光を手に入れてから、世界は驚くほど簡単にひっくり返った。
「ゆうがくん、すごーい!」
幼稚園で初めてお腹から光を放ってみせた日、教室中の子どもたちが僕を取り囲んだ。昨日まで僕をヴィラン役にしていた子たちが、目をきらきらさせて、我先にと僕の手を引いた。
「ねえねえ、いっしょにヒーローごっこしよ!」
「ゆうがくんはヒーローね! レーザーでびーってやるの!」
先生も、満面の笑みで手を叩いていた。
「まあ、優雅くん! 素敵な個性じゃない。きっと、立派なヒーローになれるわね」
膝に絆創膏を貼りながら困ったように笑っていた、あの先生だった。
お迎えの時間になると、母親たちの輪が、今度は母を囲んでいた。
『遅咲きだったのねえ。よかったわ、本当に』
『やっぱり青山さんのところのお子さんだもの。最初から、そうだと思っていたのよ』
母は笑っていた。昔のように華やかに、輪の真ん中で。
次の親戚の集まりでも、同じことが起きた。あの日、母に向けられていた冷たい視線は、どこにも見当たらなかった。大人たちはシャンデリアの下でグラスを掲げ、さすが青山家の血筋だと口々に言った。母に「あなたのせい」と言った叔母が、誰よりも大きな声で笑っていた。
僕は、その輪の真ん中で、練習した笑顔を浮かべていた。
不思議と、嬉しくはなかった。
世界は何も変わっていない。変わったのは、僕のお腹から光が出るようになったことだけだ。光を持たない僕には石を投げ、光を持った途端に手を差し伸べる。この社会がどういう形をしているのか、僕はたぶん、あの頃に骨身に沁みて覚えたのだと思う。
光は、相変わらず僕の体を蝕んでいた。
気を抜くと、お腹から勝手に光が漏れ出した。そのたびに内臓が焼けるように痛み、僕はトイレに駆け込んで吐いた。見かねた父が、知り合いのサポートアイテム会社に頼んで、光の漏れを抑えるベルトを作らせた。ベルトを締めれば、少しは楽になった。少しだけ。
それでも僕は、人前では笑い続けた。
「キラメキを忘れない僕☆」
口癖のように、そう言うようになった。光っていれば、誰も僕に石を投げない。光っていれば、母は泣かない。
――その母が、夜になると泣いていることを、僕は知っていた。
◇ ◇ ◇
電話は、いつも夜中にかかってきた。
屋敷の固定電話ではない。父が肌身離さず持ち歩くようになった、黒い携帯電話だ。それが鳴ると、父はすぐに書斎へ入り、扉を固く閉ざした。
その電話は、鳴るためだけにあった。画面には、いつも番号が表示されない。こちらからかけ直すことはできなかった。連絡はいつも、向こうから一方的にやってくる。こちらが何を伝えたくても、次に鳴るのを待つしかない。
鎖というのは、そういう形をしているのだと、僕は後になって思った。
『……はい。あの方の、お望みのとおりに』
階段の上で膝を抱えていると、扉越しに、そんな声が漏れ聞こえてきた。
あの方。
電話の向こうの誰かに、父は決まってそう言った。黒い外套の男と同じ呼び方だった。かつて誰にも頭を下げなかった父の声が、その三文字を口にする時だけ、ひどく小さくなった。
けれど僕の前では、両親はあの男を「おじさん」と呼んだ。誰が聞いても、親戚の誰かとしか思わない呼び名。もし外で口を滑らせても、怪しまれないように。両親は僕にも、そう呼ぶようにと言い聞かせた。
おじさんからの「お願い」は、いつも唐突だった。
ある時、父は大きな鞄を持って、夜明け前に出かけていった。帰ってきたのは三日後で、鞄はなくなっていた。
ある時は、見知らぬ男たちが屋敷の地下室に何かを運び込み、一週間後に、また別の男たちが運び出していった。
父の会社の帳簿を、黒い外套の男が持ち去っていったこともある。その月から、屋敷の使用人が一人、また一人と減っていった。
母は、夜会に呼ばれるたびに、知らない誰かと話をして帰ってきた。帰ってくると決まって、化粧も落とさずに寝室にこもった。
何が行われているのか、幼い僕には分からなかった。
今なら、分かる。父の会社は、あの男の金と荷物を運ぶための器にされていた。母の社交の顔は、あの男が欲しがる情報を集めるための網にされていた。そして、いずれは僕自身も、その網の一部になる。
それが、光の代金だった。
両親は、僕の前では決して笑顔を崩さなかった。僕も、両親の前では決して笑顔を崩さなかった。
嘘つきの家族だった。誰も彼もが、互いのために笑っていた。
一度だけ、その嘘がほころびかけた夜がある。
お腹の痛みで目が覚めて、水を飲みに廊下へ出た時のことだ。母の寝室の扉が、少しだけ開いていた。細い明かりの向こうで、母が鏡台の前に座っていた。夜会用のドレスのまま、化粧も落とさずに。
鏡の中の母は、泣いていた。
声も立てずに、ただ涙だけを流していた。鏡台の上には、父が昔贈ったという真珠の首飾りが、無造作に投げ出されていた。
「……ごめんなさい」
誰に向けた言葉なのかは、分からなかった。僕にか。父にか。それとも、今夜どこかで、母の集めた何かのせいで傷つく誰かにか。
床板が、きしりと鳴った。
母がはっと顔を上げ、鏡越しに僕と目が合った。次の瞬間、母は慌てて涙を拭い、いつもの笑顔を作った。
「あら、優雅。眠れないの?」
その笑顔は、僕が鏡の前で練習したものと、そっくりだった。
ああ、と思った。僕は、この人から笑い方を教わったのだ。
「ママン」
僕は駆け寄って、母の膝に抱きついた。お腹のベルトが、きしりと鳴った。
「ぼく、キラキラでしょ☆」
「……ええ。ええ、そうね。優雅は、世界でいちばんキラキラよ」
母は僕を抱きしめた。その腕は、震えていた。
僕たちは、それ以上何も言わなかった。言えば、何かが壊れてしまう気がしたから。
◇ ◇ ◇
オールマイト。あなたはきっと、不思議に思っているだろう。
あの男は、個性を奪い、与える男だ。何百、何千という個性を見てきたはずの男だ。その男が、僕の額に二度も触れておきながら、なぜ僕の本当の個性に気づかなかったのか。
これは、ずっと後になって、僕が辿り着いた推測にすぎない。
僕の個性は、とても微弱なのだと思う。
普段の僕の中で、あの力はほとんど息をしていない。火も出ない。光も出ない。体のどこかが変わるわけでもない。医者が無個性と診断したのも、無理はなかった。灯っていない蝋燭の芯のようなものだ。そこにあるのに、火が点くまでは、誰も蝋燭だとは気づかない。
その芯に火を点けるのは、ただひとつ。僕自身の、死だけだ。
死という途方もない引き金を引かれた時にだけ、あの力は目を覚まし、時間そのものを巻き戻す。そして巻き戻った先の世界では、また何事もなかったように眠りにつく。
あの男が他人の個性に触れる時、見ているのは、きっと今まさに脈打っている力なのだろう。眠ったままの芯には、目を留めなかった。あるいは、留める価値もないほど、取るに足らないものに見えたのかもしれない。
皮肉な話だ。
最初に僕を殺し、この芯に初めて火を点けたのは、他でもないあの男自身だった。それなのに、あの男はそのことを何ひとつ覚えていない。巻き戻った世界では、あの死はなかったことになっているのだから。
あの男が僕に光を与えたあの日から、僕はしばらく、死ななかった。
死に戻りの力は、ベルトの下の痛みと一緒に、僕の中で静かに眠り続けていた。
次にそれが目を覚ますのは、もう少し先――僕が初めて、おじさんの「お願い」を直接受けた日のことだ。