神々の剣士、旧研究施設の偵察
勇者と旅をしていた頃、俺たちは何度も敵の拠点へ潜入した。
魔族の砦。
邪教徒の地下神殿。
古代魔導文明の遺跡。
そして、人間を実験台にしていた魔術師の研究所。
どれも危険な場所だったが、共通していることが一つあった。
それは、敵の拠点では、強い奴が必ずしも一番厄介とは限らないということだ。
強力な魔物なら、倒せばいい。
恐ろしい魔術師なら、魔法を封じる方法を考えればいい。
だが、建物全体に罠が仕掛けられていたら?
人質がいる部屋に爆発物が設置されていたら?
逃げ道を塞がれた状態で、何十人もの敵に囲まれたら?
どれだけ腕の立つ剣士でも、簡単には解決できない。
だから俺たちは、敵の拠点へ攻め込む前に必ず情報を集めていた。
特にセレーネは、その辺りに厳しかった。
『カイ。あなたは強いけれど、強いことと無謀なことは違うわ』
何度そう言われたことか。
当時の俺は、少しだけ不満に思っていた。
だが、今ならよく分かる。
あいつが慎重だったからこそ、俺たちは何度も生き延びることができたのだ。
そして今回。
俺たちが調べようとしているのは、魔族の砦でも魔術師の研究所でもない。
ナイトシティ郊外にある、五年前に閉鎖された企業の研究施設。
その地下では、今も人間を使った違法な実験が行われている可能性がある。
プロジェクト・キメラ。
全身義体化。
神経接続技術。
そして、本人の意思を無視して身体を制御するシステム。
……どう考えても、ろくな場所じゃない。
だが、助けを待っている人間がいるかもしれない以上、見過ごすわけにはいかなかった。
◇
翌朝、午前七時半。
俺は避難先の集合住宅で、朝食の後片づけをしていた。
台所の流しに皿を並べ、水を流す。
この世界の食器洗い用洗剤は、泡立ちが妙にいい。
最初に使ったときは、少量のつもりが流し台を泡だらけにしてしまった。
あれ以来、使う量には気をつけている。
「カイ、俺がやるよ」
背後からリクの声がした。
「いいよ。今日は俺が洗う」
「でも、昨日もやってくれただろ」
「じゃあ、拭く方を頼む」
「分かった」
リクは素直に布巾を手に取った。
隣の部屋では、ミナがシルヴァと遊んでいる。
「シルヴァちゃん、おすわり!」
……すでに座っている気がするんだが。
「おて!」
小さな足音。
続いて、ミナの歓声。
「できた!」
俺は思わず笑った。
狩猟の神から授かった霊狼が、今では完全に家庭の一員になっている。
もっとも、シルヴァ自身も楽しそうだから問題はない。
「……なあ、カイ」
リクが小さく声をかけてきた。
「ん?」
「最近、また危ない仕事してるんだろ?」
俺は皿を洗う手を止めた。
……鋭いな。
「どうしてそう思う?」
「帰ってくるとき、時々すごく疲れた顔してるから」
俺は少し驚いた。
自分では隠しているつもりだった。
だが、リクは思っていた以上によく見ているらしい。
「……まあ、少し厄介なことを調べてる」
「戦うの?」
「できれば戦わずに済ませたい」
俺は正直に答えた。
「でも、何が起こるか分からない」
リクは黙った。
俺は洗い終えた皿を渡しながら続けた。
「だから、お前たちには安全な場所にいてほしいんだ」
「……分かってる」
リクは頷いた。
そして、少しだけ声を落とした。
「でも、カイもちゃんと帰ってきてくれよ」
俺は少年の顔を見た。
真剣な目だった。
俺は頷いた。
「ああ。帰ってくる」
リクはようやく安心したように笑った。
……約束は守らないとな。
◇
午前九時。
俺はヴィクターのバーへ到着した。
奥の個室には、すでにエリオットとノアがいた。
そして、今日はマーカスとレナもいる。
テーブルの中央には、旧研究施設の立体地図が表示されていた。
「おはよう」
俺が声をかけると、マーカスが片手を上げた。
「よう、坊主」
レナも笑った。
「おはよう、カイ。今日は少し真面目な仕事になりそうだよ」
「いつも真面目にやってるつもりなんだけどな」
「そういう意味じゃないって」
俺は苦笑しながら椅子へ座った。
ヴィクターが口を開く。
「全員揃ったな。始めるぞ」
ノアが地図を拡大した。
ナイトシティ郊外。
工業地帯の外れ。
そこに、旧ヘリックス研究施設が表示される。
地上三階建ての本館。
隣接する倉庫。
管理棟。
そして、敷地を囲む高いフェンス。
「……昨日までの調査で、いくつか分かったことがある」
ノアが説明を始めた。
「施設の周辺には、少なくとも三種類の監視設備がある」
俺は画面を見た。
監視カメラ。
赤外線センサー。
そして、小型の警備ドローン。
「……かなり厳重だな」
「……そう」
ノアは頷いた。
「しかも、公式には閉鎖された施設」
俺は眉をひそめた。
閉鎖された施設に、これだけの警備。
やはり何か隠していると考えるのが自然だろう。
ただし、企業の機密資料や高価な設備が残っている可能性もある。
警備が厳しいというだけで、人体実験の証拠にはならない。
「……人の出入りは?」
俺が尋ねると、ノアは別の映像を表示した。
夜間に撮影されたものらしい。
大型の輸送車両が、敷地内へ入っていく。
「……三日前の映像」
ノアが説明した。
「車両は二台。どちらも企業登録を隠している」
俺は画面を見つめた。
車両の側面には、何も書かれていない。
だが、荷台はかなり大きい。
「……何を運んでるんだ?」
「……不明」
ノアは答えた。
「ただし、二台とも地下搬入口へ向かった」
俺は頷いた。
……地下か。
エマの証言とも一致する。
ヴィクターが腕を組んだ。
「今日は、施設の外周を確認する」
俺は顔を上げた。
「……俺も行くんですか?」
「ああ」
ヴィクターは頷いた。
「ただし、今回はお前を前に出さねえ」
俺は少し驚いた。
「……どういうことです?」
「万が一のための護衛だ」
男は続けた。
「偵察班が襲われた場合、お前には撤退を助けてもらう」
俺は少し考えた。
……なるほど。
俺が施設へ近づいて目立つのは避ける。
だが、近くに待機していれば、何かあったときに対応できる。
「分かりました」
俺は頷いた。
「ただし、危険だと判断したら全員撤退させます」
ヴィクターは笑った。
「それでいい」
◇
午前十時半。
俺たちは二台の車に分かれて出発した。
先行する車には、レナとノア。
後続の車には、マーカスと俺。
エリオットはヴィクターのバーに残り、通信と情報収集を担当する。
俺は助手席に座り、窓の外を眺めていた。
ワトソンの雑然とした街並みが、少しずつ遠ざかっていく。
高層ビルが減り、代わりに古い工場や倉庫が増えてきた。
道路も荒れている。
ひび割れた舗装。
錆びた標識。
放置された車両。
……随分と寂しい場所だな。
「なあ、マーカス」
「ん?」
「この辺りって、昔は栄えてたのか?」
マーカスはハンドルを握りながら頷いた。
「ああ。企業の工場がいくつもあった」
「……今は?」
「採算が合わなくなって撤退したところが多い。残った施設も、別の会社に買われたり、倉庫に転用されたりしてる」
俺は窓の外を見た。
巨大な煙突。
崩れかけた建物。
そして、遠くに見える工業用クレーン。
……なるほど。
企業が去った後には、こういう場所が残るわけか。
「……人は住んでないのか?」
俺が尋ねると、マーカスは肩をすくめた。
「住んでる奴もいる。家賃が安いからな」
俺は頷いた。
……リクとミナも、以前は似たような環境で暮らしていた。
この街には、巨大な富を持つ企業がある一方で、まともな住居を確保できない人間も多い。
その差は、元の世界以上に大きいかもしれない。
「……お前、何か考えてるだろ」
マーカスが言った。
俺は少し笑った。
「まあな」
「企業の連中に腹を立てるのは勝手だが、全部敵に回そうなんて考えるなよ」
「分かってる」
俺は答えた。
「そんなことをしたら、リクたちを守れなくなる」
マーカスは一瞬こちらを見た。
そして、口元を緩めた。
「……ならいい」
◇
正午前。
俺たちは旧研究施設から一キロほど離れた、廃業した運送会社の敷地へ到着した。
建物の一部は崩れているが、二階部分はまだ使えそうだった。
レナが車を建物の陰へ停める。
「ここから先は徒歩?」
俺が尋ねると、ノアが首を横に振った。
「……私はここから監視する」
彼女は小型の端末を取り出した。
マーカスが周囲を確認する。
「俺とレナで外周を見てくる。カイはここに残ってくれ」
俺は頷いた。
「分かった」
レナが笑った。
「退屈かもしれないけど、我慢してね」
「退屈な方がいいよ」
俺は答えた。
「何も起こらないなら、それが一番だ」
レナは少し驚いた顔をした。
そして、笑った。
「……確かにね」
二人は建物を出ていった。
俺はノアと共に二階へ上がった。
そこには、外を見渡せる大きな窓があった。
遠くに、旧研究施設が見える。
灰色の建物。
高いフェンス。
そして、敷地内を巡回する小型ドローン。
……なるほど。
確かに、閉鎖された施設には見えないな。
◇
ノアは端末を設置し、遠距離カメラの映像を確認していた。
俺は窓際に座り、双眼鏡を覗く。
施設の正門には、警備員が二人。
どちらも銃を持っている。
さらに、屋上には監視装置らしいものが設置されていた。
「……ノア」
「……何?」
「屋上のあれ、何だ?」
俺が指差すと、彼女は画面を拡大した。
「……自動監視装置。武装している可能性がある」
俺は眉をひそめた。
「……あれが撃ってくるのか?」
「……侵入者と判断されれば」
……厄介だな。
元の世界の弩砲に似たものかと思ったが、どうやらもっと高性能らしい。
しかも、自動で敵を識別する。
正面から近づくのは避けたい。
「……ほかにもある?」
俺が尋ねると、ノアは頷いた。
「……地下搬入口の周辺にも、センサーがある」
俺は双眼鏡を動かした。
施設の側面。
そこには、大型車両が通れる搬入口があった。
シャッターは閉じられている。
だが、その前には新しいタイヤ痕が残っていた。
……最近、車が出入りした証拠だな。
「……やっぱり使われてるんだな」
俺が呟くと、ノアは頷いた。
「……可能性は高い」
俺は静かに息を吐いた。
……さて。
ここから何を調べるか。
そのとき、ノアの端末が小さな音を立てた。
「……通信」
彼女が画面を確認する。
レナからだった。
『ノア、聞こえる?』
「……聞こえる」
『北側のフェンスを確認した。監視カメラが三つ。巡回警備が二人』
「……了解」
『それと、妙なものがある』
俺は顔を上げた。
ノアが尋ねる。
「……何?」
『フェンスの外側に、古い排水路があるんだけど……』
レナは少し間を置いた。
『最近、人が通ったような跡がある』
俺は眉をひそめた。
……排水路?
ノアが画面を操作した。
「……場所を送って」
『了解』
数秒後、地図に新しい印が表示された。
俺はそれを見つめた。
施設の北側。
敷地の外を通る古い排水路。
……なるほど。
もしかすると、施設の地下と繋がっているのかもしれない。
◇
「……カイ」
ノアが声をかけた。
「ん?」
「……排水路の位置、確認できる?」
俺は双眼鏡を覗いた。
北側のフェンス。
その向こうに、古いコンクリートの溝が見える。
だが、ここからでは内部までは見えない。
「……入口らしいものは見える。でも、奥は分からないな」
ノアは頷いた。
「……無理に近づかないで」
「分かってる」
俺は答えた。
そのとき、再び通信が入った。
今度はマーカスだ。
『こちらマーカス。西側を確認した』
ノアが応答する。
「……状況は?」
『警備員が四人。監視ドローンが一機。それと、地下搬入口から大型車両が出てきた』
俺は顔を上げた。
……大型車両?
「……どんな車だ?」
俺が尋ねると、マーカスが答えた。
『黒い輸送トラックだ。側面に企業名はない』
俺は眉をひそめた。
……三日前の映像に映っていた車と同じ種類か?
ノアが画面を操作した。
「……映像を送って」
『了解』
数秒後。
画面に黒い輸送トラックが表示された。
大型の荷台。
厚い装甲。
そして、窓の小さな運転席。
俺はその車を見つめた。
……何か運んでいるのか?
そのとき、ノアが小さく呟いた。
「……待って」
俺は彼女を見た。
「……何か分かった?」
ノアは映像を拡大した。
トラックの後部。
そこに、小さな識別番号があった。
「……これ」
俺は画面を見つめた。
数字とアルファベットの組み合わせ。
俺には意味が分からない。
「……何の番号?」
ノアは少し考えた。
そして、答えた。
「……医療用輸送コンテナの登録番号に似てる」
俺は眉をひそめた。
「……医療用?」
「……そう」
ノアは頷いた。
「……しかも、昨日のチップに記録されていた輸送番号と形式が近い」
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
どうやら、何か繋がりがありそうだ。
ただし、番号が似ているだけでは証拠にはならない。
「……追跡できる?」
俺が尋ねると、ノアは首を横に振った。
「……今は無理。こちらの位置を知られる危険がある」
俺は頷いた。
「分かった。無理はしないでくれ」
ノアは少しだけ笑った。
「……あなたもね」
俺は苦笑した。
「……努力するよ」
◇
午後一時過ぎ。
偵察は順調に進んでいた。
マーカスとレナは、施設の外周を確認している。
ノアは監視映像を記録し、俺は周囲の警戒を続けていた。
だが、そのときだった。
ノアの端末が、突然警告音を鳴らした。
「……何だ?」
俺が尋ねると、彼女の表情が変わった。
「……監視ドローン」
俺は窓の外を見た。
遠くの空に、小さな黒い点が見える。
それが、こちらへ向かってきていた。
「……こっちに来てるのか?」
「……そう」
ノアは素早く端末を操作した。
「……こちらの通信を探知した可能性がある」
俺は眉をひそめた。
……まずいな。
昨日、俺たちが倉庫で襲われたときも、監視ドローンが追跡してきた。
あれはかなり厄介だった。
「……逃げるか?」
俺が尋ねると、ノアは頷いた。
「……すぐに」
俺は通信端末を取り出した。
「マーカス、レナ。こちらにドローンが近づいてる。撤退しよう」
『了解』
『分かった。合流地点へ向かう』
俺はノアの機材を片づけるのを手伝った。
だが、ドローンは思っていたより速かった。
窓の外。
黒い機体が、建物の上空へ近づいてくる。
俺は目を細めた。
……間に合うか?
ノアが端末を閉じた。
「……カイ、行くよ」
「ああ」
俺たちは階段へ向かった。
その瞬間。
――ピッ。
短い電子音。
俺は足を止めた。
窓の外から、赤い光が差し込んでいる。
……まさか。
俺は振り返った。
ドローンの下部に、小型の銃口が見えた。
「ノア、伏せろ!」
俺は叫んだ。
次の瞬間。
――ダダダダッ!
銃声が響いた。
窓ガラスが砕け散る。
壁に弾丸が突き刺さり、コンクリートの破片が飛び散った。
俺はノアの身体を押し倒すようにして、階段脇の壁へ飛び込んだ。
弾丸が頭上を通過する。
……危なかった!
俺は歯を食いしばった。
まさか、いきなり撃ってくるとは。
ノアが顔を上げた。
「……カイ!」
「怪我は?」
「……ない」
「よし」
俺は頷いた。
そして、窓の外へ視線を向けた。
ドローンは、まだ上空にいる。
銃口がこちらを探していた。
……さて。
どうするか。
剣では届かない。
月の女神の大剣も、昼間は召喚できない。
だが。
俺には、もう一つ使える力がある。
正義と力の神の祝福。
雷の奇跡。
ただし、強力な雷撃は一日に五回まで。
しかも、周囲への影響が大きい。
……できれば使いたくなかったんだけどな。
俺は静かに息を吐いた。
そして、ノアへ声をかけた。
「……少し離れてくれ」
彼女が目を見開いた。
「……何するの?」
「……あれを落とす」
俺は答えた。
ノアは一瞬だけ躊躇した。
だが、すぐに頷いた。
「……分かった」
彼女が階段の奥へ移動する。
俺は窓の外を確認した。
ドローンは建物の上空で旋回している。
周囲に人影はない。
……よし。
俺は右手を掲げた。
「――正義と力の神よ」
掌に、青白い光が集まる。
空気が震える。
次の瞬間。
――バチィッ!
雷光が走った。
青白い閃光が窓の外へ飛び出し、ドローンへ直撃する。
――ドォンッ!
小さな爆発音。
黒い機体が火花を散らしながら落下した。
俺はすぐに手を下ろした。
……よし。
これで、今日の雷の奇跡は残り四回。
だが、問題はここからだ。
あのドローンが撃ってきたということは、こちらの位置が知られた可能性がある。
俺はノアへ声をかけた。
「……急ごう」
彼女は頷いた。
「……うん」
◇
建物の外へ出ると、マーカスの車が近づいてきた。
運転席の窓が開く。
「乗れ!」
俺はノアを先に乗せ、自分も後部座席へ飛び込んだ。
車が急発進する。
レナの車が後ろから続いた。
俺は窓の外を確認した。
今のところ、追跡車両は見えない。
だが、油断はできない。
「……ノア」
俺は隣の彼女へ声をかけた。
「怪我はないか?」
ノアは頷いた。
「……大丈夫」
そして、俺を見た。
「……あなたは?」
「俺も平気だ」
俺は笑った。
だが、彼女は少しだけ眉をひそめた。
「……また、雷を使った」
「ああ」
「……あれ、どういう仕組み?」
俺は苦笑した。
「……説明が難しいんだ」
ノアはしばらく俺を見つめていた。
そして、小さく息を吐いた。
「……いつか教えて」
俺は少し考えた。
「……話せるときが来たらな」
彼女は頷いた。
「……分かった」
マーカスが運転席から口を開いた。
「……おい、坊主」
「何だ?」
「お前、また派手なことやったな」
俺は苦笑した。
「……仕方なかったんだよ」
「分かってる」
マーカスは答えた。
「だが、あの雷は目立つ。次からは、もっと慎重に動くぞ」
「……了解」
俺は頷いた。
……確かに。
俺の能力は、この世界では異常だ。
使えば使うほど、誰かの目に留まる。
それが、今後の危険につながる可能性もある。
……気をつけないとな。
◇
午後三時。
俺たちはワトソンのバーへ戻った。
ヴィクターとエリオットが、すぐに迎えてくれた。
「……無事か?」
ヴィクターが尋ねた。
「全員無事です」
俺が答えると、男は大きく息を吐いた。
「……それはよかった」
ノアが端末を取り出した。
「……偵察結果をまとめた」
俺たちは奥の個室へ入った。
テーブルの中央に、旧研究施設の地図が表示される。
ノアが説明を始めた。
「……施設は現在も稼働している可能性が高い」
俺は頷いた。
「……警備もかなり厳しかった」
「……そう」
ノアは続けた。
「監視カメラ、赤外線センサー、武装ドローン。それに、地下搬入口から輸送車両が出入りしている」
ヴィクターが眉をひそめた。
「……閉鎖された施設にしては、随分と物騒だな」
マーカスが頷いた。
「警備員もいた。少なくとも十人前後は確認できた」
俺は腕を組んだ。
……なるほど。
地上だけで、それだけの人数。
地下には、さらに多くの警備がいる可能性がある。
「……それと」
ノアが画面を切り替えた。
「……北側の排水路」
俺は顔を上げた。
「……ああ」
レナが頷いた。
「最近、人が通ったような跡があった」
ヴィクターが眉をひそめた。
「……侵入経路か?」
「可能性はある」
レナは答えた。
「ただし、奥までは確認してない」
俺は少し考えた。
……排水路。
地下施設。
そして、人が通った跡。
もしかすると、誰かがそこを使って出入りしているのかもしれない。
「……エマさんに確認してみませんか?」
俺が提案すると、ヴィクターは頷いた。
「そうだな」
ノアが端末を操作した。
数分後。
エマが通信に応じた。
『……もしもし?』
「エマさん、カイです」
『カイさん? 何か分かったの?』
「少しだけ。旧研究施設の北側に、古い排水路があるんですが」
通信の向こうで、沈黙があった。
そして。
『……北側の排水路?』
エマの声が変わった。
「知ってるんですか?」
『……ええ』
俺は姿勢を正した。
『あそこには、昔の排水設備が残っているはず』
「……地下へ繋がっていますか?」
エマは少し考えた。
『……確か、地下第一階層の設備室へ繋がっていたと思う』
俺は顔を上げた。
……なるほど。
これは重要な情報だ。
「……今も通れるんでしょうか?」
『分からない。閉鎖された後、どうなったのかは知らないの』
俺は頷いた。
「ありがとうございます」
通信を終えた。
ヴィクターが腕を組んだ。
「……侵入経路の候補が一つ見つかったな」
俺は頷いた。
「ただし、使えるかどうかは分かりません」
「ああ」
ヴィクターは答えた。
「だから、次はそこを調べる」
◇
会議が終わった後。
俺はバーのカウンターで、水を飲んでいた。
今日は、少し疲れた。
雷の奇跡を使ったこともあるが、それ以上に、緊張していた時間が長かった。
戦闘そのものは短かった。
だが、いつ敵に見つかるか分からない状況で待機するのは、精神的に疲れる。
……元の世界でも、潜入任務は苦手だったな。
そのとき、ヴィクターが隣へ座った。
「……カイ」
「何です?」
「今日の件、悪かったな」
俺は首を傾げた。
「……何がです?」
「偵察だけのつもりが、戦闘になっちまった」
俺は少し考えた。
そして、笑った。
「……誰も怪我しなかったんだから、いいですよ」
ヴィクターは眉をひそめた。
「……お前は本当に、そういうところがあるな」
「……どういうところです?」
「自分が危険な目に遭ったことを、軽く考えすぎる」
俺は少し黙った。
……そうかもしれない。
元の世界では、もっと危険な戦いを何度も経験した。
そのせいで、感覚が少し麻痺しているのかもしれない。
「……気をつけます」
俺が答えると、ヴィクターは頷いた。
「それでいい」
そして、少し間を置いた。
「……それと、身分登録の件だ」
俺は顔を上げた。
「……進展が?」
「ああ」
ヴィクターは頷いた。
「明後日、手続きに詳しい人物と会えることになった」
俺は少し驚いた。
「……本当ですか?」
「ああ。ただし、まだ正式に登録できると決まったわけじゃない」
俺は頷いた。
「分かってます」
それでも、前進だ。
この世界で生活するためには、正式な身分が必要になる。
リクとミナを守るためにも、いつまでも身元不明のままではいられない。
「……ありがとうございます」
俺が頭を下げると、ヴィクターは肩をすくめた。
「礼は、うまくいってからにしろ」
俺は笑った。
「……はい」
◇
夕方。
俺は避難先へ戻った。
部屋の扉を開けると、ミナが駆け寄ってきた。
「カイお兄ちゃん!」
「ただいま」
「今日は早かった!」
「そうだな」
俺は笑った。
リクも奥から顔を出した。
「おかえり、カイ」
「ああ。ただいま」
シルヴァが姿を現し、俺の足元へ近づいてくる。
俺はその頭を撫でた。
「今日もありがとう」
霊狼は嬉しそうに尾を揺らした。
……よし。
今日も、二人は無事だった。
俺は小さく息を吐いた。
それだけで、少し肩の力が抜ける。
「カイお兄ちゃん」
ミナが俺の袖を引いた。
「今日はね、リクとお絵描きしたの!」
「へえ。見せてくれるか?」
「うん!」
少女は嬉しそうに部屋の奥へ走っていった。
しばらくして、紙を持って戻ってくる。
そこには、三人の人間と一匹の狼が描かれていた。
黒髪の少年。
茶色い髪の少年。
小さな女の子。
そして、銀色の狼。
俺は思わず笑った。
「……これ、俺たちか?」
「うん!」
ミナは頷いた。
「カイお兄ちゃんと、リクと、ミナと、シルヴァちゃん!」
俺は絵を見つめた。
……いい絵だな。
決して上手いわけではない。
だが、そこには確かに、俺たちの姿が描かれていた。
「……ありがとう、ミナ」
俺が言うと、少女は嬉しそうに笑った。
「えへへ!」
俺はその頭を撫でた。
……守りたいな。
こういう時間を。
改めて、そう思った。
◇
夜。
俺は寝台に横になっていた。
窓の外には、ナイトシティの夜景が広がっている。
今日の偵察。
旧研究施設。
武装ドローン。
そして、北側の排水路。
少しずつ、情報が集まってきた。
だが、まだ足りない。
敵の数。
地下施設の構造。
被験者の位置。
そして、脱出経路。
どれも重要だ。
俺は胸元の護符へ触れた。
セレーネ。
……君なら、どうするだろうな。
きっと、もっと慎重に考えるだろう。
そして、俺が焦っていることに気づいたら、こう言うはずだ。
『カイ。助けたい気持ちは分かるけれど、準備が足りないまま動けば、助けられる人まで失うわ』
俺は小さく笑った。
……ああ。
その通りだ。
俺は目を閉じた。
明日も、やることがある。
まずは排水路の確認。
そして、救出作戦の準備。
今度こそ、できるだけ多くの人間を助けたい。
そのために。
俺は、焦らず進むつもりだった。
◇
同じ頃。
旧ヘリックス研究施設。
地下第三階層。
白い照明に照らされた部屋で、一人の男が端末を見つめていた。
白衣を着た中年の男。
白髪混じりの黒髪。
細い眼鏡。
ドクター・エイドリアン・ヴォス。
彼の前には、複数の監視映像が表示されていた。
その一つには、昼間の武装ドローンの映像が映っている。
黒髪の少年。
そして、青白い雷光。
ヴォスは静かに呟いた。
「……興味深い」
隣に立つ研究員が口を開いた。
「……ドクター。あの少年について、追加の情報が届いています」
ヴォスが顔を上げた。
「……聞こう」
「軍用義体三体を戦闘不能にした人物と一致します」
ヴォスは頷いた。
「……やはりか」
研究員は続けた。
「しかも、既知のサイバーウェアでは説明できない能力を使用しています」
ヴォスは画面を見つめた。
雷光がドローンへ直撃する瞬間。
そして、少年が仲間を守るように動く姿。
「……素晴らしい」
男は小さく笑った。
「……これほど興味深い被験体は、久しぶりだ」
研究員が顔をしかめた。
「……捕獲を試みますか?」
ヴォスは首を横に振った。
「……まだだ」
そして、画面を切り替えた。
そこには、別の映像が映っていた。
地下の収容区画。
複数の透明な隔壁。
その向こうには、人間の姿があった。
機械化された腕。
金属製の脚。
そして、首筋に埋め込まれた神経接続装置。
ヴォスは静かに言った。
「……まずは、キメラの完成を優先する」
研究員が頷いた。
「……了解しました」
ヴォスは、再び少年の映像へ視線を戻した。
「……だが」
その口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「……彼がこちらへ来るというなら、歓迎しよう」
男は端末を操作した。
画面に、新しい指示が表示される。
PROJECT CHIMERA
PHASE 4:神経制御試験
開始予定:48時間以内
ヴォスは満足そうに頷いた。
「……準備を進めたまえ」
研究員が頭を下げた。
そして、部屋を出ていく。
残されたヴォスは、静かに画面を見つめていた。
その先にあるのは、人間を救うための未来なのか。
それとも、人間を兵器へ変えるための地獄なのか。
少なくとも。
その答えを知っているのは、まだ彼だけだった。