一年A組の扉は、やたらと大きかった。
バリアフリーだそうだ。異形型の個性を持つ生徒でも、窮屈な思いをしないように。この学校は、何もかもが規格外だった。
扉を開けると、教室にはもう半分ほどの生徒が集まっていた。そして、その真ん中で、二人の男子が言い争っていた。
「机に足をかけるな! 雄英の先輩方や机の製作者方に申し訳ないと思わないか!?」
「思わねーよ。てめーどこ中だよ端役が」
片方は、あの講堂で手を挙げた、眼鏡の受験生だった。もう片方は、薄い金髪を逆立てた、目つきの鋭い少年。机の上に両足を投げ出して、ふんぞり返っている。
僕は、二人の脇をすり抜けて、自分の席を探した。
黒板に貼られた座席表に、自分の名前があった。
青山優雅。
自分の名前を、こうして活字で眺めるのは、なんだか妙な気分だった。
――人間到る処青山あり。
塾の漢文の授業で、講師がそんな言葉を板書していたのを思い出す。人の世のどこにでも、骨を埋める場所はある。だから、故郷を出て大いに活躍せよ。そういう意味の、古い漢詩の一節だ。
『ここでいう青山とは地名や青い山って意味じゃない。墓のことだ。死に場所、自分の骨を埋める場所という意味だな』
講師がそう説明した時、教室の何人かが、ちらりと僕のほうを見た。僕は髪をかき上げて、「僕の名前が漢文にまで登場するなんて、さすがだね☆」と笑ってみせた。みんなも笑った。
けれど、その夜、ノートの隅に自分の名前を書いて、しばらく眺めていた。
青山。死に場所。
優雅。上品で、美しいこと。
優雅な、死に場所。
両親は、もちろんそんなつもりで名付けたわけではないだろう。それでも、何度も死んでは戻ってくる僕に、これほど似合いの名前もなかった。僕はこれまでに、もう十一の死に場所を通り過ぎてきた。そのどれひとつとして、優雅なものはなかったけれど。
座席表の前で、僕は小さく息を吐いた。
まったく、皮肉が効きすぎている。
◇ ◇ ◇
扉の開く音がして、振り返ると、あの緑色の髪の少年が立っていた。
眼鏡の生徒がすかさず駆け寄り、きびきびと自己紹介をする。飯田天哉、と名乗っていた。緑髪の少年は、しどろもどろに「緑谷です」と答えた。そこへ、丸顔の女の子が元気よく飛び込んでくる。
「あ! そのモサモサ頭は!! 地味めの!」
緑谷くんは、また真っ赤になっていた。
にぎやかなクラスだ、と思った。誰も彼もが、希望に満ちた顔をしている。
この中で、僕だけが嘘をついている。
「お友達ごっこしたいなら他所へ行け」
ふいに、低い声がした。
廊下に、寝袋が転がっていた。その中から、無精髭を生やした男が、もぞもぞと這い出してくるところだった。寝袋の中で、ゼリー飲料を一息で吸い干す。
「ここは……ヒーロー科だぞ」
教室中が、しんと静まり返った。
「ハイ、静かになるまで八秒かかりました。時間は有限。君たちは合理性に欠くね」
男は寝袋から抜け出すと、気だるげに教室を見回した。
「担任の相澤消太だ。よろしくね」
担任。この人が。
「早速だが、体操服着てグラウンドに出ろ」
◇ ◇ ◇
「個性把握……テストォ!?」
グラウンドに並んだクラス全員の声が、見事に揃った。
「入学式は!? ガイダンスは!?」
丸顔の女の子――麗日さんが叫ぶと、相澤先生は面倒くさそうに答えた。
「ヒーローになるなら、そんな悠長な行事出る時間ないよ。雄英は自由な校風が売り文句。そしてそれは、先生側もまた然り」
ソフトボール投げ。立ち幅跳び。五十メートル走。持久走。握力。反復横跳び。上体起こし。長座体前屈。
中学の頃からやってきた、ごく普通の体力テスト。ただし今回は、個性の使用が許可されている。
「中学の頃からやってるだろ? 個性禁止の体力テスト。国は未だ画一的な記録を取って平均を作り続けてる。合理的じゃない。まあ、文部科学省の怠慢だよ」
相澤先生は、ボールをひとつ、金髪の少年に放った。
「爆豪。中学の時、ソフトボール投げ何メートルだった」
「六十七メートル」
「じゃあ個性使ってやってみろ。円から出なきゃ何してもいい」
爆豪と呼ばれた少年は、軽く肩を回し、ボールを握った腕を大きく振りかぶった。
「死ねえ!!!」
爆音とともに、ボールが空の彼方へ消えた。
相澤先生が手にした端末に、数字が表示される。
七百五・二メートル。
「なんだこれ!! すげー面白そう!」
「個性思いっきり使えるんだ! さすがヒーロー科!!」
あちこちから、はしゃいだ声が上がった。
その声を、相澤先生の静かな一言が切り裂いた。
「……面白そう、か」
先生の目が、すっと細められた。
「ヒーローになる為の三年間。そんな腹づもりで過ごす気でいるのかい?」
グラウンドの空気が、一瞬で凍りついた。
「よし。トータル成績最下位の者は、見込み無しと判断し――除籍処分としよう」
誰かが、息を呑む音がした。
僕は、腕を組んだまま、黙ってその言葉を聞いていた。
除籍。
もし、それが僕だったら。入学初日に雄英を追い出された内通者に、あの男は何と言うだろう。
答えは、考えるまでもなかった。部屋の隅から引きずり出されてくる人影と、頬に飛ぶ温かい感触が、ありありと目に浮かんだ。
「生徒の如何は先生の自由。ようこそ、これが――雄英高校ヒーロー科だ」
相澤先生が、薄く笑った。
周りのクラスメイトたちは、青ざめた顔で拳を握りしめていた。
僕は、ベルトの上からお腹をさすった。
最下位にさえならなければいい。
そして、もしなってしまったら――その時は、三日前からやり直せばいい。
グラウンドを吹き抜ける四月の風が、やけに冷たかった。