子どもの頃の僕は、光るものが好きだった。
朝日を受けて虹を散らすシャンデリア。母の指で揺れる指輪。夜空の星、雨上がりの水たまり、磨き上げられた銀のスプーン。きらきらしたものを見つけるたびに、僕は手を叩いて笑っていたそうだ。
青山家は裕福な家だった。広い屋敷と、よく笑う父と、いつも甘い香りのする母がいた。両親は僕を溺愛していた。今にして思えば、少し度が過ぎるほどに。
「優雅、あなたはママンとパパンの宝石よ」
母は毎晩そう言って、僕の額にキスをした。
「いつか君は、世界でいちばんキラキラした男の子になるぞ」
父はそう言って、僕を高く抱き上げた。
僕はそれを、疑いもせずに信じていた。
テレビの中では、いつもオールマイトが笑っていた。
燃えさかるビルから何人もの人を抱えて飛び出し、黄金の髪をなびかせて「もう大丈夫!」と叫ぶ。画面越しでも分かるほど、その人は眩しかった。どんな宝石よりも、どんなシャンデリアよりも。
「ママン、ぼくもあれになる!」
「あら、ヒーローに?」
「うん! ぼくも、キラキラのヒーローになるんだ!」
母は笑って、僕の頭を撫でた。父も笑っていた。あの頃の僕の世界には、悲しいことなど何ひとつなかった。
――四歳の誕生日を過ぎるまでは。
周りの子どもたちが、手のひらから火花を散らしたり、背中から小さな羽を生やしたりし始めても、僕の体には何も起きなかった。両親は「優雅は大器晩成なのよ」と笑っていたけれど、その笑顔が日に日にこわばっていくのを、幼い僕でもうっすらと感じていた。
病院に連れて行かれたのは、それから少し経った頃だ。
白い部屋で、白衣の医者が、いくつもの検査結果を見比べていた。長い沈黙のあと、医者は眼鏡を押し上げ、申し訳なさそうに言った。
「……残念ですが。優雅くんは、無個性ですね」
医者はカルテに何かを書きつけながら、事務的な口調で続けた。
「今の世の中、八割の人間が何らかの個性を持っています。無個性というのは、言ってしまえば旧世代の体質です。ヒーローは……まあ、諦めたほうがいいでしょうな」
まるで、天気の話でもするような声だった。
この社会では、それが当たり前なのだ。個性を持たない人間は、生まれた瞬間から「欠けたもの」として扱われる。医者にとって、僕は何千枚もあるカルテの、ありふれた一枚にすぎなかった。
その時の母の顔を、僕は今でも覚えている。
何度死んで、何度戻っても、あの顔だけは色褪せることがない。
世界が終わったような顔だった。
帰りの車の中では、誰も口をきかなかった。窓の外を流れていく街の灯りを数えながら、僕は小さく尋ねた。
「ねえ、パパン。ぼく、ヒーローになれないの?」
父はハンドルを握ったまま、答えなかった。
代わりに、助手席の母が振り返った。泣き腫らした目で、それでも母は笑おうとしていた。
「そんなことないわ。優雅は、きっとキラキラになれる。ママンとパパンが、絶対にそうしてあげる」
あの時、母が何を決意したのか。四歳の僕には、分かるはずもなかった。
今なら、分かる。痛いほどに。
無個性という言葉の重さを、僕が本当に知ったのは、それから数日後の幼稚園でのことだった。
「ゆうがくん、むこせいなんだって」
誰が言い出したのかは覚えていない。きっと、どこかの親が家で話していたのを、子どもが聞きかじってきたのだろう。その言葉は、あっという間に教室中に広がった。
「むこせいって、なんにもできないってこと?」
「ヒーローになれないんだって!」
子どもというのは、ただ正直で、残酷だ。そして、その残酷さを教えるのは、たいてい大人だった。
昨日まで一緒にヒーローごっこをしていた友達が、その日から僕を誘わなくなった。代わりに回ってくるのは、決まって「やられ役」だった。
「むこせいはヴィランね! ほら、にげてみろよ!」
小さな手のひらから飛んでくる火の粉や、水の弾や、硬い爪。僕には、それを防ぐ術も、やり返す術もなかった。泣きながら逃げ回る僕を見て、みんなは手を叩いて笑った。
先生は、それを止めなかった。
「優雅くん、みんなと仲良くしましょうね。個性の練習はね、子どもにとって大事なことなのよ」
膝を擦りむいた僕に絆創膏を貼りながら、先生は困ったように笑った。困っているのは僕のほうなのに、と思った。
お迎えの時間になると、迎えに来た母親たちが、遠巻きに僕を見てひそひそと言葉を交わした。
『あの子でしょう、青山さんのところの』
『あれだけのお家なのに、無個性だなんて』
その輪の中に、僕の母はいなかった。母は門の外で、俯いて立っていた。かつてはあの母親たちの中心で、誰よりも華やかに笑っていた人が。
僕は砂場の隅で、ひとりで光る石を探して過ごすようになった。
見つけた小さな石英のかけらを、陽にかざす。きらり、と光る。こんな石でさえ光れるのに、どうして僕は光れないのだろう。そんなことを、ぼんやりと考えていた。
家に帰っても、そのことは両親に言わなかった。言えば、母がまたあの顔をすると分かっていたから。
けれど、本当に追い詰められていたのは、僕よりも両親のほうだったのかもしれない。
ある晩、親戚の集まりがあった。シャンデリアの下で、大人たちはグラスを片手に穏やかに笑い合っていた。その笑顔のまま、彼らは言った。
『青山家の跡取りが無個性とはねえ』
『どちらの血筋なのかしら。うちの家系には、そんな子はいなかったけれど』
視線が、一斉に母へ向いた。
『まあ、無個性の子なんて、いずれ親の重荷になるだけだ。今のうちに、もうひとり考えたらどうだね』
父は拳を握りしめて黙っていた。母は、何度も、何度も頭を下げていた。
「申し訳ありません。……わたしの、せいです」
どうして母が謝るのか、僕には分からなかった。悪いのは、光れない僕のほうなのに。
帰り道、母は僕の手を強く握ったまま、一度も離さなかった。その手が小刻みに震えていたことを、僕は覚えている。
その日から、両親は少しずつ変わっていった。
夜中にふと目を覚ますと、居間から押し殺した声が聞こえるようになった。
『個性を、与えることのできる人がいるそうだ』
『でも、そんな話……』
『このままじゃ、優雅が……』
父の顔からは笑顔が消え、母はよく一人で泣くようになった。屋敷には見知らぬ大人たちが出入りするようになり、そのたびに僕は自分の部屋へ追いやられた。
一度だけ、言いつけを破って階段の上から居間をのぞいたことがある。
黒い外套を着た痩せた男が、ソファに浅く腰かけていた。その向かいで、父と母が深々と頭を下げていた。あの誇り高い父が、床に額がつきそうなほどに。
『ご安心ください。あの方はお優しい。きっと、坊ちゃんにお力を貸してくださいますよ』
男の声は柔らかかった。柔らかいのに、なぜか背中がぞくりとした。
『ただし――ご存じのとおり、ただでとはまいりません』
『……分かっています。何でもいたします。あの子のためなら』
母の声は、泣いているように震えていた。
男がふと顔を上げ、階段のほうを見た気がした。僕は慌てて部屋に逃げ帰り、頭から布団をかぶった。心臓が、どくどくとうるさかった。
あの方、というのが誰なのか。その時の僕は、まだ知らなかった。
何が起きているのかは分からなかった。ただ、それが自分のせいなのだということだけは、なんとなく分かっていた。
僕が光らないから。僕が、キラキラじゃないから。
だから僕は、鏡の前で笑う練習をした。両親の前では、いつも笑っているようにした。光れないのなら、せめて光っているふりをしよう。幼い僕なりに考えた、精一杯の親孝行だった。
その癖が、のちに僕の生き方そのものになるとも知らずに。
そして、あの日の前夜が来た。
その夜の夕食は、やけに豪華だった。僕の好きなものばかりがテーブルに並び、デザートには苺の乗った大きなケーキまであった。誕生日でもないのに。
「優雅、明日はね、とっても素敵な方に会いに行くのよ」
母が、僕の口元についたクリームを拭いながら言った。
「すてきなかた?」
「ええ。その方はね、優雅を世界でいちばんキラキラにしてくださるの」
母の指は、かすかに震えていた。
父は黙ってワインを飲んでいた。いつもより、ずっとたくさん。
食事のあと、父は僕を膝の上に乗せ、小さな箱を差し出した。中に入っていたのは、星の形をしたブローチだった。銀色の台座に小さな石がいくつもはめ込まれていて、部屋の明かりを受けてちかちかと瞬いていた。
「わあ……!」
「お守りだ。明日は、これをつけていきなさい」
父は僕の髪を、何度も何度も撫でた。大きな手だった。温かい手だった。
「優雅。パパンとママンは、何があってもお前を愛している。……それだけは、忘れないでくれ」
どうしてそんなことを言うのだろう、と僕は思った。そんなこと、言われなくても知っているのに。
僕はブローチを胸に抱いて、その夜、ぐっすりと眠った。
――どうか、覚えておいてほしい。
この夜のことを。苺のケーキと、星のブローチと、父の手の温もりを。
僕はこの夜へ、何度も帰ってくることになるのだから。
翌日、僕は生まれて初めて死んだ。