神々の剣士、鋼鉄の迷宮への入口
俺が勇者一行に加わって間もない頃、ある失敗をしたことがある。
魔族に占拠された鉱山で、捕らわれた鉱夫たちを助ける任務だった。
敵の数は多くなかった。
少なくとも、俺たちの実力なら十分に対処できる相手だった。
だから俺は、正面から突入すればいいと考えた。
勇者も賛成した。
戦士は大笑いしながら斧を担いだ。
だが、セレーネだけは反対した。
『待って。捕虜がどこにいるか分からないでしょう』
俺たちは彼女の言葉を聞かなかった。
結果は散々だった。
魔族たちは鉱山の奥に逃げ込み、通路を崩落させた。
俺たちは敵を倒すことには成功したが、閉じ込められた鉱夫たちを救出するまでに丸二日かかった。
幸い、全員助かった。
だが、セレーネには三日ほど口を利いてもらえなかった。
……あれは辛かったな。
敵の攻撃よりも、彼女の冷たい視線の方が堪えた気がする。
そんな昔のことを思い出したのは、今の状況が少し似ているからだ。
ナイトシティ郊外。
旧ヘリックス研究施設。
地下には、人体実験の被験者が囚われている可能性がある。
そして、施設には軍用義体の兵士たちが配備されている。
俺が本気で戦えば、ある程度は対処できるだろう。
だが、それだけでは足りない。
誰がどこにいるのか。
どうやって助け出すのか。
そして、どうすれば全員を無事に帰せるのか。
今回ばかりは、セレーネに叱られない作戦を立てたいものだ。
◇
翌朝。
午前六時半。
俺は避難先の集合住宅の屋上にいた。
まだ日が昇り始めたばかりで、空には薄い朝焼けが広がっている。
遠くに見えるナイトシティの高層ビル群。
巨大な広告塔。
絶え間なく走る車の列。
そして、その上を飛ぶ航空機。
俺は屋上の中央に立ち、ゆっくりと剣を抜いた。
神々から授かった長剣。
銀色の刀身が朝日を反射する。
俺は構えを取った。
まずは基本の素振り。
上段から振り下ろす。
横薙ぎ。
斜めの斬撃。
突き。
そして、足運び。
身体はよく動いた。
昨日の偵察で受けた疲労も、ほとんど残っていない。
だが、俺は動きを止めずに考えていた。
昨日戦った武装ドローン。
あれは、かなり厄介だった。
空中から攻撃してくる相手に対して、俺の剣は届かない。
もちろん、雷の奇跡を使えば撃ち落とせる。
だが、一日に五回という制限がある。
昨日は一回使った。
今日は日付が変わっているため、再び五回使える。
しかし、敵の数が増えれば、雷だけでは対処しきれない。
……遠距離攻撃への対策が必要だな。
俺は剣を振りながら考えた。
元の世界では、魔法使いや弓兵が遠距離攻撃を担当していた。
セレーネがいれば、空中の敵を撃ち落とすことなど簡単だっただろう。
だが、今は俺一人だ。
仲間たちは銃を使えるが、俺自身も何か対策を考えなければならない。
……銃か。
この世界へ来てから、何度も見ている。
だが、俺はまだまともに扱ったことがない。
剣と魔法で戦ってきた人間にとって、銃は少し馴染みが薄い。
それでも、必要なら覚えるべきだろう。
俺は最後の一振りを終え、剣を鞘へ収めた。
……今度、マーカスに相談してみるか。
◇
午前八時。
俺は居間で朝食を取っていた。
リクとミナは、昨日の勉強の続きをしている。
シルヴァは二人の近くに伏せ、時々顔を上げていた。
「カイお兄ちゃん」
ミナが俺を見た。
「今日はお仕事?」
「ああ。少し出かける」
「帰ってくる?」
俺は笑った。
「もちろん」
ミナは安心したように頷いた。
リクが顔を上げる。
「昨日、何かあった?」
俺は少し考えた。
「ちょっと危ないことはあった。でも、みんな無事だ」
リクは眉をひそめた。
「……本当に?」
「ああ」
俺は頷いた。
「怪我もしてない」
少年はしばらく俺を見つめていた。
そして、小さく息を吐いた。
「……分かった」
俺はリクの頭を軽く撫でた。
「心配かけて悪いな」
「……別に」
リクは少し照れくさそうに顔を逸らした。
……素直じゃないな。
だが、そういうところも年相応で微笑ましい。
俺は食事を終え、立ち上がった。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい!」
ミナが元気よく手を振る。
リクも頷いた。
「気をつけて」
シルヴァが立ち上がり、俺の足元へ近づいてきた。
俺はその頭を撫でた。
「今日も二人を頼むぞ」
霊狼は青い瞳を細め、尾を揺らした。
……よし。
俺は部屋を出た。
◇
午前九時半。
ヴィクターのバー。
奥の個室には、いつもの顔ぶれが集まっていた。
ヴィクター。
エリオット。
ノア。
マーカス。
レナ。
そして、今日はガレスもいる。
大柄な男は椅子に座り、修理途中の右腕を動かしていた。
「……よう、ガキ」
「おはよう、ガレス」
「……相変わらず元気そうだな」
「そっちもな」
俺は笑った。
ガレスは鼻を鳴らした。
「……俺の腕を斬った奴が、よく言うぜ」
「まだ根に持ってるのか?」
「当たり前だろうが」
俺は肩をすくめた。
「じゃあ、次は撃たないでくれよ」
ガレスは一瞬黙った。
そして、低く笑った。
「……言いやがる」
ヴィクターが手を叩いた。
「そこまでだ。仕事の話をするぞ」
俺たちは席についた。
ノアが端末を操作する。
テーブルの中央に、旧研究施設の立体地図が表示された。
「……昨日の偵察結果を整理した」
俺は画面を見た。
地上施設。
警備員の配置。
監視カメラ。
武装ドローン。
そして、北側の排水路。
ノアは排水路の部分を拡大した。
「……ここが、次の調査対象」
俺は頷いた。
「……地下第一階層へ繋がっている可能性がある場所だな」
「……そう」
ノアは続けた。
「ただし、通行可能かどうかは不明」
ヴィクターが腕を組んだ。
「今日はそこを確認する。ただし、施設内には入らねえ」
俺は頷いた。
……まずは入口の確認か。
それなら、昨日よりは危険が少ないかもしれない。
もちろん、油断はできない。
◇
「……一つ、問題がある」
ノアが口を開いた。
俺たちは彼女を見た。
「……何だ?」
ヴィクターが尋ねる。
「……昨日のドローン」
俺は眉をひそめた。
「……ああ」
ノアは画面を切り替えた。
そこには、俺が雷で撃ち落としたドローンの映像が表示されていた。
「……あの機体は、通常の警備ドローンではない」
俺は首を傾げた。
「……どういうことだ?」
「……軍用の監視機能を搭載している」
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
だから、あれほど反応が速かったのか。
「……それって、ミリテク製?」
俺が尋ねると、ノアは首を横に振った。
「……断定できない」
ヴィクターが頷いた。
「軍用技術を使っているからといって、製造元や運用者がミリテクとは限らねえ」
俺は頷いた。
……確かに。
今のところ、ミリテクとの関係は状況証拠ばかりだ。
勝手に決めつけるべきではない。
「……それと」
ノアが続けた。
「……昨日の雷撃で、こちらの能力がさらに知られた可能性がある」
俺は少し考えた。
……まあ、そうだろうな。
あれだけ派手な雷を落とせば、目立たないわけがない。
「……すまない」
俺が言うと、ノアは首を横に振った。
「……私を守るためだった」
そして、少しだけ笑った。
「……ありがとう」
俺は少し照れくさくなった。
「……どういたしまして」
ガレスが鼻を鳴らした。
「……お前、本当に雷を出せるのか?」
俺は彼を見た。
「……まあな」
「……どういう仕組みだ?」
「秘密」
ガレスは眉をひそめた。
「……ふざけんな」
「教えられないものは教えられない」
俺は肩をすくめた。
ガレスはしばらく俺を睨んでいた。
そして、諦めたように息を吐いた。
「……まったく、面倒なガキだ」
……よく言われる。
◇
午前十一時。
俺たちは再び旧研究施設の周辺へ向かった。
ただし、今回は昨日とは違う場所から接近する。
北側の排水路。
そこへ続く古い道路は、ほとんど使われていないらしい。
車は途中で停め、残りは徒歩で進むことになった。
参加するのは、俺、マーカス、レナの三人。
ノアは離れた場所から通信と監視を担当する。
ガレスは別の車で待機し、緊急時の撤退支援を行う。
ヴィクターとエリオットは後方から全体を管理する。
俺は歩きながら、周囲を確認した。
古い工場。
錆びた配管。
崩れかけた壁。
そして、雑草の生えた空き地。
……元の世界の廃墟と、少し似ているな。
違うのは、魔力の気配がないことくらいか。
「……カイ」
レナが声をかけた。
「ん?」
「足元、気をつけて」
俺は視線を下げた。
地面には、古い金属片が散らばっている。
錆びた釘。
割れたガラス。
そして、鋭い鉄板。
「……ありがとう」
俺は頷いた。
レナは笑った。
「その剣で全部斬れそうだけどね」
「……そんなことしないよ」
俺は苦笑した。
確かに、剣で金属を斬ることはできる。
だが、何でもかんでも斬っていたら、剣がいくらあっても足りない。
それに、目立つ。
今は静かに進むべきだ。
◇
しばらく歩くと、目的の排水路が見えてきた。
幅は二メートルほど。
深さは一メートル半くらい。
コンクリートで作られた古い水路だ。
底には、少量の濁った水が流れている。
そして、その先。
大きな円形の排水管が、地面の下へ続いていた。
「……あれか」
俺が呟くと、マーカスが頷いた。
「ああ」
レナが双眼鏡を覗く。
「……入口には金属製の格子があるね」
俺も確認した。
確かに、排水管の入口には鉄格子が設置されている。
だが、その一部が歪んでいた。
……誰かが動かした跡か?
「……近づいてみよう」
マーカスが言った。
俺たちは慎重に水路へ降りた。
足元は滑りやすい。
俺は壁へ手をつきながら進んだ。
排水管の入口へ到着する。
鉄格子は、思っていたより古かった。
錆びた金属。
緩んだ固定具。
そして、最近動かされたような擦り傷。
「……誰かが通ったな」
レナが呟いた。
俺も頷いた。
……間違いなさそうだ。
マーカスが格子を調べる。
「……固定具が一つ外されてる」
俺は眉をひそめた。
「……つまり、開けられる?」
「ああ」
マーカスは頷いた。
「ただし、無理に動かすと音が出る」
俺は少し考えた。
……音か。
今は偵察だ。
ここで大きな音を立てるのは避けたい。
「……今日は無理に開けない方がいいな」
俺が言うと、マーカスも頷いた。
「同感だ」
レナが端末を取り出した。
「写真だけ撮っておこう」
俺たちは格子の状態を記録した。
そして、周囲を確認する。
そのときだった。
俺は、排水管の奥に何かが落ちていることに気づいた。
「……ん?」
俺は目を細めた。
暗い排水管の内部。
水の流れる音。
そして、壁際に小さな物体が見える。
「……あれ、何だ?」
俺が指差すと、レナがライトを向けた。
光が奥を照らす。
そこには、小さな金属片が落ちていた。
いや。
金属片ではない。
……何かの部品か?
マーカスが目を細めた。
「……義体の部品に見えるな」
俺は眉をひそめた。
「……義体?」
「ああ」
マーカスは頷いた。
「人工関節の一部かもしれねえ」
俺は静かに息を吐いた。
……なるほど。
誰かがここを通った。
そして、義体の部品らしいものが落ちている。
もしかすると。
……施設から逃げ出した人間がいたのか?
◇
「……ノア」
俺は通信端末へ声をかけた。
『……聞こえる』
「排水管の中に、義体の部品らしいものが落ちてる」
『……映像を送って』
「分かった」
レナが撮影した映像を送信する。
数秒後。
ノアの声が聞こえた。
『……確認した』
「……何か分かる?」
『……古い神経接続用の部品に似てる』
俺は眉をひそめた。
「……プロジェクト・キメラと関係ある?」
『……可能性はある。でも、断定できない』
俺は頷いた。
……そうだよな。
この世界では、義体の部品なんて珍しくない。
ただし、場所が場所だ。
無関係だと決めつけるのも早い。
「……回収した方がいいか?」
俺が尋ねると、ノアは少し考えた。
『……できれば。でも、危険なら無理しないで』
俺は排水管の奥を見た。
部品は、格子から二メートルほど先にある。
手を伸ばしても届かない。
格子を開ける必要がある。
……どうするか。
俺は少し考えた。
そして、マーカスへ顔を向けた。
「……少しだけ、格子を動かせるか?」
マーカスは頷いた。
「できる。ただし、音を抑える必要がある」
レナが周囲を確認した。
「今のところ、警備の気配はないよ」
俺は頷いた。
「じゃあ、慎重にやろう」
マーカスが固定具を外す。
俺は格子を支える。
金属が小さく軋んだ。
――ギィ……。
俺たちは動きを止めた。
周囲に耳を澄ませる。
……大丈夫そうだ。
マーカスが頷いた。
俺たちはゆっくりと格子を開いた。
人一人が通れる程度の隙間ができる。
俺は腰を屈め、排水管の中へ入った。
湿った空気。
金属の匂い。
そして、僅かな腐敗臭。
……あまり長居したくない場所だな。
俺は部品の近くへ進んだ。
それを拾い上げる。
小さな金属製の接続部品。
片側には、細い配線が残っている。
そして、表面には何かの番号が刻まれていた。
「……番号がある」
俺は通信で伝えた。
『……読める?』
ノアが尋ねる。
俺はライトを向けた。
「……C、H、M……ゼロ、ゼロ、七」
通信の向こうで、沈黙があった。
そして。
『……もう一度』
ノアの声が少し変わった。
俺は番号を読み直した。
「……CHM-007」
数秒後。
ノアが低く呟いた。
『……一致した』
俺は眉をひそめた。
「……何と?」
『……プロジェクト・キメラの被験者番号』
俺は息を止めた。
……何だって?
『……CHM-007。記録上、死亡が確認されていない被験者の一人』
俺は手の中の部品を見つめた。
……なるほど。
これは、単なる偶然ではないかもしれない。
この排水路を通った誰かが、被験者の一人だった可能性がある。
そして、その人間は。
……施設から逃げ出したのか?
◇
「……カイ、戻れ」
マーカスの声が聞こえた。
俺は顔を上げた。
「……どうした?」
「……何か来る」
俺は耳を澄ませた。
排水管の奥。
水の流れる音に混じって、微かな金属音が聞こえる。
――カン……。
――カン……。
規則的な音。
まるで、硬いものがコンクリートへ当たっているようだった。
俺は目を細めた。
……誰かいる?
「……レナ、マーカス」
俺は小声で言った。
「奥から音がする」
『……確認した』
レナが答えた。
『……カイ、無理に進まないで』
「分かってる」
俺は頷いた。
だが、そのとき。
暗闇の奥で、何かが動いた。
俺は身体を低くした。
……人影?
ライトを向ける。
光の先。
そこに、一人の人間が立っていた。
いや。
人間だったもの、と言うべきだろうか。
痩せた身体。
片腕は金属製の義手。
片脚も機械化されている。
そして、首筋には複数の接続端子が埋め込まれていた。
男だった。
年齢は三十代くらいだろうか。
顔色は悪く、目の下には深い隈がある。
彼は壁へ寄りかかりながら、こちらを見つめていた。
俺は息を呑んだ。
……まさか。
「……大丈夫か?」
俺は静かに声をかけた。
男は反応しなかった。
ただ、こちらを見ている。
俺は剣へ手を伸ばさず、ゆっくりと両手を見せた。
「……俺は敵じゃない」
男の唇が動いた。
だが、声は出なかった。
俺は一歩だけ近づいた。
「……助けが必要か?」
その瞬間。
男の身体が大きく震えた。
――ガクンッ!
機械化された腕が、不自然な角度で動く。
男は苦しそうに顔を歪めた。
「……に……げ……」
俺は目を見開いた。
「……何?」
男は必死に声を絞り出した。
「……逃げ……ろ……!」
次の瞬間。
男の義眼が赤く光った。
――ピッ。
短い電子音。
俺は反射的に身構えた。
男の機械化された右腕が持ち上がる。
その先には、小型の銃口があった。
……まずい!
俺は横へ飛んだ。
――ダダダッ!
銃声が排水管の中へ響いた。
弾丸が壁へ突き刺さる。
俺は地面へ転がり、すぐに体勢を立て直した。
……何だ!?
男は苦しそうに叫んでいた。
「……やめ……ろ……!」
だが、腕は止まらない。
まるで、本人の意思とは無関係に動いているようだった。
俺は歯を食いしばった。
……まさか。
エマが話していた、神経制御実験。
本人の意思に関係なく、身体を動かす技術。
……これが、それなのか?
◇
「カイ!」
マーカスの声が響いた。
俺は叫んだ。
「来るな! 撃たれる!」
男の腕が再びこちらへ向く。
俺は壁を蹴って距離を詰めた。
銃口の向きを見極める。
発射される前に、射線から外れる。
そして、男の右腕を掴んだ。
――ガキンッ!
金属同士がぶつかる音。
……重い!
義手の力は、想像以上だった。
俺は両足を踏ん張り、腕を押さえ込んだ。
男が苦しそうに叫ぶ。
「……殺……して……!」
俺は首を横に振った。
「断る!」
男の目が見開かれた。
「……何……?」
「助けてほしいなら、そう言え!」
俺は叫んだ。
男の身体が震える。
機械化された脚が、不自然に動いた。
俺は膝を使ってその動きを止める。
……くそっ。
このままでは、男の身体に負担がかかりすぎる。
どうする?
剣で義手を斬るか?
だが、接続部分を傷つければ、本人の神経系にも影響が出るかもしれない。
雷の奇跡も危険だ。
機械部分だけを破壊できたとしても、神経接続装置まで損傷する可能性がある。
……なら。
俺は一つの方法を思いついた。
昼と太陽の神の祝福。
仲間を癒すための力。
俺自身には使えないが、他人を治療することはできる。
ただし、機械そのものを修理する力ではない。
……それでも。
男の身体に負担がかかっているなら、少しは助けられるかもしれない。
俺は左手を男の肩へ当てた。
「……少し我慢してくれ」
そして、祝福を発動した。
――ふわり。
柔らかな金色の光が、俺たちを包む。
男の身体が僅かに震えた。
俺は意識を集中する。
傷ついた筋肉。
負担のかかった神経。
そして、極度に疲弊した身体。
それらを癒すように、力を流し込む。
……頼む。
少しでも、楽になってくれ。
数秒後。
男の呼吸が、僅かに落ち着いた。
だが、義手はまだ動こうとしている。
……やっぱり、制御装置そのものは止められないか。
俺は歯を食いしばった。
……なら、別の方法だ。
「マーカス!」
俺は叫んだ。
「こいつの義手を止められるか!?」
マーカスが排水管へ入ってきた。
男の状態を見ると、すぐに顔をしかめた。
「……神経制御型か!」
「分かるのか!?」
「完全には分からねえ! だが、似たような装置は見たことがある!」
マーカスは男の首筋を確認した。
「……外部制御用の接続端子がある!」
俺は顔を上げた。
「……止められる?」
「……ノアに聞け!」
俺は通信端末へ叫んだ。
「ノア! 聞こえるか!?」
『……聞こえる!』
「神経制御装置を止めたい! 方法は!?」
数秒の沈黙。
そして、ノアの声。
『……接続端子の型番を送って!』
マーカスが素早く撮影した。
映像を送信する。
俺は男の義手を押さえ続けた。
……頼む。
早く。
男は苦しそうに呻いている。
金色の光が、身体の損傷を癒していく。
だが、制御装置は止まらない。
……くそっ。
やっぱり、機械は厄介だ。
そのとき。
『……分かった!』
ノアの声が響いた。
『首の後ろ、右側に緊急遮断スイッチがある!』
俺は顔を上げた。
「……マーカス!」
「見えてる!」
マーカスが男の首筋へ手を伸ばす。
小さなカバーを外す。
その下に、赤いスイッチがあった。
「……これか!」
『……そう! ただし、押すと義体の制御が一時停止する!』
俺は頷いた。
「……構わない!」
マーカスがスイッチを押した。
――カチッ。
次の瞬間。
男の義手が、力を失った。
機械化された脚も動きを止める。
男の身体が崩れ落ちた。
俺は慌てて支えた。
「……大丈夫か!?」
男は荒い息を吐いていた。
だが、先ほどまでの苦痛に歪んだ表情は、少し和らいでいる。
俺は金色の光を弱め、必要な治療だけを続けた。
……よかった。
少なくとも、今すぐ命を落とす状態ではなさそうだ。
◇
「……カイ」
レナが排水管の入口から声をかけた。
「……どうした?」
「……まずい。施設の方で動きがある」
俺は顔を上げた。
「……警備?」
「ああ。ドローンが二機、こっちへ向かってる」
俺は眉をひそめた。
……まずいな。
さっきの銃声を聞かれたか。
それとも、この男の位置を追跡しているのか。
どちらにしても、長居はできない。
「……マーカス、この人を運べるか?」
俺が尋ねると、男は頷いた。
「ああ。ただし、義体が重い」
俺は男の身体を支えた。
「……俺も手伝う」
マーカスが頷いた。
俺たちは慎重に男を持ち上げた。
義体の重量はかなりのものだった。
だが、俺の身体能力なら運べる。
問題は、狭い排水管だ。
俺たちはゆっくりと出口へ向かった。
そのとき。
男が、小さく声を出した。
「……ま……て……」
俺は足を止めた。
「……何だ?」
男は苦しそうに目を開いた。
そして、震える声で言った。
「……まだ……いる……」
俺は眉をひそめた。
「……何が?」
男は必死に言葉を絞り出した。
「……地下……に……」
俺は息を呑んだ。
……まさか。
「……ほかの被験者か?」
男は僅かに頷いた。
俺は静かに息を吐いた。
……やっぱり。
地下には、まだ人がいる。
そして、この男はそこから逃げてきた。
「……分かった」
俺は男へ声をかけた。
「必ず調べる」
男の目が僅かに動いた。
「……たの……む……」
俺は頷いた。
「ああ」
そして、マーカスへ顔を向けた。
「……行こう」
俺たちは排水管の出口へ向かった。
◇
排水路を出ると、レナが周囲を警戒していた。
遠くの空に、黒い点が二つ見える。
……ドローンか。
俺は男を支えながら、状況を確認した。
ここから車まで、まだ少し距離がある。
ドローンの方が先に到着する可能性が高い。
「……マーカス」
「何だ?」
「この人を頼む」
俺は男の身体を預けた。
マーカスが頷く。
「……お前は?」
「少しだけ、時間を稼ぐ」
レナが顔をしかめた。
「……カイ、無茶しないで」
「分かってる」
俺は答えた。
「できるだけ戦わずに済ませる」
そして、周囲を確認した。
古い建物。
崩れた壁。
錆びた配管。
……遮蔽物は多い。
なら、ドローンの視界を遮りながら撤退できるかもしれない。
俺は通信端末へ声をかけた。
「ノア、ドローンの位置は?」
『……二機。北東から接近中』
「……武装は?」
『……一機は監視型。もう一機は武装型の可能性が高い』
俺は頷いた。
……なるほど。
なら、まずは視界を切る。
「……レナ、煙幕はあるか?」
俺が尋ねると、彼女は少し笑った。
「……あるよ」
腰のポーチから、小さな筒状の装置を取り出す。
「……使う?」
「ああ」
俺は頷いた。
「車までの道を隠したい」
レナは頷いた。
「了解」
彼女が装置を地面へ投げた。
――プシュウウウッ!
白い煙が勢いよく広がる。
周囲の視界が一気に悪くなった。
俺はマーカスへ声をかけた。
「……今だ!」
俺たちは走り出した。
煙の中。
足元の悪い地面。
そして、背後から近づくドローンの音。
……急げ!
俺は男の身体を支えながら走った。
マーカスも必死に足を動かす。
レナが先行し、道を確認している。
数十秒後。
俺たちは車へ到着した。
後部座席へ男を寝かせる。
俺も乗り込む。
マーカスが運転席へ飛び込んだ。
「……出すぞ!」
車が急発進する。
背後で、ドローンの機械音が聞こえた。
だが、煙幕と建物の陰に遮られ、すぐには追跡できないようだった。
俺は窓の外を確認した。
……よし。
今のところ、追ってこない。
俺は小さく息を吐いた。
……何とか逃げられたな。
◇
午後二時。
俺たちはワトソンの小さな診療所へ到着した。
ヴィクターが手配した医師が、すでに待っていた。
男はすぐに診察室へ運ばれた。
俺は廊下で待機していた。
しばらくして、医師が出てくる。
「……命に別状はない」
俺は安心した。
「……よかった」
医師は続けた。
「ただし、義体の状態がかなり悪い。神経接続装置にも問題がある」
俺は眉をひそめた。
「……治せますか?」
「時間はかかるが、可能性はある」
俺は頷いた。
……それなら、よかった。
少なくとも、助ける方法はある。
「……それと」
医師が俺を見た。
「君が施した治療について、少し聞きたい」
俺は苦笑した。
「……詳しくは説明できません」
医師はしばらく俺を見つめていた。
そして、肩をすくめた。
「……まあ、そうだろうな」
俺は少し安心した。
……助かった。
あまり追及されると、困るからな。
◇
夕方。
男の意識が戻った。
俺はヴィクター、ノア、エリオットと共に病室へ入った。
男は寝台に横たわっていた。
機械化された腕と脚は、まだ動かない。
だが、顔色は少し良くなっている。
俺は椅子へ座った。
「……気分はどうですか?」
男はゆっくりと目を開いた。
「……生きて……いるのか……」
俺は頷いた。
「はい」
男はしばらく天井を見つめていた。
そして、小さく笑った。
「……そうか……」
俺は少し考えた。
「……名前を聞いてもいいですか?」
男はゆっくりと答えた。
「……ダニエル……」
「ダニエルさんですね」
俺は頷いた。
「俺はカイです」
男は僅かに顔を動かした。
「……カイ……」
「はい」
俺は答えた。
「あなたを助けた者です」
ダニエルはしばらく俺を見つめていた。
そして、震える声で言った。
「……ありがとう……」
俺は笑った。
「どういたしまして」
少し間を置いてから、俺は尋ねた。
「……一つ、聞いてもいいですか?」
ダニエルは頷いた。
「……何だ……」
「……あなたは、旧ヘリックス研究施設から逃げてきたんですか?」
男の表情が変わった。
恐怖。
そして、深い疲労。
俺は静かに続けた。
「……無理に話さなくても大丈夫です」
ダニエルはしばらく黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「……ああ……」
俺は息を呑んだ。
……やはり。
「……地下には、ほかにも人がいるんですか?」
ダニエルは目を閉じた。
そして、震える声で答えた。
「……いる……」
俺は拳を握った。
「……何人くらい?」
男は少し考えた。
「……六人……」
俺は顔を上げた。
……六人。
ノアが見つけた、死亡記録のない被験者は七人。
そして、目の前のダニエル。
……数が一致する。
俺は静かに息を吐いた。
……やっぱり、あの施設にはまだ人がいる。
◇
「……ダニエルさん」
俺は静かに声をかけた。
「……何だ……」
「……その六人は、今も生きていますか?」
男はしばらく黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「……少なくとも……俺が逃げたときは……」
俺は頷いた。
……よかった。
まだ、助けられる可能性がある。
「……どこにいるんですか?」
ダニエルは目を閉じた。
そして、ゆっくりと答えた。
「……地下……第三階層……」
俺は息を呑んだ。
……地下三階。
エマが入ったことのない区画だ。
そして、最も警備が厳しい可能性がある場所。
俺は静かに頷いた。
「……分かりました」
ダニエルは俺を見つめた。
「……助けて……くれるのか……?」
俺は少し考えた。
そして、答えた。
「……助ける方法を探します」
男は僅かに目を見開いた。
俺は続けた。
「必ず成功するとは言えません。でも、何もしないつもりはありません」
ダニエルはしばらく俺を見つめていた。
そして、小さく頷いた。
「……頼む……」
俺は頷いた。
「ああ」
◇
その夜。
ヴィクターのバー。
奥の個室には、再び仲間たちが集まっていた。
テーブルの中央には、旧研究施設の立体地図。
そして、ダニエルから得た情報。
地下第三階層。
六人の被験者。
神経制御装置。
軍用義体の兵士。
俺は腕を組んだ。
……いよいよ、核心に近づいてきたな。
ヴィクターが口を開いた。
「……これで、救出対象の位置がある程度分かった」
俺は頷いた。
「……ああ」
「だが、問題はどうやって入るかだ」
ノアが地図を拡大した。
「……北側の排水路から、地下第一階層へ入れる可能性がある」
俺は頷いた。
「……今日、実際に人が通れることは確認できた」
マーカスが続けた。
「ただし、そこから地下三階へ行くには、警備を突破する必要がある」
俺は静かに息を吐いた。
……そうだな。
問題はそこだ。
地下三階。
六人の被験者。
そして、敵の警備。
正面から戦えば、被験者たちが巻き込まれる可能性がある。
……なら。
俺は一つの提案をした。
「……まず、ダニエルさんから詳しい構造を聞こう」
ヴィクターが頷いた。
「そうだな」
「それと、できれば施設の通信を遮断したい」
ノアが顔を上げた。
「……可能性はある」
俺は続けた。
「敵が外部へ救援を呼べないようにする。監視装置も、できるだけ止める」
ヴィクターが腕を組んだ。
「……なるほど」
俺は静かに言った。
「……そして、被験者たちを連れ出す」
室内が静かになった。
マーカスが笑った。
「……言うのは簡単だな」
俺は苦笑した。
「……分かってる」
だが、やるしかない。
六人。
まだ、生きている可能性がある。
なら。
俺は、その命を見捨てるつもりはなかった。
◇
同じ頃。
旧ヘリックス研究施設。
地下第三階層。
ドクター・エイドリアン・ヴォスは、監視映像を見つめていた。
そこには、排水路で撮影された映像が表示されている。
黒髪の少年。
金色の光。
そして、倒れた被験者を助ける姿。
ヴォスは静かに呟いた。
「……やはり、興味深い」
隣の研究員が口を開いた。
「……ドクター。被験者CHM-007が逃走しました」
ヴォスは頷いた。
「……知っている」
「……回収部隊を出しますか?」
ヴォスは少し考えた。
そして、首を横に振った。
「……いや」
研究員が驚いた顔をした。
「……よろしいのですか?」
ヴォスは画面を指差した。
「……この少年が、どこまでできるのか見てみたい」
研究員は黙った。
ヴォスは続けた。
「……彼は、通常の医療技術では説明できない方法で被験者を治療した」
その目には、冷たい興味が宿っていた。
「……もし、その能力を解析できれば」
男は小さく笑った。
「……キメラ計画は、次の段階へ進める」
研究員が頷いた。
「……では、どうしますか?」
ヴォスは静かに答えた。
「……施設の警備を強化しろ」
そして、画面を切り替えた。
そこには、六人の被験者が映っていた。
全身義体。
神経接続装置。
そして、赤く光る義眼。
ヴォスは低く呟いた。
「……彼が来るなら、歓迎しよう」
男は端末を操作した。
画面に、新しい指示が表示される。
PROJECT CHIMERA
PHASE 4:神経制御試験
開始まで、残り24時間。
ヴォスは満足そうに頷いた。
「……準備を進めたまえ」
研究員が頭を下げる。
そして、部屋を出ていった。
残されたヴォスは、黒髪の少年の映像を見つめていた。
「……カイ」
その声には、研究者としての好奇心と、冷たい執着が混じっていた。
「……君は、どんな秘密を持っているんだ?」
その問いに答える者は、まだいなかった。