「――人工、衛星? 宇宙人の?」
「はいっ、そうなんです。カナスピカ、っていう名前なんですけど」
知名度のある芸能人を集めて、その生い立ちや苦労話を披露する。現在収録されているのは、そんな番組である。
永遠の十七歳、ウサミン星人こと安部菜々にマイクを向けた司会者は、怪訝と苦笑の中間あたりの表情を浮かべたまま、あるいは取り繕ったまま、どうしようかという視線を、セットの外で監督しているディレクターに向けた。
番組作りというのは、家作りと同じだ。結果はどうあれ、行き当たりばったりで適当に作っているのではない。そこには設計図があり、職人の勘がある。何が言いたいのかと言えば、どんな番組にだって台本があるということだ。
とはいえ、設計図の様に全てがミリ単位までかっちり決まっているかと言えば、そうでない部分もある。安部菜々の回答も、そうしたアドリブに属するものだった。
「えーっと、それが、菜々ちゃんがアイドルになろうって思ったきっかけなの?」
「というより、アイドルを頑張ろう、ですかね」
はにかむように、ウサミン星人は笑った。小さな失敗を告白するような仕草は、なるほど、彼女がアイドルであることを納得させる魅力的なものだっただろう。
「昔、ちょっとだけ迷ってた時期があるんです。本当にこのままアイドルを続けていていいのかな、って」
「年齢とかもあるしね。俺もこの前、駅の階段を登っただけで腰が痛くなっちゃってサ」
「ああ、分かります! そうなんですよねー、日頃のちょっとした……って、いやいやいや! ナナはまだ17ですから! リアルJKですから!?」
いまやお決まりとなった――本人は納得していなくとも――やりとりに、スタジオの空気が弛緩する。
その雰囲気から、司会者もこのまま進めようと判断したらしい。マイクの先を軽く振って、続きを促す。
菜々は軽く頬を膨らませながらも、話題を元に戻すことに同意したようだった。現場の空気を読むことに関しても、彼女はそれなりに経験を積んでいる。
「もー……それで、迷ってたんですけど。その時に彼が――カナスピカが降りてきたんです」
「降りてきたって、宇宙から?」
「ええ。といっても、もちろん最初は空からだと思っていましたよ。人工衛星だっていうのは、本人から聞いたんです」
「宇宙人の人工衛星って喋るの!?」
「喋るみたいですねぇ。ナナも最初驚きました! それで、彼の言うことには――」
――結局、このアドリブは丸々全てでこそないが、実放送に使用された。
やや外連味に溢れすぎるやりとりだったが、安部菜々というアイドルのキャラクターを鑑みての判断だったのだろう。
『ウサミン星人』ならではのエピソード……というより、ジョークとして視聴者には受け入れられ、おおむね好評を博したようだ。
だから結局、その発言が紛れもない真実だと知っているのは彼女本人と、もうひとりの当事者である異星人の人工衛星だけであるということに変わりは無かったのである。
◇◇◇
ナナが昼休み、空を見上げている確率は1215分の1だ。
彼女にとっての(種類があるそうだ)昼休みというのは、およそ3600秒の空白のことをいうらしい。だから彼女は昼休みの間、その内の3秒弱を、空を見上げることに費やしていることになる。
地上に降りた後のぼくが計測したところによると、この数字は人類の平均と比べてとても高いものだった。
ナナはよく空を見ている。彼女曰く、空を見るという行為には良いところもあるし、悪いところもあるのだという。
ぼくはどちらかというと見下ろす方だったから、空を見上げたことはそれまで無かった。
打ち上げの時も、見ていたのは空でなく別のものだ。
もっとも、これは光学観測装置以外の機能を使ったものだったから、見るという表現さえ正しいものではないのだけれど。
そんなわけで、その日も彼女は1215分の1の確率で空を見上げていた。
そして同時刻、ぼくは衛星軌道を自らの意思で外れてこの星への降下を試みていた。
ナナには対抗欺瞞処置を展開していたぼくのことは見えていなかったはずだけど、彼女の視線は丁度、ぼくのいる辺りに向けられていたので、ぼくは彼女に助力を乞うことを決めたのだ。
後に彼女は『そんなただの偶然でナナに付き纏うなんて、目を合わせちゃったヤンキーですかあなたは』と何やら不満を漏らしていたけれど。
そう、ぼくとナナが出会ったのは偶然に過ぎない。
因果律の宿命もなく、時空を超えた引力もなく、ぼくたちは必然の真逆、ただの乱数の下に邂逅した。
だけどそんな偶然だって、物事の切っ掛けとしては馬鹿にしたものじゃない筈だ。
宇宙のどこかにはもしかしたら偶然、隕石が直撃して落下してしまうようなカナスピカもいるかもしれない。
そのカナスピカが落下した先で、偶然、ひとりの少女と出会うかもしれない。
カナスピカと少女との出会いは、互いが忘れていた何か大切なものに気づかせてくれるかもしれない。
そして、偶然によって成立したぼくとナナの邂逅もまた、何かを生み出すための切っ掛けになったのだと思う。
◇◇◇
そんなわけで、安部菜々の目の前には、高度2万6499Kmから落ちてきた異星人の人工衛星が浮かんでいた。
もちろん、このファーストコンタクトの時点では、それが周回していた軌道の高さも、異星人のテクノロジーであることも、そもそも人工衛星であることすら彼女には分からなかったのだけど。
彼女の所属するプロダクションの屋上。昼休み、彼女はそこで発声やダンスのステップを練習する習慣があった。今も汗ばむ程度に練習して、疲労や将来への不安から、なんとなく空を見上げていたのだ。
そこに突然落ちてきたのが、眼前の球体である。金属製の光沢。大きさは――バランスボールよりもやや大きめというところか。もしも中が空洞なら、ぎゅっと縮こまった菜々が入れてしまいそうだ。それだけの柔軟性が、彼女にまだ残っているのなら。
「……」
ぽかん、と口をあけっぱなしにしている菜々の目の前で、事態は進行していく。彼女の処理能力を慮る様子など欠片もない。
カチャカチャと音を立てて、球体が割れていく。菜々は何となく、小さい頃に買ってもらったスライド式のパズルを思い出していた。1枚の絵が4×4のピースに分割されていて、絵がバラバラになるようにピースをスライドさせてから、元の絵に復元するという玩具だ。
もっともそれが解けず、癇癪を起こした挙句に全てのピースを力尽くで取り外し、元の絵になるようこれまた力尽くでピースをはめ込んでいたことに関して、菜々は都合よく記憶を失っていた。
けれど、目の前の球体はパズルに比べてずっとピースが多いようである。
球体だった筈の形状は幾重もの変形を経て、いまや人型に近づいている。いや、もう完全に人間の少年に変身していた。服もきちんと着ている。どう見ても違和感のない、小学生か中学生くらいの見た目だった。
金属球から変形するところを見ていなければ、道ですれ違ったとしても気にも留めないだろう。それが逆に不気味さを感じさせた。
やがて宙に浮いていた球体改め少年は、ゆっくりと下降を再開し、屋上の上に降り立った。彼の履いたスニーカーがコンクリートを踏みしめると、じゃりっという聞きなれた音が響く。ここで自主的なダンスレッスンをする限り、疎遠にはならない音だ。
だからそれを耳にして、菜々は現実に回帰した。と言っても、既に驚いて叫びつつ転びながら逃げ出すべきタイミングを逸していたので、小さな震え声を出しただけだったが。
「あ、あなた、何なんですか」
菜々のともすれば不躾過ぎる問いかけに、少年はきちんと日本語で返してくる。無表情だったが、声音は声変りを迎えていない男の子のものだった。
「名前はカナスピカだ」
「カナスピ……カ?」
「カナスピカ型観測衛星だ。ちょっとだけ非正規だけど」
「観測衛星って……」
「観測衛星とは、何かを観測するために天体の周回軌道を回る人工物のことだ」
言葉を継ぎ足されても、疑問はひとつも氷解しない。少なくとも、いま菜々が切実に知りたい疑問は。
分かったのは、目の前の少年はカナスピカという名前? であるということ。
分かっているのは、カナスピカは人間に見えるけど、人間ではないということだけだった。
「あ、あの、いま、空から……」
「うん?」
菜々の途切れ途切れの声に、少年――カナスピカは首を傾げて見せたが、すぐに推察したらしい。
「ああ、そうだ。ぼくは77メモット……翻訳を再演算……2万6499Kmの高度から降りてきた。でも誤解されると困るんだけど、これはぼくの意思の上での行動だ」
「ご、誤解?」
「機能不全で落ちてきたわけじゃないってことだよ。まだたったの50年しか稼働していないんだから」
結局のところ、理解の及ばない物からの話をいくら聞いたところで、理解など得られるはずもない。カナスピカの話を聞いていても、菜々の中の疑問はどんどん増えるだけだった。
ならば自分から質問をして聞き出す他ないだろう。菜々は急速に乾いていく口の中を何とか湿らせて、どうにか質問を紡ぎ出した。
「じ、人工衛星……なんですよね?」
「そうだよ」
カナスピカは何ということもなく頷いて見せた。
(人間に変身して、会話までする人工衛星なんて聞いたこともないですけど)
菜々は胸中で呻いた。だが、もとより自分は専門家ではない。もしかしたら、どこかの国はそういう人工衛星を極秘に造って極秘に飛ばしていたりするのかも。
その場合に心配なのは機密保持やら何やらで、サングラスをかけたスーツ姿の男たちに取り囲まれやしないかということだが、どのみち姿を見て会話も交わしてしまった後だ。
何とか質問と応答が成立したことに僅かな自信をつけて、菜々は恐る恐る問答を続けた。
「それってやっぱり、アメリカとかロシアの……?」
「アメリカトカロシア?」
いきなりインチキ外国人のような発音になったカナスピカに、ささやかな自信を粉微塵にされた菜々が怯む。よく分からない相手なのだから、やっぱりよく分からない理由で態度を豹変させるような気がしたのだ。
幸い、カナスピカはそれ以上の行動をしてこなかった。
半ば泣きそうになりながら――背を向けるのもそれはそれで恐ろしかったので――続ける。
「ち、違うんですか? じゃあ中国とか」
「それはもしかして、この星に生息する君たち微生物の名前なのかな? 個体名?」
「微生物」
絶句している菜々に、カナスピカは自分の答えが何かおかしいと勘付いたらしい。目の奥がチカチカと僅かに明滅した。
「違うのか。じゃあ、群体の総称かな。一部の原始的生物は、同種であっても別の群れを作るものがあると」
「あ、あの、もうそれでいいんで」
カナスピカの言葉を遮るように、菜々は手を振って見せた。
交わしたのはほんの僅かなやりとりに過ぎないが、どうも相手にこちらを害する意図はないようだ。一連の失言も、カナスピカ当人に悪気があるようには見えない。そもそも感情があるのかというのはさておき。
先ほどまでよりは格段に緊張が解れてきたので、菜々は自分の頭の底の方にこびりついて離れない『ある仮説』を口にしてみた。
「もしかして……もしかして、なんですけど。宇宙人、とかですか?」
空から金属の球体がふわふわ落下してきた時――突然、ぱっと空に現れたのだが――初めに思い浮かんだのが、そんな馬鹿馬鹿しい考えだったのだ。
だがその馬鹿馬鹿しさを、カナスピカはあっさりと肯定した。
「その認識が最も適当かもしれない。人工衛星だから、生物ではないが。ぼくは他の惑星で製造された観測衛星だ」
宇宙人! の、人工衛星!
地球・ウサミン星外生命体の存在が、間接的にではあるが証明された瞬間である。
菜々は受けた衝撃のあまりの大きさ故、逆に「へぇ、そうなんですか」と言うのが精いっぱいだった。
いますぐ気絶したい。起きたら全部夢であって欲しい。
脈絡なく「じゃあ、そういうことで」とか言って、また宇宙に飛んで行ってくれたりしないだろうか。
「君は?」
そんな菜々の胸中を知らず、カナスピカは逆に質問を放ってくる。
「私?」
「君の名前だ。さっきのやりとりから、個体名があると推察できる」
正直な話、異星人の人工衛星という、これまでの人生経験を総動員させてもどこにカテゴライズしていいか分からない物体に、ましてや自分の個人情報を渡すというのは非常に抵抗があった。
宇宙人がみんな、ウサミン星人みたいに友好的な種族だとは限らないのだから。
だけどもしも凶暴さを秘めている存在相手なら、むしろ無視したり嘘をついたりする方が悪手かもしれない。
「……ナナ、ですけど」
ささやかな抵抗として、教えたのは下の名前だけだったが、カナスピカは特に気にしていないようだった。
「ナナか。じゃあ、ナナ。頼みたいことがあるんだ。ぼくがわざわざ地表に降りてきた理由にも関係してる」
「た、頼みごとですか?」
宇宙人の人工衛星がお願いして来そうなこと。まったく予想がつかない。
返答に窮している菜々をよそに、カナスピカは滔々と話を進め始めた。
「順序立てて話した方がいいな。まず、今のぼくは衛星観測衛星だが、これは衛星を観測する衛星という意味じゃない。ある衛星が集めるものと、同じ情報を収集するためにぼくは打ち上げられたんだ」
「ある衛星……?」
菜々が拾った単語に応じるが如く、カナスピカはその白くて細い指をすっ、と空に向けた。
「この星の軌道には、ぼくとは別のカナスピカ型観測衛星が周回している」
「たくさんあるんですか!?」
既に地球は宇宙人(の衛星)に取り囲まれているのだろうか。菜々は脅威を感じたが、幸い、カナスピカは頭を振った。
「いいや。ぼくとその一台だけだ。ぼくは50年前に、もう一台は51年前に打ち上げられた。そもそも同じ観測衛星を複数打ち上げるのは効率が悪いよ」
「でも、二台打ち上げられてるんですよね?」
「それは少し複雑なところだ」
そう言って、カナスピカは眉をひそめることさえして見せた。後で聞くところによると、擬態行動の一種だったらしいが。
「実は50年前、カナスピカ型にとある不具合が見つかったんだ」
「不具合、ですか?」
「ああ。修復機能にちょっとした欠陥があってね。取り扱い説明書にも書いてなかったから、その不具合が起こるととても困ることになる」
「宇宙でも説明書とかあるんですね……」
「大抵は無償アップデートで解決したんだが、何台かはアップデート前に打ち上げられていた。そのひとつが51年前にこの惑星で打ち上げられたカナスピカだ。もしも不具合のせいでデータが収集できなかった場合、ぼくらのクリエイターが大損害を被ってしまう」
「大損害……って、具体的には?」
「賠償する必要がある。今回のケースで試算すると、ぼくらが200万台くらい買える金額だ」
「にゃくまんだい」
目の前の少年が200万人いるところなど、そうそう想像できるものでもなく、オウム返しに繰り返すのが菜々の限界だった。
なんにせよ、事の重大さを理解してくれたと思ったらしい。カナスピカは話を先に進めた。
、
「そこでクリエイターは、そのアップデート前の個体が使用されている星で、もう一台、新たなカナスピカを打ち上げたんだ。その方が、結果的に安くつくから」
「じゃあ、最初に打ち上げた方はお役御免ですか?」
「いや、向こうに不具合が発生した場合のみ、ぼくが収集したデータを無償提供することになっている。要はデータを回収できなくなるのが問題なのだから、それで賠償が回避できるということらしい」
「はあ。なんか宇宙人の割にこすっからいですね……」
ウサミン星人という属性を一端に脇に置いて、地球人の目線で菜々はぼやく。幸か不幸か、既にこの異星人の人工衛星に対する恐怖は薄まっていた。思考の余裕も生まれてくる。
つまるところ、地球の衛星軌道上には現在、地球の情報を収集する為、2台のカナスピカが周回しているらしい。そして目の前の彼は、もう一台の予備機みたいなものだということだ。
「……ちなみに、収集してる地球のデータって具体的に何なんですか?」
「基本的には地形の変化を記録することになっている。大陸プレートの動きや、海抜の変化などだ」
「何のために?」
「データは収集することに意味がある。どう使うのかはユーザーが決めることだ」
断言するカナスピカに、菜々は少しだけ不安になった。宇宙人と聞いてから、ずっと脳裏にちらついていたそれを口に出す。
「そのぅ……地球を征服したりする為じゃないですよね……?」
「さあ?」
「さあ? じゃ困るんですけど……え、その可能性ある感じですか?」
「さっきも言ったけど、ユーザーの考えは分からない。ただ、ぼくの回収は2万9千9百50年後だから、征服するとしてもその後だろう」
「にまっ……」
絶句する。宇宙人のスケールの大きさにはついて行けない。
まあ、3万年後なら別にいいか、と菜々は無責任に思った。そのころまで自分が生きている確率は0だ。仮に生きていても17歳なので未成年だし、法的な責任はきっと問われないだろう、多分。
「すみません、話がそれましたね。それで結局のところ、カナスピカさんはどうして降りてきたんですか?」
「ぼくは向こうのカナスピカと同じ情報を収集するようにクリエイターから命じられている」
「それはさっき聞きましたけど」
「だけど1年前、向こうのカナスピカが、突如周回軌道から外れて、この近くに降下したんだ」
「1年前にも!?」
叫んで、菜々はきょろきょろと周囲を見渡した。屋上から見える街並みに、何かそれらしい痕跡を発見できるわけでもなかったが。
「もういないよ。向こうのカナスピカは、一ヶ月ほどで軌道に戻った。だけど何故降りたのか、そして何故一ヶ月も地上に留まったのか。その理由は不明のままだ」
「壊れて落ちちゃった、とかじゃないんです?」
「そんなわけがない。ぼくたちは最低でも数万年単位で単独活動を続けられるよう設計されている。たった50年でそこまでの損傷を負うなんて有り得ない。確かに可能性は0%ではないが、無視できる確率だ」
何か琴線に触れる要素があったのか、カナスピカが初めて感情のようなものを見せた。『昨日やった時は確かに逆上がりが出来たのだ』と主張する子供のように、他人から見ればどうでもいいことを必死に弁解するような、微笑ましい態度。
菜々の口元にも思わず笑みが浮かぶが、どう考えても場違いだとすぐに気づき、慌てて真顔に戻る。
幸い、カナスピカは気にしなかったらしい。そのまま話を続けてくる。
「問題は向こうのカナスピカが地上で何を見たのか、ということだ。ぼくは向こうが収集したのと同じ情報をユーザーに提供しなければならない。無論、全く同じものというのは不可能だが、少なくても同程度のものを」
「なるほど。だから地上に降りてきた、ってことですね。同じものを見る為に」
納得したように菜々は頷いた。
常識外れの話だが、まさか三流アイドルにここまで手の込んだドッキリは仕掛けまい。
カナスピカも追従するように首肯して見せた。口を開く。
「それで、ナナに頼みたいことだけど」
「そういえば、そんなこと言ってましたね……」
「観測を手伝ってほしいんだ。正確に言えば、向こうのカナスピカが見たものを、ぼくと一緒に探してほしい」
カナスピカに対する得体のしれない恐怖感はだいぶ薄まっていたが、それでも予想外の申し出に菜々は目を丸くした。
一緒に? 異星人の人工衛星と? 探す?
「な、なんで」
「ぼくはこの星のことを何も知らないからだ」
「知らないって、50年も観測していたんでしょう?」
「観測していたのはあくまで地形の変化であって、君たちのことは知りもしなかった。それに、向こうのカナスピカが地表に留まっていた期間は一ヶ月だけだから、ぼくもその期間内で観測を完了させないといけない。情報も、時間も足りないんだ。だから助力が必要だと判断した」
そう言って、カナスピカは深々と頭を下げてきた。これも擬態行動だったが、この時の菜々はそれを知らなかったのでちょっと慌ててしまう。ここまで真摯に頭を下げられることなど、彼女の人生において、そうあるものではなかったのだ。
「お願いだ。強制はできないが、手伝って欲しい」
「ちょ、ちょっと、頭を上げてください!」
わたわたと両手を振り回しながら、菜々は後ずさった。
「手伝って欲しいって言われても……私、ただの一般人ですから役には立てませんよ」
「そんなことはないよ。少なくとも、君の方がこの星の文化や風俗には通じているだろうし」
「それは……そうかもしれませんけど」
流石に宇宙人の人工衛星より世間知らずな筈はない。不承不承、そこは認める。
「でも、きっと私よりカナスピカさんの役に立てる人がいますよ?」
「例えば?」
「えっと……交番とか?」
苦し紛れの答えだったことは否定できない。誤魔化すようにキャハッ♪ とアイドルちっくなポーズをとってみるが、カナスピカはろくに反応もしなかった。菜々の心に5ポイントのダメージ。
完全に無視されていればダメージは2桁までいっただろうが、カナスピカは反応を返してくれた。異質なまでに整った顔の中にある瞳が、一瞬だけチカッと青い瞬きを見せる。
「交番とは?」
「道案内とかしてくれる場所ですよ」
「それだよ」
「それ?」
「ぼくは交番というシステムを知らなかった。それを知ることが出来たのはナナのおかげだ。ナナは役に立った」
微妙に人の心の機微に欠けるような物言いだったが、カナスピカなりの素直な称賛なのだろう。だが逆に菜々は心苦しさを覚えた。この場凌ぎの適当な提案にお礼を言われてしまったからだ。
「いや、別に大したことじゃ」
「交番というのは、どうやって利用すればいいのかな」
「え? えーと、駅前にあるので、中のお巡りさんに言えば……」
記憶を辿る。菜々はウサミン星からの出勤に電車を利用しているので、よくその前を通っていた。
と、そこまで考えて、ふと疑問に思う。
「あの、お巡りさんになんて言うつもりですか?」
「さっきナナに説明したことをもう一度話すよ」
「具体的には?」
「一年前に降下した向こうのカナスピカの着陸地点に案内して欲しいと」
「あっ、ダメだこれ」
思わずつぶやいてしまう。適当に口走ったアイディアだったので、考えれば考えるほど問題が出るのは当然だった。
自分は異星人の人工衛星であると主張する少年に対して、警察はどのような対応を取るだろうか? そうなのか、じゃあJAXAやNASAに連絡してみるね。外務省にも異星文明との接触についてちょっと問い合わせてみるよ――とはならないだろう。まず信じて貰えまい。優しく諭すか、きっちり叱るか。どちらになるかは、対応する警察官の人柄によるだろうが。
どちらだったとしても、それでカナスピカが大人しく諦めて帰ればいい。問題は、カナスピカが自身の出自を証明できてしまった場合だ。さきほどの変形を見せるなどすれば、警察も対応せざるを得まい。確実に大騒ぎになるし、第一接触者の菜々が放置されるとも思えない。最悪、それこそメンインブラックに取り囲まれて、エリア21へご招待されてしまうかもしれなかった。
破滅的な結末まで一瞬で辿り着いた菜々は、屋上から飛び出そうとする体勢になっていたカナスピカの腰を掴んだ。飛び出すというのは、文字通りの意味だ。カナスピカの足が30センチほど宙に浮いている。
どうやら彼は空を飛べるらしい。
「すみません待ってください。よく考えたら、あの、カナスピカさんは交番を利用しない方がいいです」
「どうして?」
「それはー、あのー……税金を払っていないからです」
「なるほど」
「え、納得するんだ」
またもや菜々が繰り出した苦し紛れの説明に、しかしカナスピカはもっともらしく頷いていた。
「サービスを利用するのに、その料金が発生するというのは当然だろう。ぼくらを運用するのにも、ユーザーは対価を払っている」
「そういえば、そんなこと言ってましたね……」
偶然ながらもファインプレーだった。宙に浮いていたカナスピカが、再び屋上に着地する。そして眉根を寄せて、困ったように肩を落とした。
「困った。ぼくはこの星の通貨を持っていないし、換金できるような貴重品もない」
カナスピカ自身が凄まじい貴重品な気もするが、彼の目的からすると身売りは論外だろう。
眉を八の字にしたカナスピカが、菜々をじっと見つめてくる。この人工衛星の顔は、恐ろしく整っていた。複数の人間の顔のパーツを合成して平均化すると美形になるという論があるが、カナスピカはその究極だった。彼の広大に及ぶ観測能力で周囲の人間の顔を取り込み、その平均として出力したからだ。
そんな顔で見られると、少し困る。菜々はため息をついた吐いた。
「助けてあげたいのはやまやまなんですけど……ナナはこれでも社会人なんです。仕事があって……」
忙しいんです、と言おうとして僅かに迷う。
実を言えば、そこまで忙しくはない。売れていないアイドルなどそんなものだ。今のところは週に1度、声優としてアニメのちょい役の仕事がある。あとは不定期で、たまにプロデューサーが取ってきてくれるイベントの司会やライブの仕事が入るくらい。オーディションは月に数回。生活費を稼ぐため、いまだにメイド喫茶でのバイトも続けているが、それだってシフトはかなりゆるく組んで貰っている。
空いた時間は、ほとんど自主レッスンで埋めているというのが実情だった。
「……い、忙しいんです」
まごつきながらも言い切ると、カナスピカはそれ以上、言い募ったりはしなかった。
「そうか。忙しいなら仕方ない」
「い、いいんですか?」
「仕事は大事だ。ぼくだって観測中に、衛星軌道から外れるような要請をされても応えられない」
そう言って、カナスピカは落下防止用の手すりの向こう側へ顔を向けた。そこに広がる都心のビル街を眺めている。
「時間のある人を探すよ。付き合ってくれてありがとう、ナナ」
「いえいえ、何の役にも立てなくて……」
「いや、ナナとの会話のおかげで、いくらか方針が立てられた。困難な仕事だが、多少はやり遂げられる可能性も出てきたと思う」
一ヶ月以内に、もう一台のカナスピカが見たものと同じものを観測すること。
正直に言って、かなり難しいのではないだろうか、と菜々は思う。例えばそれが、一年前のある期間限定でしか見られないものだったりした場合、このカナスピカはどうするのだろう。
というか、と菜々は根本的な疑問に思い当たった。成功すれば良いとは思うが、それが果たせなかった場合は?
「あのー、こんなことを聞くのも何なんですけど……もしも一ヶ月以内に、同じものが見られなかったらどうするんです? 宇宙に帰るんですか?」
菜々の質問に、カナスピカは目の奥をチカッ、と光らせた。
「その場合、ぼくは意味消滅することになる」
「意味消滅?」
なんとなく、穏やかでない響きだ。眉をひそめて聞き返す菜々に、カナスピカは詳しく説明してくれた。
「クリエイターからぼくに与えられた命題は、向こうのカナスピカと同程度のデータを収集することだ。それが稼働途中で達成不可能と判断された場合、残りの期間の観測は無意味になってしまう」
「……」
菜々は無意識の内に自身の心臓の辺りに手を添えた。胸中に沸いた痛みに、唇を噛む。
幸いなことに、カナスピカはそんな菜々の様子に気付かなかったし、次の言葉の衝撃は、菜々の痛みを消し飛ばしてしまった。
「だからその場合、ぼくは活動を停止するだろうね」
「それって……」
予想はしていたが、それが実際に口に出されたことに慄いて、菜々は小さく悲鳴を上げた。
「死ぬってことですか!?」
「ぼくは機械だから死ぬわけじゃないよ」
「同じことですよ!」
出会ってまだ30分と経っていない、人工衛星相手だが、それでも菜々はカナスピカに確かな人格を感じていた。壊れて欲しくないと思うのは当然だろう。
だからと言って『じゃあ自分が手伝います』とは言えない。むしろさらに言いづらくなった。菜々が協力したところで、カナスピカの望むものが見つかる保証などないのだから。
それでもなお、菜々は説得を試みた。
「駄目でもいいじゃないですか。死ぬ必要なんてないですよ」
「ぼくは死なないよ」
「だから壊れるのも一緒ですって!」
「そうじゃなくて、ぼくの意思でその結末を決定するんじゃないってことだよ」
「……んん?」
どうも話がかみ合わない。
菜々が首を傾げていると、カナスピカは自身のお腹の辺りをさすって見せた。
「今回の運用に際して、クリエイターが突貫でいくつか機能を付け足したんだ。その内のひとつが、意味消滅装置だ。目的が達成不能になると自動的に発動するから、ぼくの意思は関係ない」
「……それってつまり、自爆装置じゃないですか!」
「うん、それは適当な表現だ」
あまりにも自然に頷くので、逆に菜々の気勢が削がれた。
「……嫌じゃないんですか? 勝手に爆発するんでしょう?」
「爆発するわけじゃないよ。意味消滅するだけだ」
「いやだから……っていうか、それって具体的にどうなるんです?」
「テテケチャウティウッケ」
「え、なんですって?」
急に繰り出された謎言語に菜々が疑問符を浮かべるが、カナスピカの方も想定外だったらしい。しばらく黙考していたが、やがて諦めたように首を振った。
「上手く翻訳できないみたいだ。異文明近似化演算措置とコンフリクトしてる」
「はぁ……なんだか分かりませんけど、とにかく、カナスピカさんにとって良いことではないですよね?」
「そうだね。ぼくとしても仕事は全うしたい」
「そう……ですよね」
ここで「じゃあやっぱりナナが手伝ってあげちゃいまーす!」と言えればよかったのだが、まだ踏ん切りはつかなかった。
迷っていると、カナスピカは世間話でもするかのように話を続けてくる。
「ナナも仕事は全うしたいよね。どんな仕事をしてるかは知らないけど」
「私は……一応、アイドルですけど……そりゃあ、まあ、仕事を続けて、成功できればいうことないですよね」
「うん。それなら、もしもぼくが失敗したら、ナナは一度、衛星軌道まで上がるといいよ」
「……はい?」
急に意味の分からないことを言われて、菜々の思考が停止した。何故、宇宙になど出なければならないのか。カナスピカが失敗したら? 仕事を全うしたければ?
頭の中で組みあがっていく不吉な予想図を、カナスピカの言葉が確定させる。
「意味消滅するのはぼくだけじゃないからね。この星の地形変化が無くなればデータに価値は無くなるから、賠償は免れると」
「やっぱりナナが手伝ってあげちゃいまーす! キャハッ!」
決めポーズである横ピースを披露して宣言する。
結局のところ、菜々は大人(17歳だが)で、利己的だった。
一ヶ月も地球が滅ぶかどうか心配しながら生きるよりも、傍で進捗を見ていられる方がよほどましだ。少なくとも、失敗しても最後の日には好きなものを食べることが出来る。
こうしてウサミン星人は、自分と地球の未来を守る為、人工衛星の探しものに付き合うことになったのだった。