神々の剣士、巨大企業の闇に触れる
ミリテク。
その名前を聞いて、俺が最初に思い浮かべたのは、かつて日本で遊んだゲームの記憶だった。
巨大軍需企業。
世界各地の軍隊や治安組織に武器を供給し、自前の軍事部門まで保有する怪物のような企業。
そして、アラサカと並んで、この世界の歴史に大きな影響を与えてきた存在。
ゲームの中では、企業同士の争いを遠くから眺めることもできた。
だが、実際にこの世界へ来てみると、その印象は随分と違う。
巨大企業の争いに巻き込まれるというのは、画面越しに見るほど愉快なものではない。
何しろ、相手は軍隊を持っている。
装甲車も、戦闘ドローンも、全身を機械化した兵士もいる。
そして何より、金と情報を使って人間の生活そのものを支配できる。
俺には神々から授かった剣と祝福がある。
だが、だからといって巨大企業を相手に正面から戦争を始めるつもりはなかった。
そもそも、俺がこの世界でやりたいことは、そんなことじゃない。
セレーネのいる世界へ帰る方法を探すこと。
それまでの間、リクとミナが安心して暮らせるようにすること。
できれば、普通に仕事をして、飯を食って、夜には眠る。
……本当に、それだけなんだけどな。
どうしてこうなった。
◇
翌朝。
俺は避難先の集合住宅で、少し遅い朝食を取っていた。
食卓には焼いたパンと卵に似た加工食品、それから温かいスープが並んでいる。
ミナはパンを小さくちぎりながら、隣に伏せているシルヴァへ話しかけていた。
「シルヴァちゃん、今日は何する?」
銀灰色の霊狼が片耳を動かす。
「お散歩?」
尻尾が揺れた。
「お散歩したいの?」
さらに尻尾が揺れる。
……お前、絶対に会話を楽しんでるだろ。
俺は苦笑しながらスープを飲んだ。
リクがこちらへ顔を向ける。
「カイ、今日も出かけるのか?」
「ああ。ヴィクターに呼ばれてる」
「昨日の大男の件?」
「それもあるな」
リクは少し考えた後、真剣な表情になった。
「……気をつけてくれよ」
「もちろん」
俺は頷いた。
「それと、二人とも今日は外へ出ないでくれ。買い物が必要なら俺に連絡してほしい」
「分かった」
リクは素直に答えた。
以前なら、自分たちのことは自分たちで何とかすると言っていたかもしれない。
だが、最近は少しずつ俺を頼ってくれるようになった。
それは嬉しい変化だった。
もっとも、いつまでも俺に依存させるつもりはない。
リクには学校や仕事について考える機会が必要だし、ミナにも普通の子供らしい生活を送ってほしい。
そのためには、まず安全な住居と安定した収入が必要になる。
……やることが多いな。
「カイお兄ちゃん」
ミナが顔を上げた。
「今日は早く帰ってくる?」
「できるだけな」
「じゃあ、夜は一緒にご飯食べようね」
「ああ。約束だ」
少女は嬉しそうに笑った。
俺はその笑顔を見ながら、改めて思った。
どんな事情があろうと、この二人を企業の争いに巻き込ませるわけにはいかない。
◇
午前十時過ぎ。
俺はワトソンのバーへ到着した。
まだ昼前だというのに、店内には数人の客がいた。
酒を飲んでいる者。
端末を操作している者。
カウンターで店主と話している者。
相変わらず、この街の人間は生活時間がばらばららしい。
奥の個室へ入ると、ヴィクターとエリオット、ノアが待っていた。
そして、もう一人。
昨日会ったばかりの大男が椅子に座っていた。
「……よう、ガキ」
ガレス・ブレイクだ。
修理途中の右腕をテーブルに載せ、こちらを見ている。
俺は眉を上げた。
「……また会ったな」
「不満か?」
「いや。昨日の今日だから、ちょっと驚いただけだ」
ガレスは鼻を鳴らした。
「俺も好きで来たわけじゃねえ」
「それはお互い様だな」
ヴィクターが額を押さえた。
「お前ら、会うたびに喧嘩腰になるのはやめろ」
俺は肩をすくめた。
「普通に挨拶してるつもりなんですけど」
「……それが問題なんだよ」
エリオットが横で小さく笑った。
ノアは我関せずといった様子で端末を操作している。
俺は空いている椅子へ腰を下ろした。
「それで、何が分かったんです?」
ヴィクターの表情が引き締まった。
「ガレスが持ってきた通信記録だ」
◇
ノアが端末を操作すると、テーブルの中央に立体映像が浮かび上がった。
複数の通信経路。
暗号化されたデータ。
そして、いくつかの数字と識別記号。
俺には何が何だか分からない。
「……説明してもらってもいいか?」
俺が尋ねると、ノアは頷いた。
「……ガレスが受け取った依頼の通信履歴を調べた」
彼女は一つの経路を拡大した。
「発信元は複数の中継サーバーを経由している。普通なら追跡は難しい」
「……でも、何か見つかった?」
「……そう」
ノアは別の画面を開いた。
「通信の一部が、ミリテク関連のネットワーク設備を経由していた」
俺は眉をひそめた。
「……それって、ミリテクが依頼主だってことか?」
「……違う」
ノアは即答した。
「ミリテクの設備を使ったからといって、ミリテク自身が通信したとは限らない」
ヴィクターが頷く。
「企業の回線を不正利用した可能性もある。下請けや関連会社の設備かもしれねえ」
なるほど。
つまり、まだ確証はないということか。
俺は腕を組んだ。
「……じゃあ、今のところは手掛かりの一つ?」
「そういうことだ」
ヴィクターは頷いた。
「だが、問題はその先にある」
ノアが新しい画面を表示した。
そこには、企業名らしい文字が並んでいた。
俺はその中の一つを見つめた。
「……ヘリックス・バイオシステムズ?」
ノアが頷いた。
「……ミリテクと取引のある医療技術企業」
俺は首を傾げた。
「……医療技術?」
「神経接続装置。義体適応技術。軍用医療機器」
ノアは淡々と説明した。
「今回の倉庫で確認された物資と、取扱分野が重なっている」
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
少しずつ、繋がってきたな。
◇
「……ただし」
ヴィクターが口を開いた。
「この会社が直接関わっている証拠はない」
俺は頷いた。
「分かってます」
ヘリックス・バイオシステムズ。
聞いたことのない名前だ。
少なくとも、俺が知っているゲームの主要な企業ではなかったと思う。
だが、この世界にはゲームに登場しなかった企業も無数に存在する。
当然だ。
ゲームで描かれていたのは、ナイトシティという巨大な街のほんの一部なのだから。
「……その会社は、何を作ってるんです?」
俺が尋ねると、ノアが資料を表示した。
「主に、神経系とサイバーウェアの接続技術」
俺は眉をひそめた。
「……つまり、人間の身体を機械化するための技術?」
「……そう」
ノアは頷いた。
「特に、重度の義体化を行った人間の神経負荷を軽減する研究をしている」
俺は少し考えた。
……なるほど。
この世界では、身体を機械化すればするほど、人間の精神や神経系に負担がかかることがある。
ゲームの知識でも、それは覚えている。
サイバーサイコシス。
過剰なサイバーウェア使用や様々な心理的・社会的要因が絡み合い、深刻な精神状態に陥る現象。
その問題を解決する技術なら、需要は大きいだろう。
「……研究自体は、悪いことじゃないんだな」
俺が言うと、ノアは頷いた。
「……そう。医療目的なら、多くの人を助けられる」
ヴィクターが続けた。
「だが、軍事目的に転用すれば話が変わる」
俺は顔を上げた。
「……どういうことです?」
「全身を機械化した兵士を、もっと安定して運用できるようになる」
ヴィクターは答えた。
「精神的な負荷を抑え、長時間の戦闘に耐えられる兵士を作れるなら、軍需企業にとっては価値がある」
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
昨日戦った兵士たち。
全身を覆う装甲。
人間離れした反応速度。
そして、機械化された身体。
あれが、その研究と関係している可能性があるわけか。
◇
「……なあ」
俺はガレスへ視線を向けた。
「お前が運んだ荷物に、その会社の名前はあったか?」
ガレスは首を横に振った。
「見てねえ」
「……本当に?」
「俺が嘘をついてどうする」
男は不機嫌そうに答えた。
「ケースは全部、識別番号だけだった。企業名なんざ書かれていなかった」
俺は頷いた。
……なるほど。
「ただし」
ガレスが続けた。
「一つ、妙なことがあった」
俺たちは男を見た。
「……何だ?」
ガレスは少し考えた。
「荷物を運び込んだとき、倉庫の奥から声が聞こえた」
「……声?」
「ああ」
ガレスは頷いた。
「最初は作業員かと思った。だが、違った」
男は眉をひそめた。
「……悲鳴だった」
室内が静まり返った。
俺はゆっくりと息を吐いた。
「……人間の?」
「ああ」
ガレスは答えた。
「男の声だった。何かを叫んでいたが、言葉までは分からなかった」
俺は腕を組んだ。
……嫌な予感がする。
ノースサイドの倉庫。
軍用義体の兵士。
神経接続装置。
そして、人間の悲鳴。
それらが示す可能性は、あまり考えたくないものだった。
「……そのとき、何もしなかったのか?」
俺が尋ねると、ガレスは顔をしかめた。
「契約外のことに首を突っ込むなと言われていた」
「……それで?」
「……帰った」
俺は黙った。
ガレスも、何も言わなかった。
しばらくして、男が低く呟いた。
「……今思えば、あのとき調べるべきだったのかもしれねえな」
俺は少し驚いた。
だが、何も言わなかった。
後悔している人間へ、今さら説教を重ねても意味はない。
重要なのは、これから何をするかだ。
◇
「……ヴィクター」
俺は口を開いた。
「その倉庫、今も使われているんですか?」
ヴィクターは頷いた。
「少なくとも、昨日まではな」
「……中に人がいる可能性は?」
「ある」
男は答えた。
「だが、確証はない」
俺は少し考えた。
もし、あの倉庫で人間を使った違法な実験が行われているのだとしたら。
放置するわけにはいかない。
だが、今の段階では証拠が足りない。
それに、俺たちが倉庫を襲えば、相手はすぐに施設を移すかもしれない。
最悪の場合、中にいる人間が口封じされる可能性もある。
……慎重に動くべきだな。
「……まずは、外から調べませんか?」
俺が言うと、ヴィクターが頷いた。
「そのつもりだ」
男は端末を操作した。
「ノアが、倉庫周辺の監視映像を集めている」
ノアが頷く。
「……出入りする車両を調べる」
「……それで、何か分かるのか?」
俺が尋ねると、彼女は答えた。
「……搬入される物資。運び出される荷物。人員の数」
なるほど。
外からでも、ある程度は施設の実態を推測できるらしい。
「……ただし」
ノアが続けた。
「倉庫の周辺には、監視ドローンが増えている」
俺は眉をひそめた。
「……昨日の件で警戒してるのか?」
「……可能性が高い」
ヴィクターが頷いた。
「だから、お前にはしばらく近づいてほしくねえ」
俺は少し驚いた。
「……俺が?」
「ああ」
ヴィクターは真剣な顔で続けた。
「お前は目立ちすぎる」
……それは否定できない。
長剣を持った十六歳の少年。
軍用義体の兵士を倒した。
しかも、相手は俺を生け捕りにしようとしている。
確かに、俺が倉庫へ近づけば、警戒されるだろう。
「……分かりました」
俺は頷いた。
「今は、情報収集を優先します」
ヴィクターは少し安心したように息を吐いた。
「……助かる」
◇
会議が一段落したところで、エリオットが俺へ声をかけた。
「カイ、少しいいかな?」
「何だ?」
「身分登録の件だ」
俺は顔を上げた。
「……進展があったのか?」
「ああ」
エリオットは頷いた。
「ヴィクターの知り合いに、行政関係の手続きに詳しい人物がいる」
俺は少し考えた。
「……正式な身分証を作れるのか?」
「簡単ではないけど、可能性はある」
エリオットは答えた。
「ただし、君の経歴をどう扱うかが問題になる」
俺は苦笑した。
「……経歴か」
この世界に生まれた記録がない。
学校へ通った記録もない。
病院の診療記録もない。
もちろん、出生証明書もない。
……確かに、厄介だ。
「……偽造するしかないのか?」
俺が尋ねると、エリオットは首を横に振った。
「できれば、それは避けたい」
「……どうして?」
「偽造身分は、調べられれば問題になる。特に企業から目をつけられている今は危険だ」
俺は頷いた。
……なるほど。
目先の便利さのために、後で大きな問題を抱えるのは避けたい。
「……じゃあ、どうする?」
「身元不明者として、正式な手続きを取れる可能性を調べている」
俺は少し驚いた。
「……そんな方法があるのか?」
「制度上はね」
エリオットは頷いた。
「ただし、審査や身元確認が必要になるし、必ず認められるとは限らない」
俺は静かに息を吐いた。
……それでも、道があるだけありがたい。
「……お願いします」
俺が頭を下げると、エリオットは少し笑った。
「任せてくれ」
ヴィクターが横から口を挟んだ。
「ただし、費用はかかるぞ」
俺は苦笑した。
「……ですよね」
「当然だ。手続きに必要な人間を動かすんだからな」
俺は頷いた。
……やっぱり、金が必要か。
この街では、何をするにも金がかかる。
だが、正式な身分を手に入れられるなら、十分に価値がある。
◇
昼過ぎ。
会議が終わり、ガレスが帰ろうとしたときだった。
「……おい、ガキ」
男が俺を呼び止めた。
「何だ?」
ガレスは少し躊躇した。
そして、低い声で言った。
「……ディーンのことだ」
俺は顔を上げた。
「……ああ」
「……お前が治したって聞いた」
俺は頷いた。
「そうだよ」
ガレスは俺を見つめた。
「……どうやった?」
俺は少し考えた。
「……特別な治療法だ」
ガレスの眉が動いた。
「……それだけか?」
「詳しくは話せない」
俺は静かに答えた。
「ただ、あいつの腕はもう動く。医師にも確認してもらった」
ガレスはしばらく黙っていた。
そして、低く呟いた。
「……そうか」
俺は男の顔を見つめた。
……何か言いたそうだな。
しばらくして、ガレスは口を開いた。
「……借りができた」
俺は少し驚いた。
「……借り?」
「ああ」
ガレスは頷いた。
「ディーンは俺の部下だ。そいつを助けたなら、俺にも借りがある」
俺は少し考えた。
そして、笑った。
「……じゃあ、今度は人助けでもしてくれ」
ガレスが眉をひそめた。
「……何?」
「借りを返したいんだろ?」
俺は続けた。
「だったら、困っている人間を助ける仕事を引き受けてくれよ」
ガレスはしばらく俺を見つめていた。
そして、突然笑い出した。
「……はははっ!」
大きな笑い声が室内に響く。
俺は少し驚いた。
「……何がおかしい?」
「いや……お前、本当に変なガキだな」
ガレスは笑いながら答えた。
「俺みたいな傭兵に、人助けをしろってか?」
「……駄目か?」
俺が尋ねると、ガレスは首を横に振った。
「……いや」
男は少し考えた。
そして、口元を歪めた。
「……考えといてやる」
俺は頷いた。
「それで十分だよ」
ガレスは鼻を鳴らした。
そして、護衛を連れて建物を出ていった。
俺はその背中を見送りながら、少しだけ笑った。
……案外、話の分かる男なのかもしれない。
もちろん、油断はしないけどな。
◇
夕方。
俺は避難先へ戻る途中、商店街へ立ち寄った。
夕食の材料を買うためだ。
今日は、できれば自分で料理を作ってみようと思っている。
もっとも、この世界の食材は元の世界とは随分と違う。
肉に見えるものが植物由来だったり、野菜に見えるものが合成食品だったりする。
……慣れるまで大変そうだ。
俺は店頭に並ぶ商品を眺めた。
加工肉。
合成野菜。
調味料。
そして、見慣れない包装の食品。
「……さて、何を作るかな」
そう呟いたとき、隣から声が聞こえた。
「兄ちゃん、料理するのかい?」
振り返ると、店主らしい中年の女性が立っていた。
「ああ。子供二人と一緒に食べるんです」
「そりゃいいね」
女性は笑った。
「だったら、こっちの加工肉が使いやすいよ。炒めても煮ても食べられる」
俺は商品を手に取った。
「……ありがとうございます」
「野菜も入れるなら、こっちが安い」
店主は別の商品を指差した。
俺は頷いた。
「……じゃあ、それも」
女性は手際よく商品を袋へ詰めた。
「若いのに偉いねえ」
俺は苦笑した。
「……そんなことないですよ」
元の世界では、旅の途中で料理をすることも多かった。
勇者は料理が下手だったし、盗賊は味見と称してつまみ食いばかりしていた。
セレーネは料理ができたが、魔法の研究に夢中になると食事そのものを忘れることがあった。
結局、俺が鍋をかき混ぜることも珍しくなかった。
……懐かしいな。
俺は袋を受け取り、店主へ礼を言った。
◇
避難先へ戻ると、リクとミナが出迎えてくれた。
「おかえり、カイ!」
「ただいま」
俺は買い物袋を持ち上げた。
「今日は俺が夕飯を作るぞ」
ミナの目が輝いた。
「本当!?」
「ああ」
リクも驚いた顔をした。
「……カイ、料理できるの?」
「一応な」
俺は笑った。
「旅をしていた頃は、よく作ってた」
「……旅?」
リクが首を傾げた。
俺は少し考えた。
「……昔の話だよ」
リクはそれ以上聞かなかった。
俺は台所へ向かった。
まず、加工肉を適当な大きさに切る。
次に、合成野菜を洗い、食べやすい大きさに刻む。
フライパンを温め、油を引く。
肉を炒める。
香ばしい匂いが広がった。
……おっ。
思ったより、まともな匂いだ。
俺は少し安心した。
続いて野菜を加え、調味料で味を整える。
最後に、簡単なスープを作った。
完成した料理を食卓へ並べる。
ミナが目を丸くした。
「……おいしそう!」
リクも驚いた顔をしている。
「……本当に作れたんだ」
「失礼だな」
俺は苦笑した。
「ちゃんと料理くらいできるぞ」
ミナが嬉しそうに手を合わせた。
「いただきます!」
俺も手を合わせる。
「いただきます」
リクも少し照れくさそうに真似をした。
そして、三人で食べ始めた。
ミナは一口食べると、顔を輝かせた。
「おいしい!」
俺は思わず笑った。
「それはよかった」
リクも頷いた。
「……うん。普通にうまい」
「普通に、は余計だろ」
俺が言うと、リクは笑った。
シルヴァは食卓の近くで伏せ、俺たちを眺めている。
俺はその頭を軽く撫でた。
……こういう時間は、本当にありがたい。
戦いのことを忘れられる。
企業の陰謀も、軍用義体の兵士も、今は関係ない。
ただ、温かい食事を囲む。
それだけで、少し心が落ち着いた。
◇
夜。
ミナが眠った後、俺は窓際に立っていた。
外には、ナイトシティの夜景が広がっている。
巨大な広告。
車のライト。
遠くに見える高層ビル群。
そして、雲の隙間から覗く月。
俺は胸元の護符へ触れた。
セレーネ。
……元気にしているだろうか。
君が今、何をしているのかは分からない。
だが、きっと俺を探してくれている。
そんな気がした。
俺は小さく息を吐いた。
そのとき。
背後から足音が聞こえた。
振り返ると、リクが立っていた。
「……カイ」
「どうした?」
少年は少し躊躇した。
そして、口を開いた。
「……俺、何かできることないかな」
俺は首を傾げた。
「……何か?」
「カイに、ずっと助けてもらってるだろ」
リクは俯いた。
「ミナのことも、住む場所のことも、飯のことも」
俺は黙って聞いた。
「……だから、俺も何かしたいんだ」
俺は少し考えた。
そして、笑った。
「……じゃあ、一つ頼んでもいいか?」
リクが顔を上げた。
「……何?」
「ミナを守ってやってくれ」
少年は目を丸くした。
「……それは、ずっとやってる」
「ああ」
俺は頷いた。
「だから、これからも頼む」
リクは少し黙った。
そして、真剣な顔で頷いた。
「……分かった」
俺は少年の頭を軽く撫でた。
「それと、もう一つ」
「……何?」
「自分のことも大切にしてくれ」
リクは驚いた顔をした。
俺は続けた。
「ミナを守るために、お前が無茶をして死んだら意味がない」
少年は黙った。
「だから、危険なことがあったら俺を呼べ。逃げられるなら逃げろ」
リクはしばらく考えた。
そして、小さく頷いた。
「……分かった」
俺は笑った。
「よし」
そのとき、シルヴァが近づいてきた。
銀灰色の霊狼は、リクの隣へ座る。
少年は少し驚いた。
そして、笑った。
「……シルヴァもいるしな」
「ああ」
俺は頷いた。
「頼りになる仲間だ」
シルヴァが誇らしげに尾を揺らした。
俺はその様子を見て、思わず笑った。
◇
同じ頃。
ナイトシティの別の場所。
高層ビルの一室。
薄暗い部屋の中央に、巨大な立体映像が浮かんでいた。
そこには、黒髪の少年が映っている。
長剣を構えた姿。
軍用義体の兵士を斬り倒す瞬間。
そして、負傷した男を金色の光で治療する映像。
黒いスーツを着た男が、静かに画面を見つめていた。
「……やはり、通常のサイバーウェアでは説明できない」
男は呟いた。
隣に立つ部下が頷く。
「はい。既知の技術では、同様の現象を再現できません」
男は腕を組んだ。
「……生体改造の痕跡は?」
「確認できません」
「……神経加速装置は?」
「不明です」
男はしばらく黙っていた。
そして、低く笑った。
「……興味深い」
部下が顔を上げる。
「……次の指示は?」
男は少し考えた。
そして、答えた。
「……少年の周辺人物を調べろ」
「すでに一部は特定しています」
「……なら、接触するな」
部下が驚いた顔をした。
「……よろしいのですか?」
男は頷いた。
「この少年は、周囲の人間を守ろうとする傾向が強い」
そして、画面を指差した。
「無理に手を出せば、こちらの損失が増えるだけだ」
部下は頷いた。
「……承知しました」
男は静かに続けた。
「まずは観察だ」
画面には、カイの姿が映っている。
銀色の剣。
金色の光。
そして、異常な身体能力。
男は小さく呟いた。
「……君は、一体何者なんだ?」
その声は、誰にも届かなかった。
◇
深夜。
俺は寝台へ横になっていた。
シルヴァは部屋の入口付近に伏せている。
リクとミナは、すでに眠っていた。
俺は天井を見つめた。
今日も、色々なことがあった。
ミリテク関連の通信経路。
ヘリックス・バイオシステムズ。
ノースサイドの倉庫。
そして、ガレスが聞いたという悲鳴。
……まだ分からないことばかりだ。
だが、少なくとも一つだけ確かなことがある。
俺は、誰かに狙われている。
それも、かなり大きな組織に。
俺は静かに息を吐いた。
……面倒だな。
だが、逃げるだけでは解決しないかもしれない。
相手が俺を捕まえようとしているなら、いつかは向き合う必要がある。
そのとき、どうするか。
俺は胸元の護符へ触れた。
セレーネ。
……君なら、きっと冷静に考えるんだろうな。
俺は小さく笑った。
そして、目を閉じた。
明日も、やることがある。
今は、少しでも身体を休めよう。
ナイトシティの夜は、まだ長い。
だが。
この街の暗闇が、どれほど深くても。
俺は、前へ進むつもりだった。