神々の剣士は電脳都市で生きる   作:アイエオ

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第二十八話 黒鋼の番人

神々の剣士、地下第二階層の死闘

 剣を握るとき、俺が最初に考えるのは、相手をどう倒すかではない。

 

 どうすれば、戦わずに済むか。

 

 次に、どうすれば殺さずに済むか。

 

 そして、そのどちらも不可能だったとき、初めて命を奪う覚悟を決める。

 

 勇者一行で旅をしていた頃、師匠から叩き込まれた考え方だ。

 

 もっとも、目の前で銃口を向けてくる相手に、悠長な説得が通じるとは思っていない。

 

 ましてや、相手は全身を黒い装甲で覆った軍用義体兵。

 

 以前、ノアを守るために戦った連中とよく似ている。

 

 あのときは三体を相手にし、一体を戦闘不能に、残る二体を殺した。

 

 今回も同じように戦えばいい。

 

 ……とは、残念ながらいかない。

 

 場所が悪すぎる。

 

 幅の狭い階段。

 

 背後にはマーカスとガレス。

 

 さらに上階にはノアとオスカーが残っている。

 

 ここで雷の奇跡を放てば、敵を倒せるかもしれない。

 

 だが、電撃が金属製の手すりや配管へ流れ、仲間を巻き込む危険がある。

 

 それに、相手の背後には救出すべき被験者たちがいるかもしれない。

 

 ……だったら、やることは一つだ。

 

 俺は剣を構え直した。

 

 相手が引き金を引くより先に、その銃を使えなくする。

 

     ◇

 

 午後八時十二分。

 

 旧ヘリックス研究施設、地下第二階層へ続く非常階段。

 

『……対象、カイ。抵抗行動を確認』

 

 黒い装甲の兵士が右腕を持ち上げた。

 

 手首の装甲が開き、内部から短い銃身がせり出す。

 

 俺は、その動きが始まった瞬間に踏み込んだ。

 

 石段を二段飛ばしで下り、相手の右側へ身体を滑り込ませる。

 

 ――ダダダダッ!

 

 銃声が狭い階段に響いた。

 

 弾丸が俺のいた場所を通過し、背後の壁を削る。

 

 マーカスが叫んだ。

 

「カイ! 右へ寄れ!」

 

 俺は兵士の腕の内側へ潜り込んだ。

 

 長剣を下から跳ね上げる。

 

 狙いは、肘関節の駆動部。

 

 ――ギィンッ!

 

 硬い手応え。

 

 刃が装甲の継ぎ目へ食い込み、金属片が飛び散った。

 

 だが、切断には至らない。

 

 ……硬い!

 

 以前戦った兵士より、関節の保護が厚い。

 

 敵は右腕を引き、左腕を振り下ろした。

 

 俺は剣を横に構え、その一撃を受け流す。

 

 ――ガァンッ!

 

 衝撃が腕へ伝わった。

 

 足元の段差が砕け、靴底が滑る。

 

 危うく体勢を崩しかけたところへ、敵の膝が迫った。

 

 俺は腰を落としてかわし、相手の足首を蹴り払った。

 

 しかし、びくともしない。

 

 ……こいつ、相当重いな。

 

 おそらく装甲を含めれば、普通の人間の三倍以上はある。

 

 しかも、機械化された身体は人間のように痛みで動きを止めない。

 

 敵の左腕が再び動いた。

 

 今度は俺の首を掴もうとしている。

 

 俺は一歩引き、剣の柄頭を相手の手首へ叩き込んだ。

 

 その隙に、マーカスが発砲する。

 

 ――パンッ、パンッ!

 

 銃弾が兵士の左肩へ命中した。

 

 装甲表面で火花が散る。

 

 致命傷にはならない。

 

 だが、一瞬だけ相手の姿勢が乱れた。

 

「カイ! 膝だ!」

 

 マーカスが叫んだ。

 

 俺は即座に動いた。

 

 右足を踏み込み、長剣を斜め下へ振り抜く。

 

 狙うのは、膝裏の可動部。

 

 ――ザンッ!

 

 今度は刃が通った。

 

 人工筋肉の束が切れ、油圧液らしいものが飛び散る。

 

 兵士の右膝が折れた。

 

 ――ガシャァンッ!

 

 巨体が階段へ倒れ込む。

 

 俺はすぐに距離を取った。

 

 だが、敵はまだ動いていた。

 

 左腕を床へつき、上半身を起こそうとする。

 

 右腕の銃口が、再びこちらへ向いた。

 

 ……しつこいな!

 

 俺は床を蹴った。

 

 銃口の正面から外れ、相手の右側へ回り込む。

 

 剣を振り下ろす。

 

 ――ガキンッ!

 

 右腕の銃身が根元から切断された。

 

 火花が散り、兵士の腕から黒煙が上がる。

 

 それでも、赤い義眼は消えなかった。

 

『……戦闘継続』

 

 俺は剣先を相手の首元へ向けた。

 

「もう動くな」

 

 返事はない。

 

 兵士は左腕を伸ばそうとした。

 

 俺はその手首を踏みつけ、関節の駆動部を剣で破壊した。

 

 ――バキンッ!

 

 ようやく、兵士の動きが止まった。

 

 赤い義眼だけが、俺を見上げている。

 

『……対象、拘束不能』

 

 俺は呼吸を整えた。

 

「拘束されるつもりはないからな」

 

 そして、剣を下ろした。

 

 ……殺さずに済んだか。

 

 少なくとも、今のところは。

 

     ◇

 

「……カイ!」

 

 マーカスが駆け寄ってきた。

 

「怪我は?」

 

「大丈夫。少し腕が痺れただけだ」

 

「本当か?」

 

「ああ」

 

 俺は右腕を動かしてみせた。

 

 骨に異常はなさそうだ。

 

 ただ、さっきの衝撃で肩の筋肉が少し痛む。

 

 地面に触れていれば豊穣の女神の祝福で回復が早まるが、ここは人工物だらけの地下施設だ。

 

 自然の土の上ほどの効果は期待できない。

 

 ……まあ、動けるなら問題ない。

 

 ガレスが倒れた兵士を見下ろした。

 

「……おい」

 

「何だ?」

 

「お前、あれだけ動いて、まだ余裕があるのか?」

 

「余裕ってほどじゃないよ」

 

 俺は答えた。

 

「こいつ、前に戦った連中より装甲が厚い」

 

 ガレスは眉をひそめた。

 

「……つまり、改良型ってことか?」

 

「可能性はあるな」

 

 俺は兵士の首元を見た。

 

 黒い装甲の隙間。

 

 人工皮膚のような素材。

 

 そして、そこに埋め込まれた複数の接続端子。

 

 ……ダニエルと似ている。

 

 俺は膝をついた。

 

「マーカス。この兵士、意識はあると思うか?」

 

 マーカスは少し考えた。

 

「分からねえ。全身義体の中には、脳だけ残してる奴もいる」

 

 俺は兵士へ顔を向けた。

 

「聞こえるか?」

 

 赤い義眼が動いた。

 

『……音声入力、確認』

 

「お前自身の意思で戦っているのか?」

 

 沈黙。

 

 俺は続けた。

 

「誰かに操られているなら、教えてくれ」

 

 兵士の義眼が一瞬だけ明滅した。

 

『……質問、処理不能』

 

 その直後。

 

『……警告。神経制御系への干渉を検知』

 

 俺は眉をひそめた。

 

 ……何だ?

 

『……外部命令、再同期』

 

 兵士の身体が僅かに震えた。

 

 俺は反射的に剣を構える。

 

 だが、今度は攻撃してこなかった。

 

 代わりに、スピーカーから別の声が流れた。

 

『……素晴らしい』

 

 男の声だった。

 

 落ち着いた、どこか楽しそうな声。

 

『君がカイだね』

 

 俺は剣を握り直した。

 

「……誰だ?」

 

『ドクター・エイドリアン・ヴォス』

 

 マーカスが顔をしかめた。

 

 ガレスが低く唸る。

 

「……研究責任者か」

 

 男の声が続いた。

 

『直接会うのは初めてだが、君のことはよく知っているよ』

 

「そうか。俺はあんたのことをほとんど知らない」

 

『それは残念だ』

 

 俺は倒れた兵士を見下ろした。

 

「こいつも、あんたの実験台なのか?」

 

 短い沈黙。

 

 そして、ヴォスは答えた。

 

『彼は優秀な試験機だ』

 

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなった。

 

「……試験機?」

 

『そうだ。高度な神経制御と軍用義体を統合した、次世代の戦闘プラットフォームだよ』

 

「俺が聞いてるのは、そういうことじゃない」

 

 俺は低い声で言った。

 

「中に人間がいるのか?」

 

 ヴォスは少し間を置いた。

 

『……もちろんだ』

 

 俺は歯を食いしばった。

 

「だったら、機械みたいに呼ぶな」

 

 通信の向こうで、男が小さく笑った。

 

『興味深い反応だ。君は彼らを敵として認識しながら、なお人間として扱うのだね』

 

「当たり前だろ」

 

『だが、彼らは君を殺そうとする』

 

「だからって、好きにしていい理由にはならない」

 

 俺は言い切った。

 

 ヴォスはしばらく黙っていた。

 

 そして、静かに答えた。

 

『……ますます興味深い』

 

 俺は顔をしかめた。

 

 ……嫌な奴だ。

 

 まるで、人間の感情まで実験材料として見ている。

 

『さて、カイ。君に提案がある』

 

「断る」

 

『まだ何も言っていないが?』

 

「どうせ、ろくでもない話だろ」

 

 ガレスが横で小さく笑った。

 

 だが、ヴォスの声は変わらなかった。

 

『地下第三階層まで来たまえ。君に見せたいものがある』

 

 俺は答えなかった。

 

『そして、君が望む六人の被験者についても話そう』

 

「……六人は無事なのか?」

 

『今のところはね』

 

 その言い方が気に入らなかった。

 

「今のところ?」

 

『彼らは間もなく、重要な試験に参加する』

 

 俺は剣の柄を握り直した。

 

「本人たちが望んでいるのか?」

 

『科学の進歩に、常に個人の同意が必要だと思うかね?』

 

 ……ああ。

 

 もう十分だ。

 

 こいつとは、根本的に話が合わない。

 

「分かった」

 

 俺は言った。

 

『ほう?』

 

「地下三階へ行く」

 

 ヴォスが満足そうに笑う気配がした。

 

『賢明な判断だ』

 

「ただし、あんたの実験に参加するためじゃない」

 

 俺は倒れた兵士を見た。

 

「囚われてる人たちを助けるためだ」

 

 通信が一瞬途切れた。

 

 そして、男の声が響いた。

 

『……楽しみにしているよ』

 

 赤い義眼の光が消えた。

 

     ◇

 

「……最悪だな」

 

 ガレスが吐き捨てた。

 

 俺も同感だった。

 

 だが、問題はヴォスの性格だけではない。

 

 俺たちの侵入は完全に知られている。

 

 そして、敵は俺を地下三階へ誘導しようとしている。

 

 ……罠だ。

 

 分かりやすすぎるくらいの罠だ。

 

「ノア、聞こえるか?」

 

 俺は通信端末へ呼びかけた。

 

『……聞こえる』

 

「ヴォスって男が、兵士を通じて話しかけてきた」

 

『……音声は記録した』

 

「何か分かった?」

 

『……施設内の通信経路を使ってる。でも、発信元は追えない』

 

 俺は頷いた。

 

「階段の封鎖は?」

 

『……まだ解除できない。別系統の制御に切り替えられてる』

 

 マーカスが舌打ちした。

 

「……完全に閉じ込めるつもりか」

 

『……違う』

 

 ノアの声が少し強くなった。

 

『……地下第二階層へ続く扉は、開いてる』

 

 俺は顔を上げた。

 

 確かに、階段の下にある扉は開いている。

 

 その先には、薄暗い廊下が続いていた。

 

 ……つまり。

 

「俺たちを、下へ進ませたいわけか」

 

『……そう』

 

 俺は少し考えた。

 

 上階にはノアとオスカーが残っている。

 

 彼らまで巻き込まれるわけにはいかない。

 

「ノア、聞いてくれ」

 

『……何?』

 

「上階の設備室から、撤退できる経路を確保しておいてほしい」

 

『……分かった』

 

「それと、俺たちの通信が切れたら、無理に追ってこないでくれ」

 

『……カイ』

 

「頼む」

 

 少しの沈黙。

 

『……分かった。でも、通信を維持する方法は探す』

 

「ありがとう」

 

 俺は通信を切らず、そのままマーカスたちへ向き直った。

 

「下へ進もう。ただし、ヴォスの言う通りには動かない」

 

 マーカスが頷いた。

 

「当然だ」

 

 ガレスが銃を構え直す。

 

「……あの野郎に一泡吹かせてやる」

 

 俺は苦笑した。

 

「まずは、生きて帰ることを考えよう」

 

「……分かってるよ」

 

 俺たちは階段を下りた。

 

     ◇

 

 地下第二階層。

 

 扉の向こうは、長い廊下だった。

 

 白い壁。

 

 灰色の床。

 

 天井には、一定間隔で照明が設置されている。

 

 だが、そのうち半分ほどは消えていた。

 

 壁際には、監視カメラ。

 

 そして、複数の扉。

 

 俺は慎重に進んだ。

 

 夜の祝福による感覚を意識する。

 

 ……いる。

 

 廊下の先。

 

 右側の部屋。

 

 さらに奥の通路。

 

 敵意を持つ人間が、少なくとも五人。

 

 俺は小声で伝えた。

 

「……前方に三人。右側に二人」

 

 マーカスが頷いた。

 

「警備員か?」

 

「分からない。でも、こっちを警戒してる」

 

 ガレスが低く呟いた。

 

「……なら、さっさと片づけるか」

 

「待て」

 

 俺は手を上げた。

 

 そのとき、廊下の奥から声が聞こえた。

 

「……やめてくれ!」

 

 男の声だった。

 

 続いて、何かが倒れる音。

 

 ――ガタンッ!

 

 俺たちは足を止めた。

 

 声は、右側の部屋から聞こえてくる。

 

「……お願いだ! もう実験は……!」

 

 俺は歯を食いしばった。

 

 ……被験者か?

 

 マーカスが俺を見た。

 

「……どうする?」

 

 俺は右側の扉を見つめた。

 

 夜の祝福は、敵意を持つ人間の位置を教えてくれる。

 

 だが、助けを求める人間がどこにいるかまでは分からない。

 

 ……なら、自分で確かめるしかない。

 

「……行こう」

 

 俺は扉へ近づいた。

 

 マーカスが銃を構える。

 

 ガレスは背後を警戒した。

 

 扉には電子錠が設置されていた。

 

 俺は通信端末へ声をかけた。

 

「ノア。この扉、開けられるか?」

 

『……番号を送って』

 

 俺は扉の横に刻まれた識別番号を読み上げた。

 

 数秒後。

 

『……少し待って』

 

 俺たちは周囲を警戒しながら待った。

 

 廊下の奥から、足音が聞こえる。

 

 ……近づいてくる。

 

 俺は剣を抜いた。

 

 その瞬間。

 

 ――カチッ。

 

 扉のロックが解除された。

 

『……開いた』

 

「ありがとう!」

 

 俺は扉を押し開けた。

 

     ◇

 

 部屋の中には、二人の男がいた。

 

 一人は白衣を着た研究員。

 

 もう一人は、椅子へ拘束された男だった。

 

 拘束された男は三十代くらい。

 

 身体の一部が機械化されている。

 

 右腕には義手。

 

 首筋には複数の接続端子。

 

 そして、額には汗が浮かんでいた。

 

 研究員が振り返る。

 

「……誰だ!?」

 

 俺は剣を構えたまま答えた。

 

「その人を解放してもらう」

 

 研究員は顔を引きつらせた。

 

「……侵入者か!」

 

 男が腰へ手を伸ばす。

 

 俺は一気に距離を詰めた。

 

 研究員が拳銃を抜くより先に、その手首を掴む。

 

 ――ガシッ!

 

「……痛っ!」

 

 俺は銃を取り上げ、床へ滑らせた。

 

 そして、男を壁へ押しつけた。

 

「動かないでくれ」

 

 研究員は青ざめた。

 

「……わ、分かった!」

 

 マーカスが入ってきて、研究員を拘束した。

 

 俺は椅子の男へ近づいた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 男は俺を見上げた。

 

 その目には、恐怖と困惑が浮かんでいた。

 

「……あんた、誰だ?」

 

「カイです。助けに来ました」

 

 男は信じられないという顔をした。

 

「……助けに?」

 

「はい」

 

 俺は拘束具を確認した。

 

 金属製の腕輪。

 

 脚の固定具。

 

 そして、首筋に接続された細いケーブル。

 

 ……無理に外すのは危険だな。

 

 俺は研究員へ顔を向けた。

 

「この人を安全に解放する方法を教えてくれ」

 

 研究員は口を閉ざした。

 

 俺は続けた。

 

「首のケーブルを引き抜いても大丈夫なのか?」

 

 男は慌てて首を横に振った。

 

「……駄目だ!」

 

「なら、どうすればいい?」

 

 研究員はしばらく迷っていた。

 

 だが、マーカスが無言で銃を構えると、観念したように答えた。

 

「……制御端末から、拘束を解除する」

 

 俺は頷いた。

 

「やってくれ」

 

 研究員は震える手で端末を操作した。

 

 数秒後。

 

 ――カチッ。

 

 拘束具が外れた。

 

 俺は男の身体を支えた。

 

「立てますか?」

 

 男はゆっくりと足を動かした。

 

 だが、膝が震えている。

 

「……無理だ」

 

 俺は頷いた。

 

「分かりました」

 

 俺は男の肩へ手を置いた。

 

 昼と太陽の神の祝福。

 

 夜間では負担が大きいが、今は目の前に助けるべき人がいる。

 

 俺は意識を集中した。

 

 ――ふわり。

 

 柔らかな金色の光が、男の身体を包む。

 

 男が目を見開いた。

 

「……何だ、これ……?」

 

「少しだけ、楽になるはずです」

 

 俺は答えた。

 

 傷ついた筋肉。

 

 疲弊した神経。

 

 そして、拘束によって悪化した身体の状態。

 

 それらを癒すように、力を流し込む。

 

 数秒後。

 

 男の呼吸が落ち着いた。

 

 俺は祝福を止めた。

 

 ……よし。

 

 長時間は使えないが、これなら少しは動けるだろう。

 

「……立てますか?」

 

 男はゆっくりと立ち上がった。

 

 まだ足元は不安定だが、先ほどよりはましだ。

 

「……ああ」

 

 男は俺を見た。

 

「……ありがとう」

 

 俺は笑った。

 

「どういたしまして」

 

     ◇

 

「……名前を聞いてもいいですか?」

 

 俺が尋ねると、男は答えた。

 

「……レオン」

 

「レオンさんですね」

 

 俺は頷いた。

 

「俺たちは、地下三階にいる被験者たちを助けに来ました」

 

 レオンの表情が変わった。

 

「……地下三階?」

 

「はい。六人いると聞いています」

 

 男は首を横に振った。

 

「……違う」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……何が?」

 

 レオンは震える声で言った。

 

「……六人じゃない」

 

 俺は息を呑んだ。

 

「……どういうことです?」

 

 レオンは俺を見つめた。

 

「……地下三階には、もっといる」

 

 俺は言葉を失った。

 

 ダニエルの証言では、六人。

 

 ノアが見つけた記録でも、死亡が確認されていない被験者は七人。

 

 そのうち一人がダニエル。

 

 だから、残り六人だと考えていた。

 

 だが。

 

 ……違うのか?

 

「……何人いるんです?」

 

 俺が尋ねると、レオンは首を横に振った。

 

「……正確には分からない」

 

 男は続けた。

 

「俺が見ただけでも、十人以上いた」

 

 マーカスが顔をしかめた。

 

「……十人以上?」

 

 レオンは頷いた。

 

「……それに、あそこには」

 

 男は言葉を詰まらせた。

 

 俺は静かに待った。

 

 やがて、レオンは震える声で続けた。

 

「……子供もいる」

 

 俺は息を止めた。

 

 ……子供?

 

 レオンは目を伏せた。

 

「……小さな女の子だった」

 

 俺は拳を握った。

 

「……何歳くらい?」

 

「……十歳くらいだと思う」

 

 胸の奥が、冷たくなった。

 

 ミナと、同じくらいの年齢。

 

 俺はレオンを見つめた。

 

「……その子も、実験を受けているんですか?」

 

 レオンは小さく頷いた。

 

「……ああ」

 

 俺はしばらく何も言えなかった。

 

 怒りが、胸の奥から込み上げてくる。

 

 だが、ここで怒りに任せて動けば、仲間を危険に晒す。

 

 俺はゆっくりと呼吸を整えた。

 

 ……落ち着け。

 

 まずは、助ける方法を考えるんだ。

 

     ◇

 

「……ノア」

 

 俺は通信端末へ声をかけた。

 

『……聞こえる』

 

「救出対象が増えた」

 

『……どういうこと?』

 

「地下三階には、十人以上いるらしい。子供もいる」

 

 通信の向こうで、沈黙があった。

 

 そして、ノアが答えた。

 

『……記録と一致しない』

 

「そうだな」

 

『……未登録の被験者がいる可能性がある』

 

 俺は頷いた。

 

 ……それなら、説明がつく。

 

 公式の記録に残されていない人間。

 

 あるいは、別の分類で管理されている被験者。

 

 この施設では、そういうことが行われているのかもしれない。

 

「……ヴィクターさんに伝えてくれ」

 

『……分かった』

 

「救出用の車両と医療班を、増やせるなら増やしてほしい」

 

『……伝える』

 

 俺は通信を切らず、レオンへ顔を向けた。

 

「レオンさん」

 

「……何だ?」

 

「地下三階へ行く道を知っていますか?」

 

 男は頷いた。

 

「……知ってる」

 

 俺は顔を上げた。

 

「案内できますか?」

 

 レオンは少し考えた。

 

 そして、震える足で立ち上がろうとした。

 

「……ああ」

 

 俺は慌てて支えた。

 

「無理しないでください」

 

 男は首を横に振った。

 

「……俺も、あいつらを助けたい」

 

 俺は黙って彼を見た。

 

 そして、頷いた。

 

「……分かりました」

 

 だが、そのとき。

 

 ――ピッ。

 

 室内の端末から、短い電子音が響いた。

 

 研究員が顔を上げた。

 

「……まずい」

 

 俺は振り返った。

 

「……何だ?」

 

 研究員は青ざめていた。

 

「……フェーズ4が始まる」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……今から?」

 

 男は頷いた。

 

「……予定が前倒しされた」

 

 ノアの声が通信端末から響く。

 

『……カイ!』

 

「どうした!?」

 

『……地下第三階層で、大規模な電力消費を確認!』

 

 俺は顔を上げた。

 

『……複数の神経制御装置が、同時に起動してる!』

 

 ……くそっ!

 

 ヴォスの奴。

 

 俺たちが来ることを知って、試験を早めたのか?

 

 そのとき、施設全体に警報が響いた。

 

 ――ウウウウウウッ!

 

 赤い警告灯が点滅する。

 

 天井のスピーカーから、無機質な音声が流れた。

 

『……プロジェクト・キメラ』

 

『……フェーズ4、開始』

 

 俺は剣を握り直した。

 

 ……時間がない。

 

 レオンが震える声で言った。

 

「……始まった……」

 

 俺は彼を見た。

 

「……何が?」

 

 男は顔を青ざめさせた。

 

「……完全制御試験だ」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……完全制御?」

 

 レオンは震える声で続けた。

 

「……あれが始まったら、もう……」

 

 男は言葉を詰まらせた。

 

 そして、必死に言った。

 

「……自分の身体を、取り戻せなくなる……!」

 

 俺は歯を食いしばった。

 

 ……冗談じゃない。

 

 そんなことを、許してたまるか。

 

 俺はマーカスとガレスへ顔を向けた。

 

「……行こう」

 

 マーカスが頷いた。

 

「……ああ」

 

 ガレスが銃を構え直した。

 

「……ようやく本番か」

 

 俺はレオンへ顔を向けた。

 

「安全な場所で待っていてください。ノアたちに連絡します」

 

 男は何か言いかけた。

 

 だが、俺は首を横に振った。

 

「あなたまで倒れたら、助けられる人が減ります」

 

 レオンは唇を噛んだ。

 

 そして、頷いた。

 

「……分かった」

 

 俺は剣を構えた。

 

 地下第三階層。

 

 そこには、少なくとも十人以上の被験者がいる。

 

 そして、その中には子供もいる。

 

 俺は胸元の護符へ一瞬だけ触れた。

 

 ……セレーネ。

 

 君なら、きっと怒るだろうな。

 

 こんなことをする連中を見たら。

 

 俺も同じだ。

 

 だが、怒りだけでは人は救えない。

 

 必要なのは、力と判断だ。

 

 俺は一歩を踏み出した。

 

「……全員、助けるぞ」

 

 マーカスが笑った。

 

「……言うと思ったぜ」

 

 ガレスが鼻を鳴らした。

 

「……付き合ってやるよ」

 

 俺たちは、地下第三階層へ続く通路へ向かった。

 

     ◇

 

 同じ頃。

 

 地下第三階層、中央制御室。

 

 ドクター・エイドリアン・ヴォスは、巨大な監視画面を見つめていた。

 

 そこには、複数の被験者が映っている。

 

 全身を機械化された男女。

 

 神経接続装置。

 

 赤く光る義眼。

 

 そして、透明な収容装置。

 

 ヴォスは静かに微笑んだ。

 

「……始まったか」

 

 隣の研究員が頷いた。

 

「はい。フェーズ4の神経制御試験を開始しました」

 

「……同期率は?」

 

「現在、八十七パーセントです」

 

 ヴォスは満足そうに頷いた。

 

「……素晴らしい」

 

 研究員が続けた。

 

「ただし、一部の被験者に強い抵抗反応が見られます」

 

 ヴォスは画面を見た。

 

 そこには、一人の少女が映っていた。

 

 小柄な身体。

 

 短い黒髪。

 

 そして、怯えた瞳。

 

 年齢は、十歳前後だろうか。

 

 少女の首筋には、神経制御装置が取り付けられている。

 

 ヴォスは興味深そうに呟いた。

 

「……被験者CHM-014」

 

 研究員が頷いた。

 

「はい。最も高い抵抗値を示しています」

 

 ヴォスは微笑んだ。

 

「……興味深い」

 

 少女は透明な収容装置の中で、必死に身体を動かそうとしていた。

 

 だが、機械化された脚は動かない。

 

 ヴォスは画面を見つめた。

 

「……この個体は、まだ自我を維持しているのか」

 

 研究員が答えた。

 

「はい。ですが、完全制御が進めば――」

 

「……いや」

 

 ヴォスは首を横に振った。

 

「彼女は残しておこう」

 

 研究員が驚いた顔をした。

 

「……なぜです?」

 

 ヴォスは別の画面を表示した。

 

 そこには、黒髪の少年が映っている。

 

 長剣を持ち、地下第三階層へ向かう姿。

 

 ヴォスは静かに笑った。

 

「……彼が、どう反応するか見たい」

 

 研究員は黙った。

 

 ヴォスは続けた。

 

「人間は、守るべき対象がいるとき、通常以上の能力を発揮することがある」

 

 そして、画面の少年を指差した。

 

「……彼が、その典型例だ」

 

 ヴォスは端末を操作した。

 

 画面に、新しい指示が表示される。

 

 PROJECT CHIMERA

 

 PHASE 4:完全制御試験

 

 特別観察対象:KAI

 

 優先命令:生体捕獲

 

 ヴォスは満足そうに頷いた。

 

「……さあ、カイ」

 

 その声は、冷たい研究室に響いた。

 

「……君の力を、見せてくれ」

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