話し合いで解決できることがあるなら、その方がいい。
俺は胸元の護符へ触れた。
セレーネ。
……君なら、どうするだろうな。
きっと、最初は冷たい顔でガレスを睨むだろう。
そして、俺が甘いことを言えば、少し呆れたように溜息をつく。
だが最後には、こう言ってくれる気がする。
『……あなたがそう決めたなら、私は信じるわ』
俺は小さく笑った。
……会いたいな。
その気持ちは、今日も変わらない。
だが、今はまだ、この世界で生きていくしかない。
俺は空を見上げた。
巨大な広告の向こう。
雲の切れ間に、夕陽が見えていた。
……さて。
今日も、無事に帰れそうだ。
そう思ったとき。
通信端末が振動した。
表示されたのは、エリオットからのメッセージだった。
『カイ、ヴィクターから追加情報だ』
俺は足を止めた。
続けて、もう一通。
『ガレスが、依頼主との通信記録を一部提供してきた』
俺は眉をひそめた。
……通信記録?
さらに、メッセージが届く。
『ノアが解析したところ、発信元の一部が判明した』
俺は画面を見つめた。
そして、最後の一文を読んだ。
『通信は、ミリテク関連の施設を経由していた可能性がある』
……ミリテク。
俺は静かに息を吐いた。
どうやら、少しずつ核心へ近づいているらしい。
だが。
その先に何が待っているのかは、まだ分からない。
俺は端末をしまった。
そして、歩き出す。
ナイトシティ。
巨大企業が支配する街。
その裏側で、何かが動いている。
そして俺は、どうやらその何かに目をつけられてしまったらしい。
……まったく。
異世界へ飛ばされて、まだ一週間ほどだというのに。
どうして、こんなに忙しいんだろうな。
俺は苦笑した。
だが、足を止めるつもりはなかった。
守りたい人間がいる。
帰りたい場所がある。
そして、いつか再会したい少女がいる。
そのためにも。
俺は、この街で生き抜いてみせる。