神々の剣士は電脳都市で生きる   作:アイエオ

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第二十三話 黒い箱の中身

神々の剣士、鋼鉄の檻に囚われた者たち

 人間を兵器にする。

 

 その言葉を聞いて、俺が思い出したのは、かつて戦った魔王軍のことだった。

 

 魔王軍には、人間を魔物へ変える術を研究していた魔術師がいた。

 

 捕虜を使い、肉体を変質させ、精神を支配する。

 

 完成した兵士は痛みを恐れず、命令に従い、死ぬまで戦い続ける。

 

 その魔術師は、自分の研究を誇らしげに説明していた。

 

『人間の弱さを取り除いた、理想の兵士だ』

 

 俺たちは、その研究所を破壊した。

 

 だが、戦いが終わった後、勇者が呟いた言葉を今でも覚えている。

 

『……助けられなかった人たちも、いたんだよな』

 

 あいつは強かった。

 

 正義と力の神から祝福され、雷を自在に操り、どんな敵にも正面から立ち向かった。

 

 それでも、すべての人間を救うことはできなかった。

 

 俺だって同じだ。

 

 神々の祝福があっても、できないことはある。

 

 だからこそ、今度は間違えたくない。

 

 目の前に救える人間がいるのなら、まずその方法を考える。

 

 剣を抜くのは、それからだ。

 

     ◇

 

「まず、確認させてください」

 

 俺はエマへ声をかけた。

 

 ワトソンの大通りから少し離れた場所。

 

 俺たちはエリオットが指定した小さな喫茶店に入っていた。

 

 店内には数人の客がいる。

 

 古びたスピーカーから音楽が流れ、窓の外では車が絶え間なく走っていた。

 

 エマは向かい側の椅子に座り、両手で紙コップを握っている。

 

 短い金髪。

 

 疲れた顔。

 

 そして、何度も入口を確認する落ち着かない視線。

 

 俺は彼女の様子を見ながら続けた。

 

「さっき、あなたを囲んでいた男たちは、本当に知らない相手なんですね?」

 

「……ええ」

 

 エマは頷いた。

 

「突然現れて、チップを渡せって言われたの」

 

「どうして、持っていることが分かったんでしょう?」

 

「分からない。でも、私がヘリックスからデータを持ち出したことは知られているはず」

 

 俺は少し考えた。

 

 なるほど。

 

 なら、あの四人は偶然絡んできた不良ではない可能性が高い。

 

 ただし、エマを追っているのが誰なのかは、まだ分からない。

 

「もう一つ。どうして俺の名前を知っていたんです?」

 

 エマが顔を上げた。

 

「……あなたを探していたから」

 

「俺を?」

 

「数日前、ヘリックスの内部連絡であなたの映像を見たの」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「どんな映像です?」

 

「黒髪の少年が、剣で武装した男たちを倒している映像。顔と名前、それから『生け捕りを優先する』という指示がついていた」

 

 ……やっぱりか。

 

 ガレスが受けた追加依頼と一致する。

 

「それで、俺なら助けられると思った?」

 

 エマは頷いた。

 

「あなたは、あの会社の兵士たちと戦えるんでしょう?」

 

「戦える相手もいます」

 

 俺は正直に答えた。

 

「でも、何人相手でも勝てるわけじゃありません」

 

 彼女は少し俯いた。

 

「……そうよね」

 

「それでも、話は聞きます」

 

 俺は続けた。

 

「ただし、あなたの話が本当かどうか、確認はさせてください」

 

 エマは顔を上げた。

 

 俺は彼女の目を見て言った。

 

「あなたを疑いたいわけじゃありません。でも、助けに行く場所を間違えたら、取り返しがつかない」

 

 しばらくして、エマは小さく頷いた。

 

「……分かったわ」

 

 そのとき、入口の扉が開いた。

 

 灰色のジャケットを着た男が入ってくる。

 

 エリオットだ。

 

 彼は俺たちを見つけると、真っ直ぐこちらへ歩いてきた。

 

「待たせたね」

 

「いや、助かった」

 

 俺は立ち上がった。

 

「彼女がエマさん。ヘリックスの元従業員だそうだ」

 

 エリオットは彼女へ穏やかに挨拶した。

 

「エリオットです。カイの仕事仲間だと思ってください」

 

「……エマ・ウォーカーです」

 

「事情は少し聞いています。ここで長く話すのは危険なので、場所を移しましょう」

 

 俺は頷いた。

 

 その判断には賛成だ。

 

 何しろ、相手はすでにエマの居場所を探している。

 

 人目がある場所でも、安心はできない。

 

     ◇

 

 エリオットが用意した車は、喫茶店から二本先の通りに停められていた。

 

 運転席にはレナがいた。

 

 短い赤茶色の髪。

 

 機械化された左腕。

 

 そして、相変わらず自信に満ちた笑顔。

 

「よう、カイ。今度は女の子を拾ったの?」

 

「人聞きの悪いことを言うなよ」

 

 俺が答えると、レナは楽しそうに笑った。

 

「冗談、冗談。乗って」

 

 エマは戸惑いながら後部座席へ乗り込んだ。

 

 俺は彼女の隣に座り、エリオットが助手席へ入る。

 

 車が発進した。

 

 レナはミラーで後方を確認しながら言った。

 

「エリオット、行き先は変更なし?」

 

「ああ。ヴィクターが場所を確保してくれた」

 

「了解」

 

 俺は窓の外へ視線を向けた。

 

 歩道には多くの人がいる。

 

 車も多い。

 

 今のところ、追跡している車両は見当たらない。

 

 もっとも、俺はこの街の追跡技術を十分に理解しているわけではない。

 

 監視カメラや通信記録を使われたら、車を見張るだけでは不十分だろう。

 

「レナ」

 

「ん?」

 

「前にリクたちを移動させたときみたいなことにはならないよな?」

 

 レナは少しだけ笑みを薄くした。

 

「そうならないように走ってる」

 

「頼むよ」

 

「任せな。あたしも車を穴だらけにされる趣味はないから」

 

 ……それは本当に同感だ。

 

     ◇

 

 案内されたのは、ヴィクターが管理する別の事務所だった。

 

 表向きは小規模な運送業者の営業所らしい。

 

 入口には古い社名が掲げられ、内部には机と通信設備が並んでいる。

 

 奥の部屋には、すでにノアが待っていた。

 

「……来た」

 

 彼女はエマを見た。

 

「……あなたがエマ・ウォーカー?」

 

「ええ」

 

「……ノア。情報解析を担当してる」

 

 ノアは簡潔に自己紹介すると、俺へ顔を向けた。

 

「……チップは?」

 

「エマさんが持ってる」

 

 エマはジャケットの内側から黒い記憶媒体を取り出した。

 

 ノアはそれを見ても、すぐには受け取らなかった。

 

「……そのまま端末には挿さない」

 

 俺は首を傾げた。

 

「危険なのか?」

 

「……追跡用のプログラムが仕込まれている可能性がある」

 

 なるほど。

 

 この世界では、情報そのものが罠になるらしい。

 

 ノアはエマへ確認した。

 

「……暗号化されてる?」

 

「ええ。研究部門の内部規格よ」

 

「……解除キーは?」

 

「一部だけ持ってる。でも、全部は開けられないと思う」

 

 ノアは頷いた。

 

「……十分。まずは隔離して調べる」

 

 彼女は机の上に置かれた専用の装置を指差した。

 

 外部ネットワークから切り離された解析機器らしい。

 

 俺には仕組みが分からないが、少なくとも慎重に扱う必要があることは理解できた。

 

「……どのくらいかかる?」

 

 俺が尋ねると、ノアは肩をすくめた。

 

「……中身次第」

 

 そう言って、作業を始めた。

 

 俺はエマへ椅子を勧めた。

 

「少し休んでください」

 

「……ありがとう」

 

 彼女は疲れたように腰を下ろした。

 

 俺はエリオットへ顔を向ける。

 

「ヴィクターは?」

 

「別の連絡を取っている。もうすぐ来るはずだよ」

 

「分かった」

 

 俺は頷いた。

 

 ……さて。

 

 この小さなチップに、何が隠されているのか。

 

 できれば、救出につながる情報があってほしい。

 

     ◇

 

 三十分ほど経った頃。

 

 ノアが小さく声を上げた。

 

「……開いた」

 

 俺は顔を上げた。

 

「本当か?」

 

「……一部だけ」

 

 彼女は端末を操作し、画面を壁へ投影した。

 

 そこには、複数の文書が並んでいた。

 

 研究報告書。

 

 実験記録。

 

 被験者の一覧。

 

 そして、一つの計画名。

 

 PROJECT CHIMERA

 

 俺は文字を読んだ。

 

「……プロジェクト・キメラ?」

 

 ノアが頷いた。

 

「……そう」

 

 エマの表情が強張った。

 

「それが、私たちの研究の正式名称よ」

 

 俺は彼女を見た。

 

「……どんな研究だったんです?」

 

 エマは少し考えた。

 

 そして、ゆっくりと説明し始めた。

 

「最初は、重度義体化患者の神経負荷を軽減するための研究だったの」

 

 俺は頷いた。

 

「以前、ノアから聞きました」

 

「サイバーウェアを大量に導入した患者は、神経系や精神に大きな負担を抱えることがある。その負担を減らし、生活を安定させるための技術を開発していた」

 

 それ自体は、素晴らしい研究だと思う。

 

 だが、エマの表情は暗かった。

 

「途中から、研究方針が変わったの」

 

「……どう変わったんです?」

 

「患者の負担を減らすことより、どこまで機械化に耐えられるかを調べるようになった」

 

 俺は眉をひそめた。

 

 ……嫌な方向だな。

 

 エマは続けた。

 

「最初は義肢の追加。次に神経接続装置の強化。そして、最終的には全身義体への移行」

 

「……被験者の同意は?」

 

 俺が尋ねると、彼女は俯いた。

 

「最初の契約書には、そんなことは書かれていなかった」

 

 室内が静かになった。

 

 俺は拳を握った。

 

 ……そうか。

 

 治療を受けるつもりで施設へ入った人間が、知らないうちに軍用義体の実験台にされていた。

 

 もし事実なら、許されることではない。

 

「……研究責任者は?」

 

 エリオットが尋ねた。

 

 エマは顔を上げた。

 

「ドクター・エイドリアン・ヴォス」

 

 ノアがすぐに端末を操作した。

 

 数秒後、一人の男の写真が表示された。

 

 五十代前半。

 

 白髪混じりの黒髪。

 

 細い眼鏡。

 

 整った顔立ち。

 

 冷たい印象の男だった。

 

「……神経工学の研究者」

 

 ノアが説明した。

 

「……ヘリックスの元主任研究員。五年前の施設閉鎖後、公式記録からほとんど消えてる」

 

 俺は写真を見つめた。

 

「……この人が、今も研究を続けているんですか?」

 

 エマは頷いた。

 

「少なくとも、私が逃げる直前までは」

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……なるほど。

 

 少しずつ、敵の姿が見えてきた。

 

     ◇

 

「……待って」

 

 ノアが突然、画面を拡大した。

 

 俺たちは彼女へ視線を向けた。

 

「……何かあった?」

 

 俺が尋ねると、ノアは頷いた。

 

「……被験者の一覧」

 

 画面には、番号が並んでいた。

 

 001。

 

 002。

 

 003。

 

 それぞれの横に、実験開始日と状態が記されている。

 

 俺は目を細めた。

 

 状態欄には、いくつかの言葉が並んでいた。

 

 適応。

 

 不適応。

 

 転送。

 

 そして、死亡。

 

 俺は顔をしかめた。

 

「……死んだ人もいるのか」

 

 エマは小さく頷いた。

 

「……ええ」

 

 俺は画面を見つめた。

 

 死亡と記された番号は、一つや二つではなかった。

 

 ……酷いな。

 

 俺は歯を食いしばった。

 

 だが、そこで怒りに任せて動いても、状況は変わらない。

 

 今必要なのは、生きている人間の居場所だ。

 

「……ノア」

 

「……何?」

 

「生存している可能性がある人を絞れるか?」

 

 彼女は頷いた。

 

「……やってみる」

 

 数分後。

 

 画面に、いくつかの番号が残った。

 

 俺はそれを見つめた。

 

「……七人?」

 

 ノアが頷いた。

 

「……記録上、死亡が確認されていない被験者は七人」

 

 俺は顔を上げた。

 

「……今も生きている可能性がある?」

 

「……ある。でも、保証はできない」

 

 俺は頷いた。

 

 それでも、重要な情報だ。

 

 少なくとも、七人については調べる価値がある。

 

「……居場所は?」

 

 俺が尋ねると、ノアは首を横に振った。

 

「……転送先の情報が暗号化されてる」

 

 俺は少し考えた。

 

 ……そう簡単にはいかないか。

 

 そのとき、エマが口を開いた。

 

「……一つ、心当たりがある」

 

 俺たちは彼女を見た。

 

「……どこです?」

 

 エマは少し躊躇した。

 

 そして、答えた。

 

「……旧研究施設の地下」

 

 俺は眉をひそめた。

 

 ……旧研究施設。

 

 昨日、ノアが不自然な電力使用量を確認した場所だ。

 

「……今も使われているんですか?」

 

 エマは頷いた。

 

「地上部分は閉鎖されている。でも、地下設備は残っているはず」

 

 ノアが顔を上げた。

 

「……何で知ってる?」

 

「私は、閉鎖後も研究補助員として働いていたから」

 

 俺は少し驚いた。

 

「……五年前から?」

 

「ええ。最初は別の施設へ異動したの。でも、一年前から旧施設の地下で作業するようになった」

 

 ……なるほど。

 

 つまり、旧研究施設は完全に放棄されたわけではなかった。

 

 表向きは閉鎖。

 

 だが、地下では研究が続いていた可能性がある。

 

 俺は腕を組んだ。

 

「……そこに、被験者たちがいる?」

 

 エマは首を横に振った。

 

「全員かどうかは分からない。でも、少なくとも何人かはいた」

 

 俺は静かに頷いた。

 

 ……それだけでも、十分な手掛かりだ。

 

     ◇

 

 そのとき、事務所の扉が開いた。

 

 ヴィクターが入ってきた。

 

「……進展は?」

 

 エリオットが簡潔に説明する。

 

 プロジェクト・キメラ。

 

 研究責任者。

 

 被験者の記録。

 

 そして、旧研究施設の地下。

 

 ヴィクターは黙って聞いていた。

 

 説明が終わると、彼は大きく息を吐いた。

 

「……予想以上に厄介な話だな」

 

 俺は頷いた。

 

「……そうですね」

 

 ヴィクターはエマへ視線を向けた。

 

「一つ確認したい。お前さんは、どうして今になって逃げ出した?」

 

 エマは少し俯いた。

 

 そして、静かに答えた。

 

「……新しい実験が始まったから」

 

 俺は顔を上げた。

 

「……新しい?」

 

「ええ」

 

 エマは頷いた。

 

「これまでは、神経接続の安定化が目的だった。でも、最近は違う」

 

 彼女は震える声で続けた。

 

「……被験者の意思を、外部から制御する実験が始まったの」

 

 室内が静まり返った。

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……意思を制御?」

 

「命令を与えると、本人の意思に関係なく身体が動くの」

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……それは。

 

 元の世界で見た、精神支配の魔法に近い。

 

 だが、こちらは魔法ではなく、機械によって実現しているらしい。

 

「……それって、人間を操り人形にするってことですか?」

 

 俺が尋ねると、エマは小さく頷いた。

 

「……そう」

 

 ヴィクターが顔をしかめた。

 

「……胸糞悪い話だ」

 

 俺も同感だった。

 

 人間の身体を機械化する。

 

 それ自体は、本人が望むなら問題ない。

 

 だが、本人の意思を奪うのは別だ。

 

 それは、もはや治療ではない。

 

 支配だ。

 

     ◇

 

「……それで」

 

 俺はエマへ尋ねた。

 

「その実験は、成功したんですか?」

 

 エマはしばらく黙っていた。

 

 そして、頷いた。

 

「……部分的には」

 

 俺は顔を上げた。

 

「……どういうことです?」

 

「命令に従わせることはできた。でも、長時間続けると神経系が不安定になる」

 

 ノアが画面を操作した。

 

「……負荷が大きすぎる?」

 

「ええ」

 

 エマは頷いた。

 

「被験者の中には、意識を失った人もいた。精神状態が大きく変化した人もいる」

 

 俺は拳を握った。

 

 ……やっぱり、無茶な実験だ。

 

「……それでも続けているんですか?」

 

 エマは俯いた。

 

「……ええ」

 

 そして、震える声で続けた。

 

「……最近、上から急ぐように指示が来たの」

 

 ヴィクターが眉をひそめた。

 

「……上?」

 

「研究責任者より、さらに上の人間」

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……なるほど。

 

 ドクター・ヴォスだけではない。

 

 その背後に、研究を急がせている何者かがいる。

 

「……誰です?」

 

 俺が尋ねると、エマは首を横に振った。

 

「分からない。名前も知らされていない」

 

 ヴィクターは腕を組んだ。

 

「……企業の上層部か、外部の依頼主か」

 

 ノアが頷いた。

 

「……どちらもあり得る」

 

 俺は少し考えた。

 

 ……つまり、まだ黒幕は分からない。

 

 だが、少なくとも研究の目的は見えてきた。

 

 人間の身体を機械化する。

 

 神経負荷を軽減する。

 

 そして、本人の意思に関係なく動かす。

 

 ……軍隊にとっては、恐ろしく都合のいい技術だろうな。

 

     ◇

 

「……カイ」

 

 ヴィクターが俺へ声をかけた。

 

「何です?」

 

「お前、今何を考えてる?」

 

 俺は少し考えた。

 

 そして、正直に答えた。

 

「……被験者たちを助けたいです」

 

 ヴィクターは頷いた。

 

「だろうな」

 

「でも、今すぐ突っ込むつもりはありません」

 

 俺は続けた。

 

「まず、施設の構造を調べたい。警備の数も、逃走経路も」

 

 ヴィクターは少し驚いた顔をした。

 

 そして、笑った。

 

「……ちゃんと考えてるじゃねえか」

 

「……俺だって、いつも勢いだけで動いてるわけじゃないですよ」

 

 俺が答えると、エリオットが小さく笑った。

 

「それは助かるね」

 

 ……何だか、二人とも俺を無鉄砲な人間だと思っていないか?

 

 まあ、これまでの行動を振り返ると、完全には否定できないけど。

 

「……ノア」

 

 俺は彼女へ顔を向けた。

 

「施設の構造は分かるか?」

 

 ノアは頷いた。

 

「……公開されている設計図なら」

 

「地下部分は?」

 

「……不明」

 

 俺は少し考えた。

 

「……エマさん、覚えている範囲で説明できますか?」

 

 エマは頷いた。

 

「ええ。全部は分からないけど」

 

 俺は笑った。

 

「十分です」

 

 彼女は少し安心したようだった。

 

     ◇

 

 その後、俺たちは旧研究施設の構造について話し合った。

 

 地上三階。

 

 地下二階。

 

 ただし、エマによれば、さらに下層へ続く搬送用エレベーターが存在するらしい。

 

 地下第一階層には、研究員用の作業室。

 

 地下第二階層には、被験者の収容区画。

 

 そして、その下には。

 

「……私も入ったことがない区画があるの」

 

 エマが言った。

 

 俺は顔を上げた。

 

「……地下三階?」

 

「そう。特別な認証が必要で、一般の研究員は入れなかった」

 

 ノアが端末を操作した。

 

「……電力使用量から考えると、地下設備が稼働している可能性は高い」

 

 俺は頷いた。

 

 ……なるほど。

 

 なら、まずは地下第二階層を目指すことになるだろう。

 

 ただし、警備が問題だ。

 

「……黒い装甲の兵士は、そこにもいますか?」

 

 俺が尋ねると、エマは顔を曇らせた。

 

「……いるわ」

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……やっぱりか。

 

「……何人くらい?」

 

「正確には分からない。でも、少なくとも六人は見たことがある」

 

 俺は腕を組んだ。

 

 六人。

 

 昨日戦った兵士たちと同じ装備なら、かなり厄介だ。

 

 しかも、施設内には監視設備や自動防衛装置もあるだろう。

 

 ……正面突破は避けたいな。

 

「……ほかに、普通の警備員は?」

 

 俺が尋ねると、エマは頷いた。

 

「ええ。地上部分に数人。地下にも配置されている」

 

 俺は静かに頷いた。

 

 ……なるほど。

 

 戦闘になれば、敵はかなり多い。

 

 しかも、被験者たちを守りながら戦う必要がある。

 

 これは、単純な戦闘力だけでは解決できない問題だ。

 

     ◇

 

「……一つ、提案がある」

 

 エリオットが口を開いた。

 

 俺たちは彼を見た。

 

「……何だ?」

 

 ヴィクターが尋ねる。

 

「まず、施設の周辺を偵察する。それと同時に、被験者の移送記録を調べる」

 

 俺は頷いた。

 

「……救出対象の人数を確認するため?」

 

「そうだ」

 

 エリオットは答えた。

 

「七人いるとしても、全員が同じ場所にいるとは限らない」

 

 ……確かに。

 

 救出作戦を立てるなら、人数と位置を把握する必要がある。

 

「それと」

 

 エリオットが続けた。

 

「ガレスにも協力を求めたい」

 

 俺は少し驚いた。

 

「……ガレスに?」

 

「ああ」

 

 エリオットは頷いた。

 

「彼の部下が、まだ捕らわれている可能性がある」

 

 俺は腕を組んだ。

 

 ……なるほど。

 

 ガレスにとっても、協力する理由があるわけだ。

 

 ただし、あの男は短気だ。

 

 下手をすると、部下を助けるために無茶をするかもしれない。

 

「……ヴィクター」

 

 俺は口を開いた。

 

「ガレスには、救出作戦の条件を守らせてください」

 

 ヴィクターは頷いた。

 

「分かってる」

 

「無関係な人間を巻き込まないこと。被験者を傷つけないこと。それと、勝手に突っ込まないこと」

 

 ヴィクターは苦笑した。

 

「……最後が一番難しそうだな」

 

 俺も苦笑した。

 

「……ですよね」

 

 だが、必要な条件だ。

 

 救出作戦で一番大切なのは、敵を倒すことではない。

 

 助けるべき人間を、生きて外へ連れ出すことだ。

 

     ◇

 

 夕方。

 

 会議が終わった後、俺はエマへ声をかけた。

 

「……エマさん」

 

 彼女が顔を上げる。

 

「……何?」

 

「しばらく、安全な場所で休んでください」

 

 エマは少し驚いた。

 

「……でも」

 

「今のあなたは、追われている身です」

 

 俺は続けた。

 

「無理に動けば、また狙われるかもしれません」

 

 彼女は俯いた。

 

「……そうね」

 

 俺は少し考えた。

 

 そして、笑った。

 

「大丈夫です。俺たちが調べますから」

 

 エマは俺を見つめた。

 

「……どうして、そこまでしてくれるの?」

 

 俺は少し考えた。

 

 そして、答えた。

 

「……困っている人がいるからですよ」

 

 エマは目を丸くした。

 

 俺は続けた。

 

「それに、俺にも守りたい人たちがいるんです」

 

 リク。

 

 ミナ。

 

 そして、いつか再会したいセレーネ。

 

 彼らのことを思い浮かべる。

 

「だから、誰かが大切な人を奪われるのを、黙って見ていたくない」

 

 エマはしばらく黙っていた。

 

 そして、小さく頭を下げた。

 

「……ありがとう」

 

 俺は頷いた。

 

「まだ何もできてませんよ」

 

 彼女は首を横に振った。

 

「……それでも」

 

 その声には、僅かな安堵が混じっていた。

 

     ◇

 

 夜。

 

 俺は避難先へ戻っていた。

 

 リクとミナは、すでに夕食を済ませている。

 

 俺の分は、温め直せるように残してくれていた。

 

「おかえり、カイ」

 

「ただいま」

 

 俺はリクへ笑いかけた。

 

「今日は何かあったか?」

 

「特に何も」

 

 リクは頷いた。

 

「ミナと勉強してた」

 

「そうか」

 

 俺は少し嬉しくなった。

 

「頑張ってるな」

 

 リクは照れくさそうに笑った。

 

 ミナが奥から駆け寄ってくる。

 

「カイお兄ちゃん!」

 

「ただいま、ミナ」

 

「今日ね、リクが算数教えてくれた!」

 

「へえ」

 

 俺はリクを見た。

 

 少年は少し得意げだった。

 

「朝、カイに教えてもらったやつ」

 

 俺は笑った。

 

「じゃあ、ちゃんと覚えてたんだな」

 

「うん」

 

 リクは頷いた。

 

 ……いいな。

 

 俺が教えたことを、リクがミナへ教える。

 

 そうやって、少しずつ知識が広がっていく。

 

 元の世界でも、仲間たちと同じようなことをしていた。

 

 勇者が剣術を教え、俺が戦術を教え、セレーネが魔法の理論を説明する。

 

 もっとも、勇者の説明は大雑把だったし、セレーネの説明は難しすぎることが多かったが。

 

 ……懐かしいな。

 

     ◇

 

 深夜。

 

 俺は窓際に立っていた。

 

 外には、ナイトシティの夜景が広がっている。

 

 巨大な広告。

 

 遠くの高層ビル。

 

 そして、雲の隙間から覗く月。

 

 俺は胸元の護符へ触れた。

 

 セレーネ。

 

 ……君なら、今回の件をどう考えるだろうな。

 

 きっと、まず情報を集めると言うだろう。

 

 敵の数。

 

 施設の構造。

 

 救出対象の位置。

 

 そして、脱出経路。

 

 俺は小さく笑った。

 

 ……ああ。

 

 その通りだ。

 

 剣の腕だけで、すべてを解決できるわけじゃない。

 

 俺は寝台へ腰を下ろした。

 

 明日から、本格的な調査が始まる。

 

 旧研究施設。

 

 プロジェクト・キメラ。

 

 そして、七人の被験者。

 

 彼らが今も生きているなら。

 

 必ず、助ける方法を探そう。

 

 俺は目を閉じた。

 

 ナイトシティの夜は、まだ長い。

 

 だが、その暗闇のどこかに。

 

 助けを待っている人間がいるのかもしれない。

 

 ならば。

 

 俺ができることを、やるだけだ。

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