神々の剣士、最後の十秒
人間には、限界がある。
どれほど鍛えた戦士でも、疲れれば動きが鈍る。
傷を負えば痛みを感じるし、血を失えば力が抜ける。
それは俺だって同じだ。
神々から祝福を授かっていようと、身体そのものは人間なのだから。
だが、この世界には、その限界を無理やり踏み越えさせる技術がある。
神経を機械につなぎ、筋肉の安全装置を外し、本人の意思とは無関係に身体を動かす。
限界を超えた力。
限界を超えた速度。
その代償として、身体が壊れても構わない。
そんなものを、進歩と呼んでいいのだろうか。
俺は目の前の女剣士を見た。
長い黒髪。
赤く光る瞳。
細身の身体に埋め込まれた、無数の機械。
彼女の名前はリナ。
つい先ほど、本人が教えてくれた。
だから、もう十三号とは呼ばない。
少なくとも、俺は。
彼女を番号で呼ぶつもりはなかった。
◇
午後九時二十六分。
旧ヘリックス研究施設、地下第三階層。
中央制御室。
――ピッ。
壁際の端末に、赤い数字が表示されていた。
CHM-013 独立制御系・最大出力まで 10
俺は剣を握り直した。
「ノア、聞こえるか!」
『聞こえる!』
「リナの制御が強化されるらしい! 止められないか!」
『今、調べてる!』
数字が減る。
九。
八。
リナの首筋で、制御装置が赤く明滅した。
彼女は剣を構えたまま、苦しそうに呼吸している。
「リナ!」
俺は呼びかけた。
「聞こえているなら、返事をしてくれ!」
唇が僅かに動く。
だが、声は出なかった。
七。
六。
俺は通信機へ叫んだ。
「ノア!」
『駄目! 外部からの停止命令を受け付けない!』
「ほかに方法は!?」
『独立制御装置を物理的に切り離すしかない! でも、神経系への負荷が――』
五。
四。
リナの身体が小さく震えた。
赤い刀身が床へ向けられる。
その姿を見て、俺は気づいた。
彼女は戦う準備をしているんじゃない。
必死に抵抗しているのだ。
自分の身体を、これ以上動かさないように。
三。
二。
俺は剣を下げた。
「リナ」
彼女の瞳が、こちらへ向く。
「君は一人じゃない」
一。
そして。
――ゼロ。
リナの首筋で、赤い光が爆ぜた。
◇
――バチッ!
電気が弾ける音。
リナの身体が大きく仰け反った。
「――ああああっ!」
初めて、彼女がはっきりと悲鳴を上げた。
俺は反射的に駆け寄ろうとした。
だが、その瞬間。
リナの姿が消えた。
……速い!
次の瞬間には、俺の右側へ回り込んでいた。
赤い剣が、水平に振り抜かれる。
――ギィィンッ!
俺は長剣を立てた。
衝撃が腕を伝い、肩の傷が悲鳴を上げる。
足が床を滑った。
……重い!
さっきまでとは比較にならない。
リナの細い腕から、信じられないほどの力が伝わってくる。
彼女は剣を引くと、間髪入れずに突きを放った。
俺は身体を捻った。
赤い刃が脇腹を掠める。
――シュッ!
服が裂け、熱い痛みが走った。
さらに、足払い。
俺は跳んでかわした。
だが、着地するより先に、リナの左手が伸びてきた。
――バシュッ!
金属製の拘束ワイヤー。
俺は剣で弾こうとした。
しかし、ワイヤーは刃を避けるように軌道を変え、左手首へ巻きついた。
――ギュッ!
「……っ!」
強い力で引っ張られる。
リナが踏み込んだ。
赤い剣の柄頭が、俺の胸へ迫る。
……避けきれない!
俺は咄嗟に左腕を引き、ワイヤーの張力を利用して身体を回転させた。
衝撃を完全には避けられなかったが、急所は外れた。
――ドンッ!
胸を打たれ、床へ転がる。
息が詰まった。
……くそ。
捕獲命令だから、殺しに来ない。
それが唯一の救いだ。
だが、骨を砕かれれば結局動けなくなる。
俺は床を蹴って立ち上がった。
その瞬間、リナの剣が目の前へ迫る。
――キィンッ!
銀色と赤色の刃がぶつかった。
火花が散る。
俺は奥歯を噛みしめた。
……このままじゃ、彼女の身体が先に壊れる。
◇
『カイ!』
ノアの声が通信機から響いた。
『リナの生体情報が異常値を示してる!』
「分かってる!」
『心拍数が上がり続けてる! 神経伝達も危険域!』
俺はリナの顔を見た。
額には汗。
唇は青白い。
鼻から、一筋の血が流れている。
それでも身体は止まらない。
……ヴォス。
お前は本当に、どこまでやるつもりなんだ。
「制御装置の位置は分かるか!?」
『首の後ろだけじゃない! 胸部にも補助制御装置がある!』
「胸部?」
『鎖骨の下! そこから首の端末へ命令を送ってる!』
俺はリナの身体を見た。
黒い戦闘服の襟元。
右鎖骨の少し下に、小さな金属製の突起が見える。
……あれか。
「壊せば止まる?」
『分からない! 制御は止まるかもしれないけど、神経に逆流が起きる危険がある!』
俺は舌打ちした。
……簡単にはいかないな。
だが、方法はあるはずだ。
俺はリナの剣を受け流した。
――ギィンッ!
彼女は身体を回転させ、さらに一撃を放つ。
俺は後退しながら考えた。
制御装置。
神経接続。
そして、生命維持。
……そうだ。
以前、ダニエルを助けたとき。
首の緊急遮断装置を使った。
あのときは、義体の動きが止まっただけで、本人は生きていた。
だが、リナは別の型だ。
同じ方法が使える保証はない。
「ノア、オスカーは?」
『隣にいる!』
「リナの設計図を探してくれ! 緊急遮断手順がないか確認したい!」
『分かった!』
俺は剣を握り直した。
……頼む。
それまで、持ちこたえてくれ。
◇
中央試験室。
マーカスは、ようやく動きを止めた被験者たちを確認していた。
中央制御系が物理的に遮断されたことで、彼らの身体は徐々に自由を取り戻し始めている。
だが、完全ではない。
神経接続の負荷で、意識を失っている者もいる。
自力で歩けない者もいた。
マーカスは通信機を押した。
「エリオット、聞こえるか!」
『聞こえる。状況は?』
「被験者を十二人確保した。重傷者が多い。医療班を急がせろ」
『了解。だが、地下三階への搬出経路がまだ確保できていない』
「ノアたちは?」
『地下第一階層の設備室にいる。オスカーが非常用の昇降機を探しているところだ』
マーカスは顔をしかめた。
「……急いでくれ」
『分かってる』
通信が切れた。
マーカスは周囲を見渡した。
十二人。
それに、巨大義体兵のエリック。
そして、地下第二階層に残してきたレオン。
さらに、保守室へ避難させたCHM-011。
……想定より、ずっと多い。
この人数を運び出すには、車両だけでなく担架も必要だ。
そのとき、ガレスが近づいてきた。
左肩から血が滲んでいる。
「……おい」
「何だ?」
「エリックを運ぶ方法はあるか?」
マーカスは巨体を見た。
CHM-000。
全高三メートル近い戦闘義体。
両腕と両脚の駆動部は破損している。
だが、胸部の生命維持装置は稼働していた。
「……簡単じゃねえな」
「分かってる」
ガレスは巨体へ視線を向けた。
「……だが、置いていけねえ」
マーカスは少し考えた。
「……オスカーに聞いてみる」
ガレスが顔を上げた。
「本当か?」
「ああ。設備用の昇降機が使えれば、可能性はある」
ガレスは黙った。
そして、小さく頷いた。
「……恩に着る」
マーカスは肩をすくめた。
「礼はまだ早い」
◇
中央制御室。
リナの攻撃は、さらに激しくなっていた。
――キィンッ!
――ギィンッ!
剣が交差するたび、右肩に痛みが走る。
俺は呼吸を整えようとした。
だが、息が浅い。
脇腹の傷から血が流れている。
……まずい。
そろそろ、本当に限界が近い。
リナも同じだった。
彼女の身体は、限界を超えて動かされている。
関節から火花が散り、人工筋肉の一部が裂けていた。
それでも止まらない。
俺は剣を受け流しながら、声をかけた。
「リナ!」
返事はない。
「聞こえてるんだろ!」
赤い瞳が揺れた。
だが、剣は止まらない。
俺は歯を食いしばった。
……もう少し。
もう少しだけ、耐えてくれ。
そのとき。
『カイ!』
ノアの声。
『見つけた!』
俺は顔を上げた。
「何を!?」
『十三号の緊急遮断手順!』
俺は息を呑んだ。
「……本当か!?」
『ただし、条件がある!』
「何だ!?」
『胸部の補助制御装置を先に停止させて、それから首の端末を切り離す必要がある!』
俺は眉をひそめた。
「逆だと?」
『神経系に過大な負荷がかかる! 最悪の場合、脳に損傷が残る!』
……なるほど。
順番が重要なのか。
「どうやって胸部を止める!?」
『右鎖骨の下に、小さな保護カバーがある! その内側に手動遮断スイッチ!』
俺はリナの胸元を見た。
確かに、金属製のカバーがある。
だが、彼女は激しく動いている。
簡単には触れられない。
「首の方は!?」
『背面の接続端子! 青い解除ピンを引き抜く!』
俺は頷いた。
……分かった。
やるしかない。
「ノア、ありがとう!」
『待って! まだ問題がある!』
「何だ!?」
『胸部の遮断後、首の解除まで十秒以内! それ以上かかると、自動復旧する!』
俺は息を呑んだ。
……十秒。
また十秒か。
どうやら今日は、時間に追われる日らしい。
俺は苦笑した。
「……了解」
そして、剣を構え直した。
「十秒で終わらせる」
◇
まず、リナの剣を封じる必要がある。
俺は一歩踏み込んだ。
彼女が反応する。
赤い刃が、俺の右肩へ向かってくる。
……そこだ。
俺はあえて、剣を大きく振り上げた。
リナの制御装置が、俺の動きを予測する。
彼女は剣を横へ振り、俺の腕を狙った。
だが。
俺は途中で剣を止めた。
そして、身体を低く沈める。
――シュッ!
赤い刃が頭上を通過する。
俺は一気に距離を詰めた。
リナの懐へ入り、左手で剣を持つ手首を掴む。
同時に、右肩を相手の胸へ押し当てた。
……痛っ!
負傷した肩に激痛が走る。
だが、今は我慢だ。
俺は身体を回転させ、リナの重心を崩した。
――ドンッ!
彼女が床へ倒れる。
俺はそのまま、剣を持つ腕を押さえ込んだ。
だが、義体の力は強い。
すぐに押し返されそうになる。
……くそっ。
なら、少しだけ。
俺は右膝で彼女の腕を固定した。
そして、左手を胸元へ伸ばす。
金属製の保護カバー。
……これだ。
俺は指先を差し込み、カバーを引き上げた。
――カチッ。
内部に、小さなスイッチが見えた。
赤い表示。
そして、黄色い警告文字。
俺は通信機へ声をかけた。
「ノア! これで合ってるか!?」
『映像で確認した! 合ってる!』
俺は頷いた。
……よし。
リナの身体が激しく動く。
俺は歯を食いしばった。
……今だ!
スイッチを押した。
――ピッ。
赤い表示が消えた。
代わりに、黄色い光が点滅する。
『胸部補助制御、停止』
俺は息を呑んだ。
……成功だ!
だが、ここから十秒。
俺はすぐに身体を動かした。
リナの首筋へ手を伸ばす。
だが、その瞬間。
彼女の左腕が、俺の胸を押した。
――ドンッ!
俺は後方へ弾き飛ばされた。
「……ぐっ!」
床を転がる。
……しまった!
時間がない!
俺は立ち上がった。
リナも起き上がろうとしている。
だが、胸部の補助制御が停止したためか、動きが少し鈍い。
……今なら!
俺は一気に距離を詰めた。
リナの背後へ回り込む。
そして、首筋の接続端子を確認した。
青い解除ピン。
……見つけた!
俺は手を伸ばした。
だが、リナの右腕が動く。
赤い剣が、俺の腹部へ迫る。
……避けられない!
俺は咄嗟に剣の柄で受け止めた。
――ギィンッ!
衝撃。
右肩に激痛。
だが、何とか止めた。
俺は歯を食いしばり、左手を伸ばした。
青い解除ピンを掴む。
そして。
――カチッ!
引き抜いた。
◇
――ピィィィッ!
鋭い電子音が響いた。
リナの身体が、大きく震える。
赤い瞳が明滅する。
そして。
――フッ。
光が消えた。
彼女の身体から、力が抜ける。
俺は慌てて抱きとめた。
「リナ!」
返事はない。
俺は床へ膝をつき、彼女の身体を支えた。
……頼む。
生きていてくれ。
俺は首筋へ手を当てた。
脈がある。
呼吸もしている。
だが、弱い。
……よかった。
まだ生きている。
俺はすぐに昼と太陽の神の祝福を発動した。
――ふわり。
金色の光が、リナを包む。
夜間のため、負担は大きい。
だが、今は構わない。
俺は意識を集中した。
損傷した神経。
過剰な負荷を受けた筋肉。
そして、制御装置によって傷ついた身体。
生身の部分を、できる限り癒していく。
……重い。
頭の奥が痛む。
視界が少し揺れる。
だが、止めない。
彼女の呼吸が落ち着くまで。
俺は力を流し続けた。
数十秒後。
リナの胸が、ゆっくりと上下し始めた。
呼吸が安定している。
俺は祝福を止めた。
……よし。
何とか、間に合った。
俺は大きく息を吐いた。
そのとき。
リナの瞼が、僅かに動いた。
「……う……」
俺は顔を上げた。
「リナ?」
彼女はゆっくりと目を開けた。
赤い光は、もうない。
普通の、暗い茶色の瞳だった。
彼女は俺を見た。
「……あなた……」
俺は笑った。
「カイだよ」
リナはしばらく俺を見つめていた。
そして、震える声で呟いた。
「……助けて……くれたの?」
俺は頷いた。
「ああ」
彼女の目から、涙が流れた。
「……ありがとう……」
俺は首を横に振った。
「礼は、ここから出てからでいい」
◇
そのとき。
天井のスピーカーから、低い声が響いた。
『……信じられない』
ヴォスだった。
俺は顔を上げた。
声には、これまでになかった苛立ちが混じっている。
『十三号の独立制御まで解除するとは』
俺はリナを支えながら答えた。
「……あんたの実験は終わりだ」
『終わり?』
ヴォスが小さく笑った。
『まだ終わっていないよ』
俺は眉をひそめた。
「……何をするつもりだ?」
『君は、研究成果を破壊した』
俺は歯を食いしばった。
「……人間を、研究成果なんて呼ぶな」
ヴォスは答えなかった。
代わりに、端末の表示が切り替わった。
PROJECT CHIMERA
緊急封鎖プロトコル
地下第三階層:隔離開始
俺は息を呑んだ。
……何だ?
次の瞬間。
――ガシャンッ!
制御室の扉が閉まった。
さらに、階下からも重い金属音が響く。
――ガシャンッ!
――ガシャンッ!
複数の隔壁が閉じられていく。
俺は通信機へ叫んだ。
「ノア!」
『聞こえる!』
「何が起きてる!?」
『地下第三階層が、完全封鎖され始めてる!』
俺は眉をひそめた。
「……解除できるか!?」
『今やってる! でも、制御系が切り替わってる!』
……またか。
俺は歯を食いしばった。
ヴォスは、最後まで俺たちを逃がすつもりがないらしい。
そのとき。
リナが、俺の腕を掴んだ。
「……カイ……」
俺は顔を下げた。
「どうした?」
彼女は苦しそうに息を吐いた。
そして、震える声で言った。
「……博士は……」
俺は耳を澄ませた。
「……博士は?」
リナの表情が歪んだ。
「……証拠を……消すつもり……」
俺は息を呑んだ。
……証拠?
その瞬間。
通信機からノアの叫び声が響いた。
『カイ! 大変!』
「何だ!?」
『施設の自動処分システムが起動した!』
俺は顔を上げた。
「……処分?」
『地下第三階層の空調系に、何かが流れ込もうとしてる!』
俺は背筋が冷たくなった。
……まさか。
天井のスピーカーから、無機質な音声が響いた。
『……緊急封鎖プロトコル、実行』
『……生体試料処分シーケンス、開始』
俺はリナを抱きしめた。
……ふざけるな。
まだ、ここには大勢の人間がいる。
助けたばかりの被験者たちが。
マーカスも。
ガレスも。
そして、あの小さな少女も。
俺は剣を握り直した。
……ヴォス。
お前の好きにはさせない。
絶対に。