神々の剣士は電脳都市で生きる   作:アイエオ

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第三話 路地裏の流儀

神々の剣士、銃社会の洗礼を受ける

 銃口が、少年の背中を捉えていた。

 

 男の指が引き金にかかる。

 

 周囲の人々は悲鳴を上げ、ある者は身を伏せ、ある者は何事もなかったように足早にその場を離れていく。

 

 誰も助けようとはしない。

 

 いや、助けられないのだろう。

 

 銃を持った人間を相手に、素手で立ち向かうなど正気の沙汰ではない。

 

 それは分かる。

 

 分かるのだが。

 

「……ったく」

 

 俺は小さく舌打ちした。

 

 ようやく食事と寝床を確保できそうだというのに、どうしてこうも面倒事が向こうからやってくるのか。

 

 とはいえ、見過ごすという選択肢はなかった。

 

 少年は必死に逃げている。

 

 追っている男たちは銃を持っている。

 

 事情は分からないが、少なくとも、こんな往来で発砲しようとしている連中を放置するわけにはいかない。

 

 俺は地面を蹴った。

 

 黒いアスファルトを踏みしめ、身体を前へと運ぶ。

 

 距離は十数歩。

 

 男が引き金を引くまで、もうほとんど時間はない。

 

 だが、間に合う。

 

 男の視線は少年に集中していた。

 

 俺には気づいていない。

 

 その無防備な側面へ、一気に踏み込む。

 

「――なっ!?」

 

 男がこちらを向いた。

 

 遅い。

 

 俺は男の銃を持つ手首を掴み、銃口を上へ向けた。

 

 直後。

 

 乾いた破裂音が響いた。

 

 銃声。

 

 弾丸は空へと飛び、頭上の建物に取りつけられた看板の端を砕いた。

 

 火花が散る。

 

「うおっ!?」

 

 男が驚愕の声を上げる。

 

 俺はそのまま手首を捻り、男の腕を外側へ押し出した。

 

 体勢が崩れたところで足を払う。

 

 男の身体が宙を舞った。

 

 次の瞬間、背中から地面に叩きつけられる。

 

「がはっ!」

 

 肺の空気を吐き出し、男が呻いた。

 

 俺は銃を奪い、男から数歩離れた場所へ放り投げる。

 

「……人通りの多い場所で撃つなよ」

 

 思わず呟いた。

 

 周囲には大勢の人間がいる。

 

 もし弾丸が外れれば、無関係な誰かに当たるかもしれない。

 

 そんなことも考えないのか。

 

 だが、説教している暇はなかった。

 

「てめえ!」

 

 もう一人の男が叫んだ。

 

 そちらを見る。

 

 大柄な男だった。

 

 首筋には金属製の端子が並び、両腕には筋肉の上から装着されたような機械部品が見える。

 

 右手には、先ほどの男より大きな銃。

 

 俺は目を細めた。

 

 銃の形状からして、こちらの方が威力は高そうだ。

 

 男が銃口を向ける。

 

「何者だ、てめえ!」

 

「通りすがりだ」

 

「ふざけんな!」

 

 男が怒鳴る。

 

 俺は肩をすくめた。

 

「本当なんだがな」

 

 もっとも、剣と魔法の世界から転移してきた通りすがりの剣士など、信じてもらえるはずもない。

 

 男の指が動いた。

 

 俺はすでに横へ跳んでいた。

 

 銃声。

 

 先ほどより重い音が響く。

 

 弾丸が俺のいた場所を通過し、背後の壁に穴を開けた。

 

「……危ないな」

 

 着地と同時に身体を低くする。

 

 男の肩と腕の動きを観察する。

 

 次の射撃。

 

 その前兆を読み取る。

 

 俺は男の正面から外れるように移動し、距離を詰めた。

 

「ちょこまかと!」

 

 男が銃口を振る。

 

 だが、銃という武器には弱点がある。

 

 少なくとも、今のような距離では。

 

 銃口が向いていない方向には撃てない。

 

 そして、狙いを定めるには、どうしてもわずかな動作が必要になる。

 

 俺はその隙を突いた。

 

 男の懐へ潜り込む。

 

「な――」

 

 左手で銃身を押し上げる。

 

 右手で男の肘を打つ。

 

 銃が跳ね上がった。

 

 そのまま男の腹へ膝を叩き込む。

 

「ぐぼっ!?」

 

 男の身体が折れ曲がる。

 

 俺はその背中を押し、地面へ転がした。

 

 銃を奪い、遠くへ放る。

 

 これで二人とも無力化した。

 

「……ふう」

 

 俺は息を吐いた。

 

 周囲を確認する。

 

 逃げていた少年は、少し離れた場所で立ち尽くしていた。

 

 口を半開きにし、こちらを見つめている。

 

 他の通行人たちも同じだった。

 

 だが、その視線は感謝というより、驚愕と警戒に近い。

 

 ……まあ、当然か。

 

 剣を持った鎧姿の少年が、銃を持った大人二人を素手で倒したのだ。

 

 俺が逆の立場でも、多少は驚くだろう。

 

「……おい」

 

 俺は少年に声をかけた。

 

 少年がびくりと肩を震わせる。

 

「大丈夫か?」

 

「え……あ、ああ……」

 

 少年は何度か瞬きをした。

 

 そして、ようやく口を開く。

 

「……あんた、何者だよ」

 

「だから、通りすがりだって」

 

「通りすがりが、あんなことできるかよ!」

 

 もっともな意見だった。

 

 俺は苦笑した。

 

「まあ、色々あってな」

 

「色々って……」

 

 少年は言葉を失った。

 

 俺は倒れている男たちに視線を向ける。

 

 二人とも意識はある。

 

 骨も、致命的な場所は折っていないはずだ。

 

 ただし、しばらくまともには動けないだろう。

 

「……それで」

 

 俺は少年に向き直った。

 

「何で追われてたんだ?」

 

 少年の表情が強張った。

 

 その反応を見て、俺は少しだけ眉をひそめる。

 

 どうやら、単純な話ではなさそうだった。

 

     ◇

 

「……盗んだんだ」

 

 少年は、しばらく黙り込んだ後でそう言った。

 

 俺は瞬きをする。

 

「……何を?」

 

「これ」

 

 少年が抱えていたものを見せた。

 

 小さな金属製のケースだった。

 

 手のひら二つ分ほどの大きさ。

 

 黒い外装には細かな傷がついており、側面には見慣れない端子が並んでいる。

 

 何かの機械らしい。

 

「……何だ、それ」

 

「データチップ」

 

「データチップ?」

 

「知らねえのか?」

 

「……まあ、あまり詳しくない」

 

 少年は怪訝そうな顔をした。

 

 俺は内心で頭を抱える。

 

 前世の知識があるとはいえ、この世界の技術についてはほとんど分からない。

 

 データチップという言葉から、情報を記録する道具だということくらいは想像できる。

 

 だが、それがどれほど価値のあるものなのかまでは分からなかった。

 

「……で、それを盗んだのか」

 

「ああ」

 

「誰から?」

 

 少年は少し躊躇した。

 

「……あいつらの仲間」

 

 なるほど。

 

 つまり、盗まれた側が追いかけてきたということか。

 

 俺はため息をついた。

 

「……お前な」

 

「分かってるよ!」

 

 少年が声を荒げる。

 

「盗みが悪いことくらい、分かってる!」

 

「なら、何でやった?」

 

「……金が必要だったんだよ」

 

 少年は唇を噛んだ。

 

 俺は黙って続きを待った。

 

「……妹がいるんだ」

 

 少年が小さく呟いた。

 

「病気でさ。医者に診せる金もねえ。薬だって高い。だから……」

 

 そこで言葉が途切れた。

 

 少年はケースを強く抱きしめた。

 

「……売れば、金になるって聞いたんだ」

 

 俺はしばらく少年を見つめた。

 

 痩せた身体。

 

 汚れた服。

 

 擦り切れた靴。

 

 顔色もよくない。

 

 おそらく、まともな食事を取れていないのだろう。

 

 元の世界でも、似たような子供を何人も見てきた。

 

 戦争で家族を失った者。

 

 魔物に村を襲われた者。

 

 病気の親を助けるために、盗みに手を染めた者。

 

 事情はそれぞれ違った。

 

 だが、共通していたことがある。

 

 追い詰められた人間は、正しい選択をする余裕すら失ってしまうということだ。

 

「……そうか」

 

 俺は静かに頷いた。

 

 少年が顔を上げる。

 

「……怒らねえのか?」

 

「怒ったところで、妹の病気が治るわけじゃないだろ」

 

「……」

 

「ただし、盗みを続ければ、いつか取り返しのつかないことになるぞ」

 

 少年は俯いた。

 

「……分かってる」

 

「本当に分かってるなら、次からは別の方法を考えろ」

 

「そんな方法があれば、苦労しねえよ……」

 

 その言葉に、俺は返事ができなかった。

 

 確かに、そうだ。

 

 この世界の仕組みも知らない俺が、簡単に説教できることではない。

 

 俺は少し考えた。

 

 そして、口を開く。

 

「……妹は、どこにいる?」

 

 少年が顔を上げた。

 

「え?」

 

「病気なんだろ。会わせてくれ」

 

「……何で?」

 

「もしかしたら、助けられるかもしれない」

 

 少年は目を見開いた。

 

 だが、すぐに警戒した表情になる。

 

「……あんた、医者なのか?」

 

「いや」

 

「じゃあ、何でそんなこと言えるんだよ」

 

「……説明が難しいんだが」

 

 俺は少し考えた。

 

 神々の奇跡。

 

 それを、この世界の人間にどう説明すればいいのだろう。

 

 魔法が存在しないらしい世界で、神の力によって傷や病気を治せると言っても、信じてもらえるとは思えない。

 

「……特殊な治療法を知ってる」

 

 結局、そう答えることにした。

 

 少年はますます怪訝そうな顔をした。

 

「……怪しい」

 

「自覚はある」

 

 俺は苦笑した。

 

 鎧を着て、剣を持った見知らぬ少年が、突然治療できると言い出す。

 

 確かに、怪しさしかない。

 

「……まあ、信じるかどうかはお前次第だ」

 

 俺はそう言った。

 

 少年はしばらく考え込んだ。

 

 そして、小さく頷く。

 

「……分かった」

 

「いいのか?」

 

「あんた、さっき俺を助けてくれたし……」

 

 少年は少しだけ視線を逸らした。

 

「……それに、もう他に頼れる奴もいねえ」

 

 俺は静かに頷いた。

 

「なら、案内してくれ」

 

     ◇

 

 少年の名前は、リクと言った。

 

 年齢は十三歳。

 

 この街で生まれ育ち、両親はすでにいないらしい。

 

 妹と二人で暮らしているという。

 

「……で、あんたは?」

 

 歩きながら、リクが尋ねた。

 

「カイだ」

 

「カイ?」

 

「ああ」

 

「変わった名前だな」

 

「……そうか?」

 

 俺は首を傾げた。

 

 元の世界では、それほど珍しい名前ではなかった。

 

 もっとも、この街では違うのかもしれない。

 

「……あんた、どこから来たんだ?」

 

「遠いところ」

 

「……またそれかよ」

 

 リクが呆れた顔をした。

 

 俺は苦笑する。

 

「色々と事情があるんだ」

 

「ふーん」

 

 リクはそれ以上、深く追及してこなかった。

 

 ありがたい。

 

 俺も、まだ自分の状況を説明できるほど整理できていなかった。

 

 しばらく歩くと、周囲の景色が変わり始めた。

 

 巨大な広告は少なくなり、建物の外壁には錆や汚れが目立つようになる。

 

 道路にはゴミが散乱し、ところどころで蒸気が噴き出していた。

 

 建物の隙間には、簡素な住居のようなものが並んでいる。

 

「……この辺りに住んでるのか?」

 

「ああ」

 

 リクが頷く。

 

「家賃が安いんだ。まあ、ボロいけどな」

 

 俺は周囲を見渡した。

 

 確かに、あまり治安がよさそうには見えない。

 

 だが、人々の生活の気配はあった。

 

 洗濯物。

 

 小さな屋台。

 

 子供たちの声。

 

 狭い路地で談笑する老人たち。

 

 どれも、どこか懐かしい光景だった。

 

 元の世界で訪れた貧しい村々を思い出す。

 

 技術がどれほど進歩しても、人間の暮らしそのものは大きく変わらないのかもしれない。

 

「……ここだ」

 

 リクが足を止めた。

 

 目の前には、古びた集合住宅があった。

 

 外壁はひび割れ、配管がむき出しになっている。

 

 入口の扉は半分壊れており、階段にはゴミが散乱していた。

 

 リクは慣れた様子で中へ入っていく。

 

 俺も後に続いた。

 

 階段を上る。

 

 途中、何人かの住人とすれ違った。

 

 彼らは俺の鎧と剣を見て、露骨に警戒した表情を浮かべた。

 

 ……やはり、服装は早めに変えた方がよさそうだ。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、リクが一つの扉の前で立ち止まった。

 

「……ここ」

 

 リクはポケットから小さな鍵を取り出した。

 

 扉を開ける。

 

 中は、狭い部屋だった。

 

 古い寝台。

 

 小さな机。

 

 簡素な調理器具。

 

 壁には、ひび割れた画面が取りつけられている。

 

 そして、部屋の奥。

 

 薄い毛布をかけられた少女が横になっていた。

 

「……リク?」

 

 か細い声がした。

 

 少女がゆっくりと顔を上げる。

 

 年齢は、十歳前後だろうか。

 

 痩せた身体。

 

 青白い顔。

 

 額には汗が浮かんでいる。

 

「……お兄ちゃん?」

 

「ああ、俺だ」

 

 リクが駆け寄った。

 

「大丈夫か?」

 

「……うん」

 

 少女は弱々しく頷いた。

 

 だが、その声には明らかに力がなかった。

 

 俺は静かに近づいた。

 

「……この子が妹か?」

 

「ああ。名前はミナ」

 

 リクが答える。

 

 俺は少女の様子を観察した。

 

 呼吸が浅い。

 

 顔色が悪い。

 

 身体もひどく衰弱している。

 

 ただの風邪ではなさそうだった。

 

「……医者には?」

 

「一度だけ診てもらった」

 

 リクが俯いた。

 

「でも、ちゃんと治すには金がいるって……」

 

「……そうか」

 

 俺は頷いた。

 

 病気の原因は分からない。

 

 この世界特有の感染症かもしれないし、何か別の問題かもしれない。

 

 だが。

 

 俺には、試せることがあった。

 

「……ミナ」

 

 俺は少女に声をかけた。

 

 少女がこちらを見る。

 

「……だれ?」

 

「カイだ。お兄ちゃんの知り合いだよ」

 

「……お兄ちゃんの、お友達?」

 

「まあ、そんなところかな」

 

 俺は微笑んだ。

 

「少し、身体を診てもいいか?」

 

 ミナはリクを見た。

 

 リクが頷く。

 

 少女も、小さく頷いた。

 

「……うん」

 

「ありがとう」

 

 俺は寝台のそばに膝をついた。

 

 そして、右手をそっと差し出した。

 

 意識を集中させる。

 

 昼と太陽の神から授かった奇跡。

 

 ――陽光の奇跡。

 

 かつて、あの神は俺にこう言った。

 

『お前は、誰かを守るために剣を振るうのだろう? ならば、傷ついた者を癒やす力も持っていけ』

 

 その言葉を、今でも覚えている。

 

 陽光の奇跡は、俺を中心とした一定範囲にいる仲間や、俺が認めた人間を癒やし続ける力だ。

 

 十メートルほどの範囲にいる対象へ、継続的な治癒を与える。

 

 精神力が続く限り、効果を維持できる。

 

 さらに、対象を一人に絞れば、失われた身体の一部すら再生させることができる。

 

 もっとも、そこまでの回復には相応の時間が必要になるが。

 

 俺はミナを見つめた。

 

 病気の原因は分からない。

 

 だが、身体の状態を改善することはできるはずだ。

 

「……少し、温かくなるかもしれない」

 

 俺は静かに告げた。

 

 ミナが首を傾げる。

 

「……あったかく?」

 

「ああ」

 

 俺は目を閉じた。

 

 そして、奇跡を呼び起こす。

 

 身体の奥から、温かな力が湧き上がる。

 

 それは雷の奇跡とはまったく違う感覚だった。

 

 激しく、荒々しい力ではない。

 

 穏やかで、優しい。

 

 まるで、春の日差しのような温もり。

 

 俺の身体を中心に、淡い金色の光が広がった。

 

「……え?」

 

 リクが声を上げた。

 

 ミナも目を見開く。

 

 光はゆっくりと部屋を満たし、少女の身体を包み込んだ。

 

 俺は意識を集中させる。

 

 癒やせ。

 

 この子の苦しみを。

 

 弱った身体を。

 

 傷ついた命を。

 

 少しずつでもいい。

 

 元の健康な状態へ戻してやれ。

 

 光が、さらに強くなった。

 

 ミナの呼吸が変わる。

 

 浅く苦しげだった息が、少しずつ落ち着いていく。

 

 青白かった頬に、わずかに赤みが戻った。

 

「……あ」

 

 ミナが小さく声を漏らした。

 

「……あったかい」

 

 俺は微笑んだ。

 

「そうか」

 

「……すごく、あったかい」

 

 その声には、先ほどより力があった。

 

 リクが呆然と立ち尽くしている。

 

「……な、何だよ、これ」

 

 俺は答えなかった。

 

 今は、治療に集中する。

 

 奇跡は万能ではない。

 

 病気の原因が分からない以上、どれほど時間が必要になるかも分からない。

 

 だが、確かに効果は出ている。

 

 俺は精神力の消耗を確認しながら、慎重に力を注ぎ続けた。

 

 数分。

 

 さらに数分。

 

 やがて、ミナの呼吸は落ち着き、顔色も明らかに改善していた。

 

「……お兄ちゃん」

 

 少女が小さく呼びかける。

 

「……お腹、すいた」

 

 リクが目を見開いた。

 

「……ミナ?」

 

「……ごはん、食べたい」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 リクの表情が崩れた。

 

「……っ」

 

 少年は何かを言おうとした。

 

 だが、声にならなかった。

 

 代わりに、目から涙がこぼれ落ちる。

 

「……よかった」

 

 震える声。

 

「……よかった……!」

 

 リクは妹の手を握りしめた。

 

 ミナは不思議そうに兄を見つめている。

 

 俺は静かに奇跡を解いた。

 

 身体の奥に、確かな疲労が残っている。

 

 精神力を使った証拠だ。

 

 だが、問題ない。

 

 まだ余裕はある。

 

「……とりあえず、落ち着いたみたいだな」

 

 俺は立ち上がった。

 

 リクがこちらを見た。

 

 涙で濡れた顔。

 

 信じられないものを見るような目。

 

「……あんた」

 

「ん?」

 

「……何者なんだよ」

 

 俺は少し考えた。

 

 神々から祝福を受けた剣士。

 

 邪神を討ち果たした英雄。

 

 異世界から来た転移者。

 

 どれも本当だ。

 

 だが、どれも今ここで説明するには面倒だった。

 

 だから。

 

「……ただの旅人だよ」

 

 そう答えた。

 

 リクは、しばらく俺を見つめていた。

 

 そして。

 

「……そんな旅人が、いるかよ」

 

 泣きながら、笑った。

 

     ◇

 

 治療が終わった後、俺はしばらく部屋に留まることになった。

 

 ミナは、先ほどまでとは見違えるほど元気になっていた。

 

 まだ身体は弱っているが、少なくとも、今すぐ命に関わるような状態ではなさそうだ。

 

 俺は念のため、無理をしないように伝えた。

 

「しばらくは休んで、ちゃんと食べること。分かった?」

 

「……うん」

 

 ミナが素直に頷く。

 

 リクも真剣な顔で聞いていた。

 

「……本当に、ありがとう」

 

 リクが頭を下げた。

 

「妹を助けてくれて……」

 

「気にするな」

 

 俺は首を振った。

 

「助けられるなら、助ける。それだけだ」

 

「……でも」

 

「それより、お前もちゃんと飯を食えよ」

 

 俺はリクの細い腕を見た。

 

 どう考えても、栄養が足りていない。

 

 ミナだけでなく、リク自身も相当に無理をしているはずだった。

 

「……分かってるよ」

 

 リクが小さく答えた。

 

 俺は頷いた。

 

 そして、ふと思い出す。

 

「……そうだ」

 

 俺は腰の小物入れから、先ほど換金した紙幣を取り出した。

 

 そのうち何枚かを、リクに差し出す。

 

「これ、使え」

 

 リクが目を見開いた。

 

「……は?」

 

「食料を買ってこい。妹にも、お前にも必要だろ」

 

「い、いや、でも……!」

 

「遠慮するな」

 

 俺は紙幣を押しつけた。

 

「俺はまだ、この街のことをよく知らない。だから、代わりに教えてくれ」

 

 リクが瞬きをする。

 

「……何を?」

 

「色々だ。まず、この街の名前。それから、どこで寝泊まりできるか。仕事を探すにはどうすればいいか」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「正直、何も分からなくてな」

 

 リクはしばらく呆然としていた。

 

 そして、突然笑い出した。

 

「……ははっ!」

 

「……何だよ」

 

「いや……あんた、ほんと変な奴だな」

 

「よく言われる」

 

 俺は苦笑した。

 

 リクは涙を拭い、真剣な顔になった。

 

「……分かった」

 

 少年は頷いた。

 

「俺が知ってることなら、何でも教える」

 

「助かる」

 

 俺は素直に礼を言った。

 

 こうして。

 

 俺は、この世界で初めての知り合いを得た。

 

 そして、まだ知らなかった。

 

 この小さな出会いが、やがて俺をこの街の裏社会へと導くことになるとは。

 

     ◇

 

 その日の夜。

 

 街の一角にある、小さな事務所。

 

 薄暗い部屋の中で、一人の男が映像を眺めていた。

 

 画面には、昼間の路上で起きた騒動が映し出されている。

 

 鎧を着た黒髪の少年。

 

 銃を持った男たち。

 

 そして、ほんの数秒で終わった戦闘。

 

「……何だ、こいつ」

 

 男が呟いた。

 

 映像を巻き戻す。

 

 もう一度見る。

 

 少年は銃を持っていない。

 

 それどころか、腰に剣を下げている。

 

 なのに、銃を持った大人二人を一方的に制圧していた。

 

 男は画面を拡大した。

 

 少年の顔。

 

 黒髪。

 

 鳶色の瞳。

 

 十代半ばほどの年齢。

 

 そして、異様な鎧。

 

「……見たことねえな」

 

 男は端末を操作した。

 

 顔認証。

 

 人物照合。

 

 登録情報の検索。

 

 しかし。

 

『該当データなし』

 

 画面に表示された文字を見て、男は眉をひそめた。

 

「……身元不明、か」

 

 珍しい話ではない。

 

 この街には、まともな身分を持たない人間などいくらでもいる。

 

 だが、あれほどの戦闘能力を持つ人間が、何の記録もないというのは妙だった。

 

 男はしばらく考えた。

 

 そして、通信端末を手に取る。

 

「……おい、ちょっと調べてほしい奴がいる」

 

 相手が何かを答える。

 

 男は画面に映る少年を見つめた。

 

「黒髪のガキだ。年は十六くらい。妙な鎧を着て、剣を持ってる」

 

 少し間を置く。

 

「……ああ。腕は立つ。かなりな」

 

 男は口元を歪めた。

 

「使えるかもしれねえ」

 

 通信が切れる。

 

 部屋に静寂が戻った。

 

 画面の中では、黒髪の少年が倒れた男たちを見下ろしている。

 

 男は椅子にもたれかかり、小さく笑った。

 

「……さて。どこの誰だか知らねえが」

 

 その目が、細くなる。

 

「この街で生きていくなら、いずれ仕事が必要になるだろう?」

 

 ネオンの光が、窓の向こうで瞬いていた。

 

 鋼鉄の街。

 

 巨大企業と裏社会が支配する都市。

 

 そこに、一人の異世界の剣士が現れた。

 

 その存在は、まだ小さな波紋に過ぎない。

 

 だが。

 

 やがてその波紋が、街の裏側にまで広がっていくことを。

 

 このとき、誰も知らなかった。

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