三日。
それが、僕に与えられた時間だった。
四歳の頃は一日だった。いつの間にか、三日に延びていた。理由は分からない。体が大きくなったからか、それとも、この力自体が僕と一緒に育っていたのか。
けれど、その時の僕にとって大事なのは、理由ではなかった。
三日あれば、須藤さんを助けられるかもしれない。
◇ ◇ ◇
一度目の三日間で、僕は須藤さんに会いに行った。
手がかりは、名字と「社長」という言葉だけだった。それでも、須藤という名の社長がいる運送会社は、調べればすぐに見つかった。都心から少し離れた、古い雑居ビルの三階。小さな会社だった。
受付で名前を告げると、怪訝な顔をした須藤さんが奥から出てきた。腫れてもいない、縛られてもいない、生きた顔で。
「青山……? ええと、どちらのお坊ちゃんかな」
僕は、すぐには何も言えなかった。ただ、その顔をじっと見ていた。
「……須藤さん。あの方からのお願いを、断りましたね」
須藤さんの顔から、表情が消えた。
「三日後に、あなたは殺されます。だから、今すぐ遠くへ。誰にも言わずに」
須藤さんは長い間、見知らぬ中学生の顔を見つめていた。なぜ僕がそれを知っているのか、問いただしもしなかった。きっと、あの男の名前が出た時点で、全てを察したのだろう。やがて、静かに頷いた。
その夜、須藤さんは姿を消した。
そして三日後、あの部屋の隅から引きずり出されてきたのは、やはり須藤さんだった。前よりも、ずっとひどい姿で。
「誰かが、彼に何かを教えたらしいんだ」
マスクの奥で、男が笑った気がした。
「心当たりはあるかな、優雅くん」
僕の背後で、両親が凍りついた。その日、死んだのは須藤さんだけではなかった。
◇ ◇ ◇
二度目は、ヒーロー事務所に匿名の手紙を出した。
翌日、黒い外套の男が屋敷を訪ねてきた。手には、僕が出したはずの封筒を持っていた。
「坊ちゃん。郵便というのは、存外に色々な人の手を通るものなのですよ」
その日のうちに、僕は死んだ。
三度目は、あの部屋で男に頭を下げた。雄英に行きます。何でもします。だから、須藤さんだけは助けてください、と。
「交渉かい?」
男は、心底おかしそうに笑った。
「君は、自分がそんなことを言える立場だと思っているのかな」
須藤さんは、僕の目の前で血を吐いて崩れ落ちた。僕が泣き叫びながら放った光は、男に届く前に、機械の唸りの中へかき消えた。
四度目。五度目。六度目。
須藤さんを遠くの街へ逃がそうとした。屋敷の地下に匿おうとした。交番に駆け込もうとして、その手前で黒い車に押し込まれた。
六度目には、父に全てを打ち明けた。
書斎で、僕は話した。三日後に何が起きるのか。須藤さんがどうなるのか。僕が、何度それを見てきたのか。
父は、最後まで黙って聞いていた。それから、ひどく静かな声で言った。
「優雅。それを、誰かに話したか」
「……ううん」
「なら、誰にも話すな。その須藤という男のことも、忘れなさい」
父の手は、机の上で震えていた。
「あの方に逆らった者がどうなるか、パパンは嫌というほど見てきた。……お前とママンを守るためなら、パパンは何だって見捨てる。見ず知らずの男も、自分の誇りも、何もかもだ」
父は、僕の話を信じたのだと思う。信じたうえで、そう言ったのだ。
翌朝、いつものように、黒い外套の男が屋敷を訪ねてきた。こちらからあの男たちに連絡する手段はない。父は、その男が玄関に立つのを待っていたのだ。
応接間の扉越しに、父の低い声が聞こえた。何を話したのかは分からない。けれど、その日の午後、僕が須藤さんに逃げるよう伝えに行く前に、須藤さんは姿を消した。……あの男の手の者に、連れ去られて。
その日、僕はあの部屋で再び「いやです」と言い、また死んだ。
そのたびに、須藤さんは捕まった。そのたびに、僕は死んだ。
七度目の三日間で、僕は須藤さんの家を訪ねた。
郊外の、小さな一軒家だった。社長の家にしては質素な門構えで、庭には子ども用の自転車が置かれていた。扉を開けたのは、小学生くらいの女の子だった。
「おとうさん、おきゃくさん!」
奥から出てきた須藤さんが、見知らぬ中学生の来訪に驚いた顔をした。女の子は須藤さんの足にしがみつき、恥ずかしそうに僕を見上げていた。
「娘のひかりです。ほら、ご挨拶しなさい」
「……こんにちは」
ひかり。
その名前を聞いた時、僕は、自分がもう何もできないのだと悟った。
須藤さんが「お願い」を断ったのは、この子のためだったのだ。この子の父親が、悪事の片棒を担ぐ人間であってほしくなかったから。だから、あの男に背を向けた。それが、どういう結末を招くと知っていても。
須藤さんは、ヒーローだった。
僕なんかよりも、ずっと。
その日、僕は道に迷ったふりをして、何も言わずにその家を後にした。
そして三日後、須藤さんが血を吐いて崩れ落ちるのを見て、僕は初めて、何の策もなくあの男に光を放った。助けるためではなかった。ただ、許せなかった。
光は、やはり届かなかった。
◇ ◇ ◇
八度目の三日間を、僕は何もせずに過ごした。
学校に行き、授業を受け、クラスメイトと笑い、家に帰ってトイレで吐いた。須藤さんには会いに行かなかった。会えば、また何かをしてしまいそうだったから。
三日後、僕はあの部屋にいた。
「雄英高校を受けなさい」
一度目と、まったく同じ言葉だった。
部屋の隅から、須藤さんが引きずり出されてきた。腫れた目が、僕を見た。何かを言おうとして、唇が震えた。
今なら分かる。須藤さんが言おうとしていたのは、きっと娘の名前だった。
男の指が、須藤さんの額に触れた。
僕は、目を逸らさなかった。
逸らす資格など、僕にはないと思った。
温かいものが、また頬に飛んだ。何度目かも分からない、同じ温度だった。
「断る、というのは、こういうことだ」
柔らかい声。機械の唸り。背後で震える両親の気配。
「さて、優雅くん。返事を聞かせてくれるかな」
僕は、頬を拭わないまま、笑った。
鏡の前で、十年間練習してきた笑顔だった。
「はい、おじさん。喜んで☆」
男は満足そうに頷いた。
「いい子だ」
◇ ◇ ◇
オールマイト。
須藤さんを殺したのは、あの男だ。それは間違いない。
けれど、須藤さんを見殺しにしたのは、僕だ。
七回、僕は須藤さんを救おうとして、七回とも失敗した。そして八回目に、救うことを諦めた。諦めて、自分と両親が生き延びる道を選んだ。
あの男からは逃げられない。どこへ逃げても、何をしても、結局はあの部屋に連れ戻される。それが、八回死んで僕が学んだことだった。
その夜から、僕はうまく眠れなくなった。
目を閉じると、頬に温かいものが飛んでくる。何度も、何度も、同じ温度で。
食事の味がしなくなった。夜中に何度も跳ね起きては、自分のお腹が膨れていないかを確かめた。鏡の中の自分が、知らない誰かに見えるようになった。
死ぬことそのものより、死んだあとに戻ってくることのほうが、ずっと怖かった。戻ってくれば、また選ばなければならない。誰を救い、誰を見捨てるのかを。そして結局、何も救えないのだと、もう一度思い知らされる。
それでも、朝が来れば僕は髪を整え、ベルトを締め、星をつけて笑った。
笑い方だけは、どれだけ死んでも忘れなかった。
その年の春、郊外の小さな一軒家から、ひとつの家族が引っ越していったと聞いた。行き先は、誰も知らなかった。
僕は、雄英の願書に名前を書いた。