神々の剣士は電脳都市で生きる   作:アイエオ

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第二十五話 地下へ続く道

神々の剣士、鋼鉄の迷宮への入口

 俺が勇者一行に加わって間もない頃、ある失敗をしたことがある。

 

 魔族に占拠された鉱山で、捕らわれた鉱夫たちを助ける任務だった。

 

 敵の数は多くなかった。

 

 少なくとも、俺たちの実力なら十分に対処できる相手だった。

 

 だから俺は、正面から突入すればいいと考えた。

 

 勇者も賛成した。

 

 戦士は大笑いしながら斧を担いだ。

 

 だが、セレーネだけは反対した。

 

『待って。捕虜がどこにいるか分からないでしょう』

 

 俺たちは彼女の言葉を聞かなかった。

 

 結果は散々だった。

 

 魔族たちは鉱山の奥に逃げ込み、通路を崩落させた。

 

 俺たちは敵を倒すことには成功したが、閉じ込められた鉱夫たちを救出するまでに丸二日かかった。

 

 幸い、全員助かった。

 

 だが、セレーネには三日ほど口を利いてもらえなかった。

 

 ……あれは辛かったな。

 

 敵の攻撃よりも、彼女の冷たい視線の方が堪えた気がする。

 

 そんな昔のことを思い出したのは、今の状況が少し似ているからだ。

 

 ナイトシティ郊外。

 

 旧ヘリックス研究施設。

 

 地下には、人体実験の被験者が囚われている可能性がある。

 

 そして、施設には軍用義体の兵士たちが配備されている。

 

 俺が本気で戦えば、ある程度は対処できるだろう。

 

 だが、それだけでは足りない。

 

 誰がどこにいるのか。

 

 どうやって助け出すのか。

 

 そして、どうすれば全員を無事に帰せるのか。

 

 今回ばかりは、セレーネに叱られない作戦を立てたいものだ。

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 午前六時半。

 

 俺は避難先の集合住宅の屋上にいた。

 

 まだ日が昇り始めたばかりで、空には薄い朝焼けが広がっている。

 

 遠くに見えるナイトシティの高層ビル群。

 

 巨大な広告塔。

 

 絶え間なく走る車の列。

 

 そして、その上を飛ぶ航空機。

 

 俺は屋上の中央に立ち、ゆっくりと剣を抜いた。

 

 神々から授かった長剣。

 

 銀色の刀身が朝日を反射する。

 

 俺は構えを取った。

 

 まずは基本の素振り。

 

 上段から振り下ろす。

 

 横薙ぎ。

 

 斜めの斬撃。

 

 突き。

 

 そして、足運び。

 

 身体はよく動いた。

 

 昨日の偵察で受けた疲労も、ほとんど残っていない。

 

 だが、俺は動きを止めずに考えていた。

 

 昨日戦った武装ドローン。

 

 あれは、かなり厄介だった。

 

 空中から攻撃してくる相手に対して、俺の剣は届かない。

 

 もちろん、雷の奇跡を使えば撃ち落とせる。

 

 だが、一日に五回という制限がある。

 

 昨日は一回使った。

 

 今日は日付が変わっているため、再び五回使える。

 

 しかし、敵の数が増えれば、雷だけでは対処しきれない。

 

 ……遠距離攻撃への対策が必要だな。

 

 俺は剣を振りながら考えた。

 

 元の世界では、魔法使いや弓兵が遠距離攻撃を担当していた。

 

 セレーネがいれば、空中の敵を撃ち落とすことなど簡単だっただろう。

 

 だが、今は俺一人だ。

 

 仲間たちは銃を使えるが、俺自身も何か対策を考えなければならない。

 

 ……銃か。

 

 この世界へ来てから、何度も見ている。

 

 だが、俺はまだまともに扱ったことがない。

 

 剣と魔法で戦ってきた人間にとって、銃は少し馴染みが薄い。

 

 それでも、必要なら覚えるべきだろう。

 

 俺は最後の一振りを終え、剣を鞘へ収めた。

 

 ……今度、マーカスに相談してみるか。

 

     ◇

 

 午前八時。

 

 俺は居間で朝食を取っていた。

 

 リクとミナは、昨日の勉強の続きをしている。

 

 シルヴァは二人の近くに伏せ、時々顔を上げていた。

 

「カイお兄ちゃん」

 

 ミナが俺を見た。

 

「今日はお仕事?」

 

「ああ。少し出かける」

 

「帰ってくる?」

 

 俺は笑った。

 

「もちろん」

 

 ミナは安心したように頷いた。

 

 リクが顔を上げる。

 

「昨日、何かあった?」

 

 俺は少し考えた。

 

「ちょっと危ないことはあった。でも、みんな無事だ」

 

 リクは眉をひそめた。

 

「……本当に?」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「怪我もしてない」

 

 少年はしばらく俺を見つめていた。

 

 そして、小さく息を吐いた。

 

「……分かった」

 

 俺はリクの頭を軽く撫でた。

 

「心配かけて悪いな」

 

「……別に」

 

 リクは少し照れくさそうに顔を逸らした。

 

 ……素直じゃないな。

 

 だが、そういうところも年相応で微笑ましい。

 

 俺は食事を終え、立ち上がった。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

「いってらっしゃい!」

 

 ミナが元気よく手を振る。

 

 リクも頷いた。

 

「気をつけて」

 

 シルヴァが立ち上がり、俺の足元へ近づいてきた。

 

 俺はその頭を撫でた。

 

「今日も二人を頼むぞ」

 

 霊狼は青い瞳を細め、尾を揺らした。

 

 ……よし。

 

 俺は部屋を出た。

 

     ◇

 

 午前九時半。

 

 ヴィクターのバー。

 

 奥の個室には、いつもの顔ぶれが集まっていた。

 

 ヴィクター。

 

 エリオット。

 

 ノア。

 

 マーカス。

 

 レナ。

 

 そして、今日はガレスもいる。

 

 大柄な男は椅子に座り、修理途中の右腕を動かしていた。

 

「……よう、ガキ」

 

「おはよう、ガレス」

 

「……相変わらず元気そうだな」

 

「そっちもな」

 

 俺は笑った。

 

 ガレスは鼻を鳴らした。

 

「……俺の腕を斬った奴が、よく言うぜ」

 

「まだ根に持ってるのか?」

 

「当たり前だろうが」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「じゃあ、次は撃たないでくれよ」

 

 ガレスは一瞬黙った。

 

 そして、低く笑った。

 

「……言いやがる」

 

 ヴィクターが手を叩いた。

 

「そこまでだ。仕事の話をするぞ」

 

 俺たちは席についた。

 

 ノアが端末を操作する。

 

 テーブルの中央に、旧研究施設の立体地図が表示された。

 

「……昨日の偵察結果を整理した」

 

 俺は画面を見た。

 

 地上施設。

 

 警備員の配置。

 

 監視カメラ。

 

 武装ドローン。

 

 そして、北側の排水路。

 

 ノアは排水路の部分を拡大した。

 

「……ここが、次の調査対象」

 

 俺は頷いた。

 

「……地下第一階層へ繋がっている可能性がある場所だな」

 

「……そう」

 

 ノアは続けた。

 

「ただし、通行可能かどうかは不明」

 

 ヴィクターが腕を組んだ。

 

「今日はそこを確認する。ただし、施設内には入らねえ」

 

 俺は頷いた。

 

 ……まずは入口の確認か。

 

 それなら、昨日よりは危険が少ないかもしれない。

 

 もちろん、油断はできない。

 

     ◇

 

「……一つ、問題がある」

 

 ノアが口を開いた。

 

 俺たちは彼女を見た。

 

「……何だ?」

 

 ヴィクターが尋ねる。

 

「……昨日のドローン」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……ああ」

 

 ノアは画面を切り替えた。

 

 そこには、俺が雷で撃ち落としたドローンの映像が表示されていた。

 

「……あの機体は、通常の警備ドローンではない」

 

 俺は首を傾げた。

 

「……どういうことだ?」

 

「……軍用の監視機能を搭載している」

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……なるほど。

 

 だから、あれほど反応が速かったのか。

 

「……それって、ミリテク製?」

 

 俺が尋ねると、ノアは首を横に振った。

 

「……断定できない」

 

 ヴィクターが頷いた。

 

「軍用技術を使っているからといって、製造元や運用者がミリテクとは限らねえ」

 

 俺は頷いた。

 

 ……確かに。

 

 今のところ、ミリテクとの関係は状況証拠ばかりだ。

 

 勝手に決めつけるべきではない。

 

「……それと」

 

 ノアが続けた。

 

「……昨日の雷撃で、こちらの能力がさらに知られた可能性がある」

 

 俺は少し考えた。

 

 ……まあ、そうだろうな。

 

 あれだけ派手な雷を落とせば、目立たないわけがない。

 

「……すまない」

 

 俺が言うと、ノアは首を横に振った。

 

「……私を守るためだった」

 

 そして、少しだけ笑った。

 

「……ありがとう」

 

 俺は少し照れくさくなった。

 

「……どういたしまして」

 

 ガレスが鼻を鳴らした。

 

「……お前、本当に雷を出せるのか?」

 

 俺は彼を見た。

 

「……まあな」

 

「……どういう仕組みだ?」

 

「秘密」

 

 ガレスは眉をひそめた。

 

「……ふざけんな」

 

「教えられないものは教えられない」

 

 俺は肩をすくめた。

 

 ガレスはしばらく俺を睨んでいた。

 

 そして、諦めたように息を吐いた。

 

「……まったく、面倒なガキだ」

 

 ……よく言われる。

 

     ◇

 

 午前十一時。

 

 俺たちは再び旧研究施設の周辺へ向かった。

 

 ただし、今回は昨日とは違う場所から接近する。

 

 北側の排水路。

 

 そこへ続く古い道路は、ほとんど使われていないらしい。

 

 車は途中で停め、残りは徒歩で進むことになった。

 

 参加するのは、俺、マーカス、レナの三人。

 

 ノアは離れた場所から通信と監視を担当する。

 

 ガレスは別の車で待機し、緊急時の撤退支援を行う。

 

 ヴィクターとエリオットは後方から全体を管理する。

 

 俺は歩きながら、周囲を確認した。

 

 古い工場。

 

 錆びた配管。

 

 崩れかけた壁。

 

 そして、雑草の生えた空き地。

 

 ……元の世界の廃墟と、少し似ているな。

 

 違うのは、魔力の気配がないことくらいか。

 

「……カイ」

 

 レナが声をかけた。

 

「ん?」

 

「足元、気をつけて」

 

 俺は視線を下げた。

 

 地面には、古い金属片が散らばっている。

 

 錆びた釘。

 

 割れたガラス。

 

 そして、鋭い鉄板。

 

「……ありがとう」

 

 俺は頷いた。

 

 レナは笑った。

 

「その剣で全部斬れそうだけどね」

 

「……そんなことしないよ」

 

 俺は苦笑した。

 

 確かに、剣で金属を斬ることはできる。

 

 だが、何でもかんでも斬っていたら、剣がいくらあっても足りない。

 

 それに、目立つ。

 

 今は静かに進むべきだ。

 

     ◇

 

 しばらく歩くと、目的の排水路が見えてきた。

 

 幅は二メートルほど。

 

 深さは一メートル半くらい。

 

 コンクリートで作られた古い水路だ。

 

 底には、少量の濁った水が流れている。

 

 そして、その先。

 

 大きな円形の排水管が、地面の下へ続いていた。

 

「……あれか」

 

 俺が呟くと、マーカスが頷いた。

 

「ああ」

 

 レナが双眼鏡を覗く。

 

「……入口には金属製の格子があるね」

 

 俺も確認した。

 

 確かに、排水管の入口には鉄格子が設置されている。

 

 だが、その一部が歪んでいた。

 

 ……誰かが動かした跡か?

 

「……近づいてみよう」

 

 マーカスが言った。

 

 俺たちは慎重に水路へ降りた。

 

 足元は滑りやすい。

 

 俺は壁へ手をつきながら進んだ。

 

 排水管の入口へ到着する。

 

 鉄格子は、思っていたより古かった。

 

 錆びた金属。

 

 緩んだ固定具。

 

 そして、最近動かされたような擦り傷。

 

「……誰かが通ったな」

 

 レナが呟いた。

 

 俺も頷いた。

 

 ……間違いなさそうだ。

 

 マーカスが格子を調べる。

 

「……固定具が一つ外されてる」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……つまり、開けられる?」

 

「ああ」

 

 マーカスは頷いた。

 

「ただし、無理に動かすと音が出る」

 

 俺は少し考えた。

 

 ……音か。

 

 今は偵察だ。

 

 ここで大きな音を立てるのは避けたい。

 

「……今日は無理に開けない方がいいな」

 

 俺が言うと、マーカスも頷いた。

 

「同感だ」

 

 レナが端末を取り出した。

 

「写真だけ撮っておこう」

 

 俺たちは格子の状態を記録した。

 

 そして、周囲を確認する。

 

 そのときだった。

 

 俺は、排水管の奥に何かが落ちていることに気づいた。

 

「……ん?」

 

 俺は目を細めた。

 

 暗い排水管の内部。

 

 水の流れる音。

 

 そして、壁際に小さな物体が見える。

 

「……あれ、何だ?」

 

 俺が指差すと、レナがライトを向けた。

 

 光が奥を照らす。

 

 そこには、小さな金属片が落ちていた。

 

 いや。

 

 金属片ではない。

 

 ……何かの部品か?

 

 マーカスが目を細めた。

 

「……義体の部品に見えるな」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……義体?」

 

「ああ」

 

 マーカスは頷いた。

 

「人工関節の一部かもしれねえ」

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……なるほど。

 

 誰かがここを通った。

 

 そして、義体の部品らしいものが落ちている。

 

 もしかすると。

 

 ……施設から逃げ出した人間がいたのか?

 

     ◇

 

「……ノア」

 

 俺は通信端末へ声をかけた。

 

『……聞こえる』

 

「排水管の中に、義体の部品らしいものが落ちてる」

 

『……映像を送って』

 

「分かった」

 

 レナが撮影した映像を送信する。

 

 数秒後。

 

 ノアの声が聞こえた。

 

『……確認した』

 

「……何か分かる?」

 

『……古い神経接続用の部品に似てる』

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……プロジェクト・キメラと関係ある?」

 

『……可能性はある。でも、断定できない』

 

 俺は頷いた。

 

 ……そうだよな。

 

 この世界では、義体の部品なんて珍しくない。

 

 ただし、場所が場所だ。

 

 無関係だと決めつけるのも早い。

 

「……回収した方がいいか?」

 

 俺が尋ねると、ノアは少し考えた。

 

『……できれば。でも、危険なら無理しないで』

 

 俺は排水管の奥を見た。

 

 部品は、格子から二メートルほど先にある。

 

 手を伸ばしても届かない。

 

 格子を開ける必要がある。

 

 ……どうするか。

 

 俺は少し考えた。

 

 そして、マーカスへ顔を向けた。

 

「……少しだけ、格子を動かせるか?」

 

 マーカスは頷いた。

 

「できる。ただし、音を抑える必要がある」

 

 レナが周囲を確認した。

 

「今のところ、警備の気配はないよ」

 

 俺は頷いた。

 

「じゃあ、慎重にやろう」

 

 マーカスが固定具を外す。

 

 俺は格子を支える。

 

 金属が小さく軋んだ。

 

 ――ギィ……。

 

 俺たちは動きを止めた。

 

 周囲に耳を澄ませる。

 

 ……大丈夫そうだ。

 

 マーカスが頷いた。

 

 俺たちはゆっくりと格子を開いた。

 

 人一人が通れる程度の隙間ができる。

 

 俺は腰を屈め、排水管の中へ入った。

 

 湿った空気。

 

 金属の匂い。

 

 そして、僅かな腐敗臭。

 

 ……あまり長居したくない場所だな。

 

 俺は部品の近くへ進んだ。

 

 それを拾い上げる。

 

 小さな金属製の接続部品。

 

 片側には、細い配線が残っている。

 

 そして、表面には何かの番号が刻まれていた。

 

「……番号がある」

 

 俺は通信で伝えた。

 

『……読める?』

 

 ノアが尋ねる。

 

 俺はライトを向けた。

 

「……C、H、M……ゼロ、ゼロ、七」

 

 通信の向こうで、沈黙があった。

 

 そして。

 

『……もう一度』

 

 ノアの声が少し変わった。

 

 俺は番号を読み直した。

 

「……CHM-007」

 

 数秒後。

 

 ノアが低く呟いた。

 

『……一致した』

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……何と?」

 

『……プロジェクト・キメラの被験者番号』

 

 俺は息を止めた。

 

 ……何だって?

 

『……CHM-007。記録上、死亡が確認されていない被験者の一人』

 

 俺は手の中の部品を見つめた。

 

 ……なるほど。

 

 これは、単なる偶然ではないかもしれない。

 

 この排水路を通った誰かが、被験者の一人だった可能性がある。

 

 そして、その人間は。

 

 ……施設から逃げ出したのか?

 

     ◇

 

「……カイ、戻れ」

 

 マーカスの声が聞こえた。

 

 俺は顔を上げた。

 

「……どうした?」

 

「……何か来る」

 

 俺は耳を澄ませた。

 

 排水管の奥。

 

 水の流れる音に混じって、微かな金属音が聞こえる。

 

 ――カン……。

 

 ――カン……。

 

 規則的な音。

 

 まるで、硬いものがコンクリートへ当たっているようだった。

 

 俺は目を細めた。

 

 ……誰かいる?

 

「……レナ、マーカス」

 

 俺は小声で言った。

 

「奥から音がする」

 

『……確認した』

 

 レナが答えた。

 

『……カイ、無理に進まないで』

 

「分かってる」

 

 俺は頷いた。

 

 だが、そのとき。

 

 暗闇の奥で、何かが動いた。

 

 俺は身体を低くした。

 

 ……人影?

 

 ライトを向ける。

 

 光の先。

 

 そこに、一人の人間が立っていた。

 

 いや。

 

 人間だったもの、と言うべきだろうか。

 

 痩せた身体。

 

 片腕は金属製の義手。

 

 片脚も機械化されている。

 

 そして、首筋には複数の接続端子が埋め込まれていた。

 

 男だった。

 

 年齢は三十代くらいだろうか。

 

 顔色は悪く、目の下には深い隈がある。

 

 彼は壁へ寄りかかりながら、こちらを見つめていた。

 

 俺は息を呑んだ。

 

 ……まさか。

 

「……大丈夫か?」

 

 俺は静かに声をかけた。

 

 男は反応しなかった。

 

 ただ、こちらを見ている。

 

 俺は剣へ手を伸ばさず、ゆっくりと両手を見せた。

 

「……俺は敵じゃない」

 

 男の唇が動いた。

 

 だが、声は出なかった。

 

 俺は一歩だけ近づいた。

 

「……助けが必要か?」

 

 その瞬間。

 

 男の身体が大きく震えた。

 

 ――ガクンッ!

 

 機械化された腕が、不自然な角度で動く。

 

 男は苦しそうに顔を歪めた。

 

「……に……げ……」

 

 俺は目を見開いた。

 

「……何?」

 

 男は必死に声を絞り出した。

 

「……逃げ……ろ……!」

 

 次の瞬間。

 

 男の義眼が赤く光った。

 

 ――ピッ。

 

 短い電子音。

 

 俺は反射的に身構えた。

 

 男の機械化された右腕が持ち上がる。

 

 その先には、小型の銃口があった。

 

 ……まずい!

 

 俺は横へ飛んだ。

 

 ――ダダダッ!

 

 銃声が排水管の中へ響いた。

 

 弾丸が壁へ突き刺さる。

 

 俺は地面へ転がり、すぐに体勢を立て直した。

 

 ……何だ!?

 

 男は苦しそうに叫んでいた。

 

「……やめ……ろ……!」

 

 だが、腕は止まらない。

 

 まるで、本人の意思とは無関係に動いているようだった。

 

 俺は歯を食いしばった。

 

 ……まさか。

 

 エマが話していた、神経制御実験。

 

 本人の意思に関係なく、身体を動かす技術。

 

 ……これが、それなのか?

 

     ◇

 

「カイ!」

 

 マーカスの声が響いた。

 

 俺は叫んだ。

 

「来るな! 撃たれる!」

 

 男の腕が再びこちらへ向く。

 

 俺は壁を蹴って距離を詰めた。

 

 銃口の向きを見極める。

 

 発射される前に、射線から外れる。

 

 そして、男の右腕を掴んだ。

 

 ――ガキンッ!

 

 金属同士がぶつかる音。

 

 ……重い!

 

 義手の力は、想像以上だった。

 

 俺は両足を踏ん張り、腕を押さえ込んだ。

 

 男が苦しそうに叫ぶ。

 

「……殺……して……!」

 

 俺は首を横に振った。

 

「断る!」

 

 男の目が見開かれた。

 

「……何……?」

 

「助けてほしいなら、そう言え!」

 

 俺は叫んだ。

 

 男の身体が震える。

 

 機械化された脚が、不自然に動いた。

 

 俺は膝を使ってその動きを止める。

 

 ……くそっ。

 

 このままでは、男の身体に負担がかかりすぎる。

 

 どうする?

 

 剣で義手を斬るか?

 

 だが、接続部分を傷つければ、本人の神経系にも影響が出るかもしれない。

 

 雷の奇跡も危険だ。

 

 機械部分だけを破壊できたとしても、神経接続装置まで損傷する可能性がある。

 

 ……なら。

 

 俺は一つの方法を思いついた。

 

 昼と太陽の神の祝福。

 

 仲間を癒すための力。

 

 俺自身には使えないが、他人を治療することはできる。

 

 ただし、機械そのものを修理する力ではない。

 

 ……それでも。

 

 男の身体に負担がかかっているなら、少しは助けられるかもしれない。

 

 俺は左手を男の肩へ当てた。

 

「……少し我慢してくれ」

 

 そして、祝福を発動した。

 

 ――ふわり。

 

 柔らかな金色の光が、俺たちを包む。

 

 男の身体が僅かに震えた。

 

 俺は意識を集中する。

 

 傷ついた筋肉。

 

 負担のかかった神経。

 

 そして、極度に疲弊した身体。

 

 それらを癒すように、力を流し込む。

 

 ……頼む。

 

 少しでも、楽になってくれ。

 

 数秒後。

 

 男の呼吸が、僅かに落ち着いた。

 

 だが、義手はまだ動こうとしている。

 

 ……やっぱり、制御装置そのものは止められないか。

 

 俺は歯を食いしばった。

 

 ……なら、別の方法だ。

 

「マーカス!」

 

 俺は叫んだ。

 

「こいつの義手を止められるか!?」

 

 マーカスが排水管へ入ってきた。

 

 男の状態を見ると、すぐに顔をしかめた。

 

「……神経制御型か!」

 

「分かるのか!?」

 

「完全には分からねえ! だが、似たような装置は見たことがある!」

 

 マーカスは男の首筋を確認した。

 

「……外部制御用の接続端子がある!」

 

 俺は顔を上げた。

 

「……止められる?」

 

「……ノアに聞け!」

 

 俺は通信端末へ叫んだ。

 

「ノア! 聞こえるか!?」

 

『……聞こえる!』

 

「神経制御装置を止めたい! 方法は!?」

 

 数秒の沈黙。

 

 そして、ノアの声。

 

『……接続端子の型番を送って!』

 

 マーカスが素早く撮影した。

 

 映像を送信する。

 

 俺は男の義手を押さえ続けた。

 

 ……頼む。

 

 早く。

 

 男は苦しそうに呻いている。

 

 金色の光が、身体の損傷を癒していく。

 

 だが、制御装置は止まらない。

 

 ……くそっ。

 

 やっぱり、機械は厄介だ。

 

 そのとき。

 

『……分かった!』

 

 ノアの声が響いた。

 

『首の後ろ、右側に緊急遮断スイッチがある!』

 

 俺は顔を上げた。

 

「……マーカス!」

 

「見えてる!」

 

 マーカスが男の首筋へ手を伸ばす。

 

 小さなカバーを外す。

 

 その下に、赤いスイッチがあった。

 

「……これか!」

 

『……そう! ただし、押すと義体の制御が一時停止する!』

 

 俺は頷いた。

 

「……構わない!」

 

 マーカスがスイッチを押した。

 

 ――カチッ。

 

 次の瞬間。

 

 男の義手が、力を失った。

 

 機械化された脚も動きを止める。

 

 男の身体が崩れ落ちた。

 

 俺は慌てて支えた。

 

「……大丈夫か!?」

 

 男は荒い息を吐いていた。

 

 だが、先ほどまでの苦痛に歪んだ表情は、少し和らいでいる。

 

 俺は金色の光を弱め、必要な治療だけを続けた。

 

 ……よかった。

 

 少なくとも、今すぐ命を落とす状態ではなさそうだ。

 

     ◇

 

「……カイ」

 

 レナが排水管の入口から声をかけた。

 

「……どうした?」

 

「……まずい。施設の方で動きがある」

 

 俺は顔を上げた。

 

「……警備?」

 

「ああ。ドローンが二機、こっちへ向かってる」

 

 俺は眉をひそめた。

 

 ……まずいな。

 

 さっきの銃声を聞かれたか。

 

 それとも、この男の位置を追跡しているのか。

 

 どちらにしても、長居はできない。

 

「……マーカス、この人を運べるか?」

 

 俺が尋ねると、男は頷いた。

 

「ああ。ただし、義体が重い」

 

 俺は男の身体を支えた。

 

「……俺も手伝う」

 

 マーカスが頷いた。

 

 俺たちは慎重に男を持ち上げた。

 

 義体の重量はかなりのものだった。

 

 だが、俺の身体能力なら運べる。

 

 問題は、狭い排水管だ。

 

 俺たちはゆっくりと出口へ向かった。

 

 そのとき。

 

 男が、小さく声を出した。

 

「……ま……て……」

 

 俺は足を止めた。

 

「……何だ?」

 

 男は苦しそうに目を開いた。

 

 そして、震える声で言った。

 

「……まだ……いる……」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……何が?」

 

 男は必死に言葉を絞り出した。

 

「……地下……に……」

 

 俺は息を呑んだ。

 

 ……まさか。

 

「……ほかの被験者か?」

 

 男は僅かに頷いた。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……やっぱり。

 

 地下には、まだ人がいる。

 

 そして、この男はそこから逃げてきた。

 

「……分かった」

 

 俺は男へ声をかけた。

 

「必ず調べる」

 

 男の目が僅かに動いた。

 

「……たの……む……」

 

 俺は頷いた。

 

「ああ」

 

 そして、マーカスへ顔を向けた。

 

「……行こう」

 

 俺たちは排水管の出口へ向かった。

 

     ◇

 

 排水路を出ると、レナが周囲を警戒していた。

 

 遠くの空に、黒い点が二つ見える。

 

 ……ドローンか。

 

 俺は男を支えながら、状況を確認した。

 

 ここから車まで、まだ少し距離がある。

 

 ドローンの方が先に到着する可能性が高い。

 

「……マーカス」

 

「何だ?」

 

「この人を頼む」

 

 俺は男の身体を預けた。

 

 マーカスが頷く。

 

「……お前は?」

 

「少しだけ、時間を稼ぐ」

 

 レナが顔をしかめた。

 

「……カイ、無茶しないで」

 

「分かってる」

 

 俺は答えた。

 

「できるだけ戦わずに済ませる」

 

 そして、周囲を確認した。

 

 古い建物。

 

 崩れた壁。

 

 錆びた配管。

 

 ……遮蔽物は多い。

 

 なら、ドローンの視界を遮りながら撤退できるかもしれない。

 

 俺は通信端末へ声をかけた。

 

「ノア、ドローンの位置は?」

 

『……二機。北東から接近中』

 

「……武装は?」

 

『……一機は監視型。もう一機は武装型の可能性が高い』

 

 俺は頷いた。

 

 ……なるほど。

 

 なら、まずは視界を切る。

 

「……レナ、煙幕はあるか?」

 

 俺が尋ねると、彼女は少し笑った。

 

「……あるよ」

 

 腰のポーチから、小さな筒状の装置を取り出す。

 

「……使う?」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「車までの道を隠したい」

 

 レナは頷いた。

 

「了解」

 

 彼女が装置を地面へ投げた。

 

 ――プシュウウウッ!

 

 白い煙が勢いよく広がる。

 

 周囲の視界が一気に悪くなった。

 

 俺はマーカスへ声をかけた。

 

「……今だ!」

 

 俺たちは走り出した。

 

 煙の中。

 

 足元の悪い地面。

 

 そして、背後から近づくドローンの音。

 

 ……急げ!

 

 俺は男の身体を支えながら走った。

 

 マーカスも必死に足を動かす。

 

 レナが先行し、道を確認している。

 

 数十秒後。

 

 俺たちは車へ到着した。

 

 後部座席へ男を寝かせる。

 

 俺も乗り込む。

 

 マーカスが運転席へ飛び込んだ。

 

「……出すぞ!」

 

 車が急発進する。

 

 背後で、ドローンの機械音が聞こえた。

 

 だが、煙幕と建物の陰に遮られ、すぐには追跡できないようだった。

 

 俺は窓の外を確認した。

 

 ……よし。

 

 今のところ、追ってこない。

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

 ……何とか逃げられたな。

 

     ◇

 

 午後二時。

 

 俺たちはワトソンの小さな診療所へ到着した。

 

 ヴィクターが手配した医師が、すでに待っていた。

 

 男はすぐに診察室へ運ばれた。

 

 俺は廊下で待機していた。

 

 しばらくして、医師が出てくる。

 

「……命に別状はない」

 

 俺は安心した。

 

「……よかった」

 

 医師は続けた。

 

「ただし、義体の状態がかなり悪い。神経接続装置にも問題がある」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……治せますか?」

 

「時間はかかるが、可能性はある」

 

 俺は頷いた。

 

 ……それなら、よかった。

 

 少なくとも、助ける方法はある。

 

「……それと」

 

 医師が俺を見た。

 

「君が施した治療について、少し聞きたい」

 

 俺は苦笑した。

 

「……詳しくは説明できません」

 

 医師はしばらく俺を見つめていた。

 

 そして、肩をすくめた。

 

「……まあ、そうだろうな」

 

 俺は少し安心した。

 

 ……助かった。

 

 あまり追及されると、困るからな。

 

     ◇

 

 夕方。

 

 男の意識が戻った。

 

 俺はヴィクター、ノア、エリオットと共に病室へ入った。

 

 男は寝台に横たわっていた。

 

 機械化された腕と脚は、まだ動かない。

 

 だが、顔色は少し良くなっている。

 

 俺は椅子へ座った。

 

「……気分はどうですか?」

 

 男はゆっくりと目を開いた。

 

「……生きて……いるのか……」

 

 俺は頷いた。

 

「はい」

 

 男はしばらく天井を見つめていた。

 

 そして、小さく笑った。

 

「……そうか……」

 

 俺は少し考えた。

 

「……名前を聞いてもいいですか?」

 

 男はゆっくりと答えた。

 

「……ダニエル……」

 

「ダニエルさんですね」

 

 俺は頷いた。

 

「俺はカイです」

 

 男は僅かに顔を動かした。

 

「……カイ……」

 

「はい」

 

 俺は答えた。

 

「あなたを助けた者です」

 

 ダニエルはしばらく俺を見つめていた。

 

 そして、震える声で言った。

 

「……ありがとう……」

 

 俺は笑った。

 

「どういたしまして」

 

 少し間を置いてから、俺は尋ねた。

 

「……一つ、聞いてもいいですか?」

 

 ダニエルは頷いた。

 

「……何だ……」

 

「……あなたは、旧ヘリックス研究施設から逃げてきたんですか?」

 

 男の表情が変わった。

 

 恐怖。

 

 そして、深い疲労。

 

 俺は静かに続けた。

 

「……無理に話さなくても大丈夫です」

 

 ダニエルはしばらく黙っていた。

 

 そして、小さく頷いた。

 

「……ああ……」

 

 俺は息を呑んだ。

 

 ……やはり。

 

「……地下には、ほかにも人がいるんですか?」

 

 ダニエルは目を閉じた。

 

 そして、震える声で答えた。

 

「……いる……」

 

 俺は拳を握った。

 

「……何人くらい?」

 

 男は少し考えた。

 

「……六人……」

 

 俺は顔を上げた。

 

 ……六人。

 

 ノアが見つけた、死亡記録のない被験者は七人。

 

 そして、目の前のダニエル。

 

 ……数が一致する。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……やっぱり、あの施設にはまだ人がいる。

 

     ◇

 

「……ダニエルさん」

 

 俺は静かに声をかけた。

 

「……何だ……」

 

「……その六人は、今も生きていますか?」

 

 男はしばらく黙っていた。

 

 そして、小さく頷いた。

 

「……少なくとも……俺が逃げたときは……」

 

 俺は頷いた。

 

 ……よかった。

 

 まだ、助けられる可能性がある。

 

「……どこにいるんですか?」

 

 ダニエルは目を閉じた。

 

 そして、ゆっくりと答えた。

 

「……地下……第三階層……」

 

 俺は息を呑んだ。

 

 ……地下三階。

 

 エマが入ったことのない区画だ。

 

 そして、最も警備が厳しい可能性がある場所。

 

 俺は静かに頷いた。

 

「……分かりました」

 

 ダニエルは俺を見つめた。

 

「……助けて……くれるのか……?」

 

 俺は少し考えた。

 

 そして、答えた。

 

「……助ける方法を探します」

 

 男は僅かに目を見開いた。

 

 俺は続けた。

 

「必ず成功するとは言えません。でも、何もしないつもりはありません」

 

 ダニエルはしばらく俺を見つめていた。

 

 そして、小さく頷いた。

 

「……頼む……」

 

 俺は頷いた。

 

「ああ」

 

     ◇

 

 その夜。

 

 ヴィクターのバー。

 

 奥の個室には、再び仲間たちが集まっていた。

 

 テーブルの中央には、旧研究施設の立体地図。

 

 そして、ダニエルから得た情報。

 

 地下第三階層。

 

 六人の被験者。

 

 神経制御装置。

 

 軍用義体の兵士。

 

 俺は腕を組んだ。

 

 ……いよいよ、核心に近づいてきたな。

 

 ヴィクターが口を開いた。

 

「……これで、救出対象の位置がある程度分かった」

 

 俺は頷いた。

 

「……ああ」

 

「だが、問題はどうやって入るかだ」

 

 ノアが地図を拡大した。

 

「……北側の排水路から、地下第一階層へ入れる可能性がある」

 

 俺は頷いた。

 

「……今日、実際に人が通れることは確認できた」

 

 マーカスが続けた。

 

「ただし、そこから地下三階へ行くには、警備を突破する必要がある」

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……そうだな。

 

 問題はそこだ。

 

 地下三階。

 

 六人の被験者。

 

 そして、敵の警備。

 

 正面から戦えば、被験者たちが巻き込まれる可能性がある。

 

 ……なら。

 

 俺は一つの提案をした。

 

「……まず、ダニエルさんから詳しい構造を聞こう」

 

 ヴィクターが頷いた。

 

「そうだな」

 

「それと、できれば施設の通信を遮断したい」

 

 ノアが顔を上げた。

 

「……可能性はある」

 

 俺は続けた。

 

「敵が外部へ救援を呼べないようにする。監視装置も、できるだけ止める」

 

 ヴィクターが腕を組んだ。

 

「……なるほど」

 

 俺は静かに言った。

 

「……そして、被験者たちを連れ出す」

 

 室内が静かになった。

 

 マーカスが笑った。

 

「……言うのは簡単だな」

 

 俺は苦笑した。

 

「……分かってる」

 

 だが、やるしかない。

 

 六人。

 

 まだ、生きている可能性がある。

 

 なら。

 

 俺は、その命を見捨てるつもりはなかった。

 

     ◇

 

 同じ頃。

 

 旧ヘリックス研究施設。

 

 地下第三階層。

 

 ドクター・エイドリアン・ヴォスは、監視映像を見つめていた。

 

 そこには、排水路で撮影された映像が表示されている。

 

 黒髪の少年。

 

 金色の光。

 

 そして、倒れた被験者を助ける姿。

 

 ヴォスは静かに呟いた。

 

「……やはり、興味深い」

 

 隣の研究員が口を開いた。

 

「……ドクター。被験者CHM-007が逃走しました」

 

 ヴォスは頷いた。

 

「……知っている」

 

「……回収部隊を出しますか?」

 

 ヴォスは少し考えた。

 

 そして、首を横に振った。

 

「……いや」

 

 研究員が驚いた顔をした。

 

「……よろしいのですか?」

 

 ヴォスは画面を指差した。

 

「……この少年が、どこまでできるのか見てみたい」

 

 研究員は黙った。

 

 ヴォスは続けた。

 

「……彼は、通常の医療技術では説明できない方法で被験者を治療した」

 

 その目には、冷たい興味が宿っていた。

 

「……もし、その能力を解析できれば」

 

 男は小さく笑った。

 

「……キメラ計画は、次の段階へ進める」

 

 研究員が頷いた。

 

「……では、どうしますか?」

 

 ヴォスは静かに答えた。

 

「……施設の警備を強化しろ」

 

 そして、画面を切り替えた。

 

 そこには、六人の被験者が映っていた。

 

 全身義体。

 

 神経接続装置。

 

 そして、赤く光る義眼。

 

 ヴォスは低く呟いた。

 

「……彼が来るなら、歓迎しよう」

 

 男は端末を操作した。

 

 画面に、新しい指示が表示される。

 

 PROJECT CHIMERA

 

 PHASE 4:神経制御試験

 

 開始まで、残り24時間。

 

 ヴォスは満足そうに頷いた。

 

「……準備を進めたまえ」

 

 研究員が頭を下げる。

 

 そして、部屋を出ていった。

 

 残されたヴォスは、黒髪の少年の映像を見つめていた。

 

「……カイ」

 

 その声には、研究者としての好奇心と、冷たい執着が混じっていた。

 

「……君は、どんな秘密を持っているんだ?」

 

 その問いに答える者は、まだいなかった。

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