個性「死に戻り」の青山くん   作:永愛垣生

9 / 13
入試

二月。雄英高校、一般入試当日。

 

 目覚ましが鳴る前に、目が覚めた。

 

 窓の外はまだ暗かった。僕はベッドの上で体を起こし、いつものように、まずお腹に手を当てた。膨れていない。破れていない。ちゃんと、生きている。

 

 あの部屋で、自分の光に内側から食い破られて死んでから、毎朝の習慣になっていた。

 

 顔を洗い、髪を整え、鏡の前で笑顔を作る。今日の笑顔は、いつもより少しだけ時間がかかった。

 

 朝食の席では、パンを半分だけ口に入れた。エネルギー効率のおかげで、それだけで夕方まで動ける。味は、相変わらずほとんどしなかった。

 

 家を出る時、玄関まで見送りに来た母は、何か言いたそうに何度も口を開きかけては閉じた。結局、母が口にしたのは「いってらっしゃい」の一言だけだった。

 

 頑張って、とは言わなかった。言えるはずがなかった。この試験に受かることが、僕にとって何を意味するのか、母は誰よりもよく知っていたから。

 

 父は、書斎から出てこなかった。

 

 制服のポケットの中で、僕は小さな星のブローチを握りしめていた。十年前、父がお守りだと言ってくれたものだ。もう胸につける年ではなくなったけれど、手放すこともできずにいた。

 

 お守り、か。

 

 これが守ってくれるのは、いったい誰なのだろう。僕か、両親か。それとも、僕に騙されることになる、まだ顔も知らない誰かか。

 

   ◇ ◇ ◇

 

 校門の前には、全国から集まった受験生が溢れていた。

 

 誰もが緊張した顔で、巨大な校舎を見上げている。参考書を最後までめくり続ける者。両手を合わせて何かを祈る者。友達同士で肩を叩き合い、強がって笑う者。

 

 僕は、その人波の中で髪をかき上げた。

 

「ふふ、ついにこの日が来たね☆ 雄英も、僕のキラメキを待ちわびていたに違いない」

 

 周りの受験生が、怪訝な顔で僕を避けて歩いていく。それでいい。妙な奴だと思われていれば、誰も僕の顔色など気にしない。

 

 ふと、校門のすぐ先で誰かがつまずくのが見えた。

 

 もじゃもじゃの緑色の髪をした、小柄な少年だった。前のめりに倒れかけた体が、地面に着く寸前でふわりと宙に浮く。隣にいた丸顔の女の子が、少年の背中にそっと触れていた。

 

「転んじゃったら縁起悪いもんね」

 

 女の子はそう言って笑い、少年は真っ赤な顔で固まっていた。

 

 なぜだろう。僕は、その少年から目が離せなかった。

 

 ひどく緊張した顔。握りしめた拳。どこか、自分の体をまだ持て余しているような、ぎこちない立ち姿。――光を手に入れたばかりの頃の僕が、鏡の中に見ていた姿に、少しだけ似ていた。

 

 その少年の名前が緑谷出久だと知るのは、もう少し先のことだ。

 

   ◇ ◇ ◇

 

 筆記試験は、拍子抜けするほど静かに終わった。

 

 問題は難しかった。けれど、解けないほどではなかった。あの塾で、倒れるまで詰め込んだ知識は、少なくとも僕を裏切らなかった。数学の大問三では、一瞬だけ手が止まった。模擬試験の最中に倒れた時と、同じ番号だったからだ。

 

 答案用紙の文字は、今度は揺れなかった。

 

 昼休みを挟んで、午後は実技試験の説明会だった。

 

 すり鉢状の巨大な講堂に、何百人もの受験生が詰め込まれていた。受験番号順に座らされ、同じ中学の者同士が隣にならないように振り分けられている。互いに協力させないための配慮だろう。

 

 照明が落ち、壇上にスポットライトが当たった。

 

「受験生のリスナー! 今日は俺のライヴにようこそー!! エヴィバディセイヘイ!!」

 

 ボイスヒーロー、プレゼント・マイク。ラジオで何度も聞いた声が、講堂中に響き渡った。

 

 誰も返事をしなかった。

 

「こいつぁシヴィー!!! 受験生のリスナー、実技試験の概要をサクッとプレゼンするぜ!! アーユーレディ!?」

 

 やはり、誰も返事をしなかった。

 

 説明は単純だった。受験生は複数の模擬市街地に分かれ、制限時間十分の間に、仮想敵と呼ばれるロボットを行動不能にしてポイントを稼ぐ。仮想敵には、一ポイント、二ポイント、三ポイントの三種類がある。他の受験生への攻撃など、アンチヒーローな行為はご法度。

 

「質問よろしいでしょうか!」

 

 講堂の中ほどで、眼鏡をかけた背の高い受験生が、真っ直ぐに手を挙げた。

 

「プリントには四種の敵が記載されております! 誤載であれば、日本最高峰の雄英において恥ずべき痴態! 我々受験者は規範となるヒーローのご指導を求めてこの場に座しているのです!」

 

 それから彼は、くるりと振り返り、別の受験生を指差した。

 

「ついでにそこの縮れ毛の君! 先程からボソボソと……気が散る! 物見遊山のつもりなら即刻雄英から去りたまえ!」

 

 指差された先で、校門のあの少年が、真っ赤になって口を押さえていた。周りから、くすくすと笑い声が漏れた。

 

 僕は笑わなかった。

 

 真っ直ぐな人だ、と思った。正しいことを、正しいと信じて口にできる人。僕が四歳の頃に、どこかへ置き忘れてきたものを、当たり前のように持っている人。

 

「オーケーオーケー、受験番号7111くん、ナイスなお便りサンキューな!」

 

 マイクは少しも動じずに続けた。

 

「四種目の敵は〇ポイント! そいつは言わばお邪魔虫! 各会場に一体、所狭しと大暴れしている〝ギミック〟よ! 倒しても点にはならねえ、上手く避けな!」

 

 倒しても、意味のない敵。

 

 僕は、プリントの隅に描かれた〇ポイントの絵を、指先でなぞった。

 

「最後にリスナーへ我が校の校訓をプレゼントしよう。かの英雄ナポレオン=ボナパルトは言った! 『真の英雄とは人生の不幸を乗り越えていく者』と!」

 

 ――Plus Ultra。更に、向こうへ。

 

 講堂中の受験生が、その言葉に目を輝かせていた。

 

 僕は、拍手をしながら、ベルトの上からお腹をさすっていた。

 

 不幸を乗り越える者。

 

 なら、不幸に屈して、人を見殺しにした者は、何と呼ぶのだろう。

 

 講堂の照明が戻り、受験生たちが一斉に立ち上がる。僕に割り当てられたのは、演習場Dだった。

 

 演習場へ向かうバスの中は、静まり返っていた。

 

 窓の外を、本物の街と見紛うほどの巨大な模擬市街地が流れていく。隣の席の受験生は、さっきから膝を小刻みに揺らし続けていた。前の席では、誰かが小声で自分の個性の使い方をぶつぶつと確認している。

 

 誰もが、怖がっていた。

 

 落ちることを。失敗することを。たった一度きりの十分間で、何年も積み上げてきた夢が終わってしまうことを。

 

 僕は、窓ガラスに映る自分の顔を眺めていた。不思議なほど、落ち着いていた。

 

 一度きりではないからだ。

 

 その考えが頭に浮かんだ時、僕は少しだけ驚いた。けれど、否定はしなかった。

 

 もしこの十分間でしくじったら。もし取り返しのつかない失敗をしたら。その時は――死ねばいい。死ねば、三日前に戻れる。試験の中身を知った僕が、もう一度この席に座ることになる。

 

 ずるい考えだと思った。

 

 この席に座っている誰ひとりとして、そんな逃げ道は持っていない。彼らは、一度きりの十分間に全てを懸けている。僕だけが、命を担保に、何度でも賽を振り直せる。

 

 それでも、その逃げ道を手放す気にはなれなかった。僕が背負っているのは、自分の夢だけではないのだから。

 

 バスが止まった。

 

 演習場Dの巨大な門の前で、受験生たちが次々と降りていく。僕は運動着の上からベルトをきつく締め直し、深く息を吸った。

 

 ポケットの中で、ブローチの角が手のひらに食い込んだ。

 

 この十分間に、僕と両親の明日がかかっている。

 

 ――何度目の十分間になったとしても。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。