マスコミ侵入から、数日が過ぎた。
崩れた正門は、いつの間にか元どおりに直されていた。生徒たちの間でも、あの日の騒ぎは「非常口飯田」の笑い話としてしか語られなくなっていた。
黒い携帯電話は、あの夜から一度も鳴っていない。
「今日のヒーロー基礎学だが……俺とオールマイト、そしてもう一人の三人体制で見ることになった」
朝のホームルームで、相澤先生が言った。
「ハーイ! 何するんですか!?」
「災害水難なんでもござれ。人命救助訓練だ!!」
相澤先生が、『RESCUE』と書かれたカードを掲げた。
教室が、どっと沸いた。
「レスキュー……今回も大変そうだな」
「ねー!」
「バカおめーこれこそヒーローの本分だぜ!? 鳴るぜ!! 腕が!!」
「水難なら私の独壇場、ケロケロ」
「おい、まだ途中」
相澤先生のひと睨みで、教室が静まり返った。
「今回コスチュームの着用は各自の判断で構わない。中には活動を限定するコスチュームもあるだろうからな。訓練場は少し離れた場所にあるから、バスに乗っていく。以上、準備開始」
学外の訓練場。
教師の目が、三人分しかない場所。そして、そのひとりが、あなた。
クラスが孤立する時。その傍らに、オールマイトがいる時。あの男の言っていた形が、そのまま、目の前に差し出されていた。
僕は、机の下で拳を握りしめていた。
あの夜、僕が伝えたのは、「オールマイトはほとんど毎回来る」ということと、「学外の施設を使う授業もある」ということだけだった。どこで、いつ、何をするのか。それは何も伝えていない。
伝えていない、はずだった。
◇ ◇ ◇
バスの中は、思ったよりも騒がしかった。
座席は、向かい合わせになる形式だった。番号順に並ぼうと張り切っていた飯田くんは、「こういうタイプだったか、くそう!!」と悔しそうに座席を叩いていた。
「私、思ったことは何でも言っちゃうの。緑谷ちゃん」
蛙吹さんが、隣の緑谷くんに話しかけていた。
「あなたの個性、オールマイトに似てる」
緑谷くんが、ぎくりとした顔で固まった。
「そそそそうかな!? いや、でも僕はその、えー……」
「待てよ梅雨ちゃん。オールマイトは怪我しねえぞ。似て非なるアレだぜ」
切島くんが、笑いながら割って入った。
「しかし増強型のシンプルな個性はいいな! 派手で出来ることが多い! 俺の硬化は対人じゃ強えけど、いかんせん地味なんだよなー」
「派手で強えっつったら、やっぱ轟と爆豪だな」
「爆豪ちゃんはキレてばっかだから、人気出なそう」
「んだとコラ出すわ!!」
「ホラ」
「この付き合いの浅さで既にクソを下水で煮込んだような性格と認識されるってすげぇよ」
「テメェのボキャブラリーは何だコラ殺すぞ!!」
バスの中が、笑い声で満たされた。
僕は、窓の外を流れていく景色を眺めながら、その声を聞いていた。
どこにでもある、高校生の会話だった。くだらなくて、騒がしくて、温かい。この人たちは、これから先もずっと、こういう会話を続けていくのだろう。三年間、同じ教室で。
僕は、その輪の中にいる。いながら、どこにもいない。
「青山は、派手な方だよな!」
ふいに、上鳴くんが僕に話を振った。
「レーザーだもんな。しかも死神のコスチュームって、ギャップやべえよ」
「ふふ、当然さ☆ 僕のキラメキは、どんな闇夜でも隠しきれないからね」
「出たよ」
また、笑い声が起きた。僕も、笑った。
「もう着くぞ。いい加減にしとけよ」
相澤先生の一言で、バスの中はぴたりと静まった。
◇ ◇ ◇
訓練場は、巨大なドーム状の施設だった。
中に入った瞬間、クラス中から感嘆の声が上がった。水難事故、土砂災害、火事、暴風雨。ありとあらゆる災害を再現した区画が、中央の広場を囲むように並んでいる。
「すっげーー!! USJかよ!!?」
「水難事故、土砂災害、火事……etc.。あらゆる事故や災害を想定し、僕が作った演習場です」
宇宙服のようなコスチュームに身を包んだプロヒーローが、僕たちを出迎えた。
「その名も、ウソの災害や事故ルーム!!」
USJだった。
スペースヒーロー、13号。災害救助の現場で数々の人命を救ってきた、紳士的なヒーローだ。緑谷くんと麗日さんが、目を輝かせて歓声を上げていた。
相澤先生が、13号先生に何事か小声で尋ねていた。オールマイトは、と言ったように聞こえた。13号先生は、指を三本立てて見せた。何かの合図のようだった。
「仕方ない、始めるか」
相澤先生が、溜め息まじりに呟いた。
オールマイトは、来ていない。
その事実に気づいた瞬間、強張っていた肩から、ふっと力が抜けた。
あの男が欲しがっているのは、クラスが孤立する時ではない。その傍らに、あなたがいる時だ。あなたがいないのなら、今日は、その日ではない。
そう思った。思おうとした。
『オールマイトは、ほとんど毎回来るそうです』
あの夜、あの男に伝えた自分の声が、耳の奥で、まだ小さく響いていた。
「えー、始める前にお小言を一つ二つ……三つ……四つ……」
13号先生が、指を折りながら話し始めた。
「皆さんご存知だとは思いますが、僕の個性はブラックホール。どんなものでも吸い込んで、チリにしてしまいます」
「その個性で、どんな災害からでも人を救い上げるんですよね」
麗日さんが、大きく頷いた。
「ええ……しかし、簡単に人を殺せる力です。みんなの中にも、そういう個性がいるでしょう」
ドームの中が、静かになった。
「超人社会は、個性の使用を資格制にし、厳しく規制することで一見成り立っているようには見えます。しかし、一歩間違えれば容易に人を殺せる"いきすぎた個性"を、個々が持っていることを忘れないで下さい」
僕は、自分のお腹に手を当てた。
簡単に人を殺せる力。
この光は、ロボットを溶かした。黒影を怯えさせた。もし人に向けて、太く、長く撃てば、きっと人の体にも穴を開けるだろう。
そして、この光をくれた男は、指一本で人を殺す。
「この授業では……心機一転! 人命の為に個性をどう活用するのかを学んでいきましょう」
13号先生が、ヘルメットの奥で微笑んだ気がした。
「君たちの力は、人を傷つける為にあるのではない。救ける為にあるのだと心得て帰って下さいな」
拍手が起きた。
僕も、拍手をした。
救ける為の力。
僕の光は、どちらのためにあるのだろう。
◇ ◇ ◇
「そんじゃあ、まずは――」
相澤先生が口を開きかけた、その時だった。
ドームの中の照明が、ばちばちと音を立てて明滅した。
中央広場の噴水の前に、黒い靄が渦を巻いていた。
最初は、小さな染みのようだった。それが見る間に膨れ上がり、その中から、手が出てきた。顔に手のひらを貼りつけた、痩せた男。その後ろから、次から次へと、武器を手にした男たちが靄を抜けて現れる。
「何だアリャ!? また入試ん時みたいなもう始まってんぞパターン?」
切島くんが、身を乗り出した。
「動くな!!!」
相澤先生の声が、ドームを震わせた。
「あれは、
ゴーグルをかけた相澤先生の背中が、僕たちの前に立ちはだかった。
広場に溢れ出してきた男たちは、数十人はいた。その中心に、顔に手を貼りつけた痩せた男が立っている。その隣で、黒い靄そのもののような男が、靄の中の目を細めていた。
そして、その後ろに、何か大きなものがいた。
黒い肌。剥き出しの脳。鳥のくちばしのような口。人の形をしているのに、人ではない何か。
「13号に……イレイザーヘッドですか……」
黒い靄の男が、丁寧な口調で言った。
「先日頂いた教師側のカリキュラムでは、オールマイトがここにいる筈なのですが……」
先日頂いた。
教師側の、カリキュラム。
僕の膝が、がくりと崩れそうになった。
あの日だ。マスコミが雪崩れ込んできた、あの日。黒い携帯電話が鳴らなくなった、あの日。あの男は、本当に、知っている者のところから直接持ち出したのだ。
そして、僕の言葉は――『オールマイトはほとんど毎回来る』『学外の施設を使う授業もある』――その答え合わせに使われた。
今日ではない、と思ったのは、僕だけだった。この連中は、あなたがここにいると信じて、ここへ来たのだ。
「どこだよ……せっかくこんなに大衆引き連れてきたのにさ……オールマイト……平和の象徴……いないなんて……」
顔に手を貼りつけた男が、首をがりがりと掻きむしりながら呟いた。
「子どもを殺せば来るのかな?」
クラスが孤立する時を、探ってほしい。
あの男の柔らかい声が、耳の奥で、もう一度聞こえた。
あの男が欲しかったのは、孤立したクラスそのものではなかった。孤立したクラスを救けるために、ひとりで飛び込んでくる、あなただった。
僕たちは、そのための餌だったのだ。