神々の剣士、地下第二階層の死闘
剣を握るとき、俺が最初に考えるのは、相手をどう倒すかではない。
どうすれば、戦わずに済むか。
次に、どうすれば殺さずに済むか。
そして、そのどちらも不可能だったとき、初めて命を奪う覚悟を決める。
勇者一行で旅をしていた頃、師匠から叩き込まれた考え方だ。
もっとも、目の前で銃口を向けてくる相手に、悠長な説得が通じるとは思っていない。
ましてや、相手は全身を黒い装甲で覆った軍用義体兵。
以前、ノアを守るために戦った連中とよく似ている。
あのときは三体を相手にし、一体を戦闘不能に、残る二体を殺した。
今回も同じように戦えばいい。
……とは、残念ながらいかない。
場所が悪すぎる。
幅の狭い階段。
背後にはマーカスとガレス。
さらに上階にはノアとオスカーが残っている。
ここで雷の奇跡を放てば、敵を倒せるかもしれない。
だが、電撃が金属製の手すりや配管へ流れ、仲間を巻き込む危険がある。
それに、相手の背後には救出すべき被験者たちがいるかもしれない。
……だったら、やることは一つだ。
俺は剣を構え直した。
相手が引き金を引くより先に、その銃を使えなくする。
◇
午後八時十二分。
旧ヘリックス研究施設、地下第二階層へ続く非常階段。
『……対象、カイ。抵抗行動を確認』
黒い装甲の兵士が右腕を持ち上げた。
手首の装甲が開き、内部から短い銃身がせり出す。
俺は、その動きが始まった瞬間に踏み込んだ。
石段を二段飛ばしで下り、相手の右側へ身体を滑り込ませる。
――ダダダダッ!
銃声が狭い階段に響いた。
弾丸が俺のいた場所を通過し、背後の壁を削る。
マーカスが叫んだ。
「カイ! 右へ寄れ!」
俺は兵士の腕の内側へ潜り込んだ。
長剣を下から跳ね上げる。
狙いは、肘関節の駆動部。
――ギィンッ!
硬い手応え。
刃が装甲の継ぎ目へ食い込み、金属片が飛び散った。
だが、切断には至らない。
……硬い!
以前戦った兵士より、関節の保護が厚い。
敵は右腕を引き、左腕を振り下ろした。
俺は剣を横に構え、その一撃を受け流す。
――ガァンッ!
衝撃が腕へ伝わった。
足元の段差が砕け、靴底が滑る。
危うく体勢を崩しかけたところへ、敵の膝が迫った。
俺は腰を落としてかわし、相手の足首を蹴り払った。
しかし、びくともしない。
……こいつ、相当重いな。
おそらく装甲を含めれば、普通の人間の三倍以上はある。
しかも、機械化された身体は人間のように痛みで動きを止めない。
敵の左腕が再び動いた。
今度は俺の首を掴もうとしている。
俺は一歩引き、剣の柄頭を相手の手首へ叩き込んだ。
その隙に、マーカスが発砲する。
――パンッ、パンッ!
銃弾が兵士の左肩へ命中した。
装甲表面で火花が散る。
致命傷にはならない。
だが、一瞬だけ相手の姿勢が乱れた。
「カイ! 膝だ!」
マーカスが叫んだ。
俺は即座に動いた。
右足を踏み込み、長剣を斜め下へ振り抜く。
狙うのは、膝裏の可動部。
――ザンッ!
今度は刃が通った。
人工筋肉の束が切れ、油圧液らしいものが飛び散る。
兵士の右膝が折れた。
――ガシャァンッ!
巨体が階段へ倒れ込む。
俺はすぐに距離を取った。
だが、敵はまだ動いていた。
左腕を床へつき、上半身を起こそうとする。
右腕の銃口が、再びこちらへ向いた。
……しつこいな!
俺は床を蹴った。
銃口の正面から外れ、相手の右側へ回り込む。
剣を振り下ろす。
――ガキンッ!
右腕の銃身が根元から切断された。
火花が散り、兵士の腕から黒煙が上がる。
それでも、赤い義眼は消えなかった。
『……戦闘継続』
俺は剣先を相手の首元へ向けた。
「もう動くな」
返事はない。
兵士は左腕を伸ばそうとした。
俺はその手首を踏みつけ、関節の駆動部を剣で破壊した。
――バキンッ!
ようやく、兵士の動きが止まった。
赤い義眼だけが、俺を見上げている。
『……対象、拘束不能』
俺は呼吸を整えた。
「拘束されるつもりはないからな」
そして、剣を下ろした。
……殺さずに済んだか。
少なくとも、今のところは。
◇
「……カイ!」
マーカスが駆け寄ってきた。
「怪我は?」
「大丈夫。少し腕が痺れただけだ」
「本当か?」
「ああ」
俺は右腕を動かしてみせた。
骨に異常はなさそうだ。
ただ、さっきの衝撃で肩の筋肉が少し痛む。
地面に触れていれば豊穣の女神の祝福で回復が早まるが、ここは人工物だらけの地下施設だ。
自然の土の上ほどの効果は期待できない。
……まあ、動けるなら問題ない。
ガレスが倒れた兵士を見下ろした。
「……おい」
「何だ?」
「お前、あれだけ動いて、まだ余裕があるのか?」
「余裕ってほどじゃないよ」
俺は答えた。
「こいつ、前に戦った連中より装甲が厚い」
ガレスは眉をひそめた。
「……つまり、改良型ってことか?」
「可能性はあるな」
俺は兵士の首元を見た。
黒い装甲の隙間。
人工皮膚のような素材。
そして、そこに埋め込まれた複数の接続端子。
……ダニエルと似ている。
俺は膝をついた。
「マーカス。この兵士、意識はあると思うか?」
マーカスは少し考えた。
「分からねえ。全身義体の中には、脳だけ残してる奴もいる」
俺は兵士へ顔を向けた。
「聞こえるか?」
赤い義眼が動いた。
『……音声入力、確認』
「お前自身の意思で戦っているのか?」
沈黙。
俺は続けた。
「誰かに操られているなら、教えてくれ」
兵士の義眼が一瞬だけ明滅した。
『……質問、処理不能』
その直後。
『……警告。神経制御系への干渉を検知』
俺は眉をひそめた。
……何だ?
『……外部命令、再同期』
兵士の身体が僅かに震えた。
俺は反射的に剣を構える。
だが、今度は攻撃してこなかった。
代わりに、スピーカーから別の声が流れた。
『……素晴らしい』
男の声だった。
落ち着いた、どこか楽しそうな声。
『君がカイだね』
俺は剣を握り直した。
「……誰だ?」
『ドクター・エイドリアン・ヴォス』
マーカスが顔をしかめた。
ガレスが低く唸る。
「……研究責任者か」
男の声が続いた。
『直接会うのは初めてだが、君のことはよく知っているよ』
「そうか。俺はあんたのことをほとんど知らない」
『それは残念だ』
俺は倒れた兵士を見下ろした。
「こいつも、あんたの実験台なのか?」
短い沈黙。
そして、ヴォスは答えた。
『彼は優秀な試験機だ』
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなった。
「……試験機?」
『そうだ。高度な神経制御と軍用義体を統合した、次世代の戦闘プラットフォームだよ』
「俺が聞いてるのは、そういうことじゃない」
俺は低い声で言った。
「中に人間がいるのか?」
ヴォスは少し間を置いた。
『……もちろんだ』
俺は歯を食いしばった。
「だったら、機械みたいに呼ぶな」
通信の向こうで、男が小さく笑った。
『興味深い反応だ。君は彼らを敵として認識しながら、なお人間として扱うのだね』
「当たり前だろ」
『だが、彼らは君を殺そうとする』
「だからって、好きにしていい理由にはならない」
俺は言い切った。
ヴォスはしばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
『……ますます興味深い』
俺は顔をしかめた。
……嫌な奴だ。
まるで、人間の感情まで実験材料として見ている。
『さて、カイ。君に提案がある』
「断る」
『まだ何も言っていないが?』
「どうせ、ろくでもない話だろ」
ガレスが横で小さく笑った。
だが、ヴォスの声は変わらなかった。
『地下第三階層まで来たまえ。君に見せたいものがある』
俺は答えなかった。
『そして、君が望む六人の被験者についても話そう』
「……六人は無事なのか?」
『今のところはね』
その言い方が気に入らなかった。
「今のところ?」
『彼らは間もなく、重要な試験に参加する』
俺は剣の柄を握り直した。
「本人たちが望んでいるのか?」
『科学の進歩に、常に個人の同意が必要だと思うかね?』
……ああ。
もう十分だ。
こいつとは、根本的に話が合わない。
「分かった」
俺は言った。
『ほう?』
「地下三階へ行く」
ヴォスが満足そうに笑う気配がした。
『賢明な判断だ』
「ただし、あんたの実験に参加するためじゃない」
俺は倒れた兵士を見た。
「囚われてる人たちを助けるためだ」
通信が一瞬途切れた。
そして、男の声が響いた。
『……楽しみにしているよ』
赤い義眼の光が消えた。
◇
「……最悪だな」
ガレスが吐き捨てた。
俺も同感だった。
だが、問題はヴォスの性格だけではない。
俺たちの侵入は完全に知られている。
そして、敵は俺を地下三階へ誘導しようとしている。
……罠だ。
分かりやすすぎるくらいの罠だ。
「ノア、聞こえるか?」
俺は通信端末へ呼びかけた。
『……聞こえる』
「ヴォスって男が、兵士を通じて話しかけてきた」
『……音声は記録した』
「何か分かった?」
『……施設内の通信経路を使ってる。でも、発信元は追えない』
俺は頷いた。
「階段の封鎖は?」
『……まだ解除できない。別系統の制御に切り替えられてる』
マーカスが舌打ちした。
「……完全に閉じ込めるつもりか」
『……違う』
ノアの声が少し強くなった。
『……地下第二階層へ続く扉は、開いてる』
俺は顔を上げた。
確かに、階段の下にある扉は開いている。
その先には、薄暗い廊下が続いていた。
……つまり。
「俺たちを、下へ進ませたいわけか」
『……そう』
俺は少し考えた。
上階にはノアとオスカーが残っている。
彼らまで巻き込まれるわけにはいかない。
「ノア、聞いてくれ」
『……何?』
「上階の設備室から、撤退できる経路を確保しておいてほしい」
『……分かった』
「それと、俺たちの通信が切れたら、無理に追ってこないでくれ」
『……カイ』
「頼む」
少しの沈黙。
『……分かった。でも、通信を維持する方法は探す』
「ありがとう」
俺は通信を切らず、そのままマーカスたちへ向き直った。
「下へ進もう。ただし、ヴォスの言う通りには動かない」
マーカスが頷いた。
「当然だ」
ガレスが銃を構え直す。
「……あの野郎に一泡吹かせてやる」
俺は苦笑した。
「まずは、生きて帰ることを考えよう」
「……分かってるよ」
俺たちは階段を下りた。
◇
地下第二階層。
扉の向こうは、長い廊下だった。
白い壁。
灰色の床。
天井には、一定間隔で照明が設置されている。
だが、そのうち半分ほどは消えていた。
壁際には、監視カメラ。
そして、複数の扉。
俺は慎重に進んだ。
夜の祝福による感覚を意識する。
……いる。
廊下の先。
右側の部屋。
さらに奥の通路。
敵意を持つ人間が、少なくとも五人。
俺は小声で伝えた。
「……前方に三人。右側に二人」
マーカスが頷いた。
「警備員か?」
「分からない。でも、こっちを警戒してる」
ガレスが低く呟いた。
「……なら、さっさと片づけるか」
「待て」
俺は手を上げた。
そのとき、廊下の奥から声が聞こえた。
「……やめてくれ!」
男の声だった。
続いて、何かが倒れる音。
――ガタンッ!
俺たちは足を止めた。
声は、右側の部屋から聞こえてくる。
「……お願いだ! もう実験は……!」
俺は歯を食いしばった。
……被験者か?
マーカスが俺を見た。
「……どうする?」
俺は右側の扉を見つめた。
夜の祝福は、敵意を持つ人間の位置を教えてくれる。
だが、助けを求める人間がどこにいるかまでは分からない。
……なら、自分で確かめるしかない。
「……行こう」
俺は扉へ近づいた。
マーカスが銃を構える。
ガレスは背後を警戒した。
扉には電子錠が設置されていた。
俺は通信端末へ声をかけた。
「ノア。この扉、開けられるか?」
『……番号を送って』
俺は扉の横に刻まれた識別番号を読み上げた。
数秒後。
『……少し待って』
俺たちは周囲を警戒しながら待った。
廊下の奥から、足音が聞こえる。
……近づいてくる。
俺は剣を抜いた。
その瞬間。
――カチッ。
扉のロックが解除された。
『……開いた』
「ありがとう!」
俺は扉を押し開けた。
◇
部屋の中には、二人の男がいた。
一人は白衣を着た研究員。
もう一人は、椅子へ拘束された男だった。
拘束された男は三十代くらい。
身体の一部が機械化されている。
右腕には義手。
首筋には複数の接続端子。
そして、額には汗が浮かんでいた。
研究員が振り返る。
「……誰だ!?」
俺は剣を構えたまま答えた。
「その人を解放してもらう」
研究員は顔を引きつらせた。
「……侵入者か!」
男が腰へ手を伸ばす。
俺は一気に距離を詰めた。
研究員が拳銃を抜くより先に、その手首を掴む。
――ガシッ!
「……痛っ!」
俺は銃を取り上げ、床へ滑らせた。
そして、男を壁へ押しつけた。
「動かないでくれ」
研究員は青ざめた。
「……わ、分かった!」
マーカスが入ってきて、研究員を拘束した。
俺は椅子の男へ近づいた。
「大丈夫ですか?」
男は俺を見上げた。
その目には、恐怖と困惑が浮かんでいた。
「……あんた、誰だ?」
「カイです。助けに来ました」
男は信じられないという顔をした。
「……助けに?」
「はい」
俺は拘束具を確認した。
金属製の腕輪。
脚の固定具。
そして、首筋に接続された細いケーブル。
……無理に外すのは危険だな。
俺は研究員へ顔を向けた。
「この人を安全に解放する方法を教えてくれ」
研究員は口を閉ざした。
俺は続けた。
「首のケーブルを引き抜いても大丈夫なのか?」
男は慌てて首を横に振った。
「……駄目だ!」
「なら、どうすればいい?」
研究員はしばらく迷っていた。
だが、マーカスが無言で銃を構えると、観念したように答えた。
「……制御端末から、拘束を解除する」
俺は頷いた。
「やってくれ」
研究員は震える手で端末を操作した。
数秒後。
――カチッ。
拘束具が外れた。
俺は男の身体を支えた。
「立てますか?」
男はゆっくりと足を動かした。
だが、膝が震えている。
「……無理だ」
俺は頷いた。
「分かりました」
俺は男の肩へ手を置いた。
昼と太陽の神の祝福。
夜間では負担が大きいが、今は目の前に助けるべき人がいる。
俺は意識を集中した。
――ふわり。
柔らかな金色の光が、男の身体を包む。
男が目を見開いた。
「……何だ、これ……?」
「少しだけ、楽になるはずです」
俺は答えた。
傷ついた筋肉。
疲弊した神経。
そして、拘束によって悪化した身体の状態。
それらを癒すように、力を流し込む。
数秒後。
男の呼吸が落ち着いた。
俺は祝福を止めた。
……よし。
長時間は使えないが、これなら少しは動けるだろう。
「……立てますか?」
男はゆっくりと立ち上がった。
まだ足元は不安定だが、先ほどよりはましだ。
「……ああ」
男は俺を見た。
「……ありがとう」
俺は笑った。
「どういたしまして」
◇
「……名前を聞いてもいいですか?」
俺が尋ねると、男は答えた。
「……レオン」
「レオンさんですね」
俺は頷いた。
「俺たちは、地下三階にいる被験者たちを助けに来ました」
レオンの表情が変わった。
「……地下三階?」
「はい。六人いると聞いています」
男は首を横に振った。
「……違う」
俺は眉をひそめた。
「……何が?」
レオンは震える声で言った。
「……六人じゃない」
俺は息を呑んだ。
「……どういうことです?」
レオンは俺を見つめた。
「……地下三階には、もっといる」
俺は言葉を失った。
ダニエルの証言では、六人。
ノアが見つけた記録でも、死亡が確認されていない被験者は七人。
そのうち一人がダニエル。
だから、残り六人だと考えていた。
だが。
……違うのか?
「……何人いるんです?」
俺が尋ねると、レオンは首を横に振った。
「……正確には分からない」
男は続けた。
「俺が見ただけでも、十人以上いた」
マーカスが顔をしかめた。
「……十人以上?」
レオンは頷いた。
「……それに、あそこには」
男は言葉を詰まらせた。
俺は静かに待った。
やがて、レオンは震える声で続けた。
「……子供もいる」
俺は息を止めた。
……子供?
レオンは目を伏せた。
「……小さな女の子だった」
俺は拳を握った。
「……何歳くらい?」
「……十歳くらいだと思う」
胸の奥が、冷たくなった。
ミナと、同じくらいの年齢。
俺はレオンを見つめた。
「……その子も、実験を受けているんですか?」
レオンは小さく頷いた。
「……ああ」
俺はしばらく何も言えなかった。
怒りが、胸の奥から込み上げてくる。
だが、ここで怒りに任せて動けば、仲間を危険に晒す。
俺はゆっくりと呼吸を整えた。
……落ち着け。
まずは、助ける方法を考えるんだ。
◇
「……ノア」
俺は通信端末へ声をかけた。
『……聞こえる』
「救出対象が増えた」
『……どういうこと?』
「地下三階には、十人以上いるらしい。子供もいる」
通信の向こうで、沈黙があった。
そして、ノアが答えた。
『……記録と一致しない』
「そうだな」
『……未登録の被験者がいる可能性がある』
俺は頷いた。
……それなら、説明がつく。
公式の記録に残されていない人間。
あるいは、別の分類で管理されている被験者。
この施設では、そういうことが行われているのかもしれない。
「……ヴィクターさんに伝えてくれ」
『……分かった』
「救出用の車両と医療班を、増やせるなら増やしてほしい」
『……伝える』
俺は通信を切らず、レオンへ顔を向けた。
「レオンさん」
「……何だ?」
「地下三階へ行く道を知っていますか?」
男は頷いた。
「……知ってる」
俺は顔を上げた。
「案内できますか?」
レオンは少し考えた。
そして、震える足で立ち上がろうとした。
「……ああ」
俺は慌てて支えた。
「無理しないでください」
男は首を横に振った。
「……俺も、あいつらを助けたい」
俺は黙って彼を見た。
そして、頷いた。
「……分かりました」
だが、そのとき。
――ピッ。
室内の端末から、短い電子音が響いた。
研究員が顔を上げた。
「……まずい」
俺は振り返った。
「……何だ?」
研究員は青ざめていた。
「……フェーズ4が始まる」
俺は眉をひそめた。
「……今から?」
男は頷いた。
「……予定が前倒しされた」
ノアの声が通信端末から響く。
『……カイ!』
「どうした!?」
『……地下第三階層で、大規模な電力消費を確認!』
俺は顔を上げた。
『……複数の神経制御装置が、同時に起動してる!』
……くそっ!
ヴォスの奴。
俺たちが来ることを知って、試験を早めたのか?
そのとき、施設全体に警報が響いた。
――ウウウウウウッ!
赤い警告灯が点滅する。
天井のスピーカーから、無機質な音声が流れた。
『……プロジェクト・キメラ』
『……フェーズ4、開始』
俺は剣を握り直した。
……時間がない。
レオンが震える声で言った。
「……始まった……」
俺は彼を見た。
「……何が?」
男は顔を青ざめさせた。
「……完全制御試験だ」
俺は眉をひそめた。
「……完全制御?」
レオンは震える声で続けた。
「……あれが始まったら、もう……」
男は言葉を詰まらせた。
そして、必死に言った。
「……自分の身体を、取り戻せなくなる……!」
俺は歯を食いしばった。
……冗談じゃない。
そんなことを、許してたまるか。
俺はマーカスとガレスへ顔を向けた。
「……行こう」
マーカスが頷いた。
「……ああ」
ガレスが銃を構え直した。
「……ようやく本番か」
俺はレオンへ顔を向けた。
「安全な場所で待っていてください。ノアたちに連絡します」
男は何か言いかけた。
だが、俺は首を横に振った。
「あなたまで倒れたら、助けられる人が減ります」
レオンは唇を噛んだ。
そして、頷いた。
「……分かった」
俺は剣を構えた。
地下第三階層。
そこには、少なくとも十人以上の被験者がいる。
そして、その中には子供もいる。
俺は胸元の護符へ一瞬だけ触れた。
……セレーネ。
君なら、きっと怒るだろうな。
こんなことをする連中を見たら。
俺も同じだ。
だが、怒りだけでは人は救えない。
必要なのは、力と判断だ。
俺は一歩を踏み出した。
「……全員、助けるぞ」
マーカスが笑った。
「……言うと思ったぜ」
ガレスが鼻を鳴らした。
「……付き合ってやるよ」
俺たちは、地下第三階層へ続く通路へ向かった。
◇
同じ頃。
地下第三階層、中央制御室。
ドクター・エイドリアン・ヴォスは、巨大な監視画面を見つめていた。
そこには、複数の被験者が映っている。
全身を機械化された男女。
神経接続装置。
赤く光る義眼。
そして、透明な収容装置。
ヴォスは静かに微笑んだ。
「……始まったか」
隣の研究員が頷いた。
「はい。フェーズ4の神経制御試験を開始しました」
「……同期率は?」
「現在、八十七パーセントです」
ヴォスは満足そうに頷いた。
「……素晴らしい」
研究員が続けた。
「ただし、一部の被験者に強い抵抗反応が見られます」
ヴォスは画面を見た。
そこには、一人の少女が映っていた。
小柄な身体。
短い黒髪。
そして、怯えた瞳。
年齢は、十歳前後だろうか。
少女の首筋には、神経制御装置が取り付けられている。
ヴォスは興味深そうに呟いた。
「……被験者CHM-014」
研究員が頷いた。
「はい。最も高い抵抗値を示しています」
ヴォスは微笑んだ。
「……興味深い」
少女は透明な収容装置の中で、必死に身体を動かそうとしていた。
だが、機械化された脚は動かない。
ヴォスは画面を見つめた。
「……この個体は、まだ自我を維持しているのか」
研究員が答えた。
「はい。ですが、完全制御が進めば――」
「……いや」
ヴォスは首を横に振った。
「彼女は残しておこう」
研究員が驚いた顔をした。
「……なぜです?」
ヴォスは別の画面を表示した。
そこには、黒髪の少年が映っている。
長剣を持ち、地下第三階層へ向かう姿。
ヴォスは静かに笑った。
「……彼が、どう反応するか見たい」
研究員は黙った。
ヴォスは続けた。
「人間は、守るべき対象がいるとき、通常以上の能力を発揮することがある」
そして、画面の少年を指差した。
「……彼が、その典型例だ」
ヴォスは端末を操作した。
画面に、新しい指示が表示される。
PROJECT CHIMERA
PHASE 4:完全制御試験
特別観察対象:KAI
優先命令:生体捕獲
ヴォスは満足そうに頷いた。
「……さあ、カイ」
その声は、冷たい研究室に響いた。
「……君の力を、見せてくれ」