翌朝、雄英の正門前は、人で埋め尽くされていた。
カメラ。マイク。腕章をつけた大人たち。報道陣だった。オールマイトが雄英の教師に就任したというニュースは、とっくに全国を駆け巡っていたらしい。
「オールマイトの授業はどんな感じです!?」
「教師としてのオールマイトについて一言!!」
門をくぐろうとする生徒たちに、次々とマイクが突きつけられる。困ったように愛想笑いを浮かべる者、足早に逃げる者、律儀に答えようとして口ごもる者。
僕の前にも、一本のマイクが突き出された。
「君、ヒーロー科の一年生だよね! オールマイトの授業、どうだった!?」
僕は、髪をかき上げて微笑んだ。
「それはもう、キラメキに満ちた素晴らしい授業でしたとも☆」
記者は、一瞬きょとんとした顔をした。それから、使えないと判断したのか、さっさと次の生徒へマイクを向けた。
門をくぐりながら、僕は振り返った。
何十人もの大人が、たった一人の男の話を聞くために、朝から門の前に詰めかけている。オールマイトが教師になった。それは、この国にとって、それほどの事件なのだ。
そして、あの男にとっても。
昨夜の電話が、耳の奥に蘇った。
『オールマイトは、ほとんど毎回来るそうです』
僕は、自分の答えた言葉を、頭の中で繰り返した。
あの男が知りたがっているのは、僕たちのことではない。僕たちの傍らに、いつ、あなたがいるのか。それだけだ。
分かっていたはずのことを、門の前の人だかりが、改めて僕に突きつけていた。
「彼は今日、非番です。授業の妨げになるんで、お引き取りください」
背後で、相澤先生の気だるげな声がした。記者たちの不満の声を遮るように、正門の分厚い隔壁が、音を立てて閉ざされていった。
雄英バリアー、と誰かが呼んでいた。学生証や通行許可証を持たない者が門をくぐろうとすると、自動的に閉まる防壁だ。
この学校の守りは、固い。
少なくとも、この時の僕は、そう思っていた。
◇ ◇ ◇
「昨日の戦闘訓練、お疲れ。Vと成績、見させてもらった」
朝のホームルームで、相澤先生は教卓に肘をついたまま言った。
「爆豪。お前もうガキみてえなマネするな。能力あるんだから」
「……分かってる」
爆豪くんが、不機嫌そうに答えた。
「で、緑谷はまた腕ブッ壊して一件落着か。個性の制御、いつまでも『出来ないから仕方ない』じゃ通させねえぞ。俺は同じ事言うのが嫌いだ。それさえクリアすりゃ、やれる事は多い。焦れよ緑谷」
「っはい!」
包帯の取れたばかりの右腕を押さえて、緑谷くんが背筋を伸ばした。
焦れ、か。
僕は、窓の外に目をやった。
緑谷くんには、焦る理由がある。焦れば、きっと前に進める。あれは彼自身の力だから、使えば使うほど、体のほうが追いついていく。
僕の光は、どれだけ焦っても、僕の体には馴染まない。
「さてHRの本題だ……急で悪いが、今日は君らに――」
教室中が、身構えた。また臨時テストか、と誰もが思ったに違いない。
「学級委員長を決めてもらう」
「学校っぽいの来たーーー!!!」
教室中が、一斉に沸いた。
次の瞬間、ほとんど全員の手が、天井に向かって突き上げられていた。
「委員長!! やりたいですソレ俺!!」
「ウチもやりたいス」
「ボクの為にあるヤツ☆」
最後のは、僕だった。
手を挙げたのは、ほとんど反射だった。周りのみんなが手を挙げている。だから、僕も挙げる。目立ちたがりの青山優雅なら、ここで手を挙げないはずがない。それだけの理由だった。
本当は、委員長などやりたくなかった。委員長になれば、授業の予定も、先生たちからの連絡も、真っ先に僕のところへ回ってくる。情報を得やすい立場だ。あの男が聞きに来た時、もう「分かりません」とは答えられなくなる。
「リーダー! やるやるー!!」
「オイラのマニフェストは女子全員膝上三十センチ!!」
「静粛にしたまえ!!」
ひときわ大きな声が、教室を貫いた。
飯田くんだった。
「"多"をけん引する責任重大な仕事だぞ……! やりたい者がやれるモノではないだろう!! 周囲からの信頼あってこそ務まる聖務……! 民主主義に則り、真のリーダーを皆で決めるというのなら……これは投票で決めるべき議案!!!」
そう力説する飯田くんの右手は、誰よりも高く、真っ直ぐに天井へ伸びていた。
「そびえ立ってんじゃねーか!! 何故発案した!!!」
誰かのツッコミに、教室中が笑った。
◇ ◇ ◇
投票は、無記名で行われた。
配られた小さな紙を前に、僕はペンを持ったまま、しばらく動けなかった。
自分の名前を書けば、それで済む。目立ちたがりの青山優雅なら、きっとそうする。誰も不思議には思わない。
けれど、僕の手は、別の名前を書いていた。
緑谷出久。
なぜ彼の名前を書いたのか、自分でもうまく説明できなかった。昨日、ボロボロになりながら立ち上がった背中を見たからか。指を折り、腕を壊し、それでも前に進もうとする姿を見たからか。
あるいは、ただ、確かめたかったのかもしれない。
あの真っ直ぐな少年が、このクラスの真ん中に立った時、どんな顔をするのかを。
開票の結果が、黒板に書き出された。
「僕四票ーーー!!!?」
緑谷くんが、椅子から転げ落ちそうな勢いで叫んだ。
「なんでデクに……!! 誰が!!」
「まー、おめぇに入るよか分かるけどな!」
爆豪くんが机を叩き、瀬呂くんがからかうように笑った。
八百万さんが二票で副委員長。黒板には、票の入った生徒の名前と票数だけが並んでいた。そこに、飯田くんの名前はなかった。
僕の名前も、なかった。けれど、誰もそれには気づかなかった。みんなの目は、肩を落とす飯田くんと、青ざめた顔の緑谷くんに釘付けだった。
「〇票……分かってはいた!! 流石は聖職といったところか……!!」
「他に入れたのね……」
「お前もやりたがってたのに……何がしたいんだ飯田……」
飯田くんは、震える拳を握りしめていた。きっと、彼も誰か別の人に票を入れたのだ。自分ではなく、委員長にふさわしいと思った誰かに。
真っ直ぐな人だ、と思った。
教室の前に並んだ緑谷くんは、ガチガチに緊張した顔で、「マママ、マジでマジでか……!」と繰り返していた。
その顔を見ながら、僕は、無記名の投票用紙のことを考えていた。
あの四票のうちの一票が僕だと、誰も知らない。
知られることも、ない。
嘘をつき続けている僕が、唯一、本当のことを書いた紙切れ。それが誰にも読まれないまま、きっと今日のうちに捨てられていくのだと思うと、少しだけ、おかしかった。