神々の剣士、鋼鉄の檻に囚われた者たち
人間を兵器にする。
その言葉を聞いて、俺が思い出したのは、かつて戦った魔王軍のことだった。
魔王軍には、人間を魔物へ変える術を研究していた魔術師がいた。
捕虜を使い、肉体を変質させ、精神を支配する。
完成した兵士は痛みを恐れず、命令に従い、死ぬまで戦い続ける。
その魔術師は、自分の研究を誇らしげに説明していた。
『人間の弱さを取り除いた、理想の兵士だ』
俺たちは、その研究所を破壊した。
だが、戦いが終わった後、勇者が呟いた言葉を今でも覚えている。
『……助けられなかった人たちも、いたんだよな』
あいつは強かった。
正義と力の神から祝福され、雷を自在に操り、どんな敵にも正面から立ち向かった。
それでも、すべての人間を救うことはできなかった。
俺だって同じだ。
神々の祝福があっても、できないことはある。
だからこそ、今度は間違えたくない。
目の前に救える人間がいるのなら、まずその方法を考える。
剣を抜くのは、それからだ。
◇
「まず、確認させてください」
俺はエマへ声をかけた。
ワトソンの大通りから少し離れた場所。
俺たちはエリオットが指定した小さな喫茶店に入っていた。
店内には数人の客がいる。
古びたスピーカーから音楽が流れ、窓の外では車が絶え間なく走っていた。
エマは向かい側の椅子に座り、両手で紙コップを握っている。
短い金髪。
疲れた顔。
そして、何度も入口を確認する落ち着かない視線。
俺は彼女の様子を見ながら続けた。
「さっき、あなたを囲んでいた男たちは、本当に知らない相手なんですね?」
「……ええ」
エマは頷いた。
「突然現れて、チップを渡せって言われたの」
「どうして、持っていることが分かったんでしょう?」
「分からない。でも、私がヘリックスからデータを持ち出したことは知られているはず」
俺は少し考えた。
なるほど。
なら、あの四人は偶然絡んできた不良ではない可能性が高い。
ただし、エマを追っているのが誰なのかは、まだ分からない。
「もう一つ。どうして俺の名前を知っていたんです?」
エマが顔を上げた。
「……あなたを探していたから」
「俺を?」
「数日前、ヘリックスの内部連絡であなたの映像を見たの」
俺は眉をひそめた。
「どんな映像です?」
「黒髪の少年が、剣で武装した男たちを倒している映像。顔と名前、それから『生け捕りを優先する』という指示がついていた」
……やっぱりか。
ガレスが受けた追加依頼と一致する。
「それで、俺なら助けられると思った?」
エマは頷いた。
「あなたは、あの会社の兵士たちと戦えるんでしょう?」
「戦える相手もいます」
俺は正直に答えた。
「でも、何人相手でも勝てるわけじゃありません」
彼女は少し俯いた。
「……そうよね」
「それでも、話は聞きます」
俺は続けた。
「ただし、あなたの話が本当かどうか、確認はさせてください」
エマは顔を上げた。
俺は彼女の目を見て言った。
「あなたを疑いたいわけじゃありません。でも、助けに行く場所を間違えたら、取り返しがつかない」
しばらくして、エマは小さく頷いた。
「……分かったわ」
そのとき、入口の扉が開いた。
灰色のジャケットを着た男が入ってくる。
エリオットだ。
彼は俺たちを見つけると、真っ直ぐこちらへ歩いてきた。
「待たせたね」
「いや、助かった」
俺は立ち上がった。
「彼女がエマさん。ヘリックスの元従業員だそうだ」
エリオットは彼女へ穏やかに挨拶した。
「エリオットです。カイの仕事仲間だと思ってください」
「……エマ・ウォーカーです」
「事情は少し聞いています。ここで長く話すのは危険なので、場所を移しましょう」
俺は頷いた。
その判断には賛成だ。
何しろ、相手はすでにエマの居場所を探している。
人目がある場所でも、安心はできない。
◇
エリオットが用意した車は、喫茶店から二本先の通りに停められていた。
運転席にはレナがいた。
短い赤茶色の髪。
機械化された左腕。
そして、相変わらず自信に満ちた笑顔。
「よう、カイ。今度は女の子を拾ったの?」
「人聞きの悪いことを言うなよ」
俺が答えると、レナは楽しそうに笑った。
「冗談、冗談。乗って」
エマは戸惑いながら後部座席へ乗り込んだ。
俺は彼女の隣に座り、エリオットが助手席へ入る。
車が発進した。
レナはミラーで後方を確認しながら言った。
「エリオット、行き先は変更なし?」
「ああ。ヴィクターが場所を確保してくれた」
「了解」
俺は窓の外へ視線を向けた。
歩道には多くの人がいる。
車も多い。
今のところ、追跡している車両は見当たらない。
もっとも、俺はこの街の追跡技術を十分に理解しているわけではない。
監視カメラや通信記録を使われたら、車を見張るだけでは不十分だろう。
「レナ」
「ん?」
「前にリクたちを移動させたときみたいなことにはならないよな?」
レナは少しだけ笑みを薄くした。
「そうならないように走ってる」
「頼むよ」
「任せな。あたしも車を穴だらけにされる趣味はないから」
……それは本当に同感だ。
◇
案内されたのは、ヴィクターが管理する別の事務所だった。
表向きは小規模な運送業者の営業所らしい。
入口には古い社名が掲げられ、内部には机と通信設備が並んでいる。
奥の部屋には、すでにノアが待っていた。
「……来た」
彼女はエマを見た。
「……あなたがエマ・ウォーカー?」
「ええ」
「……ノア。情報解析を担当してる」
ノアは簡潔に自己紹介すると、俺へ顔を向けた。
「……チップは?」
「エマさんが持ってる」
エマはジャケットの内側から黒い記憶媒体を取り出した。
ノアはそれを見ても、すぐには受け取らなかった。
「……そのまま端末には挿さない」
俺は首を傾げた。
「危険なのか?」
「……追跡用のプログラムが仕込まれている可能性がある」
なるほど。
この世界では、情報そのものが罠になるらしい。
ノアはエマへ確認した。
「……暗号化されてる?」
「ええ。研究部門の内部規格よ」
「……解除キーは?」
「一部だけ持ってる。でも、全部は開けられないと思う」
ノアは頷いた。
「……十分。まずは隔離して調べる」
彼女は机の上に置かれた専用の装置を指差した。
外部ネットワークから切り離された解析機器らしい。
俺には仕組みが分からないが、少なくとも慎重に扱う必要があることは理解できた。
「……どのくらいかかる?」
俺が尋ねると、ノアは肩をすくめた。
「……中身次第」
そう言って、作業を始めた。
俺はエマへ椅子を勧めた。
「少し休んでください」
「……ありがとう」
彼女は疲れたように腰を下ろした。
俺はエリオットへ顔を向ける。
「ヴィクターは?」
「別の連絡を取っている。もうすぐ来るはずだよ」
「分かった」
俺は頷いた。
……さて。
この小さなチップに、何が隠されているのか。
できれば、救出につながる情報があってほしい。
◇
三十分ほど経った頃。
ノアが小さく声を上げた。
「……開いた」
俺は顔を上げた。
「本当か?」
「……一部だけ」
彼女は端末を操作し、画面を壁へ投影した。
そこには、複数の文書が並んでいた。
研究報告書。
実験記録。
被験者の一覧。
そして、一つの計画名。
PROJECT CHIMERA
俺は文字を読んだ。
「……プロジェクト・キメラ?」
ノアが頷いた。
「……そう」
エマの表情が強張った。
「それが、私たちの研究の正式名称よ」
俺は彼女を見た。
「……どんな研究だったんです?」
エマは少し考えた。
そして、ゆっくりと説明し始めた。
「最初は、重度義体化患者の神経負荷を軽減するための研究だったの」
俺は頷いた。
「以前、ノアから聞きました」
「サイバーウェアを大量に導入した患者は、神経系や精神に大きな負担を抱えることがある。その負担を減らし、生活を安定させるための技術を開発していた」
それ自体は、素晴らしい研究だと思う。
だが、エマの表情は暗かった。
「途中から、研究方針が変わったの」
「……どう変わったんです?」
「患者の負担を減らすことより、どこまで機械化に耐えられるかを調べるようになった」
俺は眉をひそめた。
……嫌な方向だな。
エマは続けた。
「最初は義肢の追加。次に神経接続装置の強化。そして、最終的には全身義体への移行」
「……被験者の同意は?」
俺が尋ねると、彼女は俯いた。
「最初の契約書には、そんなことは書かれていなかった」
室内が静かになった。
俺は拳を握った。
……そうか。
治療を受けるつもりで施設へ入った人間が、知らないうちに軍用義体の実験台にされていた。
もし事実なら、許されることではない。
「……研究責任者は?」
エリオットが尋ねた。
エマは顔を上げた。
「ドクター・エイドリアン・ヴォス」
ノアがすぐに端末を操作した。
数秒後、一人の男の写真が表示された。
五十代前半。
白髪混じりの黒髪。
細い眼鏡。
整った顔立ち。
冷たい印象の男だった。
「……神経工学の研究者」
ノアが説明した。
「……ヘリックスの元主任研究員。五年前の施設閉鎖後、公式記録からほとんど消えてる」
俺は写真を見つめた。
「……この人が、今も研究を続けているんですか?」
エマは頷いた。
「少なくとも、私が逃げる直前までは」
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
少しずつ、敵の姿が見えてきた。
◇
「……待って」
ノアが突然、画面を拡大した。
俺たちは彼女へ視線を向けた。
「……何かあった?」
俺が尋ねると、ノアは頷いた。
「……被験者の一覧」
画面には、番号が並んでいた。
001。
002。
003。
それぞれの横に、実験開始日と状態が記されている。
俺は目を細めた。
状態欄には、いくつかの言葉が並んでいた。
適応。
不適応。
転送。
そして、死亡。
俺は顔をしかめた。
「……死んだ人もいるのか」
エマは小さく頷いた。
「……ええ」
俺は画面を見つめた。
死亡と記された番号は、一つや二つではなかった。
……酷いな。
俺は歯を食いしばった。
だが、そこで怒りに任せて動いても、状況は変わらない。
今必要なのは、生きている人間の居場所だ。
「……ノア」
「……何?」
「生存している可能性がある人を絞れるか?」
彼女は頷いた。
「……やってみる」
数分後。
画面に、いくつかの番号が残った。
俺はそれを見つめた。
「……七人?」
ノアが頷いた。
「……記録上、死亡が確認されていない被験者は七人」
俺は顔を上げた。
「……今も生きている可能性がある?」
「……ある。でも、保証はできない」
俺は頷いた。
それでも、重要な情報だ。
少なくとも、七人については調べる価値がある。
「……居場所は?」
俺が尋ねると、ノアは首を横に振った。
「……転送先の情報が暗号化されてる」
俺は少し考えた。
……そう簡単にはいかないか。
そのとき、エマが口を開いた。
「……一つ、心当たりがある」
俺たちは彼女を見た。
「……どこです?」
エマは少し躊躇した。
そして、答えた。
「……旧研究施設の地下」
俺は眉をひそめた。
……旧研究施設。
昨日、ノアが不自然な電力使用量を確認した場所だ。
「……今も使われているんですか?」
エマは頷いた。
「地上部分は閉鎖されている。でも、地下設備は残っているはず」
ノアが顔を上げた。
「……何で知ってる?」
「私は、閉鎖後も研究補助員として働いていたから」
俺は少し驚いた。
「……五年前から?」
「ええ。最初は別の施設へ異動したの。でも、一年前から旧施設の地下で作業するようになった」
……なるほど。
つまり、旧研究施設は完全に放棄されたわけではなかった。
表向きは閉鎖。
だが、地下では研究が続いていた可能性がある。
俺は腕を組んだ。
「……そこに、被験者たちがいる?」
エマは首を横に振った。
「全員かどうかは分からない。でも、少なくとも何人かはいた」
俺は静かに頷いた。
……それだけでも、十分な手掛かりだ。
◇
そのとき、事務所の扉が開いた。
ヴィクターが入ってきた。
「……進展は?」
エリオットが簡潔に説明する。
プロジェクト・キメラ。
研究責任者。
被験者の記録。
そして、旧研究施設の地下。
ヴィクターは黙って聞いていた。
説明が終わると、彼は大きく息を吐いた。
「……予想以上に厄介な話だな」
俺は頷いた。
「……そうですね」
ヴィクターはエマへ視線を向けた。
「一つ確認したい。お前さんは、どうして今になって逃げ出した?」
エマは少し俯いた。
そして、静かに答えた。
「……新しい実験が始まったから」
俺は顔を上げた。
「……新しい?」
「ええ」
エマは頷いた。
「これまでは、神経接続の安定化が目的だった。でも、最近は違う」
彼女は震える声で続けた。
「……被験者の意思を、外部から制御する実験が始まったの」
室内が静まり返った。
俺は眉をひそめた。
「……意思を制御?」
「命令を与えると、本人の意思に関係なく身体が動くの」
俺は静かに息を吐いた。
……それは。
元の世界で見た、精神支配の魔法に近い。
だが、こちらは魔法ではなく、機械によって実現しているらしい。
「……それって、人間を操り人形にするってことですか?」
俺が尋ねると、エマは小さく頷いた。
「……そう」
ヴィクターが顔をしかめた。
「……胸糞悪い話だ」
俺も同感だった。
人間の身体を機械化する。
それ自体は、本人が望むなら問題ない。
だが、本人の意思を奪うのは別だ。
それは、もはや治療ではない。
支配だ。
◇
「……それで」
俺はエマへ尋ねた。
「その実験は、成功したんですか?」
エマはしばらく黙っていた。
そして、頷いた。
「……部分的には」
俺は顔を上げた。
「……どういうことです?」
「命令に従わせることはできた。でも、長時間続けると神経系が不安定になる」
ノアが画面を操作した。
「……負荷が大きすぎる?」
「ええ」
エマは頷いた。
「被験者の中には、意識を失った人もいた。精神状態が大きく変化した人もいる」
俺は拳を握った。
……やっぱり、無茶な実験だ。
「……それでも続けているんですか?」
エマは俯いた。
「……ええ」
そして、震える声で続けた。
「……最近、上から急ぐように指示が来たの」
ヴィクターが眉をひそめた。
「……上?」
「研究責任者より、さらに上の人間」
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
ドクター・ヴォスだけではない。
その背後に、研究を急がせている何者かがいる。
「……誰です?」
俺が尋ねると、エマは首を横に振った。
「分からない。名前も知らされていない」
ヴィクターは腕を組んだ。
「……企業の上層部か、外部の依頼主か」
ノアが頷いた。
「……どちらもあり得る」
俺は少し考えた。
……つまり、まだ黒幕は分からない。
だが、少なくとも研究の目的は見えてきた。
人間の身体を機械化する。
神経負荷を軽減する。
そして、本人の意思に関係なく動かす。
……軍隊にとっては、恐ろしく都合のいい技術だろうな。
◇
「……カイ」
ヴィクターが俺へ声をかけた。
「何です?」
「お前、今何を考えてる?」
俺は少し考えた。
そして、正直に答えた。
「……被験者たちを助けたいです」
ヴィクターは頷いた。
「だろうな」
「でも、今すぐ突っ込むつもりはありません」
俺は続けた。
「まず、施設の構造を調べたい。警備の数も、逃走経路も」
ヴィクターは少し驚いた顔をした。
そして、笑った。
「……ちゃんと考えてるじゃねえか」
「……俺だって、いつも勢いだけで動いてるわけじゃないですよ」
俺が答えると、エリオットが小さく笑った。
「それは助かるね」
……何だか、二人とも俺を無鉄砲な人間だと思っていないか?
まあ、これまでの行動を振り返ると、完全には否定できないけど。
「……ノア」
俺は彼女へ顔を向けた。
「施設の構造は分かるか?」
ノアは頷いた。
「……公開されている設計図なら」
「地下部分は?」
「……不明」
俺は少し考えた。
「……エマさん、覚えている範囲で説明できますか?」
エマは頷いた。
「ええ。全部は分からないけど」
俺は笑った。
「十分です」
彼女は少し安心したようだった。
◇
その後、俺たちは旧研究施設の構造について話し合った。
地上三階。
地下二階。
ただし、エマによれば、さらに下層へ続く搬送用エレベーターが存在するらしい。
地下第一階層には、研究員用の作業室。
地下第二階層には、被験者の収容区画。
そして、その下には。
「……私も入ったことがない区画があるの」
エマが言った。
俺は顔を上げた。
「……地下三階?」
「そう。特別な認証が必要で、一般の研究員は入れなかった」
ノアが端末を操作した。
「……電力使用量から考えると、地下設備が稼働している可能性は高い」
俺は頷いた。
……なるほど。
なら、まずは地下第二階層を目指すことになるだろう。
ただし、警備が問題だ。
「……黒い装甲の兵士は、そこにもいますか?」
俺が尋ねると、エマは顔を曇らせた。
「……いるわ」
俺は静かに息を吐いた。
……やっぱりか。
「……何人くらい?」
「正確には分からない。でも、少なくとも六人は見たことがある」
俺は腕を組んだ。
六人。
昨日戦った兵士たちと同じ装備なら、かなり厄介だ。
しかも、施設内には監視設備や自動防衛装置もあるだろう。
……正面突破は避けたいな。
「……ほかに、普通の警備員は?」
俺が尋ねると、エマは頷いた。
「ええ。地上部分に数人。地下にも配置されている」
俺は静かに頷いた。
……なるほど。
戦闘になれば、敵はかなり多い。
しかも、被験者たちを守りながら戦う必要がある。
これは、単純な戦闘力だけでは解決できない問題だ。
◇
「……一つ、提案がある」
エリオットが口を開いた。
俺たちは彼を見た。
「……何だ?」
ヴィクターが尋ねる。
「まず、施設の周辺を偵察する。それと同時に、被験者の移送記録を調べる」
俺は頷いた。
「……救出対象の人数を確認するため?」
「そうだ」
エリオットは答えた。
「七人いるとしても、全員が同じ場所にいるとは限らない」
……確かに。
救出作戦を立てるなら、人数と位置を把握する必要がある。
「それと」
エリオットが続けた。
「ガレスにも協力を求めたい」
俺は少し驚いた。
「……ガレスに?」
「ああ」
エリオットは頷いた。
「彼の部下が、まだ捕らわれている可能性がある」
俺は腕を組んだ。
……なるほど。
ガレスにとっても、協力する理由があるわけだ。
ただし、あの男は短気だ。
下手をすると、部下を助けるために無茶をするかもしれない。
「……ヴィクター」
俺は口を開いた。
「ガレスには、救出作戦の条件を守らせてください」
ヴィクターは頷いた。
「分かってる」
「無関係な人間を巻き込まないこと。被験者を傷つけないこと。それと、勝手に突っ込まないこと」
ヴィクターは苦笑した。
「……最後が一番難しそうだな」
俺も苦笑した。
「……ですよね」
だが、必要な条件だ。
救出作戦で一番大切なのは、敵を倒すことではない。
助けるべき人間を、生きて外へ連れ出すことだ。
◇
夕方。
会議が終わった後、俺はエマへ声をかけた。
「……エマさん」
彼女が顔を上げる。
「……何?」
「しばらく、安全な場所で休んでください」
エマは少し驚いた。
「……でも」
「今のあなたは、追われている身です」
俺は続けた。
「無理に動けば、また狙われるかもしれません」
彼女は俯いた。
「……そうね」
俺は少し考えた。
そして、笑った。
「大丈夫です。俺たちが調べますから」
エマは俺を見つめた。
「……どうして、そこまでしてくれるの?」
俺は少し考えた。
そして、答えた。
「……困っている人がいるからですよ」
エマは目を丸くした。
俺は続けた。
「それに、俺にも守りたい人たちがいるんです」
リク。
ミナ。
そして、いつか再会したいセレーネ。
彼らのことを思い浮かべる。
「だから、誰かが大切な人を奪われるのを、黙って見ていたくない」
エマはしばらく黙っていた。
そして、小さく頭を下げた。
「……ありがとう」
俺は頷いた。
「まだ何もできてませんよ」
彼女は首を横に振った。
「……それでも」
その声には、僅かな安堵が混じっていた。
◇
夜。
俺は避難先へ戻っていた。
リクとミナは、すでに夕食を済ませている。
俺の分は、温め直せるように残してくれていた。
「おかえり、カイ」
「ただいま」
俺はリクへ笑いかけた。
「今日は何かあったか?」
「特に何も」
リクは頷いた。
「ミナと勉強してた」
「そうか」
俺は少し嬉しくなった。
「頑張ってるな」
リクは照れくさそうに笑った。
ミナが奥から駆け寄ってくる。
「カイお兄ちゃん!」
「ただいま、ミナ」
「今日ね、リクが算数教えてくれた!」
「へえ」
俺はリクを見た。
少年は少し得意げだった。
「朝、カイに教えてもらったやつ」
俺は笑った。
「じゃあ、ちゃんと覚えてたんだな」
「うん」
リクは頷いた。
……いいな。
俺が教えたことを、リクがミナへ教える。
そうやって、少しずつ知識が広がっていく。
元の世界でも、仲間たちと同じようなことをしていた。
勇者が剣術を教え、俺が戦術を教え、セレーネが魔法の理論を説明する。
もっとも、勇者の説明は大雑把だったし、セレーネの説明は難しすぎることが多かったが。
……懐かしいな。
◇
深夜。
俺は窓際に立っていた。
外には、ナイトシティの夜景が広がっている。
巨大な広告。
遠くの高層ビル。
そして、雲の隙間から覗く月。
俺は胸元の護符へ触れた。
セレーネ。
……君なら、今回の件をどう考えるだろうな。
きっと、まず情報を集めると言うだろう。
敵の数。
施設の構造。
救出対象の位置。
そして、脱出経路。
俺は小さく笑った。
……ああ。
その通りだ。
剣の腕だけで、すべてを解決できるわけじゃない。
俺は寝台へ腰を下ろした。
明日から、本格的な調査が始まる。
旧研究施設。
プロジェクト・キメラ。
そして、七人の被験者。
彼らが今も生きているなら。
必ず、助ける方法を探そう。
俺は目を閉じた。
ナイトシティの夜は、まだ長い。
だが、その暗闇のどこかに。
助けを待っている人間がいるのかもしれない。
ならば。
俺ができることを、やるだけだ。