神々の剣士、人体実験の痕跡を追う
人間の身体を機械に置き換える。
最初にその技術を知ったとき、俺は純粋に驚いた。
失った腕を取り戻せる。
歩けなくなった人間が、再び自分の足で歩ける。
生まれつき目の見えない人間が、人工の眼球によって景色を見ることもできる。
それは素晴らしい技術だと思う。
俺が以前いた世界では、失った手足を完全に再生できる治癒魔法は限られていた。
高位の神官や、一部の特殊な魔法を使える者だけが可能な奇跡。
俺自身も太陽の神の祝福によって同じことができるが、それは決して当たり前の能力ではなかった。
だからこそ、サイバーウェアという技術には感心していた。
だが、技術は使い方次第だ。
人を救うための技術が、人を傷つけるために使われることもある。
そして、このナイトシティでは。
どうやら、その境界線が随分と曖昧になっているらしい。
◇
翌朝。
俺は窓から差し込む光で目を覚ました。
時計を見ると、午前七時を少し過ぎたところだった。
寝台から身体を起こし、軽く肩を回す。
筋肉に痛みはない。
昨日までの疲労も、ほとんど抜けている。
豊穣の女神の祝福による回復力もあるが、単純に昨夜はよく眠れた。
……ありがたいことだ。
俺は寝台から降り、窓の外を眺めた。
高層ビルの隙間から、朝日が差し込んでいる。
道路にはすでに多くの車が走り、巨大な広告には朝から派手な映像が流れていた。
ナイトシティの朝。
元の世界のような鳥の声は、ほとんど聞こえない。
代わりに聞こえるのは、エンジン音と広告の音声だ。
……慣れたくないな、これは。
俺は苦笑しながら部屋を出た。
居間では、リクが端末を操作していた。
「おはよう」
「あ、カイ。おはよう」
「早いな。何してるんだ?」
俺が尋ねると、リクは少し照れくさそうに画面を見せた。
「……勉強」
俺は目を丸くした。
「勉強?」
「うん。無料で見られる教材があったから」
画面には、数学の問題らしいものが表示されていた。
リクは少し困った顔をする。
「でも、分かんないところが多くてさ」
俺は隣へ座った。
「どれ?」
「これ」
画面を見る。
基本的な計算問題だった。
……なるほど。
元の世界で受けた教育の知識が、そのまま役に立ちそうだ。
「ここは、先に括弧の中を計算するんだ」
俺は説明を始めた。
リクは真剣な顔で聞いている。
数分後。
「あっ、分かった!」
少年の顔が明るくなった。
「そういうことか!」
「そうそう」
俺は笑った。
「慣れれば簡単だよ」
リクはもう一度問題を解き直した。
今度は正解だった。
「……できた!」
その嬉しそうな顔を見て、俺も自然と笑顔になった。
……いいな。
こういう時間は。
戦いとは違う。
誰かが少しずつ前へ進んでいくのを見るのは、やはり嬉しいものだ。
◇
朝食の後。
俺の通信端末が振動した。
表示された名前は、ノア。
「もしもし」
『……カイ』
「おはよう。どうした?」
『……新しい情報が見つかった』
俺は姿勢を正した。
「……昨日の件?」
『……そう』
ノアの声は、いつも通り落ち着いていた。
だが、僅かに緊張しているようにも聞こえる。
『ヘリックス・バイオシステムズについて、過去の記録を調べた』
「……何か分かったのか?」
『……少し』
短い沈黙。
そして、ノアが続けた。
『……五年前、ある研究施設が閉鎖されている』
俺は眉をひそめた。
「研究施設?」
『……神経接続技術の実験施設』
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
話が繋がってきたな。
「……その施設が、今の倉庫と関係している?」
『……まだ分からない。でも、調べる価値はある』
俺は頷いた。
「分かった。ヴィクターのところへ行けばいい?」
『……そう。午前十時』
「了解」
通話を終えた。
俺は端末をしまい、リクへ視線を向けた。
「悪い。また少し出かけることになった」
リクは頷いた。
「分かった。ミナは俺が見てる」
「頼む」
俺はシルヴァへ顔を向けた。
銀灰色の霊狼は、ミナの隣で伏せている。
少女はその背中に小さな毛布をかけていた。
……お前、暑くないのか?
シルヴァは特に気にしていないようだった。
俺は苦笑した。
「シルヴァ。今日も頼むぞ」
霊狼が青い瞳をこちらへ向けた。
小さく尾が動く。
俺は頷いた。
……よし。
これで、少なくとも二人を完全に無防備な状態で残すことはない。
◇
午前十時。
ワトソンのバー。
奥の個室には、ヴィクター、エリオット、ノアが集まっていた。
俺が入ると、ヴィクターが片手を上げた。
「来たか」
「おはようございます」
「座ってくれ」
俺は椅子へ腰を下ろした。
ノアが端末を操作する。
テーブルの中央に、古い建物の立体映像が浮かび上がった。
三階建ての研究施設。
周囲には高い塀。
敷地内には複数の建物が並んでいる。
「……これが?」
俺が尋ねると、ノアは頷いた。
「……ヘリックス・バイオシステムズが以前使っていた研究施設」
俺は映像を眺めた。
「……場所は?」
「……ナイトシティ郊外」
ノアが地図を表示する。
市街地から少し離れた工業地帯。
現在は廃業した企業の施設が並んでいるらしい。
「……五年前に閉鎖されたんだよな?」
「……そう」
ノアは頷いた。
「公式には、経営上の理由で研究部門を統合したことになっている」
俺は首を傾げた。
「……公式には?」
ヴィクターが口を開いた。
「どうやら、裏に別の事情があったらしい」
男は端末を操作した。
画面に、古いニュース記事が表示される。
俺は内容を読んだ。
研究施設の閉鎖。
従業員の解雇。
そして、研究データの移管。
……普通の企業ニュースに見えるな。
「……これの何がおかしいんです?」
俺が尋ねると、ヴィクターは画面の一部を指差した。
「閉鎖された時期だ」
俺は目を細めた。
……五年前。
つまり、2067年。
俺が知っているゲームの時代より十年前だ。
「……何かあったんですか?」
ヴィクターは頷いた。
「施設の閉鎖直前、複数の研究員が行方不明になっている」
俺は顔を上げた。
「……行方不明?」
「ああ」
ヴィクターは続けた。
「しかも、会社側は全員が自主退職したと説明している」
俺は眉をひそめた。
……怪しいな。
もちろん、本当に退職した可能性もある。
だが、複数の研究員が同時期に消えたというのは、気になる話だ。
◇
「……さらに」
ノアが別の資料を表示した。
「……研究施設では、ある特殊な実験が行われていた可能性がある」
俺は顔を上げた。
「……どんな?」
「……重度義体化患者の神経安定化実験」
俺は少し考えた。
……昨日聞いた話と似ているな。
「……全身を機械化した人間の精神負荷を減らす研究?」
ノアは頷いた。
「……そう」
そして、少し間を置いた。
「……ただし、実験対象者の記録が不自然」
俺は眉をひそめた。
「……どういうことだ?」
ノアは画面を操作した。
そこには、複数の番号が並んでいた。
被験者番号。
実験開始日。
そして、記録終了日。
「……この研究では、少なくとも二十人以上の被験者がいた」
俺は静かに息を吐いた。
……二十人。
決して少ない人数ではない。
「……その人たちは、どうなったんだ?」
俺が尋ねると、ノアは首を横に振った。
「……分からない」
俺は眉をひそめた。
「……分からない?」
「……退院記録がない。転院記録もない」
室内が静かになった。
俺は画面を見つめた。
……つまり。
「……全員、消えたのか?」
ノアは静かに頷いた。
「……少なくとも、公開されている記録では」
俺は腕を組んだ。
……嫌な話だ。
医療研究。
被験者。
そして、記録の消失。
元の世界でも、似たような事件を聞いたことがある。
魔法の研究と称して、貧しい人間を実験台にする魔術師。
強力な魔導具を作るために、人間の生命力を利用する錬金術師。
そうした連中を、俺たちは何度も止めてきた。
……まさか、異世界へ来ても同じような話を聞くとはな。
◇
「……ヴィクター」
俺は口を開いた。
「その被験者たちが、今も生きている可能性はありますか?」
ヴィクターは少し考えた。
「……ある」
俺は顔を上げた。
「……本当ですか?」
「ああ」
男は頷いた。
「ただし、確証はねえ」
俺は静かに息を吐いた。
……それでも、可能性があるなら。
「……調べたいです」
俺が言うと、ヴィクターは眉をひそめた。
「……カイ」
「分かってます」
俺は頷いた。
「無計画に突っ込むつもりはありません」
ヴィクターは少し安心したようだった。
「……ならいい」
俺は続けた。
「でも、もし今も誰かが実験台にされているなら、放っておけません」
ヴィクターはしばらく俺を見つめていた。
そして、小さく息を吐いた。
「……お前らしいな」
俺は苦笑した。
「……そうですか?」
「ああ」
男は頷いた。
「だが、今回は特に慎重に動く必要がある」
俺は頷いた。
……当然だ。
相手は巨大企業と関係している可能性がある。
しかも、軍用義体の兵士まで使っている。
俺一人なら戦えるかもしれない。
だが、仲間を巻き込むわけにはいかない。
◇
「……一つ、提案がある」
ノアが口を開いた。
俺たちは彼女を見た。
「……何だ?」
ヴィクターが尋ねる。
「……旧研究施設の周辺を調べたい」
俺は眉をひそめた。
「……今は廃墟なんだろ?」
「……そう。でも、完全に放棄されたとは限らない」
ノアは地図を表示した。
「……周辺の電力使用量が、不自然」
俺は首を傾げた。
「……電力?」
「……閉鎖された施設なのに、一定量の電力が使われている」
俺は少し考えた。
……なるほど。
人がいないはずの建物で、電気が使われている。
それは確かに気になる。
「……警備設備が残っているだけじゃないのか?」
俺が尋ねると、ノアは頷いた。
「……その可能性もある」
そして、続けた。
「……でも、消費量が大きすぎる」
ヴィクターが腕を組んだ。
「……何か動いている可能性があるってことか」
ノアは頷いた。
「……そう」
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
旧研究施設。
消えた被験者。
不自然な電力使用量。
そして、現在の倉庫。
どうやら、まだ何か隠されているらしい。
◇
「……ただし」
ヴィクターが口を開いた。
「今回はカイを連れていかねえ」
俺は少し驚いた。
「……俺を?」
「ああ」
男は頷いた。
「お前は、すでに向こうに顔を知られている」
俺は静かに息を吐いた。
……確かに。
昨日の兵士たちとの戦闘映像。
医療輸送車の襲撃。
そして、ガレスの証言。
相手が俺を調べているなら、顔も知られているだろう。
「……じゃあ、誰が行くんです?」
俺が尋ねると、ヴィクターはエリオットへ視線を向けた。
「エリオットが、信頼できる連中を手配する」
エリオットが頷いた。
「すでに候補はいるよ」
俺は少し考えた。
「……危険じゃないですか?」
「もちろん危険はある」
エリオットは答えた。
「だから、直接施設へ入るつもりはない。遠くから監視するだけだ」
俺は頷いた。
……それなら、少しは安全か。
もちろん、絶対ではない。
だが、俺が同行して目立つよりはいいかもしれない。
「……分かりました」
俺は頷いた。
「何かあったら、すぐに連絡してください」
ヴィクターは笑った。
「……そのときは頼む」
◇
会議が終わった後。
俺はバーのカウンターで、少し休んでいた。
ヴィクターは別の仕事の連絡を受けている。
エリオットは調査班の手配。
ノアは端末で資料を整理していた。
俺はグラスの水を飲みながら、今後のことを考えた。
……さて。
今日は、何をするかな。
少なくとも、俺が直接動く仕事はない。
なら、リクとミナのところへ帰ってもいい。
それとも、身分登録の件を進めるべきだろうか。
そんなことを考えていると、ノアが隣へ座った。
「……カイ」
「ん?」
「……一つ、聞いてもいい?」
「もちろん」
彼女は少し考えた。
そして、真剣な顔で尋ねた。
「……あなた、どうしてそこまで人を助けようとするの?」
俺は少し驚いた。
「……どうして?」
「……そう」
ノアは頷いた。
「……この街では、他人のために危険を冒す人間は少ない」
俺は少し考えた。
……そうなのか。
確かに、ナイトシティでは金がすべてだという話を何度も聞いた。
だが、実際には親切な人間もいる。
ヴィクター。
エリオット。
マーカス。
レナ。
そして、リクとミナ。
この街で出会った人間が、全員冷たいわけではない。
「……昔、教わったんだ」
俺は静かに答えた。
ノアが顔を上げる。
「……誰に?」
「……大切な人たちに」
俺は少し笑った。
「力があるなら、誰かのために使えって」
ノアは黙って聞いていた。
「もちろん、全部の人間を助けられるわけじゃない」
俺は続けた。
「でも、目の前で困っている人がいるなら、できることはしたい」
ノアはしばらく俺を見つめていた。
そして、小さく呟いた。
「……変わってる」
俺は苦笑した。
「……よく言われる」
彼女は少しだけ笑った。
「……でも、嫌いじゃない」
俺は少し驚いた。
「……そうか」
ノアは頷いた。
「……うん」
そして、再び端末へ視線を戻した。
俺はグラスを置いた。
……何だか、少し嬉しいな。
◇
午後。
俺はワトソンの街を歩いていた。
特に目的があるわけではない。
ただ、帰り道に少し寄り道をしているだけだ。
巨大な広告。
露店。
雑然とした建物。
そして、行き交う人々。
この街の景色にも、少しずつ慣れてきた。
だが、まだ知らないことは多い。
例えば、サイバーウェア。
俺はこの世界の人間が当たり前のように身体を機械化していることに、未だに驚くことがある。
元の世界では、魔導義手や魔導義足が存在した。
だが、それらは高価で、一般人が簡単に手に入れられるものではなかった。
一方、この世界では、路上で見かける人間の多くが何らかのサイバーウェアを使っている。
……技術の進歩ってすごいな。
俺はそう思いながら歩いていた。
そのとき。
路地の奥から、怒鳴り声が聞こえた。
「……ふざけんな!」
俺は足を止めた。
……ん?
声のする方を見る。
路地の奥。
そこには、数人の男が集まっていた。
中央には、若い女性。
男たちは、彼女を取り囲んでいる。
……またか。
俺は小さく息を吐いた。
この街では、本当にこういう光景が多い。
だが、見過ごすわけにもいかない。
俺は路地へ足を向けた。
◇
「……おい」
俺が声をかけると、男たちが振り返った。
全部で四人。
派手な服装。
腕や首には、サイバーウェアらしい金属部品が見える。
中央の女性は、二十代前半くらいだろうか。
短い金髪。
薄汚れたジャケット。
そして、怯えた表情。
「……何だ、ガキ?」
一人の男が睨んできた。
俺は静かに答えた。
「その人、嫌がってるみたいだけど」
男が鼻を鳴らした。
「お前には関係ねえだろ」
「……そうかもしれないな」
俺は頷いた。
「でも、四人で一人を囲むのは、あまり格好よくないと思うぞ」
男たちの表情が変わった。
「……何だと?」
俺は肩をすくめた。
「そのままの意味だよ」
すると、一人が腰の拳銃へ手を伸ばした。
……おっと。
俺は相手の動きを見た。
指が銃のグリップへ触れる。
その瞬間。
俺は踏み込んだ。
相手の手首を掴む。
そして、軽く捻る。
「――いでででっ!」
男が悲鳴を上げた。
拳銃が地面へ落ちる。
俺はそのまま男を壁へ押しつけた。
「……銃は危ないぞ」
俺が言うと、男は顔を歪めた。
「……て、てめえ!」
残りの三人が動いた。
だが、俺は慌てなかった。
一人目の拳をかわす。
足を払う。
男が地面へ倒れる。
二人目がナイフを抜いた。
俺はその腕を掴み、肘を軽く打つ。
ナイフが落ちた。
三人目が背後から掴みかかってくる。
俺は身体を捻り、相手の勢いを利用して投げた。
――ドンッ!
男が地面へ転がる。
数秒後。
四人とも、動けなくなっていた。
俺は静かに息を吐いた。
……よし。
今回は、剣を抜く必要もなかった。
◇
「……大丈夫ですか?」
俺は女性へ声をかけた。
彼女は目を丸くしていた。
「……え?」
「怪我は?」
俺が尋ねると、女性は慌てて首を横に振った。
「……だ、大丈夫」
俺は頷いた。
「よかった」
女性はしばらく俺を見つめていた。
そして、小さく頭を下げた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
俺は笑った。
そのとき。
女性が、俺の背中にある長いケースを見た。
「……あなた、もしかして」
俺は首を傾げた。
「……何です?」
彼女は少し躊躇した。
そして、尋ねた。
「……カイって名前?」
俺は目を丸くした。
「……そうだけど」
女性の表情が変わった。
「……やっぱり」
俺は眉をひそめた。
「……どこかで会いました?」
女性は首を横に振った。
「……いいえ」
そして、少し間を置いた。
「……でも、あなたのことを探している人がいる」
俺は静かに息を吐いた。
……またか。
どうやら、俺の名前は思っていた以上に広まっているらしい。
「……誰です?」
俺が尋ねると、女性は周囲を確認した。
そして、低い声で答えた。
「……ヘリックス・バイオシステムズ」
俺の表情が変わった。
……何だって?
女性は続けた。
「……私、あの会社で働いていたの」
俺は静かに彼女を見つめた。
……なるほど。
これは、偶然にしては出来すぎている。
だが、今の段階で彼女を疑う理由もない。
「……名前を聞いてもいいですか?」
俺が尋ねると、女性は答えた。
「……エマ」
俺は頷いた。
「エマさんですね」
彼女は小さく頷いた。
「……お願い。少しだけ話を聞いて」
俺は周囲を確認した。
倒れた男たちは、まだ地面で呻いている。
ここで長話をするのは危険だろう。
「……分かりました」
俺は答えた。
「でも、ここじゃ落ち着いて話せません」
エマが頷く。
「……そうね」
俺は通信端末を取り出した。
そして、エリオットへ連絡する。
「……エリオット」
『カイ? どうした?』
「……ちょっと、相談したいことがある」
『何かあったのかい?』
俺はエマへ視線を向けた。
彼女は、不安そうにこちらを見ている。
「……ヘリックス・バイオシステムズの元従業員だという人に会った」
通信の向こうで、沈黙があった。
そして、エリオットの声が変わった。
『……詳しく聞かせてくれ』
俺は静かに息を吐いた。
……どうやら。
今日も、簡単には終わらないらしい。
◇
一方、その頃。
ナイトシティの高層ビル。
薄暗い会議室。
黒いスーツの男が、端末を見つめていた。
画面には、一人の女性の写真が表示されている。
短い金髪。
若い顔立ち。
そして、社員証。
男は静かに呟いた。
「……エマ・ウォーカー」
隣の部下が頷く。
「はい。元研究補助員です」
「……所在は?」
「現在、ワトソン地区で確認されています」
男は目を細めた。
「……何をしている?」
「不明です。ただし、ある少年と接触した可能性があります」
男は顔を上げた。
「……少年?」
部下は端末を操作した。
画面に、黒髪の少年の写真が表示される。
長剣のケースを背負った姿。
そして、琥珀色の瞳。
男は静かに笑った。
「……カイ、か」
部下が頷いた。
「はい」
男はしばらく考えた。
そして、口を開いた。
「……面白い」
その声には、冷たい興味が滲んでいた。
「……どうやら、こちらが探すまでもなく、彼の方から近づいてきてくれるらしい」
男は椅子へ深く座り直した。
「……監視を続けろ」
「了解しました」
「ただし、今は手を出すな」
部下が少し驚いた。
「……よろしいのですか?」
男は頷いた。
「……ああ」
そして、画面に映る少年を見つめた。
「……彼が何をするのか、見てみたい」
会議室に、静かな笑い声が響いた。
◇
俺は、エマと共に大通りへ向かっていた。
周囲には、多くの人々が行き交っている。
少なくとも、さっきの路地よりは安全だろう。
エマは何度も後ろを振り返っていた。
俺は静かに声をかけた。
「……大丈夫ですか?」
彼女は小さく頷いた。
「……ええ」
だが、その表情は硬い。
俺は少し考えた。
そして、尋ねた。
「……さっきの男たちは、知り合いですか?」
エマは首を横に振った。
「……違う」
俺は眉をひそめた。
「……じゃあ、何で囲まれていたんです?」
エマは少し黙った。
そして、低い声で答えた。
「……私が持っているものを、奪おうとしていたの」
俺は顔を上げた。
「……何を?」
エマは周囲を確認した。
そして、ジャケットの内側から小さな記憶媒体を取り出した。
黒いチップ。
指先ほどの大きさ。
俺はそれを見つめた。
「……データチップ?」
エマが頷いた。
「……そう」
そして、震える声で続けた。
「……これには、ヘリックスが隠している研究記録が入っている」
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
どうやら、重要なものらしい。
「……どんな研究です?」
俺が尋ねると、エマは少し躊躇した。
そして、答えた。
「……人間の神経系を、完全に機械へ接続する研究」
俺は眉をひそめた。
……全身義体の研究か。
だが、それだけなら、昨日聞いた話と変わらない。
エマは続けた。
「……でも、問題はそこじゃない」
俺は顔を上げた。
「……何が問題なんです?」
彼女は、震える声で答えた。
「……被験者たちが、同意していなかったの」
俺の表情が変わった。
……何だって?
エマは俯いた。
「……最初は、治療を受けられるって説明されていた」
俺は黙って聞いた。
「……でも、実際には違った」
彼女の声が震える。
「……身体を改造されて、軍用の義体へ接続されて……」
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
嫌な予感が、当たってしまったらしい。
エマは続けた。
「……お願い」
彼女は俺を見た。
その目には、涙が浮かんでいた。
「……あの人たちを、助けて」
俺はしばらく黙っていた。
そして、静かに頷いた。
「……分かりました」
エマが目を見開いた。
「……本当に?」
「はい」
俺は答えた。
「ただし、まずは詳しい話を聞かせてください」
俺は周囲を確認した。
大通りの向こうには、巨大な企業広告が浮かんでいる。
その光が、街を行き交う人々を照らしていた。
……人間を救うための技術。
それを、人間を兵器に変えるために使う。
もし、それが本当なら。
俺は、見過ごすつもりはなかった。
だが、同時に理解している。
相手は、巨大企業と関係している可能性がある組織だ。
剣一本で突っ込んで、すべてを解決できるとは限らない。
だからこそ。
今度は、仲間と共に考えよう。
俺は胸元の護符へ触れた。
セレーネ。
……君なら、きっとこう言うだろうな。
『助けたいなら、まず助けられる方法を考えなさい』
俺は小さく笑った。
……ああ。
その通りだ。
俺はエマへ視線を戻した。
「……行きましょう」
彼女は頷いた。
俺たちは、ワトソンの雑踏の中へ歩き出した。
巨大企業の影が、少しずつ近づいている。
だが、俺はまだ知らなかった。
エマが持っていた小さな記憶媒体。
その中には、単なる人体実験の記録だけではなく。
ナイトシティの裏側で進められている、ある計画の存在が記されていたことを。
そして、その計画が。
俺自身の運命にも、大きく関わってくることを。