「13号!! 生徒を守れ!!」
相澤先生が叫んだ。
「先生は!? 一人で戦うんですか!? あの数じゃいくら個性を消すっていっても! イレイザーヘッドの戦闘スタイルは
緑谷くんが、早口でまくし立てた。
「一芸だけじゃヒーローは務まらん」
相澤先生は、首元の布を握り直した。
「13号、任せたぞ」
そう言い残して、相澤先生は階段を飛び降りた。
◇ ◇ ◇
「させませんよ」
出口へ向かおうとした僕たちの前に、黒い靄が立ち塞がった。
さっきまで広場にいたはずの、あの靄の男だった。
「はじめまして、我々は
丁寧な口調だった。まるで、ホテルの支配人が客を出迎えるような。
その丁寧さに、僕は、あの柔らかい声を思い出していた。
「本来ならば、ここにオールマイトがいらっしゃるハズ……ですが、何か変更があったのでしょうか? まあ……それとは関係なく、私の役目はこれ」
靄が、大きく広がった。
その瞬間、切島くんと爆豪くんが、左右から飛びかかっていた。爆発と硬化した拳が、靄の男を捉える。
「その前に俺たちにやられることは考えてなかったか!?」
「危ない危ない……そう……生徒といえど優秀な金の卵」
靄の男は、何事もなかったように揺らめいた。
「ダメだ、どきなさい二人とも!」
13号先生が叫んだ時には、もう遅かった。
「散らして、嬲り殺す」
黒い靄が、僕たちを呑み込んだ。
◇ ◇ ◇
視界が、真っ黒に塗りつぶされた。
足元の感覚が消える。上も下も分からない。冷たい水の中に放り込まれたような、ひどく不快な浮遊感。
次の瞬間、僕は硬い石畳の上に投げ出されていた。
顔を上げる。
中央広場の、すぐ外れだった。噴水へと続く階段の陰。ほんの数十メートル先で、相澤先生が、
僕のそばには、誰もいなかった。みんな、別々の場所へ飛ばされたらしい。
石段の陰に身を伏せて、僕は広場を見た。
相澤先生は、強かった。
首元の布が、生き物のようにうねる。
あの気だるげな人が、こんなふうに戦うのか。
「すごい……」
思わず、声が漏れた。
その時、顔に手を貼りつけた男が、ふらりと相澤先生の前に歩み出た。
「二十三秒……」
男が、低く呟いた。
「本命か」
相澤先生が布を放つ。男はそれを掴み取り、そのまま相澤先生の懐へ飛び込んだ。
男の手が、相澤先生の肘に触れた。
相澤先生の肘から、皮膚が、ぼろぼろと崩れ落ちた。
まるで、何十年もの風雨にさらされた古い塀のように。
あの、正門の隔壁と同じように。
「動き回るのでわかり辛いけど、髪が下がる瞬間がある。一アクション終えるごとだ」
男は、愉快そうに笑った。
「そしてその間隔は段々短くなってる。無理をするなよイレイザーヘッド」
相澤先生が、男を蹴り飛ばして距離を取る。崩れた肘から、血が滴っていた。
「その個性じゃ集団との長期決戦は向いてなくないか? 普段の仕事と勝手が違うんじゃないか? 君が得意なのはあくまで"奇襲からの短期決戦"じゃないか?」
男は首を掻きむしりながら、後ろを振り返った。
「それでも真正面から飛び込んできたのは、生徒に安心を与える為か? かっこいいなあ、かっこいいなあ」
黒い影が、動いた。
あの、剥き出しの脳をした巨体だった。
「ところでヒーロー。本命は俺じゃない」
巨体が、相澤先生の背後に立っていた。
相澤先生が振り返るより早く、巨大な手が、その頭を掴んだ。
石畳に、叩きつけた。
一度。
鈍い音が、広場に響いた。
僕は、息をすることを忘れていた。
巨体は、相澤先生の腕を掴み、まるで小枝のようにへし折った。もう片方の腕も。そして、もう一度、頭を石畳に叩きつけた。
「対平和の象徴、怪人脳無」
手を貼りつけた男が、歌うように言った。
◇ ◇ ◇
相澤先生は、動かなかった。
ゴーグルが割れ、その下から血が流れ出していた。
あの人は、僕を見ていた。個性把握テストの時も、戦闘訓練の後の廊下でも。入試の点数ではなく、その先に何があるのかを見分けようとしていた人。気だるげな目の奥で、僕を、測ろうとしていた人。
その人が、今、石畳の上で血を流している。
『オールマイトは、ほとんど毎回来るそうです』
僕の声が、頭の中で響いた。
僕のせいだ。
全部じゃない。分かっている。あの男は、僕の言葉がなくても、カリキュラムを盗んでいた。マスコミを使って、門を崩して、教師たちの部屋から。
それでも、答え合わせをしたのは、僕だ。
気がつくと、僕は石段の陰から立ち上がっていた。
頭のどこかで、冷静な声がした。
――無駄だ。お前の光で、あれが倒せるはずがない。
分かっていた。
――死ぬぞ。
分かっていた。
死んでも、戻るだけだ。
僕は、石段を駆け下りた。
脳無が、相澤先生の頭を、三度目に持ち上げていた。振り下ろされれば、今度こそ終わる。あの石畳に、あの人の頭が叩きつけられる。
光を撃っている暇はなかった。撃ったところで、きっと止まらない。
だから、僕は、自分の体を使った。
石畳を蹴り、相澤先生と石畳の間に、頭から滑り込んだ。黒いケープが翻る。相澤先生の頭を両腕で抱え込み、自分の背中を、振り下ろされる巨大な腕の方へ向けた。
ほんの一瞬、腕の中の相澤先生と目が合った。
割れたゴーグルの奥で、血に濡れた目が、わずかに見開かれていた。
何をしている、と言われた気がした。
次の瞬間、背中に、世界そのものが落ちてきた。
骨の砕ける音が、自分の内側から聞こえた。肺から、空気と一緒に、何か温かいものが押し出された。腕の中の相澤先生を、それでも離さなかった。離したら、意味がなくなる。
「……あ? なんだ、こいつ」
どこか遠くで、手を貼りつけた男の声がした。
「キラキラしたのが一匹、飛び込んできたぞ。黒霧、こいつは散らさなかったのか?」
霞んでいく視界の端に、黒い靄が揺らめいていた。その靄の奥の目が、ほんの一瞬だけ、僕を見て細められた気がした。
何かを、知っている目だった。
けれど、靄の男は、何も言わなかった。
「庇ったのか。かっこいいなあ。……でも、無駄だよ」
二撃目が、来た。
今度は、もう何も感じなかった。
ああ、と思った。
十二回目だ。
四歳の時から数えて、十二回。そのうち一度だって、僕は誰かの身代わりになって死んだことはなかった。
これが、初めてだった。
優雅な死に場所、か。
それでも、やっぱり、少しも優雅ではなかった。
◇ ◇ ◇
目を開けると、自分の部屋の天井があった。
いつものように、お腹に手を当てる。膨れていない。破れていない。背中に手を回す。骨は、砕けていない。
息を、吐いた。
三日前に戻ったのだ、と思った。USJの、三日前。まだ、マスコミ侵入の後だ。カリキュラムはもう盗まれている。黒い携帯電話は、もう鳴らない。それでも三日あれば、何か――
枕元の時計に目をやって、僕は凍りついた。
日付が、おかしかった。
三日前ではない。
もっと、前だった。
僕はベッドから転がり落ちるようにして、机の上のカレンダーを掴んだ。指で、日付を数える。一度。二度。何度数えても、同じだった。
七日前。
入学二日目の朝だった。
戦闘訓練が行われる日。オールマイトが初めて教壇に立つ日。
そして――その夜、僕が初めて、あの男に報告をする日。
壁に掛けられた制服が、まだ真新しい匂いをさせていた。
まだ、何も起きていない。
マスコミは、まだ門の前に来ていない。カリキュラムは、まだ盗まれていない。相澤先生は、まだ、石畳に叩きつけられていない。
僕は、カレンダーを握りしめたまま、床に座り込んでいた。
一日。三日。そして、七日。
この力は、僕と一緒に育っている。